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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その137

b0083728_23501920.jpg個人的経験:
10年ほど前に、新星堂から出ていた、
ドイツ・オーストリアの弦楽四重奏団の
CDシリーズは、
多くがSPからの復刻ものゆえか、
レーガーの弦楽四重奏曲第四番が、
3つの団体で聞き比べすることが出来る。
日本盤で発売されて入手しやすい
レーガーの弦楽四重奏曲は、
ここまで古いものしかない、
という言い方も出来るだろう。


レーガーは、死後、何年かは名声を維持していたが、
その後、第二次大戦復興期になると消え失せてしまった作曲家、
と言ってもいいかもしれない。

しかし、オルフェオのCDでは、
1974年1月に、ケッケルト弦楽四重奏団が作品121、
つまりレーガー最後の弦楽四重奏曲を演奏したものが聴ける。

バイエルン放送局の録音とあるが、放送用の録音であろうか。
ハイドン、シューベルトが共に収録されているが、
ハイドンは1972年、シューベルトは1969年とあって、
いったいどういった経緯で録音され、集められたものであろうか。

収録の限界があるとは言え、
シューベルトは「四重奏断章」ですぐに終わってしまうし、
ハイドンはあまり演奏されることのない作品74からNo.1が
収められている。
最後がレーガーなので、ここまで渋くできることが出来るか、
と言えそうな選曲である。
室内楽が好きな人でも、よほどのことがないと、
欲しいとは思わないはずである。

1974年の時点では、
日本ではアマデウスやジュリアード、ラ・サール、
あるいは、イタリア、スメタナ四重奏団などだけが、
継続的なレコーディングで商業的に成功していたのみ。
あとは、東欧やフランスにそれぞれの本場物に強みを持っている団体がある、
というのが私の世界観であった。

そもそも、東独の団体は素晴らしいが、
西独には、メロス弦楽四重奏団しかない、といった印象すらあった。

ドイツが誇るイエロー・レーベルでも、
ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームスはアマデウス、
シューベルト、メンデルスゾーンはメロスに任せ、
ケッケルト四重奏団の出る幕はなかったのである。

ケッケルト四重奏団は、かろうじて、
エッシェンバッハの伴奏をしている、
無名の団体といった印象しか、私にはなかった。
何となく、エッシェンバッハが若かったこともあり、
若い団体かと思っていた。

が、このCDの解説を読むと、
この四重奏団が、ドイツの室内楽の基準となるような、
しかも長い伝統を持った団体である旨が、書かれていて驚いた。
Karl Schumannという人が書いている。

「室内楽愛好家が、旧ケッケルト四重奏団を思い出す時、
他の場合にはそんなことはないのに、その瞳は輝き出し、
有頂天となって、最上の言葉を並べずにはいられなくなる。
室内楽の伝統である厳粛さと、
ボヘミア風の音楽作りによるバイタリティに満ちた楽しさを融合させ、
40年以上の長きにわたって、ケッケルト四重奏団は、
室内楽の基準であった。
それは、深みに潜り込み、そして、高みに駆け上がる。」

こうあるように、ケッケルト四重奏団は、
エッシェンバッハの世代などではなく、
さらに古い世代の古豪だったわけである。
確かに、このオルフェオのCDでも、
第1ヴァイオリンに座っているのは、
かなりの老人に見える。

第2ヴァイオリンが、かなり若く、
エッシェンバッハの世代であろうか。
ケッケルトの息子のルドルフ・ヨアヒムである。
あとの二人は、リーデル、メルツで、
老ケッケルトと同世代である。

それにしても、いきなりボヘミア風の音楽作りとは、
どういう事だろうか。
そのあたりのことも、このCDの解説を読めば分かる。

「ケッケルト四重奏団の成功の秘密は単純だが、
まねの出来るものではなかった。
まだ、フランツ=ヨーゼフ帝の治世下の一地方であった、
ボヘミアに生まれた4人の仲間が、一緒になって、
プラハ音楽院に学び、
1938年、ヨーゼフ・カイルベルトによって創設された、
プラハのドイツ・フィルの弦楽器の第1奏者を占めた。
そして一年後、1939年には、
若い四重奏団は最初のコンサートを行った。
故国を離れ、1945年、46年のシーズンからは、
ボヘミアやシュレジエンからの亡命者によって構成され、
すぐに有名になった、バンベルク交響楽団で新しい出発をした。
さらに南に移動し、1949年にはさらに南に移動、
ミュンヘンにオイゲン・ヨッフムが創設した、
バイエルン放送交響楽団でも、彼らは第1奏者を務めた。
ルドルフ・ケッケルトは、主要なヴァイオリン協奏曲を演奏し、
ピアノのパートナーのマグダ・ルイとソナタのリサイタルを開き、
アウグスブルクのレオポルド・モーツァルト音楽院で、
教授として長い間、指導に当たった。
第2ヴァイオリンのヴィリー・ブーフナーの死によって、
四重奏団は危機を迎えたが、ケッケルトの息子で弟子でもあった、
ルドルフ・ヨアヒムがその空席を埋めた。」

このように、ケッケルトは、どうやら、
現在のチェコ領内に生まれながら、
大戦の混乱によって、亡命を余儀なくされた人と言うことが分かる。
プラハ音楽院の同級生が、
ラファエル・クーベリックということで、
どんな世代の人かは分かる。
クーベリックは、1914年生まれなので、
前に取り上げたシュトループより一回りほど若い。

が、1939年に創設したということなので、
1936年創設のシュトループ四重奏団と、
同時代の団体と考える事も出来る。

このバイエルン放送交響楽団は、1965年に来日して、
クーベリックが指揮、ブルックナーの「第8」を皮切りに、
ベートーヴェンの「田園」、バルトークの「管弦楽のための協奏曲」、
モーツァルトの「ハフナー」、ヒンデミットの「交響的変容」、
フランクの「交響曲」、
さらに、シューベルトの「未完成」、
ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」から、「前奏曲と愛の死」、
ドヴォルザークの「新世界交響曲」、
といった魅力的な曲目を披露したようである。

しかし、クーベリックのような、
作曲、指揮、ヴァイオリンにも才能があった同窓生というのは、
困ったものだ。
父親からして世界的ヴァイオリニストという名門。

さて、その来日時のメンバー表を見ると、
各セクションのトップに、
先に出て来たメンバーの名前が見える。
「第1バイオリン ルドルフ・ケッケルト
 ビオラ     オスカー・リードル
 チェロ     ヨーゼフ・メルツ」

第2ヴァイオリンのブーフナーの名前は見えないが、
まさしく、こうした形でも、彼らは来日していたようだ。

しかし、ケッケルト四重奏団が日本で広く知られることはなかったようだ。
この四重奏団、それからも活躍していたようなのだが。

「1982年まで、それほどの疲れは見えなかったものの、
旧ケッケルト四重奏団はリタイアし、ルドルフ・ヨアヒムが、
後を継いで、新ケッケルト四重奏団となった。
その40年の間、彼らは5大陸を演奏旅行し、
王侯貴族の前でも、若い人たちの立ち席の前でも演奏した。
ビュルツブルクのモーツァルト・フェスティバルや、
ザルツブルク、ルツェルンのフェスティバルに参加して、
ベートーヴェンを輝かしく全曲演奏し、録音活動をし続けた。
20世紀中盤には、ケッケルト四重奏団は、
ドイツを代表する四重奏団となっていた。」

ということで、一般的評価は、日本での扱いと雲泥の差であった模様。

「そのレパートリーはヴィーンの3大家に19世紀ドイツもの、
さらに、隣国チェコのスメタナ、ドヴォルザークなどが占めた。
また、調性の残る音楽とはいえ、
ヒンデミット、クルシェネク、Zillig、Holler、Bialas、
アルベルト・ヒナステラの近代物の初演も行っている。
音色には活力があり、豊かで感覚的、いささか大げさだが、
弱くはなく、凝りすぎたものでも気取った正確さを狙ったものでもない。
リーダーであるルドルフ・ケッケルトのレガート奏法には華と説得力がある。
Eger地方の村の鍛冶屋の息子であるヨーゼフ・メルツは、
逞しい低音の基礎を築き、ソロでは自然に力強い音楽を奏でる。
当然のことながら、正確さが基本にあって、
集中の不足やのんびりしたところは許されていない。
チームワークやバランス感覚が、ほとんど即興的な自由さで、
各演奏会で音楽をすることの喜びを引き出して行く。
ケッケルト四重奏団は、
ことさら内省的でも知的でもなければ、
唯美主義でもなく、
彼らはただ、弦を使って、
人生を表明している。」

すごい表現である。人生を表明する四重奏団。

また、ここで、彼らの出自、ボヘミアのことが出てくる。
そういえば、レーガーを驚かせたのも、ボヘミア四重奏団だった。
このCDにも入っている弦楽四重奏曲嬰へ短調作品121は、
「心からの友情を込めて、ボヘミア四重奏団へ』と書かれて、
彼らに献呈されたものである。
はたして、ケッケルトらは、
こうした経緯をどのように捉えていたのだろうか。
意識した選曲か否か。

「彼らのボヘミア出自は、その演奏を特徴付け、
その自発的なスタイルで知られることになる。」

ということは、当時のドイツの四重奏団は、
何か四角四面の計算されたスタイルだったように感じられるが、
確かに、シュトループ四重奏団などのスタイルは、
自発性ではあろうが、妙にかっちりかっちりしたものだった。
同時期に創設されながら、
戦後長く命脈を保ったのは、そうしたスタイルが受け入れられたから、
という感じの記述が続く。

「音楽の美しさと気品に対し、楽観的に身を委ねた彼らの演奏は、
戦後早い時期にどこででも受け入れられた。
旧ケッケルト四重奏団は、直感のマジックの大家であり、
室内楽が高尚に過ぎると思っている人以外、
ベートーヴェンの作品74に始まり、
バルトーク直後に終焉した王国を信じる者は誰も、
その音楽作りに抗しきれなかった。
ケッケルトのドヴォルザークやスメタナを別にしても、
それはおそらく、弦楽四重奏のえり抜きの芸術であり、
その基本とでも言えるものであろう。
ケッケルト四重奏団の録音に触れることによって、
20世紀中盤における音楽イベントを確認し、
味わうことが出来るのである。」

このように、ケッケルト四重奏団のような、
より自由で伸びやかなスタイルの演奏が、
戦後の音楽嗜好に受け入れられて行ったことが書かれている。

が、一方で、この筆者は、ケッケルトの演奏は自由気ままなものではなく、
芸術におぼれたものでもなく、ひたすらに人生を表出したものだと書く。
しかし、内省的というよりは楽天的であるとも書く。

このCDのデザインは、いかにもそうした団体の面影を伝えるものであろう。
単なる演奏風景でありながら、幾分下向きのケッケルトの面持ちが、
音楽に何かを託している感じである。

とにかく、選曲が渋いので、いったいどこで、
何に耳を澄ませればいいのか悩ましい選曲であるから、
演奏の少ないレーガーで比較してみよう。
この欄でも、この弦楽四重奏曲第五番は、
ベルン四重奏団や、マンハイム四重奏団で聞いて来た。
演奏時間を比較すると、

       ベルン   マンハイム  ケッケルト
第一楽章   12.04  11.41  11.59
第二楽章    4.55   4.12   5.14
第三楽章   11.16  11.37  10.05
第四楽章    9.47   8.47   9.20

という風に、両端楽章はベルンとマンハイムの中間で、
第二楽章と第三楽章は、差がつかない方向にシフトしている。

弦楽四重奏曲第四番の比較時は、
新星堂のモノラルの演奏を行ったが、
さすがに1974年のステレオ録音ともなると、
ベルン、マンハイムのデジタル録音と比べても、
音質故に不利ということはない。

ケッケルト四重奏団の演奏、第一ヴァイオリン主導型と思えるが、
老ケッケルトが、しなやかな歌いぶりで、無理な楽想の変転を強いずに、
じわじわと曲想を盛り上げて行くところが見事である。
レーガーと同じ時代から生きている演奏家の、
老巧な音楽作りであろうか。

マンハイム、ベルンは、おそらく40歳代後半か50代はじめの録音。
したがって、と言うべきかどうか分からないが、
マンハイム盤などは、少々、聞いていて疲れる感じ。
第二、第三楽章の緩急の対比を一番、際だたせているのもここ。
第二楽章など、めまぐるしく飛ばしまくる上、音量変化も大きい。
いろんな楽器の掛け合いも挑発的。
第三楽章では、失速寸前まで引き延ばしている。

ベルンは最初に聞いた演奏ゆえに、私には、基準のような感じ。
豊かな低音に支えられ、立体的に構成した空間の印象が新鮮であるものの、
第一楽章展開部で騒然として、絶叫が入る場合もある。

ケッケルト盤には、そうした要素はなくて、
ある意味、穏やかに流れていくような感じ。
しかし、逆の見方をすると、覇気に不足し、
ケッケルトに依存して、空間的な広がりより、
時間を紡ぎ出すのに専念した演奏に聞こえる。

問題の第一楽章展開部でも、ケッケルト一人が興奮し、
みんなが一斉に騒然していないので、煩さが少ない。
これは、自発性がない、という言い方も出来ようが、
音楽をエンジョイしようとしている感じはある。

興奮はケッケルトに任せて、
その効果はしっかりバックでフォローします、
という美学とも思える。
従って、ソロで歌う所では、しっかり各奏者の音色が堪能できる。

そうした行き方ゆえか、このレーガーは、
非常に分かりやすい。
第一ヴァイオリンだけを聞いていればいいので、
心強い道標があるような印象だ。

が、動きの速い第二楽章などは、中庸化されて、
幾分、ショスタコーヴィチ的な動きのおもしろさに欠ける。
こうしたひねくれた楽章では、
ベルン四重奏団の抽象絵画のような構造感が威力を発揮し、
弱音時の神秘的な雰囲気などは、
ケッケルトからは絶対に聴けないような気もする。

第三楽章でも、ベルン盤は張り詰めた空気の温度が冷たい。
ケッケルト盤は、ケッケルトが一人、
かっかしてリードしている分、歌が熱い。
とはいえ、これはこれでストレートに胸に響く音楽になっている。
前述のように、マンハイム盤のようにまで引き延ばされると、
歌の感覚は希薄になる。

第四楽章は、マンハイム盤もここでは、前の楽章から一転して、
ちょこまかと動き回っているが、これがややうるさく感じられる。
この楽団の演奏、あまり不満はなかったが、
老巧なケッケルトの後で聞くと、妙に騒がしい印象が残る。
楽器の交錯も、とって付けたような無駄な動きに思えて来る。

一方、ベルン盤は線が細いが、
そのあたりは、一つの楽器のようになって、
例の卓越した幾何学的バランス感覚で面白く聞かせている。

この第四楽章、軽妙な弓裁きから始まる音楽ゆえ、
冒頭から、真意がどこにあるか計りかねる。
ケッケルト式の自由に歌い継ぐスタイルは、
安心して水先案内人に身を委ねておればよい。

いったい、レーガーは、どのような演奏を想定していたのだろうか。
これら三つの演奏を聴いていると、
ベルン盤が一番、四つの楽器の可能性を追求しているような気がするが、
人生を語っているのは、おそらくケッケルトだろう。

しかし、レーガーがこの曲を書きながら、
何を思っていたかはよく分からない。

このCDでも、レーガーの曲そのものの解説は、
作曲の時期が下記のように記してあるだけで、
特に見るべき物はない。
「1911年、『薔薇の騎士』初演の年、
これがなくとも、すでに過負荷の状態であった。
マイニンゲンの高名な宮廷オーケストラを監督することになり、
作曲の時間はほとんど残されていなかった。
そこで唯一、生まれたのが、
彼の5番目の、そして最後の四重奏曲、
作品121嬰へ短調である。
構成では、作品109に類似のものだが、
絶え間なく転調される材料で、
複雑な対位法を開拓している。
特に第一楽章やアダージョでは、調性の限界まで行っている。
しかし、すでに当時はシェーンベルクはこれを超えていた。
レーガーの好んだ嬰へ短調で書かれたスコアでは、
人に媚びを売るものは拒絶され、
ベートーヴェンやブラームスの機能和音を超えて、
四つの楽器による音楽作りがどこまで拡張できるかの、
探索が行われている。」

マイニンゲンの監督就任前の、その期待と不安が交錯する時期だが、
そんなものが音楽になるとは思えない。

さて、ケッケルト盤、レーガーでは、
いくぶん、昭和の演歌風であったが、
ハイドンの四重奏曲などを聞くと、
各楽器の歌の受け渡しが精妙で、
決して、ケッケルトが一人で泣き叫ぶ団体ではないことが分かる。
暖かなヴィオラの音色にも、豊かなチェロの響きにも、
ケッケルト同様の、生き生きとした血の流れが感じられる。

この作品は、ハイドン晩年らしく、完成度の高い力作ながら、
あまり演奏されないものである。

それは、交響曲的な構想の広がりゆえ、
とのことだが、ケッケルトのような演奏で聞くと、
この雄大な構想の中で、各奏者が十分に羽を広げて羽ばたき、
さすが円熟期の作品と思える。

シューベルトの演奏でも、
ケッケルトが歌いまくる感じで、
美しいヴァイオリンの音色が冴えるが、
危機の時代の作品であるゆえに、
これはもう少し、低音の不気味さや主張が必要のような気がした。

が、音楽としては、非常に美しい仕上がりになっている。
ここでは、シュトループが聞かせたような、
かちっ、かちっと止めて行くような演奏方法はない。
むしろ、ブタペスト四重奏団の1934年の録音などで、
ロイスマンが悠々と歌い継いでいるのに近い。

1934年といえば、ケッケルトが四重奏団を結成する少し前である。
このあたりの音楽美学が、ケッケルトの基本にあったとしてもおかしくはない。

得られた事:「戦後ドイツの気分は、ケッケルト四重奏団のひたむきな歌に共感した。」
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by franz310 | 2008-08-23 23:52 | 音楽

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その133

b0083728_848359.jpg個人的経験:
レーガーの生涯の概略を追うべく、
弦楽四重奏曲を聴き進めてみたが、
レーガーを体系的に録音している
cpoもMDGも、
どうやら解説者が賢すぎるようで、
まったくレーガーの生涯を、
把握できないでいる。
ところが、NAXOSは、
割とシンプルにうまく情報を
出してくれていた。

この会社は香港で設立された廉価盤の会社であるが、
あらゆる作曲家のあらゆる作品を、
百科全書的に網羅しようとするスタンスが素晴らしい。
最初のうちは、アーティストが限定的だったり、
不満もあったが、この1999年のレーガーなどは、
フィルハーモニア・カルテット・ベルリンを起用している。

レーガーの野心作、「弦楽四重奏曲第三番」の演奏で、
名を馳せたという団体である。
ベルリン・フィルの奏者たちの名アンサンブルで、
選曲も、最高傑作の呼び声高い「クラリネット五重奏曲」に、
弦楽四重奏曲のもう一つの頂点とも呼ぶべき、
「第四番作品109」がカップリングされているところも素晴らしい。

しかも、クラリネットには、ヴィーンやベルリンで鳴らした名手、
フックスが登場する。
廉価盤ゆえ、紙質などに重厚感がないが、
カバーの絵画、Walter Leistikow作、Grunewald Lake(1895)も、
レーガー晩年の夕暮れのような情感にマッチしている。
ベルリンの国立美術館にある絵画ということだが、
自由ベルリン放送のホールでの録音だったり、
ベルリンづくめの企画となっている。

プロデューサーの欄には、Dorothea Diekmannとあり、
エンジニアも、Julia Sikovaと女性名だが、
レーガーが好きな女性は多いのだろうか。
ブルックナーが好きな女性が想像しにくいように、
どうもぴんと来ない。

