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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その155

b0083728_2343284.jpg個人的経験:
風通しのよい、
見通しのよさや、
直線的な推進力、
構造的な立体感に、
ハイドンの音楽の魅力を
感じることがあるせいか、
少ない楽器編成でも、
その音楽に
不足を感じることは少ない。
さすが弦楽四重奏の父である。


前回取り上げた「ロンドン交響曲」を、
6つの楽器用にアレンジしたものも、
CD化されているが、
音楽が研ぎ澄まされた感じと共に、
親密さが増した感じになるのも、
ハイドンらしいと言えるかもしれない。

いや、ひょっとすると、先鋭すぎない、
温厚な演奏を聴かせるリンデならではの美徳かもしれない。
楽器はすべて、古いものを使っているようで、
音色にも暖かみがある。

問題があるとすれば、リンデが名手すぎて、
その多様な表現力についつい、注意が行ってしまう点であろうか。
特に、第104番「ロンドン」に続いて演奏される、
第100番「軍隊」は、そもそも、華麗な軍楽風色彩を特徴とするせいか、
リンデの多彩さにもいっそうの冴えが聴かれる。

これらの大交響曲を編曲したのは、
ハイドンを広く紹介した興行主、
ザロモンで、この人の肖像画が、
フロントカバーに載せられている。

作者は、ややこしいことにThomas Hardyとあって、
高名な小説家と同じ名前である。
ゲーンズバラのように、英国肖像画の質実を感じさせる筆致。
EMIの古楽器シリーズ、Reflexeで出ていたCDである。

このシリーズが今でもあるのか、リンデ・コンソートが、
その後、どうなったかも実は知らないのだが、
CD初期には、かなり鳴らしたものである。
これも1986年の録音。

このザロモン、肖像画で見る限り、
かろうじて、背景の楽譜が音楽家であることを示唆するが、
非常に実直なビジネスマンといった趣きで、
手を動かして編曲した人というよりも、
献呈を受けた人のように威厳がある。
この人物については、解説でもよく書いてあるので、
そちらを参照されたい。

フルートの名手、ハンス=マルティン・リンデが主催する、
リンデ・コンソートの演奏で、彼が、フラウト・トラヴェルソを演奏、
弦楽四重奏にHerbert Hoever、Christine Brodbeck(ヴァイオリン)、
Dorothea Jappe(ヴィオラ)、Michael Jappe(チェロ)、
さらに、Rudolf Scheideggerがピアノフォルテを演奏している。

何とも変則的な編成である。
弦楽四重奏は、オーケストラを縮小すれば出来るし、
フルートは管楽器を代弁しているのだろうか。
しかし、ピアノフォルテはどうして必要なのか、
よく分からない。

このCDを聴いても、低音の補足をしているだけに聞こえる。
独奏的に活躍するところがないばかりか、その音が聞こえない所も多い。
時折、その古雅な、ハープのような音色が響くのが、魅力ではあるのだが。

実は、解説もリンデ自身が書いている。
「ここで録音された交響曲の最初の版では、
その表紙に、
『ピアノフォルテをアドリブ伴奏とし、
2つのヴァイオリン、ドイツ・フルート、
テナーとチェロの5つの楽器のために、
J・P・ザロモンの編曲による、
ザロモン演奏会のために書かれたハイドンの大交響曲』
とある。
この下に、小さい文字で、
同様の編曲で、ハイドンの12のロンドン交響曲すべてが、
揃っているというインフォーメーションがある。
また、パート譜には、『五重奏曲。または、シンフォニア』とある。」

このように、実質はフルート五重奏曲で、
ピアノフォルテはアドリブであることが分かる。
しかし、この楽器を含めると、
6つの楽器での6重奏曲ということになる。
シューベルトが「五重奏曲『ます』」を書く、
少し前までは、こうしたものが五重奏曲だったのだろうか。

ハイドン自身には、こうした編成の音楽があるのだろうかと、
例の大宮真琴氏の「新版ハイドン」を眺めて見ると、
「管弦合奏曲」の一覧があって、
ホルン三重奏とかフルート三重奏といったものを除いて、
他はすべて、管楽器が複数の音楽であることが確認できた。
私がこれまでレコード屋で出会ったハイドンの音楽にも、
こんな編成のものは記憶になく、弦楽四重奏は大量にあっても、
その他は、むしろ、管楽合奏のようなものが多かったような気がする。

「オリジナルが、『フル・オーケストラ』のための曲を、
こうした小編成用に編曲して出版することは、
新曲を出来るだけ多くの聴衆に知らしめるのに有効な手段として、
当時としては一般的であった。
それらは多くの場合、作曲家の預かり知らぬものであり、
それらが作曲家自身によって作られることも希であった。
しかし、作曲家自身がこれを行った例もある。
ベートーヴェンは『第二交響曲』や、
『七重奏曲』を、ピアノ三重奏曲に編曲して小編成化した。
おそらく、ハイドンは、ロンドン交響曲のこれらの編曲を、
よく知っていたのではないか。
これらの自筆楽譜は、ザロモンの遺品にあって、
彼はまず編曲の方を出版し、後から、フルスコアを出版した(1800以降)。」

これは現代で言えば、コンサートと同時にCDが作られる感覚だろうか。
カラヤンはまず録音を前にして、楽員に練習をさせ、
万全の体制で、本番に臨んで効果を発揮したが、
ザロモンは、そうした、音楽産業のやり手の一人だったわけだ。
ただし、この方式をかれが始めたのかどうかは、
ここからは読み取れない。
一般的な慣習に過ぎなかった可能性もある。

が、1800年以降、というのがポイントで、
我がシューベルトの少年時代とは、こうした音楽シーンだったわけだ。
ロンドンでこうだから、ヴィーンはもう少し遅れていただろう。

「ハイドンは、彼のロンドンでの体験の記録で、
日記4冊を埋めたが、そこには、1795年5月12日、
交響曲第100番、104番が演奏された時の収益についても書いている。
この演奏会はハイマーケット・シアターで開かれ、
当時の慣習に倣って長くて雑多な演目が演奏された。
『軍隊交響曲(第100番)』は、二部に分けて演奏された。
それから、『ロンドンのために書かれた最後の、12番目の、
ニ長調の新しい交響曲は、居合わせた人々も、私をも大変喜ばせた。
私はこの晩、4000フローリンを得た。
こんなことが可能なのは英国においてだけである。』
この機会に、当然ながらフル・オーケストラで演奏されたが、
他の晩には、室内楽の演奏会においては、彼は、
ピアノの席で聴いており、ヴァイオリニストの
ヨハン・ペーター・ザロモン(ボン1745-1815ロンドン)もまた、
ほとんどのこうした演奏会に出演している。」

私は、こんな日記があることは知らなかった。
モーツァルトの手紙ほど面白いものとは考えられないが、
意外に何でも書いてある可能性もある。
是非、読んでみたいものだ。

さて、ここから、ザロモンについての記述で、
作曲家ハイドンを押しのけて、大きくフォーカスされておる。
こうした、一般の本には出ていない事が読めるのも、
この種のCDの魅力である。
「彼は、1781年、最初にロンドンを訪れてから、
この地の音楽シーンで重要な役割を演じた。
彼は最初、ヴァイオリン奏者として名を馳せたが、
次第に、特に定期演奏会の興行主としての活動を増やしていく。
彼は、12曲の『ザロモン交響曲』を作曲するよう、
ハイドンをロンドンに2度にわたって招き、
さらにモーツァルトをも英国に召還しようとしたが、
作曲家が亡くなったために実現はしなかった。
ハイドンは英国において得た名声や莫大な利益の大部分が、
ザロモンのおかげだと感謝していた。
ザロモンはさらに英国でオラトリオを書くよう勧めたが、
ハイドンは英語に通じておらず、ドイツ語のテキストを求めた。
ヴィーン在住のズヴィーデン男爵による、
『天地創造』のドイツ後テキストを、
ハイドンに紹介したのもザロモンだった。」

さらりと書いているが、ズヴィーデン男爵や、
モーツァルトとも繋がりがあるなど、非常に高い目利きと、
広い交友範囲の人だったことが分かる。
このCDの音楽の編曲者がザロモンということからか、
この人の活躍に注力した解説で、繰り返すが、
ハイドンの音楽の内容は、そっちのけになっている。

「第二次ロンドン訪問の後、
ハイドンのオーストリア帰還後、
ザロモンとの協業関係は次第に立ち消えとなっていく。
しかし、彼は、この友人にしてパートナーのことを、
こんな証言にも似たようなものを残している。
『ソロモン王とダヴィデ王は、
楽しい楽しい生活をした。
楽しい楽しい女友達と、
楽しい楽しい奥方たちと。
しかし、沢山の沢山の疑惑と共に、
老齢が忍び寄った時、
ソロモン王は箴言を書き、
そしてダヴィデ王は詩編を書いた。』」

味わい深い一節とも言える。
ソロモン王はザロモンの例えだが、
ロンドンで、ハイドンは、楽しい女友達たちと、
浮かれ騒ぐシーンがあったかもしれない。

接待旅行には、ひょっとしたら、
そんな一こまがあったかもしれない。

実際、ハイドンは当時、すでに高名で、
イタリアからも招きがあったのを断って、
ロンドンに赴いたのであった。
そのように大宮真琴著書には書いてある。

そもそも、ザロモンがハイドンをロンドンに呼ぶ前に、
ザロモンはハイドンの作品の紹介に、既に務めており、
英国において、交響曲などの演奏も行っていたとある。
ハイドンが来るということで、ザロモンは、大喜びであったはずである。

ちなみに、ハイドンの訪英をおさらいすると、
約1年半のものが2回あって、
間に1年、ヴィーンで休養している。
ハイドンは英国の活気に目を見張りながらも、
その喧噪に困惑し、寛いだ環境を求めたのであった。

この休息の1年は、ハイドン61歳の年に当たるが、
長らく交友していたゲンツィンガー夫人が43歳で亡くなっている。

ハイドンは、交響曲第99番のしみじみとしたアダージョと、
ピアノの変奏曲を追悼の意味で作曲しているが、
これらの曲の曲想からするに、非常に愛らしい人であったようだ。

ちなみに、この変奏曲(アンダンテ変奏曲Hob.ⅩⅦ:6)に関して、
大宮真琴氏の解説は、非常に難しいことを書いている。
1793年に作曲されたとのことだが、
これは例の夫人が亡くなった年で、ヴィーンにいた頃だからであろうか、
筆写譜には、ヴィーンの宮廷代理人の娘、
「デ・プロイヤー嬢のための小ディベルティメント」と記されている、
とあり、
99年のアルタリア初版には、ブラウン男爵夫人への献辞があるともあり、
これは、ヴィーンの実業家の夫人であるという。
プロイヤー嬢が結婚して、
ブラウン夫人になったということはないだろう。
プロイヤー嬢の名前はバーバラで、
ブラウン夫人の名前はヨゼフィーネだからである。
さらに、ややこしい事に、自筆楽譜には、
変奏曲ではなく、「ソナタ」と書かれているという。

かなり混乱した背景があるようだが、
ハイドンがこうした事に関してはおおらかだったことが分かる。
メロディも美しく、名品ゆえに、
いろんな女性に献呈したかった気持ちは分からなくもない。

また、門馬直美氏は、
「曲はモーツァルトが、
2曲のピアノ協奏曲(K449と453)を献呈した、
バーバラ・プロイヤーに捧げられた。
プロイヤーは、宮中顧問官の娘で、
モーツァルトからピアノと作曲を学び、
好んでモーツァルトの曲を演奏した人である。
ハイドンがなぜ彼女にこの曲を捧げたのかわからないが、
おそらく、第1回訪英中に親友のモーツァルトが死去したので、
ヴィーンに帰って、さっそくモーツァルトと親しかった
彼女を慰めるつもりで作曲し献呈したのだろう。」
などと、書いてもいる。

