excitemusic

クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
ICELANDia
カテゴリ
以前の記事
2018年 05月
2018年 03月
2017年 10月
2017年 08月
2017年 05月
2017年 01月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 09月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
フォロー中のブログ
メモ帳
最新のトラックバック
http://venus..
from http://venuspo..
http://while..
from http://whileli..
http://while..
from http://whileli..
http://www.v..
from http://www.val..
バッハが人類に残したメッ..
from dezire_photo &..
ミュージカルかファンタジ..
from dezire_photo &..
バッハが『ロ短調ミサ曲』..
from dezire_photo &..
ルター派のプロテスタント..
from dezire_photo &..
ダンテの『神曲』 ”地獄..
from dezire_photo &..
バッハとヘンデルの音楽性..
from dezire_photo &..
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


<   2018年 03月 ( 1 )   > この月の画像一覧

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その446

b0083728_20103068.jpg個人的経験:
今回は、
19世紀英国の画家、
ターナーが描いた
「ベッリンツォーナ」
(スイス南部の地名)
という絵画を、
表紙にあしらったもの。


英国Nimbusレーベルが
40年近く前に出した
「The Dante Troubadours」
(ザ・ダンテ・トルバドゥール)
というCDを聴いてみる。

1982年にイギリスのリュート奏者、歌手の
マーティン・ベストが中世アンサンブルを率いて
録音したCD(ニンバス・レーベル)だが、
ターナーとダンテとトルバドゥール?
これだけでも、さっぱり意味が分からない。

14世紀初頭に「神曲」を著し、
イタリアの詩聖とされるダンテは、
さらに古い時代の
フランスの詩人たち、トルバドゥールの
信奉者であったらしいのだが。

Track.1:
このCDは、「トリスタンの嘆き」
という曲で始まるが、
いきなり、
「どこがダンテだ」、
「どこがトルバドゥールか」、
「何がターナーか?」
と騒ぎたくならないか。

リズミカルなリズムに、笛や弦楽器が
うねうねとしたメロディを絡ませた民族舞踊、
という感じのもの。

解説を読んでみると、
14世紀イタリアの器楽曲とあって、
トルバドゥールのものではない。
むしろ、百年後の
ダンテの時代の音楽の代表という感じか。

このメロディは有名なもののようで、
NAXOSの「トリスタンのハープ」
(アーサー王の中世の音楽)
というCDの2曲目に
歌付きのバージョンが収録されている。
ただし、マーティン・ベストとは異なり、
ものすごくゆっくり引き延ばされて、
完全に違う曲に聞こえる。

このCD、このあたりの解説があって、
「中世の音楽形式で一般的なものは、
『contrafactum(別の目的で使用)』で、
ここでは、テキストはリズムに合う音楽に合わせられ、
音楽家は知っている音楽に新しい歌詞をつければよかった。
ここでは我々は、
ハインリヒ・フォン・フェルデケの歌詞、
『トリスタンは心ならずも忠実に』を、
作者不詳のイタリアの小品
『トリスタンの嘆き』に付けてみた」
とある。

もっと突っ込むと、
アーサー王伝説のような、
北欧のイメージの強いトリスタンが、
イタリアの音楽として鳴り響く事にも、
妙な違和感があるし、
フォルデケって、ドイツの人じゃないの、
などという疑問もある。

なお、この「トリスタンの嘆き」は、
このマーティン・ベストのCDの最後にも登場し、
「始まり、始まり」に対応して、
「これでお終い」という乗りで、
全曲をひとくくりにする役割を負っている。


中世南フランスの
豊穣な文化を伝える
トルバドゥールの音楽は、
知れば知るほど、
我々の知的好奇心と、
音楽的な関心とを、
同時に刺激して止まない。
知的好奇心という意味では、
まず、現在の欧州の
各国の礎となった、
英仏百年戦争当時の
音楽であるということ。


