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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その205

b0083728_12261065.jpg個人的経験:
前回、アリャビエフの
ピアノ三重奏曲を聴いて、
シューベルトより10歳年長で、
いわば辺境の作曲家が、
古典の枠組を越えた作風を
示していた事実に、
いくぶんの驚きを感じたが、
名門ベートーヴェン四重奏団で、
この作曲家の作品は、
他にも弦楽四重奏曲が聴ける。


この四重奏団、ショスタコーヴィチの演奏で有名で、
昭和51年の最新レコード名鑑でも、
ショスタコーヴィチの最後の弦楽四重奏曲を聴くには、
この団体の演奏しかないことが記されている。

大木正興氏の解説によると、
「この四重奏団は一九六〇年代の半ばに
楽員の交代をやむなくされ、
一部が若く、一部が前時代的なスタイルの
老人ということになって
様式的にまとまりにくくなったようだ」
などと厳しい指摘がされている。

今回のアリャビエフについて言えば、
戦後すぐのモノラル録音なので、
創設期の老人メンバーの若い頃で占められており、
そうした問題はないだろう。

とはいえ、1948年という、
恐ろしい時代のレコーディングに、
ふと、思いを馳せてしまった。

これらの作品も、一聴して聴き応えがあるが、
この恐るべきスターリンの時代に発掘された作品に、
本当に信憑性があるのだろうか、
などという疑念がわくではないか。

これは、勝手にそう思っただけで、
このテーマ追求が今回の目的ではない。

何と、1825年の作品とされる、
ト長調の四重奏曲の第3楽章は、
何と、「ナイチンゲールを元にしたアダージョ」となっていて、
ガリ=クルチや、シュトライヒの歌で知られる、
ロシアの名歌曲のメロディーがあからさまに歌われる。

これはびっくり、あまりにも出来すぎな話であるが、
アリャビエフの作品という保証書付き、
という感じで、問答無用である。

ここで少し脱線すると、
この「夜鶯(ナイチンゲール)」は、
名ソプラノ、リタ・シュトライヒの回想では、
彼女の人生において、
かなり重要な1曲として、
紹介されているのを読んだので書き留めておきたい。

この20世紀前半に世界中から愛された歌姫は、
声がきれいだと言うことで、
女学校時代から、クラスメートには有名で、
たびたび、この曲を歌わされた、
と回想しているのである。

雨の日、昼休み、校庭で遊べない時には、
クラスメートに歌をせがまれて、
昼食を食べ逃した、などという少女時代の話のあと、
シュトライヒはこう結んでいる。

「後になって大ホールで歌うようになってからも
聴衆はこの歌をいつも希望しましたが、
このリクエストは女学校時代からなされていたわけです。」

さて、こんな佳曲を書いた、
アリャビエフの話に戻るが、
先の四重奏曲が書かれた、
1825年といえば、シューベルトが、
やはり、自作の歌曲を主題にした、
「死と乙女」を書いた翌年であり、
アリャビエフの四重奏曲と同じト長調の作品は、
シューベルトにおいては翌年に現れるという時点に相当する。

この時代にロシアに、
こうした作品が生まれていたのであろうか。
という疑念が改めて浮かんでくる。

とはいえ、それより20年前に書かれた、
ベートーヴェンの「ラズモフスキー四重奏曲」は、
ロシアの俗謡に寄っているし、
それを遡ることまたも25年前のハイドンの四重奏曲は、
ロシアの大公夫妻を喜ばせようと作られたゆえに、
「ロシア四重奏曲」(作品33)と呼ばれている。

我々は、グリンカを持ってロシア音楽の創始者と考えたがるが、
アリャビエフとなると、それより一世代古い世代となる。

b0083728_1227087.jpg今回のCDには、
この「ト長調」第3番の前に、
1815年の作とされる、
第1番「変ホ短調」というのも入っている。
Bohemeというレーベルの、
ロシア・クラシカル・コレクション
というシリーズのもので、
ここでのアリャビエフの肖像は、
「ちょび髭の夢見がちなおっさん」、
という風情で「先駆者」の感じはない。


この線画を描いたのは誰か分からないが、
Design Vladimir Pasichnikとある。

Text Konstantin Zenkin、Mikhail Tsyganov
とあるのは、解説者であろうか。
ロシア語いっぱいのCDではあるが、
幸いな事に、比較的丁寧な英文解説もある。
そこには、こんな事が書いてある。

「19世紀初頭の高名なロシアの作曲家、
アレクサンダー・アレクサンドロヴィッチ・アリャビエフ
(1787-1851)の名は、
ロマン派時代の素晴らしい、
ロシア都会派ロマンスの好例である、
ロマンス『ナイチンゲール』によって、
多くの音楽愛好家に知られている。」

何だか変な文である。
「良く知られている人は、
これで知られている」というロジックは、
メビウスの輪みたいである。

「アリャビエフによる、
ロマンスや歌曲、ピアノ舞曲の小品は、
生前から出版され、よく知られていた。
アリャビエフは、シェイクスピアのロマンティックな劇、
『嵐』に基づくものを初め、6曲のオペラ、
バレエや劇場上演用の音楽20曲以上、
序曲、交響曲、四重奏や三重奏など室内楽作品、
合唱とピアノのための作品、
160曲以上のロマンスを作曲した。
これらの豊富な遺産の運命はドラマティックで、
450曲以上あるとされる作品の大部分は、
手稿のままであり、それらの多くは未完成であったり、
失われていたりする。」

これはドラマティックというより、トラジックではなかろうか。

「器楽曲はよく知られておらず、
演奏されることも、出版されることも稀であった。
アリャビエフの不当にも忘れ去られた作品が、
よく知られたロマンス同様、演奏家や聴衆に、
知られる日が来ることを祈るばかりである。」

とはいえ、ロマンスとて、
「ナイチンゲール」くらいしか、
知られていないのが実情ではないか。
まずは、このロマンスから、
知られるようにすべきではないか。

「アレクサンドル・アリャビエフは、
シベリアのトボリスクに生まれ、
1812年、ナポレオン軍ロシア侵攻の折には、
軍隊と共に、パリまで入城している。
1825年、アリャビエフは、偽りの殺人罪に問われ、
逮捕され、長期間の流罪となった。」

おかしい。
前回のCDでは、アリャビエフは、
シューベルトの死の年に流罪になったとあったはずだが。
あるいは25年から28年まで、
裁判か何かで、ごたごたしていたのだろうか。

また、「ナイチンゲール」のような民謡風のものは、
流罪になってから、コーカサス地方に、
転地療法した際の作かと思っていた。

とにかく、ここに収められた2曲は、
このナポレオン戦争から、シベリア流罪の間に、
書かれているようだ、という事は分かる。
では、「ナイチンゲール」は、シューベルトの歌曲と、
同時代の作品だったということになる。

以下、読むと、1828年に追放になったのは、
事実のようだ。

「1828年、作曲家は故郷のトボリスクに追放となり、
1831年にコーカサスに、後にオレンブルクに飛ばされた。
皇帝ニコライ一世によって、
警察の監視下で、モスクワに住む事が許されたのは、
やっと1843年になってからであったが、
それでも公衆の前に姿を現わすことは許されなかった。
コーカサス、ウラル、シベリアの
民衆の音楽に対する彼の知識は、
その音楽の多くに見て取ることが出来、
それは特にプーシキンの詩による、
メロドラマ『コーカサスの囚人』や、
オペラ『Ammalat-Bek』に見てとれる。」

今回、ここに取り上げられた作品は、
まだ、罪人扱いされる前のものということで、
こうしたコーカサスの民衆の音楽は、
まだ影響していないのだろうか。

「一般的に、アリャビエフの音楽のスタイルは、
古典期からロマン派の遷移期の特徴を持っている。
彼の四重奏曲第1番、第3番は、
それぞれ、1815年、1825年に書かれた。
これらは彼の初期のもので、
古典派の原理に従っている。
典型的な4楽章構成であり。
生き生きとしたソナタのアレグロ、
緩徐楽章、メヌエット、きびきびとした終曲からなる。
第3番は、例外的に緩徐楽章の前にメヌエットがある。

アリャビエフの古典主義は、
ベートーヴェンとロッシーニの時代を想起させ、
特に、メヌエットが性急で、エネルギーに満ちている。
さらに特徴的なのは、以下の点である。
第1カルテットの終楽章が、
ゆっくりとした、悲しげな序奏を有する点で、
これは、終曲や、曲全体の楽しげな風情と、
大きなコントラストをなしている。
また、第3カルテットの第3楽章の、
ナイチンゲールの主題による変奏曲も、
悲しみにくれた叙情的な表現も同様である。
作曲家はこの楽章を、
ロシア歌曲『ナイチンゲール』によるアダージョ、
と呼んでいるが、
これはアリャビエフの時代には、
民謡のみならず、民謡の精神で書かれたロマンスも、
同様にロシア歌曲と呼んでいたからである。
アリャビエフの作品は、ロシアにおける、
この分野の最初の作品で、
その熟達した集中力によって、
ベートーヴェンやシューベルトの
四重奏曲に近づいている。
アリャビエフの四重奏曲に、
我々は、その才能と共に、
ロシアの作曲家によって独自に解釈された、
西欧の古典の伝統を聴くことができる。」

第1番の第1楽章は、ハイドン風の簡素なリズミックなテーマで、
6分ほどのアレグロ・コン・スピリート。

主題労作に入りますよ、という感じが見え見えの開始部である。
いや、シューベルト少年期の作品もこんな感じだったような気がする。
1815年は、まさに少年シューベルトの創作力が爆発した年であるが、
アリャビエフは10歳年長なので、28歳の青年であった。

これまでのCD解説でも、
この人がどのような音楽教育を受けていたかは、
全く書かれていないが、才能ある人であったはずなので、
この時期に書くとすれば、こんな音楽になるものと思われる。

第2楽章のアダージョは、
ベートーヴェンの作品のように深い瞑想を感じさせるアダージョ。
1815年という年には、ベートーヴェンも、
まだ、後期の作風には到達していないが、
(というかスランプ期である)
それを示唆するような世界が模索されていることは大変興味深い。
時折、ヴァイオリンによる名技的な装飾が入るのが面白い。
1948年の録音時点、
演奏しているベートーヴェン四重奏団は、
ショスタコーヴィチから、ベートーヴェンの精神で書かれた、
作品を献呈され初めており、
こうした内省的な表現には、異常な集中を見せている。
7分かけて、じっくり歌われる。

第3楽章は、ロッシーニの影響などと、
解説には書かれていたが、
明るく飛び跳ねる気持ちのよいメヌエット(アレグロ)で、
これまた、若い頃のシューベルトという感じ。
ハイドンなどを手本にして、当時の感覚を入れ込むと、
こうした音楽になるのだろうか。

トリオは、オンスロウとか、フンメルを思い出す、
半音階で浮遊するような憧れの調べ。
これも美しい。
この楽章は5分に満たないが、充実した内容である。

アリャビエフはパリにいたようなので、
オンスロウあたりの音楽は知っていたかもしれない。

終楽章は解説にもあったように、
沈鬱な序奏が置かれ、7分15秒と最長の音楽となっている。
主部は軽妙に第1ヴァイオリン主導型で推進していく、
力強い音楽だが、内声部も充実していて迫力がある。

アリャビエフ初期の作品というが、
家庭内で閉じられていた、
シューベルトの初期作品と、
同等以上の工夫と魅力がある。
(同じ年、1815年の四重奏では、
シューベルトには「ト短調」という素晴らしい作品があって、
この曲に対しては、私は優位を譲るわけにはいかないが。)

あながち、解説者が言っていることは嘘ではない。
演奏会の前半を盛り上げること受け合いである。
おそらく、うるさいサロンで鍛えられた手腕であろう。

このCDの録音、60年も前のものながら、
いくぶん潤いに不足するが、ノイズもなく、
この初めての作品鑑賞にはまったく支障はない。

また、前時代的様式の老人集団の演奏かというと、
そんな感じはまったく感じなかった。

弦楽四重奏曲第3番は、10年後の作品で、
第1楽章のアレグロから、
楽器の扱いは自由度が増して、
全楽器が大きな表情で歌い合い、
交響的とも言える表現になっていて、素晴らしい。
これなども、私が思い浮かべるのはオンスロウの音楽である。
特にロシア的ということはないが、魅力的である。

第2楽章は、ぐるぐる旋回する、
幾分強引なメヌエットであるが、
ピッチカートなども彩りを添え、
まことにきらびやかな表現が満載となっている。
音がぎっしり密集して、
これなども交響曲的と言えるかもしれない。
アリャビエフには交響曲があるというが、
きっと面白いものに違いない。

第3楽章は例の美しい歌が切々と歌われるアダージョである。
転調が行われ、おっ、雰囲気が変わったな、
と思わせるが、やはり歌われているのは、
「ナイチンゲール」である。

とはいえ、第1番のアダージョのような、
内面の声というより、美しい幻想の一瞬といった感じ。

前回、シューベルトの「ます」も、
アリャビエフの「夜鶯」も、共に、
動物に自然界の自由さを仮託した表現、
などと書いたが、まさか、変奏曲になっている所まで、
一緒とは思わなかった。

まだ出版もされていない時期、
作曲から数年は経過しているが、
シューベルトの「ます」の五重奏曲を、
ロシアに紹介した人などはいないだろうなあ。

終楽章は、切迫感に満ちたアレグロで、
これも、短調や長調が変幻自在に駆使され、
素晴らしい高揚感を形成している。

ベートーヴェン四重奏団は、共感に満ちた、
集中力のある表現を見せている。

さて、このCDには、見開きで、
ベートーヴェン四重奏団の演奏風景が、
(セピア調白黒写真)掲載されているが、
演奏者に関する解説にもスペースを取っている。

「ベートーヴェン四重奏団は、
ディミトリ・ツィガノフ、ヴァシリー・シリンスキー、
ヴァディム・ボリソフスキー、セルゲイ・シリンスキーからなり、
1923年にモスクワ音楽院四重奏団として結成された。
1931年、そのベートーヴェンの四重奏曲の、
輝かしい連続演奏によって新しい名称を得た。
この四重奏団は、この四人の音楽家たちによって、
40年以上続き、長寿記録の一つとなっている。
この時期、600曲以上を演奏し、
そのうち200曲以上を録音している。」

ソ連の団体では、ボロディン四重奏団とか、
グリンカ四重奏団、タニェーエフ四重奏団とか、
その国の作曲家の名前の四重奏団が多いのに、
この団体だけが、何だか変な団体だと思っていたが、
このように、権威も由緒もある、
しかも、アカデミックな団体であるとは知らなかった。

「アリャビエフの四重奏曲は、
この四重奏団のクリエイティブな発見の一つである。
これらの四重奏曲は、作曲家の生前には、
サロンにて演奏されたが、その後失われていたもので、
1948年、楽譜がモスクワ音楽院の地下室で発見され、
復活初演が、この四重奏団によってなされた。」

このようにあるように、過去の研究もばっちりの団体。
あまり、ここまでやる団体というのは例を見ない。
アマデウスもスメタナもジュリアードも、
普通のレパートリーしか録音していない。
名門というものはそういったものかと思っていた。

「全メンバーは、モスクワ音楽院で教鞭をも取り、
年を経るにつれ、新しいメンバーに移り変わった。
ニコライ・ザヴァニコフが、
ヴァシリー・シリンスキーに代わり、
フェードル・ドルジーニンが、
ヴァディム・ボリソフスキーに代わり、
ユージン・アルトマン、オレグ・クリサが、
後年、メンバーに加わっている。」

ちなみに、ショスタコーヴィチは、
このヴァシリー・シリンスキー(第2ヴァイオリン)の、
追悼のために、弦楽四重奏曲第11番を書いたとされ、
この四重奏団の崩壊に従って後期の作品を書き進めた。

12番はツィガーノフに捧げられ(これは追悼でも退任でもない)、
第13番はヴィオラのポリソフスキー退任の音楽で、
14番はチェロのシリンスキーのための音楽。

最後の15番に至っては、
ベートーヴェン四重奏団が初演するはずだったのに、
今度はチェロのシリンスキーが急逝し、
初演の四重奏団が変更になっている。

大木正興氏が、メンバーがアンバランスだと書いたが、
そんな問題を越えて、この四重奏団が、
ショスタコーヴィチの音楽と、
密接に繋がっていたことに思いを馳せるべきなのであろう。

「この四重奏団のレパートリーは、
モーツァルト、ハイドン、ベートーヴェン、
シューベルト、シューマン、ブラームス、
チャイコフスキー、タニェーエフ、
グラズノフ、プロコフィエフ、ショスタコーヴィチ、
ストラヴィンスキー、ヒンデミットであり、
この四重奏団に、ショスタコーヴィチ、
ミヤコフスキー、シェバーリン、ヴァインベルクが、
作品を捧げている。
このアンサンブルはショスタコーヴィチの
全四重奏曲を初演している。」

この全四重奏という表現は、十五番の例からしても、
ちょっと、言い過ぎであろう。

「また、ギレリス、リヒテル、ユーディナ、ロストロポーヴィチ、
オイストラフ、コゾロフスキーのような、
有名な音楽家が、ベートーヴェン四重奏団と共演している。」

このようにあるように、この四重奏団は、
マリア・ユーディナと共演し、
シューベルトの「ます」を録音してくれている。

ショスタコーヴィチさえ、
畏敬の念を持って接していたと思われる、
この巫女のようなソ連の女流は、
バッハの演奏で知られ、
モーツァルトではスターリンに賞賛され、
素晴らしいシューベルトのソナタも残しているので、
これは聴きモノであると思った。

録音年は分からないし、コントラバスも誰か分からない。
書いてなさそうである。
これまたロシア語満載で、レーベル名も読めない。
解説もさっぱりわからない6枚組に収録。

しかし、この「ます」の演奏は、
何とそっけない演奏なのであろうか。
序奏からして、ピアノは、ばーんちゃらららと弾き飛ばし、
ベートーヴェン四重奏団も、その迫力に押されたのか、
何だか、急にテンションを上げて、
すごいスピードで弾き進めて行く。

とにかく、ものすごいスピードであることは確か。
弦は、時折、じっくりと歌おうとするのだが、
ピアノが入って来るタイミングがせかせかしているので、
全員が興に乗っているわけではなく、
四重奏団が煽られているものと思われる。

しかし、ユーディナに何が起こったのであろうか。
この幻視者は、何かをそこに見いだしたのであろうか。
指がもつれる程に、夜叉のように猛進している。

咳が聞こえるので、ライブ収録であろうが、
単に、早くコンサートを終えて、
帰りたかっただけのような感じが強い。

しかし、四重奏団の方はベストを尽くして、
燃焼しようとしているようである。

第2楽章は、内省的な音楽なので、
ユーディナに向いていると思われるが、
弱音重視で、よく聞こえない印象。
ただし、弾き飛ばし感はない。
音が歪むのが残念だが、
弦楽は各奏者の美しい歌が味わえる。

第3楽章は、ツィガーノフも一緒になって、
ものすごいテンションになって、
まるでスポーツか何かのように、
ピアノと火花を散らしている。
もう、彼らの頭には、シューベルトの事など、
すっかり無くなっているようである。

さて、アリャビエフ同様、有名な歌曲が主題になった、
第4楽章。
ここで、ようやく、自分たちが、
シューベルトを演奏していた事を思い出したようである。
弦楽だけの主題呈示は、粋な節回しも聴かせて、
大木正興氏が書いていたような古風な表現が聴かれる。
しかし、ピアノが入って来ると、
緊張感が漲り、各変奏の間も、ゆっくり取らせて貰えない感じ。
変奏曲の個々は、しっかりシューベルトを歌っているが。

ユーディナは、指が絡みながら、
凶暴な表現に傾斜しがちである。
ピアノのハンマーが叩きつけられ、
いったい、何を怒っているのだろうか。
この曲を根本から呪っているのだろうか。
あるいは、この四重奏団が嫌いなのだろうか。
または、何かが降臨して、彼女を駆り立てたのだろうか。

終楽章もめちゃくちゃがさつである。
ここでは、弦楽四重奏も共犯で、
クレイジーな状態に陥っている。
あるいは、背後に暗殺者の影があって、
何か脅迫されてでもいるのだろうか。
まるで戯画のようながちゃがちゃ状態で、
完全にリズムが硬直している。
ここまで潤いのない演奏は初めて聴いた。

ある意味、恐ろしく貴重な体験であった。

ライブらしいが、拍手がないのが残念。
聴衆はどんな反応をしたのだろう。


得られた事:「ベートーヴェン四重奏団の演奏、アリャビエフに優しく、シューベルトに厳しい。」
by franz310 | 2009-12-20 12:27 | シューベルト

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その204

b0083728_2218758.jpg個人的経験:
リタ・シュトライヒの歌う、
アリャビエフ作曲の
「夜鶯」を聴きながら、
彼女がシベリア出身であったこと、
アリャビエフが、同様に、
シベリアの人であった事に、
ついつい、思いを馳せてしまった。
このロシアの作曲家は、
1787年生まれというから、
シューベルトの同時代人である。


橋口久子という人の訳によると、
この歌曲はこのような内容のものらしい。

「うぐいすよ、私のうぐいす
美声の鳥よ、
おまえはどこへ飛んでいく?
夜通しどこで鳴くのかい?
うぐいすよ、わたしのうぐいす
美声の鳥よ

飛んでいけ、私のうぐいす、
どんなに遠くまでも、
青海原の上、
異国の岸辺までも。
うぐいすよ、私のうぐいす
美声の鳥よ

おまえが訪れるどんな国でも、
どんな村や町でも、
どこにも見つかりはしまい
私ほど不幸せな者は!
うぐいすよ、私のうぐいす
美声の鳥よ」

改めて見て見ると、かなり大人の歌である。
また、エキゾチックな小唄と思っていたが、
意識すると、かなり、ロッシーニ風でもある。

そういった意味で、シューベルトの時代を、
忍ばせる何かがあることは確か。
それを民謡調が、ほぼ、覆い隠しているが。

同様に自然界になぞらえた、
シューベルトの「ます」同様、
自然の中における自由さが、
詩の基調となっているが、
結局は男女の関係がほのめかされている点も、
こじつければ共通点とも言える。

このアリャビエフ、一説によると、
この時代にあって日本人に会った、
数少ない西洋人の一人である可能性がある。

井上靖の小説、「おろしあ国酔夢譚」に、彼の名前は出ている。
この小説家は、平成の初めに亡くなったので、
もう没後長い歳月を経ているが、
近年では、「風林火山」が、
大河ドラマに取り上げられたりもしているので、
なおも、読み継がれている人気作家と言っていいのだろう。

しかし、多くの歴史小説で知られ、
終戦後の風俗などを留めた恋愛小説などが、
絶版になっているのは残念なことだ。

時折、古書店で見つけて購入して読んでみると、
昭和の良き時代を彩った、活力と品位がある、
魅力的な人間像が眩しく、
懐かしい感情がこみ上げて来る。

良い時代が失われてしまった事が、
改めて思い出されると共に、
なおも生き続けるものに対しても、
ふと、思い至るものがあったりする。

さて、この「おろしあ国酔夢譚」であるが、
映画化もされたので、かなり人口に膾炙した作品のはずである。

1782年、つまり、シューベルトもアリャビエフも生まれる前、
伊勢を出航した帆船神昌丸が駿河沖で難破、八ヶ月の漂流のうちに、
アリューシャン列島に漂着、船長の光太夫一行は、
極東経営を検討中のロシア人によって捉えられてしまう。

光太夫は、この捕虜生活のうちに、
ロシア語の習得に励み、最後には、
シベリアを横断して、ロシアの首都にまで足を伸ばし、
エカチェリーナ二世に帰国嘆願を申し出た。

アリューシャン列島からカムチャッカ半島へ、
半島をこれまた横断、さらにオホーツク海を渡る、
というだけでも、恐ろしい道のりである。

オホーツクからは大陸を横断、
バイカル湖沿岸のイルクーツク、オビ川流域のトボリスクを経て、
モスクワ経由でペテルブルクに到る。

こうした漂流民は、断続的にあったようで、
何と、1760年代にはモスクワ街道という、
大陸横断道路が出来ると共に、
イルクーツクの街は商業で賑わい、
そうした漂流民たちに、
日本語学校まで作らせていたという。

光太夫たちは、この街に1790年に到着。
恐ろしい道すがら、仲間は次々に死んでいる。

そのような状態で、ようやく、到着した、
人が住める街がイルクーツクであった。
彼らは、そこで、今では閉校になっている
日本語学校の再開を命じられる。

国を出て8年が経っている。
実際、一行のうちには、現地での生活に快適を覚え、
その求めに応じるものも出ていた。

しかし、光太夫は、まだ帰国の方策を考え続けている。
ここで、博物学者のラックスマンと出会ったのが、
彼らに光明を与えた。
ラックスマンは日本に興味を持っており、
光太夫と一緒に日本探検がしたかったからである。

「帰国願いが都には届かないで、
途中で握りつぶされている」というのが、
ラックスマンの推測であり、
「この上はお前自ら上京して、
直接皇帝陛下に嘆願する方法しかあるまい。
陛下にお目にかかるのは容易なことではないが、
わしが万事取り計らってやる。」
これが彼の提案であった。

1791年、彼らはペテルブルクに向かって出立した。
そして、モスクワとの中間地点、
西シベリアの行政、軍事、宗教的中心とされる、
トボリスクに到着した。

ここでの描写は、まるで、今回取り上げる、
このCDの表紙のような感じである。
「この町では、朝夕牧夫が家畜の群れを追い立てて通る光景が見られた。
牧夫や家畜たちの吐く息の白いのが光太夫には珍しい見物であった。」
この「ロシアの農民」という絵画は、
Venetsianovという画家のものであるらしい。
可愛らしい少女が、両手にそれぞれ馬を引いている。
帽子はかぶっているのに、足は裸足なのが奇妙であるが、
帽子と着衣の新鮮な紅色が美しい。
これと同じ色でCDのタイトルが入っている。

さて、ここからが本題だが、この小説の第五章には、
このような出来事が印されている。

「知事はア・ウェ・アリャビエフという人物であった。
学問や芸術が好きで、この町に初めて劇場を建て、
印刷所を作ったことを何よりの自慢としていた。
毎夜知事の邸宅には、この町の数少ない知識人が招かれて、
一つのサロンを作っていた。
光太夫はラックスマンに連れられて、
この知事の家の夜の集まりに顔を出した。」

何と、18世紀ロシアのサロンに出入りする日本人!