氏も、出版時にはブラウン男爵夫人に捧げられている点については、
疑問を呈している。
ハイドンの心の支えのような、
ゲンツィンガー夫人の名前は全く現れない。

さて、先の第99番の交響曲の演奏で、
ハイドンの第二次訪英の演奏会は始まった。
また、この訪英に先立って、ハイドンは、
第100番、101番の交響曲にも取りかかっていたとされるが、
「軍隊交響曲(第100番)」のような大騒ぎの音楽は、
この失意と関係があるのだろうか。

それにしても、ほとんど手ぶらで敵地に乗り込むというのも
度胸がある話ではないか。
ゲンツィンガー夫人の死の年だったせいか、
新たに完成した交響曲は1曲しかなかったのである。

また、このようにこの時期のハイドンの動向を見て、
私が興味深く思うのは、
彼は、ロンドンではうるさくて静かに作曲出来ないと書きながら、
このヴィーンでの休息の時期には、あまり作曲がなされていない点である。

追い詰められないと、人間、何事もなしえないと考えるべきか、
ハイドンは、必要に迫られた時にこそ、
底力を発揮するタイプだったと考えるべきか。

第二次訪英は、ハイドンの老齢を考え、
雇い主、エステルハーツィ公も、
ロンドンで激しい嫉妬の渦に身をさらすべきではないと、
反対していた楽旅であったようだ。

ゲンツィンガー夫人の死後、
心の空洞を埋める必要があった、
ということはなかったのだろうか。
残念ながら、大宮真琴氏の本にはそうは書いていないのだが。

先のダヴィデとソロモンの話で、実は、
先のCDの解説は終わりだが、12曲もあるうちの2曲を、
リンデがどうやって選んだかはよく分からない。
たまたま、この楽譜があったからか、
先の大もうけのコンサートの記述にちなんだのか。
さらには、五重奏曲と言いながら、
今から考えれば、変則的な、
フルート五重奏曲という編成を選んだのは何故か、
といった疑問も浮かぶ。

フルートと言えば、プロイセンのフリードリヒ大王が、
この楽器をたしなんだ事で、ハイドンの一世代前に、
北ドイツで流行したことがあったし、
モーツァルトがマンハイムで出会ったヴェンドリングは、
欧州に名をとどろかせた名手とされ、
その紹介で、オランダ人、ド・ジャン氏のために、
フルート協奏曲を書いたこともあったから、
おそらく一般的な木管楽器として普及していたのであろう。

一方、ピアノフォルテはアドリブだという点が、
やはり時代を感じさせる。

ここで改めて、交響曲版とザロモンの六重奏版を比べてみると、
ロンドン交響曲の、壮大な序奏は、当然、原曲の方が圧倒的。
むしろ、この編成で、よくこんな音が出せるものだと、
ザロモン版もがんばっている。
弦楽器が多いオーケストラ版の方が音色的には豊かだが、
変化の妙としては、単調かもしれない。
ザロモン版では、フルートの活躍が目立つし、
時折、涼しげに鳴るピアノフォルテが、
シェーンベルクの作曲したサロン音楽のように洒落た色合いを添えている。

第2楽章のような静かな曲想になると、
音の厚みくらいしか差異はなくなってくる。
ただし、フルートが吹き交わすような牧歌的な曲想との対比は、
さすがオーケストラの威力と言える。

また、第3楽章や終楽章のようなリズミカルな部分では、
ハイドンはかなり壮大にティンパニを使っており、
激しいアクセントで輪郭が形作られている。
それを補うのが、ピアノフォルテのきらめきだろうか。

気になるのは、どんちゃら軍楽調の、
「軍隊」の第2楽章の処理だが、
何よりも、テンポが非常にゆっくりであることに驚く。
コーダでトランペットが鳴り響くところは、
あえて、唯一の管楽器であるフルートは黙って、
その柔和な雰囲気を消し、
弦楽のユニゾンとピアノフォルテだけで、
するどい音色を推進させて乗り切っている点である。

パウムガルトナーがあえて、旧版の楽譜を使って、
スラーの処理を行わなかったという第1楽章第1主題の処理では、
ここでもスラーではないような気がする。
ザロモンの楽譜はどうなっているのだろうか。
旧版の処理がザロモン以来だとしたら、
ハイドン公認のスタイルと考えられなくもない。

得られた事:「ハイドンの交響曲などは、まず、室内楽編成で出版された。」
by franz310 | 2009-01-03 23:44 | 音楽

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その95

b0083728_21375274.jpg個人的経験:
前回、リスト編曲による、
シューベルト作品、
「ハンガリーのメロディ」を
紹介したところで、
文字数が尽きてしまったが、
同じ作品のCDが、
例のハンガリーの名門、
フンガロトンから
出ている。


ここで、またまた脱線して、こちらのCDにも触れてみよう。
このCDは第一印象から、完全にいかれている。
4つ手がある、中年長髪ピアニストが、
まるでカエルみたいに、こちらを凝視し、
ピアノの上に張り付いている構図の写真があしらわれ、
まったくもって美しくない。

少なくとも、誰かに上げたら笑われそうである。

GYORGY ORAVECZという人で、1963年のブタペスト生まれ、
録音が2003年とあるので、40歳の録音である。
イシュトヴァーン・ラントシュや、ゾルターン・コチシュに学んだとある。
コチシュと言えば、ハンガリーの若手三羽烏として、
若々しい風貌ばかりが記憶に残っているが、
こんな恐ろしげな弟子を隠し持っていたのである。

「コンサートホールで成功を約束する才能」と、
このコチシュが褒めているらしい。
「ヴィルトゥオーゾの技巧、様式的な落ち着き、
音楽的個性の独自性」を挙げているが、
聴いてみると、それがよく分かる。
非常に硬質なタッチで、確信に満ちて、
素晴らしい推進力で弾き進める音楽は、
何となく、ハワード以上にリストらしい感じがする。

1985年に、ハンガリーラジオのコンクールで、
これまたハンガリーの名手、シフラの賞を受けているというから、
国内では知られた名手と思われる。

しかし、このCD、不思議なのは、
ハワードが94年に録音している「ハンガリーのメロディ」や、
97年に録音している「さすらい人幻想曲」を収めたものでありながら、
何故か、1stRECORDINGを強調していることである。
前回紹介した、ハワードの「ハンガリーのメロディ」は、
サールの整理番号でS425 とあるが、
こちらのオラヴェッツ盤には、S425、R250、LW A48とある。
Sは、1954年の「グローブ音楽辞典」に、イギリスの作曲家、音楽著述家の、
ハンフリー・サールが採用した整理番号である。
しかし、サールは音楽学者ではなく、以前に、ドイツの音楽学者、
ペーター・ラーベが1931年にまとめた作品目録ラーベ番号を、
再整理したにすぎないとされる。R250のRはラーベを意味する。
したがって、この二つは基本的に同じ作品には同じものが付くはずである。

また、サールの場合、
「オリジナル」と「編曲」の二つに分けたりしている点が問題で、
(ピアノ独奏曲の場合S100番、200番台がオリジナルで、
S300~500番台は編曲作品となっている。
このシューベルト作品も400番台、500番台のナンバーだ。)
しかし、リストのように、同じ作品を何度も改訂している場合、
こうした分類には障害が出ることから、
「ニュー・グローブ音楽辞典」では、また、別の分類ナンバーが、
採用されたという、このA48というのは、それを示している。
LWとは、それを示す記号と思われるが、何の略かは分からない。

この作品を表わす、番号であるが、
この二人の演奏家による「さすらい人幻想曲」など、
混乱の極み。
このブログシリーズでも、管弦楽伴奏をつけた版は紹介したが、
さらに4手版を作曲したとあっても、ピアノ独奏版は、
初耳であった。
しかし、ピアノ独奏曲全集を作っている、
ハワードが、ちゃんと、これを録音しているので、
聞いたことがない、4手版より、ずっと、私には実在性が高い。

が、ピアノ独奏曲をピアノ協奏曲や4手用に編曲したくなっても、
何ゆえに、ピアノ独奏用に書き直す必要があるのだろうか。

この曲、ハワード盤には、S565aとあるが、
S565は、作品表には「ミュラー歌曲集」とあるが、
この「a」とは何なのか。
いい加減にして欲しい。

一方、オラヴェッツ盤には、S-、R-、LW U17とある。
「ニュー・グローブ音楽辞典」では、
前述のように、「ハンガリーのメロディ」は、
A48として分類されているが、
「さすらい人幻想曲」は、「U17」?この「U」って何だ。
また、S-ということは、Sナンバーなしということ?

私が持っている本では、そう明記されているわけではないが、
この「ニュー・グローブ」による分類では、
Aはピアノ独奏曲、Bは連弾、Cは2台ピアノ、Dは室内楽、
Eはオルガン、Fはオルガンとその他、Gは管弦楽、
Hは協奏曲、Iは管弦楽合唱、Jは宗教合唱、
Kは宗教的独唱、L、Mは世俗合唱、Nは歌曲、
Oはオペラ、Pはメロドラマ、Qは未完成作品が、
それぞれ対応づけされているようだが、
この「U」は、何なのだ?

このCD製作者も、おそらく最後の手段と思ったか、
利用した楽譜まで記載している。
つまり、「さすらい人」は、
シュトゥットガルトのCotta社が1871年に出したもの、
「ハンガリー」は、ディアベリが1840、41に出したものとある。
ファースト・レコーディングの信憑性を高めようとしているということか。
さしものハワード盤も、ここまでの記載はない。
ハワード盤の最大の弱点は、この年代意識の低さにある。
何年のもの、という解説がない点が歯がゆい。

このフンガロトン盤は、少なくともそれを補ってくれる。
解説も比較的丁寧で、好感が持てる。

「リストは、1822年から3年にかけて、ヴィーンにおいて、
チェルニーやシューベルトが音楽理論を学んだサリエリに師事していたから、
早い時期からシューベルトの作曲した作品に出会っていたのであろう。
さらに、のちに1830年代には、彼と、その恋人のマリー・ダグーは、
シューベルト歌曲の愛好家となり、プライヴェートな集まりでも、
演奏会でも、リストはその伴奏をするのを好むようになっていた。」
リストが伴奏するシューベルト歌曲!
なかなか魅力的な光景であるが、肝心の歌手は誰だったのか。

「さらに、彼は50曲に及ぶ歌曲のピアノ曲集を作り、
それをピアノ独奏で演奏もした。
一連の歌曲は、1833年の『ばら』を皮切りに、
1837年から46年にかけて、
数種のシューベルト歌曲アレンジ集を生み出した。
これは、オリジナルの歌曲より、
実際、ポピュラーとなった。
リストはシューベルトの器楽曲を熟知しており、
1838年から48年に公開で演奏した曲目カタログ、
「Programme general」でも、シューベルトの名前は、
ソナタ、三重奏曲、幻想曲や行進曲のジャンルで見つけることができる。」
まさか、このCDで、こうした情報が得られるとは思わなかった。
リストは、シューベルトのソナタや室内楽(トリオ)も、
演奏していたのである。

が、このシリーズの主題である、
ピアノ五重奏曲「ます」は、演奏していないことが、
何となく伺われるような状況になってしまった。
が、逆に、このピアノの鬼神が、
たまには室内楽を演奏していたことも分かったわけである。

