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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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カテゴリ:シューベルト( 129 )

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その268

b0083728_22355123.jpg個人的経験:
記録史上最大とされる地震で、
私の部屋でも本棚が多数倒れ、
資料がかなり散乱したが、
何とか一日で、
活動が出来る形にまでは、
復旧させることが出来た。
東北の惨状を見ると、
人間存在の儚さ、
社会のもろさが痛感されるが、
それゆえに尊さも胸に迫る。


津波が家屋や田畑を襲う様は、
見ているだけで身の毛がよだつ光景であった。
無慈悲に、圧倒的な力を見せつける自然。

そうしたものの存在を前提にして、
このような詩句を読むと、
また、味わい方が変わって来る。

作者は故郷を山頂から見下ろしている。

「至るところに生活が、
豊かな人間の活動が、
至るところに日光がある。
・・・
私の故郷の境界線も見える。
あそこで私は親しく
この世に生を享け、
・・・
この遠い山上にいる
私の心からの祝福が
いとしい故郷の地にあるように!
私の心からの祝福が
私の夢にまで見る国にあるように!」
(石井不二雄訳)

シューベルトは、このような詩句を含む、
ケルナーの『リーゼンコッペの山頂にて』D611の冒頭を、
まさしく、非人間的な非情な序奏とレチタティーボで表し、
畏敬すべき自然の超越を描いている。

「おまえの山嶺の頂上に高く
私は立ち賛嘆する、
輝くばかりの感激にあふれて、
聖なる山よ、
天にそそり立つものよ。」

その後、下界に目を転じると、
そこには、花咲く草地、人々の営みが見えるが、
ここからは、シューベルトは、
愛情と喜びが溢れるような表現で、
「昂揚した内面の楽しさを覚えつつ」
という詩句のとおりに歌い上げていく。

「故郷の境界線も見える」という部分も、
あたかも発見を喜ぶような語り口。

しみじみと故郷に送る祝福は、
「愛しい故郷よ!」と歌われるように、
祈りに満ちた、敬虔な感情が広がっていく。

リーゼンコッペ山とは、チェコ、ポーランド国境近くの、
リーゼン山脈の主峰ということだが、
現在では、山脈自体がクルコノシェと呼ばれるらしくややこしい。
とにかく、ここからは詩人の故郷、
ザクセンも見えるようなのである。

この曲は1818年3月の作曲というから、
1813年に戦死した詩人のケルナーは、
すでに亡くなって久しい。

ディースカウは、
「ヨーデルそのままのようなピアノ伴奏にのって、
旅人の心がうまく表現されている」と書いているが、
なるほど、簡素ながら、このいささか饒舌な伴奏は、
そう聴くべきなのか。

ナクソスのシューベルト・リート・エディション25の、
ロマン派詩人第2巻のTrack1は、
この気宇壮大な開始部を持つ歌曲から始まっている。

ハイペリオンの歌曲全集では、
ケルナーは、「友人たち」にまとめられていたが、
ナクソスでは、その枠を越えて、
ロマン派詩人として、この詩人を扱っている。

表紙肖像も、この人だと言うことだが、
だいぶ、イメージが異なっている。
ディースカウの本やハイペリオンのCD解説に出ていた肖像は、
もっと、神経質そうな兄ちゃんである。

これも、ベンジャミン・チャイさんの作品。
軍服を着て、目に力がある点は押さえているようだ。

ナクソスのシューベルト歌曲、
友人たちの詩によるものには、歌詞がついていたが、
このケルナーと、
アウグスト・シュレーゲル(シュレーゲル兄)を、
主に集めたものには、歌詞がついていない。

ケルナーともなると、簡単に詩集が手に入るのだろうか。
ただし、各曲の解説は少し充実している。

この曲については、「ケルナーの詩に付曲したものの最後
(他のものは1815年に作曲)として、
1818年に作曲」という記述がある。
「構成的に作曲上の野心が見られる。
導入のレチタティーボの熱狂後、
アリオーソ、レチタティーボの部分の交錯によって、
カンタータのような形式を見せる」とある。

最後の祈りのような部分は、レチタティーボだということだ。

その後、前回も聴いた、「愛の憧れ」D180、
「歌びとの朝の歌」二つ、D163とD165、
「愛のたわむれ」D206などが続く。

歌はマルクス・シェーファーでテノール。
カールスルーエとデュッセルドルフで勉強した人で、
最初に契約したチューリヒが1985年とあるから、
現在50歳くらいの人だろう。
インマーゼルの「第九」や、レオンハルトのバッハのカンタータ、
ハーゼルベック指揮によるモーツァルトのオペラで録音があるという。

前回聴いたラングリッジのような甘さは少し控えめで、
すっきりした歌である。
ちょっと習作的な「歌びとの朝の歌」第一版などでは、
かなり、表現に苦心している。
解説には、「ベルカント風」と書かれた第二版では、
たっぷりとした呼吸が暖かい。
「愛のたわむれ」では、モーツァルトのオペラを歌う人には、
ぴったりの微笑みとユーモアが楽しい。

Track6の「子守歌」D304は、
通常の6/8拍子ではなく、2/2拍子で書かれているとある。
「子供を扱った主題と優しい憂愁の雰囲気にふさわしい、
無重力の音楽」とあるように、
素朴すぎる、空中に漂う音楽。

Track7は「それは僕だった」D174で、
若者の夢を歌い上げて、初々しい。
ここでは、アイゼンローアのピアノが、
即興的な名技で煌めきを見せるが、
これがまた、この曲を聴く者が浮かべずにいられない、
微笑みを、上手に増幅してくれる。

Track8は、「愛の陶酔」D179で、
ナイーブに歌われているが、
解説にも書かれている豊かな伴奏ながら、
いくぶん速く弾かれているせいか、
ラングリッジの表現の方が陶酔的だったかもしれない。

Track9は、「じゃまされた幸福」D309で、
ここまでがケルナーの歌曲。
これも、「それは僕だった」同様、
気の利いた小唄で、シェーファーが得意にしそうな、
ユーモアで彩られている。
ピアノも間髪を入れず、気の利いたリズムで応える。

さて、このような9曲と、
後半4曲のシュレーゲル兄の4曲の間に、
シュッツ、キント、ゲルステンベルク、
リュッケルト、ヴィンクラー、シバーらの歌曲が、
それぞれ1曲ずつ収められている。

これらの詩人はリュッケルト以外、
良く知られていないが、
このCDは、かろうじてリュッケルトの、
「挨拶を送ろう」D741が収められているがゆえに、
ああ、聴いた事のある曲が始まった、
と、Track13でようやく安心する感じである。

シュッツの歌曲は2曲あるようだが、
ここでは、Track10に「フローリオの歌」D857。
単純なセレナーデに聞こえるが、
戯曲の中の音楽らしく、歌詞を見ると、
「あの女が毒を盛ったから、彼女に会いたいのだ」と、
まるで、ハイネのような言い分である。

Track11のキントの「ベニヒワの求愛」D552は、
「僕は恋してる!」と明るく興奮し、大騒ぎする音楽。
キントは、ウェーバーの「魔弾の射手」の台本を書いた人だ。

Track12のゲルテンベルクの、
「ヒッポリートの歌」D890は、一転して、
「冬の旅」のような寂寥感の音楽。
ディースカウの本にも、そのことが書かれていて驚いた。

詩を見ると、彼女を求めて、あちらこちらに歩き回る男の歌。

Track14のヴィンクラーの
「郷愁」D456は、序奏からして素敵な洒落た小品。

「一人の静かな時間、不可思議な気持ちを感じることがある。
よりよい星の中へと高く昇っていくのだ。」

内容も、一筆書きのような感じ。
その事を書いているのか、
ナクソスの解説では、前奏の半音階的な部分を特筆しながら、
「ヴォーカルラインは、終始メロディアスであるが、
残念ながら、シューベルトの弱いテキストを、
霊感豊かなレベルにまでは高めていない」と書いている。

このD456は、ディースカウのCDでは、
テオドール・ヘルの詩だとある。
ナクソスの解説にもそのあたりの釈明はない。

あと、シューベルトの伝記を読んだ人は、
当時の大家フンメルが、
シューベルトに会った時に、
クライガーの「盲目の少年」を聴いて、
深く感銘を受けたという逸話も印象に残っていることだろう。

フンメルは即興で、この曲の幻想曲をピアノ演奏した。

歌曲の方は、クライガーがシバーの英詩を独訳したもので、
このCDでは、Track15で聴くことが出来る。

何故、印象に残るかと言えば、
「盲目の少年」D833という歌曲が、
ほとんど知られていないからである。

「光と呼ばれるものはどんなものですか。
あなた方を喜ばせているものを僕は知りませんが、
僕は神様が与えて下さったもので十分に幸福なのです。」
という、内容の、殊勝で、宗教的な感じのものである。
ディースカウは涙ちょうだいもの、という感じで書いている。

曲も、ピアノ伴奏が独特のリズムを聴かせるが、
簡素なものと言ってよいだろう。
私が聴く限り、フンメルが変奏しても、
どれがメロディか分からない感じである。

フンメルはシューベルトのピアノの腕前も賞賛したと言うから、
この不思議なリズムを気に入ったのかもしれない。
このCD解説には、
「フンメルはこの歌をたいそう気に入ったので、
たちまち、即席のピアノ幻想曲にして、
シューベルトを喜ばせた。
シューベルトの熟達を示す、
この曲の単純で、同時に華麗な性格付けからして、
フンメルが熱中したのも肯ける」
と書いているが、そんなものだろうか。

「事実上、輪郭が不明瞭な
左右の手の対称的な動きによる、
盲人の手探りを表す、
ゆっくりした伴奏は、
盲人の用心深い杖遣いを示す、
8分音符のバスでしばしば中断し、
当惑した感じの瞬間を表現するように、
『光』と『明るさ』という言葉で、
16分音符の流れをためらわせる。
声のメロディの注意深く進む様といい、
様々な細部までにシューベルトの天才が見える。」

成る程、と思わせる解説である。
ここまで書かれると、ものすごく熟達した、
天才的な作品に思えて来た。

私が間違っていた。
フンメルは偉かった。
この簡素さは、目の見えない少年の、
ためらいそのものだったと言うわけだ。
スーパーリアリズムだったのだ。

実に、この未曾有の災害のなか、
これから、どうやって行けばよいか、
暗中模索の我々の足取りそのものみたいな感じである。

私の場合、そのうち電車も動きだすだろう、
などと言う、まったく脳天気な考えで、
震災後、電車の線路に近い道沿いに歩いて、
とぼとぼと歩いて帰宅を始めた。

私も多分に漏れず、
帰宅難民になりかけたわけだが、
東北の惨状のリアリティがないまま、
電車が止まっただけと、
お気楽に考えていた。

しかも、何と、ヒッチハイクに成功して、
比較的スムーズに帰りつくことが出来た。
プリウスに乗せてくれた親切な方は、
横浜の家族から連絡がない、と心配されていたが、
大丈夫だったのだろうか。

お互い様なので、と名前も聞かずに別れてしまった。

私は、その車内のラジオで、
ようやく、大惨事になっていることを知った。
乗せてくれた方も、テレビで、津波を見たが、
ものすごいものだったと話してくれた。

そして、家に着いて、部屋の中の本やCDが、
めちゃくちゃに飛び散っているのを見て、
ようやく、お恥ずかしながら、
自分の問題として捉えることが出来た次第である。

何をどうして良いのか分からない。
左右から少しずつ散乱したようで、
完全にシャッフルされた形で中央部に山積している。
私が、こうして座っている時に地震が来ていたら、
頭部に棚が落ちて即死していたかもしれない。

最初に片付けを始めた時は、
まさしく「盲目の少年」のピアノ伴奏みたいな感じであった。

こうした未曾有の災害や、戦争は、
容赦なく国や個人の行く末を変えて行ってしまうが、
政府の対応如何によっては、
日本は新しい団結の形を見いだすであろう、
などと明るい方向を考えたい。

が、反対に、何か失敗すれば、
世界中から失望され、日本の株も、通貨も信用を失うだろう。
失笑も買うであろう。

あるいは、アトランティスのように、
歴史から消えてしまうのではないか、
などとも連想するショッキングな光景の数々。

某レコード店などは、会員に対し、
営業を見合わせるメールを送って来た。

21世紀が始まってまだ10年ほどしか経っていないが、
20世紀が戦争の世紀であったのに対し、
災害の世紀となり、
世界が新しい価値観を強いられることであろう。

またしても、日本は先鞭を切って、
課題先進国の立場をキープした。

部屋中がひっくり返って混乱しているせいか、
ついつい、余計なことばかり書いてしまった。
ここで紹介したいくつかのCDは、
ケースから転がり出て傷がついていた。
ケースが割れたものもいくつかあった。

が、汚い部屋のおかげで、
沢山のクッションがあったと見え、
まだ全貌は分からないが、
木っ端微塵になったものはないようだ。

さて、ヨーロッパの各地で、
市民階級が台頭し、
素晴らしい音楽が生まれた19世紀という世紀は、
西欧諸国がアジアを侵略して行った100年でもあった。

それぞれのお国柄を誇る作品が書かれる前提として、
ナショナリズムの高まりがあったが、
それを高めるナポレオンの侵略戦争があり、
ナポレオン側も、反ナポレオン側も、
解放戦争だと思っていたのが面白い。

前回、ケルナーが、ナポレオンをやっつけようと、
戦禍に飛び込んだ話を読んだし、
いや、むしろ、シューベルトたちは、
ナポレオンが負けたことで、
政治が反動化し、ひどい目に会ったという話も読んだ。

ロマン派の雄、シュレーゲル兄弟については、
このシリーズの「ロマン派の詩人による歌曲集」第1集で、
弟、フリードリヒが重点的に取り上げられていたので、
今回は、兄の方が主役になっている。

解説は、かいつまむと、こんな風に、
ケルナーとシュレーゲルを比べたものだ。

「全く異なる道を歩んだ
二人の詩人は、賞賛され、尊敬され、
ドイツ文学の同志として、
19世紀初頭の論争の対象であったが、
彼等が、この録音の主役となっている。
初期ロマン派期の、
テオドール・ケルナーと、
アウグスト・ウィルヘルム・シュレーゲルである。
雑多で独特で、矛盾した性向のロマン派期そのもののように、
彼等は、性格的、キャリア、創造活動が完全に異なる。
1820年から1900年まで、
80年もの長いスパンで音楽がこうした影響にあったのに対し、
文学では、1800年から1835年までの、
35年しか続かなかった。
シューベルトは、ウェーバーと共に、
最初のロマン派の作曲家と呼ばれるが、
当然のようにロマン派期の詩人の作品を利用した。
彼の歌曲作曲家としてのキャリアの最初には、
自然と、他の詩人、とりわけゲーテのものがあり、
この詩人は、いつの間にか、
頼まれたとしても、しぶしぶと、
『糸を紡ぐグレートヒェン』や、
『魔王』などで、
ドイツ歌曲に無比の革命が起こることに寄与した。
それにシラー、感傷主義の、
マティソン、クロプシュトック、ヘルティ、
クラウディウスなどが続き、
最後に、広く知られ、賞賛されていた、
疾風怒濤期の『オシアン』の詩が続いた。
これらの大量の詩作は、
シューベルトの当時、
啓発された中産階級の規範として知られ、
読まれ、朗読もされた。」

まったく、ケルナーもシュレーゲル兄も出て来ないが、
このあたりでようやく、ロマン派の話となる。

「一方、ロマン派の詩人は、
前衛であって、公衆には新興のもので、
文学の新しい道を待っており、
その作品の出版のみならず、
とりわけ、アウグスト・シュレーゲルは、
一般的な、または、特にロマン主義のエッセンスを含む、
理論書や美学講義によって、
認知されるための努力を行っていた。」

ということで、我々が考えているような、
古典とロマン派の並列関係などなかったようだ。

「シューベルトは、
1791年、ドレスデン生まれで、
両親のもとで文化的な環境に育った、
テオドール・ケルナーと出会い、
最初にこの運動に遭遇した。
ケルナーは1811年に、
すでに認められた詩人としてヴィーンに来て、
早くも1813年には宮廷劇場の専属詩人になった。
彼はそのころシューベルトに助言し、
作曲家になる望みを強くさせた。
反ナポレオン戦争に志願して、
自由への愛、いかなる形であれ圧政への反抗を、
その政治詩に明言した。
『リュッツォウの勇敢な追撃兵』は、
ウェーバーが効果的な付曲をしており、
今日でも、男声合唱団が好んで取り上げる。
ケルナーはリュッツォウの自由兵団の一員で、
1813年の彼の死は、さながら、
19世紀のポップスター死去のようであった。
ケルナーの『解放戦争の詩』は、
今日の感覚からすれば全くロマン的ではないが、
当時のロマン主義精神の産物として、
よく理解することが出来る。
この他、彼は、『普遍的な人間』の主題も詩にしており、
聖歌のようなもの、
ロマンティックなアイロニーと、
ネストロイやライムンドのスタイルによる、
喜劇的なものにシフトした。
これらの作品にシューベルトは派手ではないが、
完全に適切な音楽をつけ、
正しい評価をした上で、
テキストを土台にしつつ、
個人的な仕上げを交え柔軟な音楽作りを見せている。」