「そこで二人の人物に注意を惹かれた。
一人は優れた作曲家として知られている知事の息子であり、
一人はこの国の有名な思想家で、
シベリアへの追放途上にあるラジシチェフという中年の貴族であった。
どちらもこれまで見たことのない型の人物であった。
作曲家の方は口を開くと人の悪口だけが飛び出した。」

このように、トボリスク知事の息子として、
わがアリャビエフが登場した、
と、小説を読んだ時には思っていたのだが、
この年が、1791年だとしたら、
実は、作曲家はまだ4歳の小僧である。

井上靖は、むしろ、ラジシチェフを書きたくて、
ついでにアリャビエフを登場させたのだろう。
「ラジシチェフは1749年にモスクワの貴族の家に生まれ、
七歳までサラトフ県にある父の領地で過ごし、
後にモスクワで学び、十五歳の時にペテルスブルクに移って、
一時その地の幼年学校に席を置いた」などと、
特に必要ない説明をしたあと、
この人が農奴制の反対者で、四つ裂きの刑を宣告され、
その後、減刑されて、シベリアのイリムスクに流される途上にあった、
という事を続けている。

この人は種痘の実践者でもあり、
ロシア革命思想の先駆者でありながら、
最後は1802年に自殺したという略伝が、
ざっくり記されている。

一方、作曲家のアリャビエフはこれ以降、登場しない。
研究熱心な井上靖のことであるから、
アリャビエフについては研究し、
おそらく、有名なガリ・クルチのレコードも聴いたことであろう。

b0083728_22183499.jpgこのガリ・クルチについては、
あらえびすが、「名曲決定盤」の中で、
このように紹介している。
「二十世紀の初頭、
コロラチュラ・ソプラノの人気は、
テトラツィーニが一人占めであったが、
ガリ-クルチがローマから
アメリカに乗り出すようになってから、
完全にその人気を奪われてしまった。」
と書いているから、
今から100年前の大家であった。


「この人の声は純粋で清澄な上、
不思議な輝きと潤いがあり、
情味と魅力においては、
旧時代のあらゆるソプラノを
圧倒したばかりでなく、
年齢のハンディキャップさえなければ、
ダル・モンテといえども歯がたたなかったはずである。」
などと激賞された人であった。

「楽器のように均勢のとれた非常に表情的な声は、
ガリ-クルチの強みで、その上、声量も相当あり、
若い頃はなかなか美しくもあったらしい。」

ただし、アリャビエフに対する言及はない。
一方、このようなガリ-クルチに、
前回のシュトライヒは比べられたことを思い出そう。

あらえびすによると、
「やはり『ソルヴェイクの唄』と『聴け雲雀の歌声を』を
採らなければなるまい。これは電気の初期のレコードだが、
あらゆるレコードのうちで一番売れるそうだ。
十年間に恐らく何万枚と売っていることだろう」とあり、
ガリ-クルチの人気については想像できるが、
これと同様の現象がシュトライヒにおいても起こったのだろう。

前回の解説にはそうあった。

私は、このガリ-クルチのLP(SPの復刻)を聞きなおし、
ポンセの「エストレリータ」などからも、
強烈なイメージを受けた。
かなり、古い人のイメージだが、
ポンセとなると、ちょっとナウである。

今回、この人の歌で、「夜鶯」を聞き直してみると、
いくぶん速いテンポで、
小技を要所に効かせるだけで、特に思い入れもなく、
さらっと歌っているような感じであった。

このような大家の歌ったレコードであるから、
井上靖の周辺にも、アリャビエフを聴かせた人もいただろう。

とはいえ、井上靖の小説を読む限り、
この美術評論家でもあった人は、
あまり音楽について、
興味を持っていなかったような気がしている。

絵の展覧会や画家は頻繁に登場人物となるが、
音楽会が出て来たり、音楽家が登場したりすることはなく、
音楽好きの青年が、「レコード音楽」を部屋で聴く程度である。

それが、ガリ-クルチだったりすれば面白かろうが、
音楽で失意の女性を慰める小説の展開からすると、
もっと新しい音楽のイメージであった。

さて、光太夫は、この後、エカチェリンブルク、
カザン、ニジノゴロドで半日休息したが、
後は昼夜兼行でモスクワに向かったとされている。

前回聴いた、シュトライヒが生まれた、
バルナウルの近くの都市、ノヴォシビルスクは、
バイカル湖近くで、ラックスマンと会ったイルクーツクと、
アリャビエフの父が知事をしていたトボリスクの間に位置するが、
井上靖は、この間の町々についてはすっ飛ばしている。

「大森林にはいると、
永遠にそこから出られないのではないかと思うほど
何日も何日も大森林の中の旅が続き、
樹木の一木もない大雪原へ出ると、
またそこの旅が何日も続いた。」

そんな描写だけであるが、日本の南北縦断くらいの距離がある。
それにしても、リタ・シュトライヒの一家も、
ものすごい所からベルリンに来たものである。

さて、井上靖が、「おろしや国酔夢譚」の中で、
これ以上は書かなかった、アリャビエフについて、
今回のCDでは知ることが出来る。

アリャビエフの「ピアノ三重奏曲 イ短調」を、
高名なボロディン・トリオが演奏してくれている(世界初録音)。
シャンドスから出ている。
その解説を見ればよい。

一聴して、第3楽章(終楽章)が、
ものすごく異国情緒を感じさせ、
彼の代表作、「夜鶯」的と言えるだろう。
アレグレットとだけあるが、
跳躍するようなフレーズが出て、
いかにも民謡の変形調である。
しかし、この楽章が一番長く

第1楽章は、7分10秒、
「乙女の祈り」に似た物憂い序奏があって、
意味深な感じがするが、
だんだん、三つの楽器が大きな表情を見せるにつれ、
いきなり、ピアノが駆け巡るパッセージが現れる。
これはもうほとんどフンメルではないか、
といった展開となる。

ピアノの高音から低音までを駆け巡り、
ハイドンやモーツァルトとは、明らかに違う精神がある。
弦楽器が大きなため息のような楽節を出したりすると、
ピアノは伴奏に徹し、何だか不思議な緩急自在な幻想曲となる。

初録音ということからか、
さすがのボロディン・トリオも、
何だか、どう向き合ってよいか分からない、
といった風情がなくもない。

第2楽章は、4分49秒で短い。
歌謡的な楽章で、アダージョである。
ピアノのさざ波に乗って、
ヴァイオリンが叙情的な歌を奏でる。
チェロも歌を歌って、古典派の伴奏風ではない。
しかし、フンメル風のような気はする。
何だか蜃気楼のような、夢想的なもので、
推進力がないので、ただ耳を澄ますような表現しかできない。

第3楽章は、その点、明快なアクセントがあって、
民族舞踊風なので、もっとじゃかじゃかやっても良いかもしれない。

さて、Marie-Claude Beauchampの書いた解説には、
この曲の解説は充実しておらず、
もっぱら、アリャビエフを取り巻く状況について述べている。
「19世紀初頭、
ロシア知識人層は、三つの重要な出来事に揺り動かされた。
まず、フランス革命であり、その民主的な関心は、
1825年のデカブリストの乱にまで達した。
第2にナポレオン戦争で、国民意識を高め、
最後に、西欧からのロマン主義運動の到来があった。
この熱狂がアリャビエフの生涯にわたって木霊している。
1787年、トボリスクに生まれ、ナポレオン戦争の前線に従軍、
ペテルスプルクに住み、デカブリストと交際した。
1828年、証拠なき殺人罪で、シベリア流刑となる。」

このように、アリャビエフは、
ロシアのロマン主義の走りのような生涯であったようだが、
シューベルトが生まれる10年前に生まれ、
シューベルトが亡くなった年に、追放刑に処されていて、
その生涯は、さながら小説のようなものだったであろう。

アリャビエフは、シベリアを下りながら、
幼い日に見た、極東の異人のことを思った、
などというオチはいかがだろうか。

先に、井上靖の小説で、ラジシチェフという思想家が出て来たが、
まさしく、それと同様の人生を、この作曲家は送っている。
しかし、アリャビエフの音楽家としての活躍は、
実際は、ここからだったということだろうか。

「彼は彼の地に1832年まで住んだが、
療養のためにコーカサスへの転地は認められ、
南方にいる間に、アリャビエフは民族音楽に目覚め、
民謡を採取し、これらは彼の作品を彩ることとなる。
アリャビエフは様々なジャンルの作品に手を染め、
管弦楽曲、合唱曲、舞台音楽、室内楽に加え、
彼は200曲の歌曲を書いた。
デカブリストのAnton Delvigの書いた詩による、
歌曲『ナイチンゲール』は、何とかレパートリーに残っている。
1950年にモスクワで出版された、
アリャビエフの『トリオ イ短調』は、
初期ロマン派期におけるロシア最高の室内楽の一つとさせる。」

これだけの解説では、作曲の時期もわからず、
その後の作曲家の生涯も伝えず、
非常に物足りないが、
「夜鶯」以外のアリャビエフが聴けるのは大変貴重である。

また、冒頭に掲げた詩が、
デカブリストの作というのは本当だろうか。
ものの本には、ロシア民謡ともある。

初期ロマン派といっても、
シューベルトのような内省的なものではなく、
ロマン主義と聴いて思い描く、精神の奥底を追求する風でもない。
やはり、ピアノの名技的な点が前に出た、
フンメル風としか言いようが思いつかない。

「おろしあ国酔夢譚」の光太夫は、
アリャビエフに会ったかもしれないが、
この曲を聴くには、まだ40年を待つ必要があっただろう。

なお、光太夫は78歳まで生きていたというから、
ちょうど、彼が亡くなる頃に、
この作品は産声を上げたのかもしれない。

光太夫は、10年の年月を異国に彷徨い、
何とか女帝の許しを得て帰国するが、
鎖国下の日本の処置は厳しかった。

ラジシチェフやアリャビエフも犯罪者として追放されたが、
光太夫もまた、そのような扱いを受けたまま、
余生を監視下に置かれたのである。

さて、このCDの前半には、名作、
チャイコフスキーの「偉大な芸術家の思い出」が収められていて、
むしろ、アリャビエフは付録である。

解説も、こちらは3倍くらいある。
「『あなたは私に、かつて、ピアノ三重奏曲を書くように、
と言ったことを覚えていますか。そして、私が、
この編成が好きではない、と言ったことを。』
1881年12月、ローマから、
ナダージェダ・フォン・メックに宛てた手紙の一節である。
同じ手紙で、チャイコフスキーは、この裕福なパトロネスに、
ある意味、彼女を喜ばせるために、
またある意味、これらの編成の困難さを克服するために、
この編成を試みようとしている旨を書いている。
しかし、これはすべてが真実ではない。
10ヶ月も前に、ニースにいたチャイコフスキーは、
出版者のユルゲンソンから、
高名なピアニストでモスクワ音楽院の創設者であった、
ニコライ・ルビンシュタインが、パリで亡くなったという、
悲しい知らせを受け取っていた。
1854年に母親を亡くす以前から、
チャイコフスキーは死の理不尽さを知っており、
今度、それは、彼から、
気むずかしいが、忠実であった友を奪ったのである。
この痛々しい喪失に対して、ルービンシュタインの芸術への、
讃辞を込めて、このピアノ三重奏曲は書かれたのである。
『ある偉大な芸術家の思い出に』、献呈されたこのトリオは、
1882年の最初の二ヶ月に熱狂的な状態で作曲された。
それは二つの楽章からなり、
最初の楽章は、『Pezzo elegiaco』と題され、
巨大な不規則なソナタ形式で書かれていて、
次の楽章は、さらに二つの部分に分かれている。
パートAは、主題と11の変奏からなり、
パートBは、12番目の変奏曲と、
終曲、コーダを兼ねている。
チャイコフスキーをニコライ・カシューキンは回想して、
第2楽章のテーマは、1873年に、
彼がルービンシュタインと一緒に、
モスクワ近郊で過ごした際、
土地の農民が歌い踊った時の記憶によるものだという。」

ということで、この曲も、
このCDの表紙絵画に近いものがあるかもしれない。

「このトリオは、モスクワ音楽院の私的な会合で、
ルービンシュタインの一回忌、
1882年3月23日に初演された。
この時、チャイコフスキーは海外にいたが、
第2回めの演奏には立ち会って、大規模な改訂を行った。
公式な初演は、1882年10月30日、
モスクワで行われ、聴衆には好評だったが、
批評は冷たかった。
作曲家に乞われるがままに、
タニェーエフのピアノ、Jan Hrimaryのヴァイオリン、
ウィリアム・フィッツハーゲンのチェロで、
この曲は何度も演奏された。
チャイコフスキーの悲劇的な三重奏曲は、
彼の生前から人気を博し、
1893年11月には、モスクワとペテルブルクで、
作曲家の記念コンサートが催された際にも取り上げられ、
作曲家は賞賛を受けている。
チャイコフスキーの最高の成果ではないものの、
彼の作品の重要な部分を占め、
最もポピュラーなチャイコフスキーの室内楽となっている。
1942年に、Leoniede Massineが、
プーシキンの詩による『アレコ』という、
彼の交響的バレエにこの曲をオーケストレーションして使ったが、
彼によると、チャイコフスキーのこの曲は、
この詩におけるジプシーの雰囲気に完全にマッチしているという。」

というような事が書かれている。
ただし、この曲は今回のメインテーマではないので、
深追いはしない。

得られた事:「『ナイチンゲール』の作曲家アリャビエフによって、我々日本人はユーラシア大陸を横断し、シューベルトの時代を夢想できる。」
by franz310 | 2009-12-12 22:29 | 古典

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その193

b0083728_23484589.jpg個人的経験:
私が30年ほど前に、
ヴィーンで聴いた演奏会で、
シューベルトを奏でたのは、
当時、すでに、15年の歴史を誇っていた
ウィーン・ハイドン・トリオであった。
確か、前半は、ツェムリンスキーを演奏し、
後半にシューベルトの「2番」をやった。
彼らが演奏したシューベルトの
ピアノ三重奏のCDは、第1番、第2番共に、
テルデックで聴くことが出来る。


第1番は、「ノットゥルノ」と、
第2番は、「ソナタ楽章」とカップリングされている。
これらの曲目では、テルデック・レーベルは、
もっと若い世代のトリオ・フォントネの演奏(1994)や、
もっと独奏者としても有名な、
シフ、塩川、ペレーニ盤(1995)を次々と出した。

「ます」が廉価盤として長命を保ったのに対し、
これらのCDは、完全にお払い箱状態かもしれない。
それにしても、このレーベルは、よほどこの曲が好きなのであろう。

しかし、このCDのデザインは、
何だか、類例を見ないものだ。
ピアノの鍵盤が写真でドアップ。
そこに、意味不明な三日月の線画が重ねられている。

「ます」の五重奏曲に関しては、
私は、ハイドン・トリオの演奏の方が、
トリオ・フォントネより良いように感じた。
したがって、これらのピアノ三重奏曲も、
きっと味わい深いものに相違ない。

また、解説を読んでみると、
かなり興味深い事実を指摘していて、
大変、興味深い。
前回、日本の音楽評論家による、
「妄想」と、戦前から変り映えしない一般論を交えた解説に、
うんざりしていた私には、心ときめくものであった。

第1番の方の解説は、この曲の謎に満ちた、
作曲時期について踏み込んだものだ。
Uwe Schweikertという人が書いている。

「シューベルトの、ピアノ、ヴァイオリン、チェロのための
三重奏曲変ロ長調作品99(遺作)(D898)は、
もっと有名な兄弟分、三重奏曲変ホ長調作品100(D929)の、
陰にあって、何となく継子扱いを受けている。」

これは、カザルス・トリオ、オイストラフ・トリオ、
ハイフェッツらのトリオによるレコードで、
変ロ長調を親しんで来た日本人には、
実感の湧かない記述ではあるが、
確かに、この曲に関しては、「ます」の五重奏曲同様、
成立の由来に関して、よく分からない点が多いのは事実である。

昭和50年の「レコード芸術」付録の、
最新レコード名鑑「室内楽曲編」(大木正興著)でも、
「第2番」の項で、「この曲は変ロ長調の曲と違って
生まれ出たときから目立つところの出ていた曲であった」
と書かれていた。
「変ロ長調のほうが素朴、流麗、
そして概して屈託のない明るさを
曲の基調としているのに対し、
これは、不安、不満、憧憬の色がきわめて濃く、
喜遊的なピアノ三重奏曲の伝統から離れて、
彼自身の内なる声をこの曲種に乗せた天才的な作品である」
と比較、断言がなされている。

このように、変ロ長調の方は、
昔から、「屈託のない明るい曲」だから、
変ホ長調より前の作品に違いないと思われていた。

このテルデックのCDでは、そのことについて、
がっぷりと取り組んだ解説になっている。

決して、志鳥氏のように、(以下創作であるが、)
「私は、この曲を聴くと、いつも、貧しかったけれど、
心は豊かだった青年シューベルトの短い人生を想うのである」
などという月並みな感想で解説を終えるのを潔しとしない。

「自筆譜はとうに失われており、
シューベルトの生涯に関するものにも、
彼の友人たちの無数の回想の中にも、
この曲に関するドキュメントはない。
この曲が彼の生前に演奏されたかという、
答えられない問題も残っている。
ヴィーンのディアベリによって、
『第1大三重奏曲』というタイトルで、
1836年で初めて出版された。」

このあたりからして、非常にわかりにくい。
ディアベリが「第1」と勝手につけたのだろうか。
あるいは、ディアベリから出された「第1」ということだろうか。

しかし、ピアノ・ソナタ第18番として知られる、
ト長調の「幻想ソナタ」などの自筆譜には、
「第4ソナタ」と明記されているとあるので、
失われた自筆譜にそう書かれていたのかもしれない。

「この作品を受け取ったロベルト・シューマンは、
『新音楽時報』にて、その時、こう書いている。
『新しく出版されたものは、恐らく古い作品であろう。
もっと前の作風を示しているし、
変ホ長調のものの少し前に作曲されたに違いない。
しかし、これらの作品の内容は大きく異なっている。』
作品番号が若い事と、最初に出版された時の名称もあって、
古い時代にはこの作品はこの作品を作品100の前に位置づけた。」

これも極めてややこしい話で、
作品番号はシューベルト自身が決めたのだろうか。
変ホ長調のトリオの作品番号100に関しては、
シューベルトはかなりこだわったようだが、
(これは出版社とのやりとりが残っていて確実)、
実は、この変ロ長調にも同様のこだわりを持っていたのだろうか。
ディアベリの証言が欲しいところである。

「正確な作曲時期は確定できないが、
今日では一般にこの作品の作曲は、
1827年11月に作曲が開始され、
12月16日に初演された変ホ長調のトリオの、
完成前ではないと見なされている。
シューベルトの新作品全集(SeriesⅥ,vol.7)の序文で、
アーノルド・ファイル(Feil)は、この作品が、
1828年4月か5月に書かれたという証拠となる議論を提示した。」

実は、このCDの解説にはないが、
この推論に対する反論もあり、
前述のように、作品99としたのは、
シューベルト自身だという論法もあるようで、
まことにややこしいが、ここでは、一応、
このファイル説に従っての解説が試みられている。

「このことは、変ロ長調をシューベルトの死に先立つ、
半年内に作曲されたものに含めることになる。
差し迫った焦燥はなく、むしろ、
受動的に安らかに消えゆくような、
この作品の静かに旋回するような外観
(例えば、第1楽章の展開部や、緩徐楽章、
スケルツォのトリオ)から、
これを弦楽五重奏曲ハ長調(D956)や、
最後の三つのピアノ・ソナタ
(D958-960)のような作品に、
近いものと考えたくなってしまうが、
これも推測に過ぎない。」

しかし、このような妄想は少し歓迎である。
確かに、言われてみれば、より諦念に近づいた作品と見えなくもない。

「すでに述べたシューマンの記述によれば、
『もっと活発で男性的で劇的』な変ホ長調よりも、
変ロ長調は、『受動的、女性的で叙情的』である。
性別の表現で述べられた対立は、
二作品の性格のみならず、
変ロ長調の作品理解にも示唆するものがある。
変ホ長調が決然と切り詰められていて、
ベートーヴェンの作品97のように、
古典的だと見なされるとしたら、
変ロ長調の、より明快で叙事的な形式の扱いや、
幅広い衝動的な反復は、
一般的にロマン的な音楽と言われるもののエッセンスだ。
一方でシューベルトはベートーヴェンの例のように、
4楽章構成を取り、ピアノに技術上、表現上の支配権を持たせ、
交響的な要求を課した。
ベートーヴェンの作品が、
社交的なものと、形式的なものの間を浮遊するのに対し、
シューベルトの作品は、主題やコントラストにおいて、
社交的なものと名技的なもの、
または、ブルジョワの名士と、
そして、孤独な空想とを結びつける。
こうした外観は、
変ロ長調トリオの最初の3楽章のみならず、
お開きのダンスを想起させるロンドに顕著に特徴付ける。
2/4拍子から3/2拍子への変化は、
興奮して速い行進曲が、同じ拍子を保ちながら、
揺れるようなダンスのリズムとなり、
時空が魔法のように分解していく。」

以前、アベッグ・トリオの解説のライカウ氏が、
シューベルトの音楽には、時間の概念の崩壊があるように書いてあったが、
同様の事を、このシュヴァイカート氏も言っているようだ。

b0083728_23504057.jpgこのように、この解説では、
このトリオにおける、
シューベルトの晩年様式を、
さらに強調し、
もっとロマンティックに
解釈しているようだが、
このウィーン・ハイドン・トリオの演奏は、
どのように聞こえるだろうか。

私は、トリオ・フォントネなどの演奏に比べて、
かなり細かい表現を追求した演奏だと思った。


あるいは、ヴァイオリンやチェロの音色が美しいが、
線が細めで、興奮しているように聞こえるから、
そう思えるのだろうか。


第1楽章が、単に楽しげな音楽であるという印象が強いが、
第1主題から第2主題に到る過程では、
ピアノがどんどこ打ち鳴らされて集中力が高く、
何かがひたすらに追求されていく感じ。
歌謡的な第2主題がチェロで現れると、
その緊張が、ほっとほどけて行く。
ピアノが心を込めて、この歌を続けるところも美しい。

展開部でも、この高い集中力、ひたむきさが、
目の詰んだ響きで追求されていると同時に、
第2主題が現れるところでは、柔らかく優美に歌われる。
こうした曲想の変化で、少しずつテンポを揺らして、
シューベルトの声に丁寧に耳を澄まそうという姿勢が伺える。
それが、何やらやるせない情緒を醸し出して行く。

