人気ブログランキング |
excitemusic

クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
ICELANDia
カテゴリ
以前の記事
2019年 08月
2019年 06月
2019年 05月
2018年 05月
2018年 03月
2017年 10月
2017年 08月
2017年 05月
2017年 01月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 09月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
フォロー中のブログ
メモ帳
最新のトラックバック
http://venus..
from http://venuspo..
http://while..
from http://whileli..
http://while..
from http://whileli..
http://www.v..
from http://www.val..
バッハが人類に残したメッ..
from dezire_photo &..
ミュージカルかファンタジ..
from dezire_photo &..
バッハが『ロ短調ミサ曲』..
from dezire_photo &..
ルター派のプロテスタント..
from dezire_photo &..
ダンテの『神曲』 ”地獄..
from dezire_photo &..
バッハとヘンデルの音楽性..
from dezire_photo &..
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


<   2019年 08月 ( 1 )   > この月の画像一覧

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その450

b0083728_21212322.jpg個人的経験:

シューベルトの音楽を

再評価した先達、

T.W.アドルノは、

クルシェネクとの文通でも

日本では知られていて、

自らの作品についても、

熱く語っている。

しかし、哲学者アドルノの

音楽を収めたCDは多くない。

とにかく、完成作品が少なく、

作品の規模が小さいので、

それだけのアルバム作成は

難しいのだろう。




ただ、時折、他の作曲家の作品と、

抱き合わせで取り上げられることはあり、

同様に新ウィーン楽派に心酔した、

作曲家、アイスラーの作品と、

一緒に収められたCDが、

cpoレーベルにある。

表紙絵画は「ハムステッドの夕食」という、

ゲオルグ・アイスラー(作曲家の息子)のもので、

「ハムステッド」とはロンドンの高級住宅街らしい。

彼はナチスを逃れて、かの地に在って、

ココシュカに師事したとある。

ココシュカ風の線や色を感じるが、

ここにも、父親同様の社会批判があるかは分からない。

このCDで演奏しているのが、

ライプツィヒ四重奏団であるが、

現代曲で鳴らした団体ながら、

同時期に、かつ、違うレーベル(M+DG)に、

シューベルトの弦楽四重奏曲全集も

録音しているのが面白い。

ちなみに、彼らは、「ます」の五重奏曲も

このM+DGレーベルに1998年に録音している。

T.W.アドルノの本を読むと、

彼は、自分より五歳年上の

ハンス・アイスラーが作曲した

ブレヒト歌曲の作曲技法に、

批判的だった、

などという文章が見えるが、

このアイスラーのものと並べられて、

同じCD内に自作が収められると、

考えたことなどあっただろうか。

その文脈で聴くと、

極めて皮肉なカップリングのようだが、

解説を書いている人は、

大真面目に、

彼らを似た者同士として扱っている。

「ハンス・アイスラーとテオドール・W.アドルノ

弦楽四重奏曲集」

ハンス・アイスラーとテオドール・W.アドルノの弦楽四重奏曲は、

彼らが指示した芸術上の理想に対し、

ある種変わった角度からの立ち位置としている。