「シューベルトの作品による編曲作品も、
これらの作品に混ざって見つけられる。
例えば、シューベルトの小さなワルツを集めた、
『ヴィーンの夜会』は、演奏会での評価を高めたし、
ピアノと管弦楽のための『さすらい人』幻想曲も、
ピアノと管弦楽のための様々な演奏会で取り上げられた。
また、シューベルトの4手作品の行進曲や喜遊曲の部分を、
集めてアレンジしたものもある。
リストはさらにシューベルトの、
2手、4手のピアノ作品の校訂でも貢献し、
このCDでは、リストの編曲、
または、校訂したシューベルトの器楽曲を含む。」
ということは、この「Edition」(校訂版)が、
先の、さすらい人幻想曲の「U」マークということだろうか。

「興味深いことに、リストが作曲した、
最初のハンガリーの主題のピアノ曲は、
初期の断片Zum Andenken(1831)を除くと、
シューベルト編曲作である、
作品54の4手ピアノの喜遊曲に基づく、
『シューベルトのハンガリーのメロディ』
(Raabe 250、Searle 425、 LW A48)なのである。
この3楽章からなる『ハンガリーのスタイル』の喜遊曲は、
1826年に最初出版され、
エステルハーツィ伯の領地、
上部ハンガリーのツェリス(現スロヴァキアのZeliezovce)
のメロディをシューベルトは利用した。
リストは、1838年、
ペストを襲ったドナウ大洪水によって引き起こされた、
彼の故郷、ハンガリーへの想いの高まりと一緒になって、
このシューベルトの作品の理解を深め、
この作品に取り掛かった。
最初の伝記作者リナ・ラーマンによると、
1838年に早くも、
この作品をヴィーンでのチャリティー・コンサートで演奏している。
しかし、1839年遅くに、
一連のヴィーンでの演奏会とハンガリーへの出立にあたって、
この作品は彼の関心に止ったと思われる。
1839年12月14日のヴィーンでの最終演奏会で、
彼はこれを演奏し、批評家が言うように、
『魅惑的で完全な流儀』によって、
アンコールに応えなければならなかった。」
リストはついていたような気がする。
ハンガリーに大衆の目が行っている時に、
その場所を喚起させる音楽をこしらえて演奏したのだから、
環境は最高に整っていた。

「ヴィーンの出版者、ハスリンガーとディアベリは、直ちに、
ハンガリーのメロディによる編曲や曲集でリストと契約した。
これまでのところ、リストの手稿が出てきていないので、
これらの作品が何時出来たかは、正確にはわからないが、
第二楽章だけは、1839年12月25日に、
ペストで書いたマリー・ダグーへの手紙によって、
12月19日と22日のコンサートの合間に、
プレスブルク(現ブラティスラヴァ)のホテルで
書いたことが分かっている。
ディアベリは三つの楽章を分冊の形で分けて出版し、
アンダンテ(第一楽章)と行進曲(第二楽章)は、
1840年の1月に、
終楽章アレグレットは、まる1年してから出された。
リストは、そのヨーロッパ中の演奏会で、
しばしばこの『ハンガリーのメロディ』や、
その中の一曲をアンコールで演奏した。
1846年には、特にヴィーンでこの曲が取り上げられた時、
ディアベリはこの曲を簡単にした版を出版した。」
非常に、細かい日付を取り上げて、ハワードの不満をやわらげてくれる。
書いたのは、Maria Eckhardtという人である。
英訳はTunde Vajdaという人。
英語圏の名前ではないが、読みやすい。

「第一楽章アンダンテは、Maria Domokosが述べるように、
オープニングテーマは、フリギア調。
メランコリックでルバートのかかったハンガリー民謡に関係がある。
もう一つのジェストの主題は、
Verbunkosの飛び跳ねるリズムによる、
特徴的な要素に支配されている。
ここで、リストは忠実にシューベルトの4手の原曲に従うが、
ツィンバロンを模したカデンツァの拡張や、
名技性を強調している。
シューベルト作品では、第二楽章の行進曲は、
伝統的なダカーポマークによるシンプルなトリオを有し、
さらに長く重要な第一と第三楽章の間に置かれた短い楽章だが、
リストはこの部分は単純なアレンジでは満足しなかった。
彼は単純な繰り返しに変化をつけ、さらに形式的に大きな改良として、
変イ長調のトリオの主題の材料を使って、意気揚々としたコーダを作り、
ハ短調の行進曲の終わりをハ長調にしている。
この形で、この作品は独立した作品となり、
少しずつ違った、いろいろなバージョンが実際、残されることとなった。」
このあたりは、ハワードの表に詳しい。

「第三楽章のアレグレットは、形式的に、
シューベルトのままでも十分複雑である。
メインの材料は、2つの間奏曲をもって3度現れ、
それぞれが、A-B-Aの形式をなし、コーダを有する。
リストは基本的に形式は変更していないが、
反復のいくつかは省略し、内部を拡張し、
特にカデンツァやコーダにおいて、
名技的要素を強調したりして、
それを自由に扱っている。」

次に、このCDの最後に収められた、
「性格的な大行進曲」についての解説が始まる。
これは、ハワードのCDにも登場する、
3曲1セットとなったものの一部である。
「『シューベルトのハンガリーのメロディ』の成功を受け、
リストはもう一曲、シューベルトの4手ピアノ曲を、
ピアノ独奏に編曲したものをこしらえた。
これは、1846年、ほぼ同時期に三つの分冊で、
ヴィーンのディアベリによって、
1. シューベルトの大葬送行進曲
2. シューベルトの大行進曲
3. シューベルトの性格的大行進曲
として独立したタイトルで出版された。
リストは、以下のシューベルトの行進曲を編曲した。
4手のための6つの大行進曲作品40(D819)の第5曲、第3曲。
4手のための2つの性格的行進曲作品121(D968B)の第1曲。
これらすべてのリストの行進曲は、すべて自由なアレンジで、
第一番、悲しみの行進曲変ホ長調は、最も原曲に近く、
しかし、他の2曲は、シューベルトが施した、
ダカーポによる伝統的三部形式では満足していない。
ここでレコーディングされた第三番ハ長調は、
主部のギャロップもリズムの6/8拍子に、
イ短調のトリオで、3度、
作品121/2の、クアジ・アレグレット、イ短調、
作品40/2からのアレグロ・マ・ノン・トロッポ、嬰へ短調、
作品40/1からのウン・ポコ・メノ・モッソ、嬰へ長調の主題が現れる。
行進曲は、アレグロ・トリオンファンテの勝利のコーダで終わる。」
このように、このCDでは、
ハワードが録音した「シューベルトの行進曲」3曲から、一曲のみが、
付録のように収録されている。
「1859年、リストは、この3曲の行進曲に、
『ハンガリーのメロディ』からの『ハンガリー行進曲』を合わせて、
オーケストラ曲とした。
この4つの管弦楽行進曲は、1870/71に出版され、
リストはさらに4手ピアノ版のスコアも出版した。
驚くまでもなく、
これらは、オリジナル作品から大きくはずれたものとなっている。」

ここからが、「さすらい人幻想曲」についての解説だが、
CDには、これが最初に収められている。
「シューベルトの作品15の『さすらい人』幻想曲(D760)もまた、
1846年、ヴィーンでの演奏会で、
初めてリストのレパートリーとして登場したが、
これは、先の行進曲が最初に出版された年でもある。
批評家によると、リストはこの、
『偉大な歌曲作曲家による深く詩的な作品』たる幻想曲を、
無比のインスピレーションをもって演奏し、
聴衆から喝采を受けた。
シューマンは、1822年作曲の、
シューベルトの大規模な幻想曲を、
作曲家がフルオーケストラを、
2手のピアノに圧縮しようとしたもの、
と表現したが、
リストもまた、同様の感じ方をしたのであろう、
それをオリジナルの形でしばしば演奏しながらも、
ピアノと管弦楽のために、シンフォニックアレンジメントを行い、
1851年に初演、57年にヴィーンで出版している。
1862年には4手ピアノ版も加えられた。
リストのこの曲に対する徹底した興味は、
ここで終わったわけではなかった。
シュトゥットガルトの出版社、コッタから、
『古典ピアノ曲の啓蒙の手引き』
と題されたシリーズの出版に、
力添えして欲しいという依頼が来たとき、
1868年、リストは、ウェーバーと、
シューベルトのピアノ曲を取り上げた。
最初のシューベルトの巻は、1871年に現れ、
その最初を飾るのが、この幻想曲であった。」

このあたりからが、リストの作品表に、
明確に現れない理由のようなものになるだろうか。
「このシリーズは、音楽学生に、
オーセンティックな技術の達成や、
作品に対する芸術的な洞察力を養うことを、
手助けすることを目的としており、
このチャンスを活かして、
リストはシューベルトの幻想曲を複写するのみならず、
演奏会を通じ、また、数回のアレンジを経て開発された、
彼自身の複雑で熟達した解釈を書き写した。」

つまり、この曲は、リストのアレンジというより、解釈であって、
教育用の材料であったというわけだ。
しかも頼まれ仕事でもあって、
大々的にリストの作品だっ、という登場の仕方ではなかったと見える。

「彼の追加(ダイナミックスの記号、アーティキュレーション、
ペダルその他の利用法)は、印刷されて明示されている。
さらに顕著な例で言えば、リストのオッシアの記譜が、
シューベルトの譜の上下に追加されており、
これらは技術的に簡単であったり、効果的であったりで、
音色を豊かにし、細部の強調などがある。
最後のフーガは、
リストの表現記号はあるものの、オリジナルのままで、
そこにはオッシアの追加はなく、
その後に、『先の楽章のリストのバージョン』というものが
つけられている。」
終楽章が、かなり違って聞こえるのは、こういった理由があったのである。

この解説は、私たちが知りたかったことを、
改めて教えてくれる。
「何故、リストはシューベルトのピアノ幻想曲を、
ピアノ曲としてアレンジすることを重要視したのか。
シューベルトのピアノと、成熟期のリストのピアノでは、
違いがあるということに、
おそらく応じたものであろう。
言い換えれば、1820年代のピアノと、
1870年代の楽器とでは異なり、
また、小さなサークルの聴衆と、
巨大なコンサート・ホールでの聴衆では、
大きな違いがあったということだ。
何よりも、それは、リスト自身が、
引き起こし、実践してきたことが、
こうした変化ではなかったか。
彼のシューベルト作品における、
解釈の自由を、彼は冒涜とは考えなかった。
何よりも、彼が愛し、尊敬した作曲家を、
こうしたやり方でより理解させることこそが、
自身の使命だと感じていた。
彼は誇りもって、『私は幻想曲の数箇所を変更し、
その終曲全部を、モダンピアノ版に改めました。
シューベルトも、これに不満を覚えないであろう、
と思えることは、私にとって光栄なことです。』」

このように、リストは、
指揮者のストコフスキーと同様の考え方をしていたのである。

b0083728_21382214.jpgさて、では、
このオラヴェッツの
CDは、
ハワードの後で、
本当に、
First recordingと、
呼べるのだろうか。
ここで、
ハワード盤の
解説を見てみよう。

全文は大変なので、この幻想曲の部分である。
「シューベルトの大幻想曲(さすらい人幻想曲として知られる)への、
リストの偏愛は、ほとんど没頭と呼んでもよいもので、
シューベルトの傑作は、テーマ発展や、多楽章を一つにまとめるなど、
リスト自身のシステムの核心を含んでいて、
1851年頃の有名なピアノとオーケストラ版、4手ピアノ版のみならず、
さらに後年、ピアノソロ版も作っている。
最初の3楽章には、変更可能なサジェッションがなされており、
ピアニスティックでない数箇所や、
19世紀中盤の鍵盤の幅を有効利用できていない部分は、
別のものに取り替えられている。
当時、実際、シューベルトから始まって、この作品は、ピアノ的ではない、
このままでは演奏不可能と、誰からも宣言されていたことを、
思い出そう。
最後のセクションで、リストは完全に違う楽譜を、
シューベルトの楽譜の後ろにプリントしており、
恐るべきアルペッジョや16分音符は、ほとんど削除され、
もっとオーケストラ的なテクスチャーに変更されている。
当然、現代では、すべての人がシューベルトのオリジナルを弾くが、
後期ロマン派の風習の証拠以上の正当な権利を有する、
この興味深い編曲なしでは、この曲は、
一般的なレパートリーにはならなかったかもしれない。」
と、このように、簡潔に同様のことが書かれている。
オリジナルの方がいい、と言ってるような直裁さが良い。
が、演奏は、この曲に限っては、ハワードの方が落ち着いた、
好ましい演奏と思える。

