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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その214

b0083728_23451533.jpg個人的経験:
前回、ヴァイオリンのスタンティジら、
ザロモン四重奏団のメンバーによる、
「アイネ・クライネ」を聴いたが、
この人が中心となって、
シューベルトの「ます」を録音したものも、
同じく、オワゾリール・レーベルから出ている。
ただし、ここでは、
ザロモン四重奏団ではなく、
「アカデミー・オブ・エンシェント・ミュージック
室内合奏団」という名称になっている。
ヴァイオリンとヴィオラは同じメンバーだが。


つまり、スタンティジのヴァイオリン、
トレヴァー・ジョーンズのヴィオラまでが、
ザロモン四重奏団と同じで、
チェロ、コントラバスに変更があり、
ワトキン、マクナマラになっている。
ピアノはスティーブン・ルービンである。

表紙のデザインはいささか殺風景で、
川辺で釣られる魚の苦しみのようなものが描かれた、
古風な絵画があしらわれている。
ただし、改めて見ると、口を開けているのが、
釣られているのかどうかは確信が持てない。
竿も糸も見えない。

また、その隣で、もう一匹が、
尻尾を水面から突きだしているのは、
いったい、何を意味しているのだろうか。
こちらの方は、何となく、糸を引っ張っているようである。

こうやって釣るのですよ、という説明用だろうか。
さっぱり分からない絵画であるが、
みずみずしい緑の草が目を妙に引く。
遠景の建物もロマンティックな空想をかき立てる。

しかし、川も一緒に緑色なのは少々いただけない。
これではまるで、アオコが発生した諏訪湖みたいである。

「ウィンチェスターの鱒(部分)」と題されており、
ヴァレンティン・トマス・ガーランド作とあるが、
私はこの人を知らない。

とはいえ、さすが古楽の名門オワゾリールだけあって、
解説も面白い。
Clive Brownという人が書いている。
「シューベルトは、1819年の夏の休暇を、
上部オーストリアの魅力的な街、
シュタイアーで、
以前の学校友達アルベルト・シュタッドラーと、
シューベルトの歌曲普及に貢献した、
いくぶん年上だが、高名な歌手、
ミヒャエル・フォーグルと一緒に過ごした。
シュタッドラーもフォーグルも、
この地方の生まれで、この地域社会と繋がりを持っていた。
彼らは即座に、シュタイアーの鉱山の副監督で、
すぐれたアマチュアのチェリストであった、
ジルヴェスター・パウムガルトナーに紹介した。
この人のサロンはこの街の音楽中心であった。
シューベルトと仲間たちは、
パウムガルトナーの仲間たちと、
楽しい時間を飽くことなく過ごし、
8月10日には、フォーグルの誕生日を、
シューベルトがこの機会を捉えて作曲したカンタータで祝い、
おそらく、楽しく田園的な、イ長調ソナタ(D664)も、
パウムガルトナーのサロンで披露されたのだろう。
シュタイアーでの滞在は明らかに彼らの健康と精神に、
利をもたらしたのでろう、シュタッドラーの友人、
アントン・ホルツアプフェルは、シュタッドラーに対し、
1819年11月、
『君の顔を見れば、君がシューベルトやフォーグル、
パウムガルトナーたちと、どんなに楽しい時を過ごしたか分かるよ』
と手紙を書いている程である。」

「ピアノ五重奏曲イ長調のアイデアは、
パウムガルトナーから出たもので、
通常とは異なる楽器編成や、
歌曲『ます』の変奏曲を含む構成も、
この人の要望に添ったものと思われる。
何年かしたあと、シュタッドラーは、
シューベルトが五重奏曲を書いた時を回想している。
『友人、ジルヴェスター・パウムガルトナーは、
この素晴らしい小さな歌を愛していて、
そのリクエストによっている。
彼の要求は、五重奏曲は、
構成や楽器編成を、最新の、
フンメルの五重奏曲、または七重奏曲に
合わせて欲しいということだった。
シューベルトはそれをすぐに完成し、
スコアは、彼自身が持っている。』
シュタッドラーは、それに加え、
五重奏曲が完成すると、
ヴィーンからパウムガルトナーに、
パート譜が送られたが、
彼は後にそれらを無くしてしまい、
それから長い年月が過ぎて、
シュタッドラーはもはや思い出すことが出来ず、
それに関する事に関して口を閉ざしてしまった。
しかし、彼の最初の回想はおそらく正しく、
シュタッドラーの手書きによるパート譜のセットが、
最近、上部オーストリアの
聖フローリアンの修道院で発見された。」

いきなり、どひゃーっという記述。
1991年6月20日から23日の録音というから、
もう、20年も昔に、そんな発見がなされていたのである。

「シューベルトはこの五重奏曲の作曲を、
シュタイアーにおける休日に始めており、
ヴィーンに帰ってから、その秋に完成させたようである。
手稿は残っておらず、
シュタッドラーのコピーによるパート譜と、
最初の版(作曲家の死の翌年まで出版されなかった)
の比較からして、後年、シューベルトは少なからず、
小さな修正を楽譜に施した。
この変更は、シューベルトのヴィーンにおける、
仲間達との演奏体験を反映したものと思われる。
ヴィーンの音楽サークルは、
その出版前からこの作品を知っており、
玄人筋はすでにこれを傑作と認めていて、
商業上の鑑定から、
最初の出版がアナウンスされたと考えられる。」

「『ます』の五重奏曲は、
シューベルトの明るい側面を見せるもので、
彼は明らかに、
作曲上の技法の巧妙さで、
聴衆を感心させる気はなく、
むしろ、魅力を増幅し、
聴衆を魅了することに成功している。
時折、深い瞬間があるが、
5つの楽章のうち4つまでは、
上部オーストリアでの休暇中の、
寛いだ雰囲気を反映しており、
第2楽章のみが、内省的なムードを持っている。
シュタッドラーの証言にある、
シューベルトの五重奏が、
フンメルの五重奏、または七重奏曲
ベースにしているということは、
学者を悩ませてきた。
1816年にヴィーンのアルタリア社から出版された、
ピアノ、管楽器、弦楽器のための
フンメルのニ短調の七重奏曲を、
明らかにシューベルトは知っていただろうが、
1820年に作曲され、1822年に出版された、
シューベルトと同じ編成による、
フンメルの五重奏曲変ホ長調は、
『ます』の五重奏曲の後にならないと、
知られるようにならなかった。
事実、シュタッドラーのコメントの意味は、
極めて明確で、それは七重奏曲ということではなくて、
パウムガルトナーとその友人たちが、
たぶん、楽しんでいた、
アルタリアがオリジナルと同時に出版した、
ピアノ、ヴァイオリン、ヴィオラ、
チェロ、コントラバスのための、
編曲版を指していたのである。
シューベルトはパウムガルトナーの指針に、
編成の上では従っていたが、
構成としてはそこから離れている。
フンメルの七重奏曲は、
第2、第3楽章がシューベルトの第3、第4楽章と同様、
スケルツォと変奏曲で、
シューベルトの第1、第3、第4、第5に相当する、
4楽章しかない。
しかし、シューベルトの第2楽章は、
フンメルの作品に相当する楽章がなく、
5楽章形式は、非常に有名であった、
ベートーヴェンの七重奏曲に近い。」


「シューベルトが知っていたものとは、
楽器や演奏のテクニックは大きく変わってしまった。
見たところ、弦楽器はピアノと比べて、
あまり変わっていないようだが、
最も特筆すべきは、ガット弦からメタル弦になった点であり、
いくつかの重要な観点で、演奏方法も大きく変わっている。
ヴィブラートは控えめにしか使われず、
アクセントや、フレーズ中の重要な音を、
強調するためのものと思われていた。
ポルタメントは、きれいな表現豊かなカンタービレには、
必須のものと見なされ、もっと頻繁に使われた。
当時の弦楽器奏者は、弓遣いが全く違っており、
広く賞賛されたヴィオッティ楽派の影響で、
幅広く、歌うような演奏スタイルを開拓し、
近年の奏者が好むような弓を跳ねさせる動作も少なかった。
シューベルトの演奏上のマーキング、音楽内部の必然から、
どのような技法が使われるべきかの手がかりが得られる。
この演奏では、当時の演奏に極力近づくように、
あらゆる努力が払われている。」

さて、各楽章を聴いてみよう。
Track1:アレグロ・ヴィヴァーチェ、12分30秒。
この演奏時間を見て分かるとおり、
ホグウッドが時折聴かせるような、
恣意的な強引さはなく、この曲の解放感にふさわしく、
かなり、大きな広がりを持った表現である。

しかし、前回、「アイネ・クライネ」で感じたように、
非常に強靱な意志を感じさせるもので、
一点一画をゆるがせにしない集中力を感じさせる。

各楽器が鳴りきり、録音のせいか分離もよい。
フォルテピアノの音色も豊かである。
見ると、1824年のコンラート・グラーフの写真も出ていて、
シューベルトが「ます」の五重奏曲を作曲したのより、
数年後のものである。

私は時々、シュタイアーのような地方都市に、
当時、どんなピアノがあったのだろう、
などと考えることがあるが、
この楽器は、シューベルトが想定した響きより、
少し豪華かもしれない。

さすがオリジナル楽器らしく、
ヴァイオリンは、ガット弦かつノンヴィヴラートで、
澄んだようなくすんだような響きが独特だ。
これをスタンティジが、すごい迫力で操っていく。
若干、ヴィオラが弱いか。
チェロもコントラバスもよく聞こえるので、
そう感じるだけかもしれないが。

Track2:アンダンテ、6分55秒。
解説者が言っている、フンメルにない、
あるいは、シュタイアーの自然から離れた、
内省的な楽章。
しかし、私は、この楽章にも、
シュタイアーの澄んだ空気が流れていると信じたい。

ここでは、フォルテピアノの落ち着いた響きが、
その内省的な情感を盛り上げる。
優しいヴェールのような弦楽が、
この孤独を天使のように見守っている。

ヴィオラとチェロが歌い交わす美しいメロディーは、
あるいは、現代奏法による豊饒な音で聴きたいような気もするが。

Track3:スケルツォ-トリオ:プレスト、3分50秒。
再び、強烈な豪腕でヴァイオリンが鋭いアタックを入れ、
この奏者ならではの、音楽のドライブが始まる。
よどみなく流れるピアノと弦楽の、
息をつかさぬバランスにも感服した。

トリオでは、力を抜いて寛いだ表現を聴かせるが、
ちょっと素っ気なさすぎるかもしれない。
ピアノの聞き慣れない節回しは、即興か、それとも異稿か。

Track4:主題と変奏、アンダンティーノ。
ピアノなしの主題提示で、
この弦楽部隊の美しいハーモニーが味わえ、
波打つヴィオラに乗ってピアノが入って来るが、
ここでも、伴奏が少々弱く、ピアノには、
即興的とも言える節回しが混入する。

スタンティジのヴァイオリンが歌い始めると、
この人の表現意欲が強烈なことを改めて感じる。
コントラバス独奏の部分では、
この楽器ならではの音色が聴けるが、
やはり、もっと強烈な存在感が欲しいと思った。

ピアノとヴァイオリンが火花を散らしているせいか、
音に込められた情念の薄さが、ちょっと気になる。
そんな風に聴くと、チェロの独奏も、
さらにたっぷりと夢を歌って欲しい。

その一方で、ヴァイオリンは、音色も自在に変容させて、
すごいサービスである。

Track5:アレグロ・ジェスト、9分29秒。
少し肩の力を抜いた終楽章である。
最初の音がとーんと軽く長い。
しかし、次第に集中力を増していき、
だんだん白熱して来て、
その構成力は期待通りである。

この楽章は曲の作りがそうであるせいか、
ピアノ対弦楽の質量合戦みたいな感じで、
個々の楽器がどうじゃ、というのが言いにくい。
しかし、チェロはもっとぼわんぼわんと鳴って欲しいところだ。
むしろ、何だか蜂が飛ぶようなぶんぶん音がするが、
これは古い楽器や奏法と関係あるのだろうか。

通常は二回の繰り返しを三回やっており、
全曲が40分30秒という大作となった。
このすばしっこい終楽章にも、何だか悠然と構えたところがあり、
仰ぎ見るような建築物が、みるみる組み立てられて行く。

シューベルトの思惑と一致するかは分からないが、
畏怖すべき大曲として再現されているのは見事と言うしかない。

効果的で華やかな現代の楽器に背を向けた人たちは、
やはり並々ならぬ意志を持った人たちの集まりであると見え、
時として、こうした、作品のスケールを超え、
巨大化した表現を聴かせる。

さて、歌曲をもとにした楽曲であったこともあって、
この後、そのもとの歌曲も含め、7曲の歌曲が収められている。

テノールのアインシュレーが、
気持ちの良い好感度の高い、
のびやかな歌を聴かせてくれる。

「テノールとピアノのための歌曲集。」
「ここに収められた歌曲はすべて、
『ます』の五重奏曲の作曲以前に書かれており、
すべて水と関連のあるものである。
五重奏の第4楽章の主題となった歌曲を書くまでに、
シューベルトはすでに、
様々な作者の詩による350曲以上の歌曲作曲を行っていた。
彼の霊感は、偉大なゲーテやシラーの詩と共に、
もう一人のシュタイアー出身の人で、
病的なまでに感受性豊かな、
マイヤーホーファーの詩や、
控えめながら誠実なクラウディウス、
それに、感傷的なクリスチャン・シューバルトの詩にも
同じように触発されたように見える。」

ということで、「水」に関わる歌曲集である。
同様の試みは、ハイペリオンの「歌曲全集」でも、
もっと大がかりに行われていたが、
7曲くらいというのも、全20分で、
ちょうど良いような気もする。

しかし、よほどこうした主題のものは多いと見え、
ハイペリオンの「シューベルト歌曲全集」
第2巻(水にちなむ歌曲集)に収められたものと、
重なっているのは何と1曲のみ。

ハイペリオンでは、D111の「潜水者」のような、
初期の怪物のような大作から、
後期のD881の「猟師の歌」まで、
バリトンのヴァーコーが歌っていた曲目は、
作曲年代がかなり分散していたが、
今回はD番号500番代でほぼ占められ、
歌曲「ます」の周辺事情の探求が深まる。
これは大変、ありがたいことである。

Track6:
「『ます』D550は、初期の歌曲の中で、
愛好されたものの一つで、
1817年から1821年までに、
5つの手稿が残されている。
第3版は、誠実な友情の印として、
ヨーゼフ・ヒュッテンブレンナーに献じられ、
1818年2月22日『深夜』の日付がある。
完成させた後、シューベルトは眠気に襲われ、
うっかりして砂の代わりに、
インクを手稿の上にまいてしまった。
この歌曲はわずかに変形された有節歌曲で、
第3節の前半で、予想されるパターンから、
ますを捉える描写に移って、
しかし、最後はもとのメロディーに戻っている。
『ます』は、1820年に、
『芸術、文学、劇場と流行の季刊誌』の付録として、
最初に出版され、その人気によって、
ディアベリの「フィロメル」シリーズの152番として、
5年後に再版されている。」

Track7:
「『ます』や、シューベルトの生涯における、
この時期の多くの歌曲と同様、『流れのほとりで』D539は、
感情的に工夫された有節形式で書かれており、
中間部では、より扇動的な感情を描写する。
1817年3月に書かれ、1822年に、
初めて出版された。」

落ち着いた叙情的な歌曲で、この歌手の誠実な歌い口が映える。
「私の人生は美しい川と
結びついているような気がする」(石井不二雄訳)と、
妙に直接的な切り出し方であるが、
「楽しいことも悲しいこともこの川辺で
私は感じたのではなかったろうか」と歌われると、
それはいったいどんな川なのだろうか、
などと妙に想像力がくすぐられる。

懐かしい単純な唱歌のように、
自らの来し方を回想させられる歌曲である。
そんな風情にぴったりの歌い口の歌手である。
自然に私の心を音楽にしてくれているような感じがする。

さて、マイヤーホーファーは、シュタイアーの人で、
「ます」の五重奏曲もシュタイアーで作られたとすると、
この歌曲にひそむものと五重奏を育んだものが、
きっと、何か共通のものなのだろうと思えて来た。

詩人は川を見て、そこに、
緑色のなめらかな姿や猛り狂ったりして、
自分の心と重ね合わせる。

そして、最後の段落では、
「さすらい人」の基本主題のような言葉が出る。
川は海に行っても落ち着くことは出来ない。
自分もまた、「地上で幸福を見いだすことはない」というのである。

Track8:
「シューベルトは1817年3月、
少しずつ違った二つのヴァージョンの『湖上にて』を書いた。
彼の多くの歌曲と同様、ピアノ伴奏は素晴らしく簡潔に、
テキストのムードを助けている。
少し長めの第2版が、
作品92の2として出版された彼の死の年まで、
この作品は出版されずにあった。」

ここではD543が歌われている。
素晴らしい感興に満ちたゲーテ歌曲。

「波が私たちの小舟を
櫂の動きに合わせ揺り上げて、
雲をかぶり空にそびえる山々は」と、
何と開放的な光景であろうか。

この胸の高鳴りに合わせて、
ピアノ伴奏も朗らかである。

一瞬の陰りの後、
「消えろ、夢よ!」というゲーテらしい、
俺様表現が聴ける中間部からさらに勢いを増し、
もはや感動の連鎖のような興奮ばかりが続く。

それにしても、薄倖だった
シューベルトもまた、
こうした光景を夢見た時期もあったのだ。

シュタイアーの自然の前で、
圧倒されたシューベルトの心を、
この歌は先取りしているように思われる選曲。
この歌手の大げさでない表現が、
この歌曲の真実らしさを伝える。

Track9:
「マイヤーホーファーの『エルラフ湖』D586への
シューベルトの田園情緒溢れる付曲は、
優しいメランコリーで性格付けされており、
『作品1』としてではないが、
(この光栄を担ったのは1821年の『魔王』である)
彼の最初の出版された歌曲となった。
『エルラフ湖』は、1818年、
『オーストリアの自然、芸術愛好家の絵入りポケットブック』の
第6巻の付録として、ひっそりと世に出た。」

「静かなエルラフ湖のほとりにいて
僕は楽しく、また悲しい」と歌われ、
水とマイヤーホーファーの相性の良さを感じさせる。
木々のそよぎはなく、
ただ、湖面を雲だけが流れる。