ということで、ウェーバーもケルナーに負っていることは、
前回の解説にはなかった事も分かった。

では、シュレーゲル(兄)には、
どのような解説がなされているだろうか。

「アウグスト・ヴィルヘルム・シュレーゲル(1767-1845)は、
弟のフリードリヒ・ヴィルヘルムと共に、
初期ドイツロマン主義の共同創設者で、
ハノーヴァーで、牧師の息子として生まれ、
ゲッティンゲン大学で、最初、神学と哲学を学んだが、
すぐに言語学に転じ、
著作、翻訳、エッセイ、教育に携わるようになった。
1798年、イエナで臨時教授に任じられた年、
そこで、シュライヤーマッヒャー、ノヴァーリス、
ルートヴィヒ・ティークらが参加した、
いわゆる初期ロマン派を創設した。
1803年、シュレーゲルはスタール夫人と会い、
家庭教師として、重用されるようになった。
彼はこの地位にあって、欧州各地を旅行し、
特に、スイス、フランス、スウェーデンなどに滞在した。
スタール夫人の死後は、彼はボンにて、
文学と文化史の教授に任じられた。
晩年の彼は、虚栄心の強い、うぬぼれの強い男になり、
かつての教え子のハイネなどが主導した
当時の文学から遠ざかり、辛辣な批判を受けた。
彼は詩人というより理論家としてドイツの文学発展に寄与した。
彼の最も重要な到達点は、
翻訳と言語学の研究にある。
彼のシェイクスピア翻訳はなお意味を持ち、
多くの人に知られている。」

この話は、以前、ハイペリオンのCDでも読んだ記憶がある。
こまったものだ、人間というものは。

彼の詩につけた歌曲は、
ここでは、「愛の言葉」D410、
「囚われの歌びとたち」D712、
「再会」D855、
「遙かな人に寄せる夕べの歌」D856が、
収録されている。

Track16の「愛の言葉」は、
リュートをつま弾きながらのセレナードで、
リュートの音につれて、感情が高まって行く。
それらしい愛らしい序奏がついている。
夜露が落ちて来た、という第2節で、
不思議な音の変化がある。

Track17の「囚われの歌びとたち」は、
これまた、リュートのつま弾きのような曲想だが、
いくぶん憂鬱で、
「ナイチンゲールの声が茂みにこだまする・・
うるわしの五月がやってきた」という歌いだしから、
かごの中の、他のナイチンゲールたちの、
嘆きのテーマに変わる。
だんだん、ロマン派してくる。

「同じように現世の谷間に捕らえられて、
人間の精神は不安を覚えながら、
気高い兄弟たちの歌声を聞き、
現世の存在を天上の明るい兄弟たちの状態まで
高めようと無駄に努力する」ことがポエジーだ、
といかにも理論家の詩になっている。

Track18の「再会」は、しみじみとした曲想で美しい。
「僕は出かける、すると谷にも丘にも・・、
愛の挨拶があなたに向かって飛んでいく」
という内容。1825年と、円熟の作である。

Track19は、このCDの最後の曲で、
同様に1825年9月の作、
「去っていった人への夕べの歌」。
この詩も濃い。
「予感と想い出が一つになると、
心の最も奥深いところにある影も、
だんだんと明るくなってくる」という難しい詩。
さすが前衛である。

「色も輝きも光も何とまずしいのか、
おまえは、おお人間の生は」という展開。

シューベルトの音楽は簡素をきわめ、
まったく前衛に対する気負いのようなものはない。

F=ディースカウは、この2曲を退屈と切り捨てている。
「この時期の作品としては片隅のもの」
「聴くには忍耐が必要」と書いている。
確かに、最後の作品は8分もかかる大曲である。

得られた事:「ケルナーは19世紀初頭のポップスターであった。」
「『盲目の少年』の評価、さすがフンメル!」
by franz310 | 2011-03-13 22:21 | シューベルト

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その267

b0083728_0113221.jpg個人的経験:
ハイペリオンの
シューベルト・エディション、
日本で発売された時には、
第4巻にもまた、
「シューベルトの友人たち」と、
副題が付けられていた。
これは、テノールの
フィリップ・ラングリッジが担当し、
マイヤーホーファーのものに加え、
主にケルナーの歌曲を歌っている。


日本語版の解説によると、
この歌手は、1939年生まれのイギリス人で、
ハイペリオンのシリーズ第3巻を担当した、
メゾのアン・マレーの夫君なのだそうだ。
10歳の年齢差がある。

夫婦でシューベルトの友人たちの歌曲を歌ったが、
録音はこちらの方が二ヶ月早く、
1988年の9月11日、12日に行われている。
ラングイッジ50歳の録音。

残念なことに、この人は昨年の3月に、
癌のために70歳で亡くなったということだ。
もう、このCDが出てから20年も経ったのか。

このCDの表紙では、チェスの馬を持っているが、
これは何を意味するか悩ましいのだが、
ブックレットの8ページめにある、
ヨーゼフ・ケンナーの肖像画が、
ちょうど、これと同じポートレートなので、
それにあやかったものと思われる。

とがった鼻の形などが、妙に似ている。
この写真の表情から感じられる堅苦しさは、
歌唱そのものと、どうも一致しない。
いかにも、イギリス人らしい気品ある、
しかもしなやかな肌触りの歌い口は、
とても嫌味のない自然なものだ。

この肖像画のケンナーは、
このCD冒頭に収められた作品、
「吟遊詩人」D209の作詞者である。

「吟遊詩人」は、曲自体はあまり知られていないが、
シューベルトの親友のシュヴィントが、
この曲に霊感を受けたスケッチを残して有名だ。

つまり、詩から音楽、そして絵画へと、
友人間で霊感が伝達されたということで、
シューベルトのサークル特有の、
芸術の王国を形成したことで有名な作品である。

このような状況をジョンスンは、解説のなかで、
この時代特有の現象だと力説している。

いわく、ビーダーマイヤー期の中流階級は、
詩や音楽、絵画をたしなんだ。
いわく、メッテルニヒ体制のオーストリアは、
他の国々と隔絶し、学生たちをも謀反の温床と見た。
いわく、青年たちは団結し、
国家転覆より高踏的な生活態度に転じ、
俗物に対抗する自称芸術家の一団が出来た、
等々。

さらに、芸術家というものは、
自分たちの仕事が世の中を変えることが出来る、
と信じているゆえに、秘密結社的な雰囲気を漂わせたという。

ナクソスの解説では、これら友人たちの詩による歌曲集は、
その詩の稚拙さの向こうに、
彼等共通の危機意識をくみ取っていたが、
ハイペリオンの解説では、
もっと単純に、
「わたしたちはそれが付曲されるに到った愛情と
仲間意識というメンタルな背景に思いをいたすべき」
と書かれ、
「最も幸せだった一時期の副産物」(喜多尾道冬訳)
という見方がされている。

さて、このケンナーの詩による「吟遊詩人」、
早くから人気があった作品であったと見え、
出版は作曲家の生前、1825年である。
曲が作られたのは、シューベルトの創作力が爆発した、
1815年であるとされる。

しかも、全曲を歌うのに、15分を要する大作である。
私は、こうしたシューベルトの長大な歌曲の傑作は、
シラーの詩による「潜水者」D117だと考えていたが、
ジョンスンの解説によると、
「『吟遊詩人』の簡潔さは、『ダイバー』の装飾過多を払拭し、
イノセントな若者の物語を語るにいっそうふさわしくなている」
と書いて、さらにそれを上回るものとして捉えている。

ディースカウは、その著書で、
「多少煩雑で奇妙」と書いているが。

この曲は、あの「潜水者」同様、
いにしえの伝説のような物語詩となっている。

身分違いの恋人の元を離れ、
旅に出た若者が、いくらさすらっても、
死に場所すら見つけられず、
やはり故郷を見てから死のうと思う。

故郷に着く手前あたりで、
かつての恋人で、今は人妻となったミッラが、
人狼に襲われそうになっているのに出くわす。
若者は大切な竪琴で怪物と戦い、
もろとも谷底に落ちていく。

なかなか、泣かせる内容で、
素人詩人ながら、ケンナーは、
上手い具合にシューベルトが好む世界を作り上げている。

このケンナーと、良く似た名前の、
テオドール・ケルナーの詩による歌曲が、
8曲、この後に続く。
全15曲なので、ケルナー歌曲集のCDと言ってもよい。

だが、解説によると、
シューベルトのケルナーの詩による付曲は、
14曲もあるそうなので、
そのすべてを収めているわけではない。
ちょうど、LPがいっぱいになりそうな分量だが、
そんな企画は聴いたことがない。

このケルナーは、愛国詩人として知られ、
ナポレオン戦争には率先して従軍し、
わずか23歳で戦死した人である。

軍人としての側面も持った人であるから、
このCDのブックレットの9ページめにある、
肖像画でも、きらびやかな飾りの軍服を着ていて、
眼差しから放射される強い意志が印象的である。
こういう世界とは無縁に見えるシューベルトであるが、
実はこの青年将校は、彼にとっては大変な恩人であった。

日本発売時の解説も、立派なものだったので、
オリジナルの解説を直訳したものと思っていたが、
見直してみると、ジョンスンの解説とは別のものだ。

もとのブックレットにはこう書かれている。

「テオドール・ケルナーは、しばしば、
同じ世代からは、Rupert Brookeと呼ばれていた。
彼はシューベルトよりわずか6歳だけ年長で、
当代切っての何かに見える程若く、
まだ10代であった作曲家を、
一種の英雄崇拝で奮い立たせる程、
早熟で向こう見ずであった。
ケルナーはドレスデンの文学的家庭からの出自で、
彼の父親は、まさにあのシラーの親友であった。
この性急な若者は、1811年にライプツィッヒ大学から
決闘の罪で放校されている。
彼は、その悲劇の一つが上演された
アン・デア・ヴィーン劇場のあった
ヴィーンに移り住み、
19歳にして、ブルグ劇場付きの劇作家になった。
この頃、ヨーゼフ・フォン・シュパウンは、
シューベルトをブルク劇場に連れて行って、
グルックの『トゥーリードのイフェゲニー』を見せている。
『劇場を出る時、我々は、私が親しくしていた、
詩人のテオドール・ケルナーに出会った。
私は、すでに多くのことすでにを語っていた、
作曲家の卵を彼に紹介した。
彼は知己を得た事を喜び、芸術に生きることこそ、
幸福があるのだと、シューベルトに説いた。』
その後、レストランで、隣の席で、
批判されていた、歌手のミルダーとフォーグルをかばって、
ケルナーとシューベルトは危うく口論になるところだった。
若いシューマンがハイネに出会ったように、
この夜の出来事は、シューベルトが、
この詩人の魔力に取り憑かれるのに充分だった。
この夜、シュパウンと、ケルナーといて、
シューベルトは理想を共にする共同体の一翼を担う、
芸術家としての自覚を深めたことであろう。
家族が彼を教職に縛り付けようとするのに反抗しようとする
彼の態度は、この若い詩人のアドバイスによって強固になった。
1813年8月、ナポレオン解放戦争の小競り合いがあった、
ガーデブッシュの戦闘でケルナーは殺された。
彼は5つの悲劇、5つの喜劇、短編小説、
その死に様によって強調された衝撃と人気を誇った、
愛国詩集『Leyer und Schwert』を含む多くの詩を残した。」

このように、ケルナーは、血気盛んな、
いくぶんヤバいタイプとして描かれているが、
この人なくしては、シューベルトは、
作曲家としての道を歩まなかった可能性があり、
我々は、このあんちゃんに感謝しても、
し足りないということはない。

このように、シューベルトは作曲家になりたての頃に、
この詩人から強烈な刺激を受けた。
そのせいか、8曲中5曲はドイチュ番号も、
若書きの100番台である。

あとの3曲も200番台と300番台が1曲づつと、
600番台が1曲。
いずれも、五重奏曲「ます」などが書かれる前の時点。

その後、マイヤーホーファーが4曲、
シュレヒタ1曲とコリンが1曲なので、
第3巻のマレーのCDより、ずっと地味な選曲と言ってよい。

Track2と3は、同じ、「歌びとの朝の歌」で、
第1作D163と第2作D165というのが、
これまた、いかにも、習作っぽいではないか。

解説によるとこの2曲は1815年の、
2月27日と3月1日という、
ごくわずかな日数を経て書かれたものだ。

「美しい日よ、おまえははじまったばかり。
深い意味をこめた言葉を、
メロディゆたかな諧音で、
おまえのばら色のかがやきに挨拶を送る!」

という朝焼けへの賛美であるが、
1曲目は軽快で軽薄であり、
2曲目は、まったりとして陶酔しすぎである。
シューベルトの修行は始まったばかり、
という感じがしなくもない。

ジョンスンの解説でも、
これらの曲は、まったく別の曲と書かれているが、
決して若書きとして片付けられてはいない。

第1曲も「高揚した精神の音楽」とされ、
「ピアノ前奏と声のメリスマに
ウェーバーも影響が感じられる」として、
「もっと知られて良い」と書かれている。

第2曲は、「水車屋」の中の、
「朝の挨拶」の先駆としていて、
祈りの歌として解釈した例としている。

さらのジョンスンは、この曲を、
「ベッリーニ風の流麗な声の糸」と書いて、
これら2曲の差異の中に、
「ケルナーの詩の全貌が聴きとれる」としている。

ちなみにF=ディースカウは、
「おどけた第1作と物思いに沈んだ第2作があるが、
第2作の美しい旋律のほうがより印象的である」
と書いている(原田茂生訳)。

Track4もまた、
1815年3月の作曲。
「それはぼくだった」D174。
この曲は、詩も面白いし、曲も機知に富んでいる。

夢の中で「君そっくりの」美しい乙女を見る。
この部分はまさしく、うっとりと夢見るように流れ、
後半、若者が乙女を抱き寄せるが、
「それはぼくだった!」という落ちであるが、
その部分の快活さもすかっとする。

ジョンスンは、ダニー・ケイの映画を引き合いにし、
シューベルトもまた、
テレーゼ・グローブへの宿命の愛にあったとする。
「気まぐれな自由が支配」し、
「ユーモアとやさしさにあふれている」としている。

Track5も同様に恋の曲で、
「恋のたわむれ」D206。
同じ1815年のものながら、
5月も26日の作曲とされる。

「かわい子ちゃん、ここへおいで!
千回もキスしてあげるよ」という、
向こう見ずな若者の勇ましく、微笑ましい音楽。
ジョンスンが「ジングシュピール風」、
「大胆な痛快さが支配している」と書いている。

Track6は「愛の陶酔」D179で、
ちょっと戻って4月の作曲。
「きみのなかにぼくの想いは融けてゆく」
と、「恋のたわむれ」と違って、
真摯に情熱的なもの。

これは、伴奏の音型の精妙さが歌と一体となって、
シューマン風で、妙にロマンティックである。
「きみの眼差しの中にぼくの天はかがやき、
きみの胸のなかにぼくの楽園が宿る」と、
まさしく詩が喚起した情熱であろう。

ジョンスンは、「ここには恍惚と苦悩に
身をよじられる心の動揺が渦巻く」と書き、
「ケルナーの肖像」だとしている。
これは名曲であろう。

Track7は、「愛の憧れ」D180で、
D番号は1つ違いで、同じ日の作曲。
これは夜の歌で、沈潜するような曲調が美しい。

「夜がやさしく心の戦いを、
そのありあまる力、旺盛な生命を、
あまいまどろみの揺りかごへと誘う」
という神秘的な部分から、
ピアノが荒々しく一閃し、
「だがつねに新たに生まれ出る苦しみを伴い、
ぼくの胸のなかで憧れがうずく」と、激情が迸る。
これは、演奏効果もあがる曲と見た。

この前半部を、ジョンスンは「影法師」に例え、
ピアノ伴奏の大胆さを指摘している。
「目をみはるような大胆さ不安」とあって、
これまた、ケルナーの人柄を伝えると書いている。

Track8は、急に軽妙な語り口になって、
ジョンスンは「18世紀風なエロティックな
ミニアチュール」と書いている「邪魔される幸せ」。
D309で1815年も秋の10月のもの。

レースヒェンにキスしようとすると、
常に邪魔が入る、という猥雑な内容だが、
熟達、余裕の筆致である。

Track9は、D611で、
ずっと後の1818年3月の作曲となる、
「リーゼンコッペの山頂にて」。
ケルナーの詩への最後の付曲だという。

これは、雄大な内容の詩で、
題名のとおり、詩人は山頂で、
「聖なる山頂よ、天を摩するものよ」と歌い、
から下界を見下ろしては、
人々の営みや自然を眺めやる。
「僕は祝福する愛する故郷よ」と歌い上げる。

しかし、シューベルトの曲想は、
きわめて地味というか、実験的で厳しい。
どうしたことかと思うと、
途中から、優しい曲調に変わるが、
ちょっと繋がりが悪い。

ジョンスンは、しかし、この曲は、
「真に中味のある愛国歌」にすることに成功した例としている。
様々な視界からの展望の効果も特筆している。

以上で、このCDにおける、
テオドール・ケルナーの詩による歌曲集は終わる。

Track10は、山頂から一転して、湖となる。
マイヤーホーファーの詩による、
「湖畔で」D124、これまでのもののなかで、
最も早い時期の1814年12月の作曲。

愛国詩人ケルナーとは明らかに異なる、
憂国詩人マイヤーホーファーが、
「湖の草辺に座ると、悲しみが忍び寄る」という、
悲しげな曲調は、
「ぼくはあまい苦しみのうちに死にたい」と続く。

しかし、激烈なピアノを伴う楽想が、
この基調をぶちこわして進む。
「自分の奥深い力を意識すると、
最高のものを求めて苦悩する」というのである。

Track11は、モーツァルトの、
「ジュピター交響曲」のテーマのような音型が面白い、
「昔の愛は色褪せない」D447。
1816年9月の作曲。

やはり、マイヤーホーファーの詩で、
「かつてぼくのものと呼んだあの人は、
ぼくを風のように包んでくれた」と、
女嫌いの詩人にしては、ちょっと違う印象。

「そして、あの人を失ってから、いろんな所に行って、
美しい女たちを見たが、彼女が追い払ってくれる」、と続き、
のろけ話のような感じにも聞こえるが、
彼女はもういないのであるから、意味深である。

ジョンスンは、きっと、こう書くのではないか、
と思ったとおりのことを書いてくれている。
「モーツァルトに対するシューベルトのかわらぬ愛は、
色褪せることも消えることもなかった。」