これは、一面、
いにしえの伝説を伝える性格のもので、
トリスタンとイゾルデのような、
後年、音楽の歴史が、
改めて取り上げることになる
神秘的な物語の原点がここにある。

シューベルトが好きな
音楽愛好家であれば、
大オペラ「アルフォンソ」や、
「フィエラブラス」の時代を
想起させるとして気になるところ。

さらに、これらの音楽は、
十字軍の時代の音楽だということ。
当然のようにヨーロッパを横断し、
地中海を行きかい、東洋と西洋が、
激しい化学反応を起こしている。

シューベルトの愛好家であれば、
彼が最晩年に書いた歌曲に、
「十字軍」というのがあった事を
思い出すであろう。
この作品は、シューベルトの
自信作でもあったはずで、
最初で最後になった
自作を集めた演奏会で歌われている。

このように無視していくには
あまりにも気になる時代の詩人、
しかも、失われた言語で書かれたもの、
という点からして興味をそそる。

大きな激動で、
イスラムともぶつかり合った時代の音楽は、
ある意味、異教的であり、
古雅でありながら新鮮なのだが、
しかし、あくまで、
残っている楽譜の解読や解釈は、
現代人の妄想の産物という域を超えず、
高い確率でのいかがわしさと、
どうしてもいつも隣り合わせとなっている。

様々な音楽家や研究者が、
メロディやリズムや、
難解な詩の解釈、
挙句の果てには語句の発音までに
妄想を膨らませて
いろいろなアプローチをして、
それを録音に残している。

これらは、どれか一つがおかしくても、
たちまち破綻してしまいそうだが、
勇気を持って、悩むことなく、
それらしく、もっともらしく、
演奏してしまっているところがすごい。

あるものは、民族音楽の部類に聞こえ、
あるものは、聖歌のようにも聞こえる。
また、あるものは、中世を装った、
現代のポピュラー音楽、
あるいはヒーリング音楽のような感じである。

とはいえ、当代随一の知識人の技の集大成なので、
芸術歌曲として聴くことが、
それなりにあるべきアプローチなのだろう。

しかも、恋愛はこの時代の産物、
と言われるように、
現代に直結する切ない恋歌の歌詞に関しては、
生々しい当時の感情が、
何だか普遍的なものを伝えていたりする。

Track.2:
マーティン・ベストのCD、
2曲めは、ダンテに尊敬された3人の詩人のひとり、
として、ギロ・ド・ボルネイユの
「軽い歌」という曲が来る。
この詩人、作曲家は、
「トルバドゥールの巨匠」
とさえ呼ばれている。

フランス南部の生まれだが、
一説によると、恐ろしく活動的な人だったようで、
スペインにいたこともあれば、
王妃エレアノールの次女の婚礼に臨席したとか、
リチャード獅子心王と十字軍に参加した、
とも言われる。

「僕が作るのは、
軽くて自由で簡単な歌、
それをオーヴェルニュやドーファンに送るのさ。
でも、その道すがら、
御領主エーブルに見つかれば、
何か難しいことを言うことよりも、
簡単に言うことの方が、
難しいと、彼にも分かるだろうよ。」
といった内容。

いきなり、エーブルって誰?
となるが、こういうことから、
いろいろ研究しないといけない類のもの。
聴くのは簡単だが、
ものすごい労力を要した末での演奏であろう。

このあと、
「固い石でナイフを研ぐ」とか、
神はワインを水から作ったのではない」とか、
「評判は最後にならないと分からない」とか、
説教臭い話がいっぱい出て来る。

こうした難解な能書きがつべこべ続いた後、
「今、僕は謙虚に愛しい美しい人に向かう。
私にはこの方を表す術がなく、
ただ言えるのは、
その愛ゆえに殺されるという事のみ。」
とかいう終結部が来る。

ボルネイユと言えば、
「栄光の王(暁の歌)」が非常に有名で、
ここでも、キャサリン・ボットや、
トルバイリッツのCDや、
アンサンブル・ユニコーンのCDで聴いてきた。
例えば、1991年に出た、
日本のダンスリーのCDでも、
堂々と冒頭を飾っている。