「魔王」などと比べると、
ものすごく控えめで目立たないデビュー作であるが、
耳を澄ますと、七色の色調がちりばめられている。
中間部は、いくぶん波立つが、
それも実は詩の通りで、
風が流れ、湖が日の光を反射する様子が描かれる。

しかし、それも、冒頭の静けさに戻って行く。

Track10:
「クラウディウスの控えめな田園詩にふさわしく、
シンプルな曲付けをされた『泉に』D530は、
1817年2月に作曲されたのに、
シューベルトの死後まで出版されなかった。
多くのシューベルト歌曲同様、
単純さと微妙さが手を取り合って、
詩の中に流れる深い感情を描写している。」

ダフネ(ニンフ)になぞらえて、
泉のほとりで会った少女への思慕を、
明るく単純に歌ったもの。

ナイーブである。
この叙情的な声を持つ歌手の
得意とするところだろう。
ここに来て気づいたが、
この歌手を始め、演奏家に対する解説は、
一切ないようである。

Track11:
「シューベルトは『小川のほとりの若者』に、
3度、異なる付曲を行った。
今回、ここに録音されたのは、
その2番目のもので、
シラーの悲劇的な詩に迫っている。
1812年の最初のものは、
彼の現存する最初の歌曲の一つで、
3度目のものは、1819年に、
『ます』の直後に作曲されている。
2番目のもの(D192)は、1815年に書かれ、
失意の若い恋の自己陶酔的な憂愁を、
強調した曲想である。」

この曲のみが何故かD番号で500番代ではないが、
「美しい春が喜びを与えてくれたとて、
それが僕の何の役に立つというのか」という、
屈折した、シラー&シューベルト的なものであるが、
「僕の求めるのはただ一人のひと、
そのひとは近くにいながら永遠の彼方に離れている」
と歌われると、のっぴきならない状況と分かる。

その悲劇性にふさわしく、ピアノも歌も、
にび色の光沢を備えている。

Track12:
「『舟人』D536は、おそらく、
マイヤーホーファーのその他の数曲と一緒に
1817年3月に書かれた。
絵画的な無窮動の伴奏に彩られた、
活気ある力強い付曲の最初の版は、
1823年に出版された。」

「ます」の五重奏曲の爽快なエンディングの後で、
おそらく、この曲は最後に置かれるのにふさわしかろう。
一説によると、シューベルトの歌曲の中で、
唯一、悲しみがないものとも言う。
この曲のみ、ハイペリオンの歌曲集で、
水にちなむ歌曲集として収められていた。

得られた事:「シュタイアーは、マイヤーホーファーの故郷でもあり、シューベルトはこの盟友から、その地の自然への感受性の準備をたたき込まれていたのかもしれない。」
by franz310 | 2010-02-20 23:45 | シューベルト

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その192

b0083728_23564292.jpg個人的経験:
ピアノ三重奏団の演奏した、
シューベルトの「ます」で、
CD時代以降、最も、
日本で流通したのは、
ウィーン・ハイドン・トリオの
ものかもしれない。
ワーナーの、クラシック・ベスト100
という廉価盤シリーズに、
「死と乙女」との抱き合せで、
組み込まれたからである。


しかし、この再発売盤のCDは、
これらの曲の組み合わせもさることながら、
ウィーンの団体と、アメリカのフェルメール四重奏団の演奏を、
組み合わせたことにも、妙な違和感を残すものだった。

私は、むしろ、生々しい魚の写真をあしらった、
「ます」だけを収めた、オリジナルのLPや、
CDの方に魅力を感じる。

このピアノ三重奏団、
実は、私は、もっと高く評価すべきなのである。
私は、この団体をヴィーンで聴く機会があり、
彼らが、忘れがたい印象を残しているからである。

「ます」ではなかったが、シューベルトの作品であった。
ピアノは、ハインツ・メジモレツ、
ヴァイオリンはミヒャエル・シュニッツラー、
チェロはヴァルター・シュルツ。

このシュルツは、何と、アルバン・ベルク四重奏団の、
第2ヴァイオリンのゲルハルト・シュルツの兄弟らしい。

私は最近、それを知って驚倒した。
(78年から、第2ヴァイオリンはシュルツが受け持っている。)

というのは、私は、期日を接してザルツブルクで、
このアルバン・ベルク四重奏団をも、
偶然、聴いていたからである。
同じ家族の兄弟の演奏を堪能していたということだ。

余談になるが、さらに、シュルツ兄弟と言えば、
ベーム指揮の「フルートとハープのための協奏曲」で、
独奏を務めた、フルートのヴォルフガングがいる。

フルート、ヴァイオリン、チェロとは、
恐るべき音楽一家である。

このウィーン・ハイドン・トリオの名前にある、
ハイドンのCDを聞いたことはないが、
ハイドンの三重奏曲の研究、普及のために、
創設されたトリオとも聞く。

ちなみに、ウィーン・ベートーヴェン・トリオや、
ウィーン・シューベルト・トリオというのもある。
ザルツブルク・モーツァルト・トリオや、
ロンドン・モーツァルト・トリオはあったが、
ウィーン・モーツァルト・トリオもあるのだろうか。

さて、ハイドン・トリオであるが、
わたしが、ヴィーンで、このトリオを聴いて来た、
という話をしながら、その団体を知っているか、と尋ねた時、
大学の先輩は、もちろん知っている、
と言っていたから、確かに当時から名の知れた団体だったはずである。

1965年創設という話もある。
当時ですら、15年の歴史を誇っていたわけだ。

ただし、今はどうなっているのだろうか。
テルデックから出ていたこの団体、
イケメンのトリオ・フォントネにその座を奪われた形であろう。

ヴィーンに行って、たまたまその時取得できたチケットが、
偶然、この団体のコンサートだったというだけだが、
そうは言っても、忘れがたい一夜であった。

力演であったこと以外、思い出せないのは事実であるが、
このような体験を持つ私は、この「ます」の演奏を、
誰よりも、堪能しなければならない。

聴き比べにも力が入るというものだ。

とはいえ、その前に、
このウィーン・ハイドン・トリオの演奏を聴いて、
同様の体験をした人がいることに、
触れなければならない。

音楽評論家の大御所だった志鳥栄八郎氏である。
このことは、この演奏のCDをキング・レコードが出した時、
解説に書かれている。

私の体験や「ます」の録音時期を遡ること2年、
1979年の事であるらしい。

このような書き出しの「ひとこと」が、
CD解説に含まれているのである。

「1979年の夏にウィーンを訪れたとき、
わたしは、ある人につれられて、
ウィーン・ハイドン・トリオの連中の練習を
聴きにいったことがある。」

いきなり、「連中」というところがすごい。
「ウィーン・ハイドン・トリオの練習」ではいけないのか。

「彼らが、懸命になって、
ベートーヴェンの『太公トリオ』を練習していたのを
鮮明におぼえている。」

「大公」ではなく、「太公」と書くところも、
「太閤殿下」みたいで不思議な印象がある。

そして、さらに、彼らがカセット・テープをくれて、
「日本でもどしどしレコードを出して下さい」
と頼まれたとも書かれている。

氏は、「ウィーンではそうとう名の売れたトリオである」
などと書いているが、
ピアノ・トリオの中で最も有名な「大公」トリオを、
いまさらのように練習していたというのも、
何となくかっこ悪いし、
さらに、自分たちでカセットを渡して頼んだ、
というエピソードもちょっと冴えない。

「どしどし出して下さい」というのも、
妙に気さくな下町のおっさん風で、
ありがたみに欠ける。

連中と書きたくなったのはこのせいか、
あるいは、連中という先入観があったから、
こんな風に聞こえたのか。

実際は、もっと紳士的に、
「このテープを聴いていただければ、
私たちの仕事の価値がわかっていただけるはずです。」
といった口調だったかもしれない。

それから、志鳥氏は、
「そうした彼らの夢が、いま、
こうして実現しつつあるのはうれしいことだ」と書いているが、
自ら、助力したのか、たまたまそうなったのかは不明である。

ここから、志鳥氏お得意の、
「どこそこに行って、これこれを思い出した」
というエピソードが始まる。

ちなみに、氏は、ハイリゲンシュタッドの散歩や、
ケルンの大聖堂訪問、アルルの闘牛場見物、
テムズ下りなどの体験談で、
当時の少年の心に、異郷への憧れと共に、
羨望の念を植え付けることで高名であった。

「ます」については、
先のウィーン・ハイドン・トリオのエピソードに続いて、
このように書いている。

「シュタイヤーは小さな鉱山町で、
町の中心を清流が走っていた。
その夜、わたしは、この土地の名物の鱒のバタ焼きを食べた。
そのとき、ふっと思い出したのは、
シューベルトの『ピアノ五重奏曲』(鱒)であった。」

私は、このエピソードが大嫌いで、
清流を見たとたんに、
この曲を思い出さなかった志鳥氏の感性を疑った。

「そうである、シューベルトは、かつてこの町で、
この名曲を書いたのだった。」
とだめ押しする点も耐え難いが、
最後の締めくくりにこうあると、
ほとんど絶望的な諦念へと誘われてしまう。

「よくできた話のようではあるが、
これは本当の話である。」

私は自分の体験の意味の中に、
音楽の神秘を位置づけるのは好きであるが、
このように、音楽の価値を高めもせず、
単に、自慢話のようなのはどうかと思う。

実は、この解説を1980年代前半に書き、
志鳥氏は、同様のエピソードを、
「名曲ガイド101」という著書でも著述している。

「この川でとれるマスがおいしいと聞いていたので、
わたしはその夜、食事の時、特にマスの料理を注文した。
・・・日本なら当然塩焼にするところだが、
ヨーロッパでは煙の出る調理法は嫌われている。」
などと音楽を離れ、さらに口調は饒舌である。

おまけに、「味は残念ながらもうひとつであった。」
とも書いている。

そんな時に、この曲を思い出したというのだから、
ひどい話ではないだろうか。

さらに推薦CDとしては、
ブレンデル、ハーラ、レオンスカヤ盤が上げられていて、
ウィーン・ハイドン・トリオの名前はない。

レオンスカヤ盤はハイドン・トリオより後の録音ゆえ、
志鳥氏は、このハイドン・トリオ盤を、
はなから推薦する気はなかったものと思われる。

ブレンデル、ハーラについては、
かつて、ここで酷評した記憶があるので、
繰り返さないが、志鳥氏とわたしは、
何となく、感性の隔たりを感じずにはいられない。

かなりピアノ主導型の演奏がお好みなようだ。

しかし、脱線するが、この人は、
フルトヴェングラー、カラヤン、アンセルメ、ワルター、
ルービンシュタインといった演奏家が好きなようで、
いま一つ、どのような基準で話をしているのか、
混乱してしまうことも多々ある。

さて、このCDにおいて、
ウィーン・ハイドン・トリオと共演しているのは、
ヴィオラが、アタール・アラッド(またはアラード)、
クリーブランド四重奏団のメンバーで、ソロのディスクもあるようだ。
それから、コントラバスがルートヴィヒ・シュトライヒャーである。
この人は、有名な人だと思うが、
どんな録音を出していたか思い出せない。

さて、トリオ・フォントネのCDの表紙が、
生々しい魚の写真であったことは、
以前、ここでも触れたが、
同じテルデックのハイドン・トリオでも、
表紙写真は、生々しい魚体である。

しかし、背景の水色のグラデュエーションは、
魚体の動きを表わすブレ具合と相まって妙に美しい。
遠くから見ると、非常に鮮烈な印象がある。

文字の色調も好ましく、
ドイツ語だけで押し切っている点も爽快だ。

ただし、魚の口から音符が出ているのだけは、
意味不明を珍妙だ。

残念ながら、わたしが持っているキング・レコード盤では、
デザイナー名が書かれていない。

前半、志鳥栄八郎氏の解説の、「ひとこと」に、
いろいろ文句を書いたが、肝心の解説の方は、
5ページあまりを使って、そこそこ親切なものだ。
最後に、
「この曲の最大の特徴は何か・・・、
それは、シューベルトの若さを象徴するかのように、
全体に生気溌剌として、
しかも田園的な詩情にあふれていることであろう。」
と書いてあるのは同感である。

しかし、この後、志鳥節が炸裂し、
ベートーヴェンが、ハイリゲンシュタッドで
「田園交響曲」が生んだように、
「シューベルトは、風光明媚な北オーストリアの感動を
そのままこの曲に託したのであった。」
と結んでいる。

さて、実際に演奏を聴いてみよう。
わたしは、最初、この演奏を聴いた時、
序奏が短すぎるかと思ったが、
今回、聞き直してみて、そんなことはないように感じている。

ただし、かなり強烈な開始かもしれない。

やはり、聞き流していたのと、
じっくり聞くのでは差異があるようだ。

第1楽章冒頭から、前述のように溢れかえるような所があり、
演奏には、何とも言えない一途な魅力がある。
それでいて、余裕がないわけではなく、
ピアノもヴァイオリンも音色を終始美しく響かせており、
しかも、非常に、低音が豊かであるのが魅力である。

シュトライヒャーのコントラバスは、しっかり存在感があり、
多くの演奏での物足りなさは、
ここで何とか満足させることが出来る。

その分、ヴィオラとチェロの分離がもう少しあればと思うが、
第2楽章で、これらの楽器が歌う場面では、
それぞれの音色の特色を聞き分けることも出来る。

その第2楽章でも、演奏は真摯で、かつひたむきなものである。
幻想的、あるいは内向的な表情も良い。
ただし、先を急いで、少しテンポが速いような気もする。
その分、清潔な感じもあるが。

ここでのシューベルトは、初夏の早朝にまどろむことはなく、
何か、鋭敏に神経を高ぶらせて、
何か来るべきものを待っているようである。
私の原点にあるこの曲のイメージとは異なるが、
これはこれであり得る解釈であろう。

第3楽章もまた、切迫感に満ちたもので、
曲想ゆえか、多少、ヴァイオリンとピアノだけが、
主導権を持っているように思える。
私には、このトリオのチェロは、雄弁なような印象があったが、
ここでは、少し影が薄い。

有名な第4楽章でも、最初の弦楽だけの主題提示部からして、
ヴァイオリンだけが興奮しているように聞こえるのは、
いったいどうしたことであろうか。
録音のせいかもしれないが、
ヴィオラとチェロが引っ張られている感じである。

あるいは、こうした状況では組織活動ではあり得そうな話である。
一人、ばりばりやる気があるメンバーがいると、
それは基本的に良いことなので、
止めるわけにはいかなくなる。

さらに、自ら範を示そうとして、
あえて、冷静な態度で応じる場合がある。

じゃあ、勝手にやって貰おうと思ったり、
ひどい場合には、あえて暴走させて自己崩壊を待つ、
という関係にもなりうる。

もちろん、ここでは、
ヴィオラもチェロも、明快な出番があると、
きちんとその役割を果たしている。
しかし、ヴァイオリンのような興奮がなく、


終楽章は、苦み走った曲想もあったりするせいか、
特に、ヴァイオリンの興奮が聞かれるわけではなく、
むしろ、第1楽章の気迫も戻った感じで、
きりっとした感触で、古典的にまとまって美しい。

さすがに高名な団体だけあって、
どの部分でも音色が均一に美しく、
コントロールされたテンポと音量で、
次第に音楽を盛り上げていく様は見事である。

おそらく、実演では、これだけで感動してしまうだろう。

志鳥氏の解説では、
第1楽章では「喪朗」という初めて読む表現に、
目を見晴らされた。

第2楽章は「幻想的」と一般的な表現で、
第3楽章は、「シューベルトの若さが溢れている」とあって、
第4楽章は、「変奏曲の模範的な例」とあるが、
第5楽章では、遂に、伝家の宝刀が一閃する。

「この楽章を聴いていると、
北オーストリアの美景に陶酔している
青年シューベルトの姿がほうふつとしてくる。」

その直前に、「ハンガリー的」といった形容もあるので、
どうも、文章の前後関係が怪しいし、
いくらでも取って付けられるような安直さを感じてしまう。
第1楽章から第4楽章でも、同じ文言が使えると思うからだ。

なお、先の著書は、
「この曲を贈られたシュタイアーの人たちは、
きっと大喜びだったに違いない。」
と書いて、「ます」の解説を終えている。

これも、風景や地方から連想される勝手な妄想を、
さらりと書いて、結論にしてしまうという、
水戸黄門の印籠のようなものの代表例かもしれない。

私は、こうした妄想から研究が発展することが重要だと思うが、
そこから、本当にそうだったのか、
いっこうに調査が始まる気配がないところに、
歯がゆさを覚える。

特に、後者の「大喜び」は、何か証拠が欲しいものである。
「ハイリゲンシュタッドの人たちは、『田園』が書かれて、
大喜びしたに違いない」というのは無理だとしても、
作曲家がどこかの誰かに何か書けば、
常に同様の締めくくりが出来るではないか。

どうも海外のCD解説が、
最新の研究結果を反映しようとしているのに対し、
「おい、本当かよ」と、頼りない感じがしてしまう。

なお、CDではシュタイヤーとなり、
本ではシュタイアーとなるのも面白かった。
私も、この街の名前には混乱してばかりである。
シュタイルなどと書かれたりすると、
普通、同じ街とは思えないだろう。

このように混乱した側面もあったとしたら、
本当に、氏は、シュタイアーに連れられて行ってから、
ああ、これは「ます」が書かれた街ではないか、
と間が抜けたような気付きをしたのかもしれない。

いや、それでも、マスの料理が有名と言われて気づくであろう。

そこを、
「料理を口にしながら思い出したのは」などと書くから、
おかしな話になってしまうのである。

得られた事:「妄想と研究の関係の重要性と危険性。」
by franz310 | 2009-09-20 00:16 | シューベルト

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その141

b0083728_21505132.jpg個人的経験:
ケッケルト四重奏団の、
モノラル録音の方の
「ます」は、
25cm版のLPでも、
発売されていて、
そちらには、
水彩画風というか、
陶器への焼き付け風というか、
素朴な魚の絵画が、
あしらわれている。

これは、ジャケットの大きさが、
一辺5cm小さくなって、
面積では、3割ほど
迫力がなくなったのを、
補ってあまりある。

やはり、これだけ視覚的効果でくすぐられると、
いろいろな空想の翼が広がる。

上半分の緑の部分の色合いも素朴で深く、
魚の上部が赤いのも面白い。
下側は、群青でさっと勢いがある。
ただし、シューベルトの音楽の若々しさは、
ちょっと捉えられていないかもしれない。