そういった意味では、さらに晩年様式を強調して、
諦観しようという演奏ではない。

第2楽章の美しいチェロに、
ヴァイオリンが重なっていくあたりも、
焦燥感が高まるかのようにテンポを揺らし、
何かを思索しているようである。
この楽章も、弦楽五重奏のような雄渾な感じはなく、
もっとナイーブで、そういった意味では、
解説にあるような内容を表わした演奏ではない。

第3楽章のように小刻みな展開では、
この団体の弦楽部の線の細さが強調され、
メンデルスゾーンのスケルツォのような、
妖精の踊りのような揺らめきが感じられる。

ただ、トリオに入る前の強奏時に、
一瞬、音合わせのような間が置かれるのは何故か。
彼ら特有のアクセントだろうか。
少し、流れが止まったような感じを受ける。

解説に、特に後期様式が感じられるとあったトリオ部は、
この演奏では特に幻想的で、
解説にあったとおりの色調を滲ませる。
丁寧に表情を変えて聴かせ、
ヴァイオリンとチェロが不思議な無重力感を持って浮かび上がる。

第4楽章、解説で難しいことが書いてあった楽章であるが、
力任せに盛り上げるのではなく、
錯綜した楽想を踏みしめるように踏破していく趣である。
このあたりを勢いで行ってしまうと、
シューベルトの魅力は半減してしまうかもしれない。
緊張と弛緩を繰り返しながら、
解説にあったような、行進曲から舞踏への変容を描き出す。

「今回のハイドン・トリオの変ロ長調の録音には、
切り離された形で残されている、
作品148(遺作)(D897)の
三重奏楽章変ホ長調が収められている。
1846年、『ノットゥルノ』の名称で最初に出版されたが、
これはシューベルトのオリジナルではない。
最初、変ロ長調トリオの中間楽章として作曲されながら、
アンダンテに差し替えられたのかどうかは推測の域を出ない。
繰り返させるメロディー、伴奏の音型、月並みなリズムは、
アルフレッド・アインシュタインをして、
『奇妙にうつろなアダージョ』と呼ばせしめた。
波の上を滑るようでありながら、
表記上は、『情熱的に』と書かれた、
この音楽は、ノヴァーリスが作ろうとした、
ロマンティックな『魂を震わせる芸術』の如く、
感覚的な魅惑に対する内面の争いの一例である。」

この団体の丁寧に表情をつけて行くやり方は、
こうしたシンプルな曲では、最大限に効果が発揮される。
ただし、ノヴァーリスまでを引合いに出した、
この解説の意味するところはよく分からない。


b0083728_23512012.jpgさて、ウィーン・ハイドン・トリオによる
シューベルトのピアノ三重奏曲第2番こそ、
私がウィーンで聴いた貴重な音楽である。
彼らは、確か、演奏が終った後、
いろいろ解説をしていたが、
第2楽章のメロディーのようなものを、
演奏してみたりしたような記憶がある。
このメロディーはスウェーデンの民謡の引用
という説があるので、きっとその話を
しているのだろうと推測した。


第1番が87年9月に対し、それより早い6月の録音。
ディレクターは、二曲ともウォルフガング・モーアとある。
ヴィーンの団体ながら、ベルリンのテルデック・スタジオでの録音である。
7年後に、ここで、トリオ・フォントネが同じ曲を録音するが、
さすがに、レコーディング・プロデューサー、
トーンマイスターは同じ人、エバーハルト・セングピールとある。
何と、この人は97年録音のトリオ・フォントネの「ます」でも、
同職を務めていた。

81年のハイドン・トリオの「ます」も、
同じテルデック・スタジオの録音なので、きっと、
セングピールさんの録音だろう。

しかし、この二枚のCD、
一方の製品番号は、8.43682とあり、
もう一方は、8.43683なので、
一連の企画と思われるが、
背表紙は、前者には、「TRIO NR.1」とあって、
後者には、「TRIO OP.100」とあり、
統一感ないこと甚だしい。

Printed in West(!) Germanyとあるが、
ドイツ人は気にならないのだろうか。

ちなみに、後者のデザインはピアノの鍵盤の大写しに、
ヴァイオリンとチェロの線描が重なっている。
ますます、さっきの三日月の意味が気になる。

このCDでも解説は、第2楽章のところでそれを述べている。
ただし、解説者の名前がないのは残念。
こんな不統一も私には気になるが。

「膨大な量の歌曲や、
ほとんどない成功しなかったオペラを除いて、
シューベルトの作品は、もっとも内輪の友人たちのサークル、
『シューベルティアーデ』で演奏された。
出版社に促され、
彼自身の作品による公開演奏会は一度だけ、
すでに死の年になる1828年3月26日に、
ヴィーンのムジークフェラインで催された。」

公開演奏会は、友人たちに促されたのではなかったか。

「いくつかの歌曲、ニ長調四重奏曲『死と乙女』の変奏曲、
アルト独唱と男性合唱による『セレナード』に加え、
変ホ長調のピアノ三重奏曲もまたプログラムに載った。」

ここで演奏されたのは、「新作の四重奏曲」とあり、
一般には、最後のト長調とされる事が多いが、
何と、この解説では変奏曲とまで明記されていて驚いた。
これが、何か、研究成果に基づくものであるかは分からない。

「ホールは満員になり、すべての作品が喝采され、
この一夜は財政的にも芸術的にも素晴らしい成功となった。
しかし、こうした俗世的成功にもかかわらず、
11月にチフスに倒れるまで、
作曲家は、さらなる燃えさかる創作意欲に身を献じた。
長い宿痾に弱められていた彼の健康は、
急激に衰え、運命の皮肉か、ようやく出版社に受け入れられ、
首を長くして待っていたこの三重奏曲の印刷譜を受け取る直前に、
作曲家は、1828年11月19日、
32歳(原文のまま)で亡くなったのである。
作品は印刷譜となったのはわずか一ヶ月後のことだった。
8月1日になってようやく、シューベルトは、
ライプツィッヒの出版社プロープストに書き送っている。
『トリオの作品番号は100です。
この作品は誰にも捧げませんが、
気に入ってくれた人のためのものです。』」

シューベルトは、ここで何を言おうとしたのだろうか。
誰か、適当な人がいれば、献呈を適当に入れてもらっても良い、
などという意思表示にも見えたりもする。
それとも、自分は、何者にも束縛されない、
という気概の現れであろうか。

しかし、ベートーヴェンの「大公トリオ」などは、
ルドルフ大公に献呈されたが故に、
人口に膾炙するニックネームを得たわけで、
献呈の有り無しがその音楽の運命を決する場合もあるだろう。

「古典的なソナタ形式から離れ、
作品99からさらに厳格で思索的なこの作品は、
最初の楽章では、4つのテーマのうち、最後のものが発展して、
広く広がって荘厳な展開部を支配する。」

主題が四つもあるのかと思うが、
音楽之友社の作曲家別名曲解説ライブラリーにも、
このようにある。
「多くの主題をブロック的に連ねたような構成を取る」、
「ユニゾンの力強い第1主題で始まる」
「スタッカートの第2主題が現れる」
「チェロとヴァイオリンが歌い交わす
変ロ長調の第3主題が優美に現れる」
「続けて小結尾主題がppで奏された後、
輝かしさを増して呈示部を締めくくる。
展開部はもっぱらこの小結尾主題が
様々な調を巡りながら扱われる。」

ということで、あまり意識した事はなかったが、
やはり主題が四つあるようだ。

ブルックナーの交響曲を語る時に第3主題まであることが、
よく巨大化の例として引合いに出されるが、
それより前にこうした例があったということか。

ハイドン・トリオの演奏は、
曲想に合わせてか、かなりの切れ味を披露している。
音色に豊饒さがいくぶん不足するせいか、鋭角も目立ち、
彼らの気合いが目に浮かぶようである。

しかも、各楽器が浮かび上がるように表現する繊細さは幻想的、
線が絡み合うところはまことに優美である。
そうした表現上の工夫をちりばめながら、
音楽は抜き差しならない緊張感に高められ、
遂には、壮大なクライマックスが形成される。
この時の、踏みしめるような表現の真摯さも良い。

最後に音が消える一瞬まで神経が通っている。

「第2楽章は北方のバラードによる憂鬱な歌が基調となる。
その主題でシューベルトは、
ヴィーンでの私的な演奏会で、
ストックホルム出身のテノール、
イサーク・アルバート・ベルクが歌った、
スウェーデン民謡『日は沈み』を引用したと言われる。」

ここでも、第1番と同様、チェロの魅力的な歌が聴かれる。
このようなのを聴いて、このチェロ奏者は、
かなりの歌心を持った人という感じを受けた。
やや足取りが速い中、
時折、火花を散らすような表現をまき散らしながら、
このニヒルな歌が紡がれて行くが、
ヴァイオリンもピアノも興奮して震えながら、
作曲家との語らいを続けていく。

「スケルツォは、『レントラー』のテーマが、
巧みなカノンで注意深く使われ、
憂鬱なムードを散らす。
トリオ部のワルツは、和声的にリズム的に凝集して錯綜する。」

焦燥感を感じさせ、この楽章も速めである。
ここでも、やはり、浮遊するような軽やかさがあって、
トリオでは、炸裂と自制の間で悩ましい感じ。

「終楽章は、ソナタとロンドを奇妙に浮遊し、
賑やかな要素のバランスを取ろうと試み、
北方の主題が苦い回想を持って二度再現される。
コーダになるまで、輝かしい長調の終結への変容は訪れない。」

このような複雑かつ長大な楽章では、
この団体特有の、細かい表情変化で、
興奮と沈潜を繰り返していくやり方は効果的である。
ピアノの分散和音の中から、
あの第2楽章の美しい主題が立ち上がり、
チェロで歌われる時の深々とした息遣い、
ヴァイオリンが小刻みな短調主題を奏でる時の
震えるような表情。

ただし、終り方はたいそう素っ気ない。
こうした錯綜の中から、
次第に解決の糸口が見えて来て、
まるで、最初からそこに落ち着くことが、
最初から決まっていたかのように、曲が閉じられる。
何だか、肩すかしをくらわされたような印象すら残る。

ヴィーンでのあの夜もこんな風だったのだろうか。

このCDでは、ピアノ、ヴァイオリン、チェロのためのソナタ、
変ロ長調(1812)が余白に収められている。

私は、今回、解説を読んでいて、
最も、驚いたのが、この部分である。

「複数楽章の楽曲となる構想がありながら、
断片に終ったこの作品は、ヴィーンの音楽学者、
アルフレッド・オーレルによって、
1922年に初めて発見された。
知られているシューベルト最初期の室内楽作品の一つで、
メロディー創出の素晴らしい才能の他に、
前期古典派のロマンティックでないスタイルが見られる。
当時の若い作曲家は、ヴィーンで活躍していた、
ボヘミアの作曲家コジェルフ(1748-1818)に傾倒し、
音楽の本質は軽いながらも、
時として、目覚ましい和声進行によって、
少年を夢中にさせていた。
彼自身の初期のソナタ楽章も、テーマを発展させるより、
動機で遊ぶことを元にしている。
楽章の形式的な繋がりを生み出しつつ、
主要動機の順番を変えたりして、注意深く考えられており、
この少年の審美眼の驚くべき確かさを示している。
シューベルト自筆のノートによると、
この楽章は1812年7月27日に書き始められ、
同年8月28日に完成された。」

何と、こんな風にコジェルフが出て来るのである。

モーツァルトのライヴァルとして、
ようやく、音楽史に名を残すコジェルフ。

しかし、少年時代のシューベルトは、
コジェルフの作品など、時代遅れで古くさい、
という仲間たちに向かって、
そんなことはない、というニュアンスで言い放ったという。

実際に、コジェルフに影響を受けた作品があるとは、
今まで、私は、考えたこともなかった。
が、このように書かれると、確かに、このような、
凝集よりも発散の中に、止めどもなく流れて行く音楽は、
コジェルフ、と言われれば、最もしっくり来るではないか。

私は、これまで、この音楽を真面目に聞いたことがなかったが、
ここで、取り上げて来たように、
コジェルフのような作曲家の作品に耳を澄ませた後では、
シューベルトのこの音楽は、妙に親しく耳に響くのでびっくりした。

ヴァイオリンが高音で典雅に曲を主導する曲想や、
感覚的なものに身を委ねて進行する曲の構成は、
トリオ・フォントネのようなグループにはぴったりであった。

もちろん、ハイドン・トリオの、
作曲家の心に触れようとする丁寧な音楽作りで、
この曲を味わうと、中学生くらいの小僧シューベルトの、
自分が生み出す音楽の一音一音に、
ときめいている心の動きまでが垣間見えるようで、
実に微笑ましい。

得られた事:「シューベルトはコジェルフを擁護したばかりか、実際にコジェルフ風の音楽を書いて、ときめいてもいた。」
by franz310 | 2009-09-26 23:54 | シューベルト

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その192

b0083728_23564292.jpg個人的経験:
ピアノ三重奏団の演奏した、
シューベルトの「ます」で、
CD時代以降、最も、
日本で流通したのは、
ウィーン・ハイドン・トリオの
ものかもしれない。
ワーナーの、クラシック・ベスト100
という廉価盤シリーズに、
「死と乙女」との抱き合せで、
組み込まれたからである。


しかし、この再発売盤のCDは、
これらの曲の組み合わせもさることながら、
ウィーンの団体と、アメリカのフェルメール四重奏団の演奏を、
組み合わせたことにも、妙な違和感を残すものだった。

私は、むしろ、生々しい魚の写真をあしらった、
「ます」だけを収めた、オリジナルのLPや、
CDの方に魅力を感じる。

このピアノ三重奏団、
実は、私は、もっと高く評価すべきなのである。
私は、この団体をヴィーンで聴く機会があり、
彼らが、忘れがたい印象を残しているからである。

「ます」ではなかったが、シューベルトの作品であった。
ピアノは、ハインツ・メジモレツ、
ヴァイオリンはミヒャエル・シュニッツラー、
チェロはヴァルター・シュルツ。

このシュルツは、何と、アルバン・ベルク四重奏団の、
第2ヴァイオリンのゲルハルト・シュルツの兄弟らしい。

私は最近、それを知って驚倒した。
(78年から、第2ヴァイオリンはシュルツが受け持っている。)

というのは、私は、期日を接してザルツブルクで、
このアルバン・ベルク四重奏団をも、
偶然、聴いていたからである。
同じ家族の兄弟の演奏を堪能していたということだ。

余談になるが、さらに、シュルツ兄弟と言えば、
ベーム指揮の「フルートとハープのための協奏曲」で、
独奏を務めた、フルートのヴォルフガングがいる。

フルート、ヴァイオリン、チェロとは、
恐るべき音楽一家である。

このウィーン・ハイドン・トリオの名前にある、
ハイドンのCDを聞いたことはないが、
ハイドンの三重奏曲の研究、普及のために、
創設されたトリオとも聞く。

ちなみに、ウィーン・ベートーヴェン・トリオや、
ウィーン・シューベルト・トリオというのもある。
ザルツブルク・モーツァルト・トリオや、
ロンドン・モーツァルト・トリオはあったが、
ウィーン・モーツァルト・トリオもあるのだろうか。

さて、ハイドン・トリオであるが、
わたしが、ヴィーンで、このトリオを聴いて来た、
という話をしながら、その団体を知っているか、と尋ねた時、
大学の先輩は、もちろん知っている、
と言っていたから、確かに当時から名の知れた団体だったはずである。

1965年創設という話もある。
当時ですら、15年の歴史を誇っていたわけだ。

ただし、今はどうなっているのだろうか。
テルデックから出ていたこの団体、
イケメンのトリオ・フォントネにその座を奪われた形であろう。

ヴィーンに行って、たまたまその時取得できたチケットが、
偶然、この団体のコンサートだったというだけだが、
そうは言っても、忘れがたい一夜であった。

力演であったこと以外、思い出せないのは事実であるが、
このような体験を持つ私は、この「ます」の演奏を、
誰よりも、堪能しなければならない。

聴き比べにも力が入るというものだ。

とはいえ、その前に、
このウィーン・ハイドン・トリオの演奏を聴いて、
同様の体験をした人がいることに、
触れなければならない。

音楽評論家の大御所だった志鳥栄八郎氏である。
このことは、この演奏のCDをキング・レコードが出した時、
解説に書かれている。

私の体験や「ます」の録音時期を遡ること2年、
1979年の事であるらしい。

このような書き出しの「ひとこと」が、
CD解説に含まれているのである。

「1979年の夏にウィーンを訪れたとき、
わたしは、ある人につれられて、
ウィーン・ハイドン・トリオの連中の練習を
聴きにいったことがある。」

いきなり、「連中」というところがすごい。
「ウィーン・ハイドン・トリオの練習」ではいけないのか。

「彼らが、懸命になって、
ベートーヴェンの『太公トリオ』を練習していたのを
鮮明におぼえている。」

「大公」ではなく、「太公」と書くところも、
「太閤殿下」みたいで不思議な印象がある。

そして、さらに、彼らがカセット・テープをくれて、
「日本でもどしどしレコードを出して下さい」
と頼まれたとも書かれている。

氏は、「ウィーンではそうとう名の売れたトリオである」
などと書いているが、
ピアノ・トリオの中で最も有名な「大公」トリオを、
いまさらのように練習していたというのも、
何となくかっこ悪いし、
さらに、自分たちでカセットを渡して頼んだ、
というエピソードもちょっと冴えない。

「どしどし出して下さい」というのも、
妙に気さくな下町のおっさん風で、
ありがたみに欠ける。

連中と書きたくなったのはこのせいか、
あるいは、連中という先入観があったから、
こんな風に聞こえたのか。

実際は、もっと紳士的に、
「このテープを聴いていただければ、
私たちの仕事の価値がわかっていただけるはずです。」
といった口調だったかもしれない。

それから、志鳥氏は、
「そうした彼らの夢が、いま、
こうして実現しつつあるのはうれしいことだ」と書いているが、
自ら、助力したのか、たまたまそうなったのかは不明である。

ここから、志鳥氏お得意の、
「どこそこに行って、これこれを思い出した」
というエピソードが始まる。

ちなみに、氏は、ハイリゲンシュタッドの散歩や、
ケルンの大聖堂訪問、アルルの闘牛場見物、
テムズ下りなどの体験談で、
当時の少年の心に、異郷への憧れと共に、
羨望の念を植え付けることで高名であった。

「ます」については、
先のウィーン・ハイドン・トリオのエピソードに続いて、
このように書いている。

「シュタイヤーは小さな鉱山町で、
町の中心を清流が走っていた。
その夜、わたしは、この土地の名物の鱒のバタ焼きを食べた。
そのとき、ふっと思い出したのは、
シューベルトの『ピアノ五重奏曲』(鱒)であった。」

私は、このエピソードが大嫌いで、
清流を見たとたんに、
この曲を思い出さなかった志鳥氏の感性を疑った。

「そうである、シューベルトは、かつてこの町で、
この名曲を書いたのだった。」
とだめ押しする点も耐え難いが、
最後の締めくくりにこうあると、
ほとんど絶望的な諦念へと誘われてしまう。

「よくできた話のようではあるが、
これは本当の話である。」

私は自分の体験の意味の中に、
音楽の神秘を位置づけるのは好きであるが、
このように、音楽の価値を高めもせず、
単に、自慢話のようなのはどうかと思う。

実は、この解説を1980年代前半に書き、
志鳥氏は、同様のエピソードを、
「名曲ガイド101」という著書でも著述している。

「この川でとれるマスがおいしいと聞いていたので、
わたしはその夜、食事の時、特にマスの料理を注文した。
・・・日本なら当然塩焼にするところだが、
ヨーロッパでは煙の出る調理法は嫌われている。」
などと音楽を離れ、さらに口調は饒舌である。

おまけに、「味は残念ながらもうひとつであった。」
とも書いている。

そんな時に、この曲を思い出したというのだから、
ひどい話ではないだろうか。

さらに推薦CDとしては、
ブレンデル、ハーラ、レオンスカヤ盤が上げられていて、
ウィーン・ハイドン・トリオの名前はない。

レオンスカヤ盤はハイドン・トリオより後の録音ゆえ、
志鳥氏は、このハイドン・トリオ盤を、
はなから推薦する気はなかったものと思われる。

ブレンデル、ハーラについては、
かつて、ここで酷評した記憶があるので、
繰り返さないが、志鳥氏とわたしは、
何となく、感性の隔たりを感じずにはいられない。

かなりピアノ主導型の演奏がお好みなようだ。

しかし、脱線するが、この人は、
フルトヴェングラー、カラヤン、アンセルメ、ワルター、
ルービンシュタインといった演奏家が好きなようで、
いま一つ、どのような基準で話をしているのか、
混乱してしまうことも多々ある。

さて、このCDにおいて、
ウィーン・ハイドン・トリオと共演しているのは、
ヴィオラが、アタール・アラッド(またはアラード)、
クリーブランド四重奏団のメンバーで、ソロのディスクもあるようだ。
それから、コントラバスがルートヴィヒ・シュトライヒャーである。
この人は、有名な人だと思うが、
どんな録音を出していたか思い出せない。

さて、トリオ・フォントネのCDの表紙が、
生々しい魚の写真であったことは、
以前、ここでも触れたが、
同じテルデックのハイドン・トリオでも、
表紙写真は、生々しい魚体である。

しかし、背景の水色のグラデュエーションは、
魚体の動きを表わすブレ具合と相まって妙に美しい。
遠くから見ると、非常に鮮烈な印象がある。

文字の色調も好ましく、
ドイツ語だけで押し切っている点も爽快だ。

ただし、魚の口から音符が出ているのだけは、
意味不明を珍妙だ。

残念ながら、わたしが持っているキング・レコード盤では、
デザイナー名が書かれていない。

前半、志鳥栄八郎氏の解説の、「ひとこと」に、
いろいろ文句を書いたが、肝心の解説の方は、
5ページあまりを使って、そこそこ親切なものだ。
最後に、
「この曲の最大の特徴は何か・・・、
それは、シューベルトの若さを象徴するかのように、
全体に生気溌剌として、
しかも田園的な詩情にあふれていることであろう。」
と書いてあるのは同感である。

しかし、この後、志鳥節が炸裂し、
ベートーヴェンが、ハイリゲンシュタッドで
「田園交響曲」が生んだように、
「シューベルトは、風光明媚な北オーストリアの感動を
そのままこの曲に託したのであった。」
と結んでいる。

さて、実際に演奏を聴いてみよう。
わたしは、最初、この演奏を聴いた時、
序奏が短すぎるかと思ったが、
今回、聞き直してみて、そんなことはないように感じている。

ただし、かなり強烈な開始かもしれない。

やはり、聞き流していたのと、
じっくり聞くのでは差異があるようだ。

第1楽章冒頭から、前述のように溢れかえるような所があり、
演奏には、何とも言えない一途な魅力がある。
それでいて、余裕がないわけではなく、
ピアノもヴァイオリンも音色を終始美しく響かせており、
しかも、非常に、低音が豊かであるのが魅力である。

シュトライヒャーのコントラバスは、しっかり存在感があり、
多くの演奏での物足りなさは、
ここで何とか満足させることが出来る。

その分、ヴィオラとチェロの分離がもう少しあればと思うが、
第2楽章で、これらの楽器が歌う場面では、
それぞれの音色の特色を聞き分けることも出来る。

その第2楽章でも、演奏は真摯で、かつひたむきなものである。
幻想的、あるいは内向的な表情も良い。
ただし、先を急いで、少しテンポが速いような気もする。
その分、清潔な感じもあるが。

ここでのシューベルトは、初夏の早朝にまどろむことはなく、
何か、鋭敏に神経を高ぶらせて、
何か来るべきものを待っているようである。
私の原点にあるこの曲のイメージとは異なるが、
これはこれであり得る解釈であろう。

第3楽章もまた、切迫感に満ちたもので、
曲想ゆえか、多少、ヴァイオリンとピアノだけが、
主導権を持っているように思える。
私には、このトリオのチェロは、雄弁なような印象があったが、
ここでは、少し影が薄い。

有名な第4楽章でも、最初の弦楽だけの主題提示部からして、
ヴァイオリンだけが興奮しているように聞こえるのは、
いったいどうしたことであろうか。
録音のせいかもしれないが、
ヴィオラとチェロが引っ張られている感じである。

あるいは、こうした状況では組織活動ではあり得そうな話である。
一人、ばりばりやる気があるメンバーがいると、
それは基本的に良いことなので、
止めるわけにはいかなくなる。