編曲そのものも、リストらしさが出ていて面白いが、
オラヴェッツ盤は、早すぎて騒々しい感じが、時折感じられる。
さすがのリストもあまり手がつけられなかった第二楽章も、
もっと、たっぷりと浸って聞きたいではないか。
リスト自身は、ここで、
きっと夢見るようなピアニズムを聞かせたはずだ。

1871年という年代表記がないのが、この前と同じだが、
書かれていることからして、おそらく同じ楽譜による演奏と思われる。

リスト特有のオッシアを別のもので演奏したから初録音だと言われれば、
そうかもしれないが、そんなことをすれば、
同じ楽譜から、2の数箇所乗の初録音が出来てしまう。

ではオラヴェッツ盤の演奏は必要ないかと言うと、
ピアノ特有のクリスタルな美観と、名技性が目覚しく、
「ハンガリーのメロディ」などは、絶対に、ハワードより、
オラヴェッツの方が聞き応えする。
ハワードのはテンポが遅すぎて、なかなか先に進まないが、
オラヴェッツの鮮やかな演奏では、
オリジナルと、この編曲版、両方の存在価値を感じる。

得られた事:「リストの編曲は、シューベルトの時代から進化した楽器の性能を引き出そうとしたものである。」
by franz310 | 2007-11-03 21:38 | シューベルト

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その90

b0083728_1827947.jpg個人的経験:
前回、ドリヨン氏が、
シューベルトの歌曲を、
ヴィオラで演奏する試みを、
ツィンマーマンのような、
ヴィオラ奏者が、
始めたと書いていた。
「ます」の五重奏からは、
今回も脱線になるが、
その試みについて、
振り返ってみたい。


この話題の演奏は、ドイツのカプリッチョ・レーベルが出したCDで聞ける。
日本でも発売され、話題にもなったと思うが、
私は、あまり、真剣に聞いていなかった。
しかし、Axel Arndtという人の、
「Gestirne(星々)」と題された表紙はしゃれているし、
ヴィオラで聴く「冬の旅」というのも斬新だったので、
早々に入手していた。

しかし、このCD、単に、シューベルト歌曲を、
ヴィオラで弾いたという代物ではなく、
ちゃんと、本来の歌曲も収めた2枚組である。
二枚目に、歌を吹き込んだのは、われらが白井光子である。
しかも、それに加えて、現代ドイツの作家ヘルトリングが、
朗読で参加したりして、一大プロジェクトの体をなしている。

とはいえ、LP時代には2枚組で売られていた大曲「冬の旅」を、
それも、2回も演奏したものを、気軽に聞けるものではあるまい。
この曲、内容も内容である。よほど、心の周波数が一致しないと、
手を取れるものではない。

国内仕様の日本語解説は、
この分野の一人者、喜多尾道冬氏が受け持っている。
この人ならではの、「市民社会発展」の中に、
シューベルトの音楽を位置づける歴史観は、
相変わらず読み応えがあるので、これはお勧めだ。
例えば、ここで失った恋人への愛憎とは、
自分が受け入れて貰えなかった都市の象徴である、
という解釈など、非常に分かりやすい。

とはいえ、この一大プロジェクトは、必ずしも、
この路線で捉えられたものではないのではないかとも思う。

そう考えて、元の解説を概観すると、
日本語解説は、この中から、適宜抜き出しながらのもので、
直訳ではないということが分かった。

もっとも、元の解説(ELLEN KOHLHAASという人)が、
難解(主語、述語が不明確な、羅列系)で、
それを直訳されたら、かなわないという感じもある。
原文のドイツ語から英訳(Lionel Salter)した人も、
困ったのではないか。

日本語解説の方も9ページもあって
(もとのは、10ページあるが左側がドイツ語、右側は英語)、
それはそれで、十分、意味深いものであるが、
この珍妙なプロジェクトに関して、
生々しさが失われていること(あるいは薄まったこと)は、
否定しようがない。

「『冬の旅』は、何か馴染みの薄い、
ロマン派の時代と現代の人間に持続する、
未知なるものを物語っている。
この傑作は、ひんぱんに聞かれているにも関わらず、
長い間、何だか我々にとっては、奇妙なものであった。
ここで、慎重にこれを覆し、この通念を破壊してみよう。
私たち4人、
声楽家、ヴィオラ奏者、ピアニストと作家が、
それを違ったように聞かせ、さらに再認識を促したいと思う。
『Disturbance(不安、動揺、邪魔)』が、
『冬の旅』の基本テーマである。
失恋、語りかけても応えない自然、霜の中を旅する男、
その旅人は私たちに似ている。」
まず、ここで、We fourとあるが、解説者のEllenさんは、
この四人には含まれていないはずで、
誰が、これを書いたかが、まず、私を苦しめる。
恐らく、順番からして、最後に作家(ライター)とあるから、
ヘルトリングの一言と考えることにする。

「『僕はこれらの歌が他のどれよりも好きなんだ。
君たちもそうなるよ』。シュパウンは、
『冬の旅』を聞いて当惑する友人たちに、
このように言ったと伝えている。
『君たちもそうなるよ』、
それは、実際、そうなったが、
シューベルトが予測したのとは、
違った道を通って来た。」

この思わせぶりな表現も気になる。
意を汲むとすると、シューベルトは、全人共通のものを見ていたのに、
聴衆は、何か自分とは無関係な憂鬱な物語として、
三文小説的に捉えて来たということだろうか。

『冬の旅』に関して言えば、
ずっと以前から、手馴れた解釈と、受動的な鑑賞の間に押し込められ、
『陰気な歌曲集』(シュパウン)、
『痛切な音の』(マイヤーホーファー)として、
現代では、かろうじて受け入れられている。
結果として、
何処でも、何時でも、誰の演奏に寄っても、
いっぱいのコンサートホールで、
『冬の旅』は演奏されている。
これら24曲の歌曲は、
実存の体験にはならず、単に雰囲気で親しまれ、
この基本的経験は、白井光子や、
ヘルトムート・ヘル、タベア・ツィンマーマン、
そして、ペーター・ヘルトリングをして、
この旅における、土台から存在を揺るがすような、
親しいものであるが、不快な自然の再構築をさせしめ、
演奏者と聴衆に、等しく自己認識を促す方向に向けさせる。」
やはり、このように、これまでの「冬の旅」の演奏は、
センチメンタルになりすぎて、人生を見つめなおす場になっていない、
ということが、この識者たちの不満であったようだ。

「近年、古典として口当たり良くされたシューベルトを、
その確固たる本質や、のっぴきならない切迫感、
妥協なき集中の中から再認識されなければならない。
こうした考察は、この異常な聴覚体験、
特に最初は、器楽的表現に踏み出す時の観念的な出発点であった。
短縮されたり、ヴィオラとピアノに移し変えられたり、
歌は圧縮されて本質的な核となり、次に続く前奏曲となった。」
何だかよく分からないが、単にヴィオラで奏するわけではないようだ。

「こうしたシューベルティアーデでは、
室内楽と朗読会と、普通の歌曲の間の相互関係に似て、
音楽の言葉と、言葉の音楽の間に、メンタルな橋渡しが行われた。」
ということで、「冬の旅」を捉えなおすのが、
このプロジェクトの目的である。
が、何故、ヴィオラなのか。それはよく分からないが、
音域とかピアノ伴奏との対比を考えてのことであろうか。

「この居心地の悪い音楽の熟考と、
その地層、時間空白、惰性のポイントなど、
いろいろなレベルでの再発見が、
フィンランドのマスタークラスで、ヘルトリング、ヘルと、
コースの参加者との会話の中から、
分解されたり、結合されたりしながら始められた。」
「,」とか「:」や、「and」がやたら出てくる文章は止めてもらいたい。

とにかく、思いつきではなく、ああだこうだと、
いろいろ考えての結果なのであろう。
内容も、複雑怪奇。前回、ドリヨンが、歌曲をそのまま器楽で演奏すると、
歌詞が失われてマイナスになると言ったのとは、
大分、問題意識が異なる内容で、
鑑賞する上で、充実感があるかどうかという点は、
この4人には、まったくどうでも良いようだ。

「ケルンの西ドイツ放送局の『音・詩』演奏会シリーズで、
最初、このツィクルスは、ヴィオラによって演奏され、
純粋な器楽曲となって、言葉による着色も、
それらによって弱められることもなく、
十分クリアに、素材を聞くことが可能になった。」
この時は、ひょっとすると、言葉が邪魔だから、
いっそ、器楽で演奏して、ピュアな構造や語法を見てやろう、
という感じだったのだろうか。

「器楽バージョンでは、ピアノが推進し、
中断し、構造が聞こえるようにし、
むき出しの内蔵や裂け目、クラックや結氷、同時に、
異なった重みを持つ単音の原子的で干上がったスケルトンの
ウェーベルンの危機をさらけ出した。
ヴィオラは、従属するものではなく、
その苦味の利いた、しかし痛みを和らげるような、
そして時に耳障りな音色を、
『孤独』という歌の中に見られるように、
一つに統合している。
この作品の巨大な現代性が明らかになり、
聞く者に作用し、掴み、開始から異常な力で集中を強いる。」
なるほど、ヴィオラの音色の、
「苦味の利いた、癒しも含んだ、時に耳障りな音」が、
期待されていたわけだ。

このあたりは、喜多尾氏の解説でもきれいに紹介されていて、感服した。
「そうすると音素材そのものは、
詩の内容や言葉の意味にわずらわされることなく、
ストレートに聴衆の耳に入ってくる。
言葉の意味から解放された音に耳が集中すると、
ピアノからはウェーベルン風の贅肉を削ぎ取ったきびしさと簡素さが、
ヴィオラからはやさしさと苦さがひとつになってひびき出てくる。」
しかし、むき出しの内蔵や亀裂にまでは触れていない。

さらに、ようするに、という感じで、
「いわば曲を裸にし、それまでの手垢を洗い落とす手立てを通して、
聴き手はシューベルトの友人たちが『冬の旅』を
始めて聴いたときの衝撃に近づくというわけだ。」
なるほど。まあ、そう読める。

「ここでのヴィオラ奏者、タベア・ツィンマーマンは、
単に器楽奏者として演奏に専念しているわけではなく、
弦楽器を演奏するに留まらず、
薄い着色で、旅の各ステージで、自由な色の解釈を可能として、
楽器を忘れ、音楽を体験できるようにしている。」
喜多尾氏は、この部分は引用していない。
が、ここにもあるように、ツィンマーマンが、様々な音色で、
歌曲にアプローチしているのが、
大きな聴き物になっているのは確かであろう。

私は、この演奏家の実演を聴いたことがあるので、
その時の彼女の、真摯で感じの良い雰囲気を、
ついつい、ここからも聞き取ろうとしてしまう。

「4人の仲間は、この作品を熟考し、編集の効果を試した。
『このように、多くは読まれるだけ、
他のは読まれたり、演奏されたり、
また他のは演奏だけなされた。
もちろん、すべてを読む試みもしたが、
結局、音詩としての集合体にしたかった。
ヘルトリングは『冬の旅』のミュラーの版を読んだが、
これはわずかにではなく、
詩の進行や言葉の順番において、シューベルトの版とは違うものだ。」
このあたり、CDを手にすると分かるのだが、
例えば、『菩提樹』などは、詩の朗読のあと、しばらくは、
ピアノ伴奏だけが演奏されるという異様な光景となっている。