が、人間のどろどろとした世界から、
少し、超越した作品であることは伝わって来る。
誰が書いたかはよく分からない。

裏面のPrinted in Germanyの記載の後ろに10/60とあるから、
ひょっとしたら60年の発売であろうか。
ステレオ再録音の5年前に当たる。

ここでもすでに取り上げたが、
このレコードのレーベル、
ドイツ・グラモフォンは1959年に、
デムスのピアノに、アントン・カンパーら、
ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団らを起用して、
ステレオで、この「ます」を録音している。

最新のステレオ録音がありながら、
1960年に、改めて、
このケッケルトのモノラル盤を、
再発売した理由は、何だったのだろうか。

廉価盤に落としての再発売か。

確かに25cmになって、かなり紙面もコンパクトになり、
解説は、ついに、裏面だけに4カ国語、
ドイツ語、英語、フランス語、イタリア語がひしめく有様である。

当然、曲について、下記のような簡単な記載があるばかりで、
演奏家の紹介などはなくなっている。

「ピアノ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロとコントラバスのための、
『ます』のニックネームを持つ、イ長調の五重奏曲は、
作品166のヘ長調の八重奏曲に次いで、
もっとも明るく、分かりやすい室内楽作品である。」

前回、同じ曲、同じ演奏での「ます」の解説の方が良かった。
何故、唐突に、ここで八重奏曲の名を出すのか理解できない。
そもそも、八重奏曲は、交響曲への準備と、
作曲家が語っているように、同列に語ってよいものやら。

八重奏曲のレコードも売ってやろうという下心か、
「ます」が好きでないかのどちらかではないか。

「この作品は、作曲家が友人の歌手フォーグルと、
上部オーストリアを抜けていった夏の旅行の年、
1819年に作曲された。
彼が嫌だった教師の道を捨て、予測不能な音楽キャリアに進む、
ほんの2年前のことであった。」

なるほど、これは面白い書き方だ。
シュタイアーの街では、ひょっとすると、
「作曲家のシューベルトさんだ」と紹介されず、
「教師のシューベルトさんだ。作曲の腕も一流なんだ」
などと紹介された可能性もあるというわけか。

「『やっかいな教師の仕事から逃れ』、
と、友人のバウエルンフェルトはその『回想』に書いている。
『若い芸術家は、再び自由に呼吸することが出来た。
彼は、終わることなき天職に、情熱的に身を捧げ、
友人たちの重要なサークルの中で、新しい霊感を得た』。
このような『シューベルティアン』の一人、
アルベルト・シュタッドラーは、フォーグルの生まれた街、
シュタイアーに在住し、ここが彼らの旅の目的地だった。」
フォーグルが故郷に連れて行ったというよりも、
シュタッドラーに会いに行った、と読めるが、
一般には、フォーグルの故郷に、たまたまシュタッドラーがいた、
とする解説が多い。

「これは、シューベルトの人生の中で、最も幸福なひとときとなり、
シュタイアーのアマチュア音楽家、
ジルベスター・パウムガルトナーに依頼されて書かれた、
このイ長調の五重奏曲は、この幸福感を完全に反映したものである。」
この説明、「完全に反映」というところが力強くて良い。

「二つの興味深い特徴が、1817年作曲のシューベルトの歌曲、
『ます』の変奏曲を持つ、この室内楽を特徴付けている。
通常とは違って5つの楽章からなり、これは、
しかし、パウムガルトナーの望みを尊重しただけのことで、
シューベルトは最後から二番目にこの楽章を挟み込んだ。
もう一つのポイントは、特筆すべき楽器の選択である。
シューベルトはこの音楽をピアノと弦楽のために、
新しい楽器法のコントラストを求めており、
これは、5年後、八重奏曲にて、新しい管楽器と弦楽器の組み合わせを、
模索した時に、繰り返された。」

どうも、この解説者(誰か不明)は、「八重奏曲」が好きみたいである。
コントラバスが使われていることは、何も書かれていない。
だいたい、「八重奏曲」は、ベートーヴェンの「七重奏曲」に似たのを、
と頼まれて書いたものであって、シューベルトが、
楽器編成を工夫したとすれば、ヴァイオリンを一丁追加した点、
と思われていただけに、そうかなあ、という思いが強い。

続いて、こんな一言で、さらに「八重奏曲」を聴かせようとしているが、
いったい、どうしたことであろうか。
「この『ます』の五重奏曲から八重奏曲へと続く発展の道を、
アインシュタインは、『室内楽のためのセレナーデ』と呼んだ。」

うーん、出だしはまあまあだったが、
結局、よく分からない解説であった。
これで、さあ、「ます」を聴こう、とは思わず、
これは「八重奏曲」の前座なのかな?と思うユーザーもいそうである。

余計な心配であるが、グラモフォンレーベルでは、
1965年になって、ベルリン・フィルハーモニー八重奏団による、
「八重奏曲」が録音されるが、
この時期、ユーザーが、この曲を聴きたいと言った時に、
このレーベルは、これを聴いて下さいと、何か答えられたのだろうか。

ということで、この録音、
30cmLPの時の解説が、読み応えあったのに、
25cm化されたことに伴って、かなり解説がいい加減にされてしまった。
ジャケットには色気が出て来たのに、残念なことである。

前回、曲の詳細解説部は、省略しようと思ったが、
何だか、貴重な解説だったように思えて来た。
改めて、30cmLP盤の解説の続きを読み直しながら、
このレコードを堪能してみよう。

幸いなことに、このLPは、中古で買ったが、
盤面がとてもきれいで助かった。
この前の初期盤は、ノイズの海だったが、
これは針飛びなしで聴けた。

が、さすがに、盤が小さいせいか、
二番煎じで、録音が劣化したか、
音の生々しさのようなものはいくぶん、後退し、
この前のインパクトは押えられた感じがしないでもない。
気のせいかもしれないが、初期盤マニアがいることを考えると、
実際、そうなのかもしれない。

そもそも、この前のものと、
重さがまったく違う。
ターンテーブルに乗せる時の、
心の持ちようから、まったく異なる体験となる。
軽い。

が、小さい分、取り扱いは容易。
この中に同じ演奏が入っているとは思えない。

ということであるが、
とにかく今回は、
これを聞きながら、
30cmLPについていた、
楽曲分析の部分を、以下に紹介しよう。

「『ます』の五重奏曲の第1楽章は、
ソナタ形式のアレグロ・ヴィヴァーチェ。
ピアノによる性急なアルペッジョに続いて、
弦楽に第1主題が出る。
この着想は拡張され、短く展開され、第2主題を出す代わりに、
作曲家は第1主題をさらに魅力的な形で繰り返す。」

この部分、いきなりわかりにくいが、
魅力的な第1主題が、活き活きとしたヴァイオリンを中心に繰り返され、
印象的なチェロの大きな歌いぶりにも聞き惚れながら、
同じ主題から派生したとも意識しないままに、
我々は、この新緑の世界に迷い込むわけである。

「短い経過のあと、明るく活き活きとした短いメロディで、
第2主題がまずピアノで出る。」
たんたんたん、という部分である。
「ピアノで出る」と明記されているので、
見失うことはない。
こうした解説はありがたい。

(しかし、ものの本には、この主題は第2主題Bとし、
先のチェロを第2主題Aとするものもあって、混乱は混乱を呼ぶ。
いろんな解釈があるということだろうか。)

「その陽気さははかないものだが、
各楽器に模倣され、素晴らしいひとときを形成する。
これは、短く明るい、コデッタの開始の少し前に起こる。」
はかない陽気さというよりも、
私には、幻想的、陶酔的な心情を思い起こさせる。
特に、ケッケルトらの旧盤の演奏は、こういったところが印象的だ。
何か、音に身を委ね、次第に沈潜しながら、
底にある深いものに触れようとしているかのようだ。

ステレオ盤の方は、すこし、テンポが速くなって、
この深いものに触れる前に、水面に上がって来ているのかもしれない。

「展開部は、非常にオーソドックスで、
オープニングの主題のより熟した利用によって明らかである。」
オーソドックスか分からないが、この緊張した空気の気配は効果的。
劇的であることは確か。
この幸福の象徴ともされる音楽が、
こうした内省や葛藤を伴って出て来たことを痛感させられる部分。
そんな中、各楽器のめまぐるしい使い分けが、
実に冴えに冴えている。

「ここで独創的なのは、再現部の導入が、
サブドミナントのニ長調になっていることである。
この元気溌剌とした楽章は、明るく終わる。」
ニ長調になっていて、サブドミナントとは意識していなかったが、
確かに、こうした色調の変化が、この楽章を味わい深いものにしている。
同じ調で、最初から繰り返されるような音楽なら、
かなり薄っぺらいものになっていたであろう。
最初とは違って、少し大人びたシューベルトが、
ここには立っている。
本当に、シュタイアーで、彼は、どんな体験をしたのだろうか。

改めて、そんなことに思いを馳せた解説であった。

「第2楽章は、叙情的な開始部をもつアンダンテ。
この楽章の穏やかな美しさで、
アインシュタインが、マジャールやスラブの香りを嗅ぎ取っているのに対し、
ある批評家などは、そこにベートーヴェンの魂が宿るのを感じている。」
私は、このどちらも感じたことはなかったが、
いったいどういった点に、これを聴くのであろうか。

「この楽章は三つのセクションからなっており、それが繰り返される。
第一主題は、ピアノによって語られ、
すぐにヴァイオリンに代わられる。
この材料はさらに引き継がれ、発展させられる。」
まずは、高原の朝の大気のような爽やかさであるが、
この楽章、解説を読みながら聞くと、実に手が込んでいる。
最初の爽やかさは、次第に消え、
ふと気がつくと、自分は一人っきりではないか、
それに気づかされるような音詩となっている。

「弦に現れる単純なコードは、
ピアノのアルペッジョが強調しつつ、
嬰ヘ短調の第二のセクションに導く。
これは短い静かなパッセージで、
ヴァイオリンが小粋な音型を奏でる中、
ピアノのさざ波に乗って、ヴィオラとチェロが呟く。」
ここは、実に、幻想的な部分である。
ヴィオラとチェロが、たがいに耳を澄ませ合うような、
二重奏では、ヴァイオリンが単純な音型を繰り返し、
はるか草原の彼方を見つめるような趣きもある。
スラブの香りとは、こうした点に聴き取れるのであろう。
こうした部分、ケッケルト四重奏団の、
面目躍如といった感じがする。

「この後すぐ、ずっと情熱的で装飾的な主題が、
ピアノによって導かれ、すべての楽器によって、
順次、取り上げられる。」
情熱的とあるが、がちゃがちゃと興奮するものではなく、
ふつふつとこみ上げるものである。
ピアノの孤独な和音が、胸を打つ。
こうした点は、やはり、エッシュバッヒャーの方が、
エッシェンバッハより、深いものに触れているような気がする。

こうした、秘めた熱情というのは、確かに、ベートーヴェンを想起させる。

「このセクションの終わりで、突然の転調を伴って、
再現部が開始される。
ここでは、第一主題は変イで、第二主題はイ短調で、
第三主題のみがもとの調で復帰する。」
第二主題の二重奏も、何か、うつろな感じになっているが、
こうした儚さのようなものが、この曲に素晴らしい陰影を与えていたのだ。

第三主題は、もとに戻るので、ようやく、
元の場所に戻って来た感じがする。
もともとが、何やら危機を秘めているので、
胸が締め付けられるような感じが残っている。

「最もシューベルトらしく、小さく、嵐のような第三楽章は、
リズムの強調と、叙情性のコントラストによって、
力強さと輝かしさを兼ね備えたスケルツォとトリオである。」

この一文、最初、抵抗があった。
スケルツォがシューベルトらしい、という感じがなかったからである。
「未完成交響曲」も、スケルツォで中断したではないか。

「明るく陽気なスケルツォ部は、三部構成で、
最初の主題は、ピアノとヴァイオリンが交互に奏し、
第二セクションでもそれが繰り返させる。」
この第二セクションこそ、スラブ風の異国情調が感じられないか。

「トリオ部には二つの非常に美しい主題を含み、
最初のはヴァイオリンとヴィオラでアナウンスされ、
第二のものはピアノに割り当てられる。」
この解説もわかりやすい。
「ロザムンデ」の音楽の一こまを思い出させるような、
遠いお伽の国に遊ぶような感じがする。
そう言われてみれば、こうした音楽は、
シューベルトにしか書けないような気がして来た。

「習慣通り、全スケルツォ部は、トリオの後で、
繰り返される。」
とあるが、短いのに、強烈な印象を刻み、
かつ、分解してみても忘れがたい情緒を秘めている。

「第四楽章は、
シューベルトのもう一つの特質である、
天真爛漫な歌曲、『ます』のメロディによる、
6つの変奏曲からなる。
歌曲の精神と一致して、これらの変奏曲は単純でありながら、
大幅に華やかさが増している。
まず、これは素朴に弦楽で奏される。」
ここまでは、ピアノは出てこないが、
以下、ピアノの色彩が新鮮に導入される。
このレコードでは、エッシュバッヒャーが、
満を持して美しい音色を奏でる。
「第一変奏では、ピアノがわずかな装飾でメロディを奏で、
他の楽器は、練り上げられた伴奏を行う。」

「第二変奏では、ヴィオラとチェロがメロディを受け持ち、
時折、そこにピアノが絡む。」
とあるが、この演奏では、むしろ、
ケッケルトのヴァイオリンが舞い上がり、
その装飾音系のつややかさが目につく。

「第三変奏では、時折、チェロにアシストされるダブルベースが、
メロディを発し、ピアノが金銭細工のような音響を響かせる。」
このダブルベース、絶対に30cmLPの方が、
迫力のある音を響かせている。
ケッケルトが熱演しているかも、心許なくなって来る。

以下、楽器が書いてないのは不親切だが、
いきなり、激しい音楽が現れ、それが繰り返されるので、
第四変奏は分かりやすい。
「第四変奏では、トニック短調が色彩に変化をもたらし、
変ロ長調の第五変奏では、架橋するパッセージのようで、
休みなく、おそらくは最も明るい最後の変奏に続く。」
第五変奏は、チェロがロマンティックな歌を歌うところである。
架橋するパッセージという表現はよく分からないが、
おそらく、変奏曲の一章というより、発展があるためであろうか。

「ここにきて音楽はその美しさの全貌を現わし、
ピアノがオリジナルの歌曲の伴奏を奏でる中、
ヴァイオリンとヴィオラが、交互に歌う。
この陽気な波打つような音型は、用心深い鱒が、
水の中に滑り込み、漁師の釣針から逃れた描写にぴったりである。」
この楽章など、30cmLPで聴いた時の方が、
きれいな音に思えた。ピアノの響き方なども違う。
ちょっと平板になっていないか。

「この五重奏曲のフィナーレは、特にハンガリー風の香りを持ち、
重要な二つの主題を持つ、伝統的なソナタ形式をとっている。
第一主題は、いくつかの小さな音型と共に、この楽章を支配するものである。」
この解説、さっきまでは良かったのに、
どれが第一主題でどれが第二主題か書いていない。
力尽きたのであろうか。
たんたらたんたんと軽快なのが第一主題、
シンコペーションの上でチェロが歌うのが第二主題であろう。
いくつかの小さな音型というのは、
第一主題の前奏のように付随するものが、
確かに沢山あるので、これを指しているのであろうか。
しかし、展開部なく提示部が繰り返されており、
伝統的、慣習的なソナタ形式とは思えない。

「この楽章の重要な目的は、快活で、唐突なエンディングを、
この全体を通じて、喜びに満ちた作品にもたらすことである。
シューベルトの『ます』の五重奏曲は、
深いシューベルトではないが、愛さずにはいられないシューベルトである。
このような作品は、室内楽が無味乾燥で、人を寄せ付けず、
近づき難いものだと主張する人が、
間違っているということを、まさしく証明するものである。
『ますの五重奏曲』以上に、人を引きつけ、
楽しみやすい作品を思い出すのは難しい。」

この「愛さずにいられないシューベルト」というのは、
アインシュタインのぱくりではないか。

得られた事:「25cmLPでの再発売品は、ノイズはないが、音が薄くなっている場合があるようだ。」
by franz310 | 2008-09-20 21:56 | シューベルト

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その139

b0083728_21483931.jpg個人的経験:
前々回、ケッケルト四重奏団が、
戦後のヨーロッパの
室内楽愛好家たちを魅了した、
人気の団体であったことを、
オルフェオのCDの解説から
紹介した。
そこにあった、シューベルトの、
「弦楽四重奏断章」などでは、
素晴らしく興の乗った、
弓裁きを聴くことが出来た。


しかし、私が持っていた、エッシェンバッハとの共演による、
シューベルトの三重奏曲「ノットゥルノ」では、
いくぶん、控えめな表現に終始していて、
あの感興に富んだ風情は感じられなかった。

この四重奏団は、やはり、エッシェンバッハのピアノに、
コントラバスのヘルトナーゲルを加えて、
シューベルトの「ます」を録音しているが、
果たして、それは、どんな演奏なのだろうか。

またまた、エッシェンバッハを立てて、
伴奏に終始しているのか、
あるいは、この1940年生まれのピアニストに対し、
1913年生まれのベテランが、父親のように、
教え導いているのだろうか。

もともと、オーケストラの団員に関しては、
伴奏式に陥るケースが多々見られ、
あまり期待しない方がいいかもしれない。


b0083728_2149729.jpg前にも書いたが、
ケッケルト四重奏団は、
バイエルン放送交響楽団の、
主席奏者たちによる
弦楽四重奏団であった。
ケッケルトは、バイエルンの
コンサートマスターだったので、
このオーケストラのレコードからは、
ケッケルトの独奏を
聞くことが出来る。


うまい具合に少し前、このオーケストラの、
主席指揮者であった、クーベリックが振った録音30点あまりが、
「20世紀の巨匠シリーズ」で再発売された。
ここには、1963年録音の、
モーツァルト作曲「ハフナー・セレナード」が収められている。

広く知られているように、
このセレナードは、
第二楽章から第四楽章が、
ヴァイオリン協奏曲風なので、
コンサートマスター、ケッケルトのヴァイオリンの芸風の一端を、
聴くことが出来る。