1938年に作曲された、

アイスラーのただ一つの弦楽四重奏曲と、

アドルノの中で最も成熟した弦楽四重奏作品、

作品2となる1925/26年の「二つの小品」は、

20世紀音楽の偉大な革新者、

アーノルト・シェーンベルクに明らかに負うていると共に、

彼ら自身の道を行ったものである。

彼らは1920年代初頭に創出された12音技法に則り、

これら二つの二楽章からなる弦楽四重奏曲は、

シェーンベルクの作曲美学上の中心にあった

変奏曲の形式をはっきりと利用している。

この二つの弦楽四重奏曲は、

互いにほとんどもう一方を補完するようなもので、

アドルノの場合、展開を行う第1楽章に、

変奏曲の楽章が続き、

アイスラーのものは変奏曲で始まって、

「終曲」と題された第2楽章が続く。

哲学者のテオドール・W.アドルノの包括的な

作曲作品が、ハインツ-クラウス・メッツガーと、

ライナー・リーンが推し進めた多大な努力によって、

公衆の前にスポットライトが当てられたのは、

ごく最近のことである。

アドルノが、若いころ、作曲家になろうと、

真剣に考えたのは明らかで、

1925年にはアルバン・ベルクに、

作曲の弟子にしてもらえないかを、

手紙で問い合わせている。

この手紙で、それまでの勉強の成果を、

以下のように書き連ねている。

『おそらく、あなたは私の事を覚えておられるでしょう。

1924年、フランクフルトでの音楽芸術家祭で、

シェルヘンにあなたに紹介してもらっており、

私はあなたと一緒にウィーンに行きたい、

という希望を述べました。

その計画は今や実行可能な状態で、

私を連れて行くことについて、

あなたがどうお考えかお教えください。

私が受けたこれまでの教育についての要約です。

私はフランクフルトで1903年に生まれ、

1921年にそこで中等教育を終えました。

1924年に認識論の研究で、

フランクフルト大学で哲学の博士号を受けています。

私は子供のころから音楽に関心がありました。

最初、ヴァイオリン、それからピアノを学びました。

同時に早くから最初の作曲を試みもしています。

和声学は独学で学び、1919年に歌曲と室内楽を学ぶべく、

ベルンハルト・ゼックレスの門を叩き、

以来、彼のもとで勉強しています。』」

アドルノが先の手紙を書いたのが1925年なので、

1919年から25年という数年間は、

ベルクの直接的指導前の時期ではあるが、

決して独学でやっていたわけではなく、

ゼックレスという先生の影響は受けて、

作曲も行っていたのであろう。

このCDは、アドルノの作品が

三曲も入っているので期待したのだが、

ほとんどその全てが

アドルノの二十歳前後の若書きなのだ。

ここに収められたアドルノの三つの作品の中、

1920年の「弦楽四重奏のための6つの習作」と、

翌年の「弦楽四重奏曲」は、

ベルクに師事する前、

ゼックレス門下にあった時代の作品だということだ。

「ベルクはこの将来あるアドルノを弟子として受け入れた。

アドルノはベルクに捧げる最初の作品、『変奏曲』を

極めて短時間で書き上げた。

第二次ウィーン楽派の見地からすれば、

芸術上の規律、豊富なものからの均衡、

集中という意味で、変奏曲ほど、

学習、評価に適しているものはなかった。

しかし、これはアドルノにとって

最初の弦楽四重奏の試みではなかった。

私たちは、彼は、このころすでに、

第二次ウィーン楽派の自由な無調の作品に

かなり没頭していたと考えるべきである。

何故かと言えば、性格的にも、簡素な語法的にも、

和声や音色の凝縮から言っても、

この変奏曲は明らかに

シェーンベルク楽派の要点を押さえているからである。

1920年に17歳のアドルノが作曲した

弦楽四重奏曲のための6つの習作は、

暗い光のきらめきに満ちている。

1921年にゼックレスに捧げられた

弦楽四重奏曲には、

ベルンハルト・ゼックレスによる導きが明かである。

その4つの楽章(Massig、Sehr langsam、Presto、Ruhig)

