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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その219

b0083728_7584627.jpg個人的経験:
ピアノ引き比べ大王、
オールトのピアノによる
「夜想曲」集のCDセット、
フィールドやショパン以外に、
知られざる作曲家たちの作品が
たくさん聴けるから、
という事によっても購入を決めた。
しかも、よく知られたフォーレや、
グリーグではない、聴いたことのない
作曲家が集められている。


クララ・シューマンや、グリンカ、
カルクブレンナーはともかくとして、
特に、ハイドンの弟子、プレイエルの息子、カミーユの作品など、
こういった機会でしか聴けないような気がする。
また、他のLefebure-Welyは読めないし、
シマノフスカ、ドブルジンスキイなど、
聴いたこともない作曲家満載。
エドモンド・ウェーバーってなに?

この人に至っては、生年、没年も書かれていない。
もちろん、「魔弾の射手」の大作曲家、
カール・マリア・フォン・ウェーバーではない。

ということで、早く聴いて見たい。
というか、何だか分からなすぎるので、
解説が先だ。

聴いて見ても、ショパン風の夜想曲が、
次から次へと聞こえるだけである。

虚心に耳を澄ませば、
それらの差異が分かるのかもしれないが、
虚心になるのは難しく、
時間を見つけるのも難しい。

いくら、虚心になってもても、
ピアノ学習者でも、
ショパン愛好家でもない私には、
ショパンとの違いも良く分からないという有様。

このような現象に遭遇すると、
大作曲家とは、いったい、何なのか、
という疑問にぶち当たる。
この中に一曲、ショパンを入れて、
果たして、これだけが別格だ、
などと言えるのかどうか。

もちろん、作品62のような晩年の、
至高の境地は、ショパンならではのものと言えるだろうが、
そこまで壮絶なものは、ここにあるとも思えなかった。

さて、このCD4枚組通して、
最初の解説は、オールト先生ではなく、
Clemens Romijnという人が書いている。
このRomijn氏の「j」は、どう発音するのだろう。

「『夜想曲』という名称は、
分散和音の伴奏による表現力豊かなメロディーが奏でられる、
何か、メランコリックで、けだるいスタイルで書かれた、
ロマンチックな性格小品に、一般に使われる。」

ということで、つい先般、
ハイドンの「ノットゥルノ」について、
マルティン・リンデが書いていた時代と、
かなり年代の開きを感じる。

そこでは、「ノットッルノ」には、
夜を想起させるものはない、
といった事が書かれていたはずである。

「ノクターン(夜想曲)は、
特にショパンの詩的な創作を通じ、
19世紀はじめに、
ピアノ小品の特別なジャンルとなった。
ピアノの夜想曲の開拓者は、
アイルランドの作曲家、
ジョン・フィールド(1782-1837)であって、
彼からショパンは、アイデアと題名を頂戴した。
フィールドは、1813年から1835に書いた、
少なくとも19のピアノ小品に、この題名を与えた。
彼の書法は明らかに独特で、当時の最新のピアノの、
音響を開発したものであった。」

という事で、早くも、このCD集ならではの
こだわりポイントが出てくる予感がする。

「ソステヌート・ペダルは、
片手を常時使う必要があった、
伴奏和音のアルベルティ・バスを超えて、
特に和声伴奏パターンの幅を広げることを可能とした。
フィールドの夜想曲のメロディは、イタリアオペラ(ロッシーニ)の
コロラトゥーラ装飾のカンティレーナに鍵盤を変え、
1800年代初期に、彼はこれでロシアで知られるようになった。
リストによると、フィールドの夜想曲は、
それまで、『無言歌』、『即興曲』、『バラード』など、
様々なタイトルで呼ばれていた多くの作品に道を開き、
フィールドは、個人的な深い感情を
表現するのにふさわしい小品の創始者となった。』」

何だか、よく分からないが、
「フィールドは」と書かれたところを、
「ソステヌート・ペダルは」と書いてもおかしくない感じ。
このCDセットの歴史観では、
楽器が作曲家を産むのである。

「フィールドのショパンへの影響は、
彼らの夜想曲を比較すれば見え見えである。
ショパンは1833年までフィールドに会わなかったが、
パリでフィールドの作品を弾いたのは明らかで、
それを使って指導もしている。
ワルシャワ時代の初期から、彼はそれに親しんでいたと思われ、
1818年から、フィールドの作品は、
そこで演奏されていた。
ショパンは、フィールドの作品が、
しばしば欠いた堅固な様式感を、
21の夜想曲に与えた。
そこで彼はさらにピアノの表現力を拡張し、
構成感をリファインし、和声の織り目をずっと豊かにした。」