まず、このセレナード全体に言えることだが、
とても、格調の高い演奏である。

ただし、このCD、
指揮者クーベリックを主役にしたシリーズであるゆえに、
解説に、ケッケルトの事は何も書いていない。
「ラファエル・クーベリックについて」という、
一文が最初に寄せられている。
このクーベリックと、ケッケルト四重奏団のメンバーは、
プラハ音楽院の同窓ということだが、
クーベリックは、1934年、
「弱冠19歳で名門チェコ・フィルハーモニーを指揮してデビュー」
と天才ぶりが特筆されている。
しかも、そのとき振ったのが自作の「幻想曲」で、
なおかつ、父親がヴァイオリン独奏を務めたというのである。
その父親とは、ドヴォルザークとも親交のあった、
名ヴァイオリニストの、ヤン・クーベリックである。
才能のみならず、血筋の良さも強調したデビューだったわけである。

23歳でチェコ・フィルの正指揮者となり、
チェコ楽団のホープとして快進撃、
しかし、共産党政権との折り合いの関係から英国亡命。
以後、シカゴ、バイエルンなどの指揮者を務め、
1990年には遂に故国に帰って熱狂的歓迎を受ける、
という紆余曲折が簡略化されて説明されている。

特に、同窓生がいた関係からか、
18年もその地位にあったこともあり、
バイエルン放送交響楽団との活動が、
我々の脳裏には深く刻まれている。

しかし、名ヴァイオリニスト、
ヤン・クーベリックと、日々、比べられる立場にあった、
ケッケルトも大変だったことであろう。
と勝手に憶測する。

また、このCD、曲目に関しても、ザルツブルクの名門、
ハフナー家の披露宴用の音楽として書かれたこと、
20歳の青年音楽家モーツァルトの面目躍如とした、
壮麗な大作であることなどが解説されている。

ランドンの言葉、
「モーツァルトが書いた初めての偉大なオーケストラ作品」
という讃辞が引用されており、
聴く者の期待を高まらせる内容となっている。
ジャケット表紙も、オリジナルLPを持って来ており、
大変、懐かしい感じがする。

ただし、このモーツァルトの肖像画は、
14歳の時、イタリアで描かれたもので、
年齢に著しいギャップがある。
とはいえ、おそらく、
このような真剣な眼差し、あるいは正装に相応しい、
格調高い作品であることは確かであろう。

期待のとおり、演奏もそれに相応しい。
もう近年、モーツァルトの時代の歴史的考察によって、
聴くことの出来なくなった大オーケストラによる、
モーツァルトのたっぷりした響きに、
ちょっとタイムスリップしたような感じを受けるが、
とても演奏が美しいので、そんな事は気にならなくなってしまう。

また、第四楽章のロンドでは、ケッケルトのヴァイオリンは、
いかにもボヘミア風の即興的な節回しを聴かせて、
モーツァルトの様式を逸脱する寸前まで音楽を追い込んでいる。

もう感興が乗りまくって、高い空に駆け上がって行くような趣きで、
古典の枠を突き破った自由奔放さに圧倒される。
これを聴く限り、クーベリックに指揮されようとも、
俺は好きなようにやらせてもらいます、
といった感じで、非常に頼もしく感じた。

昔、LPの廉価盤で出ていた頃のレコード評では、
「キリッと引き締まったなかに、
さわやかな表情をたたえた演奏で、
特にケッケルトのヴァイオリン・ソロが
聴きものである」とあった。


では、これと同じ頃、出ていた、
シューベルトの「ます」ではいかがであろうか。

このように、いろいろなことを考えながら、
LPに針を落とす。
ケッケルトのヴァイオリンは、最初から、
とても存在感豊かであり、テンポなども、
ケッケルトが握っているように思われる。
息を潜めたような部分から、ぱっと解放されるところまで、
その演奏への傾注ぶりが目の前に浮かぶような、
ケッケルト四重奏団の練達の技を聴くことが出来る。

むしろ、ここでは、ある意味主役の、
エッシェンバッハの方が存在感希薄。
何だか、蒸留水のような感じ。
「ます」の演奏としてはそれなりに好ましく、
空気感などの表現では、とても新鮮であるものの、
残念ながら意志のようなものが聞こえない。

録音当時、25歳だった青年にしては、
少し、控えめにすぎる演奏ではなかろうか。
逆に、25歳ゆえに緊張、恐縮しているのだろうか。
恐らく、きまじめなこの人のこと。
大家に囲まれて、かなりプレッシャーがあったと思われる。

従って、エッシェンバッハを聴いているという感じはあまりなく、
ケッケルト四重奏団の「ます」には、
どうやら、ピアノも参加しているようだ、というような感じ。

ケッケルト四重奏団は、ヴィオラ、チェロもがんばっており、
さすがに、同郷、同年代のおっさん軍団、息が合っている。

しかし、コントラバスは、私としては、もっと出しゃばって欲しい。
このゲオルグ・ヘルトナーゲル。
しょっちゅう、「ます」のレコーディングに顔を出すが、
いつも、伴奏のような気合いの入らない演奏で、
どうなっているんだ、と私をうならせる。

ここでもそう。
ざっと見ても、ドロルツ四重奏団、ボーザール・トリオなどから、
リヒテル、ボロディン四重奏団、レオンスカヤ、アルバン・ベルク盤まで、
しきりに現れる奏者である。

やはり、ケッケルトが5人の中では、ひときわ自在に、
音楽への愛を歌い上げているようだ。
ヴァイオリンとチェロが歌い交わすところも、
どうしてもヴァイオリンの特徴ある音色、
それに率先して動くリーダーシップに、
私は、ついつい耳を傾けてしまう。
チェロはちゃんと鳴っているのだが、そうなってしまうのである。

が、ここでのケッケルト、
あのモーツァルトのセレナードで聴いたような、
即興的な節回しはなく、節度を持ったものだ。

エッシェンバッハも、第三楽章あたりになると、
緊張がほぐれて来たのか、意欲的なピアニズムを聴かせる。
第四楽章の歌い出しもケッケルトのヴァイオリンの妙音で聴かせ、
低音弦楽器の豊かな伴奏に乗って、エッシェンバッハのピアノにも、
溌剌とした気分の高まり、陰影の豊かさが現れて来ているようだ。
清らかなタッチも美しく、初々しい風情。

しかし、老巧な弦楽器群の前には、
やはり、このピアノは、経験や自信の不足を感じてしまう。
年齢差を、私は意識しすぎているかもしれないが、
何十回もこの曲を実演でも演奏してきた連中と、
デビューしたてで、何だか分からないままに、
録音に付き合わされた感じの青年とでは、
余裕が違ってもおかしくはない。

違わないと感じる方がおかしい。
いくらピアノの大家でも、室内楽で、
同じような大家ぶりを発揮するなら、
室内楽ではなくなってしまうだろう。

鳥のさえずりのように、ケッケルトが、
装飾的な高音を響かせながら、
細かく音色を変えていく様を見て、
私は、そんな事をふと考えてしまった。

エッシェンバッハに関しては、
後年、指揮者として成功を収め、
そのきまじめで体当たりの熱演を聞いて来ただけに、
この40何年も前の演奏で、この人を語るべきでないということは、
じゅうじゅう承知の上での推察である。

さすがに、終楽章になると、
この音楽家らしい集中力も発揮されて、
かなり満足度の高い演奏になっていると思う。

グラモフォンが、その後、ギレリスとアマデウス四重奏団で、
この曲を再録音して本命としながら、
この録音を、廉価盤レーベルでは、繰り返し再発売している理由が、
分からなくもない。
私としては、このエッシェンバッハ、ケッケルト盤の方が、
演奏者の息遣いが感じられ、好きかもしれない。

好意的に取れば、初老の大家たちが自信満々で演奏した、
ギレリス盤より、シューベルトが「ます」を作曲した時と、
同年代のエッシェンバッハの無垢が、
この曲に相応しいという見方も出来よう。

ちなみに、昭和55年の、
レコード芸術別冊の「名曲名盤コレクション」では、
「若きエッシェンバッハの線の細いピアノと、
ケッケルトSQの頑健ともいえる弦は、やや異質なものを感じさせる」
とあるので、この評者は、私と似たような事を感じながら、
悪い方向で捉えている。

この人の「ます」観は、しかし、私とは全く異なり、
私が嫌いなブレンデル盤を、
「数多いレコードの中でも一段と抜きんでた名演」としている。
音楽の中に求めるものが違うと、
このような差異を生じるということか。
「この美しさはまさしく筆舌に尽くし難い」とまで書いている。
私はあっけに取られた記憶がある。

さて、このエッシェンバッハのLP、私が持っているのは、
グラモフォン・スペシャルとして1300円で出た廉価盤、
つまり再発売品だが、ひいき目に見るせいか、
ジャケットもそのような青春の香気を湛えている。

水草に一斉に白い花が咲き乱れ、
淡い緑に彩られた河は、
それを写しただけのような写真ながら、
この曲の初々しさを偲ばせて好感が持てる。

PHOTO:HIROSHI SUGAI
とあるので、日本の風景かもしれないが、
不自然さはない。

解説は、親しかったフォーグルと、
シューベルトが、22歳の夏に訪れた、
美しい自然に囲まれた街、シュタイル(シュタイアー)にて、
当地の音楽愛好家パウムガルトナーに依頼されて作曲した作品であること、
幅広い表現力を求めて、コントラバスが利用されていること、
などが書かれているが、重大な欠陥がある。

それは、
「ソナタ形式の展開部の処理が未熟であること、
再現部がやや機械的である事などの欠点が指摘されている」
などと、作曲家を見下し目線で捉えた、
感興を削ぐ一文がある事、
それに、何故、この曲が「ます」と呼ばれているか、
説明していないことである。

各楽章についても、数行ずつの解説があって親切だが、
これで音楽が把握できるかは、少し検討の余地を感じた。

例えば、第一楽章で、
「二つの主題はいずれも歌謡調の美しい旋律で、
豊かな色彩を加えながら発展していく」
などという表現は微妙ではないか。
豊かな発展という表現は夢を呼ぶが、
どっちがどの主題か、これでは分からない。

一方、第二楽章は、「最初ピアノで奏される品の良い主旋律を
ヴァイオリンが受け継ぎ、優美な感情を漂わせる。
次にチェロとヴィオラにより奏し出される旋律は、
憂いのあるロマンティックなもの」とあり、
これは、聴衆も、どれどれと注意を向けることが出来る。

第三楽章は、「主部は活気にあふれた楽想をもち、
トリオ部も同様に快活でウィーン風な楽しさが感じられる」と具体的。

第四楽章は、各変奏の特徴を楽器の名を上げながら説明、
ただし、楽器のみなので、内容は想像できない。

第五楽章は、「ハンガリー風な色彩をもつ楽章」、
「生き生きとした終曲」などと、具体性を取り戻している。

演奏家に対しても、しっかり記述がなされていて、
エッシェンバッハの経歴は、幼児に両親を亡くした、
という話から書き起こしている。
1961年から演奏活動を始め、
1965年のクララ・ハスキル・コンクール優勝で、
名声を決定付けたとあり、
この録音は、その前後のものと分かる。
あるいは、コンクール優勝記念のような意味合いだったかもしれない。
そこのところを何も書いていないのが、
廉価盤の限界であろうか。
カラヤンとのベートーヴェンが66年、
ドロルツとのブラームスが68年の録音とあるから、
かなり早い時期の録音である。

ケッケルト四重奏団については、
1939年にプラハ音楽院出身の、
プラハ・ドイツ・フィルの団員によって結成され、
47年からバイエルン放送交響楽団に全員が移り、
現在まで活動を続けている、とある。

「ドイツの室内楽の伝統を最もよく受け継いだ団体との定評をえて、
国際的に活躍している」と書いており、
読む者の期待を高まらせるようになっている。

ということで、このレコード、
エッシェンバッハのピアノをどう捉え、
ケッケルトの人となりに関心を持つかで、
評価の分かれるものとなっている。

書き忘れていたが、先に紹介した、
「ノットゥルノ」が、「ます」のあとに収録されている。
「死と乙女」や、「四重奏断章」のような、
危機を孕んだ作品より、よほど、心が和んで終わる。
これもこのLPの良いところの一つだろう。

得られた事:「作品をどう捉えるかによって、演奏を肯定するか否定するかが分かれる実例発見。」
by franz310 | 2008-09-06 21:53 | シューベルト

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その135

b0083728_2383087.jpg個人的経験:
以前、ここで、
日本の指揮界の先達である近衛秀麿が、
シューベルト晩年の傑作、弦楽五重奏曲を、
管弦楽曲化した事について触れた。
近衛は、1930年頃、「終生の師となる」、
エーリヒ・クライバーと会っている。
この時、このドイツの大指揮者は、
すでに、レコードでも高名だった。
ベートーヴェンの没後100年を記念して、
「第二交響曲」などを録音していたからである。

おさらいすると、1890年生まれのクライバーは、
1923年、弱冠33歳の若さで、
ベルリン国立歌劇場の音楽監督になって、
ナチスを嫌って1835年にその職を離れるまで、
12年にわたって黄金時代を築いた。

この頃、このオーケストラの
コンサート・マスターを務めていたのが、
マックス・シュトループであった。
1928年から34年にかけて、その任に当たり、
32年から45年までベルリン音楽院の教授、
36年からは、シュトループ四重奏団を組織したと、
幸松肇氏は書いている。

ということは、高名な、
ポリドールの交響曲全集の「第二交響曲」
の録音(1929年)などは、シュトループが、
ヴァイオリンの最前列に座っていたのであろうか。

この録音は、今世紀になってからも、
ダットン・レーベルがきれいな復刻で、
CD化してくれている。
私は、息子のカルロスなどより、
父クライバーの、柔軟な音楽作りが好きなのだが、
そのCDで、もう80年も昔に録音された、
この交響曲の演奏を聴いても、
颯爽とした音楽の流れが心地よい。

この交響曲全集は、クライバー一人が全曲を振ったのではなく、
大作曲家のリヒャルト・シュトラウスや、
フィッツナーまでが登用されており、
音楽王国の底力を見せつけるような内容となっている。
フィッツナーは「田園」を振って、宮澤賢治の愛聴するところとなった。
このあたりのことは、この欄でも以前書いた。

そういえば、この録音は1930年。
あるいは、ここでのヴァイオリンにも、
シュトループの音は聞こえるのだろうか。
賢治が聞いた音ということだ。

フィッツナーは「英雄」も振っているが、
こちらは、ベルリン・フィルの演奏であった。
このように、当時から、ベルリンの二つのオーケストラは、
2大オーケストラの様相を呈していた。

戦後は、東西ドイツを代表する団体となった。

後者、ベルリン・フィルの小型バージョンである、
ベルリン・フィルハーモニー八重奏団については、
前回、フィルハーモニア・カルテット・ベルリンの時代まで概観した。

b0083728_23154542.jpg一方、前者、国立歌劇場管弦楽団を
ルーツとする四重奏団は、
先の幸松肇氏や新星堂のおかげで、
シュトループの時代から
確認することが出来る。

その録音の中でも一番古いのが、
1935年5月、38年6月という
奇妙な録音データを持つ、
レーガーの
弦楽四重奏曲第4番作品109である。


これは、クライバーの「第二」からは、
10年を経ようとする録音である。

また、この時代、ナチスの気配濃色となってクライバーが、
任を離れた時期にもあたる。
シュトループも、もうベルリン国立歌劇場からは離れている。
しかし、このメンバーがすごい。

第一ヴァイオリン マックス・シュトループ
第二ヴァイオリン ヨスト・ラーバ
ヴィオラ ワルター・トランプラー
チェロ ルートヴィヒ・ヘルシャー
とある。

トランプラーは、後に、アメリカに渡って、
ブタペスト四重奏団と、弦楽五重奏曲の名盤を多く残し、
日本でも非常な知名度を誇ったヴィオラ奏者であり、
ヘルシャーは、ソリストとしても多くのCDが入手できる。
日本を訪れ、東京芸大から名誉教授の称号を得ているらしい。

幸松肇氏の解説は非常に興味深く、こんな風に書いている。
「当時としては第一級の実力を持つ
プレーヤーを結集したものクァルテットは、
ブッシュ弦楽四重奏団が国外での演奏を中心にしていたため、
ドイツを代表する地位にのし上がった。」

ブッシュの演奏した、まったく同じ、
このレーガーの第4四重奏曲に関しては、
この前、この欄でも紹介した。

あの演奏は、強烈な哀惜・望郷の念を歌い上げた、
素晴らしいものであったが、
このシュトループの演奏には、あんな思い入れはないものの、
クライバーの演奏にも比肩すべき、きりりとした息づかい、
闊達な音楽作りを聞き取ることが出来る。

ものすごいちりちりノイズではあるが、
各楽器は1970年代のベルリン・フィルハーモニー八重奏団より、
10倍も明瞭に聞き取れる。
特に、ヘルシャーのチェロの雄渾さが嬉しい。
トランプラーの独奏部分も泣かせる。

一匹狼集団のなせる技と考えるべきか、
それとも、昔の人はすごかったと考えるべきか、
あるいは、フィルハーモニーと国立歌劇場の差異か。
いろんな事を空想してしまう。
あるいは、70年代のベルリン・フィルは、
完全にカラヤンの飼い犬と化していたということか。

このレーガー、幸松肇氏は、
「やや灰汁の強いシュトループの音は、
同様に灰汁の強いレーガーの音楽にぴったりで、
重厚なサウンドでフォローする低音部とうまくフィットしている」
と書いているが、決してフォローのみではない。
各自が十分に歌っている。

「灰汁が強い」という表現はよく分からないが、
甘い美音ではないということだろうか。
しかし、おそらく、彼らの音楽作りは、
感覚的に人を陶酔させようというものではなく、
理路整然と音響の魔法を繰り出して、
説得していくようなものだったとも言えるかもしれない。
したがって、終楽章のフーガなどは、どの楽器も明晰に鳴り響き、
まるで音の設計図が眼前に描き出されていくような、
精緻さに息を飲んでしまう。

このあと、1939年にはトランプラーはこの団体を離れ、
メンバーも、フーブル、ヒルシフェルダー、ミュンヒ=ホランドに変更して、
1940年、戦争の最中に録音された、
「ラズモフスキー第三番」や「死と乙女」といった、
弦楽四重奏曲の名作を録音しているが、これらも新星堂のシリーズで聴ける。