解説はKeith Andersonという人が書いている。
これだけはベルリンっぽくない名前で、英語が原文。
ドイツ語訳には別の人の名前がある。

この解説は、結構重宝した。
まず、レーガーの人生の概略が半分くらいのスペースで、
書かれていて、ここしばらくの懸案項目が少し整理できた。

「レーガーは幼い頃から、
教師でありアマチュア音楽家であった父親の、
音楽好きに影響され、初期の音楽教育は、
ワイデンのオルガン奏者であった、
アーダルベルト・リントナーによって行われた。
レーガーは1873年、バヴァリアの上部プファルツの、
ブラントに生まれ、翌年、彼が幼少時代と思春期を過ごす、
ワイデンに一家は移った。
リントナーは、レーガーの初期作品を、
フーゴー・リーマンに送っており、
彼はまずゾンダーズハウゼンで生徒として受け入れ、
さらにウィスバーデンで、彼を助手とした。
軍務に服して、心身を病み、ワイデンの両親のもとに戻り、
特にオルガン曲の作曲を続けた。
これらはモニュメンタルなコラール幻想曲のシリーズ、その他からなり、
レーガーのオルガン曲演奏で著名な友人、
カール。シュトラウベの演奏技術への挑戦のようにも見える。」

ということで、レーガーの生涯を語る時、
必ず訳も分からず登場する、リーマンと、シュトラウベが現れる。
ベートーヴェンの伝記に、ネーフェが、
シューベルトの伝記に、サリエリが登場するより、
遙かに高い頻度で、この二人はレーガーの伝記につきまとって出てくる。
非常に癒着した人たちである。
これまで読んできた限りでは、レーガーは我、関せずなのに、
この二人が寄生しているようにも見える。

しかし、ヴィスバーデン時代、ワイデン時代が何時のことかは分からない。
が、ここで、ようやく、具体的な年代がでる。
「1901年、レーガーは、以後6年を過ごすミュンヘンに移った。
この頃、彼は、リストやワーグナーの後継者など、
標題音楽の対抗者として、絶対音楽のチャンピオンとして知られたので、
音楽家としてのキャリアも容易なものではなかった。
しかし、彼は次第にピアニストとして成功し、
作曲したものの聴衆も、少しずつ、見いだし始めた。
このミュンヘン時代に、「シンフォニエッタ」や、
重要な、ピアノのための「バッハの主題による変奏曲とフーガ」
後に管弦楽化される「ベートーヴェンの主題による変奏曲とフーガ」を
作曲した。」
どうやら、このあたりまでがミュンヘン時代のようだ。

「1907年、ライプツィッヒ音楽院の、
作曲家の教授に任命された。
彼は独特の演奏家として、ロンドンやペテルスブルク、
オランダやオーストリア、全ドイツを演奏旅行して、
彼の音楽は、さらに広く国際的な聴衆を得た。」

「1911年には、ビューローによって設立された、
マイニンゲンの宮廷管弦楽団の指揮者として、
マイニンゲン公から招聘を受けた。
レーガーは、大公の死まで、この地位に留まったが、
数日後、1914年7月1日、辞職した。
大戦の勃発でオーケストラは解散し、
彼は最後の日々はイエナで過ごしたが、
コンサート活動や作曲家としての活動は継続した。
彼は、1916年5月、オランダでの演奏会の帰りに、
ライプツィッヒにて亡くなった。」

このように、彼の生涯は、
以下の5つに分類できるかもしれない。
これまで、ここで聞いて来た作品も書き並べてみよう。
1.~1901年のワイデン、ヴィスバーデン時代(徒弟時代)
  1889年のニ短調四重奏曲
  1890年のヴァイオリン・ソナタ 作品1
  1900年と1901年の弦楽四重奏曲第一番、第二番 作品54

2.~1907年のミュンヘン時代(新進作曲家&ピアニスト時代)
  1903年の弦楽四重奏曲第三番 作品74
  1904年のヴァイオリン・ソナタ第五番 作品84

3.~1911年のライプツィッヒ時代(教授&国際活動時代)
  1909年の弦楽四重奏曲第四番 作品109

4.~1914年のマイニンゲン時代(音楽監督時代)
  1911年の弦楽四重奏曲第五番 作品121
  1912年の歌曲「希望に寄せる」 作品124
  1912年の「ベックリンによる音詩」 作品128
  1913年~14年のシューベルト歌曲の管弦楽編曲

5.~1916年のイエナ時代
  1915年のクラリネット五重奏曲 作品146
と分類できるのだろうか。

「レーガーは、バッハ、モーツァルト、
19世紀の偉大なドイツ作曲家の伝統に連なる、
多作な作曲家であり、技術に熟練し、和声や対位法を操り、
半音階の実験で調性の限界を拡大した。
特にオルガン作品はこの楽器に多くをもたらし、
同様に巨大な室内楽、歌曲、合唱曲、管弦楽曲を残した。」

ということで、名作として、
レーガーの作品の中ではとりわけ演奏頻度も多く、
レコードも多数に上る「クラリネット五重奏曲」の解説に突入する。
この曲、モーツァルト、ブラームスが晩年に名作を残しており、
ブラームスの後継者たるレーガーとしても、
是非、残したかった曲種だったに違いない。

これが最後の作品となったということも、妙に因縁めいている。

この作品は、LP時代から非常に高名であったが、
CD時代になってライスター、マイヤーといったドイツの名手が、
相次いで録音して身近になった。
冒頭から彼岸を垣間見るような不思議な曲想で、
平明さと、奇抜さが同居している。

40分近い大曲だと思っていたら、
マイヤーは大きな六重奏曲とカップリングし、
このフックス盤は第四弦楽四重奏曲とカップリングされて、
CD時代の便利さが痛感される。

「クラリネット五重奏曲イ長調 作品146」は、
1915年に書かれたレーガーの最後の完成作品であり、
カール・ヴェンドリングへの献辞とともに出版された。
半音階的な要素を展開して、緻密に織り上げた作品。
モデラート・エト・アマービレと題されたソナタ形式の第一楽章は、
第一主題から開始され、トランクイロと題された、
ヴァイオリンによる、ホ長調の第二主題が続く。
この主題提示部の要素は、第二主題が最初の調で帰って来るまで、
展開部で展開され、再現部では第一主題と、
移調された第二主題が続いて現れる。」
第一主題はまどろむような主題で白日夢のようにはっきりしないが、
この世の声とも思えぬクラリネットがそこに微妙な彩りを加える。
第二主題は、トランクイロ(静かに)と題されるだけあって、
非常に美しいものである。
クラリネットの音色の生かし方が格別である。

「第二楽章はロ短調のスケルツォで、
弱音の弦楽とクラリネットが、
リズムのコントラストを見せ、
弱音ではないヴィオラがクラリネットと対位法を奏でる。
ト長調のトリオ部では、リズムの交錯はなく、
テクスチャーは単純化され、ムードはリラックスする。
スケルツォが戻ってこの楽章は終わる。」
このトリオの部分は、花園のように美しく、聞き所の一つと言えよう。
しかし、ロ短調とは、ブラームスの名作と同じ調ではないか。

「ホ長調の緩徐楽章は、よく書き込まれた中間部分を有し、
第一楽章の第二主題が消え入るように回想される部分がある。
この五重奏曲は主題と変奏で終わる。」
この「主題と変奏」の終曲という構成もまた、ブラームスから借用したものだ。

「グラツィオーソと題された主題は、弦楽に現れ、
最初の変奏ではクラリネットが、リズムを交錯させ、
さらに重要な役割を演じる。
第二変奏曲は短いが、速いヴィヴァーチェ。
主題は優しい短調となって、次のヴィヴァーチェと、
ゆっくりした変奏に続く。
さらにヴィヴァーチェがあって、最後のゆっくりしたソステヌート、
主題の断片がオリジナルな形で再現する。」
これらのヴィヴァーチェ部を聞くと、
細かい音符をこね回す、時として人をいらだたせる、
レーガー特有の個性が滲み出ているが、
同時に、ブラームスの遠い木霊を聞くような感慨におそわれる。
そして、曲は息も絶え絶えになって、消えていく。

私は、この曲は良い曲だとは思うが、
どうも、弦楽の色彩感、立体感が弱いような感じがしていた。
しかし、弱音指示のところがあったとは知らなかった。
もっと、強烈な個性の四重奏団の演奏で聴いて見たいと思っていた。
しかし、ライスターと共演していたのも、
今回と同じ、フィルハーモニアではなかったか。

以上が、最後の作品、
傑作とされる「クラリネット五重奏曲」の解説で、
またまた、あの問題作、「弦楽四重奏曲第四番」の解説である。
「レーガーは変ホ長調作品109の弦楽四重奏曲を1909年に書き、
アドルフ・ヴァックに捧げた。
この人はメンデルスゾーンの末娘、リリーの夫でもあった。」
と、この前、読んだようなことがでているが、
ここからは、曲の分析となっている。

まずは第一楽章で、
前回の、マンハイム四重奏団の解説では、
「カンタービレの第一主題が、突然のいらだちのような、
アジタートの一声で遮られ、
いくぶん遅く登場する第二主題に先だっては、
大きなリタルダンドがある。提示部は、二つのフレーズの、
コンビネーションによって主題が回想されて終わる。」
とあったが、今回はどうなっているか。

「第一楽章は、典型的なソナタ・アレグロ形式。
第一主題で始まり、調を変えていく。
ここには沢山のトランジションの材料があり、
がっちりしたアウトラインを構成し、
Chordalな第二主題が規則通りに登場する。」
このように、第二主題が、「和音による」と書かれていて、
私が、分厚い和音の総奏と感じたものが、第二主題であることが分かった。
その前に訳の分からん遷移部が挿入されていることを示唆しているが、
このように、非常に、難しい構成であることが分かる。

「中央の主題や動機の展開部では、これらは対位法的に扱われ、
チェロがこれら二つの主題の再現部を導く。
最後のコーダは第一主題の回想である。」
このように書いてもらえると、
レーガーの迷宮における羅針盤のようで、
非常にありがたい。
フィルハーモニア・カルテット・ベルリンの演奏も、
クラリネット五重奏の時とは打って変わって、
積極的で立体的に聞こえる。

演奏時間を見ると、マンハイム盤より、
第三楽章以外はすべて長い。
それだけ、克明に描いているという感じもある。
従って、第二楽章は、浮遊感に欠ける。
レーガーが書いた、「重力からの解放」とはちょっと違う。
しかし、第三楽章は9分ジャストと、
これまた不思議なことに、これまで聞いた盤のどれよりも短い。

「ト短調の第二楽章は、クワジ・プレストと表記され、
急激に下降する短調の音階と、
チェロからの緊急のリズム音型によって導かれ、
メインテーマの上昇バージョンが対比され、
さらに展開される。」

さて、今回、他のどの演奏よりも短い時間で演奏された、
第三楽章の解説はこうなっている。
演奏はそれなりに荘重で、そんなに速い印象はない。
ヴァイオリンの絶叫も差し挟みながら、
この模糊とした楽章に対処している。

主題が美しいし、ベートーヴェン、ブルックナー譲りの、
長大かつ崇高な楽章ではあるが、安易に、美しいと書くには、
この楽章はあまりにも難物である。
「表出力の強い、変イ長調の緩徐楽章は、6/8拍子。
和音で伴奏されたメロディで、中間部分では第一楽章の第二主題の引用がある。」

この第二主題の引用というのは、今回、
Cordalなというヒントから聞き取ることが出来た。

解説も簡潔であるが、もっと沢山、書くことがあろう。
この解説と同様、例えば、マンハイム四重奏団の演奏などと比べても、
ちょっと薄味の印象は否めない。
もっともっと言いたいことがある、あるいは、言わずにはいられない、
そんな雰囲気が希薄なのが残念だ。
ベルン四重奏団なども、この楽章では、
非常に神秘的な感覚の表出に成功している。
マンハイムなどは、切なくて仕方がないという風情だ。

この長大な歌の、個々の繋がりの意味も、
十分捉えられているとは思えない。
何だか断片の集積をつなげているような印象である。
あのピッチカート伴奏で歌われる美しい聞き所も、
さっと通り過ぎてしまう。
これは大きな減点である。
これまで聞いて来たどの団体も、
ここは、大事に大事に弾いていたではないか。

さて、あの面白いフーガの終楽章はどうだろうか。
ここの聞き所は、冒頭と、後半の盛り上がりである。
「この四重奏曲はエネルギーに満ちたフーガで終わる。
第一ヴァイオリンでアナウンスされた広がった主題は、
センプレ・グラチオーソと表記され、第二ヴァイオリンに受け継がれ、
ヴィオラ、チェロに引き継がれる。
この元気のよい楽章は途中でアダージョと表記された、
派生した第二主題で中断され、次第にフーガの主題とコンバインされ、
集結部に向けて力強さを増して行く。」

最後に白熱したコーダが来るが、
ここでの、第一ヴァイオリンの熱演は特筆に値する。
ひょっとすると、この四重奏団の弱さは、
伴奏の域を出ない、中、低音部にあるのかもしれない。
だから、クラリネット五重奏曲も、何だかのっぺりした印象ばかりが、
残る結果となったのかもしれない。
よく言われることだが、こうしたトップオーケストラの奏者による、
室内楽というのは、平板になりがちなのか。
指揮者に慣れた彼らには、自発性がないというのは本当なのか。

第三番では、各国の聴衆を興奮させたというが、
それは偶然だったのだろうか。

ベルン四重奏団などは、何だかせき立てられて行くような焦燥感が、
独特の効果を上げている。
それは、雄弁な低音の鼓動によるものであることは、今回、一聴瞭然。
響き渡るこのチェロに倣って、
全員がまったく同じ高みを目指して駆け上がって行く様は、
ものすごく感動的である。

マンハイムの連中は、この終楽章、
最初から渾然一体となって燃え尽きようとしている。
最後の盛り上がりでは、我も我もと、歌い尽くそうとしている。
が、今回聞いた感じでは、中低音は、ベルンの方が立体的。


得られた事:「表現意欲、自発性のないメンバーの混入は致命傷。」
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by franz310 | 2008-07-27 08:48 | 音楽

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その132

b0083728_1235097.jpg個人的体験:
レーガーの弦楽四重奏曲を、
順次、聴き進めているが、
前回、「第4番作品109」を聴いて、
今回は、遂に、最後の作品。
「弦楽四重奏曲第5番作品121」。

ボヘミア四重奏団との出会いが、
「第4」を書く契機になったが、
この「第5」は、その名四重奏団に、
捧げられているという。
それは、どのCD解説にも出ている。

私は、cpoレーベルの、レーガーの「弦楽四重奏曲全集」は、
演奏はともかく、解説の点では、どうも、物足りなくて、
結局、名作の「第4」と「第5」については、
新たな解説を求めて、MDGレーベルのものを買い求めてしまった。

演奏しているのは、マンハイム四重奏団。
何しろ、前回、超横綱級の、ブッシュ四重奏団を聴いた後である。
第一印象は、何だか、弱々しい団体に思えたが、
何度も聞いていると、これはこれで、共感に満ちた演奏のように思えて来た。
cpoのベルン四重奏団も透明感のある、過不足ない演奏であるが、
こちらは少し荒削りながらも推進力があるような気がする。

ベルン四重奏団は、1971年に創設され、
1940年代生まれの奏者からなり、
現代の作品を得意としている。

一方、マンハイム四重奏団も、1975年創設で、
同時期結成のベテラン団体である。アマデウス、ラサール、メロスといった、
名四重奏団に学んでいて、モーツァルトゆかりの街を名前に戴きながら、
古典から現代まで幅広いレパートリーに定評があるようだ。
各奏者の経歴はないが、写真から見ると、
ベルン四重奏団より一回りくらい若いかもしれない。
が、ベルンよりは扇情的な音色も響かせ、古風な面もある。

こうした傾向は、演奏時間にも表れていて、
「第4」の例で言うと、
叙情的な第3楽章以外は、すべて、マンハイム盤の方が速い。

一方、緩徐楽章は、マンハイム盤は11分24秒をかけ、
ベルンの9分40秒より長く、全体としては20秒ほど早く終わっている。
が、改めて見ると、前回聞いたブッシュ盤は、
このマンハイムのどの楽章よりも、
ゆっくりと演奏している。ブッシュがこれら二曲を演奏したら、
一枚のCDに入らないかもしれない。

このマンハイム盤、ただし、
CDのデザインはちょっとレーガーのイメージではない。
画家シュミット・ロットルフの、DangastのGutshof(農園)とある。
Dangastは地名だろうか。

確かにカラフルなジャケットは悪くなく、
ブッシュのCDの、古色蒼然よりお洒落ではあり、
見ていて嬉しくなるが、ちょっと違うでしょ、
という気持ちがわき起こって来る。
このCDのプロデューサーは、レーガーをこんな風に
捉えているのだろうか。

この画家は1884年生まれなので、レーガーより一回り若い。
私のイメージは、レーガーの音楽には、
こうしたフォービズムみたいな感じはない。
一部のオルガン曲などには、こうした感じがあるかもしれないが、
特に、この四重奏曲集については、古典の精神が満ちあふれていて、
もう少し、平明なものを指向した作品と思える。

しかし、「恐るべき子供」だったはずのレーガーが、
何故、そうしたものを指向したのかは、
よく分からない。

このMDG盤の解説は、Michael Kubeが書いている。
ところが、英訳はまたまたスーザン。
これは、cpo盤と同じ、Susan Marie Praeder。
レーガーといえば、この3人の名前ばかり見るような気がする。
日本で、歌曲の解説を見ると、
喜多尾道冬ばかり出てくるようなものか?
これだと、その人以外の見方が出来なくなるではないか。

ところで、この翻訳家は両方のCDを聴いたか?
どっちが良かったのか?
ちなみに、cpo盤は92年から94年の録音。
MDG盤は、98年の録音。もう10年も経っている。

解説は、CDを買って開けてみないと分からないが、
少しは期待に応えてくれている。
まず、レーガーが病的とも言える、
脅迫的な作曲衝動をいつも感じていたことが記され、
それが、彼をついには死に追いやったことが書かれている。

「『作曲!神様、それを考えると時間がない。
時間、時間。しかし、待てよ。
私は休暇には、対位法地獄のような四重奏曲を書かなくては。』
1890年7月6日、レーガーはすでにアーダルベルト・リントナーに、
慢性的時間不足、その後、彼の全生涯を決定し、
次第に肉体的に蝕むものについて嘆いている。
レーガーの制御不能の創造力の噴出、
芸術家としての使命による、
ほとんど度を越した異常な内的テンションの高さは、
数え切れないほどの、ほとんど毎日の演奏会出演にも反映されている。
彼はそれと同じ衝動で、
彼をへとへとにした、演奏旅行中に用意したスケッチから、
一年の残りの二、三週間で、毎年、作品を作り上げた。
1890年にはレーガーは四重奏曲を完遂できなかったが、
1909年、作品109の四重奏曲を書くときには、
同様な衝動に駆られることとなった。」
このように、レーガーの日常というか、気質が説明される。
読んでいるだけで、消耗してしまいそうな、病的なまでの活動力が、
思い描かれる。が、こういった情報は、私は欲しい。

こうして、「第4」についての解説が始まる。
前回、cpo盤の解説が不満だったので、これも読んでみよう。
ここで、著者は、この作品が約30分と見積もられた事を特筆している。
数ヶ月前に出版された、
作品101のヴァイオリン協奏曲が約1時間、
作品108の「交響的プロローグ」も壮大であって、
作品106の詩編100がモニュメンタルな作品であるのに対し、
作品107の「クラリネット・ソナタ」と、
この作品109の弦楽四重奏曲が、伝統に回帰しているというのである。
しかし、野心的な作品74の「第三弦楽四重奏曲」と同時期に、
セレナードとトリオ作品77が書かれていることを思い出している。
作品109も、批評家には、『変異』が生じていると言われたという。

「古典的抑制」とか、
「フレキシブルで豊かに展開されたアイデア、
奇抜な音のコンビネーション」とシュトゥツガルトでは、
好意的に評価されたらしい。
Susanne Poppの解説と違って、
以下の記述があるのが嬉しい。
細かい分析ゆえ、完全には追い切れないが、
何となく、曲を聴く時の注力ポイントは分かる。

「第一楽章は、明快な形式感と、
個々のセグメントの明確さによって、
クリアな楽章」と書き、
「カンタービレの第一主題が、突然のいらだちのような、
アジタートの一声で遮られる」とあるので、
懐かしさに満ちた、冒頭のメロディが、
第一主題だと説明してくれている。

「いくぶん遅く登場する第二主題に先だっては、
大きなリタルダンドがある。提示部は、二つのフレーズの、
コンビネーションによって主題が回想されて終わる。」
このように、複雑な音楽を、
何とか可視化してくれようとしてくれているのはありがたい。
しかし、どう聴いても、あのアジタートの主題の方が、
やたらと活躍しているように聞こえる。

ここで、「各主題が、明快なアウトラインの上で、
伝統的な位置にあるにもかかわらず、
よく見ると、厳格な主題発展と和声の変化の中で、
まるで、離れ小島のように見える」と書かれている。
この表現は微妙。とにかくうねうねと動き回っている中、
どれが主題かよく分からないというのが率直な感想。

「拡張された変形の中で、展開可能な素材から、
その推進力を得ている」というのも、
直訳では何のことかよくわからない。

「これと同様なことが、
より拡張された3部分からなる緩徐楽章についても言える。
この楽章の中間部では、第一楽章の第二主題が、
第一ヴァイオリンの反進行に伴われながら現れる。」
しかし、これは「第二主題」なのか?
第一主題の後半ではないのか?