こんな風にまで書かれたフィールドを、
本当に聴く必要があるのだろうか、
と考えさせられるような解説である。

だめ押しで、こうも書かれていて、
断然、ショパンのが王様、という感じ。
さっと聴いただけで、ショパンを超えてるな、
と思うものは見つからなかったのも、
無理はないということか。

下記はショパンについて。
「一般にフィールドのものより音色は陰鬱であり、
作品72の1の憂鬱から、作品9の3の諧謔味まで、
また、作品9の2の単純さから、
作品62の2の豊かなクライマックスまで
ムードのレンジは広い。
しかし、メランコリーはそれらの大部分を占める。
多くのメロディが、最初にさらりと下降して、
もの思いに沈んだ、
内省的な雰囲気を高める(作品9の1や72の1)。
夜想曲の大部分は、基本的にABAの三部形式をとる。
しかし、最初の主題は再現時に、
ショパン特有の装飾を施されている。
いくつかの作品は中間部でドラマティックに荒れ狂い、
ピアニストにかなりの負荷を与えると共に、
タイトルから想像される以上に劇的な緊張感を作品に与える。
再現部は時に燃えさかる中間部の沈静であり、
あるときは、クライマックスの繰り返しとなる。
聴衆の予想をよく考慮して、
ショパンはよくこのタイミングで、
驚きの要素を導き、
時として反復を省略する(作品15の3や作品32の1)。
ショパンの夜想曲は19世紀フランスの音楽的朗読であり、
アルフレッド・ミュッセの詩句、
『いちばん悲しい歌はいちばん美しい』を思い出させる。」

確かに、これだけ、よく、
似たような物憂く、けだるいものを集めたものだ。

以下、このCDでピアノを弾いている、
ファン・オールトの文章である。
いよいよ、実践的おたく発信。
オールトは、概論も俺が書く、
と言わなかったのだろうか。

「ショパンの同時代者たち:
(1837年のエラール、エドウィン・ベウンクのコレクション)
フィールドの夜想曲は、
様々な国の多くの作曲家に影響を及ぼし、
夜想曲は、何世代にもわたって
作曲されるジャンルの作品となった。
夜想曲第1番、第2番、第3番の出版された、
1812年以降、彼の作品は広く出版された。
ショパンの作品1が出版され、
また、このCDに収められた他の作曲家の夜想曲
(マリア・シマノフスカ)の最も古いものが出版された、
1825年以前に、彼の作品は、
楽譜として手に入れることができた。
しかし、夜想曲が書かれたのは、
主に、英国やフランスの楽器が
使えた国であったことは、特筆すべき事実である。
ヴィーンとドイツでは、非常に限られた夜想曲しか書かれず、
ヴィーンの楽器は、より古典的な性格を持ち、
ノクターンを有名にしたカンティレーナに、
英国式や、それをもとにした、
フランス式の楽器ほどには向いていなかった。」

シューベルト存命中も、夜想曲は出回っていたはず。
シューベルトは何か、反応したのだろうか。
ちなみに、シューベルトにも、「ノットゥルノ」という、
「ノクターン」のイタリア語に相当する作品はあるが、
これは、出版社がシューベルトの死後、
勝手に、つけた題名である。

ちなみに下記文章では、
シューベルトと関係のあった、
フンメルが登場している。

「例えば、1822年にフンメルは、
欧州大楽旅の一環でモスクワを訪れた際、
フィールドに会っている。
フィールドに霊感を得て、恐らくモスクワ滞在中に、
フンメルは4手のための夜想曲を書いており、
それを一緒に演奏した。」

ピアノの名手、フンメルとフィールドの共演、
素晴らしく興味をそそられる光景である。

これまで読んで来たように、ヴィーン式ピアノと、
英国式ピアノの激突になったのだろうか。

この時の体験を、シューベルトはフンメルから聴いた、
何てことはないだろうか。

以上読んで来たように、
フィールドの1812年の作品から、
ショパン初期の1830年の作曲まで、
18年の歳月があることが分かる。
その間も、フィールドにあやかろうとした人はいただろう。
例えば、このCDで最初に登場する、
カミーユ・プレイエルの作品などは、それを明記している。