そして、テレーゼ・グローブとの愛の終止符である。

が、もっとすごい事も書いていて、
「まったく魅力的なリート」、
「内的原理は、呪文か連檮に近い」、
などと表現しているのである。

Track12は、やはりマイヤーホーファーで、
「河のほとりで」D539、1817年3月のもの。
ピアノ・ソナタの年のもの。

これは、いかにもマイヤーホーファーのもので、
川と自分の心を重ね、
緑の絨毯に映えていることもあれば、
不安に満ちて轟き流れることもあり、
海に行っても落ち着かない、
という内容。

こうした内容には覚えがある。
そうだ、前回聴いた、ハインリヒ・コリンの詩。
シューベルトのD509「別れの苦しみ」である。
これは、前年、1816年末のものだった。

Track13は、比較的成熟した名曲と言える、
「夜曲」D672である。
ジョンスンは、シュレーゲルの歌曲集『夕映え』の影響がある、
と書いているが、さすがに深いロマンを感じさせる曲調。
森の中の老人が、竪琴を持って、最後の時を告げると、
森の木々も草も鳥も、みんなが、その死を抱き留める。

これは、五重奏曲「ます」と同時期に書かれたものであるはずだ。

Track14は、この前にも聴いた、
シュレヒタの「恋の立ち聞き」D698。
ナクソスのものよりも、たっぷりとした音楽になっている。

このCD解説には、シュレヒタの肖像が掲載されているが、
こちらは、いかにも、ぼんぼんという感じで、
先に上げた鉄砲玉のケルナーとは正反対の印象だ。

「フランツ・クサーヴァー・フォン・シュレヒタは、
シューベルトの数多い、学校時代の友人の中でも、
シューベルトの死の時まで、ヴィーンにあって、
そのサークルにあった人である。
彼は詩人としての資質には欠けたかもしれないが、
(彼は詩句を磨いて大きな効果にすることが出来ない
ディレッタントの一人であった)
忠実な友人だということでその埋め合わせをした。
彼は財務局の高官となった。
彼はシューベルト歌曲のうち、
8曲の作詞者であり、多くは成功作である。
『愛の立ち聞き』は、最も長いものであるが、
ある意味、最も簡単なものである。」

ジョンスンも、この曲は、シュレヒタが、
カーロスフェルトの絵に着想を得たもの、
と書いているが、
内容が内容なだけに、「リートではなく、歌の絵」
だと表現している。
しかも、最後の2行の痛快な表現を、
「判じ物」と言い切っているのがすかっとした。
私が前回、書きたくて書けなかった事が、
ここには、はっきりと書かれている。

もういちど、思い出すと、この曲は、
恋人の窓の下で、若い騎士が、
ツィターを弾きながら、
あの人を窓辺に呼び出しておくれ、
と歌うもので、非常に美しいメロディが印象的なもの。

最後に騎士は窓によじ登って、
花輪をくくりつけるのだが、
最後の最後になって、
「下からくすくす笑う声がして、
あなたの騎士リーベムントからよ」
と立ち聞きされていた、という内容。

ジョンスンは、下から声をかけたのは誰で、
リーベムントは誰か、と疑問を呈している。
そして、シュレヒタが中途半端なことを書くからだ、
と八つ当たりもしている。

このCDのブックレットには、
乙女の窓辺の木に登る若者を図示した絵が添付されているが、
これが、カーロスフェルトの絵なのだろうか。
その割には、花輪などないが。

さて、Track15、
最後の曲は、コリンが作ったふざけた詩に、
シューベルトがさらにふざけた音楽をつけた、
「リンツ試補ヨーゼフ・フォン・シュパウン氏に寄す手紙」
という長々しい題の作品。
1822年の作曲、D番号はD749である。

円熟期の作品ゆえに、どこからどこまでも、
壮大かつ崇高な楽想が鳴り渡っている。

何も知らずに聞き始めると、
ものものしいレチタティーボが始まり、
何か歴史的絵巻が繰り広げられるのだと思うだろう。

ピアノの響きも恐ろしく緻密で、
底光りがしている。

しかし、何と、この作品は、
まさしく手紙で、歌われている内容は、
「で、結局手紙を寄こさないつもりなのかい」
と、前年ヴィーンを去り、
リンツで役職について連絡をくれない、
友人シュパウンをなじるものなのである。

シュパウンといえば、五線譜をくれたりして、
何かと少年時代のシューベルトに世話を焼いてくれた、
大恩人である。
コリンは、その従兄であり、シューベルトは、
この年配の友人には、深い敬意を払っていた。

雄大なアリアが立ち上がるが、
その内容は、
「たとえぼくたちは忘れられても、
あの実直な人をいまだ愛している」というもの。
まことに愛すべき作品である。

F=ディースカウも、
「珍品を探している人を失望させない」とか、
「壮大な英雄オペラのすばらしいパロディーが
数多く隠されている」とか、
「内容のある音楽」と書いている。

が、このCD解説を読むと、ジョンスンは、
もっとうがった見方をしていて、びっくり仰天した。
シューベルトは、何と、馬鹿真面目に、
当時、流行していたイタリア音楽に真似て、
これを書いたというのである。

まさか、こんな内容のものまで、
勉強の材料にしたというのだろうか。
しかし、そう考えてもおかしくないような、
一途さがこの作品にはみなぎっているのは確か。

レチタティーボの終わりに、
「野蛮人め」となじる部分があるが、
これは、当時、シューベルトら、
ドイツの作曲家を閉め出していた、
劇場経営のイタリア人、
バルバーヤと語呂が似ているから、
思いっきり、吐き捨てるような表現にしたともある。

何だか、冗談が昂じて、八つ当たりになっている感じだ。
そうした状況もあったかもしれないが、
ラングリッジが、いかにも、という感じで、
悲劇的な声を張り上げているので、
私は、おかしくてしょうがなかった。

ジョンスンは、さらにシューベルトの、
このくそ真面目さが、オペラで成功できなかった理由だ、
と書いているが、そこまで書かなくても、
という感じがする。

何故なら、前半のケルナー歌曲集などは、
かなり微笑みを含んだ作品が揃っていたように思えるから。

得られた事:「ジョンスンの解釈では、シューベルトは友人たちへの付曲は、人間的な信頼関係を第一とした彼の考え方の産物であり、これによって、友人たちは、さらに真剣に彼の音楽に耳を澄ませた。」
by franz310 | 2011-03-06 00:20 | シューベルト

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その266

b0083728_2252111.jpg個人的経験:
シューベルトの歌曲で、
友人ショーバーの詩につけたもの、
「すみれ」と「わすれな草」
の2曲は、その規模と、
内容からして一対の作品である。
前回、この2曲を録音した
ナクソスのCDを紹介したが、
残念ながら、
その他の作品の聞き込みで、
力尽きてしまった。


ハイペリオンの「シューベルト・エディション」でも、
当然、この2曲は収録されているが、
「わすれな草」の方は、フェリシティ・ロットが受け持ち、
「すみれ」の方は、アン・マレーが担当している。

このCD、ハイペリオンの全集の3巻目であり、
これを入手した時、まだ、この全集は、
日本語解説付きのものが進行中であった。

その後、日本語解説付き盤は、
売り上げが伴わず、立ち消えになってしまったが、
これは残念なことであった。
私の印象では、この全集のピアノと解説を受け持った
グレアム・ジョンスンの筆は、後半になるに従い、
さらに冴えを増していったようにも見えるからである。

が、今回、この日本語解説を見てみると、
あくまで、英語版解説の補助であることが分かった。

この英語版ブックレットをめくれば、
貴重な肖像画がページを繰るごとに現れ、
どきどきしてしまうが、当然、日本語ブックレットでは、
これは省略されている。
このCDでは、シュパウン、フォーグル、シュタッドラー、
マティアス・フォン・コリンの肖像がある。
日本語だけを見て、このオリジナル部を見なければ、
このシリーズの価値の、
何分の1かを味わっていないことになる。

ブックレットをめくると、
かくも、サービスたっぷりのCDではあるが、
それにしても、表紙のアン・マレーは、何故、
このように無表情でこちらを見つめているのであろうか。

第1巻のジャネット・ベイカーは、優しく微笑み、
第2巻のスティーブン・ヴァーコーは、
いかにもシューベルト風にポーズを作っていたが、
第3巻になって、何故、このような無愛想な表紙になったか、
少々、戸惑いがあった。

1949年生まれのアン・マレーは、
この録音が行われた1988年時点では、
まだ30代ということになるが、
黒っぽい衣装といい、あまりに華がない。

先に見られた肖像画でも分かるが、
このアン・マレーのCDも、ナクソス盤同様、
シューベルトの友人たちの歌曲を集めたものとなっている。

ただ、数の上で別格の
マイヤーホーファー作品をも集めたがゆえに、
友人たちの歌曲集というよりは、
マイヤーホーファー歌曲集が主であって、
おまけのように、その他の友人たちの歌曲が含まれている
といった趣きになっているが。

ナクソスはその点、詩人別にしたので、
たっぷりあるマイヤーホーファー歌曲集は、
別巻で2集にして出されることになった。

今回のハイペリオン盤は、
もともと、有名なものと無名の歌曲を、
バランスよく収録しようという企画であったから、
こうしたオムニバスになったものと思われる。

例えば、有名なところでは、
コリンの「こびと」と「夜と夢」があって、
知られざる作品を聴いた後のご褒美みたいに、
終わり近くに、2曲並んで収録されている。

14曲中、実に約半数の6曲が、
マイヤーホーファーのもので、
しかも、フォーグルに認められる契機となった、
「眼の歌」D297(1817?)から、
「友人たちに」D654(1819)まで、
D番号が点在しているのも眼につく。

Track1には、大恩人シュパウンの詩による、
「若者と詩」D545(1819年作)が収録されているが、
その後、ずらずら6曲の詩がマイヤーホーファー作。
最後も、マイヤーホーファーの「別れ」D475である。

Track2は「友人たちに」D654で、
五重奏曲「ます」と同様、これまた1819年の作。
しかも、この曲をつけた時、
この二人は一緒に住んでいた。

「森に僕を埋めてほしい、
冬には雪に覆われるが、
春には塚に花が咲き乱れる」
という、陰鬱ともかすかな憧れとも思える歌。

このような曲を書かなければならなかったシューベルトが、
この年の夏、シュタイアーで、青春の息吹を取り戻す、
明るい曲をたくさん書いたのも当然と思える。

Track3は、「眼の歌」D297。
「ぼくの喜びは、眼から与えられる」
と、見えるという事への感謝の歌で、
やさしい民謡のような簡素さがある。

フォーグルとの出会いの時の歌で、
この曲を見てシューベルトの才能を認めたフォーグルは、
例えば、その後、「冬の旅」のような
作品を書くようになるこの作曲家の将来まで、
はたして見通していたのだろうか、
などと考えてしまう。

Track4は、「帰路」D476。(1816年作)
この曲は、魅惑的な序奏からして、
非常に感傷的なものだが、
歌詞もこれまた不思議な雰囲気を持っている。

のびのびと自由であった山や森を離れ、
ドナウ川に沿って首都に戻って行く様子。
美しい人生が一歩一歩消えて行くと歌われる。
マイヤーホーファーは、実に陰鬱だ。

まさしく月曜の朝に会社に行く時の心境。

この曲に対するジョンスンの解説は、
録音の合間に歌手のマレーが、
おどけて見せた様子を伝えとても興味深い。
マレーネ・ディートリヒの声色を真似て、
これを歌って、ここにあるうらぶれた人生観を、
垣間見せたというわけだ。

Track5は、「イーピゲネイア」D573(1817年)。
この曲も序奏からして魅惑的で、
ふと引きつける典雅さを持っている。

これは、夷てきの地、タリウスから、
一族の住む国に返して欲しいと、
女神に対して女官が訴える歌で、
メロディの線もアルカイックで美しい。

この曲の解説も傑作で、
女嫌いの詩人の、数少ない女声用リートの最高作、
などと書かれている。

Track6は、「歌の終わり」D473(1816)。
白髪の王は、竪琴弾きの歌に、
まったく心を動かさない。
無力感に竪琴をたたき割ったが、
王は「無感動を許せ、
もう死が近づいているのだ」と告げる。

6分を要する大作で、様々な場面が歌われるため、
この曲は、メロディは豊富ながら、
いささか繋がりが悪い感じ。
ジョンスンの解説も、いささか月並みな節回し、
などと書いて、その気持ちが表に出た伴奏ぶりでもある。
が、後半に関しては、賛辞を惜しんでいない。

以上のマイヤーホーファー歌曲集をもって前半が終わり、
真ん中には、シュタッドラーの2曲が来る。
これらは、前回のナクソスのCDにも収録されていたものだ。

1820年、「ます」の五重奏曲が書かれた余韻のように書かれた、
Track7の「聖名祝日の歌」D695は、ジョンスンも解説で、
「このリートはシューベルティアーデの雰囲気を伝える
典型的な機会作品」と書いている程の晴れやかさである。

シューベルトは前年、シュタイアーで、
ヨゼフィーネ・コラーという、
音楽の才能の豊かな娘と楽しいひとときを過ごしたが、
この歌は、その父親宛に書かれたものである。

ジョンスンの解説では、
コラー嬢は19歳だったようだが、
シューベルトもまだ22歳。
想像するだに楽しそうな年齢の二人だ。
シュタッドラーは、シューベルトの寮学校時代の友人で、
3歳ほど年配だが、郷里に帰っていて、
やって来たシューベルトを歓待し、
彼のおかげで素晴らしい環境が影響して、
名品「ます」の五重奏曲が生まれたようなものだ。

この曲のピアノ伴奏を受け持ち、
ヨゼフィーネが歌うことが想定されている。

詩は、「主よ、あなたの祝福を、
名誉ある男に授けて下さい」と、
誕生日のように祝われる内容になっている。

ジョンスンは、この曲のピアノの扱いを、
「生意気な様子」と表現しているが、
これについては、ああ、なるほどね、と思わせる。

Track8のシュタッドラーの詩による歌曲は、
1815年と、少し、時代を遡る、
「いとしいミンナ」D222である。
これは、素人が作ったにしては、
なかなか大作の悲恋もので、
6つの部分に分かれ、5分を越えている。

戦争に行ったヴィルヘルムを思ってミンナが泣くと、
夕暮れのそよ風が、岩山の上にミンナを導く。
花の中から恋人の声が聞こえ、
ミンナはそこで横になるのである。
シューベルトは、この彷徨う女の嘆きを、
切々と歌い上げている。
恐ろしい18歳である。

Track9は、ショーバーの詩による、
「おんみらの平安を祈る」D551(1817年)で、
これは、ナクソスのCDにも入っていた。
ここでは、マレーが、さすがメゾの深い声を響かせ、
シューベルトの葬儀の時にも歌われたという、
この荘重な歌を、魂の響きとしている。

そして、Track10に、ショーバーの詩による、
「すみれ」D786が来る。
これはモーツァルトの同名の曲とは異なり、
大規模な歌曲なので、後に回そう。
特にここでの歌は、15分に迫る大歌唱となっている。

この曲が大作だとはいえ、15分もかけたのは、
このCDだけではなかろうか。

Track11は、ショーバーの詩による、
1817年の「歌のなぐさめ」D546である。
3分に満たない、ぽつりぽつりした歌である。
非常に簡潔なもので、水墨画の味わいである。

ぱらぱらという序奏は、竪琴の響きを模したもの。
「不幸な時にはハープを取る。
歌を口ずさむと嵐も穏やかに聞こえる。」
と静かに歌われるが、
最後に、シューベルト団の秘蹟のような言葉が来る。

「悲しみと喜びがひとつに解け合う、
それが僕の生き方なのだ。」

ジョンスンは、ジョン・リードが、
この曲を完璧無欠と書いているのを紹介しながら、
この2行を「作曲家の芸術の墓碑銘」と書いている。

また、ジョンスンは、この曲の内容から、
シューベルトが、音楽に関する考え方を、
身近な友人には吐露していた証拠だと書いているが、
これは、なるほど、と思ってしまった。

Track12は、これまた素晴らしい作品、
「こびと」D771である。コリンの詩。

シューベルトの恩人で、
大学教授であった、この人は、
こんな作品を書いていたのである。
私は、むしろ、コリンは「こびと」を書いた人と、
昔から知っていたが、シューベルトと、
そんなに近い人だったとは知らなかった。

身も凍る効果を持つホラー作品と、
ジョンスンが解説に書くように、
不気味極まりない内容。

前の曲の、中に向かって凝集したものが、
爆発するかのような壮麗な効果を見せる。

夕闇の中で、小舟に乗った王妃とこびと。
冷酷なこびとは王妃の首を絞めるが、
何故か彼女は喜んで死んでいく。

「すみれ」同様、1822年頃に書かれたもので、
シューベルトの筆は熟達にある。

Track13は、素晴らしい「夜と夢」D827。
さらに後年の作品で、浮遊感に満ちたマレーの歌で聴くと、
シューベルトの魂が、亡くなったばかりのコリンの魂を追って、
一緒に虚空に消えて行くような印象すらある。

前回聴いた、ゲラーが3分半で歌っているのを、
なんと4分40秒かけている。

最後のTrack14は、マイヤーホーファーの詩による、
「別れ」D475で1816年の作品。
「ああ、鏡のような湖、森、丘は消えてゆく、
あたりにこだまするきみたちの声も消えてゆく」
と歌われる、寂しい音楽で、
これまた、マレーの声が、この世ならぬ響き、
ジョンスンの伴奏も不思議な虚無感である。

ジョンスンは、この小さな曲に、
ブラームスやマーラーまでを予告するものを、
聞き取るのだという。
では、ディースカウの本にはどうあるかな、
と見直すと、何と、ここにも、
「マーラーを予告する」と書かれていた。

マイヤーホーファーは、そういえば、
シュタイアーの出身の人であった。
シュタイアーは、シューベルトが、
五重奏曲「ます」の着想をした街である。
では、この湖、森、丘などが、
シューベルトに新しい霊感を与えることになるわけだ。