この楽章では、さらにこのあと、ピッチカートにのって、
先の主題が歌われるところも美しい。
このように、あそこがよい、ここが聴き所、
と分からないうちは、どうも入り口に立ったような気がしない。

「これに先だって、スケルツォ形式の、
もっと自由に作られた間奏曲があって、
レーガーは、『すべての重力から解放された、
空気のような。ただひらひら舞うだけの』と表現した。」
この記述などは、私の印象に一致。うれしいではないか。
Susanneの解説は、こうした具体性を欠くので不満なのだ。

「対位法による終楽章は、
リラックスして緩んだ主題であり、
アダージョの第二主題が出てからは、
素晴らしい最後の盛り上がりに入る。」
こうした説明だけでも、大づかみにするにはありがたい。
このあたりを意識していないと、
ブッシュの演奏が盛り上がって来るときに、
それを待ち構えることが出来ないではないか。

しかし、「第3」から、「第4弦楽四重奏曲」への、古典的回帰については、
もっと説明が欲しいところだ。
が、cpo盤の、引用だらけの解説よりは、百倍ありがたい。

さて、続いて、レーガー作曲、
「弦楽四重奏曲第5番嬰へ短調作品121」の解説だが、
まず、ここでは、cpoの全集版の解説に戻って、
こちらを先に読んでみよう。
これまで、ずっと読み続けて来たので、最後の曲だけ、
とばすのも気持ち悪い。

「1911年の2月、レーガーは、
その年の12月からの、
マイニンゲンの宮廷管弦楽団監督の就任の依頼を引き受けた。
ハンス・フォン・ビューロー、フリッツ・シュタインバッハ、
リヒャルト・シュトラウスがこのオーケストラを指導し、
長く、豊かな伝統を持っていた。
以来、レーガーの興味はオーケストラ曲に移るのだが、
その前に、ボヘミア四重奏団との友情をより緊密にするような、
最後の四重奏曲を作曲する時間を見つけた。
『心からの友情を込めて、ボヘミア四重奏団へ』
献呈された、『弦楽四重奏曲嬰へ短調作品121』は、
その証として残された。
新しいポストへの期待に胸を膨らませつつ、
作曲と推敲は3月から7月の初めまで行われた。
夏に印刷され、献呈されたメンバーによって、
1911年の10月11日、
コンサートシーズンの最初に初演された。」

このような背景の解説はありがたい。
新しい、しかも責任感を感じる仕事への期待は、
想像するだけで、心躍らせるものだっただろう。

が、冒頭に紹介した、レーガーのキチガイ強迫観念からして、
こんな大役は、最初から無茶だった可能性がある。

ということで、このマイニンゲンでの激務から、
レーガーが体をこわし、そこからの復活のために、
シューベルトの歌曲の編曲が行われたことは、
以前、このブログでも紹介したとおりである。

復習すると、オーケストラの指揮者になって、
オーケストラの伴奏で歌える声楽曲が必要となった。
彼は、その実用的な意味から、シューベルト歌曲を取り上げ、
激務にぶっ倒れてからもそれを継続したのであった。

「レーガーがこの曲を四重奏団の友人に献呈したのは、
彼がアンサンブルに捧げた唯一の曲であることを思うと、
特別の意味を感じる。
彼は、以前の四重奏曲を、出版者(No.1をSpitzwegに)、
ジャーナリスト(No.2をSeidleに)、彫刻家(No.3をGosenに)、
法律家(No.4をWachに)に捧げている。
この四重奏曲は、弦楽四重奏曲の最高の規範となっており、
特に第1楽章には修正が散見され、自己批判の証拠を物語っている。
この四重奏曲の形式は、外観上、明確であるが、
動機の扱いは曖昧で素描風である。
この曲はより穏和な前作の変ホ長調より、
全体的に、表現が大胆である。」

このように、この曲は、曲の長さも構成も、
前作と類似点が多いのは確か。
マンハイムの演奏では、前者が36分6秒なのに対し、
後者は36分29秒と、30秒も違わない。
しかも、各楽章も、順に、
約12分、約4分、約11分半、約8分半と、
ほとんど差異がない。
「第3」のような英雄的性格というより、
「第4」のような、平明かつ深淵路線である。

が、類似点より、違いも見なければレーガーに失礼だ。
「小節ごとに変化する和声、半音階を超え、調性の限界寸前まで行っている。
主調はたびたび曖昧になり印象主義風の色調の魔法を思い出させる。
たびたび、どっちつかずの調性になるのと同様、
非対称の構成が強調点をヴェールに覆っている。
終楽章の『アレグロ・コン・スピリート』は、
レーガーの対位法の手際の良さを示し、
輝かしい作曲技法を例証している。」

という風に、この曲は印象派風の、
模糊とした作品のように書かれているが、
具体的な話が出てこないところが歯がゆい解説だ。

その傾向は、こんな感じで延々と続く。
そもそも、終楽章で対位法のどの部分が輝かしくて、
手際が良いのか?
全体的に、歯切れが悪い。

「この四重奏曲の、曖昧で霞んだ、
批評家が言ったような、『最も独特な創造力の霧』によって、
同時代者には理解困難なものであった。
彼らは、色彩的な混合を進歩的とも思わず、
適切な統合の欠如と見なした。
『レーガーは議会の評議員になったのだ。
それこそがこの四重奏の背景にあるに違いない。
評議員はせわしい名声の渦巻きに捉えられている。
我々は、新作の四重奏曲や彼の最近の大部分の作品に、
それを感じずにはいられない。
急場しのぎで性急で、ごちゃごちゃの生煮えのものが、
前面に押し出されている。
新しい四重奏曲もたいした努力もなされてなく、
対立する調がぶつかり合って、時折、二三の断片が、
一つの楽器の独奏で、完全に離れた二つの調性の間に、
橋を架けるみたいに奏される。(ドレスデン初演のレビュー)』」

こうした当時の人々の言葉の引用が、この解説のあちこちに、
ちりばめられているが、そうした悪意ある解説にも、
一理あるという考えだろうか。
それだけ誤解されたものでも、自分は正しく理解しているという、
自己顕示であろうか。
いっこうにこの作品が何なのかが見えて来ない。
ここからラストスパートのようになるが、
いよいよ訳が分からなくなる。

「ここで改めて、リーマンの音楽観を。
作曲とは、有機的な成長を伴うイデーであり、
展開の進行が不可避である。
これは多くの音楽学者の信ずるところであり、
おそらく音楽というものがある限り、
語られることであろう。
レーガーはしかし、そうした学者に敬意を持つことはなかった。
『私はまだ、私の嬰へ短調の四重奏を聴いていないのだが、
とても素晴らしい音楽家を含め、
すでに聴いた人によると、確かに素敵に響いたらしい。
ドレスデンから来たうすら馬鹿は、
その欠点をあげつらい、
いかにもドイツ的な偏見を断言した。
しかも、終楽章をフーガと言いやがった。
私の生徒たちは、それを聴いて笑い転げたよ。
(1911年11月4日、出版社のC.F.Peters宛)』」

この言葉を引用したということは、虚心に聴けばよい、
ということなのであろう。

最後に、唐突に、このSusanne Popp女史は、
全四重奏曲の解説をこう締めくくっている。
もう、第5四重奏曲の解説は終わり?

「音楽環境の説明による作品評価は、
多くの場合、偏見となりがちで、我々を笑わせたり嘆かせたりする。
レーガーの弦楽四重奏曲群は、
決して偶然の産物ではなく、
激しい、あふれ出るような創造力のたまものである。
表現力の増大こそが、彼の作曲の不文律であり、
これが伝統的な主題労作を超える原動力となった。
作曲家のニュアンスに富む指示に従った、
霊感に満ちた解釈なくしては、
レーガーの四重奏曲の真価を発揮することは出来ない。」

Susanne女史には悪いが、私は、音楽環境の説明からの、
作品評価をもっと聴きたいと思うし、
どうも、この解説は、具体性を欠き、
この意欲的なアルバムの重責を満たしていない。
特に、日本では、これらの曲のまともな解説を見たことがないのである。

では、MDG盤の解説には何が書いてあるだろうか。
ここでは、「第4」の成功によって、
昔の野心作、「第3四重奏曲作品74」も、
演奏されるようになったことも書かれている。
もちろん、ボヘミア四重奏団のエピソードも。
「1910年2月5日、出版者の
Henri Hinrichsenにレーガーはこう書き送った。
『ヨーゼフ・スークは、今、作品74を、
夢中になって研究していると言って来た。』」
このスークこそが、現代の名ヴァイオリニストで、
スーク・トリオのヴァイオリニストである人の、
祖父で作曲家、
ボヘミア四重奏団の第二ヴァイオリン奏者を務めた人である。
こうした流れもあって、翌年の弦楽四重奏曲第5番の献呈に到る。

余談かもしれないが、
この解説では、ライヴァルのフィッツナーの、
「弦楽四重奏曲ニ長調作品13」の
地位を奪ったようなことも書かれていて面白い。
どうも、「第4」の前までは、「第3」は、
フィッツナーのこの作があるゆえに拒絶されていたようである。

また、壮絶な推敲の後が多いことについても書かれている。
しかし、ここで、友人のシュトラウベがちゃちゃを入れて、
レーガーはスランプになったようなことが書かれている。

この後、曲の分析に入る。
cpo盤には決定的に欠けていたものである。
「作品121の第一楽章は、作品109のそれと同様、
重々しいが、明快な構成で、
しかもさらに複雑に織り込まれたテクスチュア、
解釈者を苦しめる4部分からなる。
三つも主題があって、明快に組み立てられ、
著しく表現の性格が異なる。
しかし、動機的、リズム的に、
徹底的な展開がなされるというより、
内部に向かう凝集力を高めて行く。
拡張され三つの部分からなる展開部は、
テーマ材料から全力を尽くそうとする、
レーガーの意志が感じられる。
ワルツ風のテーマが何度か中断する以外は、
厳粛なトーンが一貫して、それは全曲に渡って、
全曲を感情的に統一している。」

第一楽章は、このように複雑に入り組んでいるが、
何となく、身を委ねていればいいような気もする。
「作品109」のような、強引な中断がないし、
変化に富むので聞きやすい。
ただし、どこにドラマの頂点があるかはわかりにくい。
まさしく、迷子になるような音楽だが、
迷いながらも周りの風景には、暖かな日差しが満ちあふれている。

「ニ短調のスケルツォは、半音階の前奏曲が付き、
楽しい雰囲気さえあって、中間部はコントラストあるトリオではなく、
展開部の性格を持つ。」
この楽章の執拗な跳躍などは、まさしく、
ショスタコーヴィッチそのものである。

「続く楽章は、アダージョで、
やっかいな重量感を持っており、
この曲の実質、中心であることが分かる。
強く引っ張られた、音楽的描写と、
スローモーションのようなテンポは、
レーガーがスコアに、
沢山のアゴーギグ指示を書き込んでいなければ、
拡張された表出力のあるルバートを使いたくなる部分。」
この楽章は、「作品109」と違って、苦み走っている。
解説のように、終始、抑制された表情が、深いというより妙に不気味。

次の終楽章が始まるとほっとする。
「フガートで始まるフィナーレは、
楽しげなピッチカートやスタッカートの指示があって、
気楽な軽さを出さなければならない。」

この困難な曲は作曲上の厳格さゆえに、
レパートリーに取り入れられ、ヒンデミットが属していた、
アマール四重奏団などが取り上げたようだ。
この曲については、レーガーの批判者であった、
ワルター・ニーマンのような批評家も、
真価を認め、「ドイツのというだけでなく、最高の四重奏曲」
と表現した模様。

得られた事:「Kubeの解釈では、レーガーは壮大なものと簡素なものを、同時に志向する傾向があった。」
その2:「レーガーはフィッツナーに敵対心を持っていた。」
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by franz310 | 2008-07-20 12:02 | 音楽

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その131

b0083728_2257377.jpg個人的体験:
シューベルトの歌曲を
大量に管弦楽編曲した
作曲家ということで、
レーガーに脱線している。
あまり日本では
知られていない作曲家ゆえ、
その正体や魅力を探るべく、
彼の弦楽四重奏曲を、
順番に聴き進めているが、
いよいよ全5曲のうち、
第四番を取り上げる。


「いよいよ」と書いたのは、
レーガーの「弦楽四重奏曲第4番」は、
名作の誉れが高いからである。

「弦楽四重奏曲第3番」は、
希有壮大な英雄的四重奏曲であったが、
第四、第五は、少し小ぶりとなって、
例えば、ベルン四重奏団の「全集」では、
1CDに2曲が入っている。
「第三」で、20分もあった奇数楽章が縮小しているからであるが、
偶数楽章に比べると、これらはやはり長く、
「第一」 から続く、レーガー得意のバランスや構成が、
ここでも、繰り返されている感じである。

また、「第三」に比べると、すぐに気づくことだが、
第一楽章の雄渾な性格が、すっかり影を潜め、
全体としても、非常に穏やかなものに代わっている。

先に、「名作」と書いたが、
そういった事も手伝ってか、
レーガーの代表作として広く認知されているようで、
古くから、「第四」には、レコードも多い。

この前、この欄でも取り上げた、ドイツ往年の名手、
ブッシュらによる演奏も残されている。
素晴らしい事に、日本の新星堂の企画。
この録音は、非常に貴重なものらしく、
それについては、CD解説に詳しく情熱を持って語られている。

いや、しかし、読めば読むほど、貴重な録音である。
まず、ナチスに妥協して、ドイツを離れていた、
名手アドルフ・ブッシュが、
1951年、戦後初めて、祖国に戻った時の録音であるということ。
この年の末に、ブッシュ四重奏団は解散、
翌年、ブッシュはアメリカで亡くなったので、
まさに遺品のようなものである。

しかも、レコード用ではなく、放送用の音源だということで、
これを管理している「ブッシュ協会」との交渉の上、
ようやくCD化されたものだという。
しかし、
「著作権交渉にこれほどコストとお金がかかるとは」
とか、
「手数とお金がかかっている点だけをとっても、
もっとも贅沢なのがこのCDだ」
とか書いている解説も珍しい。

どんどん書いて頂きたい。
ありがたさが増すのは、ユーザーにとって、
望むところであろう!

そもそも、そんなにも企画担当者、
渉外担当者を苦しめた、「ブッシュ協会」とは何ぞや、
と考え込んでしまう。
実は、それについても、「ブッシュ協会について」という一文が、
何と5ページにわたって掲載されている。

ブッシュは、ヴァイオリンのアドルフの他、
指揮者の長兄フリッツ、この四重奏曲の演奏にも参加している、
チェロのヘルマンが有名だが、3人ではなく8人兄弟で、
音楽教育や演劇にも秀でた弟たちがいるという。
こうした、彼らの、芸術遺産を、
将来に残そうという理念で設立されたものらしい。

会員の年度寄付金で運営されているというが、
「ナショナリズムや人種差別の、
如何なる傾向にも反対して戦った兄弟の理念に従う」とあるらしいので、
忌まわしき時代を思い出す時の、一閃の光とも言える役割がありそうだ。

この部分は、岡堂勝行氏という会員の方が書いている。
が、一番、ブッシュのレコードが聴かれているのが日本だというのは、
喜んでいいのか、あるいは、世界標準から我々はずれているのか。

さて、このような協会ゆえ、ブッシュ関係の様々な記録が残されているが、
20回ものコンサートを催したとはいえ、
この訪独の際の記録が大量にあるわけではなさそうだ。

演奏会の記録としては、1番、9番、13番の、
ベートーヴェンの四重奏の録音がある。
幸い、これも一緒に別売りでCD化された。
そのほかに、バイエルン放送局に残されたのが、
このCDに収められたたった一曲+断章だったという。

それにしても、その貴重な一曲に、
このレーガーの「第四」が選ばれている点、
ブッシュとレーガーの関係が偲ばれるではないか。

この「偲ばれる」という感情に、音楽も相応しく、
冒頭からして、懐かしさをいっぱいにたたえた情緒である。
ただし、さすがにレーガー、そこに、
そうした情感を打ち破る荒々しい動機が乱入してくる。
レーガーのよく分からない点は、この荒々しい動機が、
どのような感情からのものなのかが不明確なところだ。

シューベルトの「未完成交響曲」の美しいメロディが中断されたり、
チャイコフスキーの第五交響曲の夢見るような緩徐楽章に、
非情な運命のテーマが轟きわたったり、といった感じともちょっと違う。
何故だ。

これがまた、切迫した低音での総奏による楽節でなだめられて、
神妙な雰囲気が充ち満ちたりしつつ、曲は立体的に進むが、
この変化をつけるという目的だけに、先の絶叫があるような感じもする。

前回、当時の批評家たちが、レーガーの音楽には、
何か隠されたテーマがあるのではないかといぶかったのも、
分かるような気がする。

とにかく、このCDの解説、ブッシュについてはたくさん書いてあるが、
レーガーについては、手抜きに近い。
私は、このような商品を企画し発売する難しさも、
なんとなく分かっているつもりだが、
また、このCD制作の努力には、心から感謝もしているのだが、
レーガー理解の上では、この解説では、いかんともしがたい。

「転調の手法を極度に拡大し、対位法的な音構造をあまりに複雑化したため、
晦渋で近づきがたい」とあるが、ほとんど、恣意的な作曲家としか読めない。
一応、この曲については、
「彼の作品の中では最も魅惑的で美しい一曲」
と書いてはいるが、先の第一楽章については、
「粘着質な二つの主題によるソナタ形式」とあるだけ。
あのしんみりとした感情については、何も書かれていない。
我々は、さあ、粘着質な主題はどれだ?
と考えながら聴くべきなのだろうか。

うむ、なるほど、あのしみじみした歌は序奏であって、
その後、現れる荒々しい動機が、第一主題ということか。
第二主題はどれだ。

この解説、弦楽四重奏曲の神様のような、
幸松肇氏の書いたものなので、敬意を持ちながらも困っている。

とはいえ、ブッシュについては、もう、満足するしかない解説。
何と、7ページもある。
そもそも、ドイツ精神の権化のようなこの四重奏団の母体が、
1913年の「ウィーン・コンツェルトフェライン四重奏団」という、
ヴィーンにあったオーケストラの四重奏団だったというのも初めて知った。
第一次大戦後、ベルリンで再結成したのがブッシュ四重奏団だという。
しかし、その後、チェロがナチ信者だったりと曲折があり、
このチェロの席に弟ヘルマンがついて、
イギリスデビュー、その後の活動が、我々にも親しい、
多くのレコードとなったのだという。
日本で、あらえびすが、これらのレコードに感涙したことは、
この前、紹介したとおりである。

この時期にして、すでに結成から約20年が経過している。
それから、アメリカ亡命、メンバーの多くが、
健康上の問題もあって入れ替わり、
1945年に一旦解散、さらにブッシュ妻の死があった。

そこから、ブッシュの最後期の活躍が始まったようだ。
すでに、ブッシュ自身も心臓に宿痾を抱えている。
さらにメンバーが替わり、最後の第二ヴァイオリンは、
弟子のシュトラウマンになったとある。
ということで、このジャケットを見ると、
第二ヴァイオリンがやたら若い。