一方、この「軽い歌」の方も、
古楽の先人、ビンクレー(アメリカ人)の
「トルバドゥール、トルヴェール、ミンストレル」
というCD(録音は1970年)や、
フランス・テレコムが作った、
何と、「ALIENOR」(仏ハルモニア・ムンディ)
というレーベルの
ジェラール・ツッケットのCD(2000年頃)
にも収録されている。

「栄光の王」は、どのCDでも、
そこそこメロディが似ているが、
「軽い詩」のこれらの録音を聴くと、
まったく同じ曲とは思えない。
ビンクレーのは、その伴奏がギターのせいか、
スペインの古謡のように何となくしみじみとしていて、
ツッケットのは、やたらマイクの効果が気になり、
原住民が、ただ、そこで語っているだけ、みたいな感じ。
どこかの観光協会のプロモーションCDみたいな感じもする。

アリエノールという、
「王妃エレアノール」を思わせる
正真正銘のトルバドゥールの母
といった存在を感じさせるレーベル名にしては、
人工的すぎて抵抗を感じる。

ここで改めて、これらのCDも比較すると、
マーティン・ベストのCDで、
「愛しい美しい人」とされていた部分が、
ビンクレーのCDで探って見ていると、
「良き、我が主よ」となっていて、
神様相手の歌として解釈されていることが分かる。

ことほど左様に、
トルバドゥールの歌は難しい。
詩にも、様々な隠喩があるようで、
まともに解釈しながら歌って行くことなど不可能、
という感じすらする。

そんなめんどくさいところを、
どのCDの演奏も、
ま、こんな感じで歌われていたんじゃないの、
というくらいの割り切りで行っている可能性も高い。

クラシック音楽愛好家というものは、
「クラシック(古典)」という言葉からして、
何かしら評価が固まっているものに、
何とか安心感を見出そうとする傾向があるが、
この状況下はものすごく居心地が悪い。
こんなんでどうでしょう、みたいな、
こちらに問いかけされると、
途方に暮れるしかないのである。

が、とにかく、マーティン・ベストのCDの、
「ダンテ・トロヴァドール」というタイトルは、
「あのダンテが言ってるトルバドゥール」
と解釈すべきなのであろう。

Track.3:
このCDの3曲めは、
ベルトラン・デ・ボルンという、
これこそ、「神曲」にも登場する、
曰くつきの人物の歌である。

「地獄篇」第28歌で、
「生前に不和と離間の原因を作った」という罪で、
体が刻まれている罪人たちが住んでいる所に現れる。
彼は、「ヘンリ二世の長男に謀反を勧めた」という罪で、
首が胴体から切り離されているので、
自分の手で、それを提灯のように捧げている。

しかし、当然ながら、そんな陰気な歌ではなく、
朗唱風の力強いもの。

まさしく、英仏百年戦争の時代のもの。
トルバドゥールとしてはよくある話だが、
この人はまず武人として知られたようで、
そんな背景を思わせる音楽になっている。

他のCDで、この人の歌を取り上げたものは、
あまりないようであるが、
「すべてのトルバドゥールの中で、
もっとも有名な有名な人」
などと書かれていたりもする。

確かに、石井美樹子著
「王妃エレアノール」(朝日選書)にも、
ヘンリー2世の長男ヘンリー王子と、
次男リチャード王子らが、
南フランスのアキテーヌを巡って
争いを始めた時の章で、
「反リチャード派の旗頭は、
南フランスのフォートフォールの城主、
かつてはリチャードの友人であった
ベルトラン・ド・ボルンであった。」
と、颯爽と登場し、
「勇猛果敢な戦士であるばかりでなく、
すぐれたトルバドゥールであった」
と明記されている。