ということで、このCD、かなり聴き応えがあるもの。


表紙写真に見られた無愛想なマレーの表情と、
気むずかしいイメージの、マイヤーホーファー歌曲集の存在のせいか、
私は、このCDを、あまり良く聞き込んだ覚えがない。
が、今回、聞き直してみると、実に良かった。

こう言うことがあるから、
レコードのよさというものは、語るのが簡単ではない。
聴く者が、ぴったりと波長が合わないと、
聞こえるべきものが聞こえない場合がある。

私の場合、「アルフォンソとエストレッラ」を聴いて、
今は、シューベルトの友人の仕事が、
気になってしかたがないので、
1曲1曲が珠玉に聞こえだしたが、
これまでは、こうした歌曲は、
ゲーテやシラーの有名歌曲の合間に書かれた、
友人へのサービスのような二級品だと考えていた。

しかし、あのオペラや、ナクソス盤の、
愛情こもった解説を見ているうちに、
これらの歌曲集は、古典の大家の詩につけた歌曲より、
はるかに強烈な危機を内包した、
切実な訴えとして聞こえるようになってしまった。

また、この前聴いた、ブリギッテ・ゲラーが、
ソプラノで、いささか清潔にすぎて、
人間味が感じられにくかったのに対し、
このマレーのメゾ・ソプラノは、
かすかな陰影が魅力となっている。

しかも、ジョンスンの伴奏も、
いかにも大切にこれらの歌を扱っている。
特に、大作、「すみれ」では、
さあ、これから始まりますよ、
という感じに、心を込めた序奏が聴ける。

この「すみれ」という歌曲、
春一番に起き出したすみれの花は、
恋人の事を思って、さっそく花嫁衣装に着替えるが、
回りはまだ冬景色。一人ぼっちなのである。
恥ずかしくなって、草陰に逃げ込んでしまう。
そして、「愛と憧れの苦しみのあまり、
すみれのひよわな心はつぶれて」しまうのである。

春が本当にやって来た時、
ばらや百合やチューリップが、
すみれを捜しに行くが遅かった、
という内容が意味深である。

ジョンスンの解説もこの曲を絶賛している。
「踏みにじられた無垢、空しい努力、
かがやかしい強大な力への屈服、
といったものすべてがこのバラードにある」とある。
ヴァイオリン・ソナタのように弧を描くメロディ、
ロンド形式のような形式感などが特筆されている。

いかし、このようにこの曲を評価する人は、
多くはなく、ディースカウなども、
技巧に走った作品として軽視している。

「まさしく植物学の講義に似て、
はからずも喜劇的な感じを与える」と書き、
ディースカウは、シューベルトは、
ショーバーのために、この曲を書いたように書いているが、
果たしてそうであろうか、という疑問が湧く。

この前、このショーバー歌曲の、
ナクソス盤解説を文字数の制約から、
はしょってしまったので、
ちょっと、ここで、改めて、それを見直そう。

シューベルトが、1823年という危機の年の春、
友人、ショーバーの詩に付曲した大作2曲、
「すみれ」、「わすれな草」が、
一気に収録されていたことから、解説でも、
上手い具合に、これらを概観してくれている。

いずれも、ここでの演奏で言えば、11分ほどかかる曲ゆえ、
2曲を合わせると、この年に書かれた、
あの「未完成交響曲」と同じくらいの規模になる。
未完成が書かれ始めたのは、前年の秋。

「シューベルトの最も親しい友人であった、
ショーバーの詩による二つの花のバラード、
「すみれ」D786と「わすれな草」D792は、
誠実ながら、落胆した花の花嫁を扱ったもので、
彼女は死によってか、忍従、または身を引くことによってしか、
平安を見いだすことが出来ない。
そこに含まれる自然の象徴は、
基本的な精神的な喪失を表し、
自然は、もはや、調和した循環ではなく、
悲しい出来事の繰り返しとなり、
神が与えた善き世界の秩序はもはや存在しない。
同時に、花のバラードは、同時代のメタファーを含み、
(ナクソス盤Track17の)『すみれ』は、
あまりにも春早く咲き出して死ぬことから、
自由のアレゴリーとして捉えることが出来る。
(ナクソス盤Track2の)『わすれな草』は、
あまりにも遅く育ち、内省のうちに終わる。
白日夢は、ビーダーマイヤー期の人々を表し、
大いなる希望からの失望から、
限られた個人的牧歌を表す。
これらのテキストが、シューベルトにとって、
単なるセンチメンタルなメロドラマではなかったことは、
その音楽の冒頭から聞き取れる。
『すみれ』において、単純ながら、緊急ベルのような動機は、
曲全体に行き渡っており、色彩と変化で彩られている。
それは戻って来る都度、新たに強調され、
最後に枯れる所では、旅立ちと未来を告げる。
『わすれな草』は、音楽的、主題的により複雑で、
和声的にはさらに大胆であり、
叙情的な名残惜しさと、劇的にせき立てられる楽句の間の、
コントラストが激しい。
長く、痛々しい、そして深い情感のパッセージの第13節、
『涙はただ、それ自身の痛みのみを語る』は、
調性的にもペダル・ポイントの進行、
基本のリズムパターンで、
このバラードの、有名な『未完成交響曲』と、
年代的にも感情的にも近親であることを示している。
しばしば、そして時として長すぎる意図的反復と、
中央部の動機の変奏は、このテキストに、
シューベルトが深い共感をしていたことを示している。
例えば、わすれな草の眠りの長い描写、
『優しいヴェルベットの苔の中で』は、
驚くべき優しさで、
水面下では、そこからくみ取れなかったほどの、
高度に官能的な音楽が奏でられている。
同様に魅力的で脅迫的な水に花が映る部分の曲付けでは、
神話のナルシスのイメージは、
シューベルトと友人たちのジレンマの証拠である。
この自己への集中は、ナルシスムや強度な自己愛ではなく、
満たされない希望、理想、夢を前にしての、
望みと嘆きの表現なのである。」

ナクソス盤の場合、この「わすれな草」は2曲目に入っているので、
聴き始めるや否や、いやがおうにも、この世界に連れ去られる。
春の口づけを受けた「わすれな草」ちゃんは、
「言うに言われぬ憧れ」が胸に沸き立って、
何と歩行を開始するのである。
岩山をよじ登り、山を越えて、川のほとりで立ち尽くしてしまう。
そして、自分の姿が映る川辺にて安住の地を見いだす。

この血みどろの歩行に、あの未完成のリズムが刻まれる。
共感豊かな解説を書いた、アイゼンロアーに導かれた、
ゲラーの切実な歌い口は、素晴らしい集中力で、
私を歌の世界に連れ込んでしまう。

このスイスのソプラノ、ゲラーは、
ガーディナーとバッハなどを共演しているようで、
澄んだ歌声が宗教的なまでに清潔である。

このナクソス盤、他にも、
ショーバーの詩による曲が収録され、

「しかし、虚しく、希望のない彼等の時間にも、
慰めがなかったわけではないようだ。
芸術、特に音楽は、慰めと見なされた。
共にショーバーの詩による、
(Track16の)『死の音楽』D758と、
(Track15の)『歌の慰め』D546は、
同時に自閉に向かう傾向を見せる。」

これは、「死がせまった時に静かな歌を聴かせて欲しい」
と歌われたり、「歌の中に悲しみと喜びが一つになる」
と歌われたりして、音楽を信頼しきったものだ。

ジョンスンも書いたように、
ショーバーは、シューベルトの考え方を、
上手い具合にテキストにしてくれている感じである。
ナクソス盤の解説には、このようにある。

「後者の中では、音楽は、
『逆境の嵐』への抵抗として褒め称えられ、
前者の中では、音楽は、
死を神秘的な啓発と見て瀕死の者を慰める。
シューベルトの友人たちの詩において、
音楽は、現実の『灰色の時間』からの逃避となり、
シューベルトは、これらの『音楽についての音楽』の中で、
それぞれに特有な、絶対的な魅力を持つ音楽的解釈を、
見つけ出している。」

いずれも美しいものだが、先に書いた「歌のなぐさめ」は、
ゲラーの歌唱ではせかせかしすぎていて、2分程度で終わる。
『死の音楽』は、起伏に富んで5分かけているが。

同様のコンセプトのCDであるが、
ハイペリオン盤の方が、たっぷりと歌われ、
シューベルトの音楽世界に浸りきらせてくれる。

得られた事:「ショーバーの詩は、シューベルトとの日々の会話で書き留められたシューベルト自身の音楽観のようなものが垣間見える。」
by franz310 | 2011-02-26 22:52 | シューベルト

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その265

b0083728_232117.jpg個人的経験:
ナクソスのCDで、
シューベルトの最も親しい友人、
ショーバーの詩の歌曲を聴いてみたが、
「シューベルトの友人たち」第1巻には、
8曲が収められていた。
実は、翌年に録音された第2巻にも、
ショーバーの歌曲は、4曲も入っている。
前回は、バリトンによる歌唱だったが、
今回のものはソプラノにより、
ずっと華やかな感じがする。


こちらは、ショーバー歌曲で言えば、
「わすれな草」とか、「すみれ」といった、
花にまつわる作品が収められて、
この風情がいかにも、愛らしい。

これらの歌曲は、それぞれ、
11分ほどの規模を持つ大作であるので、
ちょっと、今回は敬遠して、その他の曲を聴いてみたい。

今回の表紙の肖像画はショーバーではなく、
マティアス・コリンになっている。
したがって、コリンの曲などもここで味わっておこう。
この肖像画もやはり、前回と同様、
Chaiさんの作品である。

ちょっと特徴のない、
意志の弱そうな顔立ちに描かれているが、
あの絶美の陶酔を誇る歌曲、
「夜と夢」を書いた人として知られる人で、
この曲も、Track5にしっかり収められている。

しかし、このコリンという人は、
CD裏に書いてあるように1779年生まれ、
友人というには20歳近く年配の人なので、
少し、この企画には違和感を覚えるのも確か。
20代前半のシューベルトが会った時には、
すでに40歳を越えた大学教授であった。

友人シュパウンの親戚で、
劇作も行う、大変な文化人であったため、
知識人が集まるサロンを開いていて、
シューベルトは、そこに連れて行ってもらい、
親交を結んだが、両者とも互いを認め合った、
ということである。

先の「夜と夢」は、四十代半ばで世を去ったコリンを、
悼むように作られた曲らしく、
シューベルトが、この教授を敬愛していたことが推察される。

このCD、こうした甘美な作品を収めていることもあって、
第1集よりは、ずっと聞きやすい。
重々しい男声ではなく、ゲラーというソプラノによって、
すっきりと清潔感を持って歌われている。

解説を読むと、何故、シューベルトの友人たちが、
こうした歌を書いたのかが、よく書いてあって参考になった。
ウルリヒ・アイゼンローアが伴奏を受け持っているCDだが、
解説もまた、アイゼンローアが書いている。

「シューベルトが生きた短い時代は、
革命政治的、根本的に重要な社会的出来事によって、
特徴付けられている。
自由、平等、博愛といったフランス革命の理想は、
人々の心には打ち立てられていた。
フランスにおける急進的で異常な事件も、
ナポレオンのロシア遠征までの戦争も、
それを変えることは出来なかった。
むしろ、それはより良き道を舗装する作業にも見えていた。
何千人もの人々が、フランス占領に対する解放戦線に、
熱狂的に志願し、そこには多くの芸術家が含まれていた。
1813年、ライプツィッヒにて、
諸国民がナポレオンを撃破すると、
ロシア、プロシア、オーストリアの連合軍の、
パリ入場は、暴君からの解放、
外国支配からの解放として祝賀された。
民主主義の理想の実現は可能と思われた。
しかし、1814年から15年のヴィーン会議は、
たちまちこうした希望を無にしてしまった。
真に民主的な国家の創設は、
オーストリアを含む新興のドイツ同盟によって、
もみ消され、
旧来からの政治勢力が強固に支配し、
独裁体制を敷いた。
1819年のカールスバート決議では、
政治的、学問的自由に対し、
抑圧と監視の状態を持ち込んだ。
ドイツの抒情詩が、
希望と幻滅の間の緊張に到ったのは、
1800年から1830年にかけての、
まさにこの時期であった。
その歴史認識と共に、自然に、排他的ではなく、
現状の出来事や、当時の雰囲気を表現するものも現れて来た。
シューベルトの友人たちの詩にもそれは反映されている。」

このあたりの解説は、前回のものと酷似している。
従って、今回のCD解説は、これからが本領発揮である。

「今日の読者には、
そこには、人生の実状況の慎重な論評を含み、
暗号化された意味を理解するのは簡単ではない。
自然描写や神話的な材料の中に、
あえて、オープンにしたりせず、
それらは文字通り、『花を通して』表現されている。
詩は、素人の熱狂から出て来たものではなく、
今日は、もうよく分からなくなってしまったが、
萎れた花や、迸る水流を読む時、
ただ、無邪気な感傷に耽っていると思ってはならず、
むしろ、他の意味があることを我々に問いかける。
例えば、『冬の旅』の『からす』という詩も、
一般にオーストリアで『からす』とは、
秘密警察の比喩だとすると、
隠された意味を持つことになる。
自然に、多くの意味から、一つを探す事となる。
詩は、人生の個人的体験、社会的体験の抽出物で、
多義の意味を持ちうる。
個々の人生もまちまちであるものの、
彼等の文通から、直接、拾い集めてみると、
シューベルトの友人に共通する雰囲気が感じられる。
我々には相容れない対極のように思えても、
彼等の心の内奥にある混乱や矛盾は、
その世代によって、高次の調和に高められており、
この体験こそが、同世代の明確な、
歴史的バックグラウンドとなっている。
ここに含まれる付曲は、それゆえ、
希望や失望、理想郷と幻影、約束と撤回、
信仰と不信のテーマを循環している。
それらすべての多様性の中、
それらの主題に共通するものがこれである。」

このように、このピアニスト、解説者は、
こうしてシューベルトの友人たちの歌を集めて聴く時、
共通のトーンを感じるとしているのである。

「それぞれ反対の立ち位置を取る、
(Track11の)ブルッフマンの『妹の挨拶』D762と、
(Track3)マティアス・フォン・コリンの
『悲しみ』D772という、二つの歌に、
シューベルトの人生の沸点が、彼の人生哲学と、
いかに矛盾していたかを見ることが出来る。
ブルッフマンは、宗教的、神秘的な法悦のムードの中で、
夜、幽霊の出現を報告する。
その詩は、彼の妹の死についてのもので、
シューベルトは、おそらく、1822年12月の、
シューベルティアーデのために、
いつまでも続く聖なるシビラの悲しい記憶を、
出来るだけ遠くにお祓いするべく作曲した。
(シュヴィントからショーバーへ)
夜の出現は、シューベルトによって、
畏怖と、慰めとの間を揺れ動くように、
壮大なスタイルで書かれている。」

これは、「白鳥の歌」の中に出て来そうな、
低音が唸る、不気味な表現に覆われており、
死を作ったブルッフマンも、
背筋が凍ったのではないだろうか。
この曲では、死んだ妹が、天国の生活の幸せを歌うが、
そうした感傷性はなく、冒頭から恐ろしいほどにリアルである。

「コリンは、その詩の中で、反対に、
天国が約束する慰めの認識のない『死の象徴』を描いている。」

ようやく、このCDの表紙になった、
コリンの音楽に触れられるが、
これはまた、陰鬱な音楽が書かれたものである。
当然、それは、詩から来ている。

「森や野原を歩んでいけば、
楽しさと悲しみで胸がいっぱいになる」
と歌われるが、「冬の旅」のような歩みである。
「春のたけなわの輝きは」
と歌われ、これが春の歌?と背筋も凍る。
「春の美しさに酔いしれていた人も
いつしかいなくなってしまうのだから」
というのが結論である。

解説にはこうある。
「ここでは、『死の音楽』や、『妹の挨拶』における、
死の美化の反転、『空間恐怖症』とでもいった、
無への直視の恐怖が見られる。
最後の、『いなくなってしまうのだから』という、
簡潔で最後の表現には、
それが転じて、向こうでは何か良いことが起こる、
などという確信は皆無であり、
これが、シューベルトの感じ方であった。」

ということで、これらの曲は、
一方で天国を賞揚しつつ不気味であり、
他方で、死すべき者の虚無を描いて、
やはり不気味である。

シューベルトが、どちらの思想でいたかは分からないが、
不気味さの迫真性から言って、コリン寄りであろう。
ということで、再度、コリンの曲。

「奇妙で、同時に快活と悲しみの両極を、
(Track5の)コリンの『夜と夢』D827は、
結びつけている。
人々が眠りの中で楽しむ眠りは、夜明けと共に破られるが、
それを切望する心はなお残り、
『甘い夢よ、帰って来ておくれ』と歌われる。
その中に、人間には、白日夢しか残っていないのではないかという、
語られざる問題が残っている。」

そんな音楽だったっけと、
改めて歌詞を見直すと、
確かに、夜にしか、胸を満たすものがない、
といった内容である。
これでは、何のための昼間なのか、
昼間は嘘の世界だろうか、などと考えてしまう。

「この問題の率直な答えが、
『冬の旅』の『村にて』にあって、
『私はすべての夢を見終わった。
どうして夢見ている連中と一緒に居られようか』とある。
シューベルトが、夢想と深い悲しみを、
もっとも簡潔なやり方で一緒にした方法は独自のものだ。
彼はこの主題に深く感じ入った。
これは、アマチュア詩人の友人たちが詩を作ったので、
曲をつけてあげた、といった作品ではない。
彼の友人は言葉によって、彼は音楽によって、
彼等は同じ言語を語っているのである。
コントラストをなす『妹の挨拶』と『悲しみ』の、
イデオロギーの予兆をなすのが、
(Track6の)『墓地によせて』D151である。
ここでは、死は、自然な出来事として描かれており、
太陽が沈むのと変わらない。
太陽と同様、魂も再び上り、不滅となる。
シューベルトは、詩の宗教的な純真さに、
伝統的な手法でアプローチしている。
アリオーソとレチタティーボが交錯し、
この詩に描かれた救済に共感するのにふさわしく、
最後のストレッタの迫奏は古めかしい。」