では、朗読の後は、ピアノが続くかというと、必ずしもそうではなく、
まったく、シューベルトの音楽が登場しない部分もある。
(「凍った川で」、「鬼火」、「休息」、「郵便馬車」、「最後の希望」、「道しるべ」。)

こうした複雑さを、
日本語解説では、このように補足してくれていて有難い。
「朗読だけのリートは全部で6曲、
朗読と器楽の両方を持つリートは3曲、
それ以外は器楽演奏のみという形を取っている。
そして器楽による演奏は自筆譜に従ってなされている。」
両方を持つ3曲とは、「菩提樹」のほか、
「村で」と、「幻の太陽」の2曲である。
こうした試みで、喜多尾氏は、シューベルトの創造の過程の再現と、
表現しているが、ここまでは原文には書いていない。

「それは『郵便馬車』の詩の朗読と付曲との相違を比べてみれば歴然とする」
とあるが、これは、いったい、どうやって歴然とすればいいのだろうか。
さっそく1枚目のCDの朗読を聴き、2枚目のCDの歌曲を聴く。
ヘルトリングは、内省的な、沈んだ声色で朗読しているが、
白井の歌は、高ぶった心を、リズミカルに歌う。
確かに、非常に大きな構想力で、
詩を持ち上げて、一つの作品にしようとした、
シューベルトの意図のようなものが分かる。
こうしなければ、さらに陰惨な歌曲集になったかもしれない。
が、ヘルトリングの読み方も極端なような気がする。

「4人の仲間は、慎重に考察し、編集の結果を試してみた。
『このように、』と、誰かの言葉が、
唐突に、かつ長々と引用されるのにも悩まされる。
いったい誰が言っているのか、
2ページ後まで分からないのである。
『このように、多くの歌曲は、読まれるのみで、
他のものは読まれたり、演奏されたりした。
また、他のものは、演奏のみである。
自然、すべてを朗読したいという誘惑もあったが、
最終的には、音・詩の集合バージョンにするべきだと考えた。
ペーター・ヘルトリングは、詩の順番や語順で、
シューベルトの版とは、少なからず異なった、
ミュラーの版による『冬の旅』を朗読した。』」

CDについた詩は一種類なので(ドイツ語のみ)、
これらのどこが違うのかは、簡単には分からない。
が、確かに、朗読と歌曲の対比や、
ヴィオラが登場しないピアノ伴奏部のみの演奏など、
聴き手をはっとさせる効果があるCDである。
前回、ドリヨンの「白鳥の歌」では、単に歌を器楽にしたのでは、
失うものが多すぎると、彼自身が書いていたが、
この4人組プロジェクトは、そもそも、そんな側面にいない。
失わせるものを増やして、本質を暴き出そうという知的な試みなのである。

「『演奏された歌曲は、シューベルトの手稿からの再現である。
器楽版で全曲が演奏されるわけではないので、興味を引く音楽学ではないが、
どこにアクセントがあり、クレッシェンド、デクレッシェンドがあり、
アルペッジョがあるかということを調べ、制作の進行を見るのに、
重要である。学者は、実際、これらについて論議している。
また、出版された版にはほとんど満足することが出来ない。
類似の箇所において、
編集者は、しばしばシューベルトとは違う、
お座なりの同様な処理で済ませたり、
何かの信念によって、個人的見解を取り入れたりしている。
何度も何度も原稿に当たると、驚きと興奮が新しい視界を広げた。
例えば、『風見』では、一小節が手書きにはなく、
このリズムの荒々しい仕草とフレーズを粉砕するメロディに、
聴く人は躓き、狼狽する。』」

ここは、喜多尾氏は、こう訳している。
「それまでのメロディとリズムはいきなりぶった切られ、
聴き手は意表を衝かれ、心を乱される。」
第十六小節だとのことだが、おや、と思うくらいで聴き飛ばしていた。

「『もう一つの例では、『幻の太陽』のピアノ後奏のあと、
ベルカント風の最後の試みが再度、繰り返されるが、
オリジナル手稿では、続く『辻音楽師』で、全てのトーンを高くして、
視界を広げ、見えざるものから解放し、明るくする。』
(ヘルムート・ヘル)。」
ということで、この長い独白は、ピアニストの言葉だったことが分かる。
この文章も、何だかよく分からないが、喜多尾訳ではこうなる。
「もう一つの例は、第23曲の『幻の太陽』の後奏だ。
ここでベルカントのメロディがもう一度反復されると、
自筆譜ではそれに続く最後の『辻音楽師』では一音高く始まる。
それによって視界は一段と開け、これまで見えなかったものが広く、
明るく浮かび上がる」。
これでは、後奏に何かあるように読めるが、
問題は、後奏があるということより、
『辻音楽師』の、冒頭にあるのだろう。

タラン・タランという、これらの序奏が、妙に浮き上がって、
『幻の太陽』の感傷性を完全に吹き飛ばしてしまう効果がある。
が、ライヤー回しが弾いていた音の模写としては、
妙に上ずって不自然である。
これまで、演奏されてきた版の方が、
聞きなれているせいか、自然な音と聞こえる。

しかも、この「幻の太陽」は、このCDでは、
例の後奏部しか演奏されていないというのがフェイントである。
ということで、この一枚目のCDは、いろいろと悩ましく考えながら、
大学の講義的に聴くものであって、リスト風に音楽を膨らませたり、
ドリヨン風に、ヴィオラの音で楽しみましょうといった類のものではない。

そもそも、最後に12分も、ヘルトリングの朗読による、
エピローグというのが続く。
ここで、ヘルトリングは、「冬の旅」の詩人ミュラーに焦点を当てて、
シューベルトと同時代に生きていたのに、全くお互いの事を知らなかった二人に、
思いを馳せている。

思慮深そうなヘルトリングが、
暖かな声で、愛情をもって語る詩人と作曲家は、
共に1790年代に生まれ、若くして火花を散らし、
1827年と28年に相前後して亡くなっているが、
子供の頃に、母親を亡くしたという境遇も似ている。

しかし、ミュラーは、ずっと行動派だったようで、
ナポレオンとの戦争では、兵役に志願し、
古代碑文の研究で、小アジアにまで赴き、
教師、図書館長、編集長などもやって、
小説、劇作、詩、評論を遺し、
宮廷顧問官としても多忙な日々を送ったとある。
旅にも明け暮れ、疲れ果てて、
家に帰り着いたとたんに亡くなったようだが、
破天荒な生き様は、シューベルトの比ではなく、
バイロンやゲーテを彷彿とさせる。

シューベルトは、こんな人には会いたくなかったと思う。
ミュラーもまた、シューベルトのような、
ただひたすらに内面を見つめたような生き方は、
まったく理解できなかったに違いない。

それにしても、こんなに盛りだくさんで、
多彩な内容が、よくCD一枚に入ったと思う。
が、歌曲を歌でなく、朗読でやると、
3-5分のものが1分くらいになっているし、
さっきのような一部しか演奏していないものもあるので、
「冬の旅」自体は、五十数分で終わっているようだ。

ここから、まだ、2枚目の白井光子の歌唱によるCDの解説が続くが、
今回は、ここまでとしたい。

得られた事:「出版社によって、また、慣習的な演奏によって、シューベルトは、本来の姿から離れ、口当たりよくされている場合がある。」
by franz310 | 2007-09-30 18:33 | シューベルト

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その89

b0083728_2121487.jpg個人的体験:
「Frederic Chiuは、
彼をこの歌曲集に導き、
1995年の
La Roque d’Antheronの
その演奏会に
参加させてくれた、
Jacque Drillonに、
特別な感謝を、
表明したい。」


これは、前回紹介した、チュウのCDの解説の最後に書かれていた言葉である。
このDrillon氏、私には、見覚えがある名前である。
何故なら、かつて、
「Schubert / Liszt / Drillon 『白鳥の歌』 ピアノとヴィオラのための」
という怪しげなCDを見つけて、購入したことがあった。
この三人の名前の最初の二つは良く知っているが、最後の名前は初めて見た。
そもそも、何と読むのか。ドリヨン?だろうか。
ということで、妙に印象に残っていた。

そのCD、何ゆえ、三人連名の作品なのか、
ちょっと、解説の中味を探って見よう。

これは、このドリヨンさん自らが書いたもので、
何だか、言い訳が沢山書いてある奇妙な文章である。
「On transcription of the second degree」とあるから、
第二次編曲について、という感じであろうか。

「ヨーロッパでは全く新奇なアイデアというわけではないが、
トランスクリプションのトランスクリプションというもので、
幸いにも遺されたものは稀である。
リストは、数年前に書いた歌曲の改作であるソネット104の、
4手ピアノ版を書いている。
グレン・グールドも、すでにアレンジされたラヴェルの『ラヴァルス』を、
自身のために二台(「二手」の間違い?)のピアノ用に編曲している。
もっとも、これは原曲がピアノ独奏用なのだが。
それほど苦労しなくとも、レパートリーには、そうした例が点在している。
ジャズでは、いくつかの例があり、
同じテーマで何百回も演奏し、
オリジナルのスナンダードナンバーに、
常に最新の推敲を続けているセロニアス・モンクも例外ではない。」

この人の解説は、思いつくことを全て、次々に息継ぎなしに、
書き連ねるもので、ブログではあるまいし、
是非とも、「最新の推敲」をしてもらいたいものだ。
モンクの例は、以下のように、列挙されている。
「例えば、コールマン・ホーキンズ(1939)の伝説的バージョンより古く、
すでに誰が原曲を書いたかも分からない『ボディアンドソウル』、
無数のバージョンの『サマータイム』、『アラウンドミッドナイト』が存在し、
これらはメロディの原作者に敬意を表したものだろうか。」
ここで、即興演奏を命とするジャズの例を挙げたのは、
少しずるいような気がするが、ドリヨンもそう思ったのであろう。
カッコ書きが続く。
(全身関節障害のような厳格な音楽の障害となる原典のカルト的崇拝と、
ジャズのハートであり、その生命力と言われる、
スタンダードナンバーに対するジャズのアプローチを比較すれば、
多くの事が確かに得られることを、ついでに、ここで指摘しておきたい。)

非常に、まどろっこしいが、自分が編曲した作品を、
必死に弁護しているだけにも見える。

「多くの場合、このセカンドディグリーのトランスクリプションは、
ソネット104の独奏版からの4手用ノトゥルノや、
グールドのラヴェルのワルツの例に見られるように、簡約形になる場合が多い。
(しかし、簡約が必ずしも、作品を貧弱にしているわけではないことを、
強調しておいた方がよい。)
ソネット104が、歌曲『平和を見出さず』から作られた時、
増量されたが、それは粉飾されたのではなく、
より豊かにされたのであって、これらは正確には別物とも言える。
しかし、4手のためにノトゥルノが作られた時には、
ソネット104は美しさも豊かさも失ってしまった。
グレン・グールドの10の指のために、
ラヴェルの『ラ・ヴァルス』が編曲された時は、
彼自身が演奏したというだけで、
デュオから大きく変わったとも思えない。
一方、歌手たちが登場しない、リストによる、
2台のピアノのためのピュアな編曲を一度聞くと、
ベートーヴェンの『第九』の終楽章には戻りたくなくなる。」
このあたり、意味不明。
どうやら、この人は、「第九」の声楽パートは嫌いなようである。