「死と乙女」などは、ロマン派の弦楽四重奏曲の代表と呼べそうな気もするが、
彼らの演奏で聞いていると、ロマンティックな憧憬などには、
まったく関心がないようにも思える。
すべての音が明晰に鳴り響き、新古典主義とでも呼べる演奏ぶりである。
甘味な音の海に酔わせてしまおうという気持ちはほとんど感じられない。
ひたすらに、書かれた音楽に切り込んでいくようなスタイルである。

かといって、無味乾燥かというと、
そんなことはなく、硬質の彫琢を感じさせるものがある。
ルオーの絵画でも、ジャケットにするというアイデアが浮かぶ。

実は、この団体、
トランプラーが去る前に、ピアニストのエリー・ナイを迎えて、
シューベルトの「ます」を録音しているのであった。

このCDは、同じく新星堂から出ていて、かつてこの欄でも取り上げたが、
その頃は、シュトループにもそれほど興味を持っていなかった。

その後、マイケル・H・ケイター著、
「第三帝国と音楽家たち」という本で、
こんな一節を見つけて驚いた。

「ヒトラーがユダヤ人を主要な地位から追い出しはじめると、
ナイは歓迎の意を露わにし、『あの人はゆっくりとだが、
過激に事を進めていく』と書いた。
もちろん、こうした処置のおかげで、
彼女自身が益を得ることもわかっていた。
ナイはシューベルトの五重奏曲『鱒』をエレクトローラに録音したとき、
『ユダヤ盤』の不在に大いなる満足を示し、
同時にカール・フレッシュ、ヤッシャ・ハイフェッツ、あるいは、
ヴラディーミル・ホロヴィッツといった国外のユダヤ人演奏家にはもう、
『出る幕がなくなった』ことを喜んだ。」(明石政紀訳)

この本には、エリー・ナイが、ヒトラーに接近することに腐心し、
1937年には、その甲斐あって、名誉教授の称号を贈られ、
1938年夏には公式晩餐の席を共にしたことが書かれている。
また、ヒトラーの前で、御前演奏を望んでいたのに叶わず、
バックハウスがすでにそれをやっていた事を知って逆恨みではないが、
「嫉妬のあまり逆上した」という記述も恐ろしい。

私が恐ろしいと思ったのは、
このバックハウスは、10年も前に、
「ます」の録音を行っているからでもある。
ナイは、それを知っていたのだろうか。

知っていたがゆえに、
お怒りも激しかったと考えてもよかろう。

バックハウスは、我々にとっては、
いきなり長老ピアニストのような印象だが、
ナイにとっては2歳年少の若輩である。
1933年といえば、ナイは51歳、
バックハウスは49歳。

1933年には、ルドルフ・ゼルキンの代役で演奏を頼まれた際、
ユダヤ人の代役と考えただけで身の毛がよだつ、と書き送ったとされる。
ゼルキンは言わずと知れた、
ブッシュの娘婿であり、ブッシュが国外活動せざるを得なかった事情が、
こんな逸話からも迫真に迫る。
そういえば、ブッシュ四重奏団も、団員にナチ信者がいて、
困ったという話もあった。

また、この本では、
ナイと並んで、熱狂的なナチ信者であったとされる、
リー・シュターデルマン(チェンバロ奏者)のエピソードが興味深い。
彼女は、ユダヤ系ヴァイオリニストのヴァイスゲルバーと共演した際、
彼の「ドイツ古典の多感な解釈」に、
聴衆が熱狂したと言って激怒した、
と書かれているのだ。

ひょっとすると、シュトループらの感情を廃したような演奏様式には、
こうした時代背景があったと考えるのは考えすぎであろうか。
ドイツ音楽はあくまで、粛々と演奏されるべきなのだ。

かくのごとき環境下で、1938年5月に、
「ます」の五重奏曲の録音がなされる。

エリー・ナイ(ピアノ)
マックス・シュトループ(ヴァイオリン)
ワルター・トランプラー(ヴィオラ)
ルートヴィヒ・ヘルシャー(チェロ)
ヘルマン・シューベルト(コントラバス)
シュトループ四重奏団のメンバーが3人も入っている。
(幸松氏の文章は、このトランプラーが正式メンバーであったか、
少し、怪しいという面が垣間見える。)

すごい布陣である。
エリー・ナイが喜んだのもうなずける。

さて、改めて演奏を聴き直すと、
冒頭からして、ナイのピアノが異様である。
すべての音をぽつぽつと切って、
まるで蒸留水のように響かせている。

当時、ナイの演奏の繊細さの欠如を書いた人がいたようだが、
ものすごい意志で、不純なものを締めだそうとしているような解釈だ。
粘ったものはすべて、ユダヤ的と考えていたのかもしれない。

が、それはおかしく、
そもそもヒトラーは、どろどろしたヴァーグナーを崇拝し、
レハールの「メリー・ウィドウ」のような、
流麗な音楽を好んでいた。

その真偽はともかくとして、
こうしたピアニストの姿勢が、
彼女より十何歳も若い弦楽器奏者にも影響を与えたと思われ、
彼らの演奏もまた、かっちりと清潔で、
一つの音の余韻に浸らせる暇なく、
先へ先へと音楽が推進されていく。

ただし、あのレーガーの演奏同様、
各奏者の音の魅力は、決してナイに遅れをとっていない。
自発性の高い演奏として、気持ちがよい。

有名な第四楽章でも、すべての音に余韻はないのが独特である。
乾いた早めのテンポで、軽快なピアノが飛び跳ねながら、
弦楽器も、きりりと引き締まった弓さばきを見せる。

「死と乙女」のCDの解説では、幸松肇氏は、
「第二次大戦中、ナチス支配下のドイツに残り、
ドイツ・エレクトローラ社に積極的に録音活動を行った。
ベートーヴェンの『ラズモフスキー第三番』と、
この『死と乙女』が代表的名盤で、
テンポ設定のユニークさと重厚なサウンドが聞きものといえよう」
と書いている。

テンポ設定のユニークさは、「ます」にも言えることであろう。
何だか、バッハの平均率のような感じを受けなくもない。

さて、シュトループの功績は、ドイツ室内楽の活性化、
と、幸松氏は要約しているが、
ナイの喜びを例に上げるまでもなく、
それは時代の要請でもあっただろう。

晩年はデトモルトの教授となり、
1966年に亡くなったと書かれている。
が、彼が、ナチスに協力的であったかどうかは分からない。
ナチ狂のナイと楽団を組んでいたのである。

幸松氏の解説のこの部分だけは、
理解不能な一節である。
「裁判の日、彼はストラディバリで演奏して、
身の潔白を証明するしかなかった。」

さて、このシュトループ、
BERTELSMANNというレーベルで、
シューベルトの「ます」を、
もう一種、聞くことが出来る。
これは戦後の演奏とされる。

ヴィオラはワルター・ミュラー、
チェロはイレーネ・ギューデル、
とあるから、
戦時中、「死と乙女」を録音した、
フーブル、ヒルシフェルダー、
ミュンヒ=ホランドといった仲間は、
ばらばらになったと見える。
コントラバスは、ロルフ・ハイスターとある。

また、ピアノは、エリー・ナイではなく、
コンラート・ハンゼンが受け持っている。
この人は、フルトヴェングラーとの共演で名高いが、
非常にロマンティックな気質の人と聞く。

1906年生まれなので、
同世代のシュトループは気楽だったのではなかろうか。

そんなこともあってか、この「ます」の演奏は、
ナイとの共演とは打って変わって、
ある意味、余韻を大切にしたような、
自然な演奏となっている。

が、シュトループのヴァイオリンは、
あくまで、きちっとして、相変わらず色気のあるものではない。
テンポも厳正で格調高く感じさせる。
ただし、息づかいは幾分、リラックスしている。
これは、神官、ナイの不在もあるだろうが、
もちろん、戦争終結後の空気も伝えているものであろう。

しかし、決してダルな演奏になったわけではなく、
ナイ盤で、7分33秒かけていた変奏曲楽章も、7分20秒。

ハンゼンのピアノは大変、ニュアンスに富んだもので、
非常に繊細な色遣いを見せる。
ただし、弦楽群は幾分、弱いだろうか。

録音もあってか、特に、コントラバスは伴奏に徹しているようだ。
チェロは、有名な変奏曲では、感情豊かな歌を歌っており、
ヴィオラも時折、独特の音色を響かせているが、
心なしか浮き立ったようなシュトループの音色が印象に残る。

解説はドイツ語のみだが、
22歳のシューベルトが、
歌手のフォーグルに連れられて、
シュタイヤーの街で
幸福なひとときを過ごした、ということから、
定石通りに書き始められているようだ。
歌曲「ます」のメロディが出てくることも。

b0083728_23302389.jpgまた、
「ます」が書かれるきっかけとなった、
シュタイヤーの写真が出ている。
日本で言えば、
昔の熱海とか湯河原といった、
温泉やら観光地の
絵葉書を想起させる、
昭和期を感じさせる白黒写真で、
全然、自然豊かには見えないが、
由緒正しき気配は濃厚。

ジャケットは、黄色と黒だけの抽象的なもので、非常に斬新。
が、左上に、「2」と書いてあるのは何だろうか。
何かのシリーズ2枚目ということか。

b0083728_23255922.jpgこれが、小さめのLPなので、
ひょっとしたら、
コントラバスの聞こえないのは、
このせいではなかろうかと、
もう一枚、30cmのLPで、
同じ演奏を探してきた。
レーベルは「fono-ring」とある。
しかし、印象はそれほど変わらず。
が、盤に余裕がある分、
なんとなく、より伸びやかな印象。

先のレーベルと何が違うかは不明。
どっちが先に出たものかもヒントがない。

こちらは、裏面にシュタイヤーの写真はないが、
青地に丸枠で「ますの五重奏曲」とあり、
盤全体が、レトロ風味である。

この演奏、シュトループへの敬意を抜きにしても、
非常に魅力的。コントラバスの弱さがいかにも残念。


得られた事:「環境の変遷と演奏の変遷の関係は分析困難。」
by franz310 | 2008-08-09 23:37 | シューベルト

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その100

b0083728_2255818.jpg個人的経験:
前回取り上げた、ゲルネのCD、
さすがに、シュレーゲル特集だけあって、
この兄弟の、10ページ分の、
バイオグラフィーが載っている。
いくらなんでも、ここまでは、
読まないつもりだったのだが、
前回書いたように、
アウグストとフリードリヒの兄弟についても、
私は混乱していたので、すこし脱線して、
この部分も読んでみることにする。
弟は、シューマンの「幻想曲」の、
モットーとなった詩句を書いた人でもあり、
シューベルトへの影響も重要に思えて来た。

そもそも、私は重大なあることに気付いたのである。
これらフリードリヒの作品のドイッチュ番号と、
ピアノ五重奏曲「ます」のドイッチュ番号の関係。

ピアノ五重奏曲の方を見ると、D667で、
シュレーゲルの「夕映え歌曲集」の最初が「蝶々」のD633、
最後が「夕映え」のD690なのである。
(633+690)/2≒667ではないか。
これは、このまま通り過ぎるわけにはいくまい。

さてさて、その長大なバイオグラフィーはこんな感じで始まる。

「シューベルトとシュレーゲル兄弟、ロマン主義の夜明け」
この題名だけでも、期待が高まる。
いけいけ、グレアム!

「『ロマン派詩歌は、いまや世界のものだ。
それは、他のシステムを抱合する最大の芸術分野から、
子供の唇から漏れ出た自然のままのため息やキスに至る、
すべて純粋なるものをその腕に抱きよせる。』
Athenaum-Fragment No.116(アウグスト及びフリードリヒ・シュレーゲル)

この兄弟は、文学史に、とりわけ19世紀のドイツにおいて、
しばしば大きな位置を占めた。
もちろん、ゴンクール兄弟はフランスの偉才だが、
ドイツの紙幣を飾るグリム兄弟ほどには、知られておらず、
ドイツは他にも多くの兄弟、
つまり、ストルベルク兄弟、フンボルト兄弟、マン兄弟、
そしてもちろん、アウグストとフリードリヒのシュレーゲル兄弟を輩出した。
彼らのキャリアの多くの部分は、お互いに依存して、
『聡明なゼウスの息子たち』と呼ばれた。

彼らは歌用の詩を書くわけではなかったが、
彼らの抒情詩は、シューベルトに霊感を与え、
多くの歌曲が生まれたので、これらを集めてCDを作ることが出来た。
今日、シュレーゲル兄弟が、ドイツ語圏の知的水準を向上させた、
という功績については、自国の人たちからも理解されておらず、
英語圏の聴衆にも、哲学的に興味の少ないシュレーゲルより、
むしろヘーゲルが有名だが、どちらも知らないのが一般であろう。」

という書き出しである。ここからは家族の話。
「シュレーゲル一家は、プロテスタントで伝統を重んじ、
質素ながらも教育熱心な家庭で、
ここで歌っているゲルネの故郷にも近い、
ザクセンのマイセンの出自である。
父、ヨハン・アドルフ・シュレーゲルは、
神学者、翻訳家、寓話作家、美学者として、
辞典に載せられるような業績を挙げた。
叔父のエリアスもまた、
レッシング以前の最も傑出した文学批評家の一人であった。
二人の才能ある女兄弟を含む七人の子供たちは、
兄弟の生涯において、ことあるごとに、重要な役割を演じ、
大仰なアイデアに対しては、冷や水をかけたし、
金銭的な援助もおこなっている。
年長のカール・アウグスト・シュレーゲル(1761-1789)は、
この一家に典型的な、不屈の精神を示し、ゲオルグ三世のハノーヴァ連隊に、
技師として仕え、インド内部の地図を作成してマドラスで死去した。
1800年の最初のアウグスト・シュレーゲルの詩句の最初の版では、
カール・アウグストのメモリーを含み、彼の死への悲しみを書き留めた。

彼らのキャリアの最初の時期、アウグストとフリードリヒの生涯は二人三脚である。
その家系の知的な特色からして、
彼らが共にこの一家の名声がどうなっていくかを、
いつも考えていたということは驚くに値しない。
フリードリヒは兄を『父、友、教師』と考え、彼らは互いに、
あからさまなシュレーゲル家的なエリート主義で称えている。
彼らは次のように書いている。
『戦友に道を教えるために、
そして、秘密の入り口を見つけるために、
二人の戦士が、夜中に密かに峡谷に登る』。
アウグストは、1802年にフリードリヒに書いている。
『君は君の終着点を求める。
そしてすべての冒険は君自身の探究心のため。』
この詩は次のように続く。
『そして、私たち二人が手にする。
もう一人のために蓄えることは、
我々の喜ばしい使命。
このように互いを高める。
たとえ、離れていても。』」

ここからが、兄、アウグストに関する話が始まる。
分量からして、今回は、弟、フリードリヒまでは触れられそうもない。

「アウグスト(1767-1845)は、
フリードリヒより5歳年長で、
最初は二人の中では、より才能があるように見え、
実際、ある程度はそうであった。
彼はゲッティンゲン大学に学び、そこで師事した、
ビュルゲルに『アポロの息子』と呼ばれさえした。
教授と生徒は、ダンテやシェークスピアの『真夏の夜の夢』の翻訳に従事、
これがアウグストの、後のキャリアにおける最大到達点の雛形となった。
個人家庭教師としてのアムステルダムでの4年
(ここでフリードリヒは、『あなたは沢山書き、私は沢山読んで、
我々の使命を全うした』と書き送った)を経て、
彼は1795年、イエナに移った。
ここで、彼は弟と一緒に、『アテネウム』という雑誌を創刊したが、
これは、新しいロマン派の最も重要な機関紙となった。
彼は歯に絹着せぬ、カロリーネ・ベーマーと結婚したが、
彼女はすさまじい批評家で、その容赦なさは、
この兄弟のシラーに対する低い評価(その代わりのゲーテ崇拝)に関しての、
微妙な状態をさらに悪化させた。
アウグストはシラーの『ホーラとミューズの年鑑』に寄稿したが、
偉大な詩人は、いみじくも、カロリーネを『悪魔貴婦人』と呼んだ。
1803年、彼女は、シュレーゲルのもとを去って、
哲学者のシェリングのもとに走った。
1798年、イエナで哲学博士となり、1801年には、
ベルリンで読書会のシリーズを行ったが、
これは、彼を、ヨーロッパ中でも重要な文学史学者に位置づけた。」
この解説、年代がやたらと前後するのが難点。

「1803年、ワイマールにおいて、
彼の古典的な劇『イオン』(エウリピデスによる)が作られたが、
これはあまり成功しなかった。
この時期、この兄弟に、そして創成期のロマン派にとって重要だったのは、
これから後で述べる、フリードリヒの活動であろう。
イエナ以降、彼らの道は分岐する。
アウグストはスタール夫人のもとで14年間を過ごし、
彼女の旅行がちな日々、それに随行したり、
ジェノバにおける彼女の地所、コペットにあったりした。
彼らが愛人関係にあったとは思えず
(彼女は当時、ベンジャミン・コンスタンと不倫の関係にあった)、
むしろ、ドイツにおけるスタール夫人のカウンセラーであり、
家庭教師であったと思われる。
彼は彼女の子供たちの教育担当者であり、彼女のみごとな、
『ドイツ論』(1813)のアイデアの源であった。
これは、彼に相応しい日々であった。
世紀の知性(スタール夫人のサロンでの止まることなき会話)との、
高いレベルの夕べの会話、
読書と勉強のための豊富な時間
(『私は何日もずっと、ラテン語の語源学に没頭できるのだ』
と1805年に彼は書いている)、
素晴らしい偉大な人物との交わりは、
ヨーロッパの中心で何が起こっているかを知ることが出来た。
1808年、彼はヴィーンにおいて、
そこでの弟の成功を予告するような、重要な講義シリーズを行った。
そして、1812年、スウェーデン王、ベルナドッテの随行員として、
彼はペテルスブルグとモスクワへのドラマティックな旅行した。」
私も、こうした生活をしたいものだ。