が、この解説、以下のように、
国別の状況紹介が列挙される形式をとっている。

「ポーランド:
マリア・シマノフスカ(1789-1831)は、
全欧州にとどろいた名演奏家で、
ジョン・フィールドに学び、
1822年にロシア宮廷の第1ピアニストになり、
このような立場で、
『ささやき』を作曲した(1825年パリ出版)。
1828年、ペテルスブルクに居を構え、
グリンカはしばしば彼女を訪れた。」

ということで、フィールドとショパンを繋ぐ位置にいる。
この女性は、1789年生まれというから、
シューベルトより8歳年長。
1822年と言えば、33歳で栄誉ある地位についたということ。
この夜想曲は36歳の出版。

Track10に、この人の作品がある。
「ささやき」というだけあって、
たらたらたらと細かい動きが特徴の作品。
中間部で、不安な動悸のような低音が鳴る。
2分で終わり、シンプルなものながら、
耳を傾けさせるものである。
あまり、フィールド風でもないので、
このCDでは、目立つのかもしれない。

「イグナチイ・フェリクス・ドブルジンスキイ(1807-1867)は、
ショパンと同時期にワルシャワでエルスナーに学んだ。
1833年と1834年作曲の彼の夜想曲作品21と24によって、
彼は最初期の夜想曲作曲家に数えられている。
ショパンの強い影響を感じさせるが、
これらの曲の質と独自性は、
このほとんど忘れられた作曲家の作品の興味を呼び起こす。
再発見された彼の1824年の『ピアノ協奏曲ヘ短調作品2』は、
天才の作品と見なされている。
ポーランドの夜想曲の伝統は、偉大なピアニスト・コンポーザーである、
アントン・ルービンスタイン(1829-1894)や、
イグナツ・パデレフスキ(1860-1941)に受け継がれた。」

このドブルジンスキイは、このCDでは特待生で、
Track11から15という、全15トラック中、
三分の一という、後半の5トラックにわたって、
繊細な夜想曲が収められている。

Track10と11は、作品21の1と2。
作品21の1は、右手の妖精のような動きがデリケートで、
きらきらときらめいて独特の効果を出している。

作品21の2は、もっと落ち着いた作品で、
ゆっくりと歌われるメロディには、
節が付いて歌曲になりそうだが、
ショパン風という以上の特徴は分からない。

Track13と14は、作品24の1と2。
作品24の1も、夜想曲風の伴奏を持った、
歌曲といった風情の音楽で、
こぶしも効いて、歌謡曲にでもなりそうである。

作品24の2は、何かを夢見るような楽想で、
これまた、演歌の一種のようである。

ショパンも多くの夜想曲を2曲ペアで出版したが、
これらは、それに倣った感じだろうか。

Track15は、ト短調の夜想曲が収められ、
題名に「Pozegnanie」と書かれているが、
何の事か私にはわからない。

これなど、深く歌いこむのがショパンと同じ感じで、
オールト先生が、この作曲家を激賞し、
あえて、破格の扱いをした理由がわかるものではない。

この作曲家は60歳まで長生きしたようなので、
その後、初期の初々しさを失ったのだろうか。
これら5曲が彼の夜想曲のすべてなのかどうか分からないが、
ショパンのような深まりを見せなかった場合、
「作品2」を書いた最初期は同等であっても、
忘れ去られるリスクも高そうだ。

このピアノ協奏曲は、録音されているのだろうか。

ちなみに、最初の曲が、私には最も個性的と思えた。

「ロシア:
学生時代、ミカイル・イヴァノヴィッチ・グリンカ(1804-1857)は、
ジョン・フィールドから3回、ピアノのレッスンを受けている。
疑いなくフィールドや、マリア・シマノフスカとの
交流から霊感を受けた彼の夜想曲は、
1828年、ロシアを離れ、
イタリアに向かう直前に作曲され、
彼の初期のスタイルの代表例となるものである。
グリンカは何世代もロシアの作曲家に多大な影響を与え、
特筆すべきはミリィ・バラキレフ、チャイコフスキー、
1860年の少年時代の『夜想曲』が未出版である、
リムスキー・コルサコフやボロディンである。
他にアレンスキー、グラズノフ、カリニコフ、スクリャービンが、
一曲か数曲の夜想曲を書いている。」

Track9に、グリンカの夜想曲が聴けるが、
シューベルトの死の年の作品。

これは、ショパンの作品より早いということであろうか。
フィールド、シマノフスカのラインで、
ロシアで書かれたものということだとすると、
非常に興味深い。
中間部の豪華な装飾や、精妙な輝きは、
チャイコフスキーにつながるような華麗さで、
面白く聴ける。

