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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その448


b0083728_19042333.jpg人的経験:
20世紀の哲学者でも
とりわけ音楽に関して、
やかましい事を言った
アドルノは、
トーマス・マンが、
「ファウスト博士」を書く時に
教えを乞うた人である。

やかましいにも理由があって、
自らが作曲家だった。


平凡社ライブラリーにある
Th.W.アドルノ「不協和音」
(三光長治・高辻知義訳)は、
その表紙に、
カンディンスキーの絵画も
あしらって美しいもの。

この絵の上に、
「現代音楽論の古典的名著」
などと自ら宣伝しているが、
我々、現代の音楽愛好家には、
非常に耳の痛い内容の集大成である。

音楽を聴いて日々、満足して暮らしている人は、
こんな本は、どこかに葬り去って、
永遠に読まない方が幸せに決まっている。
そんな内容だ。

つまり、音楽を惰性のように
楽しみに聴いていると、
「フェティシズム(物神崇拝)」
と罵られてしまう。

ブラームスの「第1」の
フィナーレ主題を、
地下鉄で高々と口笛で吹く男など、
と実例を挙げて、
「物神化の虜」という烙印が押される。

我々も演奏会の帰りなどは、
こういうことをしないように、
あるいは、アドルノ崇拝者が周りにいないかを
確かめてからするようにしなければならない。

「音楽を聴く上でのマゾヒズムは、
自己放棄や権力との一体化による代償満足」
(「音楽における物神的性格と聴取の退化」(1938))
などと書かれると、
コンサートの後の熱狂が、
独裁者に対する熱狂と比較されてしまいそうだ。
(そもそも、アドルノは、
「指揮者の物神的性格」などと、
どんずばの事を書いている。)

そもそも、この書物を開くと、
「シューベルトの或る弦楽四重奏曲の美しい箇所とか
・・のようなご馳走に舌鼓を打つ人間は、・・・
蝶類収集家に類した存在」
(前掲「聴取の退化」)
などと、
私自身が名指しで断罪されているのである。

が、彼ほどの大家でも、
これだけの内容を一冊にするには
苦心したようで、
戦前の1938年の論文から、
戦後、だいぶたってからの
1961年の論文までを集めている。

アドルノは作曲家といいながら、
作品はちょっとしかないが、
ここに書いてあるような難しい事ばかりを
他人にも自分にも要求していたら、
当然、自分の首を絞める必要が出る事は、
容易に想像ができる。

この人はナチスの時代のドイツを、
ユダヤ人として体験した世代であるから、
「イデオロギー」というものに対して、
我々が感じる以上に敏感な反応をしており、
そうした背景を知ると、
なるほど、そうかもしれないが、
のど元過ぎて熱さ忘れた我々にとっては、
痛いところも突かれるような所もあり、
その激烈が、腹立たしいと同時に、
また、我々を恥じ入らせる。

「芸術は厳格に自分の経験に従って、
管理された世界の眩惑機構を
突き破るようでなくてはならない。」
(「楽師音楽を批判する」(1954))

当時はまだ冷戦下で、
社会主義陣営が活発に活動しており、
「全体主義国家」の恐怖のリアリティは、
今以上に生々しかった事もあろう。

「芸術を現代の現実に奉仕させるくらいなら、
芸術を完全に断念した方がましである」
(「新音楽の老化」(1954))

このような過大な要求を突き付けられた芸術は、
今なお、新しい音楽の代表のような作曲家たちが、
まだ生きていた当時から非難していたようで、
この論文では、
「ドイツの青少年たちにこれほど重んじられている
ストラヴィンスキーやヒンデミットのような人たちについて
そんな口をきく勇気をあなたはどこで得たのですか?」
と詰問された逸話を自ら紹介している。

彼らの「因習型」の作品は、
「自我の衰弱」を期待したものであり、
アドルノ的な立場からすれば、
これはもはや、
組織的に人間を劣化させる手段にすぎない、
という代物として取り扱われてしまう。

ぼーっと聴けるものは、
すべて「No」が付き付けられてしまう。

「出来栄えの単純素朴さは
無能を常に証明している」(前掲の「楽師音楽」)
とされている。

彼がこの本を出した時点
(第三版で1963年)で、
「OK」が出されたのは、
ブーレーズの「マルトー・サン・メートル」と、
シュトックハウゼンの「ツァイトマーセ」
くらいのようである。

この本を今、読んで、
アドルノが不利な立場に立つとすれば、
現在の古楽分野の興隆かもしれない。

この人は、徹底的にブロックフレーテを
目の敵にして、こんなものでは、
音楽の教育などできないと連呼しているし、
「ベネディクト修道士たちはグレゴリオ聖歌を研究し」、
「愛好家の鑑賞のために保存している」、
(「伝統」(1961))
などと書いている部分で、
「音楽の伝統主義」について危険視し、
バッハを当時のまま演奏することを、
「不実である」などと決めつけているからだ。

何故、ここまでヒステリックに、
あれもだめこれもだめ、
と書くかというと、
それが彼の存在意義だった、
と考える必要があるだろう。

何とか、私がアドルノの本を読んで、
アドルノを嫌いにならずに済んでいるのは、
「長時間レコードが役に立つ」
(「音楽教育によせて」(1957)」
と評価してくれているからである。

得られた事:「我々のぼーっと音楽を鑑賞する態度は、
全体主義国家の恐怖を容認することにつながる」
とアドルノは考えている。
「しかし、受動的でなければ、
レコード鑑賞は想像力の助けになる」
とアドルノは考えている。
「シューベルトの弦楽四重奏に舌鼓を打つ者は、
蝶類収集家のようなものである」とアドルノは考えている。
「復古演奏はジェスチャーにすぎない」
とアドルノは考えているようだ。








by franz310 | 2019-05-19 19:07 | 現・近代