さらに、自ら範を示そうとして、
あえて、冷静な態度で応じる場合がある。

じゃあ、勝手にやって貰おうと思ったり、
ひどい場合には、あえて暴走させて自己崩壊を待つ、
という関係にもなりうる。

もちろん、ここでは、
ヴィオラもチェロも、明快な出番があると、
きちんとその役割を果たしている。
しかし、ヴァイオリンのような興奮がなく、


終楽章は、苦み走った曲想もあったりするせいか、
特に、ヴァイオリンの興奮が聞かれるわけではなく、
むしろ、第1楽章の気迫も戻った感じで、
きりっとした感触で、古典的にまとまって美しい。

さすがに高名な団体だけあって、
どの部分でも音色が均一に美しく、
コントロールされたテンポと音量で、
次第に音楽を盛り上げていく様は見事である。

おそらく、実演では、これだけで感動してしまうだろう。

志鳥氏の解説では、
第1楽章では「喪朗」という初めて読む表現に、
目を見晴らされた。

第2楽章は「幻想的」と一般的な表現で、
第3楽章は、「シューベルトの若さが溢れている」とあって、
第4楽章は、「変奏曲の模範的な例」とあるが、
第5楽章では、遂に、伝家の宝刀が一閃する。

「この楽章を聴いていると、
北オーストリアの美景に陶酔している
青年シューベルトの姿がほうふつとしてくる。」

その直前に、「ハンガリー的」といった形容もあるので、
どうも、文章の前後関係が怪しいし、
いくらでも取って付けられるような安直さを感じてしまう。
第1楽章から第4楽章でも、同じ文言が使えると思うからだ。

なお、先の著書は、
「この曲を贈られたシュタイアーの人たちは、
きっと大喜びだったに違いない。」
と書いて、「ます」の解説を終えている。

これも、風景や地方から連想される勝手な妄想を、
さらりと書いて、結論にしてしまうという、
水戸黄門の印籠のようなものの代表例かもしれない。

私は、こうした妄想から研究が発展することが重要だと思うが、
そこから、本当にそうだったのか、
いっこうに調査が始まる気配がないところに、
歯がゆさを覚える。

特に、後者の「大喜び」は、何か証拠が欲しいものである。
「ハイリゲンシュタッドの人たちは、『田園』が書かれて、
大喜びしたに違いない」というのは無理だとしても、
作曲家がどこかの誰かに何か書けば、
常に同様の締めくくりが出来るではないか。

どうも海外のCD解説が、
最新の研究結果を反映しようとしているのに対し、
「おい、本当かよ」と、頼りない感じがしてしまう。

なお、CDではシュタイヤーとなり、
本ではシュタイアーとなるのも面白かった。
私も、この街の名前には混乱してばかりである。
シュタイルなどと書かれたりすると、
普通、同じ街とは思えないだろう。

このように混乱した側面もあったとしたら、
本当に、氏は、シュタイアーに連れられて行ってから、
ああ、これは「ます」が書かれた街ではないか、
と間が抜けたような気付きをしたのかもしれない。

いや、それでも、マスの料理が有名と言われて気づくであろう。

そこを、
「料理を口にしながら思い出したのは」などと書くから、
おかしな話になってしまうのである。

得られた事:「妄想と研究の関係の重要性と危険性。」
by franz310 | 2009-09-20 00:16 | シューベルト

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その191

b0083728_23483753.jpg個人的経験:
ピアノ三重奏団に、
ヴィオラとコントラバスを加えた、
編成に相当するということで、
ピアノ三重奏団が、
シューベルトの「ます」を
録音する場合があるが、
ミュンヘン・ピアノ三重奏団も、
同様の措置を伴って、
アルテ・ノヴァ・レーベルで、
CDを出している。


ちなみに、私は初めて聴く団体である。

「ミュンヘン・ピアノトリオ(ピアノ三重奏団)は、
同じような資質の、3人の音楽家から構成され、
全員が、その天性や楽器奏法の高い質によって、
様々な内外の賞や、勲功などの栄誉を得ている。
各人のテクニックの正確さが、
非常に生き生きとした表現を与え、
プレスからも評価されている。
これらの全ての要素が、
多くの契約や音楽祭への招待、
マスタークラスでの教授活動、ラジオ、テレビのための録音、
CDの作成など、彼らの成功の理由となっている。」
とあるが、具体的なことは何もない。

「ミュンヘン・ピアノトリオは、」という所を変えれば、
どの団体にも応用できそうな話である。
そもそも、この3人の具体的経歴が分からないという点が、
大いに不満である。

ヴァイオリンは、アドリアン・ラザール、
チェロは、ゲルハルト・ツァンク、
ピアノは、ヘルマン・レッヘラーとある。

ミュンヘンと言えば、ケンペのミュンヘン・フィル、
クーベリックのバイエルン放送響といった、
私の学生時代を美しく彩った音楽家たちの街である。

いかにも音楽が盛んな印象で、
ラジオやテレビでも活躍というのは、
バイエルン放送響設立の経緯からしても、
妙に納得できる。
そうした活動も、盛んな街なのだろう。

これらのメンバーの師匠の名前が、
バイエルンのコンサート・マスター、
ケッケルトだったりしないかなあ、
などと空想してしまう。
この室内楽の名手の系譜なら聴いて見たい。

あるいは、ミュンヘン・バッハ管弦楽団の、
ビュヒナーといった名前も思い浮かぶではないか。
この人もまた、ミュンヘン弦楽四重奏団を率いていた。

フランスの名クラリネット奏者、ランスロが録音した、
ブラームスのクラリネット五重奏曲は、
この団体が伴奏していた。

そんな勝手な先入観で聴くと、
このヴァイオリンは、いくぶんくすんでいながら、力強い。

例えば、併録されている
D487の「アダージョとロンド」なども、
弦楽部が本来そうであったと言われている、
オーケストラのように響いている。
それで、またまた、そんな妄想が広がってしまう。

ちなみに、共演した二人の方が、親切な扱いを受けており、
ヴィオラは、Tilo Widenmeyerで、
1966年のハイルブロン生まれ。
Madeline Pragerとメロス四重奏団に学び、
バイエルン州立オーケストラのメンバーとある。

また、コントラバスは1964年、トロジンゲン生まれ、
彼は、MassmannとHermannに学んだとあるが、
誰だこりゃ。同じオケの奏者ということなので、
ピアノ三重奏の弦楽部も、同じ母体の人かもしれない。

いずれにせよ、トリオ・フォントネと同世代ながら、
少し若いのではないか。
ただ、おっさんになってからデビューしたら、
何となく若手の団体には見えないのが悲しいところだ。

ここでは、先のD487以外に、弦楽三重奏曲の断章、
D471(よく第1番と呼ばれるもの)が収録されており、
この曲などでも、三人の弦楽奏者の均質性に全く違和感がなく、
ミュンヘン弦楽三重奏団と呼んでもよさそうである。

さて、アルテ・ノヴァであるが、
香港のナクソスに対抗して作られた、
本場ドイツの廉価盤レーベルという感じである。

当初、様々な画期的な企画で登場したが、
社内の内紛もあったようで、私の中では、
現状がよく分かっていない会社になっている。

この録音は、1997年12月、
PullachのBurgerhausという所でなされている。
よく見ると、アルテ・ノヴァは、ミュンヘンの会社のようで、
かなりローカル性の強い活動をしているようだ。

録音年からして、
シューベルト生誕200年記念の企画と思われる。

カバーアートは、
DeggendorfのHermann Elerとあるが、
印象派と表現主義の中間のような感じで、
このCDのための新作なのだろうか。

日の出だか、夕日だか分からないが、
川面にオレンジ色の太陽が反射している。
空には、雲が広がっていて、青空は少し見えるだけである。

めでたい年の企画にしては、
あまりめでたい感じはしない。
地味すぎるほどに地味である。

私としては、この曲には、
もっと澄み切った空のイメージがある。

そもそも、この絵はモノクローム調で、
地味である以上に、あまり楽しくないが、
このCDのプロデューサーは、
こうしたイメージで、この録音を行ったのだろうか。

もっと言うと、シューベルトがこの作品を書いた、
上部オーストリアのイメージからすると、
この絵の川幅は広すぎないだろうか。
こんなところで勢いよく鱒が泳いだとしても、
よく見えないのではないかと思われる水量を感じさせる。

実は、この絵がそうだからかどうか分からないが、
この演奏も、トリオ・フォントネなどの演奏からすると、
少々、各奏者の均質性ゆえか、
その音色の暖かさゆえか、
あるいは録音の具合のせいかは分からないが、
特に、「アダージョとロンド」などは、
多少、ぼってりとしているような気がする。
(「ます」の印象は少し違う。)

では、解説を見てみよう。

「小規模のヴァイオリン・ソナタの一群を完成させた後、
フランツ・シューベルトは、今度は、1816年の夏、
弦楽三重奏に目を向けた。
このジャンルにおける彼の最初の試みは、
当初、三重奏として構想されたと考えられる、
『弦楽四重奏曲ロ長調D112』である。
一ヶ月後に現れたピアノ四重奏のための、
『アダージョとロンド』ヘ長調D487と同様、
弦楽三重奏曲D471は、
家庭での合奏用に作られたようだ。
残念ながらこの美しい作品は完成されることはなかった。
一見、苦労なくして生まれた音楽の楽しさの効果に関わらず、
この三重奏曲は、彼の本質とは異なる主題発展において、
特に明らかな作曲上の措置が特徴的に施されている。
展開部では、古典形式のように、
第1主題には焦点は合わせず、
むしろ提示部の最後の小節が音楽の本質的な推進力となり、
次のセクションにおいて、メロディーの自由な潤色を施していく。」

私は、何となくこの曲は、
家庭向けの気楽な作品として、
あまり重要視していなかったが、
このように書かれると、
ちょっと誤解していたと反省せざるを得ない。

確かにドイッチュ番号で、471番と言えば、
すでにシューベルトは、交響曲を4曲まで書いている。
何らかのチャレンジをして、
第1楽章までしか完成できなかったのかもしれない。

冒頭から歌い出される爽やかな美しいメロディーに、
続いて、いきなり動機風の音楽進行が介入する点が、
どうも消化が悪く、ぎくしゃくとした、
奇妙な曲だとは思っていたのだが、
ひょっとしたら、シューベルトは、
何か革新的なことを企んでいたのかもしれない。

演奏は、弦楽の音色が暖かさを持っているのが良い。
何となく、心が落ち着く響きである。

「『アダージョとロンド』は単なるロンドというよりも、
三部からなるアダージョの序奏を持つ、
熟達した書法の創造的な作品である。
1817年から1822年の間に、
シューベルトは、ちょっと前までは、
歌曲作曲に熱中していたのに、
特に、ピアノ曲にフォーカスしていた。
この6年の間に、彼は新しい方向に進み出し、
ピアノのみならず、大オーケストラにも興味の対象とした。
個人的な理由で、彼は父親の家を出て、
もはや家庭用音楽に参加することがなくなり、
作曲について見直す機会となった。」

面白い事に、この英文解説は、
「1817年から22年の間」という部分以降、
同じ事が繰り返されている。
しかも、単純な印刷ミスではなく、
それぞれ同じ事を違う英語表現で書き直されている。
「父の家」が、「両親の家」となっていたり、
どうやら下書きと修正版を混在させてしまった模様。
ドイツの会社なので、英語部分のチェックが、
十分には出来なかったのだろうか。

この「アダージョとロンド」についての解説は、
ほとんどないようなものだが、
この家庭での演奏から解放された、という着眼点は、
非常に面白かった。

彼ほどの力量で、一般的な音楽を弾いていたなら、
練習にそんなに時間をかけていたとは思えないが、
確かに、家庭音楽の発想からは解放されたかもしれない。

このCDの演奏は、かなり意欲的なもので、
曲に、何となく演奏を楽しむ人たち特有の推進力があり、
ついつい、聞き入ってしまう。

ピアノのタッチも美しく、ヴァイオリンの音色もたっぷりとして、
音色の上でも、非常に楽しめるものだ。
ちょっとオン気味で、録音に雰囲気が足りないような気もするが、
完全に音楽を手中に収めたような自信が漲っている。

「むしろ『ますの五重奏曲』として知られる、
ピアノ五重奏曲イ長調D667は、
シューベルトの最も知られた、
そして最も愛された室内楽の一つで、
この時代に書かれた純粋なピアノ曲以外の作品の、
数少ないものの一つである。
同名の歌曲に似て、愛らしい楽しさが吹出している。
この曲を委嘱した、
ジルヴェスター・パウムガルトナーの求めに応じ、
弦楽四重奏がヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスという、
通常とは異なる編成でシューベルトは書いている。
1819年の夏に作曲家が過ごした、
上部オーストリアに家があった、
パウムガルトナーはフンメルの作品74の七重奏
(実際はこの曲の五重奏曲版編曲による)
にインスパイアされた。
この曲のような、本来の不安定な編成ならではの障害を、
シューベルトは、むしろそのメリットとして、
コントラバスで低音を支え、
チェロをメロディー楽器として利用した。
この種の曲は通常4楽章形式であるが、
五番目の楽章として、主題と変奏を挿入した。
釣り人が、運命のメタファーのようなに、
謎の神格化をされている、
歌曲『ます』(D550)が、変奏曲の主題となっている。」

このように、Daniel Brandenburgという、
バッハの解説でも書きそうな人による解説は、
非常にシンプルなものであるが、
歌曲の愛らしい喜びの感覚が噴出している、
と書いてくれて、最も重要な点を押えている。

最後に、それこそ何が言いたいのか、
謎のような一節を追加してくれたのも、
何だか、非常に印象的である。

釣り人が謎の神格化(enigmatic apotheosis)
されているとは、初めて聴いた。

かといって、どんな聴き方をすればいいのだろうか。
そもそも、この釣り人は、娘をたぶらかす悪い男の象徴だったはず。
それが何時しか、運命にまでなっていたとは。
あるいは、歌曲の中や、この楽曲の中に、
「釣り人」の主題のようなものがあって、
それが活躍するとでも言うのだろうか。

この人の解説で、全楽章の分析を読んで見たいような気がする。

さて、このCDの「ます」を聴いて見よう。
表紙の絵画のような、鈍重なものでないことを、
ただ、祈るばかりである。

第1楽章の序奏も適切な長さで、
そこから立ち上がって来る主題までの、
各楽器のやり取りもはっきりと聴き取れる。
しかも、神経が行き通っていて、
曖昧さが感じられないのが良い。

ボーザール・トリオよりも各楽器の自発性があり、
音の分解能も高く、
トリオ・フォントネのように、
ヴァイオリンが美音に走ることもなく、
テンポが速すぎることもなく、
私にとっては、かなり好感度が高い。

トゥッティの前で、少し力をためるような、
あるいは息を合わせるような瞬間があるが、
これも、この種の音楽では、
何らか親密な語らいの象徴にも聞こえて微笑ましい。

展開部におけるナイーブな感性も良く、
ここで入って来るコントラバスも的確な音量。

私がよく気になるのが、
このコントラバス奏者の主体性のなさだが、
これも合格であろう。

また、ピアノ三重奏団主体では、
気にもしたくなる、ヴィオラ奏者の調和であるが、
これについては、弦楽三重奏でも没問題だったので、
この曲で問題があるわけがない。

欲を言えば、パウムガルトナーが弾いたチェロ・パートは、
もう少し朗々と弾いてもいいような気がする。

このように第1楽章には、ほとんど文句がない。
大手レーベルばかりが良い演奏を出しているのではなく、
大手レーベルは有名な人の演奏を出しているのだ、
という事を痛感した。

第2楽章では、朝靄の中にまどろみながら、
何か、不安と希望が交錯するような一瞬が聴ければ満足である。

この楽章のABCからなる前半のB。
ヴィオラとチェロの対話を聴くと、
二つの楽器が寄り添うように語らい、
いかにも青春の一こまという感じがする。

とはいえ、先の、チェロのせいか、
もう少し楽器の差異が出ればよかったか。
ひょっとすると、有名楽団ほどには、
良い楽器を使っていない可能性はある。

第3楽章は少しテンポが速く、
ちょっと忙しい感じであろうか。
もう少しゆとりがあった方が、
このパルスをきらめかせる楽章の、
幻想の余韻が味わえるだろう。

しかし、トリオは悪くない。
鈴を振るようなヴァイオリンとピアノも美しく、
チェロの響きも分離がよい。

第4楽章、弦楽だけの主題提示からして、
コントラバスが存在感を持って参加しているのが嬉しい。
しかも、しっとりとした感じも出ている。
ただし、楽器の限界なのか、変奏の興が乗って来るにつれ、
ヴァイオリンが少し、痩せた感じの音になるのは気のせいだろうか。
そう言えば、どの楽器も音色は暖かいのだが、
幾分、豊饒さがないという感じ。

第5楽章も、第3楽章と同様、
テンポが速過ぎるように感じる。
トリオ・フォントネが6分34秒、
ボーザール・トリオが6分37秒のところを、
6分7秒で進んで行く。
この興奮は青春の香り高いこの曲では重要であるが、
主題がぶっきらぼうなので、
それが強調されて聞こえるのは残念である。

ここでも気になるのは、チェロの歌が、
もう少し、心の底から響き渡って欲しいところだろうか。
ちょっと薄味な気がする。

このようなテンポの演奏であろうとも、
チェロあたりが、深い歌を朗々と聴かせてくれれば、
かなり印象が違って来るのではないだろうか。

ひょっとして、この楽団、張り切りすぎて、
脱線転覆した形かもしれない。
他の曲を聴く限り、十分に自分たちも楽しんで、
音を味わいながら慈しんでいるように聞こえていた。

ということで、この演奏、第2楽章あたりまでは、
久しぶりに満足した演奏であった。
第1楽章の演奏時間は、見ると13分12秒とあり、
トリオ・フォントネの12分43秒よりはたっぷり、
しかし、ボーザール・トリオの13分53秒よりは、
きびきびと演奏していることが分かった。

このあたりのテンポが私には心地よいのだろうか。
各楽器の自発性も良かった。

ただし、第2楽章は、6分55秒と、
先の先輩の三重奏団よりも長い時間をかけている。
(トリオ・フォントネが6分48秒、
ボーザール・トリオが6分43秒。)

しかし、この楽章は何だか、
すぐに終ってしまったような気がした。
うまく聴かされたということだろうか。

それにしても、このCD、
同じ演奏家が演奏していながら、
収録の3曲の演奏が、それぞれ違う印象であった。

最初に入っているのがメインの「ます」であるが、
これは、先に詳述したように、
ある意味、中庸を得た中に、
速い楽章では少し乗りすぎ傾向があって、
音色が時として犠牲になる瞬間があった。

続く「弦楽三重奏曲第1番」は、
曲が未完成で、歌謡性に満ちた第1楽章しかないせいか、
あるいは、ピアノの音色がないせいか、
その暖色系の肌触りが心地よく、
むしろ音色に惹かれるものを感じた。

最後に「アダージョとロンド」が収められているが、
ここでは、再び入って来たピアノが、
妙にクローズアップされた録音となっていて、
この曲ならではの協奏曲的な側面をうまく捉えている。

それに応じて、各弦楽器も、
一回り大きな楽器のような感じがして、
ここでは、むしろ速いロンド部の合奏が芳醇である。
曲想からして気にならないだけかもしれない。

しかし、どの曲も、完全に自己のものとして、
咀嚼されている点が素晴らしい。
特にあまり演奏されない後の2作は、
妙に説得力を感じた。

トリオ・フォントネの「アダージョとロンド」を聞き返すと、
ちまちまして、神経質な演奏に聞こえてしまう。
瞬発力はあるのかもしれないが、
自信なさげな演奏とも言える。

どこで自分が出るべきなのか、気配りの演奏で、
こうした比較的明朗な作品では、
ミュンヘン・ピアノトリオのような、
演奏に興ずるタイプの演奏の方が、
遥かに楽しいものとなるのは自明かもしれない。

もう一つの可能性としては、
こうした放送を主体とした楽団では、
様々な要望をかなえる必要があって、
若くしてスターになって、
毎年アメリカ・ツアーをやっているような、
トリオ・フォントネのような団体にはない、
適応力の高さがあるのかもしれない。

あるいは、人生をもっと楽しんでいる可能性もある。

得られた事:「演奏をする喜びの滲み出た演奏は、妙に説得力が高い。」
「シューベルトは実家を出てから、家庭用音楽を卒業した。」
by franz310 | 2009-09-12 23:49 | シューベルト

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その190

b0083728_15363441.jpg個人的経験:
ピアノとヴァイオリン、
チェロからなる
ピアノ三重奏団が、
二人メンバーを加えて、
ピアノ五重奏曲を
演奏することがある。
前回、ボーザール・トリオが、
そうした形態で
演奏したものを聴いたが、
今回はトリオ・フォントネである。


すでにモーツァルトのピアノ三重奏曲で、
これらの世代も異なる団体(師弟関係もある)を聴いたが、
「ます」の五重奏曲では、どのような聴き比べが出来るだろうか。

解説には、演奏者について、
下記のようなことが書かれている。

この団体は1980年に、
ハーデン、ミュッケ、シュミットによって創設され、
彼らが会ってリハーサルしたストリートの名称から、
この名前を採用した。

二人の弦楽奏者の楽器は、
18世紀の指導的な製作者によるもので、
ミュッケのヴァイオリンは、
1780年Piacenzaのガスパール・ロレンツィーニ作、
シュミットのチェロは、
1752年ミラノのバプティスタ・グァダニーニのものである。

このCDの共演者の今井信子は、
彼女の故郷東京の桐朋音楽大学を出て、
イエール大、ニューヨークのジュリアード音楽院で学んだ。
彼女はフェルメール四重奏団と長年共演し、
ベルリン・フィル、コンセルトヘボウなど、
著名なオーケストラと共演し、
ヴィオラ協奏曲を献呈した武満徹ら、
多くの作曲家が彼女のために音楽を書いている。

特にヒンデミットの音楽に傾倒して、
それを紹介、1995年には作曲家の生誕100年を記念して、
ロンドンのウィグモア・ホール、ニューヨークのコロンビア大学、
東京のカザルス・ホールの3ヶ所で、
ヒンデミット音楽祭を主催した。
デトモルトの高等音楽院で長年教え、
カザルス・ホールの芸術アドヴァイザーを務め、
1996年にはサントリー音楽賞を受賞している。

Chi-chi Nwanokuは、アイルランド人の母と、
ナイジェリア人の父を持ち、
膝の怪我をするまでは、
英国屈指の陸上競技選手として知られていた。
18歳の時、ダブル・ベースをはじめ、
ロイヤルアカデミーで学び、
ローマではフランコ・ペトラッチに学び、
ロンドン・モーツァルト・プレーヤーズの
主席ベーシストとなった。
彼女は同様の地位をイングリッシュ・バロック・ソロイスツ、
エイジ・オブ・エンライトメント、
アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズでも、
同様の地位にあって、独奏者としても活躍している。
彼女はリンゼイ、ブロツキー、エンドリオン四重奏団と共演し、
バロックから現代に到るレパートリーを誇っている。
トリニティ・カレッジの教授でもある。

何だか、すごい経歴の人である。
が、今回の演奏では、
それほど存在感があるとも思えなかった。

b0083728_154036.jpgということで、演奏風景の写真には、
トリオの男性と交互に女性が入って、
一人はアジア系、
もう一人はアフリカ系で、
非常に多彩な
顔ぶれという感じがする。

それにしても、私は、
魚の背びれではなく、
こちらの写真が表紙なら、
もっと欲しくなったかもしれない。


私は当初、こうした写真ゆえか、
単なる思い込みからか、
ピアノ三重奏部とその他二人が、
出自や性別の差異ゆえに、
分離しているのではないかと思っていた。。

イケメン軍団と共演しているのが、
どう考えても、従来、別のジャンルの人として、
ずっと私の頭の中では分類されて来た今井信子である。
このような大家であれば、何の問題もないのだろうが、
出来れば、何かとんでもないことが起こって、
発見があって欲しいものだ、などと思ったりした。

しかし、これまで聞いて来たとおり、
古典派において、ピアノ付き室内楽と、
弦楽四重奏曲では、どうやら発想の根幹が異なる模様。

そもそも、ピアノ三重奏のようなものから発展した発想で、
この五重奏曲が書かれているのか、
はたまた、弦楽四重奏にピアノを加えた発想で書かれているのか、
などと考えて見ると、
どうも後者ではなさそうという感じがして来ている。

弦楽四重奏のような均質な楽器が織りなす、
緊密な世界の発想からは、
この曲のような解放感は生まれにくいように思える。

しかし、実際のところは、有名なレコードは、
弦楽四重奏曲を核とする組み合わせにて成り立っていて、
プロ・アルテ、コンツェルトハウス、
ブタペスト、スメタナ、アマデウス、
アルバン・ベルクといった大物合奏団が、
巨匠ピアニストと一緒になって録音するといったパターンが多い。