ここまで詳しく書いてあるのに、
この写真の出所が明記されていないのは、
少々、残念である。
(テープ提供:ブッシュ協会/バイエルン放送局録音、とは書いてあるが。)
この訪独の際の写真だとして、
翌年に亡くなるというブッシュの眼差しも尋常ではない。
満身創痍の老将である。

第一楽章も中間部に到ると聴かれる、
鋭い慟哭もここから絞り出されているのだろうか。
そして、あの冒頭の穏和に回想するような主題が、
時折、現れては、彼岸の調和を指向する。
このメロディの扱いについても、
「特に冒頭のテーマにはブッシュのこの曲に対する
限りない愛情が滲み出ている」と解説でも特筆されているのだが。

さて、この曲が穏和な性格を持つ理由については、
先般から紹介している、CPOレーベルの「全集」の解説に詳しい。

「有名な四重奏団が、新作を解釈し、
浸透させるという難しい課題に、
少しずつ向き始め、レーガーの夢の四重奏団であった、
ボヘミア四重奏団にも、遂にその役割が回って来た。
この四重奏団は、ブラームスが参加した1893年、
ヴィーンの演奏会で国際的キャリアを開始し、
四重奏の歴史に革命を起こしていた。
ヴァイオリニストのカール・フレッシュは、
その回想録で、
『その登場は、四重奏の歴史における、
ターニングポイントだったと評価されよう。
その頃までは、
トップクラスのヴァイオリニストの、
挫折のようなアンサンブルが見られ、
とりわけ、ヨアヒム四重奏団にそうした例が見られた。
1890年代の始めに、3人の若い音楽家と、
少し年配の一人の音楽家が、プラハから来て、
ヴィーンのステージに立ったが、
彼らは、4人が一体となって、前代未聞の強烈さ、
新鮮さ、生まれる前から天国で決まっていたような、
技術的な完成度の高さでの演奏を披露した。
四人の均等の技量の器楽奏者が、
同じ感情の深さになって、同じ技術の高さにあって、
素晴らしい演奏を繰り広げるのを、私たちは初めて体験したのである。』
(チューリヒ 1960年、P121)」

これまで、ヨアヒムだ、ロゼーだ、ブッシュだと、
独墺系の四重奏団ばかりが意識されていたが、
どうやら、こんなすごい団体もあったようだ。

「レーガーはボヘミア四重奏団と組んで、
ブラームスのピアノ五重奏曲を演奏し、
これが数年の空白のあと、1909年3月に、
彼に弦楽四重奏曲を書かせる霊感となった。
彼は第四弦楽四重奏曲変ホ長調作品109を、
同じ年の5月に完成させた。
出版してすぐ、1909年、9月30日に、
フランクフルトでミュージアム四重奏団によって初演された。
すぐその後、ボヘミア四重奏団が、ベルリン、プラハ、
ミュンヘン、ライプツィッヒで、凱旋公演を行い、
この曲を世に広めた。
『これ以上、何を賞賛すればいいだろう。
プレストの妖精のような動き、それとも、
オルガンのような第三楽章の導入部?
フーガの演奏は途方もなく輝かしく、
それが透明で明確に演奏される様には度肝を抜かれた。』
(1910年5月10日、ドルトムント時報)」

ここで、さらりと書かれている、
プレスト(第二楽章)=妖精
第三楽章=オルガン
第四楽章=輝かしく透明なフーガ
というキーワード、記憶にとどめるに値する。
が、あの懐かしいテーマの第一楽章については何か言ってくれないか。

「レーガーは、この変ホ長調四重奏曲を、
メンデルスゾーンの義理の息子である、アドルフ・ワッハに捧げた。
二年前、この高名な法律家で、ゲヴァントハウス議会の議長は、
このカトリック音楽の改革者を、
保守的なルター派のライプツィッヒに移り住むように勧めた人の一人であった。
レーガーは、この人と個人的にも深い親交を深め、
マイニンゲン、イエナに移ってからもそれは続いた。
この被献呈者と、メンデルスゾーンへの尊敬から、
この曲はレーガーの作品の中では、穏和なものとなっている。
野性的な前の作品に比べて、より中庸でカンタービレに満ち、
ハーモニーも安定している。
ここだけではないが、特にフィナーレでは、
四人の奏者の緊密な連携や、
四重奏における奥義の縮図を披露する素晴らしい見せ場がある。」

ということで、古典的なメンデルスゾーンへの敬愛などが、
この曲の平明さに繋がっているのだという。
それにしても、ブッシュのCDに併録されているのが、
メンデルスゾーンの小品、カプリッチョである。
何と味わい深い。
ブッシュはそこまで考えて曲を選んだのだろうか。

この「カプリッチョ」(作品81より)は、
題名こそ軽いが、
これまた、渋いテーマで、フーガも出て来て、
完全にレーガー的な音楽である。
これまで見落としていた名品だと思う。

一方、私には、このCDのメインとなる、
レーガーの四重奏曲がそんなに素晴らしいものだとは、
最初は、まったく思えなかった。
が、この解説の最後にある、「弦楽四重奏の奥義の縮図」というのは、
大変、気になった。

そこで、この楽章を改めて聴いてみた。
で、ぐわっと、度肝を抜かれた。
ただし、このとき聴いていたのは、ブッシュのものではなく、
「全集」のベルン四重奏団のものである。
ブッシュは、濃厚な味わいながら、こうした点では多少、
透明感に不足する。

私が、この「奥義」の楽章を聴きながら思い出したのは、
まるで、渦を巻くように描かれた、カラフルな現代絵画である。
「オルフィスム」とでも言おうか。
ひょっとしたら、レーガーは、何か視覚的な幻影を見て、
それを表現するような音楽を書いたのかもしれない。

そう考えると、第二楽章なども、
妙に視覚に訴えるような音楽だと思えて来た。
先に、妖精のような、とあったが、
確かに、これは独楽のような形状の音楽である。
細い軸棒を中心に、妖精だか妖怪だかが、
くるくる回っているような感じがする。
そういえば、メンデルスゾーンは、妖精のスケルツォの作曲家であった。

ブッシュ盤の解説には、
「ブッシュの固く短いスタッカートは第二楽章や、
フィナーレのフーガで生き生きとした輝きを放つ」
とあるが、浮遊感には不足する。
ベルン四重奏団は、ブッシュの後では、どうも淡泊で、
軽量級ながら、こうした立体的な視覚的効果に関しては、
思いもよらなかった効果を発揮する。

最初、この第二楽章は、
悪しきレーガーの典型だと思えてならなかった。
軽妙というより軽薄、アイロニカルというより自画自賛、
ぽこぽこと鳴るチェロの音が、どうも、
聴衆をからかっているようにも思えた。
が、何か視覚的なものがあるのではないかと、
音の流れを立体的な線として聴いていると、
何だか、非情に興味深い音楽に思えて来た。

新星堂盤の解説は、
「機知に富んだト短調のスケルツォ」と素っ気ない。

ひょっとして、レーガーは、楽譜に音楽を書き込みながら、
音符の並びに視覚的な霊感を得て、法悦郷に到りながら、
フーガを書き進めていたのではないだろうか。

さて、前回、紹介したように、
「ブラームスが不滅なのは、
古いものを受け継いだからだけではなく、
新しく、想像も出来なかったような、
感情表現を醸し出すことができたからです。」
と、レーガーは書いたというが、
第一楽章や第三楽章の、レーガー特有の夕暮れのようなメロディは、
まさしくそうした微妙な感情を想起させる。

このあたりは、ブッシュの強烈な郷愁が、
曲想と完全にシンクロしている。

幸松氏も、
「かつて耳にできなかったような、
太く逞しいヴィブラートをかけて、
この息の長いカンタービレ楽章に独自の性格を与えている」
とあるが、もう、この楽章は、説得力の前に平伏するしかあるまい。

この楽章の解説は、
「ベートーヴェンの緩徐楽章にも匹敵する深い感動を秘めた歌謡形式」
と一行でシンプル。

ブッシュで、第三楽章、ベルンで第二楽章を味わえば、
きっとこの作品は傑作なのだろうと納得するしかなくなる。
第四楽章の冒頭はベルンの視覚的効果に目を見張り、
最後の強烈な盛り上がりは、ブッシュ大将と一緒に泣くしかなかろう。
新星堂盤の解説は、
「フーガ。後半で交響的な二重フーガとなる」
とあって、投げやりである。

曲のエンディングは、この2団体では、
まったく別の曲のような様相を帯びている。
ブッシュが望郷の絶唱であるのに対し、
ベルンは、あくまで微笑みを失っていない。

問題は第一楽章であるが、
あの唐突な混乱で、美しい情緒をぶちこわすのが、
意志的な第一主題と考えてみれば、何やら分かりやすくなるだろうか。
「粘着質な主題」などと、マイナスイメージはちょっと待って。
これは、懐古調を戒め、意志的に推進していくレーガーの自画像なのだ。
そう考えると、ちょっとは頭の整理もついて安心できる。

文学趣味になって申し訳ないが、
やはり単に、「ボヘミア四重奏団に霊感を受けて作曲された」
だけでは、痒いところに手が届かない。
ブラームスが、クラリネットのミュールフェルトの演奏に、
霊感を受けたというのも、
ブラームスが最晩年の寂寞の中に、
一筋の光明のようにこの巨匠の笛の音が輝き渡ったという、
お話の中でしか意味をなさないのではないか。

ラヴェルもプロコフィエフも、
右手を失ったピアニストのために、
協奏曲を書いたが、その印象が強すぎて、
結局、音楽は、何やら謎を含んだままで、
放置されているような気もする。

いったい、レーガーは、この時、どんな状況にあったのだろう。
作曲家直伝の演奏に間違いはなかろうが、
ブッシュのような望郷の念がこみ上げていた時期なのだろうか。

得られた事:「視覚的幻想を音楽化したような趣きに、レーガーの音楽の魅力の一端がある。」
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by franz310 | 2008-07-12 22:58 | 音楽

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その130

b0083728_23175199.jpg 個人的経験:
レーガーの室内楽を
代表する形で、
弦楽四重奏曲を
聴き始め、
前回は、未出版のニ短調と、
初めての出版作、
作品54の二曲を聴いた。
今回聴くのは、最大規模を持つ、
「第三番、ニ短調作品74」
である。CD一枚を占める。

前回、ベルン四重奏団の「全集」に頼ったが、
この曲になると単品売りが可能なようで、
フィルハーモニア・カルテット・ベルリンの演奏を、
1991年にドイツのTHOROFONレーベルが、
録音したものを持っている。
これも手強い作品ゆえ、まともに聴いたことはなく、
長らく放置していた。

このCDは表紙からして強烈。
黒字にいきなり赤文字で、
「MAX REGER」の文字が飛び込んで来る。
いかにも、ヤバい音楽をやっちゃいました、
という意気込みが伝わって来る。

また、その下に、
ヴァイオリンの胴体中央のみの写真、
というのもインパクトがあるが、
ちょっと意味不明な感じがなきにしもあらず。
まるで、パガニーニのカプリースの乗りである。

その下にPhilharmonia Quartette Berlinとあるが、
筆記体風で、これもフィレンツェの教会に落書きした、
恥ずかしい日本人を思わせて、ちょっと困る感じ。
何となく、イレギュラーな雰囲気を高めている。

それに加えて、曲名はどこかというと、
これまた、赤いたすきの斜め帯に書かれているという、
危険臭漂うレイアウトである。
まさしく端から端まで、レーガーは危険でっせ、
要注意でっせ、と宣言しつくしている趣きである。

同じレーベルで、
1920年代のドイツ音楽を集めたCDも持っているが、
このようなレパートリーを見ても、
そもそも、このレーベル自体が、かなりいかれている感じを受ける。
レーベルデザインも奇抜である。
が、演奏団体自体は、ベルリン・フィルを母体とする名手たちで、
日本のカメラータ・レーベルからも録音が発売されていて、
有名な人たちである。

このCDで、改めて曲を眺めてみると、
トータル55分32秒。
第一楽章が21分、第三楽章が18分で、これだけで40分。
第四楽章が11分なので、第二楽章は4分しかない。
第一楽章の1/5の規模である。
このアンバランスさは、ショスタコの四番を思い出させる。
第三楽章は緩徐楽章で変奏曲。
短い第二楽章はスケルツォである。
こう書くと、完全にベートーヴェンの様式で、
かつ、レーガー自身の第一弦楽四重奏曲の、
異常増殖版のようにも思える。

前回の「第一」ト短調の解説には、各楽章を、
1.嵐のようなアレグロ・アジタートのソナタ形式、
2.短い3つの部分からなるヴィヴァーチェ・アッサイのスケルツォ、
3.アレグロ・メストの緩徐楽章は憂鬱なモノローグ、
4.カプリシャスなプレスティッシーモ・アッサイの終曲フーガ
とまとめていたが、この「第三」も、同じ構図と性格を感じる。

解説には、以下のようなことが書いてある。
「『レーガーの出版された三番目の四重奏曲は、
1903年に完成され、翌年に世界初演がなされた。」

私は、これを読んで絶句した。
前回、第二四重奏曲の作曲を1910年と書いたが、
どうやら、あれはミスプリントをそのまま鵜呑みにしたようだ。
おそらく、1901年なのであろう。

「これはすぐに、彼のパターンとなり、
作曲すると即座に出版し、また演奏されるようになった。
30歳になるまでに名声を獲得していた彼が、
『自らをむち打つように』(フリッツ・シュタイン)、
さらにものすごい仕事ぶりを発揮していたことを示すものである。
残念ながら、彼の語法には付いて行けないと言われ続け、
当時の聴衆や演奏者の時代から、もう何十年も経過した。
この『ニ短調四重奏曲』は、
文献の上では傑作と言われていながら、
演奏されることは滅多にない。
いずれにせよ、彼の音楽がドイツ以外で、
広く知られることもなかった。
しかし、今、フィルハーモニア・カルテットが、
ドイツやアムステルダムのコンセルトヘボウのみならず、
ロンドンのウィグモア・ホール、パリですら、
この四重奏曲で、聴衆を熱狂させており、
さらにこの道が舗装されて広がることを期待させるものである。」

ということで、この四重奏団が、
特にこの曲を得意としていることが読み取れる。
しかし、レーガーの四重奏曲を解説している時に、
急に、このCDの演奏団体の紹介が始まるとは、
これまたびっくりする展開である。

すくなくとも、これまでこの欄で読んできた解説には、
このパターンはなかったような気がする。
それだけ、誰も演奏してこなかったということであろうか。
また、それだけレーガーで、聴衆をうならせるのは、
難しいということであろうか。

また、この後、私が気づいた、楽章のアンバランスについて書かれている。
「この四重奏曲の4つの楽章は、長さの点でばらばらである。
第一と第三が重く、他の二つはバランスの上で矛盾するかのようである。」

ここから、各楽章の解説が始まるが、要約すると、
1. エネルギーに満ちたユニゾンのテーマで始まる。
対照的な、静かで、しかし駆り立てられるような主題が続く。
これらの断章のような連なりが、スリリングに活躍する。
2. 2/4拍子ながらスケルツォ。
第一楽章と、同様に長大な第三楽章の間の楽しい緩衝材。
3. 民謡のような単純なメロディによる、11の変奏曲。
4. 小規模で雑多なものが集まった快活な楽章。
どの楽章も緊密に主題の相関があり、最後は消え入るように終わる。
といった感じ。
冒頭主題から力強く明快で、非常に魅力的。
第一楽章の、あらゆる可能性を展開しつくすような、
迷宮のごとき複雑さも、何やら突き動かされているものが明確で、
前へ前へと進むので、説得力を感じる。
第二楽章は、まさしくストラヴィンスキーとか、
ショスタコーヴィッチのような、遊園地のような音楽。
ここまで、前衛的な作風に対し、第三楽章の平易なメロディが始まると、
ちょっと、緊張感が途絶えるような気がする。
が、これについては、後述する。
第四楽章は、いかにもレーガー風の、
くるくると同じ所を旋回して、枝葉末節がこねくり回されるような赴き。
が、そこに、鮮烈に叙情的なもの、
または突発的に激しいものが適宜侵入してきて、
前に音楽を進めていく。
確かに、じゃじゃんと鳴って、すうっと消えていく、
謎の終曲である。

なお、このトロフォンのCDの解説は、
Hans Peter Simoneitという人が書いていて、
この曲に触れる前に、レーガーの人となりが書かれている。
「口先だけの意味のない行動は嫌いなのです。
建築的な美しさ、メロディ、反復の魔法のようなものが、
どうしても必要なのです」という、
17歳の時の作曲家の言葉に続いて、
伝統的なソナタ形式の愛好、強い表出力を持つメロディが、
その特徴であると補足している。
「反復の魔法」とは、晩年まで続いた対位法へのこだわりで、
ベートーヴェン、ブラームスに続く、
ソナタだけではなく、バッハに倣って、
トッカータやプレリュード、フーガなども書いているとある。

楽譜上には、「エスプレッシーヴォ」や「アジタート」という言葉が目立ち、
「センプレ(絶えず)」、「モルト(非常に)」などが強調される。
ブラームスについても、彼は、こう書いたそうである。
「ブラームスが不滅なのは、
古いものを受け継いだからだけではなく、
新しく、想像も出来なかったような、
感情表現を醸し出すことができたからです。」

という風に、このCDは、ジャケットも個性的で、
解説もよく書いてあり、録音も優秀ということで、
総合点は高そうである。
演奏も立体的で押しが強い。
全集を作ったベルン四重奏団は、もう少し落ち着いた表現である。
こちらは残響も豊かで、疲れないのはベルン盤か。
ベルン盤は、少し克明さより幻想性を重んじているような感じ。
玄妙な美しさはこちらにあるが、ちょっと、重心が軽いような気もする。

「フィルハーモニア」では、シューベルトなら「15番」が聴きたい。
「ベルン」では、シューベルトなら「13番」が聴きたい。

実は、このベルン四重奏団の全集版の解説には、
レーガー研究者の面目躍如というべきか、
この曲の成立にまつわるエピソードなどが書かれていて、
合わせて読むと参考になる。

「前の四重奏曲から何年かして、
室内楽演奏復活の機運も盛り上がってきた頃、
レーガーは再び弦楽四重奏曲の作曲に駆り立てられた。
1903年3月、コンサートの折に着想された。
『今夜のブリュッセル四重奏団は見事の一言に尽きる。
すぐに四重奏曲が書きたくなった。
こんな思いが心の中を行き来する(1903年3月29日出版者宛)。』
しかし、まずやるべき仕事があって、
最初の大規模なオーケストラ付き合唱作品、
『Gesang der Verklarten』作品71、
ヴァイオリン・ソナタハ長調作品72、
オルガン変奏曲作品73などが書かれた。
当時、亡くなったばかりのフーゴー・ヴォルフの遺品の整理も、
彼の時間とエネルギーを消費した。
このような理由で、レーガーが、
次の四重奏曲に着手できたのは、
1903年10月1日になってからであった。
彼はこれに専念、11月には手稿を提出している。」
レーガーとヴォルフがこんな関係であったとは知らなかった。
確かに、ヴォルフの死は1903年のことである。

「この四重奏曲の交響的な側面は、
シェーンベルクが調性を破壊し、
従来の四重奏曲の殻を破って、
さらに刺激的な効果をもたらすのに先立つ、
もっとも前衛的なものであった。
一般の期待に対して対立する、
名高い二つの要素が、
再度、現れる。
深い興奮の表現、
すべての音楽パラメーターの絶え間ない変容による、
カオスのような効果。
初演は、当時の最も重要な近代音楽のフォーラム、
フランクフルトのトーンキュンストラー祭で予定されていたが、
メンバーの一人が急に病気になったので、
突然、キャンセルとなった。
それに代わって演奏されたのが、
悪名高い作品72のヴァイオリン・ソナタであった。
この作品は主音を避け続け、
俗物批評家の羊と猿が討論している様を、
『schefe』と『affe』という音の対立で表現した。
この曲の初演は非常な関心を呼び、
レーガーはドイツ室内楽における恐るべき子供と見なされ、
ドイツのどこの町でも、彼の登場はセンセーションとなった。
弦楽四重奏曲はキャンセルされたにもかかわらず、
新聞が痛烈な批判を書いたという奇妙な現象が起こった。
ここでは、レーガーが音楽祭に際して書いた作品分析が、
悪意をもって利用された。」
この、羊と猿の主題で評論家をからかったソナタの話は、
どこかで読んだことがあったが、
代わって演奏されたということは、
別の機会を想定して書いた作品だったのだろうか。