この曲はシュレヒタによるもので、
「安らかに眠れ」と墓場で眠っている者らに語りかけ、
最後は、自分は生きていると興奮する。
「私を恍惚とさせるのは神性の清らかな肉体だ」。

シュレヒタの歌曲は、他にも、3曲が続くが、
ここでは、これでいったん終わりになっている。

「他の二つの歌曲は、
シューベルトの多くの友人たちと同様、
不安と混乱の中に生きた、
フランツ・フォン・ブルッフマンによるものである。
1798年に、裕福な商人の息子として生まれ、
法律を学び、古代世界と哲学に興味を持って、
カトリックの信仰から離れてしまった。
彼は、シューベルトとそのサークルと仲良くしていたが、
結局、仲違いしている。
彼は法学博士になり、
妻とは、息子が生まれて一ヶ月で死別し、
深い個人的な危機に陥ったため、
教会に向かい、救世主会に入り、高い階位に登った。
1867年に、Gars am Innの修道院で亡くなっている。
(Track12)『林にて』D738は、
単純な自然の牧歌で、
『苦しみを抜き去り』、『すべての苦痛の跡を癒す』
ことが望まれるが、自然は、厳しく、無愛想なばかりで、
結局、田園詩にはなれない。」

しかし、この曲は楽しい舞曲の曲想で、
軽やかな足取りで、林の中での安らぎを歌っている。
さっきの、コリンの『悲しみ』D772と、
同様の背景ながら、えらい違いに聞こえる。
共に、1822年か23年の作曲らしい。

「(Track10)『湖畔にて』D746は、湖の風景を示し、
その中で、太陽の輝きは、
アレゴリーとして、あまた星の輝きに見える。
ゲーテの『湖上にて』とは詩も音楽も異なるが、
非常に魅力的である。
ゲーテのものは、力強い新鮮さ、
直裁的な感覚、短い曇り空の後の、
新しい力強い始まりを感じさせる。
ブルッフマンへの付曲は、一つの深い没入で、
静かな熟考で、絵画から比喩への、
気づかれない程の音楽の推移がある。
同様の主題を扱いながら、古典時代と、
ポスト古典時代の異なる体験を、
これ以上違いをもって示した、
二つの歌を見つけるのは困難である。」

この作品は、高雅で気品があり、
湖水の表面の輝きを星のまたたきに例えた、
単純な詩への付曲であるが、
陶酔的なまでの境地に至っている。
単なる現実逃避と言えば、言えようが、
波に揺られて、私もまた、現実逃避したくなる。

このようにブルッフマンだけは、
やたら、詳しい解説で、コリンやシュレヒタは、
いったいどうなった、と言いたくなる。

「マティアスの兄弟、
ハインリッヒ・フォン・コリンによる
(Track4の)『別れの悲しみ』D509は、
常に海への道を、そして、人生を授けたもの、
平安のありかを探す水の動きのイメージを、
別れや再会のシンボルとして使っている。
これは、長い間、不在であった、
ショーバーの家で書かれたとされる。」

これは、はかなげな愛らしい古風な音楽で、
「小さい秋みいつけた」みたいな曲想である。
「波は海に憧れる」とあり、
続いて、泉も小川も噴水の水も、
安らぎの海に憧れる、という内容である。

この小さな曲(1分16秒)について、
何と、フィッシャー=ディースカウは、
著書の約1ページを費やして、
「小川や泉がいだく広い海への憧れを、
若い知識人のより広い世界へと
突き進みたいという気持ちと対比させている」、
「再発見されることを待ち焦がれているこの数ページ」
(原田茂生訳)
と書いて賞賛している。

なお、こっちのコリンは、ベートーヴェンの序曲、
「コリオラン」の元を書いた人だそうである。
ディースカウの本にある肖像画は、
やたら格好良いイケメンだ。

「ここに収められた歌曲は、
しばしば、そこにあったテキストへの、
単なる足し算ではなく、
一緒になって一つの作品を完成させるための、
むしろ、結論のような印象を与える。
よくても、セミ・プロの文人でしかなく、
多くは中産階級のアマチュア詩人でしかなかった、
彼の友人に対し、シューベルトの霊感は、
はるかに勝るように見えるが、
それは重要なことではない。
しばしば、彼の音楽は、
技巧的に不器用なものや、
大げさな言葉遣いの陰に隠れている、
知的な質感を暴き出している。」

おそらく、アイゼンローアは、これを言いたかったのだろう。
友人の声に、シューベルトは、もっとも生々しい、
時代の声を聞き取っていたということだ。

「ゴチック風のバラードのサブタイトルを持ち、
今日、朗読をすると失笑を買いそうな、
(Track8)『ロマンツェ、愛しいミンナ』D222は、
シューベルトの音楽を得て、異常に魅力的なものになった。
この詩は、戦争に行ってしまったウィルヘルムを虚しく待つ、
少女の独白で、ナポレオンに対する戦争の、
明らかな反映である。」

この神妙な作品などは、ディースカウらによる、
グラモフォンのシューベルト歌曲全集の録音には含まれない。

「『ディエゴ・マナツァレスより、イルメリン』D458は、
同様に、恋人を待つ主題のもの。
この集中された音楽の強さを聴くと、
残念ながら完成されなかった、
シュレヒタの劇について、もっと知りたくなる。」

これまた、グラモフォンにはない。
劇的な緊迫感に満ちた作品だが、52秒で終わってしまう。

「この夜の闇の中、あなたはどこに彷徨って行ってしまったの。
私の命、私の幸福、あなたはどこ。
星が光る夜になったのに、
霜の降りた暗闇の中を起き出して、
私の愛する人はまだ帰って来ない。」

こんな断片では、何だかよく分からないが、
音楽としては迫真に満ちている。

シューベルトの歌曲は、玉石混合などと言われ、
友人の下手な詩などに曲をつけて、
シューベルトは詩を味わう能力がない、
などと書かれた時代から、ようやく、
我々は、正しく、これらの作品を鑑賞できるようになった。

次に、シュタッドラーの作品の解説が来るが、
これは次回に回そう。

さて、ここで、ようやく、
このCDの冒頭に収められた作品の解説になる。
優しい子守歌である。
愛らしい赤ちゃんの描写をした単純な音楽。

「オッテンヴァルトによる、
(Track1)『ゆりかごの中の子供』D579は、
単純な機会音楽の範疇を越えている。
一見、単純ながら、和声的に複雑な子守歌は、
センチメンタルで、あまりに牧歌的に見えるかもしれない。」

私もそう思ったが、違うのか。

「それは事実だが、
シューベルトが大好きだった母親は、
14人もの子供を産んだが、
たった5人しか成人しなかった。
これは信じられないことだが、
普通の生存率だったのである。
それゆえ、全て善い、善いはずだ、
という支配的な感情が起こるのは当然なのである。」

オッテンヴァルトは、シュパウンの義兄弟で、
1819年にリンツで紹介されたようだが、
この曲はすでに1817年に書かれている。

1789年生まれとあるから、
シューベルトより8歳年長である。

ディースカウは、この曲について、独創的ではないが、
愛らしく流れていくメロディによって特徴的と書いている。

「1820年頃、
忌々しい外部環境が強固になるにつれ、
時の感覚は反乱から諦めに変わり、
反抗から人生一般の悲しみ、
個人的な倦怠感に変わっていった。
より良き世界への希望は疑問となったか、
または、希望は現世から来世へと移った。
この見るからに変わることない、
彼等の住む世界状況の中、彼等は永遠を志向した。
次に示すような異常な、しかし、詩のかたちをしたものは、
一方で偉大な哲学的着想と、政治的ユートピアを残しながら、
日常の喜びと悲しみ、
幸福に対する、小さく個人的な、
かつ神聖な孤独の感覚を描くに限っている。
これは今日、さげすみを含め、
ビーダーマイヤーと呼ぶものだ。
しかし、シュレヒタの詩、
(Track7)『水鏡』D639と、
(Track9)『お嬢さんの愛の立ち聞き』D698は、
自己満足の感覚と共に、
ユーモアと皮肉を前面に出すようにしている。
これはCarl Spitzwegの絵画との間に、
機知でつながっている。
実際、『愛の立ち聞き』は、
Ludwig Schnorr von Carolsfeldのリトグラフに触発されている。
シューベルトはこれらの詩に、大喜びで曲をつけている。」

このカルロスフェルトは、
Julius Schnorr von Carolsfeldの間違いであろう。
ルートヴィヒは、ヘルデンテノールだと書いてあった。
ユリウスは、1794年生まれの画家である。
彼はヴィーンで学んでいるから、
シューベルトも知っていた可能性はある。

このように、最後にシュレヒタの話が出て来たが、
どうやら、この人は、ショーバーの友人で、
シューベルトとも、同じ学校に通っていた感じである。

「水鏡」は、猟師が、橋の上で娘が来るのを待っている内容。
かなり戯画的な大げさな表現であるが、
ひょっとすると、こんな美しい声で、
歌われるべきものではないのかもしれない。

よく、シューベルトのCDなどを彩る、
風俗画家のカール・スピッツヴェッグは、
調べてみると1808年の生まれで、
ミュンヘンの方の人だから、
シューベルトは、その絵を見たことはなかっただろう。

「愛の立ち聞き」は、実に愛らしく、
いかにも明るい光に彩られた曲想だが、
この輝きは、月の光とチターの響きの両方を伝えてすごい。

詩は、一所懸命、チターを奏でながら、
愛の歌を歌い、また、語る騎士の言葉が大部分だが、
最後に、立ち聞きしていた娘の声がして終わる。
この部分の痛快な効果も驚くべきものだ。

これら2曲は、「ますの五重奏曲」と同様、
ドイチュ番号で600番台のもので、
シューベルトの青春の輝きがまぶしい。

ディースカウも、ロマンティックな聖書画家、
カルロスフェルトの風俗画そのもの、
と書いているから、やはり、そうした絵があったのだろう。
この曲の説明の後、
かれの本は次の章、「テレーゼと別れて」となる。
初恋のテレーゼが結婚してしまうのが、この頃なのである。

ドイッチュ番号600番台は、テレーゼを失う前、
700番台はテレーゼを失った後、
と考えることも出来るのだろうか。

得られた事:「シューベルトと、その友人たちが自然を歌う時、それは、単純な自然の没入ではなく、やるせない人生を代弁させたもととなっている。」
by franz310 | 2011-02-19 23:02 | シューベルト

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その264

b0083728_17504720.jpg個人的経験:
「アルフォンソとエストレッラ」
という、オペラの台本を書いたのは、
シューベルトの友人、ショーバーであった。
彼は、多芸多才の人であったが、
結局、謎めいたペテン師のように消えた。
多くの歌曲の詩を書いた人であり、
恋愛事件で出奔、俳優になろうとして挫折、
それからは、何をどうしていたか、
よく分からない。
ハンガリーで、リストの秘書もやっていた。


今回のCDは、そのショーバーの肖像をあしらったもので、
Benjamin Chaiという人が書いたものだ。
このChaiさんは、Naxosレーベルの
肖像画担当アーティストのようで、
様々なCDの肖像画を手がけているが、
いったい、このショーバー像の原典はどこにあるのだろうか。

この眼差しは妙にうつろで、
何かを洞察しているというよりも、
何もないところを見つめている狂人の目つきにも見える。

このCD、ナクソス・レーベルが誇る
シューベルト・リート・エディションの第九巻、
「シューベルトの友人たち」の第1巻である。
さすが、盟友ショーバーは、ここで、
冒頭から3曲が取り上げられており、
後半にも、名品、「音楽に寄す」をはじめ、
ショーバー歌曲5曲が集められている。

後は作者不詳が1曲、
最も人望篤かったシュパウンが1曲、
シューベルトが生涯の終わりの方で信頼を寄せた、
バウエルンフェルトも1曲。
あとは、ケンナーが3曲、
ショーバーの批判者ブルッフマンが2曲。

すべて、バリトンのマルクス・アイヒェが歌い、
イェンス・フーアというピアニストが伴奏している。
アイヒェは1969年生まれのドイツ人で、
様々な賞を受賞して、広いレパートリーを誇り、
ザルツブルク音楽祭やミラノ・スカラ座に登場しているらしい。
マンハイムの国立劇場に在籍しているようなので、
オペラ畑の人なのかもしれない。

フーアは生年不詳、シュトゥットガルトで学び、
アイヴァン・ゲージに学んだとあるから、
そんなに年配ではあるまい。
ヴィーンのベルヴェデーレ歌唱コンクールで、
ファイナルの伴奏ピアニストを務めているとあるから、
かなりオーソドックスな路線の人と考えられる。

解説は、Michael Kohlhauflと、Michael Kubeという、
ダブル・ミヒャエル体勢である。

いきなり解説の題名からして暗い。
「ユートピアと世界苦」
まさしく、この題名が示すように、
一聴して、このCDは、まるで楽しくない。

「フランツ・シューベルトとその歌曲の詩的な地平は、
彼の友人たちのサークルが作った詩に、再度、反映されている。
全体としてシューベルトは、ゲーテやシラーなど、
ずっと傑出した詩人のものよりも、
彼の友人たちの詩に、むしろ多く曲をつけている。
その2/3以上は、最も親しかった友人である、
マイヤーホーファーとショーバーの詩によるものである。
マイヤーホーファーの歌曲は、50曲ほどあって、
二人の古典の大家に次いで、3番目の位置を占める。
18曲の歌曲があるショーバーは、
ドイツ・ロマン派の指導者の
フリードリヒ・シュレーゲルの13曲に、
肩を並べている。
このような数量的な比較は、
シューベルトの詩的な信条の基本的特質を査証するもので、
友人たちの詩による歌曲は、
古典的な理想的な感覚と、
ロマン派のユートピアへの憧れの結合である。
悲観的な状況下にあって、より良き世界の残響は、
特にショーバーの詩に響いている。
シューベルトのサークルの詩は、
古典派-ロマン派の文化的刺激を受けているばかりか、
1820年頃のヨーロッパを覆った、
世界苦の症状が見られる。
この後期ロマン派の事象は、
ハインリヒ・ハイネのサークルや、
ウィルヘルム・ミュラーらのサークルと同様のもので、
当時の歴史に深く根ざしている。
シューベルトとその友人たちは、
理想主義者たちが遭遇した、
組織的抑圧の時期の目撃者であり、被害者であった。」

これは、何かというと、下記のような、
フランス革命後の反動のような旧体制復帰だった、
ということである。

「ナポレオン戦争の後、
1814年から15年のヴィーン会議での
ヨーロッパの列強は、専制的な政府への復帰を決定した。
1819年のカールスバートの決議は、
最終的に自由主義への動きを抑圧することとなった。
自由、平等、連帯の革命的な理想は、
もはや到達不可能となった。
結果として起こった、悲しい人生の現実は、
シューベルトたちの世代を存在の危機へと追い込んだ。
シューベルトの友人たちのサークルは、
18世紀の友情の詩的な同盟に倣った、
『美徳の同盟』に戻って、美徳や
人間のヒューマニズム的概念に尽くす国家に敬意を表した。」

この『Tugendbund』は、ネット上の辞書を見ると、
1808年4月にプロシャに出来た、
ナポレオン侵攻の後に、民族精神発揚のために、
自由な思想を持った貴族や、ブルジョワ知識人など、
700人が集まった秘密結社とある。
1810年には解散したとあるが、「道徳的再生」を、
目指していたともある。

「このサークルの種子は、
学生、宮廷聖歌隊員、中学生のための全寮制学校である、
ヴィーン公立コンヴィクトで撒かれた。
シューベルトはこの学校に、
1808年から13年まで聖歌隊員として在籍した。
後にシューベルトと数年生活を共にするショーバーは、
同様に、ヴィーン大学の学生であった時に、
同様の境遇を体験した。
シューベルトはそこで、楽器演奏や、
レパートリーについて学んだだけでなく、
友人たちとの生産的な交流を通じて、
歌曲作曲に対する文学的刺激を受けた。
このエリート施設にあって、
アマチュア音楽家と、
ヨーゼフ・フォン・シュパウン、
ヨーゼフ・ケンナー、ヨーハン・ゼン、
アルベルト・シュタッドラーといった教養豊かな男たちとの、
クリエイティブな環境の中、
囚人のような彼でも、
文化的な自由の美学経験を共に享受した。」

こう書かれると、シュパウン以下、4人は、
すごい年配に見えるが、実際は、
シュパウンが9歳年長だったくらいで、
ケンナー、シュタッドラーは3つ年長、
ゼンは二つ年長なだけである。

が、シューベルトが中学生の頃だから、
その頃を思い出すと、高校生は大人に見えるように、
彼等の教養ある言葉に心服していたに相違ない。

「後にシュヴィントが
『シュパウン家におけるシューベルトの夕べ』などで描いた
理想化されたものではなかったが、
1820年代に、シューベルトのサークルが形成され、
ショーバーの主催した読書会なども現れた。
ここでは、シューベルトは、
ハイネやミュラーの詩を知ることとなる。
政治的な出版や、学生たちとの会合を通じて、
このサークルは権威とのコンフリクトがあった。
多くの友人たちが、官公庁への勤務を受け入れた中、
ショーバーは、シューベルトのように、
自由でクリエイティブな芸術家となることを模索した。
ショーバーは、作家、画家、俳優などになろうとした。
シューベルトの死後は、フランツ・リストの旅の友となった。
1854年、ワイマールの外交顧問という立場で、
彼自身がリブレットを書いた、シューベルトのオペラ、
『アルフォンソとエストレッラ』の初演を、
リストとともに見た。
しかし、文学上の成功は、
バウエルンフェルトからしか認められず、
しかも、それは叙情詩人ではなく、喜劇作家としてであった。」