後期ロマン派の調性と和声の解放の境界を

思い切って大きな形で超えている。

この四重奏曲は、

芸術のイニシエーションを受けた若者の、

特筆すべき到達点とも見える。

『弦楽四重奏のために2つの小品 作品2』は、

何をベルクがアドルノに教授したかが、

強調されて開陳されている。

主題群は明らかに定式化され、

何よりも、モチーフ群の厳格な処理において、

大きな進展を見せている。

四重奏の音色はベルクの『抒情組曲』や

シェーンベルクの『弦楽四重奏曲第3番』で、

大きく宣言されていたものがヒントになっている。

言うなれば、皆が同じものをまさぐっており、、

アドルノの作品にも、

彼が少なくとも部分的に

セリー技法に抱いていた疑惑も

また明瞭に聞き取れる。

自由な処置の要素への

彼の擁護は明らかである。

また、反復構造を持つ

変奏曲を決定する

変奏主題の構造も、

規範を満たすと同時に、

変奏の一つとなっている。

ベルクは性格的な展開の形式の

包括的な設計に決定的な影響を及ぼしており、

シェーンベルクへの手紙でも、

この四重奏曲を大いに称賛している。

『ヴィーゼングルントの極めて難しい四重奏曲の演奏は、

コーリッシュ四重奏団の演奏会における

大きな爆弾でした。

メンバーたちは8日も研究し、

明解な答えを提示しました。』

私はヴィーゼングルントの作品は、

とても良いものと思いますし、

いつか、あなたがそれを聴くことを望むとすれば、

あなたも喜んでくれると思います。

いずれにせよ、全体の構成における、

その厳格さと簡潔さ、

そしてとりわけ妥協のない純度によって、

(他ならぬ)シェーンベルク楽派の作品と

言って良いものです』。」

ここでは、アイスラーの方が、

後に紹介され、実際、その作品も、

時代的には、アドルノより後のものである。

しかし、CDでは最初にこのアイスラーの作品が収められていて、

冒頭のチェロ、訴えかけるような不機嫌な音型から、

陰鬱なイメージが漂う。

この作品は1938年の作品とあるから、

戦争が始まりつつある時代の

不吉な情勢を読み取って良いのだろうか。

「アイスラーの美学の

政治的に実用的な方向性は、

室内楽においては、

まったく異なる重みを与えたということになる。

弦楽四重奏曲に2年先立つ記事、

『音楽における社会的機能』(1936)

の中で、アイスラーは『大きな音楽形式』

(ソナタ、四重奏など)の

新しい目的について表形式で表した。」

以下、ぶつ切りで示されている文章は、

この表形式を抜き出して書いたからであろう。

「『学習曲、映画音楽、等々

といったタイプの主題を検討するに当たって。

それに加え:

政治集会のための、

機能的音楽は、もっとわかりやすく、

慣習的な考え方からもっと離れて、

それを破壊しなければならない。

場所:コンサートホール。』

こうした見地からすると、

アイスラーが、すでに1920年代に

シェーンベルクに師事しながら、

師と対立しなければならなかったか、

が容易にわかる。

(シェーンベルクは、彼に、

「何が作曲家に最良の事をさせるか」を説いた。

それは、「ひたすら音楽を書くこと」だ。)