しかも、さらに突っ込んだ記述もあり、
「皮肉屋であるとともにロマンチスト、
短気なわりに冷静と、
相反するあらゆる性格」、
「一生をかけて、物語の中の
騎士の役割を演じることに熱中した」と書かれ、
リチャードに対抗しうる唯一の騎士とされている。

彼は、詩の才能で戦いを鼓舞し、
主と仰いだヘンリー王子が亡くなってからは、
その死を悲しむ詩でヘンリー二世から許された、
とか、典型的に「芸は身を助ける」という感じで、
その才能を使いこなしたようである。

この後、ヘンリー二世が亡くなり、
リチャード王子が獅子心王と言われる王位に就くが、
この頃までにはベルトラン・ド・ボルンは、
かつての敵であったこの人に臣従していたようだ。
このように、王の一家を巻き込んだりしてまで、
うまく立ち回って生き延びた事もあって、
ダンテは神曲の中で、
この人を地獄に置いたのであろう。

なお、ヘンリー二世の娘、
(リチャードの一歳年上の姉)
通称「マティルダ・オブ・イングランド」は、
ザクセン公と結婚していたが、
夫が神聖ローマ皇帝に追われたので、
3年ほど実家に身を寄せていた時期があった。

そのため、ボルンの詩の中で、
「エレナ」、「ラナ」などと
美化されて歌われるようになった。

この頃、ボルンは40代の男盛り、
このさすらいの公妃は、
まだ20代後半だったので、
相当、詩人を刺激したものと思われる。
ただし、この時、まだ父は健在だったので、
リチャードは王子の身分だったはずである。

この辺りから、マーティン・ベストが
書いている事に専念すると、
以下のようになる。

「ベルトランはリムージンの小封建領主で、
アキテーヌ公に臣下の誓いをしており、
当時、それはリチャード獅子心王であった。
リチャードとヘンリー二世と
フランスのフィリップの戦いは、
すべてのアキテーヌの小領主を巻き込んだが、
それらは大領主の戦いに紛れて、
領土を広げようと画策していた。
ヘンリー二世の娘、マティルダに、
この『Ges de disnar』はおそらく捧げられていて、
領地の引用にこの貴婦人の称賛が込められている。
この詩は自然に三拍子が合っているが、
同様に二拍子でもよい。
メロディは二拍子であるが、
ここでの訳詩では三拍子にマッチし、
第2のメロディは三拍子により近い。
この落ち着きのなさは、
トルバドゥールの芸術の特徴で、
理論家をまごつかせるが、
興味深いものである。」

歌詞は、「朝、男は朝食を待ちきれない。
彼は立派な宿をとれば、
そこには肉、パン、ワインがあって、
ブナの明るい炎がある。
今日は今週最も美しい日、
それは甘く、レディ・レナを訪ねるには。」
などというもの。
他愛ないのか意味深なのかは分からない。

Track.4:
マーティン・ベストのCDの4曲目は、
再びボルネイユ。
ベルトラン・デ・ボルンの生きざまを見た後では、
この人は対照的にいかにも遍歴の楽人、
放浪詩人という感じ。

ボルンの生きの良い歌とは打って変わって、
内省的な、もっというと、
くよくよした感じの詠嘆。

「Si. us quer conselh, bel ami Alamanda」とあるが、
「中世のラゾ(背景となる妄想に富んだ短い物語)では、
この愛らしい歌に出て来るアラマンダは、
ボルネイユが長く、様々な手で慕った、
ガスコニーの淑女、
アルマンダ・デスタンとして描かれている。
言葉に対するサウンドのコントロール、
独自の詩節構造、思考と創造のリアリティ、
すべてがトルバドゥールの巨匠に相応しい。
精緻なメロディが付され、
厳格な韻律の上で自由に伸縮する。」