「『白鳥の歌』の歌曲は、完璧な美しさを有しているが、
それを執拗に主張する必要もない。
明らかに熟達した書法、完成された美、
修正、追加の余地なき美があるが、
しかし、『作品』として見るならば、
それらはスケッチの域を出るものではない。
そもそも、誰が、『作品』の完成時点を、
正しく決めることなど出来るだろうか。」

このあたりから、この解説者の真骨頂というか、
極端に走る傾向が再度、加速してくる。
結局、無茶な例題を加速度的に、自己弁護に持っていく、
めちゃくちゃな論法である。
ここから、どうでもよい例がたくさん登場する。
「死が修正のプロセスを中断することもあれば、
出版や金の必要、疲労などによって、人は、
作品の完成前にその愛着を忘れることが出来るのだ。
何とか、『ボヴァリー夫人』や『英雄交響曲』のように、
コントロールできたとしても、作品の解釈によっては、
未完成といった感情を呼び起こし、
特に音楽においては、その受容の進化が、大きな要因となり、
演奏の音響効果、原典の和音の解釈、楽器や歴史的、政治的文脈が、
評価に影響する。」

さらに、暴走が始まるが、私にはどうすることも出来ない。
「モーツァルトのピアノソナタの演奏を、
ピアニストが弾くとき、ピアノフォルテで弾くか、
現代の楽器で弾くかで、同じ作品とは思えないことがある。
だいたい、17世紀のフランドルのハープシコードは、
18世紀に大きなモデルチェンジを果たすが、
どちらがオリジナルと言えるだろうか。」

ここからは、もう読みたくないぐらいだが、
この変人の特色が出ているので、いやいやながら、読み進める。
「ロマネスク様式の教会を復元する場合、
その後、何世紀にも渡って補修された時に、
それぞれの重要さは認識できるものの、
大きな変更を行わなかった建築家による修正の、
どの時点までを採用すべきだろうか。
作品の起源なるものが、すでに論議されるべき主題なのだ。
ソネット104の作者は、ペロラルカかリストか。」
おいおい、こんな話まで始めるのか。

あの知性派のピアニスト、チュウが、
こんな発散系の文章を書く人に触発されて、
シューベルトを録音したとは知らなかった。

「フランス人にとって、『異常な歴史』の作者は、
ポーなのか、ボードレールなのか。
後者は、翻訳者だが、常に自分の作品と呼んでいた。
こうした、原典不明の問題作の例はいくらでも列挙できる。」
いくらでも列挙できるならしなくても良いが、
この人はどうしても博覧強記を陳述したいようだ。
いったい、『白鳥の歌』はどこに行った。
ここまでで2ページを要している。
残り1ページ半で、シューベルトは出てくるのだろうか。

「ジークフリートの物語に魅せられたGiraudouxは、
このテーマの小説を1922年に書き、
ここから1928年に劇を作った。
この二つに満足せず、彼は1934年に違うエンディングを出版し、
完全に改作された第四幕は、劇の正確を変えてしまった。
どちらの終幕を演じるべきなのだろうか。」

ここから、また、連想ゲームロケットが炸裂する。
「バッハのマグニフィカートでは、
ニ長調のトランペットが用いられるべきか、
変ホのリコーダーが使用されるべきか。」

まだまだ、関係ない話は続くぞ。
「実際、小さな9歳のジャン・パウル君は、
50歳のサルトルには似ていないが、
どっちも同じジャン・パウル・サルトルであって、
違いを論ずるには意味はない。
もっと言えば、人は死んでも、彼は生きていて、
私たちはそれを読み、批評し、彼の声を聞きさえする。
彼は私たちの存在に影響を与え続ける。
作品は成長し、成熟し、死に、生き残る。
まるで、血と肉を持つように。
私たちは50年間、殺人を試みられながら、
勇敢にそれに抗っている作品を賞賛する。
人は架空のつまらない原典を忘れようとするが、
それは動き続け、変化を続けている。」

ああ、やっと、ここからがシューベルトの話。
何とか、約1ページ分残っている。
ドリヨン氏は、脱線せずに、同じテーマで語り終わるだろうか。
それを祈るばかりである。
「1828年、シューベルトの死後、
出版された歌曲集『白鳥の歌』は、
その完成された美しさにもかかわらず、
運命づけられた改編を待っていた。
多くのシューベルトの歌曲は高い声のために書かれているのに、
F=ディースカウのようにバリトンで歌うようなものも含め。」
おお、こう来たか。
テノールで歌うべき作品を、バリトンで歌った時点で、
作品としては完成されていないので、この編曲の存在理由もあり、
ということが、彼は言いたいのである。
そこで、ヴィオラで、この曲を歌わせてみたのであろう。

「どうしても美しいものを、
より豊かにしたがるリストは、
それらを見事なピアノ独奏曲に仕上げた。
このトランスクリプションは、
1840年に出版されて再版を待っていたが、
ようやく1995年にデュラン社によってそれがなされた。
また、さらに別の一歩を踏み出す他の一章が、
このトランスクリプションの歴史に書き加えられていた。
シューベルトの歌曲を、
オリジナルの伴奏によってヴィオラで演奏する、
という試みが特にタベア・ツインマーマンなどによって、
試みられていたのである。
が、その際、テキストの詩の消失は、
取り返しのつかないロスとなってしまった。
他の方法がありそうである。」
これで、だいたい筋が読めた。
単に、声のパートを他の楽器に移すだけではダメなのだ。

しかし、チュウの演奏したCD(1998)は、
デュランの楽譜が出てすぐの録音だったということか。
ちなみにこのCDの録音は今世紀初頭のもの(2001年)。

ここから、またまた、区切りのない、恐ろしい文章が続く。
私はこの息継ぎが出来ないので、ぶつ切りにした。
「興味を歌からピアノに移すと、このパートは、
考えられうる限り豊かにされている。
つまり、リストのトランスクリプションが、
1992年、さらに編曲されることになったのである。
特に異常に展開された部分など、
いくつかの天才的な火花はそのままにして、
大胆なキーボードパートの輝かしい性格、
そこに加えられた、溢れるような装飾によって、
ポーピングで興奮させられたピアノ書法が、
テキストの詩の欠如を補うかもしれない。」
なるほど、単にシューベルトをヴィオラで演奏しても、
それは、歌詞を失った分だけ、音楽が引き算になるので、
リストの音楽的装飾を採用して、それを埋め合わせたということだ。
何とはなく納得できる作戦だが、
何故、あえて、ヴィオラで演奏しないといけないかは、
タベアに任せてしまった感じである。

「歌とピアノの関係はひっくり返され、ピアノを伴奏とした声ではなく、
独立したピアノが、控えめなヴィオラを、
ドンキホーテとサンチョパンサのような関係で、
引き連れていく。」

このCDの演奏を、何とはなしに聞いている限り、
第一曲「愛の使い」から、普通に、ヴィオラが目立っているが、
第四曲「セレナード」になると、確かに、最初の一節は、
ピアノ主体で歌われ、第二節からヴィオラが入って来る、
といった工夫がなされている。
リストが工夫した第三節の輪唱形式の部分など、
ヴィオラに続いて、ピアノが合いの手を入れる。
しかし、主客転倒という感じでもない。

さらに、リストが凝った曲順の変更は、ここでは、
何故か歌曲集の順番に戻っている。

「リストのバージョンで、
一体化されていたヴォーカルパートは、
ピアノパートから引き離し、
一節のみをシューベルトのオリジナルに戻したり、
伴奏をヴィオラに委ねてみたり、
ヴィオラ独奏にしてピアノなしで歌ったり、
ピアノはシューベルトの書法を残して、
リストの装飾をヴィオラに受け持たせたりした。」
いろいろな工夫が凝らされているようだ。
第七曲「別れ」など、最初はヴィオラで歌われるが、
中間は、豪壮にリストらしいピアノ独奏となり、
また、ヴィオラが戻って来るといった流れになっている。

ハイネ歌曲集の最初の第八曲「アトラス」では、
ヴィオラのカデンツァみたいな絶叫がある。
第九曲「彼女の絵姿」に至っては、荘厳壮麗な無伴奏ヴィオラ曲となっている。
これは最高に面白い発想だ。
第十曲「漁師の娘」でも、ヴィオラの装飾がおびただしく空を舞う。
これは、しかし、原曲の舟歌の軽さのようなものが、
この騒ぎで、少し失われた感じがしないわけではない。

「シューベルト/リストをベースとした、
ピアノとヴィオラによる『白鳥の歌』という、
第三の作品とするために、二者択一、または同時採用の改編等、
多くの処置は、その他の百にものぼった。」
先の「アトラス」もそうだが、
第六曲「遠い国で」、第十一曲「町」、第十二曲「海辺にて」などでは、
ヴィオラもピアノも興奮しきっており、
二つの楽器が一体化した、白熱した世界が繰り広げられる。
「町」は、エンディングにもう少し余韻が欲しいが、
これらの曲では、演奏者のすごい集中力が聴ける。
これこそが、この演奏の特徴かもしれない。
この曲集の持つ虚無感や寂寥感より、こうしたパッションが身上なのだろう。

これで解説は終わるが、演奏についてのコメントが、
以下のように、小さい字で続いている。
「この曲集は、トゥールーズで、Cyril Huveのピアノと、
Gerard Causseのヴィオラで初演された。
その後、ブリジット・エンゲラーのピアノと、何人かのヴィオリストが、
たびたび再演した。
この録音の演奏者が、変容の鎖に、本質的なリンクを加えてくれたことに感謝したい。
最後に、ここで採用した曲順は、リストのものではなく、
最初の出版社が採用し、以来、伝統的に歌われて来た曲順になっていることを、
書き留めておきたい。」
何故、リストのこだわった曲順にしなかったかは、
ここからでは読み取りにくいが、慣習に従ったということか。
こんな文章を書いている人らしくないが、一般には聞きやすいだろう。
最後に、「鳩の便り」が舞い上がって、爽快に終わる。
が、チュウのピアノが鳴り響かせた、はじけ散るような演出もなつかしい。

この感興は、このCDのジャケット写真には合っている。
EUTERPレーベルらしいしゃれたデザインであるが、
最初は「白鳥の歌」を連想させるものではないと思った。
このレーベルだからか、芸術監督は、あの作曲家ケーリングである。
ドリヨンとケーリングはどんな関係なのだろうか。

今回、ピアノを弾いているのは、
Edouard Oganessian、これまた、読めない。
チャイコフスキー音楽院に学んだとあるから、
ロシアの人だろうか。しかも、1988年、
リストオルガンコンクールなるもので、
賞を取ったとあるように、ピアノ専門ではないようだが、
幅の広い音楽家なのだろう。

ヴィオラは、ウクライナ人とある。
Guennadi Freidineは、ウクライナ国内コンクール優勝とあるから、
おそらく、ピアニストより一世代上の人だ。
各オーケストラの主席を勤め、教授でもあるらしい。
Boris Bratischevのヴィオラを弾いているとある。
さすが北方の音楽家たちで、燃える時の迫力がすごいと思った。
前回、透徹した演奏を聞かせたチュウのピアノよりも、
自然な感興に導かれている感じである。

残念ながら、今回のCDには、五重奏曲「ます」に関連するものはないが、
面白い試みを聞かせて貰ったと思っている。
シューベルトは、家族でアンサンブルを楽しむ時は、
確か、ヴィオラのパートを弾いたというから、
こうした試みでシューベルトの声を聞き取っても良いのかもしれない。

「ます」の五重奏曲で、ヴィオラの演奏家に魅力がないと、
台無しになるのは、こうしたことにも起因しているのだろうか。

得られた事:「現代においても、シューベルトの作品は、作曲家の霊感を刺激し続けている。」
by franz310 | 2007-09-22 21:06 | シューベルト