ピアノ三重奏のさらに豪勢なバージョンとして、
ボーザール・トリオのような老舗や、
次の世代の雄たるトリオ・フォントネなどが、
「ます」を録音するという考え方も不思議ではなかったのである。

さて、このテルデックのCD、
1997年にベルリンで録音が行われている。

Teldec Digital Audioとして、
20/24-bitレコーディング採用。
録音の上でも楽しみである。

カバー・デザインはBettina Huchtemannとあるが、
これはかた、生々しい魚体である。
魚の特徴であるヒレの大写しで、
顔も写っていないというのは見たことがない。
赤いぽつぽつ斑点が彩りを加えているが、
こんな模様、本当にあるのだろうか。

このようなデザインは斬新ではあるが、
非常に即物的であって、何の夢も呼び覚まさないので、
私はあまり欲しいと思わなかったのは事実。
まだ、前回のフィリップスの廉価盤の方が好きである。

解説は、Annette Oppermannという人が書いてある。
「何と引き替えても失いたくない音楽」という、
ものすごい題名で、私のこのブログの趣旨にあっていて、
大変、嬉しい。

どんな事が書いてあるのだろうか。

「過去の大作曲家は誰も、
一つのジャンルのみに専念したい
などとは考えなかったのに、
19世紀は、各ジャンルにチャンピオンを作り、
時として、一人の作曲家に一方的な見方を押しつけた。
このようにハイドンは弦楽四重奏曲の父となり、
モーツァルトは近代オペラの創始者となり、
ベートーヴェンは交響曲をその絶頂に導いた巨人と見なされた。
そして、シューベルトは芸術歌曲と同義語になってしまった。
これはもちろん600曲以上の歌曲の作曲家に対して、
十分に正当なことであるが。
しかし、こうしたレッテルは、シューベルトの器楽曲の、
公平な評価を妨げ、シューベルトを時として、
間違って捉えてしまうこととなる。
つまり、大きな交響曲形式への、
沢山の障害を克服しなければならなかった、
小さな形式の巨匠は、素晴らしいメロディは書けても、
ソナタ楽章を正しく書くことは出来なかった、というような。」

このようなレッテルを貼りたがった19世紀の風潮が、
どんな背景から出て来たのかが、
知りたくなるような書き出しであるが、
ただ、そういった事があった、という内容に留まる。
シューベルトの器楽曲はなかなかポピュラーにならなかった、
ということが書かれているのみ。

「こうした間違った認識は、今日、
大幅に修正されている。
シューベルトはすでに交響曲作曲家として名誉を回復し、
室内楽も古典的名作として歓迎されている。
しかし、ここに来て再び、
背後から『歌曲作曲家』という先入観が忍び寄り、
彼の最も愛されている作品は、
未だに、歌曲に関係した、
『死と乙女』四重奏曲、『さすらい人』幻想曲、
『ます』の五重奏曲なのである。
この室内楽と歌曲の内的な関係が、
この家庭的な場で演奏される二つのジャンルを、
シューベルトの時代にそこから解放し、
公開演奏に相応しい形式へと発展させた。」

この指摘は、解釈が難しいが、
私は勝手に、きれいなメロディを口ずさみながら
公会堂から立ち去っていく新興階級の男女を想像した。

ここから、「ます」の話が続くものと普通期待するだろうが、
いきなり、歌曲の話とは無関係な、
「アダージョとロンド・コンツェルタンテ D487」の話となる。
CDのトラック6以降、この曲が併録されているからであろう。

「それにひきかえ、1816年の
ピアノ四重奏曲D487のような初期作品は、
その最も良い意味において機会音楽である。
これらはシューベルトが家族と、
友人を交えて演奏するために書かれたものだ。
実際、これらの音楽は、
直接、パート譜として書かれており、
インクが全部乾く前に演奏されたかもしれない。
四重奏曲D487の自筆譜には、フランス語で、
『グロープさんのために作曲、シューベルトより』
と書かれており、その献呈相手のみならず、
作曲の経緯までが分かる。
シューベルトは、『若いテレーゼの愛らしい声と、
ピアノを特によくした彼女の弟の、
ハインリヒの音楽的才能に惹かれていた。』
グロープ家によく通ったシューベルトは、
テレーゼについては、声だけに興味を持っていたわけではない。
しかし、彼女は若い作曲家ではなく、
お堅いパン屋の親方と結婚した。
この一家と一緒に、たくさんの音楽を演奏することは、
自然なことであった。
そして、この『アダージョとロンド』の初演時、
ピアノの前には、ハインリヒ・グロープが座っていただろう。
ここで言う『ロンド』は、
形式的な側面から言うと、
このアレグロ楽章の一部にのみ当てはまり、
第1主題で始まり、和声的にだけ変化がつけられた、
二つの似たようなセクションからなる。
『リフレイン』はこのように一度きりで、
これでは、正確にはロンドとは言えない。
シューベルトはここでは、
『ロンド』を単に、協奏曲的な意味で使っており、
『アダージョとロンド』は、当時、
短い協奏曲に慣用的に使われる指定であった。
ピアノパートは、名技的な要素に満ちていて、
このタイトルに則している。
四重奏の各パート譜の導入部は、
この曲が本来、より編成の大きな弦楽群のために
書かれていたことを示唆している。」

このように、さりげなく、
シューベルトの初恋のエピソードを交え、
従来、特に印象を残さなかったこの曲に、
最高のスポットライトを当てている。

是非とも、その音楽会に招かれて、
シューベルトが、どんな顔でテレーゼを見ていたかを、
見て見たいものだ。

この曲は、かつてバドゥラ=スコダのCDでも聴いたが、
やはり、ピアノ以外の楽器の出番がなく、
単に伴奏に終始していて、こうした猛者の演奏で聴くと、
彼らに申し訳ないような気もしてくる。

どこのどの音が今井信子らしいかなど、
とても書き出せるようなものではない。

最初のアダージョの部分、
ジャーンと弦楽器の合図に続いて、
ピアノがぽろぽろんと出て来て、
だんだん、主題を形成していくあたり、
「ます」のひな形のような一面も垣間見える。

その時、もっぱら、ピアノと唱和するのは、
ヴァイオリンのみで、他の楽器は、
ぶんぶんぶんぶんとやったり、
じゃん、じゃん、じゃんとやったりしているだけ。
しかし、その音の重なりには、確かに、
シューベルトならではの繊細さを感じる。

重々しい幻想を奏でるアダージョの後の、
ロンドの部分は、明朗すぎる主題を元に、
ピアノが名技的な楽節を聴かせながら、
時折内省的な色調となる。

ピアノ独奏時の寂しげな風情なども愛らしい。

1816年、
中間部で、だんだん演奏が白熱して来て、
交響的な広がりを呈して行くところなどは、
ふと、後年の「大ハ長調交響曲」の終楽章の、
推進力を思い出してしまった。

こうした効果的な盛り上がりは、
シューベルトの音楽の中でも、
なかなか類例がないものかもしれない。
音楽の友社の作曲家別名曲解説ライブラリーでも、
この曲については一項を割いていない。
15分程度の作品で、ソナタ楽章がないなど、
本格的室内楽と呼ぶには抵抗もあろうが、
19歳のシューベルトが、
あの美しい「第5交響曲D485」のあと、
すぐに着手した作品と思えば、
さらに味わいを増すものと思われる。

後にシューベルトがどんどん発展させる事になる、
様々な要素の萌芽を感じる作品である。

ただし、今回の演奏、室内楽としては素晴らしいが、
ピアノ小協奏曲と考えるには、弦が先鋭で立派すぎると、
書いてもいいかもしれない。

バドゥラ=スコダのCDを出して来て、
1965年に、彼がAngelicum Orchestraを振りながら、
ピアノを受け持った演奏を聴いてみると、
弦楽は合奏になっていて、その色調の差異からしても、
ピアノをしっとりと包み込んで引き立てる感じ。

しっとりとした空気感があって、
バドゥラ=スコダはカデンツァなども入れて、
ピアノの名技性を強調し、
協奏曲としての体裁を整えている。

スコダもかっこいいし、
こうして演奏されると、ピアニストが目立てる曲、
であるということがよく分かる。
フンメルとかウェーバーのピアノ曲を思わせる。

おそらく、グロープ家の音楽会では、
こんな風に演奏されたのではないかと思った。
グロープの兄貴を持ち上げておけば、
テレーゼも胸を打たれたことであろう。

さらに、このクライマックスは、
演奏者の力量のみならず、
作曲家自身の、素晴らしい前途を、
この上ない効果でプレゼンテーションできたはずである。

低音の楽器が、強烈なドライブをかけて素晴らしい。

では、メインの曲の解説に移ろう。

「それから何年かして、『ます』の五重奏曲D667が書かれ、
これもまた、中産階級の家庭向きの音楽として現れた。
シューベルトの友人アントン・シュタッドラーによれば、
1819年に作曲家はシュタイアーで夏の休暇を過ごし、
音楽サロンを開き、かなりの腕でチェロを弾いた、
街の官吏で尊敬されていた人物、
ジルヴェスター・パウムガルトナーと出会った。
パウムガルトナーは、シューベルトの歌曲『ます』を好み、
この『愛らしい小さな歌』をもとに、
五重奏曲を作曲してくれるよう頼んだ。
この作品はピアノ、ヴァイオリン、ヴィオラ、
チェロとダブル・ベースのために書かれたが、
ダブル・ベースの利用は珍しく、
チェロが、低音保持の役割から離れ、
高音域でメロディを奏でることを可能としている。
チェロ奏者のパトロンが確実に喜ぶように、
最初の楽章の第2主題、
アンダンティーノの第5変奏において、
これを広い音域で使用している。」

前の曲では、ピアノを弾く人のために書いて、
協奏曲のようになってしまったが、
この時は、チェロの人が依頼してくれて良かった。

また、街の有力者のために書いた、というのもミソであろう。
有力者は、自分だけが目立つような頼み方をしたであろう。
私は、ここまで想像して、背筋が寒くなった。
まさしく、民主的な精神が、この曲には宿っていると思われた。
王侯貴族なら、自分の関係者だけが目立てば良い、
と言った考えをしそうである。

シューベルトのこの作品は、
パウムガルトナー氏が、こんなアドバイスをしたかもしれない。

ピアノは、ヨゼフィーネが楽しめるように、
ヴァイオリンは、シュタッドラー君の見せ場も頼む、
そうだ、コントラバスは、わざわざ何々某にお願いするから。
もちろん、ヴィオラのパートでは、
シューベルトさんの美音を聞かせてくれよ、
などと。

貧乏だった晩年のモーツァルトが、
ピアノ三重奏の名品を残せたのも、
プフベルクという商人相手に、
個人的な交流を念頭においたからかもしれない。

ハイドンが女性のパトロンのために、
最後まで三重奏を書き続けたのとは、
少々、成立事情が異なるようである。

「この作品の特異な点は、
楽器編成に留まらない。
作品はドラマティックに始まるが、
当時の聴衆の期待の裏をかいて、
ソナタ形式の第1主題は、楽器の対話の中で、
次第に導き出される、
その最後の形を取るまでに20小節以上を要する。」

このCDの序奏は、じゃん、が少し長めで、
さすが押しが強い感じを与える。
さらに、演奏のテンポが飛ばし気味で、
第1主題が出て来るまでのわくわく感を、
十分堪能できずに、さっと先に進んでしまうのが残念だ。

第2主題のチェロも、非常に明瞭に聞こえるが、
ちょっと口当たりはあっさりしたものである。
ヴァイオリンは、やたら伸びやかで、
室内楽らしからぬ、即興性で、明るい歌を歌う。

私が注意して聴いた女性二人も、
まったく音が調和していて、
一群となって、邁進していく感じである。
反対に異種混合のスリルはない。
さすがベテランと書いては単純化しすぎであろうか。

ソナタ楽章の起承転結も素晴らしい。
構成的には強固で、説得力ある演奏であるが、
情緒的には、少し、私の心象風景から外れるものもある。

「第2楽章は、D487と同様、二つの部分から作られている。
ここで興味深いのは、第1の部分で、
まったくの自然さを持って、最も離れた調で、
次々に連続して現れる旋律的な要素が、
第2の部分で、異なる和声で繰り返されるという事実である。
一見、単純で形式的なレイアウトが、
後にシューベルトを有名にする、
こうした創意溢れる和声を気づきにくくしている。」

こうして書かれるとよく分からないが、
先に触れた名曲解説ライブラリーには、
前半部(A(ヘ長調)-B(嬰ヘ長調)
-C(ニ長調)-結尾(ト長調))
-後半部(A(変イ長調)-B(イ長調)
-C(ヘ長調)-結尾(ト長調))という2部分からなり、
後半部は結尾を除いて前半部を
短三度上に移調したものとなっている」
とあって、具体化されている。

単純な繰り返しではなく、繊細な計算がなされていて、
この解説を読んで、この楽章の味わい方を、
少し変えてしまった。

同じメロディーを繰り返すにせよ、
僅かに変化を生じている。

精妙な弦楽器たちが紡ぎ出す和声の綾が、
どのように色調を変えるのかと耳を澄ませ、
何故、シューベルトが本当に歌いたかった歌は、
前半と後半のどちらの歌だったのだろう、
などと考えてしまった。

後半が先で、前半が後である場合は、
あり得たのかどうか。

私は、最初にシューベルトが、
着想したのは前半のものであって、
それが単純に繰り返されないことで、
むしろ救われているような感じを受けた。

前半で、思い詰めた内容は、
実は夢だったのだ、というような、
安堵感を持って後半は始まるからである。

しかし、それは、実は夢などではなく、
もっと切実な問題だったのだ、という、
認識の変化までもが、
ここには語られているように思えた。

これは恐ろしくシリアスな音楽である。

また、この前半、後半の各三つの部分は、
それぞれ、何を意味しているのか。
一つ欠けたりすることは可能だったのか、
不可能だったのか。

最初のもの(A)は、まどろみのようなもの、
その子守歌の中に、憩いがある。
この演奏におけるヴァイオリンは無邪気なまでに、
美しく無垢に響く。

が、次の部分(B)では、何か、
そこでは安住できないような不安感、予感が高まる。
それは、半分は憧れによって突き動かされる

最後の部分(c)は、優柔不断に、
どうしてよいか分からぬままに、
時だけが過ぎていくような鼓動の音が目立つ。

結尾は、高じきった切迫感が、
すこし、収まっていくような感じであろうか。

上記Bの部分では、
チェロとヴィオラが素晴らしい調和で歌を歌うが、
この時にも、完全に一体となった演奏が楽しめた。

第3楽章については、解説には何もないが、
トリオ・フォントネの演奏は、一糸乱れぬアンサンブルで、
録音もあってか、個々の奏者の音が明快で、
非常にスケールの大きな音の構築が出来ている。

ピアノのきらめきも特筆に値する。

ただし、かなり力学的な演奏で、
音の立ち上がりや、終止のさせ方に、
少々、神経質なものを感じた。

あるいは、出自や、
バックグラウンドの異なるメンバーが集まれば、
こうした所に演奏の重点が落ち着くのかもしれない。
余白の部分をそぎ落とせば、
共通認識が可能になるからである。

「第4楽章の変奏曲の主題展開も突飛なものであり、
歌曲を特徴づけるピアノ伴奏の『小川』音型により、
『ます』のメロディは最後になってようやく姿を現わす。」

この指摘は、すでに他の解説でも読んだことがある。
しかし、この演奏、ここでも素晴らしい美音で、
推進力を持って進んで行くが、
各変奏の間の余韻もなく、
ここから、清らかな流れに遊ぶ、
美しい魚の姿を探すのは容易ではない。

非常にメリハリがあって、ダイナミックレンジも広い。
すべての瞬間は、明瞭に聴き取れる各楽器のバランスによって、
満足させられるが、かなり機能的な側面が目立つ。

第4変奏で、パウムガルトナー氏が聴かせた、
美しいチェロも、しっかりとその存在感を示しつつも、
「ます」のメロディを愛したという、
パウムガルトナー氏のような、愛おしむような弾き方ではない。

この美しい楽章が終る名残惜しさなどは微塵もないが、
こうした演奏であっては、当然なのかもしれない。

なお、ボーザール・トリオの演奏が8分以上を要したのに、
この演奏では7分半未満で演奏を終えている。

「『ます』の五重奏曲は、形式的には慣習から逸脱しているが、
巨匠の筆致であって、
シューベルトの作曲技法成熟過程の一里塚と考えられる
たくさんの理由を有する。
最初の公開演奏においてすら、
すでに臨席した通人によって『傑作』と宣言されていた。
後の世代の音楽愛好家も、形式的な逸脱に気付きながらも、
それを認めざるを得なかった。
『この作品は何ものにも代え難く、
いくつかの形式的な問題にも関わらず、
音楽の魔法がすべての不満を吹き飛ばしてしまう。』」

このように、終楽章の解説はないが、
この演奏は、こうしたリズムが明快な楽章では、
それを強調しすぎてしまう嫌いがある。

バーンという総奏や、ばばばっと言う合いの手が、
強烈で、最後の盛り上げも壮絶だ。
演奏会で聴けば、物凄い巨大な効果を発揮しようが、
家で、青春の響きに思いを馳せようとすると、
ちょっと強引な演奏に聞こえる。

前回のボーザール・トリオの演奏は、
これに比べると、非常に呑気なもので、
まるで夢遊病のような演奏にも聞こえる。

トリオ・フォントネの演奏では、
各楽器が神経を尖らせており、
全てのことが明々白々に覚醒している。

各部分が精密に設計されており、
歌うべきところは歌い、
盛り上げるべきところは盛り上げて、
決して見通しをあいまいにすることはない。
さすがと思わせる。

あるいは、こんなところにも、
カザルスホールの芸術アドバイザーの意見が、
反映されているかもしれない。

この終楽章が、この演奏では、
もっとも私に合っている。

主要主題が模倣されていくところでは、
しっかりと、我らが今井信子が内声部から、
浮かび上がって来るのが聴きものである。


得られた事:「異なる文化のメンバーが集まったアンサンブルは、共通理解可能な、正確さや力強さ、美音や推進力などによってのみ成り立つ演奏に行き着く恐れがある。」
by franz310 | 2009-09-06 15:44 | シューベルト

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その189

b0083728_2335331.jpg個人的経験:
ボーザール・トリオの、
モーツァルトの三重奏曲、
例えば、若い世代の、
トリオ・フォントネなどと比べると、
当然ながら、ぴちぴちした作品の
躍動感や色彩感より、
円熟した作品の、
寂しさや虚無感などに、
何か親和性があると
感じられた。


これは、ピアノのプレスラーが、
かなり主導的な役割を演じる中、
他の弦楽奏者が従者的で、
何やら、ピアノに付随しているように思えるからで、
ピアノ三重奏曲の起源とされる、
ピアノ・ソナタの延長としては、
正しいあり方とも思える。

従って、ピアノがきらめきながら進む中、
弦楽群が、それを虹色の帯状に彩るように聞こえ、
何となく、オーロラのリボンのようなものが、
時間軸に沿って繋がって行くような印象となる。

そのため、立体的な構成感のようなものは意識されず、
そのリボンが伸びたり縮んだりして、
あるいは、帯の方向に広がったり波打ったりしながら、
続いて行くようなイメージである。

ピアノ三重奏曲を、ピアノ協奏曲の小型版と捉えると、
どうも、このあたりは物足りなくなり、
ピアノとその他の楽器の色彩感の対比や、
コンチェルタンテな華やぎは犠牲になることになる。

協奏曲の延長としても、
そこにモーツァルトの協奏曲のような、
侘びしさ、虚無感が表れて来ると、
この団体の演奏の、立体感重視より、
語り口重視の行き方が生きて来るようなのだ。

モーツァルトの三重奏曲の前半のものは、
純粋な輝かしさで勝負する協奏曲的なもので、
後半のものになると、内省的な側面が強くなる。

そのため、後半のもの程、ボーザール・トリオの演奏は、
説得力を増したものと思われる。

あるいは、シューベルトの
「ます」の録音などにおいても、
このことは言えるような気がする。

この曲をどのように捉えるかによって、
どの演奏が好ましいかなどは変って来るのかもしれないが、
私のように、青春の記念碑のようなもの、
シュタイアーの自然が様々な声で語りかけて来るようなもの、
として捉える時、ボーザール・トリオの演奏は、
少なくとも、まるで川の流れ、水しぶき、
差し込んで来る木漏れ日、清冽な空気感といった、
縦横斜めの線の交錯が楽しめるものとは言い難い。

しかし、ボーザール・トリオ風の美学で言うならば、
そんな訳の分からないイマジネーションよりも、
多彩なスペクトルを放つ虹色の帯の流れの方が重要なのだろう。

まさしく、そのような美学の延長にある演奏になっていて、
時間軸に沿っての流れに身を委ねながら、
様々な色彩が浮かんでは消え、
色彩が交わっては微妙な陰影を施す、
といった、上述のイメージ通りの演奏となっている。

一番有名な第4楽章でも、
ピアノのプレスラーのみが強烈な流れを形成し、
他の楽器は、それをオーラのように包みながら進行していく。
チェロもコントラバスも、せっかくの見せ場を与えられながら、
どこか影のような印象で、虹の帯が中央を離れるにつれ、
色彩が薄れて行くような感じなのである。

おそらく、彼らの演奏では、時間の流れ、
あるいはリズムの小刻みな変化によって、
味わいを変えるものこそが、
勝負のしどころなのであろう。

一見、淀みなく流れる音楽に、
小粋な歌い回しなどが出て来る時、
あるいは、アンサンブルが一体となって、
推進力をもって進むところ、
アクセントを付けるところなどは、
一糸乱れぬ高次の達成がなされていると言えよう。

あるいは、色彩もパステル調の幻想に霞む時などは、
醸熟の味わいを示す。

従って、そういった聴き方で、
第4楽章の緩急自在な変奏曲を聴く時、
刻々と変る表情などは、見事なものと言える。

こうした美点を求めたくなるのは、
「ます」の五重奏曲の場合、
むしろ、第2楽章と第5楽章であるが、
第2楽章では、確かに、弦楽主体の部分など、
森の中、霧に迷ったような表現が卓抜である。

ヴァイオリンもヴィオラも、
非常に印象的な色彩を放っている。

第5楽章では、確かに推進力のある音楽だが、
力ずくのような感じがしないでもない。
むしろ、モーツァルトのピアノ三重奏曲の、
コンチェルタンテな色彩感が、
活かされなかった時のような不満を感じた。

ちなみに、このボーザール・トリオは、
ヴァイオリンがイシドア・コーエンになってからのもの。

ヴィオラはサミュエル・ローズで、
これまた、ジュリアード四重奏団のメンバーである。
つまり、強烈なリーダー、ロバート・マンが抜けた、
ジュリアード四重奏団のようなものである。

そのせいか、時折、
この曲のロマンティックな夢想を吹き飛ばす、
激烈な表現も聴かれ、フィリップスではなく、
CBSソニーから出されるべき演奏ではないか、
などという気にもなってくる。

コーエンが、どちらかと言うと味わいで聴かせる派なのに、
ジュリアード組は、線が細く、音色そのものには魅力がないのに、
やたらとメリハリを付けたがっているようにも聞こえる。

なお、コントラバスは、私が常々、存在感のなさを気にしている、
ヘルトナーゲルである。

このCD、ボーザール・トリオのモーツァルトの旧盤が、
フィリップスの「DUO」シリーズだったのに対し、
「SOLO」シリーズのものとなっている。
1970年代中頃の演奏で、安く入手可能。

この「SOLO」シリーズ、「DUO」シリーズが、
これでもかこれでもかと、
二枚組を主張するデザインだったのに対し、
一枚物であることを強調することもないので、
右端に、「75min+」と収録時間を強調している。

この収録時間達成のため、イタリア四重奏団の、
「死と乙女」を併録している。
ちなみに、日本盤では別のデザインで出た。

デザインはHelmut Ebnetで、「DUO」と揃えてある。
しかし、このデザイン、微妙と言えば微妙。

「死と乙女」と「ます」を収録したのを表わすとして、
ものすごく無理をしている。

もともとまったく違う曲想のものを、
単にシューベルトの室内楽、
という点のみに頼って括っている点に無理があり、
物憂げな「少女」の白黒のイラストに、
カラーでやけに生々しい図鑑調の「ます」のイラストが、
無理矢理組み合わされている。

前者は死の予感で、後者は水の中で、
どっちもブルーということで、
水色の背景の中に、強制的に配置された。
この「少女」、単にお腹が痛いだけのように見え、
非常に出展が気になる。