グリンカはロシア国民楽派の祖とされるが、
この曲を聴いた感じでは、きらびやかなサロンの作曲家であって、
ロシアの風情は感じられない。

「フランス:
1832年2月26日、ショパンはパリでデビューした。
彼はその成功を手紙に書いている。
『有名な人たちがレッスンを求め、
フィールドと並び称された』。
若い頃、ショパンはポーランドで、
フィールドの作品は、知っていたかもしれないが、
1833年、パリで実際にその演奏を聴いた。
フィールドのパリ訪問は20年の時を隔てている。
最初の登場は1802年のことであり、
20歳になっていた。
1832年から33年、3回のコンサートを開き、
様々な、大筋、熱狂的な評価を得た。
批評家のフェティスは、聴衆の反応を、
『有頂天になった』と書き、フィールドの事は、
『無限のニュアンスを作り出すほどには、
打鍵の技術は飛び抜けてはいなかった』と付け加えた。
これら2回の訪問の間に、
フィールドは出版された作品を通じて、
その評価を高めていた。
結果として、夜想曲は、
多くのパリの作曲家によって書かれ、
ショパンの作品で頂点に達した。」

何故、ショパンの作品が収録されていないのに、
ここまでショパンを紹介するのかは、理由不明。

頂点の作品だけ聴けばいいような気もするが、
ここまで書いてからだと、仕方ないので聴き進む。

「作曲家で、楽譜出版者、ピアノ製造家の、
イグナーツ・プレイエルの息子、
カミーユ・プレイエル(1788-1855)は、
1830年のフィールド風のノクターンで、
新風を吹き込んだ。
このとき、彼はすでに父親のピアノ事業を引き継いでおり、
ショパンが来てからは、親しい友人になった。
ショパンは、彼のモーツァルト演奏を、
このように書いて称賛している。
『モーツァルトの弾き方を知っている現存する最後の人、
それがプレイエルだ。彼は喜んで、4手のソナタを一緒に弾いて、
教えてくれた』。」

1788年生まれと言えば、
シューベルトより10歳近く年上であり、
ショパンより、20歳以上年長である。

Track1は、晴れて、この作曲家の作品で始まる。
1830年というから、ショパンの初期作品と同時期の作曲。
この、「フィールド風のノクターン」は、
夢見るような詩情が楚々として美しい。

しかし、モーツァルトの死後40年も経てば、
その奏法も、消えて行く運命にあったというのが、
妙に感慨深い。
ショパン生誕100年の今年、
あまたのピアノの名手あれど、
ショパンの奏法を受け継いだ人など現存するのだろうか。

それにしても、ピアノ製作者としても有名だったプレイエルなのに、
ライヴァルのエラールのピアノで演奏されているのは、
ちょっと気の毒だ。

もちろん、この曲の夢想的な曲想は、
ショパンも愛した、よりソフトな、
自社のピアノを想定したものであろう。

「フレデリック・カルクブレンナー(1875-1849)は、
ショパン到着前までは、疑うべくもない、
パリで最も重要なピアニストだった。
ショパンもしばらく、
彼からレッスンを受けようと考えていたが、
やめて、交流を深めた。
ショパンは最初の協奏曲を、彼に捧げさえした。
カルクブレンナーは、プレイエルと、その妻、
彼の弟子で、有名なピアニストになった、
マリーと親しかった。
1833年、彼女はカルクブレンナーの幻想曲作品120と、
ショパンの夜想曲作品9の献呈を受けた。」

Track2、3には、
カルクブレンナーの作品121の2曲が収められているが、
一曲目は「エオリアン・ハープのため息」と題された夜想曲で、
最初にハープの試し弾きのような序奏があって洒落ている。
メインの主題も美しく、ショパンに負けるものではない。
途中から、バラード風のメロディが現れてかっこいい。

二曲目は、何だか分からないが「3手のため」とあって、
オールト先生は、シャボウスカと連弾マイナス1手をやっている。
優しい曲想で、3手めは、メロディを終始弾いているのだろうか。
だが、特に3手で弾かなければならない内容ではなさそうだ。

こんな変な作品に脱線していたから、
ショパンの方が有名になってしまったのではないか、
などと心配になった。

が、さすが名手カルクブレンナーの作品だけあって、
いずれも、気が利いていて悪くない。

「クララ・シューマン(1819-1896)のパリ訪問は、
1831年から32年のグランド・ツアー中に、
フランス風の作品をいくつか作曲し、
『音楽の夕べ』作品6(1836年出版)として出版した。」