「1797年から1810年の間に、アウグスト・シュレーゲルは、
最も重要な業績を残した。
それは17のシェークスピア劇の翻訳である。
兄の翻訳の『ロメオとジュリエット』を友人に贈った時、
フリードリヒは、誇らしげに
『もし、僕が有名な批評家ケルナーだったら、『ゲーテすらなしえなかった』、
と言うだろう。しかし、僕は、フリードリヒ・シュレーゲルとして、
こう言おう。『友よ、これは詩歌以上のものだ』と。』
これらの翻訳は、19世紀のドイツ文学の最大の収穫の一つであろう。
英語の劇に含まれる、いくつかの最も複雑なパッセージも、
無理なく優美に優しく、かつ信じられないほど正確に移し変えられている。
ノヴァーリスは彼の初期の努力の成果について、
『私は英語版よりドイツ語版のシェークスピアの方が良いと確信した』
と書いている。
アウグストはこの分野における彼自身の重要さについて気づいており、
おそらく、これらは、シェークスピアの翻訳において、
むしろ下記のように、低く評価されている、
レッシング、ヴィーラント、ビュルガーの訳が、
彼の業績の強固な礎となっている。
『シェークスピアやダンテの精神を捉え、
ドイツ語翻訳に敢然と挑んで、優れた規範となった最初の人は、
後世の者らがいかに評価するかを、時が教えよう。
しかし、彼らはその名前を知っている。
アウグスト・ウィルヘルム・シュレーゲルと。』
残念ながら、いくつかの悲劇、
『マクベス』や『リア王』は、
素晴らしい『ハムレット』があるにもかかわらず、
シュレーゲル版がない。
彼の仕事は、ルートヴィヒ・ティークの娘、
ドロテアと、その夫、グラーフ・ヴォルフ・バウディッシンによって完成された。」

ここまでのアウグストは、世間を超絶した学者のようにも見えるが、
どうも、この兄弟、下記のような運命をたどる宿命にあるようだ。
「スタール夫人の死後、アウグストは、新しく創設された、
ボン大学の東洋文学の教授に就任し、
使用人をはべらせて、最もエレガントな流行に身を包んで、
講義をすることで有名になった。
1815年、貴族に列せられると、そして、『von』が名前に加わると、
この儀礼を無視した手紙については、開けることすら拒むようになった。
この外見や言動のうぬぼれは、ハイネのからかいの的となる。
このいささか馬鹿げた自己陶酔が(これは、この家族の特徴と思われる)、
すべての時代、国の言葉と文学における、彼の重要な貢献を、
ぼやかすことがあってはならない。
彼のスペイン、イタリア語の翻訳は、シェークスピアと同様に人口に膾炙し、
サンスクリットやその他東洋に対する熱愛は、彼の後半生に新しい地平を開いた。
歴史的、国際的な文脈において、広い領域で、彼は第一人者の一人であった。
このような立場ゆえ、例えば、ピューリタンで、
また、反ロマン派風であったミルトンなどは、彼は過小評価したが、
反対に、エウリピデスやラシーヌのような作家は、
比較文学において新しい評価をされることとなった。
彼自身の創作によって、詩人としてのアウグスト・シュレーゲルが、
今日、当時ほどの評価を得ることはありえない。
彼の文学の意味と作法に対する深い理解は、
自然なオリジナルな詩作の才能とは相容れなかったようだ。
しかし、彼の理論家、弁明者としての詩作は、
多分に知的な雰囲気に満ち、そこでシューベルトの才能が花咲いた。
彼の詩の持つ、新しい文学の香りと個人の自由が、
シューベルトを作曲に専念させたのも必然のことと思える。」
シューベルトの音楽の解説として重要なのは、この部分であろう。
シュレーゲルは、知的でナウいというところ。

「このように、9年以上にわたり、シューベルトの作品に、
彼の詩は、折に触れ現れる。」
D395が一番初期で、後述のD856が最後の模様。
フリードリヒの作品のように、600番に集中しているわけではない。
600番台では、D628、629、630の3曲のみ。
「ペトラルカのソネット」である。

「アウグスト・フォン・シュレーゲルの詩や翻訳に基づく作品十曲のうち、
7つがこのディスクに収められている。
ここにはない、『まちがった時』D409と、
『とらわれの歌びと』D712は後に収録予定。
シュレーゲル兄弟の詩による最後は、
アウグストの『去って行った人への夕べの歌』D856で、これは6巻に収めている。
何故、シューベルトが1825年になって、フリードリヒの作品に戻り、
また、少ししてアウグストの2つの詩
(その一つは、ここにある『再会』D855)を手がけたかは、
少し謎めいている。
恐らく、作曲家は、この兄弟の関係が終わった後も、
この二人を結びつけて考えていたものであろう。」
以上が、シュレーゲル(兄)、つまり、アウグストに関する解説である。
いや、アウグスト・ウィルヘルム・フォン・シュレーゲル閣下の略歴である。

シューベルトが作曲したものの中では、
リストがピアノ独奏曲に編曲した、
「涙の賛美」D711が最もメロディも美しく有名であろう。
このCDでも、最初に収められている。

これは、以下のような詩である。
どんなに陽気な騒ぎも心を満たすことはないが、
涙はそうではないという、
どうも信じがたい観念的な詩のせいか、
あまり春や青春の輝きはない。
夢見るような蜃気楼のような音楽。

「暖かい風、香る花、
すべての喜びは春と青春にあり、
新鮮な唇からのキス、優しい胸にもたれながら。
そして、ぶどうから、霊酒を盗む。
踊りとゲームと戯れと、すべて五感が感じ取れるもの、
ああ、それが心を満たすだろうか。

だが、涙に濡れた瞳が、
悲しみの優しい露で光るとき、
そこに映るものを見ると、
ひと目で天国の野原が現れる。
どんなに心が洗われ、どんなに早く、
荒々しい感情を鎮めてくれることか。
雨によって、花が蘇るように、
私の弱々しい心も生き返るのだ。」

シューベルトが最後に作曲したという、「再会」は、
これまた、象徴的で、春の太陽に従って、
どっかに行ってしまう男の歌。
誰だかに、愛の挨拶を送るが、それが何なのかはよくわからない。
ジョンソンは、シューベルトの知られざる歌曲の中で、
もっとも魅惑的なもの、と書いているが、メロディも非常に美しい。

もう一曲の「去っていった人への夕べの歌」は、
8分を超える長大な作品で、これまた、不思議きわまる内容。
去って行った人はさっぱり登場せず、
抹香臭いお説教を、自分に垂れている内容。
「心が自分のために創り出すものは、
どんな運命も奪い取れない」と、心に期待をかけるべし、
と歌われるが、これで、去って行った人を忘れようとしているのだろうか。

アウグスト・シュレーゲルは、妻に逃げられたようだが、
それと関係があるのかないのか。
シューベルトは、控えめな伴奏の、瞑想的な音楽を付けている。
時折、ピアノが変則的な装飾で舞い上がるのが、
いかにもあたりを包む月明かりを思わせる。
このシューベルト歌曲全集でこれを歌う
アンソニー・ロルフ・ジョンソンは、
とても甘味な歌声で、ジャケットのイメージとはかなり違う。

さて、「ます」の五重奏曲と同じD番号600番台の、
ペトラルカのソネット3曲は、アウグストの翻訳家としての、
重要な一面を伝える音楽となったが、フィッシャー=ディースカウなどは、
「シューベルトの音楽によるその解釈の唯一の欠点は、
原語に作曲していないことである」と書いている。

しかし、14世紀イタリアの詩聖の詩歌に、作曲した作品は貴重で、
「音楽史において独自の地位を占めている」とF=ディースカウは続けている。
第一曲は、春の日差しを祈るような内容ながら、
ルネサンス期の作品らしく、詩句は大仰で、音楽もそれに合わせて、
時として大きく振りかぶり、ある時は素朴なピアノを鳴り響かせて、
音楽がそれに寄り添っている。
ゲルネは、ペトラルカの永遠の女性ラウラを慕うように、
愛情をこめて歌っている。
第二曲は、不安な焦燥感に溢れ、愛の苦しみに荒野を彷徨う歌、
第三曲は、一日何千回も死んでは生き返るという、神秘的な状況ながら、
裏切られた女のことを思うときには、強烈な怒りの表現が現れる。


得られた事:「シュレーゲル兄弟の兄、アウグストはむしろ学者であって、ドイツに各国の文学を普及させ、知的でナウい感じが、シューベルトをしびれさせた。」
by franz310 | 2007-12-08 22:10 | シューベルト

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その86

b0083728_19365740.jpg個人的経験:
シューベルトの歌曲を、
リストがピアノ独奏曲として、
編曲し、各地で演奏したことが、
それら歌曲の普及に繋がった。
しかし、
いろいろなCDを見てみると、
どうも、中途半端な印象がある。
リストが取り上げた歌曲、
特に歌曲集に関して言えば、
妙にばらばらではないだろうか。

F・ディースカウの書いた、
「シューベルトの歌曲をたどって」(原田茂生訳 白水社)を見ると、
リストが編曲したシューベルト歌曲54曲は、次のようなものになるようだ。

ハスリンガー社から:
1. セレナード
2. 涙の賛美
3. 郵便馬車
4. ばら

ディアベリ社から:
5. 私の挨拶を
6. 水の上で歌う
7. 君こそは憩い
8. 魔王
9. 海の静寂
10.若い尼僧
11.春の想い
12.糸を紡ぐグレートヒェン
13.セレナード(1との違いは不明)
14.憩いのない愛
15.さすらい人
16.アヴェ・マリア

以下、数社から
17.連祷
18.天国の光
19.星座
20.賛歌
21.別れ(Abschied D578)
22.乙女の嘆き
23.弔鐘

という風に、うまく、歌曲名曲集の体をなしている。

が、次からは、3大歌曲集のバラバラ事件が始まる。

以下、「美しい水車屋の娘」からのものには、(美)を、
「冬の旅」からのものには、(冬)を、
「白鳥の歌」からのものには、(白)を付し、
その中の本来の曲順を番号で示した。

24.(美18)枯れた花
25.(美7)いらだち
26.ます
27.(美1)さすらい
28.(美19)小川のほとりの水車屋
29.(美14)狩人
30.(美17)邪悪な色
31.(美2)どこへ

と、このように、まず、「水車屋の娘」の7曲がリストの手にかかる。
何故、「ます」が混入したのかは分からない。
いきなり、「枯れた花」で始まる理由も不思議といえば不思議。

この前、取り上げた、クズミンのCDでは、
ここから、「Die Schone Mullerin」と、
「Der Muller und der Bach」を取り上げていたが、
前者は妙な題名に置き換えられているが、
実態は、上記(美1)で、後者は(美19)である。

従って、どうせ、抜粋なのだから、
最初と最後だけ取り上げてやろうという
算段であろうか。

また、実は、「Der Muller und der Bach」も、タイトルには問題があって、
シューベルトの原作では、「水車職人と小川」であるのを、
リストがあえて題名を変えたのではないかと、F=ディースカウは推測している。

さて、今回のAntony Peeblesというイギリスのピアニストが、
イギリスのMeridian社から出したCDは、
いかにも、ロマンティックなジャケット写真が気になって購入したものだ。
ただし、絵の作者はどこにも書かれていない。

ここでは、

1. Das Wandern(美1)、2.Wohin?(美2)、3.Ungeduld(美7)、
4. Der Jager(美14)/Die bose Farbe(美17)、
5. Trockne Blumen(美18)、6.Der Muller und der Bach(美19)

と、リストが編曲したすべてを収録している。
(ただし、後半は、何故か、「白鳥の歌」の「抜粋」である。)
トラック4が2曲の混成体であるのも気になる。

改めて、表紙の絵を見直すと、荒涼たる廃墟の風景で、
緑の中で歌われる「水車屋の娘」のイメージからは遠い。
また、「白鳥の歌」になると、もう少し都会のテイストが出てきて、
この絵がそれに合っているとも思えない。

大筋、こんな雰囲気の時代にシューベルトは憧れていたのではないか、
と思わせるのみで、この絵を見ながら、
曲想に思いを馳せることは出来ないかもしれない。

さて、リスト編曲の「水車屋」の順番は、
全20曲中、1/3の7曲のみが、
順番も無残に入れ替えられていて、これでは、
小川に身を投げた若者が生き返って、
どこかへ行ってしまうような構成である。

さすがに、Peeblesは、これではいかんと考えたのか、
曲順はオリジナルに戻してある。
それでも、(美7)から(美14)までの、
肝心の「娘」が活躍?する所は、リストは興味がなかったことが分かる。

このCDの解説はどうだろうか。
「リストはシューベルトの56曲の歌曲をピアノ独奏曲に編曲したが、
そのほとんどは、1838-40年の、リスト20代後半に書かれている。
彼は、その時、『白鳥の歌』の14曲すべてを編曲したが、
このうち10曲はこのCDに収めており、残りの4曲は、
このシリーズのvolume1に収めてある。」

解説の冒頭から、別のも買えという指示も、めちゃくちゃであるが、
何故、14曲を10曲と4曲に分割したかと、声を大にして叫びたい。
リストがばらばらにして、レコード会社までがそれに加担する。

ちなみに、収録されなかった4曲は、(白1)、(白4)、(白5)、(白12)で、
「愛の使い」、「セレナーデ」、「すみか」、「海辺で」となり、
これが、何か意味を持っているとも思えない。

このCDでは、ここから、「美しい水車屋の娘」の解説になる。

「『美しい水車屋の娘』から7つの歌曲。
シューベルトは『美しい水車屋の娘』を1823年に作曲した。
20の歌曲が物語りの筋で、サイクルを構成している。
i)(歌曲no.1)若い粉引き職人が、希望に満ちて、
特に当てもなく、楽しいさすらいの旅へと出かける。」

どうやら、この解説は、リストとは無関係に、
ひたすら、歌われない詩の内容を説明する作戦らしい。
物語の代用で、音でシーンを想像せよという趣向と見た。

この曲でリストは、
次第に弧を描くような音形の追加で、若者の心の高まりを、
ぴちぴちとした装飾の追加で、
楽しい旅の弾む心を強調している。

前回のコズミンでは、これらをことさらに強調して、
しかも、やけに速いので、ほとんどふざけたピエロの巡業のようだったが、
今回のピーブスは、それよりは節度を持っている。
フレーズの終わりでは、小さくテンポを緩めて、粋な表情を見せたりもする。
ただし、これは、シューベルト的とは言えず、リストの様式であろう。

「ii)(歌曲no.2)このさすらいで、小川を見つけ、
歓迎のさざめきを聞き、どこであろうと、
それに沿って行くことを決める。」
ここでも、縦横に鍵盤を跳ね回る装飾が付加されているが、
もう、真珠だかパチンコ玉だかが、そこらじゅうに転がっている雰囲気。

「・・その小川は水車屋に導き、
そこに彼は滞在し、働き場所を見つける。
美しい水車屋の娘というタイトルにある、
愛らしいそこの娘と当然恋に落ちる。」

曲がないところは、こんな風に解説がストーリーを補足する。

「iii)(歌曲no.7)若者は、その情熱を激しく爆発させ、
『私の心は君のもの、いつまでも』と宣言したくなる。」
シューベルトの歌曲の伴奏そのものも輝かしいので、
歌手が歌う部分を付加したくらいで控えめに聞こえる。
リストの貢献は、上記、興奮をものすごい音の洪水で埋め尽くした点。

「・・しかし、娘は、冷たいままで、イケメンの狩人が現れると状況が一転し、
彼女は、そっちに夢中になってしまう。」
当然と言えば当然、ぺえぺえの新人が、
目の肥えたOLに相手にされないようなものだ。

「iv)(歌曲no.14)と、v)(歌曲no.17)。
リストはこの歌曲2曲をABA形式に融合させてしまった。
『狩人-嫌な色-狩人』といった風に。
『何故狩人は現れた。君のいるべき森へ帰れ。
猟犬も連れて行け、角笛も吹くな、狩人の着ている緑の服は、
嫌な色だ。彼女は、それに合わせて緑のリボンを付けている。』」

なるほど、7つの歌曲と言いながら、6つしかトラックがないのは、
こうした理由なのである。
リストの編曲は、二曲をうまくつなぎ合わせていて、
継ぎ目が分からないまでに改変している。

ここでは、ピアノの技巧よりも、この改作に力が入っている。
比較的、忠実だとされたトランスクリプションも、ここでは、
かなりのアレンジとなっていて、
「狩人の主題によるパラフレーズ」とでも言うべきか。

ここから、後半の「花」のような、第十八曲「枯れた花」になるが、
先の「パラフレーズ」の大騒ぎで、エネルギーはすっかり消耗し、
もう、若い粉引き職人の命運は、すでに決したと思われる。

「vi)(歌曲no.18)この絶望した若者の心は、
死への想いに満たされて、それが高じていく。
この歌曲は二つの部分からなり、短調の部分は、
彼女が前にくれた花は、すでに枯れてしまったが、
彼はそれをじっと見つめる。
彼は、それも一緒に墓に埋められることを願う。
もう一方の長調の部分では、彼は、春の花のように、
再び大地から芽生えることを願う。
彼女がそこに佇み、彼の愛の真実を思い出すように。
その時、花よ、咲き出るのだ。」

リストの編曲は、さすがに、ここでは、派手には出来ないといった感じ。
思えば、この曲を最初に手がけたのだが、初心では、極めて原曲に忠実、
あの「狩人」のような構想は、なかったのだろうか。

「vii)(歌曲no.19)全曲を通じて、若者の最も打ち解けた友で、
相談相手は小川であった。彼は小川に悲嘆の痛みを語り、
小川はそれに対して慰め、最後に小川は応える。
『小川よ、君の言うことはよく分かった。
その冷たい水の下に安らぐとしよう。」

実際に歌曲を聞いていても、この曲のあたりになると、
短絡的な若者への批判も忘れて、涙が出そうになるものだが、
リストは、ピアノの色調をデリケートに制御して、
この歌曲を大切に扱い、この情感を非常にうまく増幅している。
シューベルトの原曲では、若者の独白部のピアノは、
単に和音を連ねたようなシンプルなもの。
小川が応える時に、それが、水の流れのようなせせらぎの音を響かせる。

リストの編曲でも、当初は、原曲と同様にシンプルだが、
次第に、一息ごとに、ぽろぽろと合いの手のようなピアノが鳴るようになる。
声のパートのフレーズもぴろぴろと装飾が施され、
虹の架け橋を描くように歌われて、川のせせらぎの煌きも輝きを増し、
まるで、全体が一面の星空のようになる。