まさしく、ここに書かれているように、
伴奏も打楽器などは使わず、
弦楽器をぱららんとはじいて、
室内楽的な、親密な芸術となっている。

このCD、多くの曲が3分から4分という中、
6分をかけて演奏されている。

詩の内容は、
「私の愛しい友アルマンダよ、
あなたを想うかわいそうな男を遠ざけないで」
と始まり、
「私はあなたの手引きが、
危険だということを知っている」
と結ばれる。
遍歴していようとも、
居城を構えようとも、
トルバドゥールのやってることは同じ、
みたいにCDの歌が続く。

Track.5:
またまた、ベルトラン・デ・ボルンが来る。

これは、非常に快活な序奏で始まる、
まるで春の訪れを告げるような歌だが、
下記のような解説を読むとぶっとんでしまう。

「このもう一つのボルンの愛の歌も、
ヘンリー二世の娘、
マティルダに捧げられている。
レナがかラナだかは、
彼女の素性を隠し、
詩人による賛美を隠れた楽しみにするための
彼女の分身か装置である。
ヘンリー二世はボルンのかつての敵である。
彼はさらにヘンリーの同盟者、
アラゴンのアルフォンソ二世の危険な敵対者で、
この人はプロヴァンスの形式的な宗主であった。
アルフォンソは明らかに、『アルヘンタ』とされ、
マティルダの夫のサクソン公は
『サイサ』とされて、
彼が巡礼に出ている間に、
ベルトランとマティルダは
関係を持ったように見える。
この不倫の達成を思わせる
最後の晩餐のイメージは、
甘味な不敬で、詩の技巧は高度、
妄念的な怒りもコントロールされて、
メロディも完全にマッチしている。」

さすがに城持ちのトルバドゥールは、
豪快である。

歌詞は、
「悪事への骨折りから身を落とし、
心の導くところに行くばかり、
だから、この重荷からは解放されず、
身を縛る鎖はきつく、
一つさえも緩まない。
ある男と愛するレナは、
目が合わせては束縛される。
私は長い間、離れていたけど、
最後には聖なる木曜日となった。
人々に笑いも戯れもない宮廷では満足できず、
宮廷はもはや直臣にも相応しくない。
だから私は確かな死を好む。
アラゴン人の策謀やたくらみもある。
しかし、この優しく愛しい身体があり、
彼女の思いやりも優しく、
その良き友情もあって。
気の利いた言葉で、
彼女はサクソン人からも私を救ってくれた。」

欲しいものはすべて手に入れた、みたいな、
ほとんどふざけたようにも思える、
お気楽ソングである。

まるで、嘲笑するかのような
ぴろぴろする笛の伴奏も効果的である。

ダンテが「地獄篇」に、この人を置いたのも、
非常によく分かる。

Track.6:
ここから、アルナウト・ダニエルの二曲。

まず、一曲目は器楽で、
勢いのある太鼓のリズムに
笛が軽快に吹き鳴らされる。

ダンテはこの詩人を言葉とリズムと音楽を
結び付けた人として称賛した。

Track.7:
こちらは、広々とした大地を思わせる、
冴え冴えとした美しいメロディで、
「春の鳥の歌を思わせ、
人と自然の融合」などと書かれている。
歌詞も、「明るくはっきりとした歌を作ろう」
と始まり、「歌は葉陰の鳥たちを呼び、
その向こうから木霊が聞こえる」
と美しい。

なお、この二曲は、セクエンツィアの
「ダンテとトルバドゥール」でも聴ける。

b0083728_205197.jpgセクエンツィアの
CD(1993年)
の日本盤は、
テキストの監修が
大御所P.ベックで、
日本語訳も
第一人者の新倉俊一という人、
だということで、
非常に話題になったもの。


が、それゆえか、
解説がやたら難しい。

また、ベスト盤のように、
曲を切り詰めたりしないで、
残っている詩句を全部歌っていて、
どの歌も10分くらいの長さになっている。

後は、バグビーとソーントンが、
男声と女声で歌い、無伴奏から玄妙な伴奏つきまで、
さすがにマーティン・ベストなどのCDより、
15年は進化した音楽再現を行っている。