Track4に、このドイツの名手も作品6の2を入れているが、
妙に鬱屈した衒学的な曲作りが、何だかロベルト・シューマン風で、
リズムの執拗さなど、将来の夫、シューマンの音楽そのもの。
夜想曲はショパン風なので、シューマンとショパンの合成体である。
が、1836年に改作したとしても、16、17歳の作品?
ロベルトも、まだ、「謝肉祭」くらいしか書いていない。

グランド・ツアーって、14歳の中学生みたいなのが、
やっていたのか、児童虐待だ、と感じずにはいられない。

「シャルル・ヴァランタン・アルカン(1813-1888)は、
神童で、9歳の時、ケルビーニは、
『この年にして恐るべきもの』、
『異常なまでに』と、その才能を語った。
彼はショパンとジョルジュ・サンドの親友で、
カルクブレンナーや、
1820年代のパリの名手たちの影響を受けている。
アルカンは、そのメロディと和声の独自性で知られ、
1844年の『夜想曲作品22』や、
1861年の短くも密度の高い、
『愛の小夜想曲作品63の43』にもそれは見て取れる。」

Track7、8で、これら二曲が聴ける。
奇人として知られるアルカンなので、期待して聴いたが、
基本はショパン風で、時折、不思議な節回しが聴ける程度。
前者は、優美で、後者はぶっきらぼうで思索的である。
これがアルカンの愛なのね。
ちなみにこの曲は、タイトルが、
「ノトゥルノ」とイタリア語になっている。

「オルガン奏者のルイ・ジェームズ・ルフェビュール・ヴェリイ
(1845-1924)は、即興の名手として知られ、
様々な鍵盤楽器用に、200もの性格小品を残した。」

Track5に、
さすが、鍵盤の使い手、ということか、
このCDの中では、最も不思議な瞑想感を感じさせる、
「修道院の鐘」という題があって、なるほど、と思った。
しかし、もう少し解説が欲しい。

改めて生年だけでも、と見ると、1845年?
完全にショパンの同時代ではなく、次の世代。
これはCDの題名からして反則である。
ちょっとくらい新鮮な感じがしても当然だ。

「19世紀後半のフランスの作曲家としては、
フォーレ、ドビュッシーの他、知られざる作曲家として、
様々な作品が各地の図書館に残る、
ケッスラーや、エドモンド・ウェーバーがいる。」

Track6に、エドモンド・ウェーバーの作品がある。
これは、ヒット・メロディーになったのではないか、
と思わせる、洒落た情感が魅力的。
「第1パンセ」作品1という、そそるネーミングである。
しかし、それが何なのか、解説はこれだけなので、
歯がゆいばかりである。
前述のように、この人は生没年も分かっていないようだ。

ヴェリイの例からしても、比較的新しい作品かもしれない。
何となく、世紀末パリの気配がする。

「他の国の夜想曲の作曲家としては、
グリーグ、ホルストらがおり、
オランダにも、19世紀の夜想曲作曲家として、
ファン・ブリー、クフェラス、デ・ランゲ父子、
フェーレイ、フェーフルスト、ベーテルスマン、
ホウクロッホ、ハートーク、ベルチャン、ファン・タール、
モーザー、クラーマーらがいる。」
このあたりは、発音が分からないが、
アルファベットのままだと記号にしか見えないので、
あえて、ローマ字風に読んで見た。

有識者には笑われそうだが、仕方がない。

こう聴くと、さすが、それぞれに、個性も垣間見えたが、
基本は同じような作品が次々と登場する印象だ。

いずれも悲しく瞑想的で宙に浮いている。

1837年のエラールのピアノは、
歴史的ピアノという感じもなく、
自然にこれらの作品の美感を表している。

強いて言えば、グリンカの豪勢な中間部のきらめきなどが、
エラールの聞き所だろうか。

ジャケットは、この4枚組CDのケースの白鳥とは打って変わって、
もっと古い時代の静物画の花の画像となっている。

部分切り出しで花が巨大、夜想曲の繊細さはないが、
暗い室内に立ち込めそうな香りがむせかえる点で、
製作者は、何か音楽に通じるものを感じたのだろうか。

このCD4に関しては、うねうねと曲がる茎の部分が、
あえて言えば夜想曲的である。

得られた事:「夜想曲は1812年以降、フランスなどで大ヒット。1845年に、あえて、『ノットゥルノ』として死後に出版されたシューベルトの断章は、こうした影響があったに相違ない。」
by franz310 | 2010-03-28 07:58 | フンメル