この曲などでは、コズミンの激情系の演奏も、妙に心に残る。
弔いの鐘のように、克明に沈み込むような低音を鳴り響かせるが、
川のせせらぎは対照的に粒立ちよく明るい色が立ち上がる。
立ち上る装飾音の揺らめきもなまめかしく、
川のせせらぎにも妙な渦が見え隠れして、
いかにもそのまま飲み込まれてしまいそうだ。
が、終結部は少し、詰めが甘いか。

ピーブルスは、ここまで表現力豊かではないが、
誠実な音楽で、コズミンのようなどろどろはないかわりに、
押し殺したような沈痛な歌が聴ける。

この人は、解説によると、ウェストミンスターで学び、
ケンブリッジのトリニティカレッジに学んだとある。
ピアノの師はピーター・ケイティンで、
ルフェビエールにも学んだとある。
BBCのピアノコンクールで優勝し、
翌年ドビュッシーコンクールで優勝したとあるので、
1964年生まれのコズミンより一世代上であろう。

中国、台湾、エル・サルバドルを含む121の都市で演奏し、
ロンドン・フィル、ロイヤル・フィル、バーミンガムなど、
沢山のオーケストラと競演したとあるから、
英国のエリートという感じか。
このリスト編曲のシューベルトのシリーズ1は、
各雑誌で賞賛され、“disc of pure magic”などと評されたらしい。

さて、このディスク、「水車屋」の次に、
「白鳥の歌」からの10曲が収められている。

これの解説は最初に、「水車屋の娘」や、「冬の旅」と違って、
「白鳥の歌」は歌曲集ながら歌物語ではなく、
シューベルトの死の2,3ヶ月前に書かれた歌曲を集めたものである、
というみんなが知っている話が出ているのみ。

何故、10曲しか収めなかったかが気になるが、
ざっと見たが、それには触れられていない。
各曲(原曲)の解説があるだけで、
原曲と違う曲の順番に関しても、何も解説されていない。

ここで、例のディースカウの本によると、
この「白鳥の歌」の編曲は、以下のような構成だったらしい。
一応、リストは全14曲を、まとめて取り上げている。

今回、Peeblesが取り上げたのには、※印を付けてみた。
その後の数字は、彼が演奏した順番である。
()内は、「白鳥の歌」本来の曲順である。

32.(白11)都会※1
33.(白10)猟師の娘※2
34.(白5)すみか
35.(白12)海辺にて
36.(白7)別れ※4
37.(白6)遠い地にて※3
38.(白4)セレナード
39.(白9)彼女の肖像※5
40.(白3)春の憧れ※6
41.(白1)愛の使い
42.(白8)アトラス※7
43.(白13)影法師※8
44.(白14)鳩の便り※9
45.(白2)戦士の予感※10

こう見ると、「別れ」と「遠い地にて」だけが、逆になっているが、
そのほかは概ね、リストの順番に沿っていて、原曲の順番は、
先の「水車屋」とは違って、あまり考慮されていない。

リストによる、歌曲「ます」の編曲は、
何故か、「水車屋の娘」に混じって行われたようだが、
このCDは、残念ながらこの歌曲の編曲は収めていない。

さて、ここで、例のF=ディースカウの本に戻ると、
三大歌曲集のうち、残る最大作「冬の旅」24曲は、
リストによって、以下のように料理されていったようだ。

46.(冬1)おやすみ
おっ、原曲どおりでこれはなかなか期待できる滑り出し、と思いきや、
47.(冬23)幻日
と、いきなり終わり近くに飛ばされてしまう。
何を考えているんだ、リスト!

48.(冬22)勇気を
49.(冬13)郵便馬車
50.(冬4)氷結
51.(冬6)雪解けの水流
52.(冬5)菩提樹
53.(冬24)ライヤー回し

「冬の旅」も、心象風景の連なりのような作品ゆえ、
多少の順番変更はあっても耐えられるかもしれないが、
前半のオアシス「菩提樹」から、最後の「ライヤー回し」の、
閉ざされた雪の世界に、主人公の若者を突き落とすのは、
あんまりではあるまいか。

54.(冬19)幻
55.(冬21)宿屋
56.(冬18)嵐の朝
57.(冬17)村にて

ということで、これまた、わずか半数が編曲されるに留まった。
54曲というのに、ナンバーが57まであるのは、
上記3と49の郵便馬車のように、重なりがあるからであろうか。

b0083728_19363983.jpgこの12曲の「冬の旅」、
イギリスのピーブルスも
録音しているようだが、
未入手である。
私は、フランクフルトで、
1958年に生まれた
Thomus DuisのCDを
持っていた、というか、
持っているのに気づいた。
(Capriccioレーベル)

これも、なんだかお洒落な表紙デザインが気に入って、
ずっと前から持っているものである。
1986年、ルービンシュタインコンクールの覇者ということで、
ミュンヘンのARD国際コンクールでも優勝、
イスラエルやフランクフルトのオーケストラと競演している人らしい。

が、このCD、先の順番で曲が収められていて、
リストの意図を汲んだか、無批判に受け入れた形である。
「冬の旅」の原曲を聞きなれた人には、どうしても抵抗ある曲順である。

また、ここでは、この「冬の旅」の12曲の他、
「ます」の編曲も収められている。
「魔王」、「海の静寂」、「セレナード(シェークスピア)」、
「アヴェ・マリア」、「セレナード」、「ます」といった、
いかにも名歌曲6曲に続き、後半が「冬の旅」である。
何故、これらが選ばれたかはよく分からない。
1995年に「冬の旅」、その他は翌年の録音なので、
最初からこのようなプログラムを想定していたのではないのかもしれない。

このピアニストは、歯切れの良い、
明確さを第一にしたような演奏をする人であるが、
こうした曲から、あえて、「冬の旅」をメインにすえるとすれば、
かなり、渋い嗜好の演奏家のような気もする。

謎が気になって、解説を見てみた。
1ページ半で短いが、難しい英語である。
「1854年、リストがシューベルトのオペラ
『アルフォンソとエストレッラ』をワイマールで初演した際、
彼が改訂したピアノ・ソナタを弾くピアニストは、
驚くべき財宝が、シューベルトのピアノ曲から掘り出されたのを、
驚くに違いないと語ったという。
しかし、むしろリストはシューベルトの歌曲のトランスクリプションで、
真の伝道者になったのである。
今日でも、ヴィーン市の図書館では、150以上もの別々の編曲が見られ、
『魔王』に至っては、14の異なったヴァージョンが同時に市場に出回った。
Ernst Hilmarは、これらをエッセイで列挙している。
『アヴェ・マリア』は10のヴァージョンがあり、
演奏上のテクニックに応じており、この編曲は大成功を収めた。」

話がどんどんややこしくなる。演奏家ごとに、どれを使っているかを、
考察する楽しみがあるということか。

「ベルリオーズの『幻想交響曲』の1839年のピアノ編曲は、
この友人の革命的傑作を援護し、シューベルトの歌曲の編曲でも、
リストは当時知られていなかった傑作に再検討の場を与えたかった。
一例を挙げると、『冬の旅』などは、1828年に出版されていた。
オーストリアのフォーグルや、パリのグランドオペラのテナー、
L・A・Nourritなどが、シューベルトの解釈で貢献したが、
評価を普及させるには至っていなかった。」
フォーグルはシューベルトの友人である。
ノリットは、ディースカウの本にも出ていないが、
珍しく、パリでシューベルトを歌っていたのだろうか。

「リストは1838年、これらのトランスクリプションを持って、
公衆の前に初登場した。
すぐに、それらは多くのコンサートの不可欠な要素となった。
1840年三月、ライプチヒで『魔王』を演奏したとき、
聴衆は椅子の上に立ち、いままで聞いたこともない音が、
ピアノでどうやって鳴らされているかを目撃しようとした。
リストの手によって、ベートーヴェン、ウェーバー、シューマン、
メンデルスゾーン、ショパン、ロッシーニの歌が編曲され、
多かれ少なかれ、効果的な演奏会用小品に改作された。
しかし、第一にシューベルトの伝道師となるべく、
50以上の歌曲編曲を行ったのである。」

「同時代者は、鍵盤で歌うリストの芸術を賛美し、
一方で、視覚的な効果も賞賛した。
この恐るべき鍵盤の魔術師は、
歌曲のテキストを意識させずに聴衆に知らしめ、
いうなれば、彼の楽器によって、表現の組み立てを拡大したのである。
まず、歌曲の歌のパートは左手で出る。
最初の一節が、バリトンで歌われだす形である。
したがって、自然とピアニストは、その技量に加え、
その中で、これまではあまり主張されてこなかったが、
オリジナルへの忠実さをも評価されることになる。
装飾や小さなカデンツァのために休止が現れ、
有節歌曲では、特に、可能性の限界に向かって、
過激な力配分でクレッシェンドが繰り出される。」

難しい割には、得るものの少ない解説である。
このCDの収録曲に関しては、申し訳程度に、以下のように触れられている。
「図らずも、自作の演奏よりも、編曲物によって、
名声を得たともいえるリストは、特に三大歌曲集から素材を得た。
華麗なオクターブのヴィブラートを有する『魔王』は、
彼の重要なレパートリーとなり、何度も何度も演奏を乞われた。」

この調子で、解説者(Hans Christoph Worbs)は、
ざっと、各曲に触れるだけで、私が知りたいことには応えてくれないようだ。

「『ます』は二つのバージョンが同時に作曲され、
すでに原曲でも、マンドリンの効果が取り入れられた、
レルシュタープによる『セレナード』、
シェークスピアからの『セレナード』、
スコットの韻文に作曲された『アヴェ・マリア』
(最初、歌はテノールの音域で歌われ、
あとで、両手に分けられて歌われる)は、
リストのトランスクリプションの中でも、
第一に選ばれるものである。」

「ます」に2バージョンあることが分かったが、
ここで録音されているのが、そのうちのどういったものか、
是非、教えて欲しかった。

ボレットのような老獪さはなく、実直な演奏であるが、
「ます」に関しては、もう少し華を添えてもよかったかもしれない。
慎重な演奏で、あまり、澄んだ水の中を跳ね回っているような感じではない。
ボレットの演奏も跳ね回っているとは言えないテンポであるが、
なんだか水中にいるような不思議な浮遊感があった。

が、「冬の旅」では、ドゥイスの地に足がついた表現が、
若者の足取りに真実味を与えているかもしれない。

得られたこと:「リストによるシューベルトの歌曲のトランスクリプションは、時に、二つの曲を合体させるような荒業を見せる。」
「シューベルトの『ます』を編曲した時、リストは、『水車屋の娘』を編曲中であった。」
by franz310 | 2007-09-01 19:49 | シューベルト

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その84

b0083728_20221768.jpg個人的経験:
ロマン派の
ピアノの巨匠、
フランツ・リストは、
同じファーストネームの
先輩、シューベルトの
歌曲をピアノ独奏曲に、
また、ピアノ独奏曲は、
ピアノ協奏曲風にと、
様々な工夫を行って、
その紹介に貢献した。

今回のCDは、その延長で取り上げて見たが、
非常に紛らわしい内容表記と収録曲で、
多少、悩ましいものである。

まず、内容表記であるが、
題名には、SHUBERT/LISZT Melodiesとある。
Leonid KUZMIN, piano
とあり、クズミン?という人がピアノを弾いているようだ。

Melodies(transcription pour piano de Liszt)とあって、
1. Die Schone Mullerin
2. Der Muller und der Bach
・ ・と続き、
7.Auf dem Wasser zu singen
とあるので、歌曲集「水車屋の娘」からの歌曲の編曲から始まり、
前回、ボレットのピアノで弾かれていた「水の上で歌える」も、
取り上げられていて、前回取り上げたものとも、
演奏比較も出来ることが分かる。

しかし、最後に、
10.Fantaisie Opus 103 D940
とあるのは、いかがなものか。
これは、前々回、管弦楽化されたものを紹介した、
「4手ピアノのための幻想曲」であるが、
通し番号で、10と書かれると、
リスト編曲のものだと、誤解するではないか。

これまで、いろいろ調べてみたが、
この曲をリストが編曲したという話はない。
確かに、(version pour deux mains-L.Kuzmin)とあるので、
このCDのピアニスト、クズミンが2手のため、
つまりピアノ独奏用に編曲したもののようだが、
さっきは、transcription pour piano de Lisztとあり、
今回はversion pourとあるから、リストの編曲があって、
さらにクズミンがそれを下敷きに別バージョンを作ったとも読める。

が、おそらく、リストの曲集で人集めをして、
最後に、ピアニストが自分の才能誇示のために、
この編曲版を添付したものと思われる。

CDの解説を読むと、1964年生まれ、ベラルーシ出身の人だという。
またまた、ボレットよろしく、こんな紹介である。
「19世紀のヴィルトゥオーゾの伝統を受け継いで、
流星のように登場した。」

こうした肩書きは、ベルマン、ニエルハージ、ボレットで、散々聞かされ、
いずれも、リストを弾いて消えていった方々である。
今回は、かなり若い世代であるのが違うが。
20世紀も後半に生まれた人が19世紀の伝統を受け継ぐ、
というのも無茶な話ではなかろうか。

まあ、旧共産圏から出てきたら、何でもありという気もするが。
ニエルハージは、貧民窟かなにかに隠れていたという、
すごい紹介のされ方だったので、大抵のことなら、
多くのファンは驚かなくなってしまい、本当にそうかという、
詮索すら面倒になってしまった。

選曲は確かに、19世紀風かもしれないが、
ボレットと比べると、線もシャープで、細く、
そのせいか、「水の上で歌える」の終曲部など、
何だか渓流くだりのような感じになっている。

このCDの解説によると、
クズミンはまだヨーロッパでは有名ではないとある。
が、以下の経歴を見ると、何故、有名でないのか不思議なくらいである。

1984年のアメリカの国際コンクールでファースト・プライズを受賞、
ニューヨークでは、first-class Pianistと呼ばれ、
1989年には、ニコライ・マガロフの指導を受け、
1991年には、ブタペストのフランツ・リスト・コンクールで優勝した。

それよりも、
もともと四手のために書かれたピアノ曲を、
管弦楽のために編曲したもの(モットル編曲)を聞いた後で、
それをピアノ独奏曲(クズミン編曲)にすると、どうなるか、
非常に興味深いところである。

このCD、非常にお洒落な表紙が印象的である。
EUTERPというレーベルで、並んでACCORDの文字もあるので、
このフランスの名門の関係であろう。
ACCORDは、どちらかといえば、渋くて重厚なデザインであったが、
それのライト版と捉えればいいのだろうか。

しかし、その前に解説を見ていて、それだけで、
実は、かなりびっくりした。
この解説は面白い。

前回、紹介したフィッシャー=ディースカウの言葉に代表されるように、
近年は、シューベルトの音楽の誠実な紹介者としてのリスト像が、
確立しつつあるというのに、こんな具合なのである。

「Schubert/Liszt per Leonid Kuzmin」
と題されている。著者は、Rene Koeringという人。

「おおよそ56曲ものシューベルトの歌曲を、
ピアノ独奏曲に編曲したフランツ・リストの目的は、
少なくとも三重の目的があった。
何よりもまず、リストがヴィーンに1838年に来たとき、
まだまだ無名であったシューベルトの紹介に尽力したこと。」

ここまでは、先回の紹介と同じであるが、
さらに二つ以上の下心?(goal)があったとは、
どういうことであろうか。

「第二に、彼は前代未聞の奇抜さで、
難技巧をひけらかしたということで、
同じ職業の仲間たちを激怒させた。
一例として、異常な『魔王』では、
弁解ができないほどの厚かましさで、
勝手で自由な編曲を見せ、
モシュレスやカルクブレンナーなど、
同時代の巨匠たちを大いに挑発した。
小指を五重に反復させる八分音符を付加し、
『これでどうか』と、異常な速さで弾ききった。
もう一つの派手な例としては、
シューベルトの原作でも十分に困難な、
伴奏パターンに、シューベルトの神聖なメロディを織り込むことで、
アルペッジョの塊の中で、交互に親指での歌を入れ、
驚異的な効果を出している。」

このような、曲芸の材料として、シューベルトが使われたというのが、
この解説者の説明であるが、さらなるリストの目的は、
いよいよ低次元の話、より現実的な話になっていく。

「三つ目の理由は金銭面である。
この小さな作業は、非常に効率的であった。そう、たいへん効率的だったのだ。
1828年10月、彼は実際、こう書いているのである。
『善良なる老ハスリンガー(出版社)は、私をシューベルトで攻め立てる。
私はいま、また24の新しい歌曲を送ったところだが、
今はすっかり、この仕事で疲れ果てている。』
そして、さらに、
『この七曲のシューベルトの歌を、彼にプレゼントする気はありません。
私は少なくとも300フランは受け取れるはずです。
間違いなく、この非常に注意深く編曲された曲集は、
成功を収めるでしょうし、よく売れるはずです。』」

このように、リストの下心を、一つずつ暴いていくのが、
このCDの解説の面白いところだが、それがどうした、
という感じがしないわけではない。
タイトルに、コズミンによるシューベルト/リストとあるが、
コズミンは全く出てこないからである。

その代わりに、リストのゴシップが次々と紹介されていく。
「一方、さらにもう一つの最後の理由、さらに親密な動機を、
加えることも出来るだろう。
これは、彼が手放したくない女性に対して、非常に有効な誘惑になったのだ。
私たちは、マリー・ダグーが好きだったのが、
『花の散った菩提樹』だったことを知っているが、
一つの恋愛ゲームとして、リストは彼女のクリスチャンネームにあやかって、
『アヴェ・マリア』を捧げ、この楽曲は、その破局後も、
二人の痛々しい関係のサインとなった。」
ここでは、収録曲である「アヴェ・マリア」が紹介されているが、
次のセンテンスでは、収録曲以外の紹介に及び、
この解説者が、本当に、このCDの解説を書きたいと思っているかが疑われる。

「同様に、『君こそが憩い』では、
リストはヴィットゲンシュタイン夫人に、
『シューベルトの歌曲を覚えていますか。
私は、あなたのためだけに、この曲を弾くことが出来るのです。』
フランシスコ派の神と、若い色男に感謝。」
フランシスコ派とは、アッシジの聖フランシスを祖とする宗派で、
貧困と謙遜を重んじた神秘主義的な傾向を特徴とする。
皮肉であろう。