このCDの表紙にあるショーバーの、
虚空を見つめた先には、
おそらく、シューベルトと探索した理想世界があったのかもしれない。
しかし、現実の彼は、いかにも喜劇の主人公であったわけだ。
何故なら、リストは、「アルフォンソ」の価値を認めていなかったから。
二人で見た、という記述、恐ろしい責め苦であったかもしれない。

「他の社会的な文化活動についていえば、
真夜中のプリンスとして知られた、
メッテルニヒの警察国家の孤島にあっての、
自由への抵抗活動であった。
しかし、より良き世界の切望が、
少なくとも芸術では実現できるだろう、
いう望み自体が幻想であると立証された。
今回の録音に集められた作品すべてが、
幻滅の性格を持っている。
シューベルトの友人たちによる詩の特徴は、
もろい理想主義にあり、特に、模倣詩に典型的である。」

なるほど、シューベルトの友人たちは、
読書会などを通じて、詩に精通しており、
それに対する模倣から、自分たちの心情を、
詩にしていったということか。

さて、ここからが、各曲の解説になるが、
とても参考になって、眼が開かされた感じがする。
Track1の「宝掘りの願い」が、
具体的に論じられている。

「1822年の『宝掘りの願い』D761に見られる
忍従する主人公は、シューベルトが1815年に作曲した、
モティーフが似たゲーテの『宝掘り』と比較して見ることも出来よう。
ショーバーのソネットは、ゲーテの楽天的な詩の、
悲観的な反転形にも見える。
『清らかな人生の勇気を飲み干せ』と、
ゲーテが言いたかった事であるが、
ショーバーの『宝掘り』は、反対に、
自分の望みを埋葬してしまう。
音楽的には、このことは、特に、半音階的に下降して
常に変化するラメントのバスで表現される。
17世紀の音楽レトリックとして良く知られた、
このパターンは、
この歌曲の表出力を増しているばかりか、
穴掘りの重苦をも表現している。」

内容は、
「大地に眠る法を掘りだそうとする。
何も出てこないが、これを続けるしかない。
それが自分の墓になってもかまわない」
というもので、
冒頭の伴奏から非常に苦々しい歌で、
アイヒェの暗い声が、かなりマッチしていて、気が滅入る。

「小さな中央部の後、長調に変化するが、それは儚く、
手稿では、最後から2番目の小節で、
いきなり和声を短調に変えているが、
ここで、後の第2稿では、短調には変えず、
空疎な五度にしている。」

この長調の部分では、「そこで憧れが静まる」と歌われるが、
ほとんど、全編を通じて覆われる灰色の色調は、
歌というより朗唱である。

次は、いきなり、Track11に収録されている歌になる。
「岸辺で波がふくれあがり、
風が帆布をはためかせ」と歌われるように、
かなりダイナミックな表現を持ったもので、
冒頭から航海の荒波のようにピアノ伴奏が砕け散る。

「同趣向のショーバーのバラード、
『舟人の別れの歌』D910では、
モティーフとしてゲーテの偉大な作例を思い出させる。
ここでも出航への準備が歌われる。
ゲーテの疾風怒濤風の聖歌『航海』では、
『難破しようと陸地につこうと、
すべてを信ずる神の力に委ねている』が、
ショーバーの船乗りは海を恐れている。」

ゲーテの「航海」は、
シューベルトによる歌曲はないようだが、
手元にあった白鳳社の「ゲーテ詩集」には出ていた。
船乗りを見送った友人たちは、
嵐が来てから、
「いい男を海に出して殺してしまった」と騒ぐが、
当人は、その頃、まったくへいちゃらで舵を取っている、
という強烈な自信に満ちた内容のものである。

「『僕が成功するかは分からない。
そして、故郷に錦を飾れるかも。
波が僕を誘うが、
それがまさしく僕を飲み込むかもしれない。』
彼にとっての『慰め』は、
『天国の家に待つ友人』だけなのだ。
1848年以前の時期にあって、
新しい、より良い日々を期待する
救済が交錯する昔ながらの考えは、
シューベルト同様の境遇にあった友人たちの同盟が、
シューベルトが10年以上前に作曲した、
シラーのバラード『人質』で表現されたような、
英雄的な理想主義の感覚の多くを、
すでに失っていたことを、
意味しているように見える。
友情は、むしろ最後の砦となり、『楽園』の形を取って、
かりそめの宗教のようになった。
1827年2月に作曲された作品が、
ショーバーのところにシューベルトが引っ越した事と、
直接関係があると、当然、考えられて来た。
この新しい場所では、彼は、二部屋と音楽室を、
自由に使うことが出来た。
シューベルト自身、
海の持つ根源的な力を経験したことはなかったが、
彼の付曲は直接的な絵画的描写に優れている。
二つのより静かな楽句は、
特に特別なコントラストのない大きな形に変容し、
さらに静謐な新しい伴奏の動きは、
強調するように震え続けている。
この楽句のさらに叙情的なラインは、
最終的に最後の5つのパッセージに帰って行く。
『この偽りの波が、僕の骸を再び、
花がまき散らされた海岸に押し上げれば、
僕は、その愛しい場所を知っている。
そこには、僕に差し伸べる二本の手が待っている。』
さらに、その生涯における文脈で考えると、
この作品は、シューベルト自身の不治の病に対する対応、
それがさらに進行したことと関連しているのかもしれない。」

フィッシャー=ディースカウは、
この長大な作品を緊張感を保ったまま歌うのは難しいとしており、
確かに、6分40秒もかかる。
そして、「諦めることは、喪失するより簡単だ」
という最後の句を特筆すべきものとして強調している。

オズボーン著の「シューベルトとヴィーン」にも、
ショーバーと母親が、ウンター・デン・トゥーフラウベンの、
新しい家に引っ越して、居候のシューベルトも付いていき、
残された日々のほとんどをここで過ごした、と書かれている。
シューベルトが二部屋と音楽室を使ったともある。

これを「シューベルト音楽散歩」(音楽の友社)で調べると、
ヴィーンのど真ん中なので驚いた。
コンヴィクトからも500mくらいに見える。
そんな所で、彼は3部屋も使っていたのである。

新居で書かれた最初の2曲が、
ショーバーの詩による、この「船乗りの別れの歌」と、
「狩人の愛の歌」だとも書かれている。
病気以上に、ショーバーに対する感謝もあっただろう。

この「狩人の愛の歌」は、
このCDのTrack2に収められているが、
CD解説は、まず、Track10の、
「汝らに平安あれ」D551について説明している。

これは、無神論者と言われたショーバーには珍しく、
「私はあなたを信じます、偉大なる神よ!」
というフレーズで終わる
殉教の死者を讃える別れの歌で、
教会嫌いのシューベルトも、しみじみとした音楽を付けている。

「バイオグラフィーの見地からは、
1817年4月に書かれた『汝らに平安あれ』も、
友情のプラトニックなコンセプトを歌ったものだ。
ラテン語で典礼風のタイトルながら、
ショーバーのドイツ語の詩をもとにした、
スピリチュアルなものである。
神聖な感覚が満ちた、
その単純な信仰を思わせる内容ゆえに、
サークルの友人たちだけでなく好まれ、
人気を博した。
1828年の11月21日、
シューベルトの葬儀で、
この作品は、ショーバーによってパラフレーズを付けられ、
合唱と管楽合奏用に編曲されて、
マルガレーテ地区の聖ヨーゼフ教会で演奏された。」

こんな知識をもって、この敬虔な音楽に耳を澄ませていると、
何だか、しみじみとした感情がこみ上げて来るではないか。
フィッシャー=ディースカウは、
「こうしたドグマ的な内容のものはまるで感銘を与えない」
と書いてあるが、このような、シンプルな作品には、
それなりの由来がありそうなものだ。
なお、ディースカウの本には、
葬儀で、この曲に新しい詩をつけるように、
ショーバーに頼んだのは、シューベルトの家族だったとある。

次に、「船乗りの別れの歌」とペアで書かれた、
「狩人の愛の歌」(Track2)についての説明がある。

「ショーバーとの友情ということでは、
他の表現もまた見られ、『狩人の愛の歌』D909において、
『この地上の、今、ここにある幸福すべてと共に』と歌われ、
エロティックなデーモニッシュな愛のアレゴリーが見られる。」

この詩は、先の詩句に続き、最後は、
「最も素晴らしい友人の腕に抱かれるような気がする」
とあるので、かなりやばい。

曲は、心ここにあらず、のような空虚な前奏が、
奇妙な効果を上げている。
いらだたしく、かつ、焦燥感に満ちている。

前半の大部分は、狩人が鉄砲で獲物を狙いまくる様子が歌われ、
彼女には、まるで、猟銃で狙われているように、
身を守るすべがない、などと続くが、
かなり謎に満ちた内容。
森の上を月光に照らされながら、光って飛ぶものとは何だ?

ここから、文字数の関係で省略するが、
ケンナーの話になっている。
この人は、ショーバーを、
危険人物だと見ていた節があり、
回想では、はっきりそう書いている。

1816年に付き合いが終わった、
と言っているから、少し先に学校を出たケンナーは、
社会人になって忙しくもなったのだろう。
彼はのちに地方の政治家として偉くなる。

19歳頃までの未成年、もしくは子供の頃のシューベルトと、
成人後のシューベルトは別人のように感じていたのかもしれない。
シューベルトとしても、ぷーたろーの自分と違って、
輝かしい未来に踏み出して行くケンナーより、
ショーバーの方に親近感を感じたと思われる。

実は、ショーバーは、その人生観からか、
多くの敵を作っており、ケンナーばかりでなく、
このCDに収められているブルッフマンなども、
ショーバーとは袂を分かっており、
彼等にとっては、
このCDでの同居も耐え難いものかもしれない。

では、このCDの4ページからなる解説の、
1ページ分をすっ飛ばして、最後の半ページには、
何が書いてあるか見て見よう。
最初は1曲ずつ書き進めていた解説であるが、
後はひとまとめにして崩壊している様が読み取れる。

まず、Track14は、
有名な歌曲なので、さらっと触れている。
「芸術が、この地上の追放から、
天上の祖国に誘うことが出来るかもしれないという事は、
遂に、ショーバーの聖歌『楽に寄す』D547で、
描かれることになる。」

Track15、16:
「芸術の持つ変容の効果への賞賛は、
そのスピリチュアな意味が失われた事を、
忘れさせがちである。
この1815年以降、
王政復古期の政治期における芸術の持つディレンマ、
ユートピアと忍従との間の抗争は、
ここの最後に収められた、
フランツ・フォン・ブルッフマンのテキストによる
歌曲群にも現れている。」

これらの歌曲は、古代の英雄や神話を描いているので、
下記の解説は、それを理解しないと意味不明になる。
「竪琴に寄す」は、竪琴をかき鳴らし、
いかに、勇壮に英雄たちの歌を歌おうとしても、
甘美なメロディに変容して、竪琴弾きがいらだつ内容である。
いらだった彼は、竪琴を変えるが、
どうしても、「ただ愛の歌にしか鳴らないのだ」と、
しみじみ歌ってしまうのである。

まるで、へなちょこになってしまった日本人のようだ。

また、「怒れる吟遊詩人」は、ちょっと違って、
その諦めには至っていない。
「俺の竪琴は壊されはしない、
復讐の力が燃えているからだ」と、
力強く歌い上げている。
ただし、防戦一方であって、竪琴で、
いったい何が出来るのか、したいのかは不明。
単に強がっているだけにも見える。
彼等の無力感が、確かに、これらの歌曲にはよく出ている。
ブルッフマンは、若くして妻を亡くし、
修道院に入ってしまったせいか、
5つの詩がシューベルトによって作曲されているのに、
これまた、シューベルトの回想を書いていない。

ディースカウは、「竪琴に寄す」を賞賛して、
アナクレオン風の作風がうまく行っていることを特筆している。
この古代のギリシア詩人は、「人生と愛の賛美」で、
ゲーテなどにも受け継がれているとある。

また、ブルッフマンは、積極的に政治に関与しようとして、
挫折した人の代表のようである。
ディースカウの本では、「怒れる吟遊詩人」もまた、
全部の詩を掲げて、丁寧に記述されている。

「『竪琴に寄す』D737と、
『怒れる吟遊詩人』D785は、
英雄たちの退場の後、
『その音の中にある愛』だけが残っている。
それは、『より良き世界』のシンボルであり、
または、(ショーバーの詩による)『満足』D143、
『春の小川のほとりで』D361といった作品で、
表現されたメランコリーであって、
『平安な幸福』などは、『憧れ』や『思い出』のように、
ここでは想像上のものでしかない。」

これで、Track3とTrack13が、
ひとまとめで解決されている。

「満足」は、1815年という
早い時期に書かれたショーバー歌曲で、
内容は、衝動の力で山を目指して行く若者が、
ついには、ふぬけとなって山は消え、
谷での小さな幸せに満足するという内容。
1分半の小さな歌曲で、山と憧れを対比させて、
「アルフォンソ」にある「雲の乙女のバラード」を思わせるが、
あまり印象を残さずに終わってしまう。

ディースカウも、難解なテキストで、
効果が上がらないと書いている。
いつの間にか、山が消えていて意味不明なのだ。
ちなみに、ディースカウは、「歌の中にある慰め」D546を、
ショーバー歌曲の中で特筆しているが、
何故か、このCDには含まれていない。

さて、CD解説に戻ると、
「この孤独感は、ショーバーの歌曲、
『巡礼の歌』D789に表現されている。
巡礼は、他の多くのロマン派にならった歌手同様、
強い巡礼の杖を持って歩く。
存在への深い懐疑が心を満たし、
それが、『世界苦』の世代の詩的信条となる。」

この解説では、何のことやら、よく分からないが、
詩は、「満足」よりは切実な感じを与える。
家から家を渡り歩く巡礼が、愛の施しを願って行く。
花を撒いたり、歌を歌ったりして、それが幸福なのだ、
と巡礼は言うのだが、最後は、巡礼を続けるほどに、
幸福感が消えて行くというのが不気味である。

これも6分近くかかる大きな作品で、
音楽は繊細で非常に美しい。
ディースカウも、「つたない詩に音楽的な命を吹き込んだ」
と書いて、和声的な工夫が成功したとしか書いていない。

Track4の「流れ」という歌曲は、
作者不詳とあるが、この短いが激烈な歌曲は、
シュタッドラーに献呈されているという。
この友人は、五重奏曲「ます」の成立に、
関与してくれたばかりか、
その写しを作ってくれていた人として、
忘れるわけにはいかない。

「『流れ』D565は、作者不詳だが、
シューベルト自身の作ともされてきた。
『僕の生命が音を立てて流れていく。
・・求めるものは見つからず、
いつも憧れを持ち、鳴り響き、
満足できずに絶え間なく飛び散り、
幸福にも楽しくもなれない』。」
これは、1817年、シュタッドラーが故郷に帰る時の、
別離のための曲である。
おそらく、やがて、「ます」の五重奏曲が書かれることになる、
上部オーストリアの激しい川の流れを意識したに相違ない。

アイヒェのバリトン、フーアのピアノは、
全身全霊を傾けたような表現であるが、
20歳の作曲家が、思わず心情告白したようなこの曲は、
こうしたアプローチが必要なのだろう。

得られた事:「シューベルトの友人たちは、王政復古期の停滞感を共有した同志たちで、芸術に逃避、ゲーテら、前世代のネガのような心情から詩を迸らせた。」
by franz310 | 2011-02-13 17:59 | シューベルト

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その263

b0083728_014952.jpg個人的経験:
「アルフォンソとエストレッラ」は、
中期のシューベルトが到達した、
最高ポイントかもしれない。
1821年から2年という時期、
「弦楽四重奏断章」、「ラザロ」(1820)、
「未完成交響曲」(1822)をはじめ、
数々のトルソを残しているが、
この作品は立派に完成され、
さらに作曲家自身も自信を持って、
これを晩年まで売り込もうと
していたのである。


このあたりの経緯は、上手い具合に、
今回のCD解説にも詳しいが、
これはオペラそのものの録音ではない。

1956年、ハノーヴァー生まれの、
オーボエ奏者、ピアノ伴奏者、舞台音楽作曲家、
特に名編曲家として知られる、
N.タークマン(Tarkmann)が、
このオペラを管楽合奏用に編曲したという代物である。

この人の仕事は、「コシ」や、「ドン・ジョヴァンニ」から、
「展覧会の絵」や「ロメオとジュリエット」に到るというから、
別にシューベルティアンではないのかもしれない。

が、逆に言うと、シューベルト愛好家ではなくとも、
編曲したくなる、
上記、傑作と知られる作品と並ぶ名品として、
この作品が選ばれたと考えると、非常に喜ばしい。

確かに、この作品につぎ込まれた、
泉のような楽想の数々には、
賛嘆を惜しむことは出来ない。

が、逆に、あまりにも沢山用意された、
こうしたメロディーの数々によって、
リストなどは、劇音楽としてのドラマ性が欠如した、
などと考えたようである。
それについても、このCDの解説には、
記載があって参考になる。

この独CPOレーベルのCD、
残念ながらオペラの全曲ではないが、
序曲以下、18のナンバーを収めており、
聴いていると、次々と、懐かしい情景が、
眼に浮かぶような感じである。

ただし、今回、私は、このオペラを、
かなり聞き込んだがゆえに、
そう思うだけかもしれない。

実際、これを見つけて買って来てから、
かなりの年月が経っており、
買って来た当初は、
それほどありがたいものとも思っていなかった。
録音は1998年とある。

とはいえ、このCD、表紙の絵画から魅惑的で、
ついつい手に取ってみたくなる素敵な商品だと思う。
このオペラの舞台はスペインだから、
という事であろう、スペイン風の絵画である。