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その88

b0083728_13202281.jpg個人的経験:
シューベルトが
亡くなった時、
最期の時期に
手がけていた
素晴らしい歌曲の
原稿が残されていた。
それをうまく
出版社の
ハスリンガーが
利用した。

「白鳥の歌」と題して、一まとめにして、
死後早々に出版してしまったのである。
この中には、何と、死んだばかりのベートーヴェンから
転がり込んでいた仕事も含まれていた。
つまり、詩人のレルシュタープは、
自分の詩をベートーヴェンに送ったが、
死の床の楽聖は、それには手をつけず、
それをシューベルトに託したというのである。
もちろん、ベートーヴェンとシューベルトの関係は不明なので、
これも伝説の範疇を出る話ではない。

ただし、シューベルトの最初の連作歌曲集「水車屋の娘」を見て、
ベートーヴェンが感激したという話は広く伝わっているものだ。
また、レルシュタープが、思いも知らぬ筋から、
突然、自作が作曲されていることを知って、
「感動をもって受け取った」という話は、感慨深いものである。

このレルシュタープの詩による7曲が、
シューベルトが、友人の読書会で出会ったハイネの詩による6曲や、
さらに様式的に単純な、「鳩の便り」(ザイドル作詞)と、
一括してまとめられたことに異論を唱える人は多い。
が、繰り返し、この組合せで聞いていると、何となく、
自然にこの流れに身を委ねてしまうようになる。

重苦しいハイネの後に、それを解放するかのような、ザイドルが来ると、
ほっとする愛好家も多いようである。

物語性の強い「水車屋」や「冬の旅」は、
一部しか編曲しなかったのに、何故かリストは、
この問題の歌曲集については、全曲を取り上げているのである。

しかも、上述の非統一性を、再度、考えさせる形での編集となっている。

今回、取り上げるCDは、不思議なことに、この「白鳥の歌」に、
追加で一曲のみ、「ます」が収められているという選曲である。

ハルモニア・ムンディ・USAのレーベルから、
1998年に出されたもので、
「芸術家のスタジオからの眺め」という、
シューベルト、リストの時代を生きた
Jacob Alt(1789-1872)という人の、
1836年頃の作品が表紙デザインに使われていて、
往時を偲ばせる。
これは好きなデザインである。

ただし、ピアノを弾いている、
中国系アメリカ人FREDERIC CHIUの芸風とは、
ちょっと違うようである。
そもそも、冒頭に置かれた「ます」からして、
奇妙なビートが効いていないだろうか。
ここでは、リスト編曲の「第二版」が用いられているようだが、
明晰なタッチで、各音符が明瞭に聞き取れるとは言え、
ますがすいすいと泳いでいるような感じではなく、
個々の音符が独立し、それらが、元の曲とは異なった息づかいで、
ぽつぽつと並んでいるような感じである。
それを、前述の、不思議なビートの推進力が押し流して行く。

また、曲順もリストに従ったのか、
いきなり、シリアスな「都会」が、不気味な低音を轟かせ始める。
本来、小川のさざめきの「愛の使い」によって誘われる、
「白鳥の歌」のイメージは、冒頭からぶち壊される。

チュウの硬質のピアノが、感傷性を排除して、
とにかく本質に踏み込もうとするので、
しっとりと身を委ねられるといった演奏ではない。

その解説は、このピアニスト自身が書いていて、
それを読んでみると、いろいろと面白い見解を表明している。

「シューベルトは、『作曲するだけのために生まれて来た男』
と呼ばれることが多いが、彼は文学的な才能にも恵まれており、
書簡や日記の断片は膨大であり、詩的で誠実なひらめきに満ちている。」
確かに、「シューベルトの日記」などという本も、
出版されている。

「彼の読書はドイツ文学のみならず外国のものまで、
また古代から同時代のものまで広い範囲に及び、
130人を超える作家に詩的な共感を覚えていた。
シラーのような峻厳で深い詩人に感応するかと思えば、
気取らないベストセラーの類にもレベルを合わせることはなく、
楽しんでいた。
彼の音楽は、前者によって拡大され、普遍化されたが、
後者によって豊かにされ、個人的なレベルにもマッチさせられている。」
なるほど、うまい言い方である。
このピアニストの論理的な解釈が伺える一節である。

「リストがトランスプリクションにおいて取った立場も同様で、
彼が取り上げた作曲家の数は、
シューベルトが作曲した詩人の数に匹敵するほど多い。
彼は、これらの雑多な各作曲家に適切に自身の芸術を反映させ、
バッハやベートーヴェンには忠実な改作を行い、
ベルリーニやドニゼッティのパラフレーズでは、
凝って作り変えたテーマで完全な新作を作り上げている。
また、この両極端の間に、ワーグナーでは構造的な変更から、
もっと高い抽象的な必要性から、芸術的に改作したものもあり、
シューベルトの歌曲などは、そこに含まれるが、
これらはトランスクリプションを、
弾いたり聞いたりしているということを、
忘れさせるものとなっている。」

「二人の人生は対照的という以上のものと言えるかもしれない。
リストは穏やかに高齢まで生き、
シューベルトは熱病のパニックの中に若くして死んだ。
前者は王侯のように世界中を旅行したが、
後者は、田舎に三日行く金にも難渋した。
だが、同様の苦境を味わってもいて、
その本質を公衆から正しく認められなかった。
シューベルトは歌曲の作曲家以上のイメージを持たれず、
ピアノ曲は、その難しさゆえに出版社から拒絶され、
交響曲は、オーケストラから演奏を拒まれた。
リストは超絶技巧の見世物としてのイメージと戦い、
ワーグナーや未来の芸術の助言者であったにもかかわらず、
厳格な作曲家としての尊敬は決して得られなかった。
1830年代に、ヨーロッパ中で成功を収めるはじめにあたり、
リストは無意識にシューベルトの中に、自らの詩人の魂、
公衆に理解されないさすらい人の同伴者の先駆を見出したのだろうか。」
こう書かれると、リストがいかに、
シューベルトを大切に考えていたかが偲ばれる。

「シューベルトのハイネとの邂逅は、
『ここまでの理解が出来る人は、同等の詩人なのだ』と言われてきた。
これは同様に、シューベルトの詩的な力がリストに乗り移り、
シューベルト-リストのハイブリッド型以上に、
ロマン派の理想的な重要人物を創造することは不可能であり、
両者の共鳴、相補的関係は、リストの自我が、
シューベルトを利用したということではない。」

「ハイネ、レルシュタープ、ザイドルの詩に付曲した、
『白鳥の歌』の14の歌曲は、『冬の旅』や、『水車屋の娘』のような、
物語性は持たず、作曲家の死後に、
出版社がシリーズのタイトルや曲順を決めたのにもかかわらず、
出版された版での演奏や録音が通常となっている。
このドラマ性の欠如が、リストをひきつけたのかもしれない。」

「事実、この曲集のみが、全曲の編曲がなされている。
色彩とテクスチャーの彼らしいパレットのみならず、
鍵盤の全域を利用して、類似の歌曲には明瞭な性格付けを行った。
それから、彼は歌曲を自由にドラマティックな構成で並べ替えた。
さらに、各曲を調性で関連付けた。
偶然の集合体は、こうして一つのネックレスとして生まれ変わった。
それは、二つの歌曲、「君の絵姿」、「春への憧れ」を、
一体化させたペンダントを有する。
このようにリストは歌曲集全体を再構成し、
シューベルトが長生きしていたら、
きっと、そうしたであろうことを実現した。」
このように、このCDの曲順は、リストの意図を忠実に反映したものである。


「シューベルトの繰り返しの多い有節歌曲は、
詩のムードに従って変化する、
多様な伴奏を行わせる機会をリストに与えた。
7つの節からなる『鳩の使い』などは、
シューベルトによって各々、ペアとして分けられ、
最後の一節は終結のエコーとして扱われている。
連続する8度の音形は、左手では等分化され、
右手ではシンコペーションされている。
両方の手は、全曲を通じて、同じ音域に留まっている。
リストは、この単純な伴奏に、9つ以上の異なったヴァリアントを施した。
オクターブ・ダブリング、和音の変更、アルペッジョへの分解、
両手の交錯、16分音符の追加など。
リストは、テキストからの示唆を拒絶したわけではなく、
3オクターブにわたって飛翔する、右手の16分音符のさえずりは、
歌曲が伝書鳩に、こう言わせる部分である。
『鳩は飛ぶことが出来れば、それだけで嬉しいのだ。』」
本当に、この曲などは、まるで魔法のような千変万化の変容を見せる。
恐ろしくも素晴らしい音のパレットである。
それでいて、原曲はしっかりと歌いこまれている。
とはいえ、この曲は最後から二番目の配置である。
まず、ここから聞くことになってしまう。
しかし、これを読んで聞くと、シューベルト最後の歌曲の大きな飛翔を聴くと、
思わず胸が詰まってしまった。
シューベルトが描こうとした未来を、
リストが正しく汲み取って、羽ばたかせてくれたことに、
感謝せざるを得ない。

「『影法師』では、鳴り響く和音が、
pppからfffに増大化する、
ほんの2オクターブに収まるシューベルトの書法が、
リストによって異なった音声までを付加されて、
ダイナミックな進行を強調する。
左手の単純な和音と右手の旋律の線で始まる、
すぐに、右手はその和音と結合し、
ダイナミックがppから離れる前に、
緊張は高まり始める。
今回は両手のアルペッジョで奏される和音に、
継続的に支えられながら、
メロディは、最初のクレッシェンドに向かって、
オクターブを倍速で歌われる。
左手のトレモロを通って、
fffに至る最後のクライマックスの高揚が訪れる。
原曲における明らかなシューベルトの意図は、
この編曲の中でリストによって裏切られることはない。
一方、シューベルトの一見、
シンプルなフレームワークに内在する素晴らしい可能性が、
リストによるドラマティックな構成を超えた肉付けによって、
白日の下に晒される。」
この曲も最後から三番目に収められるが、
チュウの解説は熱い。
確かに、シューベルトの作品が持っていた可能性を、
ここまであの手この手で開陳して見せながら、
それでいて、原曲を損なっているようには見えない。
確かに、これは、音楽による、シューベルト歌曲の、
素晴らしい解釈の一例と言えるのだろう。
それを、シューベルトの枠組みから外れることなく、
成し遂げているというのは凄いことである。
もっともっと、リストは幻想の翼を広げていくことも可能だっただろう。

「オリジナルの歌曲の形から、リストが行った改変は、
すべて音楽的で筋が通ったものである。
『漁師の娘』において、リストは第四節を付与したが、
それは、タイトルから連想される、
水の世界を想起させる流れる小波を描いたものであると共に、
最後の一節、『ぼくの心は海のよう。嵐もあれば、潮の満ち引きもある』
の反映を垣間見せるものだ。」
これは、リストが二曲めに置いたもの。

「名高い『セレナーデ』では、リストは主題を、
三つの異なったオクターブのレンジで提示する。
最初には、中音域で、二回目にはもっとメランコリックなチェロの音域で、
そして最後の三回めには、ここで輪唱の形で主題が高い音域で伴奏されるが、
バルコニーの恋人が彼の声に唱和する、
ギャラントなセレナードのシーンを音で描いたものだ。」

何と、かつて、ホロヴィッツがこの曲を弾いた時には、
指が何本あるんだ?ということばかり話題になったが、
リストがここでやりたかったことは、
もっと具体的な幻想シーンだったということだ。
こう見ると、リストがみんなに誤解されていたということも、
どういった次元で、何が誤っていたかを見せ付けられた感じである。
この名曲は、リストによって7曲めに置かれ、まさしく、
ネックレスのペンダントのような位置にある。
チュウが書いた、2曲は、それに続いて置かれている。