ここでの、「君こそが憩い」も、このCDには収録されていない。
先に、不満点が二つあると書いたが、このように、
解説と内容の不一致を感じる商品となっている。

ちなみに、収録曲は、先にも少し触れたが、
歌曲集「美しい水車屋の娘」から2曲、
これと、三大歌曲集をなす、「冬の旅」と「白鳥の歌」から、
1曲ずつの2曲(「菩提樹」と、「鳩の使い」)、
これらが両端に置かれ、
「聞け、聞け、ひばり」、「魔王」、「アヴェ・マリア」、
「乙女の嘆き」、「水の上で歌える」といった、
有名な歌曲5曲が並んでいる。

その後に、例の幻想曲が来て、トータル56分程度。
何となく、曲数が少ないような気もするし、
内容に不統一を感じたりもする。

そもそもこのシリーズの主題であるピアノ五重奏曲「ます」の主題となった、
歌曲「ます」の編曲版が収められていないのが不満である。
この「ます」については、後述のように、
解説で触れられているのにもかかわらず。

リストは、それぞれ20曲、24曲の歌からなる、
「美しい水車屋の乙女」や、「冬の旅」から、
限られた曲しか編曲していないが、そこから、あえて、
さらに曲数を絞った理由などが知りたいが、その理由は書かれていない。

これらの中では、「水車職人と小川」は、なかなか泣かせる編曲であり、演奏。
「鳩の便り」も素晴らしい。
ここに収められた作品は、大筋、素直な編曲だが、
「菩提樹」や「アヴェ・マリア」などは、装飾過剰で、
装飾音の塊のような感じがしないでもない。

さて、解説に戻ると、ここからが、
この一文の中でも、特に重要な一節と思われる。
「これらのシューベルト歌曲のトランスクリプションに関して言えば、
リストの姿勢は明快であり、改作(アレンジ)ではなく、
写し代え(トランスクリプション)で、
1837年には冗談ではなく、彼はこうも書いている。
”『ます』について言えば、そのままでも十分おいしく、
新鮮で、品も良いとも、あなたは言うことが出来ましょう。
しかし、私はそれを、決してアレンジしたのではありません。
これはあくまで、私の責任において料理したのです。”」

幾度となく、アレンジとトランスクリプションの違いについて、
考えさせられて来たが、この一節は、その答ともなっている。
つまり、トランスクリプションは、楽器変更に伴う、
最小限の適応化処理みたいなニュアンスを感じる。

では、五重奏曲「ます」は、歌曲「ます」のアレンジなのか、
トランスクリプションなのか。その楽器の特性を生かしきったという意味では、
トランスクリプションだろうが、その変形の大きさでは、アレンジとも思える。
が、原曲の精神を残しているという意味では、アレンジではないかもしれない。
是非とも、リストの言葉で、五重奏曲「ます」について、聴いてみたい。
「決してアレンジではなく、五重奏曲という形に相応しく料理したのです。」
とでも言うかもしれない。
そもそも、リストは、この五重奏曲を演奏したのだろうか。
また、同じ質問を、「さすらい人」に関してもしてみたい。

解説を見てみると、さらに「ます」について書いてある。
返す返すも、収録曲に含まれていないのが不思議である。

「この小さくかわいそうな創造物の主題に関して言えば、
マルセイユでのリサイタルの折、リストは、シューベルトの『ます』の
トランスクリプションを演奏することになっていた。
しかし、主催者は“Truite”と書くべきところを、
プログラムに“Trinite(三位一体)”と書いてしまった。
この印刷ミスによって、思慮深い聴衆は、
山の魚の気まぐれな身のこなしの中に、
聖家族の後光や神聖なる精霊の飛翔を聞き取ろうとした。
そこで、演奏の後、リストはその間違いに気づき、
シューベルトについてのスピーチを、シーザーに関するそれに変えた。」

この逸話は大変、面白いが、リストのいい加減さを読み取るべきか、
その時代のシューベルト紹介の中途半端さを読み取るべきか。
いずれにせよ、このCDを買った人は、「ます」を聞きたいのではないか。
だが、何度も書くが、ここに、それは含まれていない。

よく見ると、裏面には、Rene Koeringの名前は、
Direction artistiqueとあり、単なる解説者ではないようだ。
一体、どうしたことであろうか。
この立場であれば、せめてあと二曲を追加できなかったのか。
「君こそが憩い」と、「ます」を入れても、計60分ちょっとで済むだろう。

このCDの解説は、次のようにリストの成功の日々について語って、
かろうじて、収録されている「魔王」について触れてはいるが、
解説に出てくる多くの楽曲は演奏されず、
演奏されている楽曲の大部分は解説がないという、
まことにフラストレーションの溜まる状況なのだ。

「しかし、これらの輝かしいトランスクリプションのための、
一連の演奏会において、最大の、最も決定的な成功は、
傑作『魔王』で、聴衆の度肝を抜いて、
1841年のクリスマスに、ベルリンで始まった。
ロンドンでは、そこそこの成功しか収められなかったが、
皇室の前でのベルリンでは一つの勝利だった。
(彼が、10週ちょっとの間に、21のリサイタルを開き、
記憶の上では80の作品を演奏した、ということも考慮すべきであろう。)
前人未到の記録である。」

シューベルトの歌曲が、こうした勝利に寄与していたことは、
確かにあまり語られることはなかった。

リストが献身的にシューベルトを紹介したのは事実であろうが、
これが、自分にも益をもたらすものであったということが、
この解説者(それよりも芸術監督)の言いたいポイントなのかもしれない。

「当然、彼は身体を壊し、たくさんの女性ファンが、彼を甘やかせた。
ハイネが、『リストマニア』という言葉を使ったのもこの頃のことで、
伝染病のように、マニアはベルリンに現れ、
最も顕著な症状はヒステリーであった。」

ハイネは、シューベルトと同年代のはずで、
シューベルトは歌曲集「白鳥の歌」の半分を、
この見知らぬ詩人の詩で埋めたが、
ハイネは、自作の詩に作曲され、
さらにそれが改編されて演奏されるのを、
どう思って聴いたのだろうか。

「何人かの女性は、アクセサリーを作るために、
ピアノの弦を盗むのを目撃され、
他の女性は、巨匠の吸いかけのタバコを拾って、
官能的に胸の間に滑り込ませ、
また、彼のコーヒーカップの飲み残しを、
小瓶に集める人までが現れた。
結局、エルビスやビートルズのファンは、何も発明はしていない。
この狂人少女たちには、祖母たちがいたのである。」

このあたりの記述は、解説者の筆が乗りに乗っていることを伺わせる。

「シューベルトに対するリストの賞賛の証は、
ソナタや室内楽の演奏や出版にも見られ、
ヴァイマールにおける、愛すべきオペラ、
『アルフォンゾとエストレッラ』の指揮にも見ることが出来る。
しかし、この作曲家の、特に歌曲に対する愛情は、
彼の開いたリサイタルにおける、
これらの素晴らしいトランスクリプションの、
成功を伴っての紹介によって、高らかに宣言されている。」

ということで、クズミンが一番披露したかったと思われる、
「幻想曲」(ピアノ独奏版)については、一切、触れられていない。
残念なことだが、聴いてみて、私としても何を書いていいか分からない。
確かに二人で弾く曲を、よく一人で弾ききっているが、
アンサンブルならではの丁々発止の掛け合いの妙などを、
当然、ここからは聞き取ることは出来ず、
せっかくの愛の会話を、一人でつぶやいているような感じが、何だか虚しい。

得られた事:「リストは、シューベルトの最初の紹介者であったが、それは、彼自身にも有益な活動であった。」
その2、「解説記載の曲目と収録曲目の不一致には、限りない欲求不満を覚える。」
by franz310 | 2007-08-18 20:28 | シューベルト

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その55

b0083728_20583120.jpg個人的経験:
前回、
弦楽四重奏+ピアノによる
五重奏曲は、古典の時代には、
広く知られた名作が
あるわけではないから、
シューベルトの「ます」が、
ヴァイオリンを二つではなく、
コントラバスを含むのも、
当時としては、
別に特殊な編成ではなかったはず、
と書いたが、
ここに聴くCDなどは、
実にそのことをストレートに
売り文句にしているので、
ぶったまげてしまった。

つまり、演奏しているネポムーク五重奏団は、
まさに、「シューベルトだけが、
こんな編成で書いたのではないはずよ」、
と、フォルテピアノ、ヴァイオリン、ヴィオラ、
チェロ、ダブルベースの常設五重奏団にしてしまった、
と解説に書いてあるのである。

フンメルにもあるでしょ、とばかりに
そのミドルネームを頂戴して結成された
グループなのである。

メンバーたちの努力によって、
各国の図書館から、1800年から70年にかけての
約20の知られざるこの編成の五重奏を見つけ出したという。

しかも、演奏する曲目によって、
当時の楽器を使い分けるというのもすごい。
かるい当時のピアノのバス・レジスターと、
コントラバスのバランスが重要なのだという。

楽器のコレクターで修復家でもある人との協業で、
作品に向う態度の徹底ぶりには熱いものを感じる。
日本の女性ピアニストの呼びかけで、
オランダの仲間が集まったようだ。

このように、シューベルトの時代には、
「ます」と同じ編成によるピアノ五重奏曲が、
普通に書かれていたことが分かる。

これまで、どうして、シューベルトの編成がいっぷう変わっているかを、
研究してきた人は、このCDを見て、何と言うであろうか。

ジャケットの表の絵画は、1845年作の
「バルコニーのある部屋」というもので、
アドルフ・メンツェルの作品とある。
この時代を伝えるもので、休日の朝を思わせる雰囲気が好ましい。

さて、ここには、シューベルトより一回りほど年配の
フェルディナント・リースの作品74
(あのフンメルの作品と同じ!)と、
シューベルトより10歳ほど若いフランツ・リンマーの
作品13が収められている。
はたして、これらの作曲家や作品は、
どのように位置づけられるであろうか。

解説を見るのが楽しみだ。
幸いなことに、この解説は12ページにもわたる本格的なものだ。
今回は、まず、リースから。

「フェルディナント・リース
(1784 ボン - 1838 フランクフルト)
フェルディナント・リースは、ベートーヴェンが足跡を残し、
ロンベルクが手塩にかけたオーケストラを運営していた、
生まれ故郷ボンで、幼少時代を過ごした。
フランス革命軍が街に進軍した時、
多くの人は逃れ、オーケストラは解散した。

しかし、リースの一家は、選帝侯の要請で、
そこに残らなければならなかったが、
それは、フェルディナントやその兄弟の
音楽的な教育には有益であった。

フェルディナントは、最初の音楽のトレーニングを父親から受け、
その後、ベルンハルト・ロンベルクにチェロを学んだ。
彼は最初の作品を9歳の年に作曲した。」

恵まれたエリートという感じがするが、どんな家庭だったのだろう。

「リースはアンスベルクでオルガンとヴァイオリンを勉強し、
15歳でハイドンのオラトリオ「四季」やモーツァルトの「レクイエム」
のピアノ編曲を行って、これらはボンのジムロック社から出版された。

1801年にフェルディナント・リースはミュンヘンに出て、結局、
ベートーヴェンの下で勉強を続けるための、父からの推薦状を手に、
ヴィーンに向った。
ベートーヴェンはピアノの弟子として引き受け、
対位法の勉強にはアルブレヒツベルガーのところに行った。
リースはベートーヴェンに大きな影響を受け、残りの人生を、
ベートーヴェンを奉じて生きることとなる。
彼は作品1をベートーヴェンに捧げて、後には、その人となりと作品を
「ベートーヴェン小伝」という本にあらわした。
1805年からはリースはパリ、カッセル、ハンブルク、コペンハーゲンに滞在、
作曲家、ピアニストとして考えられる限りの成功を収めつつ働いた。」

そう、この人は、何といっても、ベートーヴェンの弟子として高名なのである。

「前の先生であるベルンハルト・ロンベルクとの協演で行った、
ロシアでのいくつかの演奏会の後、モスクワでもコンサートが企画された。
しかし、ナポレオンの戦闘と焼け落ちたロシア首都への侵入によって、
リースは計画を変え、ロンドンに足を伸ばした。
それは10年にわたるイギリス時代の始まりとなった。」

何がきっかけで、どう人生が変わるか、分かったものではない。

「リースはボンとゴーデスベルクに帰還し、オペラやその他の作品を物した。
それまでに、フェルディナント・リースは、ピアノの巨匠として、
また、作曲家として尊敬され、祝福されていた。
1831年と32年に、ロンドン、ダブリン、
そしてイタリアに演奏旅行を続け、イグナツ・フランツ・カステリは、
彼のヴィーンの評論誌に有名な巨匠による、
これらのコンサートについての報告を書いた。」

こうした演奏旅行で、名を馳せるのは、フンメルに似ている。
そのフンメルは、ロンドンで挫折を味わったというが、
リースはどうだったのであろうか。

「1834年、リースは低地ラインの音楽祭の責任者となり、
そこで指揮者としての大きな賞賛を得ると共に、
地方オーケストラや、アーヘンのジングアカデミーの
音楽監督の地位を与えられることとなった。

カステリは、このことについて、レポートしている。
『フェルディナント・リース氏はアーヘンに到着したが、
彼は最も価値ある人物と見られ、またも、
今年の音楽祭のすべてを任せられることとなっている。』

1836年にリースは、第二の故郷と彼がみなす街、フランクフルトに戻った。
1837年には、再度、アーヘンで低地ライン音楽祭の音楽監督を引き受け、
そのためにオラトリオを作曲している。」

何だか旅芸人みたいな人生だったのが、
ここで、いきなり違ったものになっている。
オラトリオというのは、もう、すたれていたわけではなかったのか。

「そして、このスメットの詩によるこのオラトリオは大成功を収めた。
(数年後、この詩は、スピーアによって音楽がつけられたが、
彼は、ティミゾアラの聖堂の教会音楽監督としての
フランツ・リンマーの後任である。)
リースは、すぐに次のオラトリオを書き上げた。

フェルディナント・リースは、1838年の1月13日に44歳の生涯を、
フランクフルトで閉じた。」

確かに、こんな生活をしていたら、若死にしてしまいそうである。

「彼の、ピアニスト、作曲家としての、疲れることなき仕事ぶりにも関らず、
同時代のウェーバーやシュポアほどの人気を得ることは出来なかった。
リースのオリジナリティは、初期ロマン派の要素で、古典派から、
完全には離れていない点にある。
彼はヨーロッパの民謡のピアノ編曲に優れ、これらは広く賞賛されている。

彼の室内楽はピアノが主導するもので、
特に、ピアノ五重奏曲作品74ではそれが顕著である。
彼の同時代人にとっては、彼は新しい音楽記号を考案したことで知られる。
これはテンポを緩めることを表わすものを小節に長いラインを入れるもので、
伝えられるところによると、ピアノ協奏曲でこの記号を使用したようだ。」

これは、具体例を知らないので、よく分からない。

「ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、ダブルベースとピアノのための五重奏曲作品74は、
1817年にロンドンで出版されている。」

おお、これは、シューベルトの名作「ます」の、
わずか2年前の作品というわけだ。
シューベルトは、別に、新しい編成を編み出そうとしたのではなく、
当時、普通に行われていた合奏の形に準じただけのことであった。

「第一楽章は、ハンガリーの民族音楽のようなメロディに、
ピアノがレティタティーヴォを発するラメントで開始される。
彼は作曲家としてのキャリアで、幾度となくハンガリーのメロディに向った。
続くアレグロ・コン・ブリオでは、ピアノの華麗なパッセージが、次々と現れるが、
弦楽は、従属的な役割しか与えられていない。
この楽章は国際的な賞賛を勝ち取った
ピアノのヴィルトゥオーゾとしての才能を持つリースの姿が見える。」

曲の冒頭からして、当時の楽器によるふくよかな響きが味わい深い。
ドラマティックで暗く、深刻な序奏である。
第一主題も、叩きつけるように激しく悲愴味を帯び、素晴らしい。
ベートーヴェンの弟子らしく、壮大な気宇を感じさせるが、
フンメルの作品との同時代性ゆえであろうか、
絶え間なく鳴り響くピアノばかりが冗舌で、
弦楽はジャーンと盛り上げたり、たーらららーとピアノを導く序奏ばかり、
かなりおざなりな感じで、ピアノばかりが、
ここぞと技巧を見せ付ける瞬間があるのが惜しい。
シューベルトは、もっとどの楽器をも平等に扱っている。
第二主題も、呑気なものである。

「ラルゲットは、ピアノだけに伴奏されたチェロの独奏で始まる。
この主題をピアノが変奏していく。
いくつかのカデンツァのようなパッセージが音楽を中断し、
次第に第三楽章のロンドに導かれる。」

緩徐楽章における印象深いチェロの独奏、
ブラームスの協奏曲のようだが、
その後、またまた出てくるピアノの超絶技巧。
夜想曲風に、嫋々と悩ましい。
こうした人たちがいて、
やがて、ショパンやリストらが出てきたのである。
フンメルの作品に似て、
この楽章は、すぐに次の楽章に行ってしまう。

「きらびやかなピアノパートによるアレグロの後、
効果的に中世の雰囲気を伝えるような静かな間奏曲があり、
このメロディは、ピッツィカートによって弦楽器によって交互に奏され、
ピアノで奏される。
ロンドのオリジナルの主題への回帰は、
技巧的に困難なパッセージを経て、
とどろくようなフィナーレに突入する。」

中世的な雰囲気とは、よく言ったものだと、
聞いていて、顔がほころんでしまう。
確かに、静かなパヴァーヌのような趣きすらあり、
千変万化する楽想の多彩さは、シューベルトの比ではない。
むしろ、シューベルトは、本質のみを朴訥として歌い続け、
あのような高みに達したのであろう。

この終楽章、開始部の朗らかなテーマは、非常に愛くるしく、
ベートーヴェンの最高の作品にも比肩できるかもしれない。
弦楽がピッチカートで伴奏するのも、楽器の音自体もとても美しい。
そのあと、楽器ががちゃがちゃ言う、悲劇的な楽想が続くのが、
ちょっと惜しいくらいである。
それから、例の中世風の静かな部分が来て、また、愛くるしいのと、
騒がしいのが目まぐるしく交代して、変化にとんだ作品が終了する。

この曲は、フンメルの五重奏曲よりは、繰り返し聞きたい作品だ。

得られること:「シューベルトの作品の編成は、当時の楽器編成として、
ノーマルなものであったが、その精神はかなり独創的であった。」
by franz310 | 2007-01-27 21:01 | 音楽