「レーガーが書いたことはこんなことであった。
彼はこの四重奏曲の表現力、情熱的な効果、突然で鋭い不協和音、
それから第一楽章の嵐のような興奮。
『不思議な第二楽章』は、『楽しげな古風な主題』で、
『アイロニックに見えるかもしれず』、短い間奏曲である。」

『』の引用が多すぎて非常に読みにくい解説だが、
ここが研究者のこだわりであろう。

「『単純な主題による変奏曲』の第三楽章については、
ほとんど触れておらず、
ロンドの終曲は、
『見せかけのフガート』で、
『禁じられた小径を元気よく彷徨う』感じ。」
この感じは私には良く分からないのだが、
音楽からは、かなり混乱した印象を受けた。
しかし、それをレーガー自身も気にしていたのか、
以下のような解説が続いている。
「『ひねくれた音楽』だと考え、
そこに何か隠されたプログラムがあると考えがちな、
俗物を先制するように、
『これは純粋な音楽表現であって、
そこにどんな隠された何かがあるかどうかは、
個々の聴衆の自由に委ねる。』」
彼の出版社への手紙からは、『活発な音楽形式』以上のものが、
そこに含まれているとも書いている。」
ますます、訳の分からない解説だが、
とにかく、問題の多い楽章であろう。

さらにレーガーはこう書いたともある。
「『作品74は、技術的には難しくありませんが、
音楽的、超心理的には困難なもので、
第一楽章から悲劇的なものを引き出す必要があり、
第三楽章(変奏曲楽章、ベックリンの“ヴァイオリンを弾く隠者”みたいな)は、
音楽的に難しく、第四楽章の開放的なユーモアは、
そんなに難しくないでしょう。
スケルツォは剽軽に聞こえるかもしれません(1904年12月30日)。』」
レーガーは年がら年中、手紙を書いていたというが、
こんな手紙を全部集めれば、それだけで、
全作品解説全集が出来そうなものだ。

しかし、こんなところでベックリンが出てくるとは思わなかった。
解説者も同様の反応をしている。

「ここでアーノルト・ベックリンについて触れているが、
これは、レーガーの『ベックリンの絵画による四つの音詩』のテーマの一つが、
この『隠者』であったことを思い出させる。
レーガーの作品には、この自ら俗世間から追放され、
モノローグに没頭するヴァイオリン弾きのポートレートが、
たびたび登場し、私たちは、深い息づかい、意味深い瞑想を感じる。」

と、まさか、以前、この欄でベックリンについて書いたことが、
まるで、この曲を予告していたかのような感じである。

ということで、シンプルな主題による第三楽章が、
世捨て人になりたいレーガーの願望を現しているとすれば、
また、違った聴き方も出来るというものであろう。

この曲を聴いた私の感じは、
第一楽章、第二楽章は、実験音楽の極地として成功しており、
特に第一楽章は冒頭から魅力的で力強く、
何やら深い感情に満ちている。
第三楽章は、方向を見失って脱線し、平明を通り越して平凡となり、
第四楽章は支離滅裂、といった感じであったが、
どうやら、レーガーは、後半2楽章にも何やら、
深い意図を込めていたようである。

しかし、その生涯を概観するつもりで、
聞き続けてきた曲集であるが、
今回は、どこに住んでいたかという情報がなかった。

前回、第二番の解説には、ワイデン時代の最後の作品とあったので、
この第三番は、次の時代に属するはずだが、何時代の作品かは分からない。
とにかく、旺盛な作曲意欲に満ちあふれていた時期だということは分かった。

今回も、まったく「ます」と関係ない作品になってしまったが、
ブリュッセル四重奏団のような団体があって、
独墺系の文化の権化のような四重奏曲、室内楽の歴史を、
側面から支えていたことに、感じ入ることがあった。

というのも、極めて個人的なことながら、
私が「ます」の五重奏曲に感銘を受けたのも、
ドイツやオーストリアのアンサンブルの演奏ではなく、
オランダの団体の演奏によってであったからである。

そんなことにも、ふと、思いを馳せた次第である。

得られた事:「レーガーは批評家をからかった曲を書く一方で、俗世からの逃避を夢見た、矛盾した側面を持つ作曲家であった。」
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by franz310 | 2008-07-05 23:20 | 音楽

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その129

b0083728_22494730.jpg個人的経験:
CD時代になって、
いくつかのレーガー作品が、
日本でも聴かれるようになったが、
作品番号で146を数える、
彼の生涯の仕事の展望に関しては、
よく知られていないのではないか。
どうも、私も、
そのあたりの知識が断片的なので、
手っ取り早く、
概観したいと思っていた。


膨大なオルガン作品は、今はお手上げである。
あるいは、全9曲のヴァイオリン・ソナタなどを聴き進めれば、
その生涯の大部分をカバーしていそうだ。
だが、それも大変。
弦楽四重奏などはどうだろうか。
これは作品番号が、
作品54、74、109、121とあって、
晩年に至るまで適度にばらけているし、
未出版のニ短調は、最初期のものである。
また、このニ短調のものは、
終楽章にコントラバスが入るという変わり種らしい。
シューベルトの「ます」は、コントラバスが入ることで、
室内楽では異端とされるが、
このレーガーのように、終楽章だけ入れるというのも奇抜である。


うまい具合に、これも含めて全集CDが出ている。
3枚組で、ずっと前に入手しながら、
まじめに聞いていなかった。
そう考えると気になって来た。

かなりシューベルトから脱線しているが、
今回は、レーガーの「弦楽四重奏曲全集」を、
取り上げることにする。

いきなり全部は大変なので、
今回はこのCDの一枚目を聴いて見よう。
先の未出版作+作品54の2曲が聴ける。
つまり、弦楽四重奏曲(未出版)と、
弦楽四重奏曲第1番、第2番の全3曲が、
今回の対象。

このCD、これまでも、一度くらいは聴いたかもしれないが、
それで理解できる代物ではないことは言うまでもない。
また、勢いなしに気楽に聴けるものですらない。

後半の3曲は30分を超える大曲であり、
作品74に至っては50分を超える。

CPOレーベルのものだが、
ベルン・カルテットとあるから、スイスの団体。
ヴァイオリン二人がスイス人で、ヴィオラがスウェーデン、チェロがアメリカ。
第1ヴァイオリンとヴィオラが1941年生まれの男性で、
あとの二人は女性なので年齢不詳。
チェロ以外の3人は、アマデウスSQと同様、M・ロスタルに学んだとある。
そういえば、ロスタルはスイスで教えていたのだっけ。

コントラバスとして全22トラックのうち1トラック分だけ参加するのは、
Bela Szedlakという人らしい。バルトークと同じ名前。ハンガリー人か。

怪しげできれいな表紙デザインだが、クプカの「最初の一歩」?
1910年の作とある。
レーガーの活躍していた年代に相当するせいか、なかなか好きな感じ。
またまた、解説はSusanne Popp、英訳もSusan Marie Praeder。

「レーガーの音楽史における役割はまだまだ論議の対象である。
ある人にとっては、古典-ロマン派の伝統の遅れてきた後継であり、
ほかの人にとっては、モダニズムの転換点の先駆けである。
世紀の変わり目に、レーガーが最初に公衆の前に現れた時、
彼はすでに、『3大B』に連なる絶対音楽の伝統による、
室内楽、声楽曲、オルガン曲、ピアノ小品など、
50もの作品を書いていた。
音楽劇や交響詩にフォーカスしていた当時のモダン音楽に、
彼を分類しようとすると、どうもうまく行かない。
公認された、彼の作曲技法の熟達にもかかわらず、
伝統的なジャンル、形式の音楽に含まれる
彼の音楽材料の複雑さ、
禁断の領域に近づいている実験は、
伝統の羊の皮を被った革命のオオカミとして、
彼を断罪するに値するものであった。
反動的な相続人、革命的な新機軸、
これらの正反対の要素は、彼のオルガン音楽、室内楽に顕著である。
レーガーにとって、バッハは、リゲティを先取りするような、
革新的語法の出発点であった。
潜在的なプログラムを反映させたコラールのテキストの利用は、
そのオルガン音楽を身近なものとし、驚くべき音の集積体や、
突然の崩壊を、正当化するものである。
彼のオルガン作曲家としての名声は、
とりわけオルガン奏者からの指示によるものである。
長い不毛の期間を経て、彼らはようやく最高のレベルで、
後期ロマン派のオーケストラ・オルガンの音色をフル活用した、
演奏会用作品を得ることが出来たのである。」

ということで、全く弦楽四重奏曲の話は出てこない。
レーガーのオルガン曲にどんなプログラムが仕組まれているのかが、
大変、気になる内容である。

「彼の器楽曲の時代に作曲された、
大きな形式、かつモニュメンタルで、
プログラム的内容を持つ室内楽に関しては、
彼は、長い苦労の時期を要した。
室内楽は、当時、今日的なものではなく、
20年後の新ヴィーン楽派の時代まで、
流行を待たなければならなかった。
彼は時代の潮流に逆らって泳ぎ、
生涯を通じて、弦楽独奏から、弦楽六重奏まで、
また、ヴァイオリンとピアノのためのソナタから、ピアノ五重奏曲、
フルートのセレナードから、クラリネット五重奏曲まで、
様々な編成の室内楽を書いた。
作品1のヴァイオリン・ソナタは、彼の最初の室内楽への貢献であり、
クラリネット五重奏曲作品146が最後のものであった。」
いよいよ、室内楽の話になってきたが、
これだけたくさんの作品を列挙したにも関わらず、
まだまだ、ここでの主題である弦楽四重奏に関しては一言も出てこない。

が、ここから、いよいよ本題に入る。
「弦楽四重奏曲は、その標準レベルの高さ、
厳しく定義されたガイドラインからして、
非常に特別なものと位置づけられている。
ベートーヴェンの大砲のような作品群があったために、
作曲家たちに、技法熟達を要求したものの、
理論家としての創造性を一方的に否定されがちなものであった。
運命の定めによって、レーガーの作曲の師は、
20世紀初頭の厳格な音楽価値システムを理論づけた、
フーゴー・リーマンその人であった。
彼の観点からすれば、
弦楽四重奏曲は、芸術の有機体であり、
すべての音楽ジャンルで最も厳格なものであり、
論理的構成や、内的必然性や、
展開の必然を明確にしたものでなければならなかった。
ベートーヴェンとブラームスが作曲したもの以外の、
展開技法を基本原理とするすべての音楽は、
行き当たりばったりの作品として退けられた。
こうした理論的前提が、今日まで、
レーガーの四重奏を定義している。」

ということで、ヤバい先生にヤバい生徒が付いたという形である。
これはもう、最強のヤバヤバ・コンビと言って良さそうだ。

「レーガーの作曲家としての発展は、
レーガーの歴史的、美学的位置の
二つの異なる方向によって、形成されているように見える。
1888年の夏の間、15歳のレーガー少年は、
バイロイトでのパルシファルの圧倒的公演に参加したことによって、
音楽家としての道を決意した。
彼は120ページにわたる序曲を作曲し、
1888年11月に、権威あるリーマンに、
評価してもらうべく、それを提出した。
リーマンはレーガーに、『バイロイト中毒』と警告したものの、
その素晴らしい才能を認め、メロディのセンスを磨くために、
弦楽四重奏曲の作曲を勧めた。
レーガーは独学でトレーニングを続け、
最初の弦楽四重奏曲を作曲した。
3楽章形式の四重奏曲ニ短調である。
16歳の小僧は、1889年の6月、これをリーマンに提出し、
作曲家になる資質があるかの評価も求めた。
リーマンは好意的な判断をし、
こうしたことにより適した権威、
保守的な作曲家、ヨーゼフ・ラインベルガーに紹介されて、
若さゆえの未熟は認められるものの、
音楽家になる才能の、確固たる証拠を見いだされた。」

ということで、問題作は、このバイロイト小僧の、
半年がかりの作品だということだ。
「レーガーはこの作品に作品番号を付けるだけの価値を認めず、
単なる習作として出版した。
リーマンに正式に就く前の作品であるにもかかわらず、
この作品は考慮に値する。
この四重奏曲には、成熟したレーガーを特徴付ける、
作曲の特徴の最初の暗示があり、
それはリーマンの指導のもとに書かれた、
作品1から5の室内楽以上に感じられる。」
何と、ややこしいことに、前々回取り上げた、
ヴァイオリン・ソナタ作品1以上に、
今回の習作四重奏曲の方が、「レーガー的」であるということである。

「後に、ブラームス風の展開による変奏と、
細部の仕上げが目立つ作曲技法が新しく得られ、
その熟達した利用は、優等生の熱意を伝えるものである。
ベートーヴェンを参考にした四重奏曲でありながら、
レーガー風の特徴はすでに顕著である。
例えば、彼の個性的な質感や、
息の短いモティーフの切れ端にこだわり、
また、それがしばしば絶え間なく現れるといった弱点も。
さらに繰り返しや対比は、彼の最も重要な構成方法であり、
主題発展時の必然としての完全なる対比は、
リーマンに叩き込まれたものである。
最後の第三楽章は標題風のタイトル、
『急激な上昇(躍進?高まり?)』を有し、
四重奏の楽器にコントラバスが参加する。
大きなダイナミクス変化に微妙な陰影を与え、
極端なpppとfffの間の突然の対比が、
このまだ音楽書法の未成熟な若々しい作品において、
重要な役割を果たしている。」

この曲は確かに悪くない。
冒頭から総奏で奏される、ハイドン風の主題も、
かすかな憂愁をたたえて聴かせるし、
第2主題も愛らしい。
展開のぐちゃぐちゃした感じもレーガーの好みを反映して面白い。
展開部で、ヴァイオリンとチェロが歌い交わす所も美しい。
ヴィオラがニヒルな歌を歌う所も良い。

第2楽章は、完全にベートーヴェンの第1番の第2楽章の乗りである。
まさしくロミオとジュリエットの墓場のシーンの音楽であろう。
とても美しい。しかも、がりがりがりと弦楽を震わせて、
より表現主義的な色彩も加えている。

終楽章では、コントラバスが、
バーンと入って来て、一気に音楽がふくらむ。
その意味で、「高まり」はよく表現されている。
が、主題は悲愴なものではなく、
希望に満ちた明るいもので、いつか、このシリーズで取り上げた、
オンスロウなどが好きそうな感じ。
オンスロウの五重奏はコントラバスを含むので、
音響上の連想かもしれないが、
メンデルスゾーンなどを含め、古典~初期ロマン派風の見通しの良さである。
とても好ましい印象で、ラインベルガーのような、
保守的な人なら大喜びしたはずである。
この曲は、演奏会で聴いても、純粋に楽しめるはずである。

このCDには続いて、作品54の二曲が収められている。
CD1枚に3曲入っていることからも分かるように、
いずれも20分台の曲で、3曲中、4楽章作品は作品54の1のみ。

「レーガーが弦楽四重奏に目覚め、
若々しいベートーヴェン信仰に至るまで、しばらく時を要した。
リーマンに師事していた間も、彼は弦楽四重奏曲を計画したが、
終楽章のフーガが『地獄の対位法』になってしまった。
次の四重奏を書くまでの12年間に、
彼は素晴らしいオルガン作品で作曲の経験を積み、
自身の語法を見いだしていく。
彼が作品番号を付けるに値すると考えたものは、
1900年11月の日付を持つト短調作品54の1である。
彼はこれに熱中したが、
彼は終楽章の古風で楽しい自由なフーガから着手した(11月14日)。
彼は第1と第3楽章を理解困難なものと書いていたが、
その冬にでも演奏されるはずだった。
『もし、ある人が、こんな“クレージーな”ものの演奏を、
きっぱりと拒絶したりしなければ。』
この四重奏曲の、何かクレージーで混乱したものが、
1910年10月26日にHosl四重奏団が初演するまで、
初演を10年も待たせることになった。
確かに、伝統的な全体構成ではあるが、
各楽章はまったく独特の性格を持っている。
つまり、嵐のようなアレグロ・アジタートのソナタ形式、
短い3つの部分からなるヴィヴァーチェ・アッサイのスケルツォは、
ブルレスクなフモールを有し、
アレグロ・メストの緩徐楽章は憂鬱なモノローグであり、
カプリシャスなプレスティッシーモ・アッサイの終曲フーガは、
素晴らしい対位法処理である。
楽章の標題がすでに、この作品の強烈さと表出力を示している。
第1楽章は、特に、音楽的な沸点に向かって行く、
火のような解釈を求めるものだ。
嵐のような動きと、
不安定な調性の中の、
緊張に満ちた幅広い音域は、
突然の休止を伴うダイナミックの増大を推し進める。
混乱と軽率な狂気という批判は、
四重奏の展開の作法や、
異常なテンションの高さに向けられている。
その展開は、テーマによるもののみならず、
リズム、ハーモニー、メロディの要素や、
その無限のニュアンスや細部の無限の変容にまで至っている。
これらすべてが、古典的な主題展開と比較されて、
発育不全と見なされた。
音楽のテンションの高さの点で、
解決も打開もない噴火と激動を伴う、
あまりにも論理的な作曲技法ゆえに、
あまりにも難解という説とは矛盾する。
レーガーの四重奏曲は、
決まり切った論理や、思いつきの展開を否定して、
あらゆる可能性に挑戦するものである。
彼は、どれか一つを選べと言われた時には、
あらゆる可能性の総体を選ぶのである。」

この解説者のいつもの例で、非常に難解な解説であるが、
レーガーは単に主題労作をしたのではなく、
あらゆる可能性を、炎のように極めようとしたという点は良く分かる。
しかも、音楽は、レーガーが言うとおり、
第1楽章と第3楽章は難解で、第2、第4楽章は楽しい。
冒頭主題は、さすがこの作品を、
「弦楽四重奏曲第一番」としたくなるような、
荘厳な雰囲気が漂っている。あの習作の後で風格がある。
しかし、展開部の魔法のような変化や対比は、
胸がいっぱいになりながらも、どうしていいか分からなくなる。

こうして、奇数楽章は暗い世界に触手を伸ばしていくような音楽。
11分と7分で、他の楽章の倍くらいある。
第三楽章は、モノローグのように厳しく深い。
偶数楽章は、軽妙。終楽章のフーガも、妙におどけた感じ。
こんな風に各楽章の性格がばらばらに見えるのが、
おそらく敬遠される所以であろう。

が、こうしたユーモアと深淵を並置したのは、
考えてみればベートーヴェンの創始である。
シューベルトみたいなまじめ人間音楽を模範としていれば、
レーガーの作品は違ったものに発展したはずである。

「レーガーは彼の四重奏曲イ長調作品54の2を、
1910年の4月の終わりから6月の半ばまでかけて書いた。
これは、彼のワイデン時代の最後の作品で、
作品64のピアノ五重奏曲に続けて書かれている。」
作品54が、いったいどんな意味があるか分からないが、
作品54の1と2の間には10年の歳月が流れているようだ。

「この五重奏曲の強烈な音の爆発の過多、
異常に目の詰んだ質感、圧倒的な複雑さは、
野蛮な作品と呼ぶにふさわしいが、
それゆえにレーガー自身、
これは出版するには革命的にすぎると見なした。
こうした並外れた音楽の後で、
レーガーはリラックスした音楽を書く気になった。
そして、これが、ト短調の作品と対をなす、
イ長調四重奏曲を書くきっかけになったものだろう。
調性の明るさ、3楽章構成、親しみやすい第2楽章の変奏に着目すると、
この作品は、無邪気なものと思われるが、
それはあくまで、比較の上の話。
アレグロ・アッサイ・エ・ビザーロのオープニング楽章は、
明らかにこうした意図を否定するものである。
遊びと瞑想、風変わりさの噴出は、激しいリズムの変容、
和声のシフトを伴い、テーマは断片化して、
別々のイベントが進行するかのよう。
そのめまぐるしい彫琢もまた風変わりである。」