ちなみに「ます」の方も、目が恐くて、
図鑑に採用されていたとしても、
買いたくなくなる感じ。

全体は、エンジ系のフィリップス・カラーで、
これは何となく、私は弱い。

果たして、こんなデザインでいいかどうか、
ものすごく悩んでしまうような出来である。
「少女」の症状が気になる点のみがプラス採点。

解説は、Peter Branscombeという人が書いている。
この選曲ゆえ、仕方ないことだが、シューベルトの室内楽、
という大きなテーマから入っている。

「シューベルトの室内楽曲の輝きは、
彼が歌曲、交響曲、そしてピアノで到達した境地から比べると、
少々地味であるかもしれないが、それらと同様の価値を持つ。
数の上では、弦楽四重奏曲は、彼の他の小編成合奏曲にまさり、
15曲が数えられる。
彼はさらに少なくとも12曲の作品をさらに書こうとし、
実際書き始められたものもあった。
それに加え、二つの気高いピアノ三重奏曲があり、
初期には興味深い2曲の弦楽三重奏やピアノ四重奏があり、
華麗な八重奏曲、最後のただ一つの弦楽五重奏曲や、
見事に凝集された『死と乙女』と、
並び称される、ここに収めた、広く愛されたピアノ五重奏曲がある。
それらの親しまれた名称の如く、
これらの2作品からも明らかなように、
メロディの材料の再利用や、
楽曲ジャンルを超えての転用、
といった事をよくやった。
シューベルトは歌曲の再生に立ち戻り、
それを変奏曲形式で一つの楽章の基礎にする。」

以下、「死と乙女」の解説が、こんな風に始まる。
「弦楽四重奏曲ニ短調D810は、
1824年3月のもので、
おそらく、1826年の初頭、
私的に演奏されている。
しかし、演奏者たちがあまりにも難しすぎると言ったので、
棚上げにされてしまった。
ヴィーンのヨーゼフ・チェルニーによって、
出版のアナウンスがされたのは、
1831年の2月になってからであった。
その調性から予想できるように、
そのムードは劇的で悲劇的ですらあり、
長調への移行は時折、束の間に起こるだけで、
1817年2月の、歌曲『死と乙女』からの借用が、
死のテーマを、悲劇というより慰めのように運び込まれる。
(シューベルト四重奏と同じ調であった歌曲を、
室内楽において、より悲痛なト短調に移調している。)」

以下、楽曲の詳細が説明されるが、今回は、
テーマが「ます」ということで、最後のみを訳出する。

「この曲の第1楽章は、1828年3月26日の、
自作コンサートで演奏された可能性もある。
全曲の初演は5年後、ベルリンにおいてであった。」

さて、問題の「ます」の方は、こう書かれている。

「ピアノ五重奏曲イ長調D667はそれに対し、
シューベルトのもっとも陽気な作品の一つである。
自筆稿がないので、他の状況証拠から、
この『鱒』の四重奏曲は1819年に作曲されたと考えられる。
権威あるパート譜から、
上部オーストリア、シュタイアーのシューベルトの友人、
ジルヴェスター・パウムガルトナーが依頼し、
献呈を受けていることが分かるが、
この人のもとで、作曲家は、
1819年と1823年、そして1825年に、
幸福な夏の休暇をすごしたとされる。
アルベルト・シュタッドラーによるシューベルトの回想には、
パウムガルトナーは、数年前にフンメルが作品87の、
大五重奏曲で採用した、ピアノ、ヴァイオリン、ヴィオラ、
チェロ、ダブル・ベースの通常とは異なる編成と、
変奏曲の主題として、
彼がとても愛していた歌曲『鱒』を用いることを求めたとある。
ニ短調の四重奏曲と同様、チェルニーからパート譜が出され、
作曲家の死後、ほんの数ヶ月後、
1829年5月に作品114としてアナウンスされた。
1824年の『八重奏曲』と同様、
シューベルトは通常の室内楽の4楽章形式から離れている。
二つの低音楽器の重厚さを埋め合わせるために、
シューベルトは鍵盤楽器を高く舞い上がらせ、
左手すら、しばしば、高音記号で書かれている。
付点リズムの多用、遠い調への出入りなど、
典型的なシューベルトらしさが見受けられる。」

このように、モーツァルト以前のピアノ三重奏曲が、
ピアノの非力さを補うために、
チェロが左手パートをなぞって弾いた、
などという時代が過去のものであることが分かる。

シューベルトはパウムガルトナーさんの弾くチェロが、
低音で活躍できるように、ピアノの活躍を、
高音域にシフトさせたというのである。

とすると、ボーザール・トリオのような、
ピアノ主導型の古典的三重奏曲の美学では、
カバーできない領域に来ているとも考えられる。

チェロとコントラバスが、独立した楽器として、
十分に歌う事が出来るようにと、
ピアノが席を譲ったのであるから、
譲られたその席で、
各楽器がそれぞれの特質を主張して欲しいものだ。

これ以降、ざっと、以下のような楽曲分析的な解説が続く。

「オープニングの『アレグロ・ヴィヴァーチェ』で、
シューベルトは、快活で開放的、
新鮮なスタンスを保ちながら、
技術的にも解釈の上でも挑戦的に、
楽章を構成している。」

核心がなんだかわかりにくいが、
「快活で開放的」なのは明白なので、
「挑戦的」という点に意味があるのだろう。

こうした挑戦的な作品に対し、
ボーザール・トリオは、
どのようなアプローチをしているだろうか。

冒頭、弦楽に続いて、ピアノが鳴り響く所からして、
どうも弦楽に開放的な色彩感が乏しいのが気になる。
ピアノは、純白の光をふりまきながら活躍するのに、
どうも、ヴァイオリンがくすんだ、線の細い音で気になる。
対応するヴィオラもいかにも渋く、
どうした、ジュリアード、と声をかけたくなる。

挑戦的という意味では、
様々な楽器の組合せによる色調の変化や、
音色の対比による音楽の前進などもあろうが、
それを味わうには、
チェロは遠くて聞こえず、
コントラバスは不在と言って良いくらいである。
録音のせいだろうか、
低音2楽器の存在感のなさが致命的である。

「第2楽章では、3/4拍子のヘ長調の透明な瞑想、
嬰へ短調とニ長調による嵐の部分、
この楽章の基本の調の穏やかさに戻る前に、
ト長調、変イ長調、イ短調への逸脱がある。」

「透明な、澄んだ瞑想」を表わすのに、
線が細いが精緻な弦楽群の美感が出ており、
ピアノの歌い口も控えめながら美しい。

「嵐の」というか、悲歌的な部分では、
グリーンハウスのチェロの美しい独白が聴ける。

次々と転調されるところでは、
小刻みにリズムを変えて切迫感を出して、
おそらくこのあたりに、彼らの美質が現れている。
ヴィオラの切々たる歌にも注意が行く。

「イ長調のスケルツォとニ長調のトリオには、
テンポの変化がないが、そこにはフレージング、
テクスチャー、ムードのかすかな変化がある。」

この解説も困ったものだ、変化の事ばかり書いてあって、
変化の前後がどんな音楽であるかよく分からない。
こうした、ちょこまかと楽器が動き回り、
繊細かつ剛胆な表現が必要とされる部分は、
さすが、機能美を誇るジュリアード組の美質が出ている。
だが、低音がよく聞こえず、立体感が乏しい。

第4楽章のテーマ『アンダンティーノ』は、
歌曲『ます』に基づき、
オリジナルの離れた調、変ニ長調ではなく、
ニ長調で単純化され、よりポピュラーな姿となり、
すべてのシューベルトのメロディの中で、
おそらく最も広く知られたものである。
6つの変奏曲の効果と魅惑については、
疑う余地はない。
メロディはまず弦楽のみで開始されるが、
その後、ピアノはほぼ休み無く奏される。」

この弦楽のみのメロディ部も、
70年代半ばの録音としては、
分離が悪く、ぼそぼそと言っている感じ。
このあたりでは、コントラバスが、
もっとびんびんと響いて欲しいものだ。

ピアノが入ると、ぱっと目覚ましく視野が開けるが、
ピアノの回りを彩るのは、
線が細くて針金細工を思わせるヴァイオリンばかりで、
あとの楽器は団子状態なのが困ったものだ。

「第4変奏は、付点のコントラストが付けられた、
同主短調で、変ロ長調の五度で、
特に記載されもせず、分割されてもいないが、
歌曲のピアノ伴奏で知られる、
きびきびとしたアレグレットに続く。」

推進力、力で押すところなど、
おお、さすがジュリアードという感じもするが、
どうしても音色に芳醇さがもう少し欲しい。

ヴィオラやチェロが悲しげな声を上げる所なども、
何と言うのか、しっかりとした骨格が欲しい。
やはり録音のせいだろうか。

「最後の第5楽章は、
2/4拍子のアレグロ・ジェスト。
大胆な実験と、十分な叙情性が盛り込まれている。」

「大胆な実験」と書かれると、
多少の事は許したくなった。

このCDにおけるこの楽章の表現は、
急に音を大きくしたりして、半ば強引かもしれないが、
ここは、彼らが、若きシューベルトの「実験」に応えたもの、
と解釈することにした。

むしろ、何とも言えぬ憧れに向かって進む点にも、
もっと耳を澄ませる必要を感じた。
ピアノの軽妙な語り口には微笑みが溢れているのが嬉しく、
テンポをうまく変えながら、素晴らしい推進力を生み出している点、
さすがベテランの技と評したい。

解説には「叙情性」と書かれているが、
ここで明るく明滅する希望のようなものを、
この演奏は、うまく捉えているかもしれない。

「表面的な単純さの中、
演奏者と聴衆にかすかな挑戦を提示する、
この作品がシューベルトの最も愛された
作品の一つであることは、疑うべくもない。」

このような「挑戦」を、最後まで語るCDであるならば、
いまいち解像度の低い録音が不満である。

私はフィリップスの録音は好きなので、
本来、こんなことは書きたくないのだが、
ジュリアード四重奏団ゆかりのメンバーであれば、
あるいは、ソニーで録音していれば、
もっと、印象が変わったものになったかもしれない。

得られた事:「ボーザール・トリオ(ボザール・トリオ)らの『ます』。あるいは、古典期のピアノ三重奏的美学なのか、ピアノ主導で弦楽は虹色の影のごとし。」
by franz310 | 2009-08-29 23:36 | シューベルト

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その188

b0083728_23165348.jpg個人的経験:
モーツァルトのピアノ三重奏曲、
昔から、いろいろ不評だったが、
このように体系的に聞き直してみると、
他のジャンルに対して、
遜色ある分野とも思えなくなってきた。
何故、ずっとしっくり来なかったのか、
かえって不思議な感じさえする。
私自身、LP時代には入手した記憶にない。
そんな観点から不思議に思い、
昔のカタログを見ると、やはり載っていない。


例えば、作曲家別廉価盤クラシック・レコード総目録
(レコード芸術1975年12月号付録)を眺めてみても、
モーツァルトのピアノ三重奏曲は、1曲もないのである。
同じ6曲からなるジャンルでも弦楽五重奏になると、
第2番がバリリSQに録音があり、
第3番がヴィーン室内合奏団とバリリに、
第4番はブタペストSQとアマデウスSQ、第5はバリリ、
第6はコンツェルトハウスに録音があったことが分かる。

(この総目録を見ていて懐かしいのは、
パスキエ三重奏団による
弦楽三重奏のディヴェルティメント
が載っている点であったりする。
これになると、ものすごく聞き込んだ。)

ハイドンには、何とか、1曲、
オイストラフ・トリオの演奏による、
「ピアノ三重奏曲第4番」が出ているが、
これは、ホーボーケン番号で言えば28番、
立派な最盛期の作品である。

学生の身分で、名作とも言われないものは、
廉価盤にでもなっていなければ、
購入の機会は皆無であろう。

では、CDの時代になって、
どんな状況であったかと言えば、
6曲のピアノ三重奏曲のうち、
どの曲が重要なのかも分からないので、
一度に沢山聴けるのがよかろうと、
TRIO FONTENAY(トリオ・フォントネ)の
テルデック盤を入手。

CD1には、まずディヴェルティメント変ロ長調 K.254
ピアノ三重奏曲第1番K.496、
第2番K.502が、順番通りに、
CD2には、第3番K.542、
第4番K.548、第5番K.564が、
やはり順番通りに入っているのが分かりやすい。

アベック・トリオやボーザール・トリオの新盤のように、
3枚組でないのもありがたかった。

しかし、まじめに聞いていなかった。
それは何故か。

今回、このように系統的に聴いて来ると、
別に、この演奏が悪いわけではない。

そもそも演奏しているメンバーはイケメンなのだ。
それだけで推薦盤にする必要がある。

実際、音色もみずみずしく、
1990年、ベルリンで行われた録音も鮮明。

ピアノのヴォルフ・ハルデンと、
ヴァイオリンのミヒャエル・ミュッケは、
共に、1962年生まれなので、
当時、28歳のぴちぴちである。

チェロは、年長のニクラス・シュミットであるが、
彼とて、4歳年上にすぎない。

かなり人気者だったと見え、
このCDのブックレットの最終ページには、
ずらりとその当時、すでに録音していたと思われる、
録音がずらりと載っている。

インバルの指揮での、ベートーヴェンの三重協奏曲をはじめ、
ブラームスの全曲、ドヴォルザーク、メンデルスゾーンの2曲、
ショパン、シューマン、スメタナ、アイヴスなども録音している。

解説にはドビュッシーやラヴェルも録音済とある。
早すぎる成功が心配になってくる。

こうした人気アーティストのCDのデザインは、
是非、こうあって欲しい感じで、ブロマイド風である。
この中の、どの人が誰で、何を弾くのかさえ分からないが、
きっと、ファンには言う必要がないのであろう。

ポケットに手をつっこんで不遜とも言えるが、
イケメンなら許されるのである。
いや、むしろ、そうすることによって、
そのステータスは高まるとも言える。

また、背景に無造作に置かれた意味不明な絵画、
奇妙な壁に、彼らのシルエットが照らし出されている所も、
決して見逃してはならない。
イケメンにはやはり影の部分がなくてはならぬ。

いいぞ、何かかましてくれや。

このように、何となく、
クールな演奏で痺れさせてくれそうな予感がある。
実際、非常に切れの良い演奏を聴かせてくれている。

特に、前半の彫りの深い、明確な表現で聴いていて、
とても気持ちが良い。
が、あまりにフォーカスされすぎていて、
ボーザール・トリオのような、
腑抜けなのか、夢遊病なのか、枯淡なのか、
何だかよく分からない境地にはない。

が、端正であって、華美ではない。
また、音色は明るく、リズムも軽やかであって、
ドイツの団体だからといって、ずっしりと重いという感じではない。

さすがにイケメンには隙はないのである。
おお、見ると、アマデウス四重奏団と、
ボーザール・トリオに学んだとある。
これは、もはや、サラブレッドとも言える。
アマデウスの豊饒さに、ボーザールの自然体を学べば、
もはや敵無しとも言える。

で、この団体の名称、FONTENAYとは何かというと、
ハンブルク音楽大学の近くのストリートの名前だと言う。
ここで、彼らは最初の練習をしたのだという。

確かに、「放射線通り」とか「落第横町」とか、
「環八通り」という、道そのもの名前はあるが、
日本の住所では、通りでの呼び方はしないので、
最初に練習したのが、「環八通り」でね、
という表現はなさそうだ。

そんな事で、「環八トリオ」は生まれないと思うし、
道の真ん中で練習した迷惑な連中という感じが先に来る。

が、結成が1980年で、
このモーツァルトの録音からも、
当然、もう20年が経とうとしていて、
彼らも、もうおっさんで、
ちょい悪オヤジになっているのだろうか。

さて、前回、ボーザール・トリオの新盤で、
キングさんの書いた解説にはこうあった。
「ピアノ三重奏曲のルーツは、
バロック期の弦楽トリオにあって、
そこで、ヴァイオリンはメロディラインを受け持ち、
それを支える低音は、一般に、
ハープシコードによっていた。」

今回、このトリオ・フォントネのモーツァルトのCDの解説は、
あのアベッグ・トリオの解説のライカウの回りくどい言い方より、
もっとシンプルに分かりやすく書いてくれているのが嬉しい。

つまり、この解説者Uwe Schweikertは、
ピアノ協奏曲の起源について、
「おそらく、初期古典期のピアノ・ソナタに、
むしろ、その起源を求めることが出来る」と書き、
ウィリアム・クレンツという評論家の、
『ピアノ協奏曲とオペラ・アンサンブルの結合』
という言葉に要約している。

さて、このような事が書かれている。
「モーツァルト自身の手による、
『全作品カタログ』には、
1786年7月8日に、
まず書かれたK.496から、
1788年10月27日に、
最後に書かれたK.564にいたる
彼がピアノ三重奏曲を呼んだ時に使う、
『テルツェット』5曲含まれている。
それに加え、モーツァルトのピアノ三重奏の作品には、
『ディヴェルティメントK.254』が先立ってあり、
ピアノ、ヴァイオリン、チェロのために書かれているが、
これは1776年8月にザルツブルクにて書かれたものである。

交響曲、ピアノ協奏曲、弦楽四重奏などの古典の形式と比べ、
ピアノとヴァイオリンのソナタと同様、
ピアノ三重奏曲のジャンルは、モーツァルトの視野には、
かなり遅れて入って来た。

ハイドンの作品においても、ピアノ三重奏曲は、
1784年まで重要度を持っていない。
このように、ピアノ三重奏曲は、
ヴィーン古典派において、
最後に自由を獲得した分野であると言うことが出来る。

これは、バロックの伝統で、あちこちで見られる、
トリオ・ソナタの作品が良く知られていることを思い起こすと、
非常に驚くべきことである。
また、ハイドンやモーツァルト、
そして若き日のベートーヴェンの作品が、
コンサート・ホール向けのものではなく、
アマチュア奏者が家庭で演奏することを
想定して書かれたということもまた、
我々をさらに驚かせる。
例えば、モーツァルトの三重奏曲ホ長調K.542は、
おそらく、彼の友人でヴィーンの融資者、
ミヒャエル・プフベルクのために作曲されており、
モーツァルトは彼に、1788年6月、こう書いている。
『あなたの所で、また、小演奏会を開くのは何時になりますか。
私は新しいトリオを作曲しましたよ。』
この作品はまた、モーツァルトの最後のピアノ作品の一つで、
8月2日に彼の姉の『名の日』に彼女に送っている。

不思議なことに、古典期のピアノ三重奏曲は、
まったくもってバロック期のトリオ・ソナタの後継者ではない。
その起源はおそらく、初期古典期のピアノ・ソナタに、
むしろ、その起源を求めることが出来るようなものだ。
家庭内でこれを演奏する時、ヴァイオリンとチェロ、
または、フルートとチェロをアドリブで追加した。
若い日のモーツァルトが書いた、K.10-15の、
『クラブサンのための6つのソナタ』が、この考え方の例証となる。

この奇妙な慣行は、18世紀終盤のアマチュア音楽家が、
好んだ楽器について、私たちの興味を引く。
近代のグランド・ピアノの先祖は、機構上、
二つの固有の弱点を持っていた。
それは不十分な低音の音域と、
高音域の音がすぐに減衰してしまうという点であった。
これらの短所は、低音の補強や、
メロディ・パートを補うことで是正された。
チェロはピアノの左手の低音に重ね、
ヴァイオリンはピアノの高音のメロディラインを、
高音パートの演奏で補助した。
このような楽器音域の本来の混合が、
三重奏の起源であって、モーツァルトの
ディヴェルティメントK.254でもそれを確認することが出来る。
演奏して楽しく、音色はセンチメンタルであるこの作品は、
チェロは通奏低音であって、
ヴァイオリンには、魅力的な独奏パッセージが盛り込まれ、
拡張されたピアノ・ソナタの原理に基づいたものである。」

「K.496に始まる作品群は、あらゆる意味で、
軽量のディヴェルティメントより、
要求の高い作品となっている。
チェロは独立したパートとなって解放され、
ヴァイオリンと共に、ピアノと対峙する。
この曲集が進行するにつれ、
ピアノがいまだメロディの主唱者として、
同輩中首位であるとはいえ、
三つの楽器が対等な立場となって、
音楽的な対話を行うようになることに気づく。」

「K.496の第1楽章では、
まさに冒頭から、ヴァイオリンとピアノの、
コンチェルタンテな対話が見られ、
K.502では、初めてチェロが主題の音楽的展開に参加している。
この三重奏曲は、雄大で華麗なハ長調協奏曲K.503に隣接し、
同様に1786年の冬に書かれ、素晴らしい隠されたドラマを持つ。」

意欲的でありながら、チャーミングな、
この曲などは、トリオ・フォントネの気質に、
とても合っているような気がする。

第1楽章の出だしから、この曲は、新鮮さを振りまくが、
このあたりは若い感性に期待したいところと一致する。
ボーザール・トリオでは、やや線が細く感じられた弦楽部隊も、
ここでは豊かな響きを響かせている。

夕暮れの情感に満ちた、
ロマンティックな第2楽章なども、非常に美しい。

終曲も愉悦感に溢れているし、
アベッグ・トリオよりも直裁的、あるいは自然体である。

しかし、解説者の言う素晴らしい隠されたドラマとは何だろうか。
確かに、ピアノ協奏曲で、
あれだけいろんな事を語っていたモーツァルトである。
何か、そこでは出来なかったことを、
このジャンルでやりたかったはず。

「ハイドンのピアノ三重奏曲と違って、
モーツァルトのものは非常に成熟しているのみならず、
もっとコンチェルタンテな性格を有している。
ウィリアム・クレンツという評論家は、
そこに、『ピアノ協奏曲とオペラ・アンサンブルの結合』を見た。
まさに彼がピアニストとしての公式な成功を収めた時、
ピアノ三重奏という親密なジャンルに対する
モーツァルトの関心が高まった事、
そして、1784年以来の矢継ぎ早のピアノ協奏曲の連作が、
衰えだした事に注目すべきである。」

この主張も意味深である。
ピアノ協奏曲に飽きて、三重奏に来たというべきか、
ピアノ協奏曲でやることがなくなったと読むべきか、
あるいは、虚しい公の成功に疲れ、
ふと、内面の声を響かせたくなったということか。

「形式の点では、モーツァルトのピアノ三重奏曲は、
伝統的な3楽章形式で、
導入のソナタ楽章と、気の利いた終曲のロンドが、
感傷的で美しいメロディによる中間の緩徐楽章を挟んでいる。
それは、一方でモーツァルトの形式感のバランスを、
他方では、各楽章の組合わせのみならず、
個々の構成や磨き上げられた細部に至るまで、
彼は同じことを繰り返さなかったことをも示すものである。」

これは完全に、コジェルフと違う戦い方である。
コジェルフは、売れ筋のものを大量に製造して成功したが、
モーツァルトは投機的とも言える程に、
新ジャンルを開拓していったということであろう。

「これらの最も早い作品、ト長調K.496は、
終楽章に変奏曲を持って来て慣習を打ち破っている。
第4変奏では、表情豊かな憂愁で、チェロがメロディを奏でる。
名技的な二重変奏曲のコーダがこの曲を締めくくる。」

「モーツァルトの権威、アルフレッド・アインシュタインにとって、
1788年6月、三大交響曲の直前に書かれた、
三重奏曲ホ長調K.542は、モーツァルトがこのジャンルで極めた、
頂点を代表するものであった。
半音階的な特徴を持つピアノによるメロディの導入は、
『暗い色調で光を放つ転調で』(アインシュタイン)
聴衆に何か異常な事が起こった事をはっきりと感じさせる。
巧妙な和声を持って、歌謡的なアンダンテ・グラツィオーソは、
ほとんどシューベルト的なメランコリーを歌う。」

私は、前にこの楽章の童謡のような甘さが不自然だと書いたが、
この解説者には、シューベルト的と評されているのを見て驚いた。

聴いていて慣れたせいか、あるいは、シューベルト的と書かれたせいか、
はたまた、トリオ・フォントネのあっさりした歌い口がマッチしたのか、
このCDでは、この歌謡性も悪くない。

「終楽章は、卓抜な技法で愛らしいロンドで、
重力を失って行き、霊妙である。」
Etherealと書かれると、
確かに、ゲーテのファウストにでもマッチしそうな、
何だか神秘的な霊の音楽のようにも思えて来た。
空中を漂うような不思議な世界である。