「リストが音楽旅行の間に作った、
これらのトランスクリプションの成功が、
シューベルト歌曲に対し、空前のブームを引き起こした。
(皮肉なことに、シューベルトは『冬の旅』を、
わずか15グルデンで交渉しなければならなかったが、
リストは同じ出版社から500グルデンの利益を受けた。)」
この出版社こそ、冒頭に書いたハスリンガーである。

「これらのポピュラリティは、リストの生涯にわたって持続したが、
その死後、急激に忘れられた。
続く世代のピアニストたちにも、リストの前例は霊感を与え、
タウジヒ、ラフマニノフ、ゴドフスキーなどは、自身のバージョンを、
ある歌曲には作り、リストの域に数や気品に迫ったものは皆無であった。
シューベルトがテキストに与え、リストがそのトランスクリプションで与えた、
普遍性というものは、すでに興味を引くことはないのだろうか。
近年、これら二人の作曲家に対する視線は暖かい。
その録音は多くないし、受け入れられることもないけれど、
厳格な研究が進み、その生涯や作品の再検討が行われている。
彼らの天才は疑うことなく明らかになった。
『白鳥の歌』の再発見は、この重要なギャップを埋め、
シューベルトの最も峻厳な部分と、リストの天才と巨匠性が、
明らかにするものである。」

感服しました。

確かに、寄せ集め歌曲集のような「白鳥の歌」が、
このような観点で再解釈されると、何だか未知の世界に踏み込んだような、
神妙な気持ちにさせられる。
レルシュタープとハイネの歌曲の違いを超えて、
渾然一体となった、最晩年のシューベルトの世界観とは、
ひょっとしたら、こうしたものだったかもしれない。

得られた事:「リスト編曲の『白鳥の歌』は、的確にシューベルトの世界観に共鳴し、そこからの幻想を余すことなく描き出した逸品であると見た。」
by franz310 | 2007-09-16 13:27 | シューベルト

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その69

b0083728_14531491.jpg個人的経験:
往年の大指揮者
ワインガルトナーは、
長年の研究成果を踏まえ、
止むに止まれぬ気持ちで、
ベートーヴェンの
「ハンマークラヴィーア」
を管弦楽化したようだが、
そこで使うオーケストラは、
厳密に作曲者の時代のものに
合わせたという。

それからすぐに、日本の近衛秀麿が、
シューベルトの「弦楽五重奏曲」を、
管弦楽曲化したが、この場合も、
シューベルトの交響曲を参考に、
その楽器が選択されたという。

この近衛秀麿は、この仕事を1933年に、
指揮者として、ベルリン・フィルでも披露したが、
このとき、もう一曲、日本を代表するオーケストラ曲も用意していた。
大作曲家のR・シュトラウスは、この曲に興味を持ち、
演奏後、いろいろな質問をしたと伝えられる。

この作品は、雅楽を原曲とする「越天楽」で、
秀麿の弟、直麿が雅楽の研究に勤しんでいたゆえ、
成立した音楽のようである。
この時ばかりは、当時の楽器を参考に、とは、
当然、出来なかっただろう。

もともと、この直麿という人は、ホルン奏者であったらしい。
そのホルンの名手に、薗十一郎という人がいて、
何と、宮内省楽部の笙の重鎮でもあったというのだから面白い。

直麿は、同じ宮内庁楽部の東儀家に篳篥も習いに行き、
ついに、雅楽「越天楽」を五線譜に採譜したとある。
近衛秀麿は、弟からこの楽譜を貰って、オーケストラ版を作ったのである。

どうやら日本の伝統音楽の場合、
各楽器ごとに担当する名家があったようであるし、
また、この楽器の練習というのは、
「唱歌」という擬音文字を用いて行ったらしい。

こうして、師匠から弟子へ、
口承の伝承がされている日本の音楽であるから、
遣唐使で苦労して伝授された琵琶の三秘曲に至っては、
あまりに有難い名品であったせいか、演奏の機会も限られ、
半世紀後には演奏方法が分からなくなってしまったとされる。

一方、一族が責任を持って伝承しているので、
なかなか、大ヒットにはならない代わりに、
脈々と千年もの間、太古の響きが伝わるというメリットもある。

そうした楽曲を採譜するという作業は、
おそらく、やりがいのある仕事だったのだろう。
直麿という人は、結核で若くして亡くなったようだが、
病で楽器が出来なくなってからは、
散逸した雅楽の蒐集や採譜、普及に専念した。

兄の秀麿が、「越天楽」をベルリンで披露したのは、
弟の死の翌年にあたる。
宮廷の音楽を、縁の深い家柄の兄弟が、
力を合わせて作り上げた曲であるという意味からも、
無視できない作品である。

が、そもそも雅楽とは何か、
また、その中から、何故「越天楽」でなければならないのかは、
よくわからない。
先に紹介した著書、「日本のオーケストラを作った男、近衛秀麿」によれば、
「『越天楽』は宮中でしか演奏されなかったが、
その旋律は筑前の今様『黒田節』として広く人口に膾炙している。」
などと書かれている。

ということで、この「今様」とは何かというと、
先の、曲を覚える時の記号のような「唱歌」の「チーラーロールロ」を、
「梅が枝に」といった風に分かる言葉に書き換えて、
歌えるようにしたものなど、時代ごとにアレンジした編作のようである。

明治の唱歌、賛美歌版もあるというから、恐ろしい力を持つメロディである。
(西洋音楽における「怒りの日」みたいなものか?)

シューベルトは、歌曲「ます」のメロディから、
五重奏曲という大きな楽曲を作ったが、
その逆のような現象を起こしながら、
日本中に広がったのである。

ということで、日本人の多くが知っているメロディの原曲が、
雅楽「越天楽」ということなのであろう。

雅楽とは、大陸伝来の宮廷音楽だというが、
あえて、装束も含め外国風の様式を保持しているということは、
古代、外国の客人を招いての行事の必需品だったと考えられる。

ところが、面白いことに、平安時代の国風化の影響で、
楽器類は一新されているという。

正倉院に保存されている楽器はシルクロード伝来らしいが、
一緒に来たと思われる音楽はこうして残っているのに、
その楽器では演奏されないのは、ある意味不思議なことである。
これなども、一種のトランスクリプションが行われたと言うことであろう。

もちろん、遣唐使の廃止などで、
外交儀礼が減ったということもあるだろうが、
その儀式的な様式の方は、客人をもてなすためか、ずっと受け継がれている。

その超俗的な雰囲気からして、本来の、何か神聖な音楽から、
次第に違う実用的な意味が、ここに込められていったと思われる。

それをさらにオーケストラの曲にしたということで、
ますます、その音楽の「意味」みたいなものが、
私には分からなくなっている。

調べてみると、
雅楽「越天楽」(または「越殿楽」)そのものの作曲も、諸説あるようで、
ある解説には、漢文帝または、張良の作とされ、
ある本にはタイトルは外国製で内容は国産品とある。

宗教的なものであっただろうが、儀礼的であり、
いずれにせよ、辛気臭いものではなく、目出度い曲と考えれば良いのだろう。

この曲は中学の鑑賞曲にもなっているので、
もっと、学校の先生に聞いておけばよかった。

今回、秀麿の編曲したシューベルトと比較する意味で、
このオーケストラ版を聴きながら、
はるか古代への悠久の時に思いを馳せるように、
耳を澄ませばよいのかもしれないと考えた。

ただし、どこにもそうした示唆はない。
CD解説にも、管弦楽化されたいきさつしか書いていない。
近衛秀麿は、はたして、R・シュトラウスに何と言って説明したのだろうか。

改めて、雅楽版も聞いてみたが、
笙が玄妙な音の帳を下ろし、
篳篥がぷわーっと吹き上がる所で、
この音楽は、やはり、ある意味、このオルガン的とも言える、
空間を満たす「響き」こそが重要なのではないかと考えた。

毎度ながら、トランスクリプションでは、そのあたりがやはり問題になる。
楽器そのものの響きというものが、どうしても一番に犠牲になる。

実は、このCDの解説には、近衛自身が書いた文章が出ている。

「1930~1年、滞欧に引きつぐ訪ソの旅立に、
当時、雅楽研究に浮身をやつしておった亡弟近衛直麿から
選別として送られたのが、この雅楽『越天楽』の五線譜の決定稿であった。
その稿はシベリア通過の間、車中の無柳を慰めてくれた。」

シルクロードを西から伝来した音楽が、
シベリアを通って大陸を越えて、西に向って行く様子が、
妙に印象的な一節である。

「やがてモスクワに着いて、
其処の管弦楽団の濃艶なヴィオラの音色を聴いて以来、
この日本古典のもっとも代表的な佳曲を滞欧中に編曲して、
帰途露都で演奏しようという考えが脳裏を去らなかった。」

これを読むと、彼は、当然のように、
この響きの問題を重視していたということが分かる。

当初、この雅楽の響きを管弦楽化する気はなかったようで、
モスクワの妙音が、彼にインスピレーションを与えたということと読める。

シューベルトの編曲でも、非常に原曲の響きを大切にしていて、
どうせなら、もっと派手に鳴らせばよかろうにと思ったのだが、
この音楽家にとって、「響き」にこそ、音楽の生命があるということは、
自明のことだったのであろう。

大陸の楽器を使っての古代の音楽が、
日本という国に合わせて、
国風化された楽器で「雅楽」となった時にも失われなかったものは、
おそらく、今回の編曲でも残されているのかもしれない。

しかし、日本人が「雅楽」と呼んで重視したものは、
残念ながらここからは抜け落ちてしまっている可能性が高い。

日本の音楽の特徴として、
ジャンルごとに楽器が異なるということがある。

そもそも琴と箏は異なり、
同じ箏でも、雅楽と箏曲では違うということらしく、
教会音楽でもオペラでも同じ楽器で済む西洋音楽は、
日本的感性から言えば革命的なことだったのである。

日本的感性に、恐ろしい執念を覚える。

とはいえ、秀麿のこのオーケストラ版雅楽の計画はうまく行って、
モスクワでは大うけだったということである。

このCD、「日本の現代管弦楽作品集」という3枚組で、
尾高賞30周年記念のN響コンサートの記録。
演奏も手堅く、作品も評価の定まったものがずっしりと重い。

解説も演奏会のパンフレットから持ってきているので、
内容充実、非常にありがたい。

1枚目に、盟友であると共に、
確執を残した山田耕筰の「曼荼羅の華」に続いて、
近衛の「越天楽」が収められている。
その他、伊福部、早坂、小山の土俗的管弦楽曲が並ぶ。
二枚目には尾高忠尚、小倉朗の「交響曲」、芥川のチェロと管弦楽の曲が、
大曲として収められ、アンコールのように外山の「ラプソディー」。
外山雄三は、このコンサートの指揮者でもある。

三枚目は、三善晃のヴァイオリン協奏曲から、
一柳の「空間の記憶」まで。

日本を代表する名曲が盛りだくさんだが、
交響曲、協奏曲などの大曲を除くと、
ナクソスの沼尻盤と同様の選曲となる。
つまり、ナクソスでも「越天楽」は楽しめる。

b0083728_14524968.jpgジャケットは、先のソニー盤は、
昭和を感じさせるモダンなものだったが、
デザイナーの名前がないのはどうしたことか?

一方、香港製、ナクソス盤は、
源氏物語の絵巻を採用。
裏面にちゃんと明記あり。

これは確かに日本らしい雰囲気だが、
収録曲はもっと灰汁の強いものが多い。
平安貴族が聴くと、卒倒するだろう。


得られたこと:「楽器本来の響きの中にも、音楽の命がある。」
by franz310 | 2007-05-06 14:57 | 音楽