この曲も恐ろしい作品である。
ショスタコーヴィッチの先祖である。
解説にもあるように、常に気分を変えながら、
諧謔と崇高が隣り合わせになって交錯する。

「そのアンダンテ・センプリーチェという表記に関わらず、
この変奏曲楽章は、和声的にも旋律的にも矛盾した、
13に区分されたテーマによっている。」
この楽章も、先の楽章と同様。
ある部分は非常に清澄、ある部分は瞑想的で美しいが、
次々に現れる意味不明な連続によって、かき回されて、
散髪屋のくるくるみたいに目が回る。

第三楽章は、完全におふざけみたいな音楽。
と思うや、強烈に印象的な深々としたメロディが浮かび上がって、
はっとさせられる。
ものすごくフモレスク調の音楽。
これも、第一番のような凝集感に耐える必要がない分、
演奏会では楽しめるかもしれない。
解説にはこうある。
「アレグロ・ヴィヴァーチェ・コン・スピリートの終楽章は、
このコン・スピリートの表記にふさわしいが、
それは驚くべきものである。
レーガーは、Hosl四重奏団が、
1904年にこの曲を初演したのを聴いて激怒した。
『完全に、全体的にハーモニーが欠如している。
誰も何をどう演奏しようとしているか分からない。
最初のリハーサルの間、私は何度か救いの手をさしのべようとした。
しかし、あまりにもひどい扱いを受けて、
二回目以降は行かなかった。
いや言い方を変えると、
Hoslは、ベストを尽くそうとしていた。
が、あとの3人はよくなかった。
結果として、私の四重奏曲は、
牧神が、完全に酔っぱらって作曲したみたいな風に聞こえた。
(1904年4月25日、Kroyer宛)』
この四重奏曲は音楽家を完全に置き去りにしていた。
そして、レーガーの四重奏曲をベートーヴェンの後期作品と比べると、
内容的にも技術的にも、
ベートーヴェンが子供のように見えたとしても不思議ではない。
それは、音楽の高貴さと美しさの境界を越えたものと評された。
(1903-4、Wilhelm Altmann『音楽』)。」

マーラーやショスタコーヴィッチを愛聴する人は、
レーガーの「第2弦楽四重奏曲」を忘れないようにして欲しい。
今回の視聴ではそう考えた。
が、非常に難しい音楽。
解説なしに聴くには、非常な集中力と記憶力、
そして先入観の排除を必要とする。

得られた事:「レーガーの未出版の弦楽四重奏曲は、終楽章のみコントラバスが入る珍曲。が、習作としてかたづけるには惜しい。続く2曲は10年のスパンを置き、先駆的な充実した個性派。」
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by franz310 | 2008-06-28 22:56 | 音楽

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その128

b0083728_2317762.jpg個人的経験:
私がレーガーの作品に
初めて触れた時、
ある意味仲立ちを
してくれたのが
シューベルトであった。
傑作ヴァイオリン曲、
「幻想曲」の決定盤
と言われたブッシュの
レコードにレーガーの
作品の一部が収められていた。

もう30年以上前、
いや40年近く前になると思うが、
東芝EMI株式会社が、「世紀の巨匠たち」シリーズとして、
ブッシュ名盤シリーズというのを出していた。
その中の一つがこのレコードで、
A面にシューベルトが、B面にやや短いシューマンの1番が収められ、
余白のわずか2分34秒が、レーガーの、
「アレグレット-ヴァイオリン・ソナタ第5番 嬰ヘ短調 作品84より」
だった。ピアノはゼルキンである。

とにかく、シューベルトとレーガーは、
1831年5月の録音のSPの復刻であって、
LP時代の常識からすると非常に雑音の多い音であった。

が、評判のとおり、シューベルトの「幻想曲」は圧倒的な演奏で、
ピアノが文字通り幻想的な序奏を奏で始めた瞬間から、
ぞくぞくしてしまったことを良く覚えている。
事実、それからいろいろな演奏を聴いたが、
この演奏の呪縛から逃れられないでいる。

このLPは、ジャケットもブッシュらしい武骨な感じが出ていて良い。
背景の本棚が衒学的な感じもする。整然と並んでいないのが、
今は少し気になる。
しかも、改めて見ると、本棚が、えらく近く感じられる。
ゼルキンが興奮したら、手をぶつけそうな距離である。
まるで、当時の私の狭い部屋とあまり変わらないような感じ。
そういう意味では何の変哲もない写真である。

ただこれも、入手した時には、
ただ、ありがたい感じだった。
そもそも、1000円から1500円までの、
廉価盤しか入手できなかった学生が、
レギュラー盤と変わらぬ2000円の盤に手を出したのである。
二倍ありがたくても仕方がない。
CD化された時には、シューベルト同士ということで、
「幻想曲」は「ピアノ三重奏曲第二番」と組み合わされた。
このカップリングは、名大作の組み合わせで何の不満もないが、
チェロが入ったり入らなかったりするのは不自然とも言える。
また、シューマンとレーガーはどうなったのだろう。
「ブッシュの芸術」という、全集の形では再発されたのは知っているが。

このLP、絵に描いたようなセピア調で、古式ゆかしい。
ブッシュは神妙な面持ちで左手にぐぐっと力が入っている。
右手はゼルキン共々、白熱してぼけている。
この写真を縁取る唐草模様状のデザインも味がある。
これなら、2000円出してもよいと思ったはずである。

なお解説は、各曲の解説があって、最後に裏面の1/6ほどを使って、
「ブッシュとゼルキン」という演奏者にスポットを当てた部分が来る。
「世紀の巨匠たち」シリーズなのに、巨匠の方があとに出てくるのも悪くない。
やはり作品が一番重要であろう。
「厳格」、「禁欲的」、「真摯」という、
ブッシュを語る時の決まり文句が並んでいるが、
実際、格調高い名演と思う。

これを聴いた後では、多くの「幻想曲」の名盤が、
何だか実体のない軟体動物のような感じになる。

こういう事を書くと、単に、先入観や郷愁のようなものだと、
非難もされるかもしれないが、針を落として、演奏が始まるや否や、
強烈な感動に突き動かされるという経験はそうたくさんあるものではない。
そのときの体験は生涯大切にしたいものだ。

あらえびすの「名曲決定盤」でも、
「『大幻想曲』に示した、幽玄不可思議な美しさはどうだろう。
少しく大げさに言ったならば、あらゆるヴァイオリン曲中、
この曲ほど人の心に食い入る美しさと、
何人の心も浄化せずんばやまざる床しさを持つ曲が幾つあったであろう。」
と書かかれているが、まったく同感と言わずにいられない。

さらに、彼は、
「単にブッシュのレコードとは言わない、
あらゆるヴァイオリン、ピアノ二重奏曲中、
この曲こそは.私の最も好きな曲の一つだと言ってもいい」
と書いてさえいるのである。
私は、それにも同調してしまいそうである。

とはいえ、さすがのあらえびすも、
レーガーの曲については記述がなく、
ブッシュが「マックス・レガー」に認められたという、
ブッシュの略歴での記載のみ。
が、こうした関係で成立した録音なのであろう。

ただし、このLP、1937年のシューマンは、
曲がのっぺりした印象であるだけに、録音の古さが残念であった。
一方、レーガーは、奇妙な曲だと思った。
とても繊細で美しいメロディが、途中、ぶちこわしになる音楽。
そもそも2分ばかりの演奏時間で、どれだけ、
この作曲家が何たるかを知ることができるだろうか。
解説はわずか7行で、他の楽章に関する記述もなく、
解説者自身、レーガーをどう捉えて良いか分からない風情。

「マックス・レーガーは、ドイツ以外では、
まだ親しまれているとはいえない作曲家である。」
こんな風に始まるが、事実、現在でもそう思える。
精力的にレーガーを出しているのはドイツのレーベルだけのような気もする。

だが、前回のCDの解説では、この作曲家は生前から海外で人気があり、
プロコフィエフなどもレーガーのファンだったというから、
少し、見方を改めないといけないのかもしれない。

さて、解説を引用すると、
「ワーグナーの影響をうけた後期ロマン派の作曲家の一人であるが、
その影響は和声法を主とし、基本的には絶対音楽的性格を守り続けた。
その点、オーストリアのブルックナーと通ずる点がある。
このアレグレット楽章(第2楽章)では、
和声法の多彩さを誇ったレーガーの特質がよくうかがわれよう。」
大旨、現在の認識と変わらないが、
交響曲ばかりを書いていた作曲家と、
それから知ったのだが、交響曲を残せなかった作曲家を、
唐突に比べられても、どうしていいかわからない。

とはいえ、当時はよく分からなかったことで、
前回取り上げたCDなどを入手したことで、
ようやく少し分かって来たことがある。

この輸入盤CDの解説はこのようなものである。
「レーガーは、作品84の、
ヴァイオリンとピアノのためのソナタ、
彼のこのジャンルにおける第5作を、
1905年の初めにミュンヘンで作曲した。
手稿から、この年の2月28日が、この作品の完成日が分かる。
この曲は、レーガーが、
作曲家として演奏家として、
その地を離れて、国際的な知名度を上げていった、
彼のミュンヘン時代の作品であるが、
こうした海外での成功は、かえって、ミュンヘンの派閥からの
むちゃくちゃな誹謗中傷をあおり、
彼は、ブラームスの亜流、乱筆家などと批判された。
1901年にミュンヘンに移り、
悪意ある感情に耐えなければならなかった
レーガーであるが、
今や、その創造的な作品や才能を自覚するに至った。
彼は、その敵対者に対する意見を、
こんな面白い表現で要約して語ったという。
『牛肉の一切れ以上に、牛までを想像することは出来ないんだよ。』
ソナタ作品84は、
ピアノ小品集『私の日記から』作品82や、
『10の男声合唱のための歌』作品83や、
『四つのオルガン用前奏曲とフーガ』作品85や、
壮大な『ベートーヴェンの主題による変奏曲』作品86と、
接した作品番号を持つ。
レーガーは前の2作品を1904年の8月から書き始めていたが、
1912年まで仕上げることが出来ず、
後の二つは1904年の8月に作曲した。
彼はこのソナタを『親愛なるアンリ・マルトーに』捧げた。」

このアンリ・マルトーはベルリン音楽大学における、
ブッシュの前任者である。
ヴァイオリン科の主任教授で、
ちなみに、その前はヨアヒムであった。

それにしても、1912年まで完成されなかった作品が、
何故、若い作品番号を持っているのかは分からない。
レーガーは、ひょっとして、出版とは関係なく、
自分で番号を割り振っていたのだろうか。

よく、ベートーヴェンやショパンのピアノ協奏曲の作品番号が、
作曲された時期とずれていて、それは出版のせいだという話が出るが、
レーガーの場合は、作曲家のせいで、
こうした意味不明なことが起こるということか。

「彼はマルトーと1905年の3月7日、
ベルリンのベヒシュタインホールでこの曲を初演し、
ベルギーのヴァイオリンのヴィルトゥオーゾ、
ユージン・イザイとも1906年12月に、
非常に成功したツアーの途上、セント・ペテルスブルク
などで演奏している。
ミュンヘンの名物批評家が、
レーガーに精神病院行きを勧めたのは少し前のことであったが、
ペテルスブルクの熱狂した音楽家たちは、
レーガーに銀の月桂樹を贈ったのだった。
レーガーの同時代者たちは、
この嬰へ短調のソナタを疑いなく後世に残るものと認めた。
フリッツ・スターンは、『幸福に流れる人生の喜び』と評し、
同様にレーガーの伝記作者グイド・バギアは、
1923年になって、こう書いている。
『この作品の魅力は無比の主題統一にある。
真の室内楽的着想、力強く変容して発展する種子を内包している』。
6/4拍子の第一楽章は、冒頭から、
流れるようなメロディと明確に聴き取れる構成感で我々を魅了する。
この冒頭主題によって、この構成は形作られ、
ここから第二主題が形成される。
この曲の構造では、主要主題が、
強弱や速度法を変更しながらたびたび現れて、形式を決定している。」

このようにあるように、レーガーの作品では珍しく、
冒頭から流れるようなメロディが美しい。
これは、ピアノの分散和音に導かれながら、
黄泉の国から蘇るようにヴァイオリンが登場し、
ブラームスのヴァイオリン・ソナタ第2番を思わせるものだ。
非常に無理のない、流れるような旋律で、
細かく興奮して高揚していくという点で、
レーガー特有の美観をも無理なく発揮しており、
彼の作品の中でも完成度が高いものと思われる。

第2主題も落ち着いて、上品なもの。
憧れを追い求めながら、時折、夕暮れのような情感が挟まれる。

この素敵な第一楽章は、第三楽章(終楽章)と共に、
15分の大作で、その間に、例の2分程度のアレグレットが挟まっている。
ブッシュの録音では、この第二楽章しか録音されていなかったので、
全体で30分を超える大作であろうとは想像することも出来なかった。

「2/4拍子、ニ短調の第二楽章スケルツォは、
戯れのような軽さと、壮大さを併せ持って、
作品77aや作品141aのフルート・トリオなど、
多くのレーガーのセレナードを思い出させる。
コン・ソルディーノの主題も、強く捉える第2主題も、
その点で際だっている。」
前回、プロコフィエフとレーガーの関係を読んだが、
ロシアの作曲家の名作、「束の間の幻影」に似た、
かそけき美しさが幻想的な小品。
中間部で、ラプソディックな曲想を見せるが、
これですら、プロコフィエフへと続く道が見える。
これまで、レーガーは袋小路のような作曲家と思っていた。
ロシアのアヴァンギャルドにひょっとしたら直結しているかもしれない。

そういえば、プロコフィエフも古典形式にこだわりを見せた音楽家であり、
ヴァイオリン・ソナタにも名作を残している。
そして、彼の作品を愛奏した人は、ブッシュと同様、
バッハやブラームスを得意としたシゲティであった。

さて、冒頭から書いて来たように、
この第2楽章は、30年来のつきあいである。
この部分に来ると、ふと、懐かしさがこみ上げる。

ブッシュがこの大作から、この一輪の花を、
摘み取ってではあるが、見せてくれたことに感謝したい。

「終楽章は、無理なく内容と形式を結びつける、
素晴らしいレーガーの作曲技法の手練を見せつけるもので、
まず第1に、彼はソナタの緩徐楽章とフィナーレをリンクさせ、
第2に、最初の部分は、主題と七つの変奏という変奏曲群で始め、
フーガでこれを締めくくっている。
第3に、変奏曲フーガで、前の変奏曲と主題が繋がっている。」

レーガーといえば、
巨大なフーガの化け物を書いた作曲家として思い浮かぶと、
アメリカの批評家、ショーンバークなどは書いているが、
そうこなくっちゃと言いたくなるレーガーの真骨頂。

が、主題は妙にしみじみとした曲想で、
ピアノのつぶやきのような感じ。
ここから、15分にわたる大変奏とフーガが始まるとは思えない。
事実、以下に書き連ねるように、何だか推進力のない変奏曲である。
変奏曲として聴く必要はなく、束の間の幻影集と言った方がよさそう。
第1変奏は、レーガーらしい、人の神経を逆なでるキンキン系。
第2変奏は、また、まったりとした雰囲気。ねじくれたメロディが奇妙。
第3変奏は、またまたレーガーらしく、同じ所を旋回して脳みそがぐるぐる系。
第4変奏は、ちょっと英雄的な高揚を試みる。
第5変奏は、少しメロディアスで、民謡風。
第6変奏は、怪しくピアノが駆け回り、幻想的。これは非常に面白い。
第7変奏は、ここで再び情緒的な雰囲気になる。
フーガになって、レーガーそのものと言える、
剽軽にくねくねと輪を描く曲想が立ち上がって、
ようやく推進力が出てくる。
なるほど、ソナタの緩徐楽章と終曲が、そのまま、
変奏曲とフーガになっているわけだな。
フーガになると、あっという間に音楽は終わってしまう。
変奏曲が10分程度、フーガは5分程度。

さて、さすがに、先の第6変奏は、解説者も一言言いたかったようで、
下記のような解説が続く。
「第6変奏の真珠の光沢のような半音階は、
ドビュッシーの音の世界で、
レーガーは、後に、マイニンゲンの宮廷楽団の音楽監督になると、
コンサート・プログラムに、その『牧神の午後への前奏曲』を入れた。」

しかし、私には、これのどこがドビュッシーなのかよく分からない。
ドビュッシーの場合、妙に意味深なぼかしを入れるが、
これは、もっと、独特で、不思議な感触。
印象派ではなく、シャガールなどの雰囲気もある。
あちらの世界をしっかりと掴んでいるように見える。

「レーガーは、この変奏曲とフーガを、
まず、オルガン用のコラール幻想曲で採用し、
さらにピアノのためのバッハ変奏曲でも使った。
この嬰ヘ短調のヴァイオリン・ソナタは、
こうした増強されたフーガを終曲に有する、
彼の最初の室内楽曲である。
ここで、二つの主題は相互に浸透して、
この構造のみならず、楽曲全体を締めくくるための、
素晴らしく多層化された終曲の効果を発揮する。」

フーガは最初、有名な「ヒラー変奏曲」のような、
軽妙な開始であるが、後半になると集中力が増し、
厳然とした幅広いメロディがヴァイオリンから舞い上がり、
素晴らしく求心力のある終曲部に続く。
これは、たぶん、会心の作であろう。

得られた事:「レーガー・プロコフィエフライン。」
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by franz310 | 2008-06-21 23:23 | シューベルト

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その127

b0083728_22583142.jpg個人的経験:
前々回から脱線して、
画家のベックリン関係のCDを
取り上げて見たが、
ベックリンが影響を与えたとされる、
キリコの絵画作品が、
CPOレーベルの
レーガーシリーズを飾っている。
キリコは、イタリア近代の画家で、
その不思議な詩的な幻想は、
まるで白日夢のような効果を与える。


私は、この人の作品を美術の教科書で見て、
心奪われた経験を持つが、これまで、
レーガーの作品を連想することはなかった。

そもそも、キリコは1888年生まれで、
1873年生まれのレーガーとは少し時代がずれている。

画家は私が教科書を開いた時にはまだ存命であったが、
作曲家は、それより半世紀以上前に死んでいるので、
活動時期のイメージは、それくらいの差異がある。
南欧らしいからっと乾いたキリコに対し、
レーガーは、重くどろどろした印象である。
しかし、ある意味、共に幻視者であったであろうことは間違いない。

このレーガーの作品番号1を収めたCDでは、
ほとんどシュールレアリスティックな、
「不安な女神たち」という作品が表紙を飾っているが、
17歳の天才少年の作品は、
ロマン派の影響を引きずって、もっと湿度が高い。
が、レーガーがどうかという事を考えなければ、
こうした美しい美術品をあしらってもらうと、
少なくとも私は嬉しくなってしまう。
これなら、誰にでもプレゼントできそうだ。

あと、この絵の奇妙さについて行けない人には、
おそらくレーガーの音楽は向いていないだろう。
ということまで考えると、このデザインは、
音楽とまずまずの相性である。
例えば、ベックリンの絵よりは、
ずっとレーガーの音楽はぶっ飛び派といえる。

さて、これまで、シューベルト歌曲を編曲した、
晩年のレーガーしか見てこなかったが、
ここで最初期のレーガーを垣間見ておかないと、
不公平かもしれないと思って、これを取り上げる。
私は、ずっと前からこのCDは入手していたが、
じっくり聴いてはいなかった。
こういう機会でもないと、そのまま忘れてしまう可能性もある。

解説は思ったとおり、比較的レーガーの何たるかを、
手際よくまとめてくれてもいる。
実はレーガー、作品1をヴァイオリン・ソナタで始めたが、
死の前年の作品139の第9番まで、生涯にわたって、
このジャンルの作品を残しているのである。
ここでは、その最初の作品と、真ん中の第5番が聞ける。
解説を書いたのは、Guido Barth-Purrmannとある。
英訳はSusan Marie Praederとある。
このまえ、シューベルト歌曲をレーガーが編曲したものの解説を、
英訳していた人である。