「姉妹作、ハ長調K.548は、わずか三週間後に生まれたが、
ここで、モーツァルトは前の作品のレベルを保っているとは言い難い。
K.548は、その作曲時期や調性だけでなく、
『ジュピター交響曲』との関係が強い。
つまり、
第1楽章の主要主題の強烈さ、
異常にシリアスで厳格な展開は、
まるで、オーケストラを
室内楽にスケッチしたような印象を与える。」

しかし、こんな壮大な構想の作品ながら、
少し落ちる、などと書かれるのもあんまりではないか、
というような気がする。

とはいえ、盛夏を過ぎた、この作品あたりになると、
この壮大さの中に、何か寂しさのようなものが欲しく、
まさに、交響的な世界を繰り広げる、トリオ・フォントネよりは、
虚無的な瞬間を垣間見せる、ボーザール・トリオに魅力を感じる。

ロマンティックなアベッグ・トリオよりは、
トリオ・フォントネは、ひょっとしたら、
立体的な表現力である。

同じドイツのアベッグ・トリオは、85年の録音なので、
あるいは、これも研究しての挑戦だったかもしれない。

アベッグ・トリオは教会での録音のせいか、
残響が多く、トリオ・フォントネの方が透明感を感じる。
そんな差異もある。

「アインシュタインが、『柔らかな宗教性』と呼んだ、
精神的なアンダンテ・カンタービレは、死の年、1791年の、
この作曲家の最後期の作品の諦観のムードを予告している。」

私は、この楽章がある限り、
この曲が前の作品より劣るとは思いたくない。
トリオ・フォントネは、アベッグ・トリオ同様、
非常に繊細であるがゆえに、虚無的な感じはあまりしない。
単なるきれいな回想の音楽に留まる。

ボーザール・トリオのものを改めて聴いて見ると、
線が細いと思われた弦楽部も、
妙な切迫感で迫るものがあり、
さすが、この曲を日本公演でも取り上げた団体である、
などと感じ入った。

あるいは、細かいテンポの動きが、
そうした焦燥感を生み出しているとも思える。
そうしたスタイルは、ひょっとしたら古いのだろうか。

「終曲のロンドにおける短調部分の、
痛みの感情の集中は、我々の神経を集中させずにいられない。」

この楽しげな牧歌風のロンドに、
そんな集中させる部分があるかと改めて聴いて見たが、
良く分からなかった。

「このジャンルへのモーツァルトの最後の貢献は、
三重奏曲ト長調K.564で、彼の作品目録に、
1788年10月27日のものとして追加されたが、
これは、他の曲に対して、
『哀れな従兄弟』のように見なされて来た。
ここでの簡素な音楽材料から、K.564は、
ピアノ三重奏に編曲されたピアノ・ソナタだと、
長い間、音楽学者に信じられて来た。
その磨かれた芸術的な単純さは、
ピアノのための『簡素なソナタ』K.545の残照である。」

この曲の欠点を隠そうとするかのように、
トリオ・フォントネの演奏は、
立体的、交響的とも言える闊達な表現で押す。

さすが、イケメン集団。
弱みを見せるを潔しとしなかったようだ。

第1楽章は、やけに元気が良いと思ったが、
CDの時間表示は、ボーザール・トリオ、
アベッグ・トリオの中で最速である。

このように聴いて見て、このCDを聴いて、
モーツァルトのトリオの魅力が、
伝わらなかった理由が分かるような気がした。

つまり、トリオ・フォントネは、
イケメンゆえに、弱さを許さない。
そのため、曲ごとの性格付けが弱まって、
6曲を連続して聴いても、
曲の切れ目が聞き流されてしまうのである。

たぶん、1曲だけ、おそらく、K.502あたりを聴くと、
とても感動させられるのではないだろうか。

これはモーツァルトにも責任があって、
ト長調が2曲あったり、短調のものがないなど、
そうした解釈を許す温床を作っている。

ということで、残念なのは、K.442とされる、
ニ短調のトリオが完成されなかったことだ。

アベッグ・トリオや、ボーザール・トリオの新盤とは違い、
このCDは、この断章は収められていないが、
面白い事に、解説では、この曲についても触れている。

「マキシミリアン・シュタードラー神父は、
本来、同じ曲になるものではない、
三つの別々の断片を組み合わせて、
三重奏曲(K.442)として出版した。
(このピアノ三重奏曲全集には含まれていない)。
機知に富み、活気ある最後の楽章は、
特に、1790年から91年に書かれたと思われ、
何度も下書きが書き直されている。
これは『コシ・ファン・トゥッテ』の余韻を残し、
1788年以降、彼がトリオを残さなかった事が悔やまれる。」

この書き方を見れば、何となく、この解説者は、
もっとすごい曲が出て来た可能性がある、
あるいは、もっと言うと、
まだ、この6曲では、モーツァルトのベストではない、
まだまだ満足できない、
と言いたいのかもしれない。

私は、ジュピター交響曲に迫る三重奏曲があるだけで、
これはこれで、至高の作品と思わざるを得ないのだが。

さて、これまで真面目に聞いて来なかった、
このK.442の終楽章もこの機会に聴いて見た。

確かに、自由闊達にピアノが駆け巡り、
オペラの世界を彷彿とさせる。
これがモーツァルトの死の年の作品だとしたら、
非常に興味深いと言わざるを得ない。

ところで、ふと思ったのだが、
この曲を補筆した、マキシミリアン・シュタードラー神父は、
シューベルトの「ます」の成立に立ち会った、
アルベルト・シュタッドラーと関係ないのだろうか。

この神父は1833年まで生きていたようなので、
頼んだら、「未完成交響曲」も完成させてくれたかもしれない。

トリオ・フォントネの演奏に戻ると、
ハ長調の壮大さなど、
まさしく、「ジュピター三重奏曲」。

おそらく、実演で聞くと圧倒されるに違いない。
改めて言うが、完成度の高い演奏だと思う。

得られた事:「ピアノ三重奏曲はピアノ・ソナタの派生品であるという歴史観。」
「イケメン集団、立体感、迫力に過不足なし。ただし、無敵のイケメンのままでは、広い共感は得られず。」
by franz310 | 2009-08-22 23:23 | 音楽

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その187

b0083728_13373012.jpg個人的経験:
前回、ボーザール・トリオで、
モーツァルトのピアノ三重奏曲を
通して聴いてみたが、
涸れた表情の作品ほど、
説得力を感じる、
不思議な団体であった。
実は、このトリオ、
1968年にヴァイオリンが
交代して、この新メンバーでも
同じモーツァルトを録音している。


1987年5月のデジタル録音で、
スイスでの収録とあり、
何となく、この暑い時期には、
その録音場所の爽やかな雰囲気に、
是非とも、あやかりたくもなる。

フィリップス・レーベルによる、
モーツァルトの没後200年の、
コンプリート・モーツァルト・エディションにも、
この演奏は採用されている。
私が持っているのは、単独発売のものではなく、こちらである。

この5枚組には、ブレンデルによるピアノ五重奏曲や、
同じ、ボーザール・トリオによるピアノ四重奏曲、
グラスハーモニカによる「アダージョとロンド」が含まれている。
残念なことに、「ケーゲルシュタット・トリオ」は、
ブライマーの録音なので、これだけは、前回の盤に収録が重なる。

また、あの偽作というか、ややこしい曰く付きの、
K.442のピアノ三重奏曲も含まれている。

こういう寄せ集めCDの常として、
デザインは意味不明であるのが残念だ。
おそらく、何に焦点を合わせていいのか、
分からなくなるのであろう。
その結果、可もなく不可もない、
よく分からないものが出来上がる。

カバー・デザインに、Pet Halmanとあり、
カバー・デザイン・フォトグラフィーに、
Cristine Woidichとあり、
アート・ディレクションに、Estelle Kercherとある。
いったい、誰が何をするか分からない大企業病である。

このCDのデザインを見ると、
どこかの劇場にピアノが置かれていて、
ピアノの上の楽譜はぐちゃぐちゃ、
後ろ姿の人物は、当時の装束であるが、
何故か一人は犬を連れている。

そのような上に、月桂冠の写真が重ねられている。
前述のように、どこまでが、誰の分担か分からないが、
人物や背景は手書きにも見え、
まさか、フォトグラファーは、
月桂冠とピアノの写真を撮っただけではないだろうな。

何だか分からない点が、
おしゃれなのかもしれないが、
それがかえって、ありきたりとも言える。
こうしたシリーズの一貫なので、
全体の統一も必要であろうから、
こうした無難な路線に落ち着いたものと思われる。

ブレンデルの五重奏も、ジェランナを交えた四重奏も、
以前、聞いたことがあるので、
今回は、ここに含まれるピアノ三重奏を聴いて見た。

前回の演奏でも主役を務めていた、
ピアノのプレスラーは同じなので、
基本的に大きな違いはないと思われる。

しかし、ヴァイオリンがイシドーア・コーエンに代わり、
チェロがグリーンハウスと来れば、
弦楽部隊は、何だか、ジュリアード四重奏団の
別動隊みたいな感じである。

この人たちは、この四重奏団の一員として、
また、共演者として知られていた人たちである。

ボーザール・トリオというと、謙虚な人たちの集まり、
というイメージが強いが、
ジュリアード四重奏団となると、
アメリカの先鋭的で精緻な団体という感じで、
かなり変ったイメージになる。

前のヴァイオリンは、ティボーの弟子のギレーであったが、
まさしく、ジュリアード音楽院でガラミアンに学んだ人。
ヨーロッパの香りは、少し遠のいたのだろうか。

これは単に頭の中で感じることであって、
演奏を聴いていて、それを実感したわけではない。

むしろ、この録音を聴いて感じたのは、
基本的にスタイルは変らず、さらに恰幅が良い演奏、
という第一印象であった。

もちろん、録音が新しいだけに、音もみずみずしいのが有り難い。
あるいは、その録音ゆえに、
ホールの広がりが感じられるのかもしれない。
そのために、演奏が大きく感じられるのかもしれない。

あるいは、前回の二枚組に対し、
6曲を3枚に収めているので、
そう思えるのだろうか。
特に、K.502とK.542の二曲しか入っていない、
CD4などは、収録時間が42分しかない。
前のCDは、さらにK.564とK.548が入って、
75分も入っていたのである。

K.542は、前のものより少し長めの演奏時間だが、
K.502などは、かなりすっとばし気味で、
前の演奏より、1分近く、早く終わってしまう。

嬉しいのはK.548ハ長調の繰り返しによって、
曲が2割程度増量されている点か。

やはり、この団体は、後半の曲の方が自信を持っていて、
落ち着いた表現が出来るのかもしれない。
最後のK.564も、いくぶん、演奏時間が延びている。

さて、演奏から離れると、
このCDの解説は、極めて不思議である、
と言わざるを得ない。

英語の部分には、
Alec Hyatt Kingという人が、
「親密な協奏スタイル、モーツァルトのピアノ付き室内楽」
という一文を寄せているが、
独語の部分には、
Dietrich Berkeという人が、
「ピアノといくつかの楽器の作品、
グラスハーモニカを用いた作品」という題で、
まったく異なる文章を書いているのである。

こちらの方は、曲ごとにタイトルを設けて、
各曲解説が詳しそうである。
この調子で、他の、仏伊語も別解説である。

いつも、こうしたメジャー・レーベルは、
数ヶ国語に対応しないといけないので、
大変だと思っていたが、このスタイルは初めて見た。
さすが、一大事業で力が入っているということだろうか。

キングさんの書いた、ピアノ三重奏の部分を見てみると、
いきなり冒頭から、えっ?そうだっけ?
と言いたくなるような内容もあるので、
引用してみよう。

「ピアノ三重奏曲のルーツは、
バロック期の弦楽トリオにあって、
そこで、ヴァイオリンはメロディラインを受け持ち、
それを支える低音は、一般に、
ハープシコードによっていた。」

ということで、アベック・トリオの解説のライカウ氏が、
そりゃ危険なこじつけよ、と書いたことがそのまま書かれている。

「18世紀の中葉にかけて、
急速に、まったく違ったバランスのものに進化した。
ヴァイオリンは、鍵盤楽器の高音と交互に、
または、和声を奏で、
なお、大いに装飾的な役割を担っているが、
鍵盤楽器が音楽の重心に来て、
チェロはその低音を補助している。
この特筆すべき変容、強調へのシフトは、
1750年ごろまでに確立され、
1770年代までには、
全欧州でピアノ三重奏曲は普及した。
腕に自信ある鍵盤楽器奏者と、
熟練のヴァイオリン奏者がいれば、
チェロはそこそこの腕でもよいため、
数え切れない家庭の合奏において、
理想的な曲種といえた。」

どうやら、ピアノ三重奏曲の起源にも、諸説あると考えた方が良さそうだ。
というか、様々な解釈は出来るのかもしれない。
しかし、弦楽器のソナタが起源というのは、ちょっと説得力に欠ける。

「こうした質感と限界は、
1776年8月に作曲された、
モーツァルトの最初の三重奏曲
K.254に明らかに見て取れ、
彼はスコアの最初に、
『ディヴェルティメント a3.』
と書いた。
彼がディヴェルティメントという言葉を使ったのは、
このチャーミングな作品が、家庭内の娯楽用であるとともに、
チェロの扱いはバロック期のものと同種であることを示している。
しかし、モーツァルト自身、
1777年10月の手紙で、これを三重奏曲と呼んでおり、
楽しく、娯楽向きで、1770年代の中ごろ書かれた、
ザルツブルク時代のベストといえる性格を持ち、
変ロ長調という調性が、暖かさと親密さを保障している。」

ここまで書いてくれると心強いではないか。
後半5曲とスタイルが違うというだけで、
軽視されるには、この三重奏曲は、あまりにも愛らしい。

演奏は旧盤の方がストレートな表現で、
曲が甘味なので、これはこれでちょうどよい感じがする。
新盤は味付けが少々強いが誤差範囲で、
やはり、どちらも同じ団体の演奏。

このディヴェルティメントより、やはり、
後年の五曲が気になるので、それを読んでみると、
「モーツァルトの成熟した5曲のトリオは、
二つのグループに分けられる。
ト長調K.496は、1786年7月8日に作曲され、
変ロ長調K.502は1786年11月17日に書かれている。
最後の3曲は、すべて1788年の作で、
2曲は夏に、1曲は秋に書かれている。
変ロ長調(?ホ長調の間違い)K.542は6月22日、
ハ長調K.548は7月14日に、
ト長調K.564は10月27日に書き上げている。」

このような分類は、実は混乱を招くような気がしている。
後半5曲に関して言うと、彼は、ここでは、
No.1とNo.2が仲間。
No.3、4、5が仲間。あえて言うと、No.3と4が仲間、
と言っているようである。
しかし、解説を読んでいくと、
むしろ、No.2と3が仲間、また、No.4と5が仲間、
といった風に記載されているのである。

つまり作曲時期と、スタイルが一致していないということであろう。
この解説者のみならず、
モーツァルト自身にも責任があるかもしれないが、
ことほど左様に分類は難しい。

と、いいながら、この解説者は、共通した特徴も語りだす。
「これらはすべていくつかの特異な特徴を共通して持っている。
まず、他の形式の彼の室内楽に比べ、これらは比較的短い。
10の速い楽章のうち、200小節を超えるものは5つしかなく、
さらに驚くべきは、すべての遅い楽章は、アンバランスに長く、
かなりのウェイトを占めている。
また、音楽の構成は、直線的で、伝統に従っているが、
誰にも献呈されていない。
この単純さも合わせて考えると、
モーツァルトは公衆やヴィーンの出版者を喜ばせるように、
金儲けのために書いたように思われる。」

また、このような発言が出るのは困ったものだ。
私は最初、そうかと思っていて、
ようやく偏見から解放されつつあるのに。

しかし、著者も混乱しているのか、
あるいは自信がないのか、
これらの曲も、他のジャンル同様の高みに達したと、
後で書いている。

「特に、『ヴァイオリンとチェロを伴う
チェンバロまたはピアノフォルテのための3つのソナタ』
というタイトルで、
K.502、542、548を同時に出版した、
アルタリア社などを想定しており、これは、
1803年までに、ヴィーンで二回、
マンハイム、ベルリン、アムステルダム、
ブルンスヴィック、ロンドン、ボンの、
計8回再版されている。」

この時代、ピアノ三重奏の王者は、コジェルフで、
「このジャンルと作曲家の人気は、
似たようなものばかり作っていた類似性や、
これらの曲集が、数年して、欧州主要出版社から、
再版されたことからも明らかである」などと書かれていたが、
さすがモーツァルト、同等の人気ではないか。

なお、第二楽章が、一点豪華主義的に甘味なのは、
コジェルフの影響かもしれない、などと妄想してしまった。
両端楽章もあまり複雑にすると、
コジェルフに勝てなくなってしまう。

さて、ヴィーンでの第一作について。

「K.496の手稿を通じて、モーツァルトは、
赤いインクと黒いインクを使っている。
『フィガロ』を書いてすぐの数ヶ月をかけた、
自信と活力に満ちた素晴らしい音楽の価値が、
各パートの正しい配分によって保障されることを意識した、
その努力の結果にも見える。
ヴァイオリンはピアノとの応答で活躍し、
チェロも次第に主張を始める。
モーツァルトが、三重奏の音色を開拓しはじめたのは、
まさに、この曲の第一楽章展開部においてであった。
ピアノ協奏曲ト長調K.453と同様、終曲は、
しなやかなテーマによる生き生きとした、
6つの変奏曲からなっている。」

このように読んでみても、
このヴィーンでの第一作、
さすがに、ライヴァルひしめく中、
念には念を入れての挑戦だったように思える。

この5曲の中では、もっとも苦労したものかもしれない。
この曲だけが、単独出版されていることからも、
その自信が感じられる。
出版したのは、あのホフマイスターである。
この人はモーツァルトの弦楽四重奏曲第20番や、
ピアノ四重奏曲第1番を、ぽつんぽつんと出版したことで知られ、
そのおかげか、前者は、「ホフマイスター四重奏曲」などと、
呼ばれていたりする。

さて、この曲の演奏も、新旧の聞き比べで、
少し新盤の方が華やかな印象がある。
しかし、テンポなどは、寸分違わない演奏なので、
録音による鮮度の影響かもしれない。

あるいは旧盤のギレーのヴァイオリンは、
切れ味よりも、いくぶん、典雅さに
重点を置いているのかもしれない。
コーエンのヴァイオリンは、さすがにアタックなど、
思い切りがよく、それが演奏に推進力を与えている。

つまり、強奏の時の思い切りのよさも、新盤に分があるが、
これとても、録音技術によるものかもしれない。

第三楽章は新盤の方が変奏を克明に描き分けて行く感じ。

「K.502とK.542は18ヶ月も離れているとはいえ、
同じ文脈で捉えられ、K.496の優れた点をも越えて、
モーツァルトが高い霊感を得て、
他の室内楽と同様の傑作に並んだ。
K.542の作曲は、交響曲変ホ長調、
K.543の構想中のことゆえ、
まさに驚くべきことである。
K.502の第1楽章はスタイルの点でも、
メロディラインの点でも、
このロマンティックな調特有の暖かさと浮揚性において、
1784年の最初の変ロ長調のピアノ協奏曲、
K.450(第15番)の縮約された鏡像のようである。
変ホ長調のラルゲットの精緻さは、
名残惜しげに、豊かに装飾された音形に満たされている。
小銭からも奇跡を鋳造してしまう、
モーツァルトの天分のパラダイムに従い、
この111小節は、シンプルなフレーズを通じて、
メロディの優美さを花咲かせていく。
こうした深い親密さの後で、締めのアレグロは、
人工的に見えるかもしれないが、同じように素晴らしい。
多くの要素、強さとデリカシー、
豊富なメロディ、巧みな対位法が、ほのかに混合され、
協奏曲のスタイルが詰め込まれ、
3人の奏者は等しくモーツァルトの豊かな創意に遊ぶのである。」

前述のように、この曲は、ボーザール・トリオの新盤は、
かなり飛ばしている印象を受ける。
旧盤のテンポの方が私には快い。
が、逆に、旧盤で、いくぶん流され気味だったのが、
意欲的な演奏になっていると、言えなくもない。
難しいものである。

「三重奏曲K.542は、同様の完全な熟達にあるが、
ホ長調という調性ゆえ、異なった気質を持つ。
モーツァルトはめったにこの調を使わなかったが、
悔悟が入り混じる明るさ、無垢の喪失感など、
常にそれは怪しい輝きを伴っている。
第1楽章の著しく顕著な転調は、
こうした揺れるムードを強調する。
この凝集に対照させるように、
モーツァルトは、緩徐楽章を、
『アンダンテ・グラツィオーソ』と名づけて、
イ長調の叙情的な暖かさに転じさせ、
115小節という異常な長さをとった。
『田園詩』、『子守歌』とでも呼べる、
幸福な、長く引き伸ばされたメロディが、
彼の和声と対位法の妙技によって強められていく。
終曲のアレグロの名技性は並外れており、
半音階的な輝きのパッセージで増幅されている。
第1楽章に似て、いくつかの休止と、
転調以外は、滑らかな進行で輝く。」

この曲の第一楽章では、逆に旧盤の方が、さくさく進んで速く感じられる。
また、この曲の特徴となる、三つの楽器が、
華やかに、ばーんと弾ける部分では、
ヴァイオリンが扇情的になるのが、新盤の特徴であろう。

第二楽章では、シンプルすぎる主題が、
私には物足りなかったが、録音によって音色が美しく、
チェロなどの音に深みが感じられる分だけ、
新盤の方が好ましく感じた。

第三楽章などは余り変らないが、
ピアノのプレスラー自身、表情が大きくなっているようだ。
いずれにせよ、高度なアンサンブルであることは確か。

「K.564は二番目のト長調トリオであったが、
K.548はモーツァルトの唯一のハ長調のトリオであり、
いずれも磨きぬかれ、蜜をしたたらせつつ、
高度な楽しみもある。
しかし、これらには前の二作品にあった、
高貴な凝集がなく、心ここにあらずといった印象もある。
K.548の場合、二つの大交響曲(ト短調とハ長調『ジュピター』)の、
差し迫った完成によって乱された可能性がある。
また、おそらく、3曲セットで出版したかった、
アルタリアからのプレッシャーがあったかもしれない。
すでに書いたように、結局、1788年11月に出版している。
しかし、技法的には、K.548もK.564も優れており、
特にヴァイオリンとチェロの重要性は進化している。
両曲とも終曲に楽しげなパッセージを持つ。」

素晴らしい第二楽章については、
何も触れられていないのが残念だ。

この曲はボーザール・トリオの新旧比較で、
最も大きな差異が出たもので、
旧盤が繰り返しなしで、16分で演奏していたのに対し、
新盤は21分くらいをかけている。

旧盤はLP時代のもので、
LP二枚に6曲を収めていたので、
収録時間への配慮があったのかもしれない。

また、演奏も、それに合わせてか、いくぶん大柄になっている。

この曲に関しては、少し寂しげで切迫感を湛えた、
旧盤のギレーのヴァイオリンの音色に、
惹かれるものを感じる。

それでも、やはり、この曲は、
このボーザール・トリオの演奏は良いような気がする。
プレスラーのピアノがよく合っているような気がする。

「K.564において、少なくとも、モーツァルトは、
プロポーションの実験を行っており、
第1楽章はたった117小節しかなく、第2楽章も119小節しかない。
明らかに後者の後者は主題と拡張された変奏曲であり、
他の後期の曲種同様、彼は、バランス上の、
新しい着想を持っていたと思われる。
さらにK.564においては、歴史的に興味深い点がある。
この曲はモーツァルトの作品で唯一、
大陸よりも先に英国で出版されている。
1789年7月23日、作曲家のステファン・ストレースは、
ロンドンのStationer Hallに、
このK.564を含む、
『オリジナルのハープシコード曲集』第二巻を提出したが、
アルタリアは、1790年の8月まで出版していない。
ストレースは、妹のナンシーや、トーマス・アットウッドと共に、
1786年、モーツァルトの知己を得ている。
アットウッドは作曲を学んでもいる。
このことによって、ストレースは、
このトリオの初期の手稿を入手したに違いない。
こうしたことは、モーツァルトの承認なしに
なされうることではない。」

このあたりの解説は、余談のようなものだが、
あまり、指摘する人がいない事を、
改めて、詳しく教えて貰えるのはありがたい。

この曲は、新旧両盤で、あまり差異を感じることはなかった。
第二楽章は旧盤の方が淡々としていて、
ここでもギレーのややくすんだ色調に、
何となく懐かしさを感じた。

私としては、新旧両盤とも大切な感じがする。

なお、新盤では、問題視されるK.442が最後に収められている。
解説には、モーツァルトの未亡人が、
シュタッドラーに依頼して書き上げて貰ったとある。
この前のライカウの解説では、
この男が、勝手にモーツァルトの遺品を整理した、
といったような内容であったが、
どうやら、コンスタンツェの差し金であったようだ。