いかにも南欧の乾いた空気を感じさせる空、
そして明るい日の光に照らし出された建物。
エキゾチックな風情である。

きらびやかで豪華な飾りを付けた馬に乗って
颯爽と道行くアベックが、
アルフォンソとエストレッラだ、
と言われたら、納得してしまいそうになる。
民衆が集い、敬意を表されている様子も、
この若い二人にはふさわしい。

女性の気品のある表情も、
いかにもエストレッラを彷彿とさせ、
馬上の男性も、おそらく、アルフォンソのように、
ある時は悩み、ある時は勇気を出して戦いそうな、
優しげなまなざしのちょび髭である。

女性の馬の赤い装飾や、女性のスカートの黄色が、
とても心地よく、眼に飛び込んでくる。

が、このオペラは、中世のスペインを舞台にしていて、
こうした風俗は、まったく嘘っぱちなのである。

実際、このカバーデザインは、
Manuel Barron y Carrillo作と書かれ、
題名は「セビリャの祭」とある。
むろん、アルフォンソの舞台は、
北部スペインのレオンであって、
南のセビリャではない。

が、これまで見てきた、
アルフォンソとエストレッラのCDやDVDの中では、
今回の美しい絵画が、最も満足のいくものだ。
このスペインの画家は、
1814年生まれ(1884年没)とあるから、
シューベルトの同時代人には違いない。
こうした感じの絵画によって、
シューベルトがスペインに想いを馳せた可能性はあるだろう。

そうした意味で、この表紙は、
大嘘ながら、殊勲賞ものではなかろうか。
アルフォンソとエストレッラは、
こんな感じのアベックを、
ショーバーが想像して台本を書きました、
と言っても、通用するのではなかろうか。
エストレッラは、父が窮地に立った時、
私も戦場に赴くわ、と歌うような人であるし、
このように、きりりとした表情を持っていたはずである。

演奏はLinos-Ensembleで、
この団体は、ブルックナーやマーラーの交響曲を、
室内合奏編成で演奏して、日本でも知られた団体である。
今回のCDでは、ハルモニームジークとあるように、
オーボエ、クラリネット、ホルン、バスーンが各2、
それにコントラバスにて、この大オペラを演奏している。

解説は、Klaus Gehrkeという人が書いている。

「ある午後、私はマイヤーホーファーと共に、
シューベルトが父親と住んでいた、
ヒンメルプフォルトグラントを訪ねた。
シューベルトは頬を紅潮させながら、
本を持って『魔王』を朗読していた。
彼は、本を手に、何度も行ったり来たりしていたが、
やおら、席について、誰にも出来ない速さで、
素晴らしいバラードを書き上げた。
シューベルトはピアノを持っていなかったので、
学校まで走って行き、そこで『魔王』は歌われ、
その夜のうちに熱狂的に受け入れられた。』
これは、シューベルトの死後、
ヨーゼフ・フォン・シュパウンが、
1814年に『魔王』が作曲された時の事を、
思い出して書いたものだ。
17歳のシューベルトは、教員としての修行を始めたばかりで、
同時に大量の作曲を始めていた。
この年、彼が書いた作品では、
ゲーテの詩『糸を紡ぐグレートヒェン』、
『魔王』に付曲したものは、
現在に到るまで、
彼の最も人気のあるものに数えられる2曲である。
それに引き替え、彼が1814年の秋、
助教員の資格を得て1週間後に完成された、
アウグスト・フォン・コッツェブーのテキストによる、
彼のオペラ第1作『悪魔の悦楽城』は、
まだ、よく知られていない。
1815年から23年に書かれた、
その他の12曲も、それほど違いはない。
1820年の夏、『双子の兄弟』、『魔法の竪琴』が、
ケルントナートーア劇場で舞台にかけられ、
1823年の終わりに、
やはりそこで『ロザムンデ』が初演され、
たった3曲のみがその生前に演奏されている。
これらの作品にしても8回以上は演奏されておらず、
『ロザムンデ』は2回で打ち切られた。
1820年までのシューベルトの舞台作品が、
むしろ、ジングシュピールのスタイルで、
ジーモン・メイヤーやサリエーリに似ていたのに対し、
この時期以降の4作品、
『アルフォンソとエストレッラ』、『家庭争議』、
『フィエラブラス』、それから、『ロザムンデ』は、
音楽劇から一線を画した特徴を有している。
シューベルトは、『フィエラブラス』と、
『アルフォンソ』を『ロマン的オペラ』と呼んでおり、
特に後者を、他のどの舞台作品よりも高く評価していた。
3幕のオペラ、『アルフォンソとエストレッラ』の
シューベルトの最初のプランは、
1821年の初夏まで遡る。
この台本のために、フランツ・フォン・ショーバーは、
中世初期の、スペイン=オーストリアの王室の
歴史的人物を持って来たが、
虚構の世界の出来事である。
オペラの具体的な計画は、
1821年8月の初めの、
シューベルトとショーバーの二人旅の間に、
具体化していった。
台本と音楽は、少しずつ生み出され、
シューベルトが追いつかないよう、
ショーバーは急いで筆を進める必要があった。
彼等は、共通の友人、ヨーゼフ・フォン・シュパウンに、
『オクセンブルクの素晴らしい景観の中、
ザンクト・ペルテンの社交界やコンサートで、
とても忙しいが、それにも関わらず、
沢山の仕事をしている。
特にシューベルトは、もう二幕も書き上げ、
僕は三幕に没頭中だ。
君もここにいて、
作曲された素晴らしい曲を聴けばいいのにと思う』
と書き送っている。
『彼が、豊かで、きらきらしたアイデアをわき出させるのは、
何と素晴らしいことだろう。
夜になると、我々は、毎日をどう過ごすべきかと論議する。
そしてビールを持って来させ、
パイプをくゆらせて、読書したりする。』
シューベルト自身の年表によると、
このオペラの作曲を9月20日に始め、
翌年の2月27日に書き上げている。
それから、彼はどうやら、序曲を書き始めたらしい。」

この序曲の中に、何故、
劇中の音楽が使われていないのか、
私は不思議に思っていたが、
序曲は、オペラが書かれてから書かれたとあり、
ますますもって理解不能という感じである。

「それは、彼には、かなりイケてる作品に見えたようで、
彼はこれを『ロザムンデ』の序曲として使うことに決め、
『アルフォンソとエストレッラ』のためには、
さらに別の序曲を書こうと計画した。」

シューベルトは、この序曲を、
ピアノ曲にも編曲しているらしい。

「ロザムンデの一部として、
聴衆の好みに合っていたのだが、
結局、彼は当初のプランに戻した。
この作品がオペラとして完成される前から、
彼はヴィーンでの上演のアレンジを試みたが、
1822年の12月には、
彼の望みは潰えている。
彼は、シュパウンに、
『このオペラはヴィーンでの見込みはありません。
私は、それを返してくれと言って、受け取りました。
フォーグルもまた、本当に劇場から手を引いてしまいました。
私は、これを、ウェーバーが手紙をくれたドレスデンか、
ベルリンにすぐ送るつもりです。』
ウェーバーがドレスデンでの上演を取りやめた後、
シューベルトは、『アルフォンソとエストレッラ』を、
ベルリンの歌手、アンナ・ミルダー=ハウプトマンに送った。
彼女は、彼の舞台作品の事を聴いていたが、
このオペラは、彼女の気に入られることはなかった。
『あなたのオペラの一つを上演できれば、と思います。
ただ、それは、私の個性に合ったもので、
女王か母親か、農婦のような役のものがあればいいでしょう。
何か新しいものを書いて下さい。』
仮に彼女がこれを受け入れていたとして、
悲劇的大オペラや、
フランスのコミック・オペラが好まれていた、
ベルリンの嗜好には合わなかったことだろう。
シューベルトに到来した最後のチャンスは、
彼の死のほぼ一年前、
1827年の9月に来た。
彼がグラーツの音楽監督の前で、
『アルフォンソとエストレッラ』の一部を弾いてみせたところ、
いくつかの意見はあったが、
非常に強い印象を与えることが出来た。
しかし、それも実際の上演に到ることはなかった。
シューベルトの死後20年、
彼の兄のフェルディナントは、
リストがこれを上演できるように依頼した。
1854年、リストはこれをワイマールで初演したが、
ヴァーグナーの楽劇の影響下、冷淡に受け止められ、
上演後、リスト自身がこの作品を記事に書いている。
『このオペラは、ジングシュピールの感覚で書かれており、
単純できれいで、すっかりメロディで埋め尽くされた、
声楽作品である。
シューベルトの叙情の痕跡に満たされ、
むしろ、彼の最高の歌曲集に位置づけられるものだ。
聴衆は、しばしば、シューベルトお気に入りの、
間や休止や形式的な要素に出会う。
しかし、彼の舞台経験の欠如と、
ドラマに対する理解のなさが常に露呈される。
その交響的な特長を持ってしても、
この欠点を埋め合わせるには至っていない。』
このオペラの失敗は、特に、
ショーバーの台本の弱さに責任がある。
続く年月、多くの作曲家が、このオペラを改訂し、
1880年のフックスの新版は、とりわけ成功を治めた。
フックスは台本の言葉を変更、
いくつかのナンバーの順番を変えた。
彼は新しいナンバーを作曲し、接続部を追加した。
カールスルーエでは、このバージョンがレパートリーに含まれ、
多くのドイツの都市が、これに倣った。
1884年になって、しかし、
ハンスリックの批判が、この成功を止めてしまった。
ヴィーンでのこの版の初演時、
彼は、特に3つの欠点を上げている。
彼によると、リブレットは、
『シューベルトの音楽にとって、むしろ邪魔』で、
それ自身、
『多くの場合、歌曲のスタイルで書かれていて劇的ではない』。
また、最後に、『テキストと音楽がちぐはぐである』とある。
こうした彼の批判の中にあって、何よりも、
シューベルトは、『特別な劇作家になるには、
限られた方策しか持っておらず、
素晴らしい個別化の才能がありながら』、
彼の舞台作品が受容されるために、それが、
重要な影響を与えていないということであった。」

ハンスリックは、
ブルックナーをいじめたことで有名だが、
既に故人となって久しいシューベルトに対しても、
あまり読んでいて楽しくない仕打ちをしたようである。

しかし、言っている事は分からなくはない。
各曲はそれぞれ、素晴らしい完成度を誇っているが、
ねばねばとした統一感や、終曲に向かっての推進力がない、
ということであろう。

しかし、どんなオペラでも、
同じような作られ方がされるべきだろうか。

歴史上有名な音楽家や批評家が、
よちよち歩きにまでなった段階で、
寄ってたかって足払いをしていくような残酷さがある。

「『アルフォンソとエストレッラ』は、
再び、約70年もオペラハウスから姿を消した。
1958年、クルト・ホノルカは、
『アルフォンソとエストレッラ』のアクションと、
同様の要素が沢山あることから、
シェイクスピアの『テンペスト』による、
二幕のオペラ、『魔法の島』を作るのに、音楽を利用した。
最初のオリジナル上演は、1977年、
英国のリーディング大学でのもので、
1991年には、シューベルトが虚しい努力をしたグラーツでも、
それから164年経過して、当地の劇場が、
オリジナルのオペラ上演を行った。」

このCD、序曲から、
9つの楽器だけで演奏されているが、
そこそこ迫力があり、
Track2の村人の合唱、
Track3のフロイラの朝のアリアなど、
いかにも高地の情景を思わせるひなびた響きを、
木管楽器たちがうまく描いている。
特に、フロイラのアリアが、ホルンで描かれる様は、
非常に雄大な、広がりのある印象を与える。

Track4は、フロイラと息子アルフォンソの、
憂いに満ちたデュエットであるが、
これもまた、クラリネットのロマンティックな響きが、
うまく調和している。
(第3曲の合唱は省略された。)

また、エストレッラの登場シーンの合唱は省略され、
いきなり悪役、アドルフォのアリアが、
Track5で登場する。
ロマンティックな憂いに満ちた曲から、
鋭い対比をなして、音楽的には効果的である。

ただし、オペラを愛するものとしては、
エストレッラなしで、このアリアが始まるのは、
少々、不自然である。
何故なら、アドルフォは、
エストレッラが欲しくてたまらん、
という存在だからである。
この粗暴なアリアも、戦場で自分を支えたのは、
エストレッラの幻であったからだ、
と荒々しくぶしつけに歌われるものだ。

Track6では、そのかわり、
エストレッラが狩りに出かける、
第1幕のフィナーレが力強く鳴り響く。
ここで、エストレッラ登場時の、
女性合唱のメロディが再現されるので、
くどくなるのを防ごうとした措置であろう。
この終曲の前に、アドルフォは、
姫を寄越せと執拗に言い寄るが、
それも、この編曲では取り上げられていない。

また、第2幕の始まりを告げる、
印象的なフロイラのアリアがなく、
Track7では、早急にも、
主人公たちのデュエットになっているのは、
いかがなものか。

クラリネットの響きが、
夕暮れ時のロマンティックな情感を描いて美しいとはいえ、
まるで、何の前触れもなく、
いちゃついているような塩梅ではないか。

Track8は、その後のエストレッラのアリアで、
彼女は完全に舞い上がっているし、
Track9では、別れを惜しむ二人のデュエットで、
この曲の中心部の長大な仲良しシーンは、
そこそこ重視されている。
セレナードを思わせる、ハルモニームジークならではの、
やるせない情感が生きている。

が、このオペラの重要な小道具である、
オイリヒの鎖のシーンはない。

Track10では、このような愛の場面を、
ぶちこわすような不気味で不安な音楽。
兵士たちが集まって、アドルフォの謀反画策の場面である。
Track11では、アドルフォが一席ぶつ、
敵は本能寺にありのシーンである。

エストレッラの父、マウリガートが、
行方不明の娘を心配するシーンはなく、
Track12では、エストレッラが、
狩りで彷徨い入った山の中での思い出を歌う。
こういったしみじみした情感も良いが、
Track13の第3幕の始めの
戦闘シーンような、荒々しい描写も、
この編成で、うまく表現している。

第2幕の最後、アドルフォ謀反の報に、
マウリガートがうろたえるシーンはなし。

Track14は、村人たちが逃げ惑うシーンで、
若い男女のデュエットが、オーボエで描かれる。

Track15は、マウリガートが歌う、
絶望的、悲痛なアリアで、非常に印象的なもの。
このアリアの深々とした悲劇性の後、
Track16のフロイラとの和解の二重唱。
ホルンによる敬虔な響きも素晴らしい。
晴れやかな日の光が差し込んで来るような、
陰影の効果も素晴らしい。

Track17、18は、フィナーレを形成する部分で、
勝利の凱旋の行進と、大団円を祝福するアンサンブルが、
壮大に鳴り響く。
野外音楽に適したハルモニームジークならではの、
爽快な解放感が生きている。
このオペラの壮大な構想を象徴する部分は、
コンパクトながら、しっかり収められている感じだ。

このように、このCDは、
シューベルトが書いたオペラの個々のナンバーを、
いくつかに分割したりしながら、
うまくメリハリをつけてダイジェストにしている。

ただし、劇の進行上、重要なエストレッラ登場のシーンや、
アルフォンソと彼女の出会いのシーン、
さらに、アルフォンソがエストレッラを救出するシーンなどは、
残念ながら聴くことが出来ない。

また、劇の進行上、あまり重要ではなくとも、
このオペラの顔のような、「雲の乙女のバラード」や、
エストレッラの日々の虚しさのアリアなども、
何故か、ここでは編曲の対象から外された。

が、これはすごい事であろう。
ベッリーニの「ノルマ」から、「清き女神」を取り除いて、
それでも、「ノルマ」として、聴衆は受け入れるであろうか。

このように、このCDによって、
オペラ全曲盤が代用できるものではないが、
爽やかな音色で、気楽にオペラを追体験するには、
適当なものとなっている。

このレーベルへの期待に応えて録音も良いが、
こうした企画が生まれたこと自体が、
冒頭に書いたように、何よりも喜ばしい。

「ロザムンデ」などは、歌付きでない楽曲が多く、
かえって得をしているのではないだろうか。
「アルフォンソ」の音楽は、多くが、歌詞に縛られて、
そこにどんな音楽が付けられているかを吟味する前に、
劇的にどうだこうだと批判にさらされている。
「ロザムンデ」などは、あちこちちょん切って、
様々な楽器にも編曲されて、愛好されているうちに、
全曲版で聴かれるのが普通になってきているのだが。

オペラの場合、そうやって親しまれているものは、
無数にあるではないか。
そうでないと、アリア集などのレコードやCDは、
成り立たなくなってしまうはずだ。

「アルフォンソ」の音楽は、そうした楽しまれ方が、
充分には、なされないまま来てしまった。

得られた事:「『アルフォンソとエストレッラ』は、全編が独立して楽しめるメロディの洪水のような作品で、小編成にしても楽しむことが可能。」
by franz310 | 2011-02-06 00:15 | シューベルト

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その262

b0083728_21413936.jpg個人的経験:
シューベルトのオペラ、
「アルフォンソとエストレッラ」には、
もう一種、入手できるDVDがあった。
これは1997年のシューベルト・イヤーに、
NHKでも放映されたもののようで、
DVDのパッケージの裏面には、
アンデアウィーン劇場で、
1997年の5月に上演されたものを、
ヴィーン音楽週間、チューリヒオペラ、
オーストリア放送、
NHKとで共同制作したものとある。

その割には、ナクソスのレーベル名があり、
ディスクはカナダ製で、
印刷はアメリカで、
字幕に日本語はない。


「オールスターキャストで、
世界的に有名な合唱団とオーケストラが、
有名なニコラウス・アーノンクールの指揮で、
めったに演奏されないシューベルトのオペラを、
彼の生誕200年に演奏したもの」
と、これでもかこれでもか、
と宣伝文句が並んでいる。