「私の作品がポピュラーになるまで、
私自身が生きて見てみたいとは思わない。」
というのが、解説の題となっていて、
不敵なレーガーの顔が思い浮かぶ内容だ。

しかも、冒頭から、レーガーの音楽をよく表していて、
うれしくなってしまう。
晩年に、おとなしくシューベルトを編曲していた彼とは、
違う姿をさらけ出して欲しい。

「『精神病院にでもぶち込んでしまえ。
音で作ったどろどろの雑炊、野蛮な騒音、
混沌としたバロック、
堕落した女神との近親相姦と流産、
あまりにも悲劇的に気取った恥知らずの前に、
音楽は逃げ去り、デカダン、病的、不健全な疾患、
ドイツ精神から逸脱した拒絶の山脈。』
マックス・レーガーの音楽に対する、こうした客観的なレビューは、
さらに続けることも、さらに表現を広げることも出来るだろう。
レーガーは、そのキャリアを通じて、このような批判にさらされていた。

こうした批判は絶え間なく続き、
その徹底的な表現は激しさを増した。
このレベルの言葉の攻撃は当時ほどでないにせよ、
今日でも、音楽の専門家にもジャーナリストの間にも、
その名残は残っている。
世紀の変わり目には、マックス・フォン・シリンクスや、
ルートヴィヒ・トゥーレのような作曲家が書いた、
交響詩の夢のような管弦楽の響きに対しても、
こうした讃辞が送られた。
これらの作曲家や彼らの周辺は、
明るさや香気、幻惑や、しばしば見せかけの異国情緒の経過句などが、
音楽形式の法則や、メロディを犠牲にしているとは考えなかった。
レーガーはこうした状況も自らのドイツでの使命をも自覚していた。
イギリス、ベルギー、オランダ、スイス、ロシアなど、
他のヨーロッパ諸国では、当時、最もよく演奏される作曲家の一人だった。
1905年5月、彼の賛美者である、
ライプツィッヒのトーマス教会のカントール、
カール・シュトラウベにこう書いている。
『シリングスやトゥーレが私を悩ませることはありません。
彼らのことなど、まともに考えてはいないのです。
今日のオーケストラで彩られた音楽は、
装飾過多で、音楽のあるべき姿から外れています。
俗物どもが舵を握っているので、
それを埋め合わせるのは困難です。』
しかし、即席の束の間の成功だけを追い求めていた、
これらの作曲家たちに、どうやって、
挑発的に差し出されるレーガーの本物の天才を、
理解してもらうことを期待できるだろうか。
また、絶対音楽に専心し、骨折り損のような、
室内楽の作曲を義務としているような彼を、
どうして彼らが理解などできるだろうか。
まるで氷河の後に残された迷子石のように邪魔されることなく、
レーガーは、一方で、古典的なソナタ形式のような、
古い様式の熱心な擁護者であると同時に、
他方では、
経験豊かな聴衆でさえ、自分の居場所が、
どこにいるのか分からなくなるような、
幻想未来を剥き出しただけでなく、
新しい鋳型に古い伝統を流し込み、
風格ある外観に個人的な音楽語法を適用して、
和声的な構成、無限旋律に満ちた様式の作品を書く作曲家だった。
音楽理論の帝王、フーゴー・リーマンですら、
彼の昔の生徒の急進には付いて行けなかった。
一度は賛美し、彼が眼をかけた昔の助手に対して、
1905年以降には、距離を取るようになり、
その音楽を、1913年には、その『大作曲家教義』の中で、
『ヴァーグナーのトリスタンで炎症を起こした、
音楽学校の生徒の脳みそから出た産物』であると評した。
彼は、レーガー自身が、
『バッハ、ベートーヴェン、ブラームスの熱狂的崇拝者』
であると考えていると書いて中傷した。
しかし、反対に、ルドルフ・ルイスなどは、
長年、辛辣かつあからさまに戦いを挑んでいた批評家だったが、
後年、公衆の場でその評価を変えて見せた。」

このように、レーガーの音楽は、難解極まりなく、
当時から、どう扱っていいのか分からない難物だったわけである。
それは、キリコの比ではない。
さらに、批評家ではなく、同業者の意見が出てくる。
シェーンベルクがレーガーの崇拝者で、
その「ロマンティック組曲」を編曲したりしているのは知っていたが、
その名声がロシアにまで至っていたのは知らなかった。
「オリンポスの山に神格化されて久しい、
彼の同時代の、古典的モダニズムの作曲家たちも、
レーガーが世紀の代わり目の後に起こった、
音楽史の激動の最中にあって、いかに、
対立するものの前面に挟まれていたことを教えてくれる。
ストラヴィンスキーの判定は短くも残酷なもので、
『1906年頃、レーガーと会ったことを覚えているが、
確かリハーサルで、その音楽にぞっとしただけだった』
というものであった。
しかし、同時期、15歳だったプロコフィエフは、
違った意見を持っていた。
『レーガーのゲストとしての登場は、
私には強烈な印象を残した。
友人のミヤスコフスキーはその鞄から、
セレナード(作品95)を取り上げて、
四手用のアレンジを作り上げたので、
二人でそれを弾いて楽しんだ。』
それから10年。1916年、5月19日、
レーガーの死の5日後には、
ドイツとロシアは戦火を交えていたにもかかわらず、
サンクト・ペレルスブルクではレーガーの記念コンサートが開かれた。」
これらの記述には驚くと同時に安心した。
私は、ストラヴィンスキーに共感したことはあまりないが、
プロコフィエフやレーガーには、等しく親近感を感じるからである。

「レーガーの音楽は、また、
新ヴィーン楽派の音楽家たちにも高く評価されていた。
ヴィーンの郊外、メートリンクにシェーンベルクが開設した、
私的演奏協会の進行役を務めたウェーベルンは、
ラヴェル、ベルク、ストラヴィンスキー、バルトーク、シェーンベルク、
ウェーベルンの弦楽四重奏だけでなく、
皆の同意によって、レーガーの作品をも研究するべきであると主張した。
ヒンデミットの評価は短いが明快であった。
『レーガーは最後の音楽の巨人です。
私は、彼なしには何一つ出来なかった。』
このように、同時代の作曲家で、
今でも有名な人たちは、レーガーを重要視していたが、
聴衆はどうだったのか。

「公衆や評論は、レーガーの受容に関して、
長く相変わらずばらばらだが、
演奏者からはずっと支持されている。
指揮者のニキシュは、自身を『熱狂的レーガー信者』と呼び、
カール・シュトラウベは、オルガン音楽を普及させ、
ヴァイオリニストのカール・フレッシュ、Gustav Havemann、
カール・ヴェンドリング、アドルフ・ブッシュ、
アンリ・マルトーは、室内楽を取り上げた。
シュトゥットガルトの宮廷劇場のコンサートマスターの、
ヴェンドリングは、最も重要な四重奏団を率い、
マルトー(1874-1934)は、ベルリンアカデミーにおける、
ヨアヒムの後継者で、世界中を楽旅する名手で、
レーガーの音楽の倦むことなき代弁者であった。
マルトーは、ほぼレーガーと同年で、
1903年に、本格的に音楽的親交を結んだ。
たった1年後には、彼はこう語ったりしている。
『レーガーは天才であり、ドイツ音楽の最大の個性である。
彼のミューズは多産であり、彼の意志は強く、
そのスタイルは厳格にして純粋。
そして、公衆にこびを売らない様など、
バッハを思わせる。』
レーガーはヴァイオリン協奏曲作品101とソナタ作品84を、
マルトーに捧げ、二人で初演している。」
このレーガーの、超重量級のヴァイオリン協奏曲を、
何年か前に実演で聴くことが出来たのは、
私には忘れられない思い出となっている。

「音響と形式によるヴァイオリンとピアノのコンビネーションは、
レーガーを25年にわたって魅了し、
1890年、ヴィスバーデンでリーマンに師事していた時、
17歳の時に、この楽器のために最初の作品、
ソナタ・ニ短調作品1を書き、これは、若い作曲家の自己批判に耐えて、
作品番号を与えられた最初の作品となった。
1915年、彼はこの作品群の最後のものを、
ハ短調作品139として、イエナで書いた。
この2作品の間の四半世紀に、彼は7曲のソナタ、
『古いスタイルによる』を含む、2つの組曲、
ソナティネや小品、自作、他の作曲家の編曲を含む作品を残した。
これらはレーガーの室内楽の中では最大の集団であり、
オルガン曲、ピアノ曲、11のソナタと15のプレリュードとフーガを含む、
ヴァイオリン独奏曲のみが、彼の器楽作品の中でこれを上回る。
彼にしてみれば、自分自身が最大の自作紹介者であったので、
高い評価のピアニストであり、歌曲伴奏者であり、室内楽奏者として、
解釈を伝えることに誇りを持って取り組んだ。
レーガーの友人で伝記作者のフリッツ・シュタインは、
レーガーの『比類なき』ピアノ奏法を、
『独特の効果を持ち、まさに超人的な表現による表出力で、
懐疑的な人たちをもたちまち魅了した。
彼の手の下で鍵盤楽器が歌い出す時の事は忘れがたい。
彼の巨人的な体躯とは反対に、それは小さく、ソフトで、
引き締まったものであった。
異常にデリケートで、それでもちゃんと聴き取れるピアニッシモから、
雷鳴の爆発のように、すさまじいパワーで鳴り響くのに、
まったく乱暴になることのないフォルテッシモまで、
レーガーの羽のように軽いスタッカートとレガート奏法は、
まったく比較できるものはなかった。
その上で、多様なポリフォニーのテクスチャーが明確になる。
彼がピアノの前に座ると、それは精力的ながら平静であり、
まったくヴィルトゥオーゾのようなポーズはなかった。
訳の分からないハーモニー、
たくさんの誤りの連なりによる、明らかに不明瞭な和音の意味が、
彼の演奏で聴くと、たちまち明確になっていくのであった。」

ここまで、書かれると、レーガー自身の演奏が聴きたくなる。
レコードやCDで面食らうのは、演奏が悪いのではないか、
そう思わせるような記述である。
しかし、そうした要素はあったものと思われる。
普通、理解不能だろうと思われる彼の作品が、
作品番号150に迫る勢いで出版されたのは、
何か、同時代者にしか分からない神秘の魅力があったに相違ない。
その一つが、作曲家自身の圧倒的な演奏であったことは、
ありそうな話である。

さて、そんな作曲家の最初の作品である。
とってもスイートというわけにはいかない。
17歳の作品というが、やたら成熟した印象である。
憂いを秘めたヴァイオリンの出だしからして、
どこからどこまでがメロディなのか分からない。
異常な火照りを伴いながらも、激高するピアノ伴奏に、
どこに向かうか分からないヴァイオリンの興奮が加わる。
なんだかしらんが情熱的で、神秘的に美しいようだが、
我々を落ち着かせてくれない。
したがって、このソナタについて、
レーガーの先生が言ったという下記の記述も分からなくもない。

「1891年の初頭にレーガーが書いた、
彼のヴァイオリン・ソナタ作品1は、
彼の父親のような友人で、師匠でもあった、
ワイデンのアーダルベルト・リントナーのために書かれた。
『私の教授のリーマンとその奥さんは、
第一楽章の感情と表現の点で、
私がまさしく何をなしとげたかを、
私自身が正しく理解していないと言いました。
彼らにとって、私はまだまだ若く見え、
それらをむしろ直感的にやったので、
私は10年もすればそれが分かるようになるというのです。
フランクフルト音楽院の二人の教授は、
心からの讃辞を私に与えてくれましたが、
このソナタには本当に個性的な財産がある、
ということです。
このソナタは教授たちの誇りなのです。』」

確かに、1890年と言えば、まだ、
ブラームスもチャイコフスキーも存命の折。
こんな作品を書く生徒が出てきたら、ぶったまげるだろう。
メロディーラインがどこに向かうか分からないものの、
書法は明快、ピアノもヴァイオリンも、
きらきらとその美観を最大限に発揮している。
どの楽器にも曖昧な部分はなく、
妙にくっきりとして、確信に満ちた進行を見せる。
不思議な微光をたたえながら、実体があるようでないようで、
変な感触だが、堂々としていて巨匠風である。
今回の記事冒頭のように、
「あまりにも悲劇的に気取った恥知らず」
とは言わないまでも、苦心惨憺して、
何が言いたいのかを模索しているようでもある。
が、何かを、言わなければならないのであろう。

「リーマンはレーガーの作品1は、
天才の閃光とみなしたが、
若い作曲家自身はそう確信することは出来なかった。
『お願いですから、“天才”という表現を使わないでください。
私はそんなものは信じないし、
うまくいった難題としか思えないのです。』
レーガーはこのニ短調ソナタを、
ヴィスバーデンでの勉強の最初の何ヶ月か、
1890年の冬の間に書き、
尊敬していた教師で庇護者のフーゴー・リーマンに捧げた。
この人は、様々な側面において、
この優れた生徒を支持し、励ましていた。
そして、その広いコネでロンドンの出版社、
Augenerにコンタクトを取ったのもリーマンで、
1893年にこの作品は、レーガーの最初の作品として出版された。
レーガーは1891年の12月21日に、
音楽院の試験演奏会で友人のヴァイオリニスト、
グスタフ・コードとこれを初演、
さらに1893年8月には、ダンツィヒでも演奏された。
この時は、レーガーのパートナーは、
ヨアヒムの生徒のWaldemar Meyerで、
この人は、1894年2月、
ジングアカデミーにおける、合同室内楽演奏会、
レーガーのベルリン・デビュー時にもこのソナタを演奏した。
しかし、批評家や聴衆の反応は必ずしも良いものばかりではなかった。
『問題ない。要するに慣れの問題だ。いい人たちだよ』。」

私もいい人になりたいが、なかなか手強い作品である。
メンデルスゾーンのモダン版の、第二楽章の軽快なスケルツォや、
第三楽章、ベートーヴェンの『悲愴』ソナタを思わせる緩徐楽章は、
メロディ的にも分かりやすく美しいが、リーマン夫妻のいうように、
第一楽章が難物。
手助けしようにも、拒絶する若者の風情。

しかし、このスケルツォの、
同じ所をくるくると回っているような表現は、
レーガーが後年まで好んで、あるいは、好まないでも、
よく使った手法である。

「想像できるように、17歳の作曲家の作品1は、
多くの偉大な先達の模造品の上に成り立っている。
彼の弦楽四重奏曲作曲における経験は、
彼自身の批評には耐えられなかった。
『アダージョは、ベートーヴェンのスタイルをとどめ』、
また、ピアノパートの分厚い和音の質感や、いくつかの材料は、
ブラームス的である。」
確かに、全体のイメージはブラームス風だが、
ブラームスには、もう少し色気があろう。
ここで泣かせようという意図も見えよう。

レーガーにそれがあるとすれば、
第三楽章のアダージョ冒頭であるが、
その泣かせ方ならブラームスと同様。
ということで、この楽章も素直なのは最初だけ。
中間部で大げさなピアノの巨匠風パッセージが入ったりするが、
だんだん、求心力がなくなって、
分解していくような感じがユニークなのか、力不足なのか。

解説はさらに続くが、楽器の取り扱いに関するもので、
曲の内容について書いているわけではない。

「もしダイナミック記号が額面通りに扱われれば、
ヴァイオリンパートは、
この楽器の特徴を引き出したものではなく、
ピアノパートと調和させるのが難しい。
しかし、レーガーはそれを認識しており、
それについて書いたものを見つけることもできる。
また、レーガーには、作曲家、解釈者としての、
二つのプライドを持っていた。
過去の作品との関係はさておき、
ここには、受け入れがたい方向に働く、
レーガー自身の典型的な音楽語法がある。
表出力強く、断固たるもので、内気かつ厳粛、
形式の点では、主題が脈絡なく展開される。
私たちが記憶すべきは、
レーガーの作品が、ソナタ形式の室内楽で始まったことで、
彼の同時代者であれば、時代遅れとして笑ったであろう、
ジャンルであり内容であったが、
彼はここに新しい苦労して手に入れた新しい次元と音楽内容が、
開かれたのである。
そして、これは、彼が生きた時代において、
彼を本物の例外として位置づけるものであった。」

何だか、だまされたような解説である。
演奏が難しいのは分かるが、聴く方には関係がない。
どのように聴くべきかは、何も解説されていないではないか。

ただでさえ、曖昧模糊としたレーガーである。
ここはこうだっと、言って欲しいが楽章ごとの記述すらない。
全体は27分で、第一楽章が10分、第三楽章が7分で長いが、
あとは、4~5分と簡潔である。
終楽章は、とにかく焦燥感をみなぎらせたアレグロ・アパッショナート。
レーガー特有の同じ所を旋回するような曲想も、
ここでは、若い火照りの中で、つむじ風のように通り過ぎて行く。
恐ろしく、ものものしいエンディングである。
これは効果があがりそうで、もっと演奏会で取り上げてもよさそう。

得られた事:「レーガーは、作風は晦渋ながらも、恐ろしく魅力的な鍵盤楽器奏者であり、それもあってか、良い演奏家仲間に恵まれ、生前から欧州各地で広く演奏された。」
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by franz310 | 2008-06-14 22:59 | 音楽

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その125

b0083728_1448955.jpg個人的経験:
前回は、レーガーが、
シューベルト歌曲の伴奏を
管弦楽に編曲したものを聞いたが、
このCDの解説はまだ残っている。
どのような経緯で、
これらの作品が生まれたのか、
そのあたりが、
レーガー自身の作品との関連で
書かれている。
なるほどと納得した次第。

しかも、文中で出てくる、『希望に寄せる』作品124も、
『愛の賛歌』作品136も、フィッシャー=ディースカウが、
レコーディングしてくれており、日本でも発売されていたので、
大変、助かった。
2曲とも、オーケストラ伴奏の歌曲である。

このCDは、1989年の録音のオルフェオ盤。
日本でもおなじみの、ゲルト・アルブレヒトの指揮で、
ハンブルク国立フィルという、
あまりなじみのないオーケストラが演奏している。

購入当初から意味深な印象的な表紙だと思っていたが、
今回、良く見ると、ラフマニノフの「死の島」でおなじみの、
ベックリンのものであった。
また、レーガーにも、
「ベックリンによる4つの絵画」作品128という作品がある。

ちなみにこの作品も、コッホ・シュヴァンのレーベルに、
同じアルブレヒトの指揮で録音されており、
(ちなみに表紙は当然、ベックリン)
日本盤には、宮澤淳一という人の訳で、こうした解説が載せられていた。
(おっと、書いたのはスザンヌ・ポップとある。
今回紹介中のシューベルト歌曲の編曲と同じ解説者。
レーガーを語る時、スザンヌ・ポップを忘れてはならぬ。)


「1913年にはベックリンはすでに時代遅れだったが、
それまでの20年間、彼の複製画はドイツ中流家庭の食卓の上に、
必ずかかっていた。」
などと書かれている。
改めて調べると、ベックリンは1827年生まれ、
1901年には亡くなっているから、
シューベルトの死の前年の生まれということ。

レーガーは1913年、三十代後半の時期に、
「ヴァイオリンを弾く隠者」、「波の戯れ」、
「死の島」、「バッカナール」からなる、
先の「4つの音詩」作品128を書いたが、
これから語られるシューベルト歌曲の編曲や、
「希望に寄せる」作品124も同時期の仕事である。

ちなみに、ディースカウのCDの表紙には、
「Meeresbrandung」という題があるようだが、
海の波といった意味か。
別にこの絵画が収録作品と関係しているわけではないようだ。
が、これらオーケストラ歌曲を書いた頃、
レーガーがベックリンの事を考えていたことは確かである。

あと、このディースカウのCDには、作品144の2曲の合唱曲、
アイヒェンドルフの詩による「世捨てびと」と、
ヘッベルの詩による「レクイエム」が収録されている。
作品番号からして、こっちはさらに晩年の作である。

「希望に寄せる」がヘルダーリンの詩によっており、
どの曲もドイツ文学全集みたいな布陣である。
ただし、「愛の賛歌」の詩人、ヤコボウスキーというのは、
初めて見た名前である。