第一楽章は憂いを秘めたメロディでかなり楽しめる。
何となく尻切れトンボみたいな感じで終るが。

第二楽章は何だかシューベルト的な楽想である。
この部分だけは良いという人もいるが、
それも分からなくはない。
しかし、だんだんつまらなくなる。

第三楽章は、シンプルな狩りの主題の曲想ながら、
ピアノが縦横無尽に駆け巡る楽しげな音楽。

「モーツァルトはアレグロヘ長調(?)と
アンダンティーノト長調を1785-6年以前に書き始め、
アレグロニ短調は、手稿やスタイルから、
1788年の夏かそれ以降の作であろう。
最初の二つの断片は平均的な出来で、
何か不満があってモーツァルトが放棄したと思われるが、
アレグロは、創意に満ち、グランドマナーで書かれ、
モーツァルトの状態はベストである。
何らかの邪魔が入って完成されなかったのは残念でならない。」

狩りの主題の曲想は、コジェルフが好きなものなので、
あえて、真似しそうになる前に放棄したのかもしれない。

こうした曰く付きの作品であろうとも、
一部、 モーツァルトの曲想なのであれば、
こんな形で聴かせてもらえるのもありがたいことである。

概してボーザール・トリオの演奏は、
さすがこの道に注力した名手たちの安定した力を感じさせるもので、
旧盤と同様、後半の作品は素晴らしく、
前半の作品には、さらに華やぎを加えて、
言うことのない仕上がりと言える。

得られた事:「ボーザール・トリオによるモーツァルトの新盤の弦楽部隊は、ジュリアード四重奏団と所縁も深く、旧盤より表現の幅を広げている。」
by franz310 | 2009-08-16 13:39 | 音楽

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その186

b0083728_21441112.jpg個人的経験:
古典時代の音楽を分類する際、
ピアノ三重奏もピアノ協奏曲も、
「室内楽」には分類せず、
「ピアノ曲」として分類する例があるが、
前回のライカウの解説を読むと、
なるほど、という感じがする。
もともと、ピアノを弾く女性がいて、
パートナーが、時折、唱和する、
という感じで発達したものだという。


確かに、モーツァルトが最初に書いた、
ピアノ、ヴァイオリン、チェロのための三重奏曲(K.254)は、
書いた本人も、ピアノ三重奏だという感覚はなかったようで、
「ディヴェルティメント(喜遊曲)」などと題されているらしい。

この題名が、実はかなり、
話をややこしくしている。

この曲に第1番とつけるかどうかで、
後の番号が全部ずれるからである。

そんな事態を恐れたのか、
前回聴いたアベッグ・トリオのCDでは、
番号の記載はなく、
単に、その後の完成作も、
ト長調K.496、変ロ長調K.502、ホ長調K.542、
ハ長調K.548、ト長調K.564と、
極めて素っ気ない呼び方をしている。

この5曲に第1番から第5番の番号付けをした例もあるが、
その場合、「ディヴェルティメント」変ロ長調K.254は、
別ジャンルという扱いとなる。

ケッヒェル番号からも明らかに、
この曲のみが200番台で、
他のはだいたいが500番台であるから、
これはこれで、筋が通っている。

一方で調性で呼ぶにも問題がある。
どの曲かと指定するときに、
「ト長調」のものが、と書くと、
候補が二曲になってしまうのである。

3桁のK番号まで覚えるのは大変なので、
やはり「第1番」と呼んだりしたくなる。
実際、トリオ・フォントネのCDなどでは、そうなっている。

私の頭の中では、
この英雄的な曲想を持つ作品(ト長調K.496)は、
明らかに前作とは別格の趣きを湛えており、
「第1番」と呼びたいところなのだが、
話は単純ではない。

一方で、老舗ボーザール・トリオなどのCDでは、
何のためらいもなく、
K.254もまた、「ピアノ・トリオ」と記載されている。
この場合は、「ト長調K.496」は、
当然、「第2番」となってしまう。

さらに書くと、成熟期の5曲についても、
モーツァルト自身は、「ピアノ三重奏」とは思っておらず、
「テルツェット」という名称を使ったらしい。

長々と書いたが、このような理由もあって、
モーツァルトのピアノ三重奏曲は混乱しがち、
頭の中での整理が難しく、
なかなか人気が出ないのではなかろうか、
などと考えた次第である。

そう思っていると、
このボーザール・トリオのCDでは、
なかなか興味深い指摘によって、
これらの作品の性格をうまく表わしていた。

なお、このCDは、かつてフィリップスが、
「DUO」シリーズとして出していたもので、
廉価盤であるがゆえに、シンプルなジャケット。
デザインの絵は、「Helmut Ebnet,Milan」とあるが、
そこそこ優美で、上品でもあって悪くない。

ただし、よく見ると、
左上にCDの絵が二つ、
左下に「2CD」とあり、
右上には、「140min+」とあって、
右下には「DUO」とあるのは、いかがなものか。
割安であることを、ここまで訴える必要があるのだろうか。

さて、このモーツァルトの解説は、
ベルナルト・ヤコブソンという人が書いている。
題して、「ピアノ三重奏曲の成熟」。

多くの日本人の理解では、
成熟するのはベートーヴェンになってから、
という認識であろうが、是非、こうした論点で、
おそらく100年以上変わっていない認識を改めて頂きたい。

「ピアノ三重奏曲がその成熟に到ったのは、
モーツァルトと年長の友人ハイドンの作品においてであった。」

確かにそう書くのは簡単だが、
彼らの成熟期の作品の作曲年代を、
ここで整理してみると、下記のように、
必ずしも同時期のものではない。
(ちなみにハイドンのものも、
私の頭の中では番号の混乱がある。)

1786年:モーツァルト、2曲作曲
1788年:モーツァルト、3曲作曲

1794年:ハイドンの三曲出版
(M・T・エステルハーツィ夫人用)
1795年:ハイドンの六曲出版
(M・J・エステルハーツィ夫人、シュレーター夫人用)
1797年:ハイドンの三曲出版。
(バルトロツィ夫人用)

このように、ハイドンの成熟はモーツァルトの、
1791年の死後になってからであった。

ということで先を読むと、
「モーツァルトは8歳の時、
鍵盤と二つのメロディのために6曲を作曲したが、
これらは基本的にヴァイオリンかフルート、チェロの、
随意の伴奏を伴ったハープシコード・ソナタと言えよう」
とある。

普通、これは、モーツァルトが子供だったから、
未熟な作品を書いたと考えてしまうところだが、
どうも、そうした様式の時代だったと読むべきなのだろう。
何ともおそるべき小童である。

「ディヴェルティメント変ロ長調K.254は、
12年後の1776年に書かれたが、
このパターンを受け継いでいる。
厳粛で印象的な中心のアダージョでは、
ヴァイオリンが独立して、翼を広げるのが聴かれる。
しかし、第一楽章やメヌエットのテンポの、
フランス風ロンドの終曲を通して、
逆にヴァイオリンはピアノを伴奏するばかりで、
チェロはほとんど常にピアノの左手を補強しているだけである。」

プレスラーのピアノ、ギーレのヴァイオリン、
グリーンハウスのチェロからなる、
ボーザール・トリオの、この曲の演奏は、
ピアノの愛らしい響きと、
比較的控えめな弦楽の響きがマッチするのか、
落ち着いて楽しめる。

こんな感じで、さっと終っているが、
この「ディベルティメント」は、楽しい音楽であることは、
もっと強調されて良いような気がする。

しかし、アベック・トリオの推進力と、
表現意欲のある演奏に比べると、
ボーザール・トリオの演奏は、
あまりに典雅にすぎ、
前回、まるで英雄のように舞い上がった、
私の頭の中での「第1番」ト長調K.496などは、
少女の弾く、ピアノ・ソナタにすぎないような感じがして、
少々、ものたりない。

1967年とか70年の録音のようなので、
当時のモーツァルト観はこんな感じかもしれない、
などと納得できたりする。

これまで、このCDを聴くことがなかったわけではないが、
この曲あたりが最も印象が薄かったような気がする。
淡々としたボーザール・トリオのスタイルでは、
魅力を発掘され尽くしていないのだろう。

特に、グリーンハウスの表現意欲は、
あまり高くないような気がする。

解説も、下記のようなもので、
ピアノ・ソナタとの折衷的な作品という感じで、
改めて、この曲種に賭けるモーツァルトの心意気は、
どこからも感じられない。

「常に参加する、
重要な二つの弦楽パートを持つ、
本格的な室内楽スタイルへのシフトは、
10年後、1786年7月から
1788年10月の間に書かれた、
モーツァルトの最後の5つの三重奏に始まる。
K.496、ト長調のトリオは、
実際、作曲家は、手稿に『ソナタ』と書いているが、
ピアノ・ソナタのように開始する。
しかし、すぐにヴァイオリンもチェロも参加して、
より拡張された役割を演じ出す。
流れるような6/8拍子のアンダンテでも、
これらは対話を続けるが、終曲においては、
6つの変奏とコーダを伴う元気のよい主題が、
チェロは、モーツァルトのトリオで初めて、
強烈な個性を発揮しはじめ、
第4変奏では、他の楽器には真似できない、
力強く表現力豊かなメロディ・ラインで、
短調のテクスチュアを下支えしている。」

しかし、終曲に、変化に富む、
長大な変奏曲を持って来た、
この曲の特異な構成は、
ピアノ・ソナタの概念を遥かに超えており、
もっと、特筆されてもよさそうなものだ。

第一楽章のピアノの歌い出しばかり強調されている限り、
この曲の真の理解は深まらないような気がしている。

さて、次が、K.502の解説で、
アインシュタインなどはこの曲を最高傑作と考えた。

私も、実は、この曲の冒頭から聴かれる、
夢見がちな側面も併せ持つ、
わくわくするような楽想を聴いて、
そんな気がしていた。

しかも、妙にがっしりした構成感も持っていて、
各楽器が妙技を繰り広げる。
チェロの瞑想的な色調もばっちり活かされている。

しかし、モーツァルトのピアノ三重奏曲のややこしい点は、
このあと、三曲も続くところで、最高傑作に到達したら、
それで良いという世界でない点である。

解説にはこうある。
「チェロが古くからの従属的な役割から
解放されることはないのだが、
残りの四つのトリオは、ほぼ全体を通して、
真の楽器のコラボレーションとなっている。
1786年11月に完成された、
変ロ長調K.502のトリオは、
有機的形式構造の熟達の証で、
豊かな創意の好例となっている。
同じ6つの音符からなる、小さな音型が多用された、
第一楽章も、再びガヴォットの終曲も
協奏曲風の華麗さと、強烈に活動的な感覚を呼び覚ます。
華麗に装飾された中央のラルゲットもまた、
さらに壮大なモーツァルトの協奏曲の緩徐楽章に似ている。」

第二楽章もまた、歌謡性に満ちていて親しみやすい。
儚いような懐かしいような感じが漲っていて美しい。
第三楽章の弾むようなリズムも、
ぴちぴちしたピアノの流れも愛らしく、
まさしくピアノ協奏曲の小型版という感じである。

古くから名曲として認められていたのであろう、
ボーザール・トリオの演奏でも楽しめるのだが、
アベッグ・トリオのように浮き立つようなところがない。

が、しっとりとした味わいは、こちらでも良い。

私がかつて、古本屋で見つけたものに、
このボーザール・トリオが、
1969年に大阪で開いたコンサートのパンフレットがあるが、
当時は、「ニューヨーク・ボーザール・トリオ」
と呼ばれていたようだ。

「ボーザール(BEAUX ARTS)」が、
何のことかも書いてないが、
「1955年、ピアニストのメナヘム・プレスラー、
バイオリニストのダニエル・ギーレ、
チェリストのバーナード・グリーンハウスによって結成され、
『新鮮な肌触り』『一糸乱れぬアンサンブル』
『個人の謙虚な人格の反映』など、共通の好評を得ている、
アメリカの名ピアノ三重奏団」
とあり、最後の『謙虚な人格』というのが、
非常に印象に残る。

謙虚な人格が必ずしもモーツァルトの作品を演奏するのに、
相応しいとも思えないが、この演奏を聴いていると、
そんなものかもしれないと思う。

彼らについては、
「結成以降、北アメリカ、ヨーロッパ、イスラエル、
アフリカ、中近東等で約2000回の公演記録を樹立」と続く。

巨匠たちの讃辞に、
「感動の演奏、完全無欠のアンサンブル」
(トスカニーニ)
「久しく聴けなかったピアノ三重奏曲の醍醐味。
これこそカザルス、コルトー、ティボーの
ゴールデン・トリオの後継者だ」
(シャルル・ミュンシュ)
とある。

しかし、
「アメリカで聴いた最高のトリオ」
(ロベール・カザドシュ)
というのは、完全にルービンシュタインや、
ハイフェッツらへの当てこすりにも思え、
「恐くなるほど完全な芸術性」
(ジノ・フランチェスカッティ)ともなると、
ちょっと大げさにすぎるような気もする。

ちなみに、写真ではプレスラーがいちばん若く見え、
禿げたギーレは年配に見える。
しかも、ギーレはフランス生まれで、
エネスコやティボーに師事したとある。

トスカニーニが絶賛した理由もあるようで、
彼が結成したNBC交響楽団のコンサートマスターだという。

グリーンハウスはアメリカ生まれのようで、
奨学金を得て渡欧してカザルスの弟子になったとある。
これら二人の弦楽奏者は、共にストラディバリウスを使っているとある。

このモーツァルトを聴きながら、
そこまで聴き通せれば、かなり楽しいだろう。

このようなアメリカの星であるから、
当時からベートーヴェンやシューベルトの全集を作っていたとある。

さて、このモーツァルトのCDに戻ると、
実は、ここからが、この解説の面白い所なのである。

これらの三重奏曲をモーツァルトの大名曲、
三大交響曲になぞらえて、示唆される事が多い。

「次の二つのトリオで、最後の三大交響曲の時代に入る。
ケッヒェッルのモーツァルトのカタログで、
ホ長調のK.542は、交響曲第39番(K.543)の前に位置し、
ハ長調のK.548は、この曲と、
交響曲第40番(K.550)、
交響曲第41番(K.551)の中間に、
一つ違いの番号で位置する。
そして、ハ長調の三重奏曲は、
同じ調性の交響曲第41番『ジュピター』になぞらえられる。」

と、続く二曲は概観され、各曲の解説が始まる。

まさか、ピアノ三重奏が、
交響曲と一緒に論じられるとは思わなかったので、
この切り口は大変、新鮮である。
特に、私としては、39番の交響曲は、
本当に昔から聞いて来たものなので、
こうしたアプローチには胸の高鳴りを禁じ得ない。

さて、このK.542の三重奏である。
「1788年6月のホ長調のトリオと、
同時期の交響曲(39番)は、共に、
ゆっくりとしたアレグロの第1主題が、
3度にわたって、急速に上昇する音階によって変化し、
付随の主題は、優しくスラーで減衰する二音に消えていく。」

確かに、その格調の高さにおいて、
あの交響曲を思わせ、
激しく上下に駆け巡るピアノの音階や、
優美な第2主題などもどこか、
交響曲の第一楽章を思い出させる。

ボーザール・トリオのCDでは、
この曲が冒頭に収められるので、
関係者は、この曲、または演奏に自信があったと思われる。

「続く、アンダンテ・グラツィオーソは、
交響曲におけるアンダンテ・コン・モートの、
付点リズムで構成されている。」
何だか子守歌みたいな音楽だと思っていたが、
そう言われると、あの交響曲もそんな風に聞こえなくもない。

「三重奏曲は伝統に従って、
メヌエットを持たない点は、
これらの二曲の違いになっているが、
終曲のアレグロは機知に富むとはいえ、
交響曲の移り気なフィナーレよりも、
がっちりとしたものである。」

6分に満たない長さで、
急速に走り去る、あの魅惑の交響曲の楽想より、
確かに、7分近くかかるこの曲の終曲は、
虹色の色彩を放射しつつ、
途中、運命の動機まで登場させたりもして、
よりまじめで、腰を落ち着けたような感じがする。

確かにこの曲のように、かなりの出来映えでありながら、
不当にも無視された作品の場合、
こうした紹介のされ方は有効であろう。
交響曲第39番のファンは、ひょっとするとこの曲のファンに、
取り込めるかもしれないからである。

しかし、繰り返しになるが、
個人的には、この第二楽章は、
あまりに呑気な楽想に聞こえる。
第一楽章でかなりの高みにまで登った後ゆえ、
急に童謡みたいになるのが不自然である。
アベッグ・トリオは、そのあたりを心得てか、
少し、辛口のアプローチである。
そっけなく弾いて、中間部の激しい所に重心を移している。

「1788年7月14日に完成された、
ハ長調のK.548は、同様に、
二つの楽章に関して、対応する交響曲に類似している。」

これまた、すごいことである。
39番よりもずっと知名度の高い「ジュピター」に類似だと言う。

「大きな演奏会場では当然かもしれないが、
室内楽においては珍しい、注意を喚起するような、
序奏で、これらの作品は共に始まる。
共に、小さな半音階的楽節に満ち、
入り組んだ対位法が駆使されている。」

確かに、聴衆の注意を向ける、
狩りの角笛のような呼び声から始まるが、
これは、「ジュピター交響曲」を思い出すのは困難である。
その後の幽霊のような不思議なパッセージの連続もまた、
高度な技法と緊張感を湛えて独自の美感を持つが、
壮麗な交響曲とは別種の感じ。

急にスピードを上げて駆け出すあたりは、
一瞬、同様の雄大さを獲得するが、
すぐに、悲しげな断片的な音楽に入り込んでしまう。

「ジュピター」に似ているかどうかは別にして、
これはこれで、独自で孤高の音楽のようだ。

「そして、両作品とも、
幅広い、3/4拍子による、
アンダンテ・カンタービレの緩徐楽章を持つ。」

この第二楽章は、前の曲よりは私の心を打つ。
モノローグ風の楽想は沈鬱で、
作曲家の心に直に触れるような気がする。

途中で、絶叫するような楽想が乱入するのは、
いったい何事であろうか。

非常に清らかな境地に立ち入って行く様子が素晴らしい。
モーツァルトの三重奏曲の白眉と言えよう。

「ここでまた、三重奏曲の第三楽章、
つまり終楽章は、交響曲とは別の道を行くが、
かすかに狩りのロンドの雰囲気を持ち、
誇張ではなく、内的な類似性として、
下降するファンファーレは、
この曲の冒頭の上昇モチーフと対応している。」

ここに書かれているとおり、軽快な狩りの音楽。
先ほどの悲しみはどこに行ったのかという感じで曲を終える。

これはかなりの問題作である。

なお、この曲は、1969年の
ボーザール・トリオの来日公演でも演奏されたようだ。

彼らは、二つのプログラムを用意していて、
二番目のものに、モーツァルトも取り上げられているのである。
「第6番ハ長調K.548」とあり、
かなり混乱する。
偽作のK.442をカウントしたナンバリングになっている。

寺西春雄氏の解説によれば、モーツァルトのヴィーン進出から、
ピアノの発展史の後、ようやく曲に関する記述があり、
9行しか割かれていない。

当時のモーツァルト受容からして、
これが限界であったのだろうか。

「ハ長調K.548は、1788年7月に完成したもので、
経済的な苦境のさなか、
驚くべき多作ぶりをみせていたころの所産である。
明快簡潔、モーツァルトのみずみずしい音楽性は、
家庭的な演奏の喜びと共に、
この曲に寛いだ楽しさをもたらしている。
晴朗率直な第1楽章、
流暢に歌う叙情的な第2楽章、
軽快でロココ風の優雅さを示す第3楽章」。

別にこの曲でなくても成り立ちそうな解説で、
今日では何の役にも立たないが、
おそらくこうした解説は、
今でも、巷にあふれかえっていると思われる。

それはともかく、ボーザール・トリオが、
この曲を、モーツァルトの代表作の一つとして、
ベートーヴェンの「幽霊」や、
メンデルスゾーンの「第1」に先立って
演奏したことが分かる。

ベートーヴェンもメンデルスゾーンも、
彼らの代表作として長らくレコードでも聴かれてきたものである。

ちなみにもう一晩の方は、
ベートーヴェンの「作品1の3」、何と、ラヴェルのトリオ、
そしてシューベルトの作品99が演奏された模様。
曲目だけなら、迷わず、こちらに行くだろう。

しかし、プレスラーの清らかな軽めのタッチからすると、
この曲やメンデルスゾーンの方が向いているかもしれない。

なお、このCDでは、この曲は、一枚目の最後に収められている。
この曲の場合、アベッグ・トリオよりも、
ボーザール・トリオの演奏に惹かれるものを感じた。
アベッグ・トリオは、流麗なのだが、
何だか回想の音楽になっていて、
切迫するような寂しさが感じられなかった。

ボーザール・トリオの場合、
プレスラーが、噛みしめるような歩みを見せ、
ヴァイオリンもチェロも、何だかこらえきれないような表情で、
感情を押し殺した響きで、この曲を彩っている。

このCDの、「三大交響曲」との対比の解説によって、
グレート5曲のうちの「第3」、「第4」
(こう書くと、弦楽五重奏の名作のようだ)
の性格が明らかになったので感謝している。

さて、最後の作品は、K.564で再びト長調となる。
グレート5曲の「第1」と「第5」は同じ調性となった。

解説にはこうある。
「評論家は時折、このシリーズの最後の作品、
ト長調K.564が、前の作品群に比べ、
質的に落ちて来ていると言うが、こうした評価は、
モーツァルトのような巨匠に関しては、
少し危険である。
終楽章同士、6/8拍子の、
軽やかな狩りのリズムが似ている、
最後のピアノ協奏曲のように、
外見上は野心的な前の作品群に対し、
この素晴らしい一群を慎み深く締めくくる、
魅力に溢れた無垢な作品と見なすほうが賢明と言える。」

確かに、3年後の死の年、1791年作曲の
最後のピアノ協奏曲(K.595)の終楽章と、
この曲の終楽章はそっくりである。

ピアノ協奏曲は1月の作品で、
この曲は10月の作品なので、
2年ちょっとしか時期の差異はない。

「第1楽章は、牧歌的なミュゼット舞曲の効果を有し、
中間楽章は、巧妙な3/8拍子の主題と6つの変奏で、
5番目の変奏は短調である。」

第1楽章からして、まったく力の抜けきった音楽で、
緑なす田園風景の単純さに悲しみが交錯し、
不思議な魅力を湛えている。
このあたりになると、私の興味も、
どの楽器がどのように動いているかなどは、
もう、どうでも良くなってきている。

第2楽章は、厳かなメロディーによる変奏曲で、
ハイドンの「皇帝賛歌」に似ているが、
ハイドンの方が、10年近く後の作品である。

何だか、白昼夢のような感じで、生気がなく、
ボーザール・トリオの演奏も、操り人形のように、
力が抜けきっている。

しかし、この解説、もはや神品とも思える、
最後のピアノ協奏曲と比べるとは、憎い技である。
そんな作品だと思うと、
何だか、ものすごい名作なのではないだろうか、
と思えて来るではないか。

しかし、この曲は、単に以前の作品の編曲だと言う説もあるらしい。
ちなみに、この曲もボーザール・トリオは悪くない。
例のパンフレットによると、ピアノのプレスラーは、
モーツァルトのピアノ協奏曲第17番や、
第24番のレコードも出していたようで、
このあたりの様式は得意にしていたのだろうか。

逆にアベッグ・トリオの場合、
その持てる表現力を、最後の二曲ではどうしていいか分からん、
という感じになっている。

このように聴き進むと、
後期の5大トリオは、私の頭の中で、
1.聴きようによっては「英雄」風。終楽章は変奏曲。
2.ピアノ協奏曲風で最も、最も夢見がちなモーツァルト。
3.「交響曲第39番」風。第2楽章が子守歌風で残念。
4.「ジュピター」風。第2楽章は不思議な寂しさで白眉。
5.「ピアノ協奏曲第27番」風。第2楽章は「皇帝賛歌」風変奏曲。
という感じで整理された。

なお、この二枚組CDには、
クラリネット三重奏曲K.498も最後に収められている。
これはブライマーらの演奏で、
ボーザール・トリオとは関係がないので省略。

得られた事:「モーツァルトのピアノ三重奏曲の大部分はケッヒェル500番代で、最後の3曲は最後の交響曲や最後のピアノ協奏曲らと関連を持つ不思議な境地。」
by franz310 | 2009-08-09 21:55 | 音楽