作曲の技術を研ぎ澄ましながら、

心地良さに傾きがちな音楽鑑賞の習慣の土台を

浸食することがアイスラーの目標だった。

これらのことが刻印されているのが、

彼の『弦楽四重奏曲』である。」

確かに、多くの作曲家は、

教育用音楽(シューベルトにおいては、

エステルハーツィ家における教育用音楽)、

映画音楽(シューベルトにおいては、

オペラ以外にも「劇への付随音楽」などがある)、

に手を染めてはいるが、

これらをわざわざ表形式にして、

違いをまとめて説明したりはしていない。

したがって、近年に至るまで、

何故、この曲は作曲されたのか、

はたして教育用なのかコンサート用なのか、

などという議論があったりもする。

ここでは、弦楽四重奏曲の話をしているので、

シューベルトに当てはめると、

初期の作品は家庭で演奏されるためのもので、

後期のものは、演奏会を意図した、

と普通に論じられていたりする。

が、シューベルト自身がそう言ったわけでもなく、

だから、このような違いを設けた、

などと宣言しているわけでもない。

演奏の困難度や楽想の込み入り方や規模によって、

後世の研究家が、そうだと言っているだけである。

アイスラーに戻ると、

四重奏というものは厳格なもので、

心地よさを求めるのとは異なる美学で

書かれねばならないということだろうが、

多くの作曲家は、そこまで割り切っておりはせず、

心地よさもバランスを取っているような気もする。

アイスラーが書くように、

ここで聞かれる弦楽四重奏曲は、

極めて、個人的な独白のような感じがする。

勢い余って極論を書いてしまうと、

飲み屋でくだを巻いている酔っ払いの

愚痴を聞かされているような気がしなくもない。

第1楽章の変奏曲からして、

気が滅入るような雰囲気の音楽だ。

こうした意図が織り込まれたものだったようだが、

一人で自問自答していればよい、

と切り捨ててもよいかもしれない

途方に暮れたような表情に、

ごつごつ、ぎくしゃくした音型と、

ほとんど聞き取れないような独白、

何かを希求するような喘ぎがある。

たった2つしか楽章がないので、

第2楽章が、「終曲」となるが、

軽快、軽妙なリズム感で控え目に始まるものの、

やがて、熱狂的な盛り上がりを見せ、

そこここに挑発的な音型が散りばめられている。

戦争と関係があるのか、

それに触発されたアイスラー個人の、

いらだちの表現なのだろうか。

下記のように、亡命先での作品であれば、

それがないとは考えられないが。

「アメリカで亡命者として暮らし、

彼はドイツにおける

彼の音楽のへの直接的な扇動的要素の

入れ込みから切り離されてしまった。

『ドイツ交響曲』や『レーニン』という、

偉大な交響的オラトリオ作品の作曲家は、

弦楽四重奏曲を、

おそらく厳格な自己規律とも言える

純粋な作曲の実践作業と捉えていた。

1935年に一度、それを放棄していたのだが、

1938年に彼はニューヨークで、

作曲を教えることを再開させていた。」

この作曲の教授の再開は、

この曲とどう関係するのか、

このエピソードは尻切れトンボのように感じる。

ライプツィヒ四重奏団の演奏は、

共感に満ちている、というべきか、

非常に闊達に、極めて思索的とも言えるこの曲に、

雄弁な推進力を与えている。

それだけに、この唐突な終わり方に、

拍子抜けしたような感じを受ける。

アイスラーは、亡命先で、

まず、先立つものがなく、

見回すと、何の当てもなく、

とにかく生計を立てる必要もあったはずだ。

そんな中で、

基本に立ち返るための作品を作ったという事だろうか。

「二つの楽章は緻密なポリフォニックなテクスチャーと

主題展開の重視によって区別できる。

12音技法が基本となって導き、

2つの楽章は同じ音列が元になっている。

構成要素は常に明瞭に聴き取れ、

音楽の設計は、建築学的に関連性のある

一連の実験の表出が強調されている。」

Reinhard Schulzという人が書いているが、

いくら読んでも、この曲の核心には迫れそうにない注釈で、

頭が痛くなってくる。

「それにもかかわらず、

彼自身にとって本物であると思える音を主張している、

私たちは、この曲の人工的なリズムの中、

徹底的なスピーチのような感触の中、

そして2つの楽章を顕著に駆り立てる不安感の中に、

こうした音を感じることができる。」

わからなくもないが、

彼が生きた時代、その環境に興味があれば、

この時代を生きた芸術家の心情吐露は十分味わえる。

なんだか尻切れトンボ的な終わり方で、

結局、何だったの?

という感じを増幅しているが、

それもある意味、挑発なのだろうか。

「彼の作品で、最も知られざる、

純粋な室内楽でさえ、

扇動的な傾向なしではない。

4年前、1934年に

アイスラーは、緻密で集中力の高い

『BACHによるプレリュードとフーガ』

という弦楽三重奏曲を作曲した。

これは亡命生活の始めの時期で、

ここでもまた、

展開の技術的水準の熟考に焦点が当てられている。

バッハはアイスラーのこの作品にとって、

最良で最も美しい規範であった。」

この曲は、1分半のプレリュードと、

約3分のフーガからなるが、

簡潔な主題から目を見張る解放感があり、

いささか理詰めにも思われる後者でも、

最後に冒頭の主題が奏でられて、

首尾一貫した印象を与える。

得られた事:

「アドルノは確かに早熟な才能を示しており、ベルクの肝いりで、新音楽の旗手として紹介された。アドルノは、その期待に沿う事で、袋小路にはまり込んだのかもしれない。『妥協のない純度』などとほめそやされたら、だんだん、筆が重くなっても仕方がないような気もする。」

「アイスラーは、『ひたすら音楽を書くこと』を諭す師匠のシェーンベルクを、弟子の立場から否定、積極的に音楽鑑賞の習慣の土台を浸食することに専念した。社会的な事象に個人的な思惑が複雑に絡まる妙な路地に転がり込んでいる感じもする。」

「新ウィーン楽派の次の世代は、第二次大戦の影響をもろに受けつつ、故郷を失い、師匠筋との断絶にも四苦八苦したという事であろうか。純度を語るには、あまりにも混沌とした時代だったとも言えるだろうし、混沌としていたがゆえに、純度や侵食やらが重要だったとも言えそうだが、そんな体験をCDで追体験するという行為にも、何やら後ろめたいものを感じる。」


by franz310 | 2019-08-13 21:26 | 現・近代