セクエンツィアの主張も、
極めて示唆に富み、
こうした作品は特異に高度な芸術で、
「19世紀ヨーロッパの
ほとんどの芸術歌曲とは異なっている」
と断言し、
「学識ある貴人のグループ」
で行われた、ある種、実験的な前衛で、
「巧妙に加工された詩と音楽による娯楽」、
「ことばと音による絵画」のようなもので、
「演奏に幾晩もかかったかもしれない」
としている。

この、セクエンツィアのCDでは、
マーティン・ベストのCDには
収録されていない、
ボルンの「ラサ、偽りと無縁の人は」
が収録されている。

この「ラサ」が、
先ほどの「レナ」とか「ラナ」の
一種かどうかは分からないが、
たぶんそうで、
「みずみずしく繊細な貴婦人」
「最上の女性」
と呼びかけられている。

ボルンがすごいのは、
「不名誉をもたらす嘘つきの伯や公よりも、
まともな陪臣を選ばれよ」と、
公然と名乗りを上げていることである。

ベンジャミン・バグビーの、
自信に満ちた朗唱、伴奏の幽玄さは、
貴婦人をめろめろにしたに違いない、
ボルンの堂々たる威風を想起させる。
セクエンツィアは、
トルバドゥールの音楽に、
固定されたリズムによる理論は似合わない、
と言っているが、
確かに変幻自在な演説を聴くようでもある。
いわば、歌われる弁舌のようだ。

マーティン・ベストのCDに戻って聴き進めよう。
Track.8:
高名なヴェンタドルンの「雲雀が喜びのあまり」。
これはキャサリン・ボットのCDでも聴いた。
興味深いことに、ベストも無伴奏で、
もっと朗々と歌っている。
この曲はビンクレーのCDでも聴けるが、
意外に、この先駆者の録音は古風なのか聴きやすい。

なお、セクエンツィアのCDでは、
ヴェンタドルンは聴けないが、
このビンクレーの思い出に捧げられている。
なお、ヴェンタドルンはダンテの「煉獄」に出て来るらしい。

Track.9:14世紀イタリアの舞曲。
Track.10:ヴィダルの牧歌的な「プロエンサ」。
Track.11:レインボー・バケイラスの快活な「五月」。
Track.12:14世紀のサルタレッロ舞曲。

Track.13:
ガウセルム・ファイディトの
独白調の「鳥の歌も声も」。
ファイディトはリチャード獅子心王の死を歌った
「比べるものなき(なんと辛いことだろう)」
という歌を残した人である。

この曲は、ダウランド、パーセル、
シューベルトに続くバラードの先駆だと、
ベストは書いている。
ただし、ダンテとの関係は不明。

Track.14:ベレノイのメロディを器楽で。
Track.15:
待ってましたという感じで、
再び、ベルトラン・デ・ボルン。
ただし、愛の歌ではなく、
英仏休戦と婚礼というお祝いの歌のようだが、
何だか虚無的で、ボルンの別の一面が見える。

Track.16:13世紀イタリアのメロディ。
Track.17:フォルケトの諦念的な「死への導き」。
この詩人は、ダンテが高く評価していたらしく、
「神曲」でも「天国」に配置したという。
Track.18:は、冒頭と同じメロディ。


得られた事:
「ダンテは、彼より100年前のトルバドゥールの言葉と音楽の融合に理想を見出していた。その詩人のうちの何人かは、『神曲』の中にも配置されている。」
「トルバドゥールの音楽は、19世紀の芸術歌曲とは別次元のもので、歌と弁舌の融合のごときものであった。ただ、ファイディトの作品はシューベルトにも通じるとある。」
「中世では、『contrafactum(別の目的で使用)』という替え歌のようなものが利用され、楽師たちはよく知られたメロディに、新しい詩を載せて歌った。」
[PR]
by franz310 | 2018-03-21 20:06 | 古典