さて、頭を切替えて、前回、取り上げたシューベルト歌曲を、
何故、レーガーが管弦楽化したのかを読んでみよう。

「レーガーは、シューベルトからヴォルフに至る、
ロマン派の伝統に沿った300曲以上のピアノ歌曲を残しているが、
はじめのうちは、オリジナルであれ、
ピアノ伴奏からの編曲であれ、
オーケストラ歌曲に興味は持っていなかった。
これは1900年頃、フランスからドイツに導入されたものだ。
リヒャルト・ヴァーグナーの、
次元を超えたオーケストラを伴う、
楽劇における偉大な終結のモノローグをモデルに、
同時代人がこのジャンルを確立した。
レーガーは、1911年の12月に、
マイニンゲンの宮廷音楽監督に就任し、
彼のオーケストラにじかに接して、
管弦楽法の秘密を探る機会を持つまで、
こうした傾向を変えなかった。
初期の管弦楽曲に見られた巨大な塊のような楽器法は、
なりをひそめ、『すべての音符がサウンドのために計算された』
スコアを作り上げた。」

1911年も12月といえば、レーガー36歳だが、
もはや、これは彼の晩年である。
亡くなったのが1916年5月なので、残された年月は4年そこそこ。
しかも、下記の文に読めるように1914年には辞職したようなので、
1912年と1913年のわずか2年が、
音楽監督として活躍できた時期だったわけだ。
第一次大戦を前にした、短い夢のような時期に、
ここに書かれているようなことがあった。

b0083728_1450043.jpg確かに、前述の「音詩」のCDに、
収められた2曲、
「ロマンティック組曲」作品125が、
ちょうど1912年7月、
「ベックリンの絵による4つの音詩」
作品128が、
翌1913年7月の仕事。
束の間の夢のひと時の結晶なのであろう。
音楽監督として冬のシーズンは忙しく、
夏に翌シーズンを想定して、
作曲がなされたものと思われる。
もちろん、自分のオーケストラを念頭に。

そのせいがあるかないか、これらは、
レーガーの名前から想像できる、
恐ろしいぐちゃぐちゃ音楽ではなく、
ドビュッシーかディーリアスみたいな、
あっさりした思わせぶりな音楽。
スパイスは弱い。

このCDの解説にもこうあった。
「あたまのなかで作品の構想ができあがったのは、
多忙をきわめるコンサート期間中のことである。
『ロマンティック組曲』は、彼の語るところによると、
列車に揺られながら一晩のうちに想を練った。
だが実際に楽譜に書きとめるのはコンサートのない
ほんの数ヶ月のあいだであった。
じきに40歳をむかえようという当時のレーガーは、
すでに100以上の作品を出版していたが、
自分を批判的にみる態度はより強くなっていた。」

さて、シューベルト編曲のCDの解説に戻ると、
「宮廷音楽監督として、演奏会のプログラム構成にも責任を持った。
彼の初期の室内楽演奏会でも、
いくつかは自身の作曲により、
他はロマン派のレパートリーよる、
各種楽器の室内楽と、二部からなる歌曲集、
といった好みを示していた。
しかし、この声楽と器楽の理想的な組み合わせは、
規模が大きくなって交響曲演奏会になると問題を生じた。
すでに、作曲過程における影響やアイデアを得るような、
様々な事柄があったので、音楽監督としての最初のシーズンに、
レーガーが管弦楽化するに、
ふさわしい作品を持っていなかったとは思えないが。」

このように、演奏会の企画を行う立場から、
プログラムの設計上、各種レパートリーが必要だったようだ。
室内楽と歌曲の組み合わせというのは、
しかし、最近の傾向としても一般的なものではなかろう。

ということで、この趣向が延長されて、
オーケストラ演奏会では、オーケストラ伴奏歌曲が必要、
といった流れになったのだという。
別に協奏曲でも良いような気もするが、
ある種、人工的な楽器集団の空間の中に、
人の声を加えてみたい要望はわかるような気もする。

「しかし、レーガーのこの分野における最初の貢献は、
ヘルダーリンの詩による『希望に寄せる』作品124で、
1912年10月に、
彼のマイニンゲンでの二回目のシーズンに間に合い、
レーガー自身の指揮、
献呈されたAnna Erler-Schnaudtによって初演された。
その時になって、どうすれば良いプログラム構成になるかという、
ジレンマが強烈に沸き起こってきた。
この初演を前にして、レーガーは歌手に、
アドヴァイスを求めた。
『あなたは二曲歌いますが、
1.レーガーの作品124
2.???
二番目に何を歌いますか。
できるだけ早く教えて下さい。
20分ありますが。』(1912年7月13日)
彼女の提案によって、
モットルとブライルによるオーケストレーションによる、
シューベルト歌曲、『ガニュメード』、『全能の神』、
『死と乙女』が歌われた。
続く何ヶ月かは、レーガーは相応しいプログラム配置の検討を行い、
『希望に寄せる』は数回は、器楽曲の中で唯一の声楽作品として演奏され、
ある機会では、レーガーの5つのピアノ伴奏歌曲と組み合わされ、
新音楽時報が、かつてない辛らつさで、
『人は自分の得意とすることをしたがるものだが、
それは交響曲演奏会の第二部で、
歌曲を素晴らしい作品のように披露することではないだろう』
と書いたように、不満足な結果となった。」

オーケストラ演奏の間に、ピアノ伴奏歌曲というのは、
確かに、バランスが悪かろう。
が、そんなことは、実際にやってみたレーガー自身が、
一番分かっていたことだったようだ。

「この文脈で、レーガーは晩年に、
ピアノ歌曲を管弦楽化することに、
いつもの彼特有の激しいエネルギーで取り組むこととなった。
最後の3年間、彼は40曲もの歌曲を管弦楽化した。
15曲もあるシューベルトは、
スタート点でもあり重要なポイントであって、
12曲の自身の歌曲の編曲、ブラームスの7曲、
ヴォルフの4曲、グリーグの2曲が続いた。
1913年4月15日、シーズン終わりの前に、
レーガーは、彼の判断で、
出版者のブライトコップッフ&ヘルテルに、
このように報告している。
『私は最もよく歌われるシューベルト歌曲を、
何年かかけてオーケストレーションしようと考えています。
それは使いやすい最小編成のオーケストラのためのものです。
このオーケストレーションは、
男性歌手、女性歌手の声が、決してかきけされないものです。
私はしばしば歌曲のリサイタルを経験していますが、
交響曲の演奏会には辟易します。
というのも、指揮者というものは、最高の伴奏者ではないからです。
こうした劣悪な状況は、このオーケストレーションで改善されます。
もう、グランドピアノをステージに引っ張り上げなくてもいいのです。
毎年2,3曲ずつ作曲したいのですが、
シューベルトでは何が良いと思われますか。
もちろん、すでにモットルが素晴らしく行ったのと、
同じ曲は考えておりません。』
それから三日後に、彼は追加してこう書いた。
『私の耳には、巨大な会場で、オーケストラ曲の後、
女性歌手が、しょぼいピアノ伴奏で歌うのを聴くのは耐え難いことです。』
(1914年11月2日出版者ジムロック宛)
レーガーは彼の演奏会経験と実際的見地から、
伴奏者や重たいピアノも考慮して、
出版者にアドバイスを乞い、
ポピュラーさと管弦楽化への相応しさによって、
曲を選択することを考えていた。
彼の最初の手紙(1913年4月15日)には、
『メムノン』の楽譜が同封されていて、
『音楽に寄せる』、『月に寄せる』、『君こそが憩い』が、
1913年9月に続いた。
1914年2月にはこの4曲が、
『4つの選ばれた歌曲』として出版された。」

モットルの管弦楽バージョンを、レーガーはすでに知っていて、
それでも、彼にはこの仕事が重要に思えたようだ。
下記の記載などは、それを物語って忘れがたいエピソードである。

「1913年から14年のコンサートシーズンでは、
レーガーは疲れ果て、衰弱して、遂にはマイニンゲンのポストを、
退くこととなった。
彼は病床でも、医師の禁止にもかかわらず、彼は楽譜を求めた。
続く何ヶ月かに行われた編曲は、ほとんど治癒力に似た効果を発揮した。
4週間のサナトリウムでの日々の後、
自身の3つの作品のアレンジとシューベルトの3曲のアレンジを、
マイニンゲンでの2、3日で仕上げてしまった。
5月のはじめ、サナトリウムでの日々の直後、
これらに4つめが加わり、
『連祷』、『老人の歌』、『夜と夢』、『夕映えの中で』が同じ年に作曲された。
彼は、1914年6月2日のバッハの忠実な編曲を示しながら、
ブライトコップフ&ヘルテルに、こう言った。
『こうして、私の今年の、編曲熱は満たされました』。
この出版社だけではなく、彼はさらなる編曲を、
4社に向かって送っていたのである。」

「シューベルトによる『8つの選ばれた歌曲』の作曲の歴史は、
こんな風に明快だが、『7つの名歌集』、つまり、
『グレートヒェン』、『魔王』、『タルタルス』、
『3つの竪琴弾きの歌』、『プロメテウス』
が作曲された経緯はよく分からない。
手紙には述べられておらず、彼の未亡人エルザ・レーガーは、
彼の死後になって手稿をユニバーサル・エディションに渡している。
私たちは、レーガーの編曲熱が、1914年の秋に起こり、
世界大戦ゆえに出版を見合わせたと推測するのみである。
彼の恐るべき創作欲は、1915年、11月6日に、
ジムロックに対して、
『私は、あなたがブラームスの管弦楽編曲に不満を持っていると思って』
などと書いたように、時として出版者を怒らせた。」
これを見ると、レーガーは、尊敬するブラームスの編曲より、
自分の編曲の方が優れていると考えていたようだ。

「メムノン」は、ブラームス版とレーガー版で聞ける。
この作品は、すでに、マイヤーホーファー歌曲の時に、
取り上げてみたが、非常に特異な内容の作品である。

ディースカウの本にも、この曲は特筆されている。
まず、この歌曲が、若き日のシューベルトが歌手フォーグルと、
歴史的な出会いをしたときに、彼に見せた曲の中の一曲だったこと。
そして、その作品の素晴らしさは、ディースカウによってもこう表現された。

「この二十歳の青年シューベルトが『メムノン』に作曲した音楽は、
その間に達せられた巨匠の高みというものを示している。」

ここにはわざわざ歌詞も書き出されている。
「1.一日を通じてただ一度だけ口を開こう、
私はいつも沈黙して悲しむことになれている。
夜に生まれた霧のあつみを通して
オーロラの紫光がやさしく輝きはじめるとき。

2.それは人間の耳にはハーモニーである。
何故なら、私は嘆きを旋律にして告げ、
詩の炎によって粗野をみがく、
人々は私に至福の開花を想うのだ。

3.死のかいなが私にむかって伸び、
私の心の奥深くに蛇が巣食っている。
それは私の苦しみの感情を餌とし、
満たされない情欲に怒りたけっている。

4.その情欲とは、おまえ、朝の女神と結ばれること。
この無益な営みから逃れて、
高貴な自由の世界、純愛の世界から、
青い星となって静かにこの世を照らすことである。」

恐ろしく鮮烈なイメージの、
芸術家の心の代弁とも思える心情告白である。
シューベルトもブラームスも、また、レーガーも、
この、「人間の耳にはハーモニー」だが、
しかし、私には「嘆き」というテーマを、幾度もかみ締めたに違いない。
事実、シューベルトは同様の事を言っている。
さらに、ディースカウは、著書の中でこう続ける。

「このもの言う柱は人間の心をもち、
悲劇は、それが語っているとき、
内に感じているものを知らないことにある。
変ニ長調でのただようような前奏曲はオーケストラ的で、
ブラームスはこれをバリトン歌手、
ユーリウス・シュトックハウゼンのために管弦楽曲に編曲している。
これに続くレチタティーボはあたかも無からのように始まり、
やがて長調から短調への移行とともに暗くなり、
悲痛に張り詰めた劇的感興へ高まり、
『おまえ、朝の女神と結ばれること』のところで頂点に達する。
レチタティーボ的なとぎれとぎれの感じは、
憂愁の詩人マイヤーホーファーの念頭にあった
あの理想像に向かって輝き、結尾のアリオーソに至る。
ピアノはなごやかな明るさをもつ後奏を崇高に終わらせる。」

この詩を改めて味わうと、本当に沢山のことが、
わずか4分ほどで歌われる中に詰め込まれていると思う。
メムノンの歌が人間に聞こえる時の神秘。
そのメムノンの心の中に住む蛇。
蛇が食らうメムノンの苦悩。
そしてメムノンが求める暁の女神の美しさ。
それとの合一の夢。
これらすべてにシューベルトは対応して、
的確な音楽をつけ、作品の価値を増幅した。

では、ブラームス版をプライのCDで聞くと、
1. 木管合奏の豊かな色彩感の序奏に続いて、あとは弦で控えめ。
オーロラの光が差し込む木管の描写はさすが。
2. ぽぽぽぽーと木管主体だが、要所要所でハーモニーが厚くなる。
3. ホルンの警告音。弦がざわめく。
4. 幸福そうに木管が歌い交わす。崇高な後奏は、弦と木管が掛け合い、
木管が美しい余韻を残す。

レーガー版はヘンシェルで聞こう。
1. どーんと、深い弦楽のため息のピッチカートに、ぷかぷか言う木管の伴奏。
オーロラの光は、弦楽の広がり。
2. 弦楽主体に、立ち上る蜃気楼のように木管がブレンドされる。
木管はときおり、声楽部の音形を模倣。
3. 弦のざわめき、吹き鳴らされる管楽器群。このあたりはレーガーらしい。
4.ホルンが高貴な世界に導く。後奏は弦楽主体。
レーガーが好きな、声楽部を他の楽器で強調することはあまりやっていない。

蛇がうごめくという苦しみの部分が、
レーガーには、もっと重要に思えたのであろう。

「『7つの名歌集』で使われている楽器は、
レーガーがよく使っていたものとは違う。
彼はその編成を、第二のオーケストラ歌曲、
『愛の賛歌』作品136でも使用し、
それは1914年の秋の作とされる。
さらなる確認として、
1914年10月28日、
ペータース社のオーナーであるHenri Hinrichsenに宛てたものがある。
『私はすでに、ブライトコップフ&ヘルテルのために、
シューベルトの管弦楽化に相応しい歌曲の編曲を終えています。
いくつかはすでに出版されており、
残りは戦争終結後に出版を予定しています』。」

前々回読んだYouensの解説によると、
この歌曲集が出版されたのは1926年だという。
第一次大戦が終わって10年、レーガーが死んで10年、
もう、シューベルトの死後100年が経つという時期である。

「レーガーのシューベルト歌曲の選曲の基準は、
ポピュラーさとオーケストラ化の相応しさが大きな関心事となっている。
いくつかの作品が、確かによく知られているのみである。
シューベルトは公式デビューとして1815年の『魔王』で果たしたが、
これはリストやベルリオーズの管弦楽化を含んで沢山の編曲を生み、
高い販売量がその人気の証拠となっている。
1814年の『糸を紡ぐグレートヒェン』は、
若いシューベルトとして天才の火花を灯し、
ロマン派歌曲の誕生とみなされている。
ここでシューベルトは、伴奏を新しく、感情的で表現力豊かな内容とし、
恐ろしい不安と緊張感溢れる興奮をオスティナートの動きで表現した。
すでにシューベルトの生前からこの2曲は、
彼の最もポピュラーな歌として数えられている。
また、『音楽に寄せる』の4つの写しは、この曲の人気を語るものだが、
『君こそは憩い』もまた、早くから人気作であった。
しかし、この曲集は、そんなに普及していなかった歌曲、
『老人の歌』、『メムノン』、『夜と夢』のような例も含んでいる。」

このような編曲と同時期に書かれたレーガー自身の管弦楽歌曲が、
どのようなものかと言うと、ともに13分程度のもの。
なだらかな曲想で、スクリャービンのような感触。
どこがメロディーだかわからないが、盛り上がったり、
沈静化したりでうねうねと繋がっていく感じで歯切れの良いものではない。
レーガーの常として、いろんな楽器が重なって、
ほの暗く玄妙な色合いである。
時折、そこに精妙な和声で美しい瞬間が立ち上る。
そういう意味では、ベックリンの絵画のような感じでもある。

ディースカウ盤のCDの解説は、
ハンス・G・シュールマンで西野茂雄訳となっている。
この人も、レーガーがこの分野に参入したのは、
後年になってからであると強調。
「彼のオーケストラ書法の
いわば擬古典的な洗練の後に
ようやく彼はオーケストラ歌曲の想念に
歩み寄ることが出来たのである」と書いている。

「1912年に、ヘルダーリンのテキストに基づく
作品124の『希望に寄せる』が出来上がり、
1914年に、ルートヴィヒ・ヤコボヴスキーのテキストによる
『愛の賛歌』が書き上げられた。」
以下、日本語で書いてあっても難解な解説が続くが、
作品124に関しては、ヴァーグナーの「トリスタン」と、
ヘルダーリンの悲劇的理想世界の融合のようなことが書かれている。

このCD、このように作品ばかりか、
解説までも難解なのが難点。

では、実際にこの「希望に寄せる」とは、どんな作品か。

不吉なティンパニが静かに轟く中、
静かな弦楽の闇が広がり、
一筋の光のように木管が立ち上る序奏。
確かに、トリスタンとイゾルデのいる神秘の森の中の空気のようだ。

歌詞はこんなものらしい。
「おお、希望よ!やさしいものよ!
善意あるはたらきにいそしむものよ!
悲しむ者の家をもさげすむことなく、
高貴なものよ!
死すべき者と天上の諸力との中間にあって、
進んで奉仕しつつ支配するものよ。
おん身はいずこに?
わずかの間私は生き、
しかも私の夕暮れはすでにひえびえと息づいている。
この世では私はすでに影のように静かだ。
そして身ぶるいする心臓が胸の中で、
もはや歌うことなくまどろんでいる。」
このように、トリスタンの森の感覚も、
あながち間違っていたわけではなさそうだ。
夕暮れの気配を漲らせていたわけである。
ここまでは、のっぺりとして難解。というか変化に乏しい。

そして、後半は、ホルンやオーボエが牧歌的な音色を奏で、
日の光のような弦楽が開放的な視界を開いていく。
管弦楽がざわめきだし、非常に朗らかな楽想も明滅し、
不思議な幸福感が満ち溢れてくる。
歌詞もまた、このようにビジュアルで印象的なもの。

「あの緑の谷に、あそこ、さわやかな泉が
日夜せせらいで山から流れ下り、
秋には愛らしいイヌサフランが私のために花咲くところ、
あそこ、あの静寂の中に、やさしいものよ。」

さらに、この自然の中での感興が高まり、法悦へと至るのが次の部分。
「私はおん身をたずねよう、それとも真夜中に
雑木林の中で目に見えぬ生きものがざわめき、
私の頭上で、常に喜びに満ちた花たち、
あの咲きこぼれる星たちが輝く時に。」
「花」や「星」で、声楽も絶唱となる。

この後は、この絶唱の余韻が静まっていくような部分。
不思議な幸福感と希望を感じさせて音楽は消えていく。
「おお、エーテルの娘よ!
その時はおん身の父の
花園から姿を現し、私に死すべき者の幸福を
約束することが許されないなら、
いとせめて別の約束で、私の心を驚かせておくれ。
おお、希望よ、希望よ、やさしい希望よ。」

狂気に至った詩人、厭世的なヘルダーリンの作品を、
音楽化するとこうしたものになるであろうか。
こうした作品を書きながら、レーガーは病気になり、
ドイツは戦争へと突入していったという点が皮肉である。

「愛の賛歌」作品136も、基本的に同じような音楽。
重苦しい雰囲気がベースで、
時々、浄化されたような音楽に満たされる。
詩の内容も、「神々しい愛の消え行く火花」を、
もう一度、取り戻したいと、「永遠のもの」に語りかける、
長大な法悦のモノローグである。

レーガーが「メムノン」のような曲に取り組みながら、
それが簡潔な構成で、様々なことを言い尽くしているのを見て、
晦渋な表現を長々とやることの意味を問い直したとしても不思議はない。

得られた事:「過労でぶっ倒れたレーガーを救ったのは、シューベルトの作品であった。」
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by franz310 | 2008-05-31 14:59 | 音楽