おそらく、放送用に撮られ、
そのままお蔵入りになりそうだったのを、
2009年になって、ようやく発売されたもの。
ナクソス様々である。

「この分野での経験の浅さにも関わらず、
シューベルトは、痛切に美しい音楽を付けており、
オーケストラの色彩の繊細さ、
強烈な声のラインは特筆すべきである。
二度にわたるエミー賞を始め、
多くの貴重な賞を受賞したブライアン・ラージが、
歴史的ヴィーン芸術祭における、
このシューベルト最大の野心作を監督している」
とあり、ものすごく興味がかき立てられる。

しかし、このDVD、表紙を見た限りでは、
あまり触手が動くものではない。
陰気な雰囲気の中、不審な人物がよりあって、
何だか悪巧みしているように見える。

これまで、アルフォンソに親しんで来た人には、
すぐ分かるだろうが、これは、
最後に、アルフォンソとエストレッラが、
めでたく結ばれるシーンである。
彼等を囲んで、二人の父、フロイラとマウレガートがいる。
とても、国王とは見えず、マフィアの親分みたいだが、
実際、そんな感じの演出になっているのだから仕方がない。

最後の大団円がこんなしょぼさなら、
もう見たくない、という人がいてもおかしくはない。

しかし、このフロイラにはトーマス・ハンプソン、
マウレガートには、オラフ・べーアを当てたという、
すごい布陣である。
スウィトナー盤が、フィッシャー=ディースカウと、
ヘルマン・プライを当てたのに近い気迫を感じさせる。

しかし、若い二人を歌うウォトリッチと、
オルゴナゾヴァという人は、
実は、私は知らなかった。
オペラを鑑賞して分かるが、
ウォトリッチは、若々しいが、
オルゴナゾヴァは年配に見える。
これは残念無念だが、女性に怒られそうなので、
これ以上は書かない。

ウィキペディアには、このソプラノは、
1961年、スロヴァキア生まれとあるから、
36歳の時の録音である。
ナクソスからは多くの録音が出ている。
そのおかげで、このDVDがお蔵入りを免れたのであろうか。

アルフォンソ役のウォトリッチは、
1963年生まれのドイツ人らしいが、
オルゴナゾヴァより2つ若いだけだった。

ついでにアロンゾ役のムフを見ると、
1949年生まれ。

55年生まれのアメリカのハンプソン、
57年生まれのドイツ期待の新星だった、
オラフ・ベーアよりベテランで、
すごい存在感で歌っている。
軍服を着て、完全に軍国主義国家の主席並。

オペラの中で、ハンプトンは、
威厳ある王をうまく演じている。
ベーアは、簒奪者であるから、
黒めがねをかけて、いかにも悪者風である。
鉄砲を持った親衛隊がいたり、
土嚢が積まれていたりして、
幾分、殺伐としており、
キューバあたりの独裁体制を具現したような演出になっている。

解説は、リチャード・ローレンスという人が書いている。

「19世紀の最初の40年に作曲された
ドイツ・オペラには、今日、あまり触れる機会はない。
ベートーヴェンの『フィデリオ』(1814)と、
ウェーバーの『魔弾の射手』(1821)以外は、
空白の時期である。
事実、多くの音楽愛好家たちは、他の作曲家同様、
シュポア、メンデルスゾーン、シューマンらが、
オペラを作曲したことを全く知らないかもしれない。
フランツ・シューベルトもまた、
そうした作曲家に数えられる。
彼は、その最初のオペラを14歳で書き、
翌年、モーツァルトの『魔笛』を見て、
1814年には、『フィデリオ』の最終バージョンを見て、
その7年後には、『魔弾の射手』のヴィーン初演を見ている。
彼は、師のサリエーリからオペラの作曲を学び、
サリエーリの師であるグルックのオペラを学んだ。
おそらく、モーツァルトの『フィガロ』や、
『ドン・ジョヴァンニ』をも鑑賞している。
要するに、彼はオペラの世界に心から親しみ、
引きつけられていたのである。」

「最初のオペラ作曲の努力は、
1812年頃からなされており、
それから1820年までの間に、
十曲以上を書いている。」

そんなにあったかな、
と数えてみると、1811年の作とされる、
「鏡の騎士」は数えないとすると、
1.「悪魔の別荘」、2.「アドラスト」(未完)、
3.「四年間の歩哨勤務」、4.「フェルナンド」、
5.「クラウディーネ」(後半消失)、
6.「サマランカの友人たち」、
7.「人質」(未完)、8.「双子の兄弟」、
9.「魔法の竪琴」、10.「シャクンタラ」(未完)
あたりが数えられる。

「いくつかは完成されることはなく、
一部分だけが残っているものもある。
多くはジングシュピールで、
これはいわば、レチタティーボではなく、
いわば、語られる対話付きのオペラである。
唯一、生前に公演があったのは、
一幕のジングシュピール『双子の兄弟』だけであり、
1820年の初夏に6回演奏された。
これは帝室オペラ座である
ケルントナートーア劇場から委嘱されたもので、
ミヒャエル・フォーグルの周旋によるものだった。
(フォーグルは、アルフォンソの成立には関与してなさそうだが、
シューベルトの歌曲を広め、作曲家の友人であり続けた。)」

このフレーズ、いったい、何を言っているのか、
ちょっと分からないが、読み進めて行くと、
分かるように、
シューベルトの後見人のようなフォーグルは、
何も知らされずに作曲が行われたことについて、
面白くない感情を持っていたということか。

「シューベルトはしかし、
本格的なオペラで評判を取りたかった。
1821年の秋、彼は友人のショーバーと、
休みをとってヴィーンを去った。
ショーバーがリブレットを書いた、
『アルフォンソとエストレッラ』を計画して。
信じがたい事に、シューベルトは、
ショーバーがまだ書いている途中から、
シューベルトは曲を付け始めた。
おそらく、劇場経験もない素人詩人のショーバーが、
どのようにドラマを形成するつもりであったかを知らずに、
シューベルトは早まって突撃を始めた。
もちろん、すべては計画済みであり、
先に合意済みで
結果として、どちらもいかなる修正の必要性も、
認めなかったということは、あり得ない話である。」

という風に、若い友人たちは、
静かな場所で集中したかったと同時に、
他の人からのちゃちゃが入らないように、
秘密裏に計画を進めていた感じがなくもない。

「フォーグルの意見は時代遅れだから」などと、
ショーバーが言ったかもしれないし、
シューベルトが、フォーグルを驚かせてやろう、
などと、おちゃめな気持ちを持っていたのかもしれない。

実際、フォーグルが実演した「双子の兄弟」などは、
シューベルトにとっては、茶番劇のように思えたかもしれない。
自分は、もっと本格的なものを書けるのに、
と、不満を持っていたかもしれない。

シュパウンは、シューベルトがこのオペラの台本を、
気に入らなかったと明言し、
「大して興味を感じないままに書いてしまった」
と書いている。

ショーバーこそは、
フォーグルとシューベルトを結びつけた恩人だったので、
気安く、「あのおっさん、また、つまんないもん、
持ってくんじゃねーの」とか言った可能性もあろう。

「シューベルトは第1幕を、
ケルントナートーア劇場での
『魔弾の射手』に間に合うように、
ショーバーがヴィーンに帰ってから、
2週間後、10月16日に書き上げた。
この頃、劇場監督に任命された、
ドメニコ・バルバーヤが、
シューベルトやその他の作曲家を招き、
ドイツ・オペラを検討するので、
持って来るように持ちかけた。
『アルフォンソとエストレッラ』は、
1822年2月に完成され、時間通りに提出された。」

この話も、私は驚いた。
あまりにも、出来すぎた話ではなかろうか。
バルバーヤがドイツ・オペラを見たがるのを、
予測していたような動きではないか。
あるいは、ウェーバーが、21年の夏に、
「魔弾の射手」で当たりを取った事に、
両方、端を発しているのかもしれない。

さて、DVDの解説だが、このように続く。

「これは、しかし、おそらく、
フロイラの役を想定されていたであろう、
ミヒャエル・フォーグルによって拒絶された。
彼は、共鳴せず、その書法のまずさを指摘したに相違ない。」

これを読むと、
シューベルトがせっかく作ったフロイラの役を、
フォーグルが全く喜ばなかったように読める。
フロイラの役は、このオペラでは非常に重要で、
第1幕も第2幕も、彼の長大なアリアで始まるのだから、
シューベルトは、さぞかしがっかりしたことだろう。

台本を書くショーバーにも、
フォーグルが目立つようにと、
念を押していたはずである。

ようやく、このオペラが、
やたら、男声を要求した作品であることに、
合点が行った。

「その後、いろいろな場所で、
上演の試みがあったがすべて失敗した。
フォーグルのかつての弟子で、
『フィデリオ』で最初にレオノーレを歌った、
ソプラノのアンナ・ミルダー=ハウプトマンは、
ベルリンから、がっかりしたような手紙を書き、
ケルントナートーア劇場で演奏されて失敗した、
『オイリュアンテ』についての、
シューベルトの反論に立腹したと言われるウェーバーも、
ほとんど上演の努力はしてくれなかった。
『オイリュアンテ』を予告するような、
『アルフォンソとエストレッラ』は、
語られる対話のない通作オペラである。」

確かに、「魔弾の射手」などは、
時折、会話が差し挟まれて、
その部分は音楽空白部であるが、
「アルフォンソ」は常時、音楽が鳴り響いていて、
さながら長大な劇的交響曲のごとしである。
私は、今回、散々、この曲を聴いて、
すっかり、メロディが頭に入ってしまった感じがしている。

「舞台は8世紀のスペインで、
マウレガートに王権を簒奪された、
正統なレオンの王、フロイラと共に、
アルフォンソは住んでいる。
エストレッラはマウレガートの娘で、
アルフォンソと恋に落ちる。
エストレッラに拒絶されたアドルフォは反乱を起こすが、
アルフォンソに捉えられ、大団円で終わる。」

この何行かで集約されるあらすじは、
フロイラを、シューベルトの友人、
フォーグルと置き換えると、
フォーグルが王位を取り戻し、
息子のようなシューベルトに月桂冠を授ける物語、
などと考えることも出来る。

事実、アルフォンソがフロイラに不満を言うが、
それは、こんな感じである。
「あなたの厳格な命令で、
私は、この谷から出ることは出来ない。」

シューベルトは、フォーグルに、
「あなたの厳格な命令で、
私は、小さな作品しか書かせてもらえない」
と不満を持っていたかもしれないではないか。

あるいは、大オペラはまだ早い。
もっと、機が熟すのを待つのだ、
とフォーグルは言っていたのかもしれない。

その方針に異議を差し挟むオペラだとしたら、
フォーグルも賛成するわけはなかったのである。

そういえば、フォーグルは、
初対面のシューベルトに、
このように忠告していたと言われる。
「あなたは・・ぺてん師的なところがなさすぎます。
あなたの美しい想念を、叩いて広げようとはせずに、
浪費してしまっています。」

「この男の浪費癖が、また現れた」と、
フォーグルは、「アルフォンソ」の楽譜を見ながら、
呟いたりしただろうか。
しかし、それは、「双子の兄弟」などとは、
次元の異なる偉大な作品として結実している。

フォーグルは1768年生まれであるから、
この時、54歳。
ラテン語の小説を読むのを常としていたとされる、
この年配の教養人にとっては、
あまりに史実を無視した台本もまた、
怒りの対象になった可能性があろう。

さて、DVD解説の最後を読んでしまおう。
「シューベルトの死後、ずっと後の1854年、
フランツ・リストがこのオペラの改訂版を、
ワイマールで初演した。
リストの秘書はショーバーだった。
リストは、このオペラを高く評価してはおらず、
形式的に敬意を表しただけであった。
ドラマを緊密にするために、
ここで、アーノンクールも、
いくつかのナンバーをカットしていることを、
書き留めておくべきだろう。」

この解説を書いた人もまた、
あまり、このオペラに対して熱狂的な立場ではなさそうだ。

さて、このDVDであるが、
最近、引退表明をしているアーノンクールの、
エネルギッシュな指揮ぶりで、
序曲が溌剌と始まる。

Track2の村人たちの合唱、
さすが、シェーンベルク合唱団で、
非常に質が高い合唱のハーモニーが楽しめる。
カットを入れた、と解説にあるように、
2分くらいで終わる。

Track3で、ハンプトンが歌うアリア。
ハンプトンは背の高いイケメンなのに、
長髪白髪の老人で、チョッキを着ていて、
囚人のように見えなくもない。

これまた、朗々とした声に、ホルンが鳴り響き、
素晴らしいが、この人徳ある統治者が、
呑気に寝ているところから始まるのに、
少し、抵抗を感じる。

Track4で、再び合唱が現れるが、
村人が暗がりでフロイラを出迎え、
お祝いの飲み食いをしている。
村人は、スラブ風の民族衣装である。

Track5で、いよいよ、
タイトルロールのアルフォンソの、
悩みが打ち明けられる二重唱が聴かれる。
ウォトリッチのテノールは、きりりと張りがあって良い。

アルフォンソの出で立ちは、
ジャケットを着た現代の兄ちゃんである。
失業中の若者がハローワークに行くみたいである。

Track6で美しいアリアが聴かれるが、
ここでの遠くへの憧れの歌は、
ドイツリートの切実さの拡大増殖版で、
内省的であると同時に、
劇場的な広がりを見せる。

Track8の二重唱も、
二人のやりとりが勇ましく、
オーケストラの興奮も、
聴く者をわくわくさせる。

Track8では、
エストレッラサイドが描かれるが、
真っ赤なコートに身を包んだ女性たちが、
狩りの準備をしている。
ベーアは、盲目になったようで、黒めがね。
中央で偉そうにガウンを羽織って威張り腐っている。

Track9で、エストレッラに言い寄る
アドルフォが現れるが、ライフル銃を持ち、
長いだぶだぶのコートの下には、
肩からかけられた弾丸が光っている。
いかにも悪そうながさつなおっさんをうまく演じている。

Track10のデュエットでは、
エストレッラの声量が、このベテランのバスと、
うまく渡り合って、聴き応えがある。
青い背景の下には土嚢が見え、
いかにも殺伐とした、
エストレッラの境遇が描かれる。

Track11は、第1幕のフィナーレで、
今度は、アドルフォの兵隊たちの合唱である。
これから勇ましくムーア人を倒しに行くのである。
マウレガートのオラフ・ベーアは、
白い杖を突いて、ようやく声を出す。
さすがベーア、これまた良い声である。
アドルフォは葉巻をくゆらし、完全に闇社会の人みたい。
その時に流れるオーケストラの色彩のすごい移ろい。

長々と歌われる悩ましい歌声に、
合唱団の不気味な切迫感が波打つ。
エストレッラを寄越せというアドルフォに、
マウレガートもエストレッラも追い詰められる。

ついに、不思議な伴奏が風雲急を告げ、
マウレガートは、聖オイリヒの鎖という、
苦肉の策を切り出すが、
エストレッラの喜びの声は、冴え冴えと美しい。

Track12からの第2幕は、
一転して、黄昏の山頂といった感じで、
暮色に染まり、土嚢の向こうに山並が広がっている。
フロイラは、薬草か何かを取り分けている。

Track13での、
オーケストラの刻一刻と変わる表情は、
このオペラの聞き所の一つではなかろうか。
エストレッラとの出会いを予告して素晴らしい。

だんだん夜も更けて来て、
エストレッラが狩りの道具を持って、
彷徨い入って来る。
完全にナンパ師みたいに、アルフォンソが近づく。
最初はそうは思わなかったが、
このあたりの音楽には、シューベルトの愛情が、
たっぷり注がれているような感じがする。

木管の鳥の声が、期待に胸をふくらませて囀る。

Track14も、すっかり「水車屋」のナイーブさ。
シューベルト・ファンなら、このオペラは、
心から愛するべきであろう。

Track15のエストレッラの弾む声は、
CDで聴いていると唐突に聞こえていたが、
このDVDで見ていると、ごく自然。
シューベルト恐るべし。
何という感情の推移。
デュエットに発展し、
何だか明るい日差しが感じられる。
彼等は不安を感じながらも、
完全に信頼関係にあると見た。

Track16の悲しげな歌もしかり。
エストレッラの帰りたくない心が痛々しい。
切実である。
このあたり、私は、何度でも繰り返して聴きたい。

Track17も、いきなり勇ましくなり、
感情の起伏が激しいが、
若いカップルとはこういうものである、
という感じがする。初々しい。
ここで聖オイリヒの鎖が渡されるが、
悲しい気持ちのエストレッラを慰めるために、
アルフォンソが考えた最後の手段。
まさしく、これくらいの勢いで良い。

Track18からは、風雲急を告げ、
暗闇での反乱の計画が不気味である。
軍隊は皆、小銃を構えていて、
アドルフォは軍刀をかざして実に物騒である。
シューベルトは、ティンパニや金管で、
壮絶な効果を上げている。

この調子で書き続けていると、また、文字数オーバーになる。
ちょっと殺伐としているが、興味深い演出であるということ。
Track19で現れる王の親衛隊たちが、
老人ばかりで、まるで当てにならないというのも、
よく表現されている。
アドルフォ反乱の報に、右往左往するし、
マウレガートはひっくり返ってしまう。
エストレッラの勇気で、民衆も決起して、
素晴らしい迫力の合唱で第2幕は閉じられる。

第3幕では、逃げ回る民衆が描かれ、
焦土となった村はずれの橋が舞台になっている。
再度、言い寄るアドルフォに、エストレッラが、
本当に嫌そうな顔をして、迫真の演技である。
それにしても、何というメロディの宝庫。
アルフォンソの救出も、かっこいいが、
アドルフォがすぐに捕まるのがあっけない。

また、近衛兵たちが逃げまどうのを、
アルフォンソが止めるシーンもなかなか良い。
ホルンを吹くと、
それに答えて友軍が答えるのも泣ける。
しかし、フロイラの登場が間抜けな感じ。
もっと緊迫して、馬ででも飛ばして来て欲しい。

Track29の、真っ暗な橋を渡って来る、
盲目のマウレガートの孤独感も、妙に身につまされる。
躓いて杖を放してしまい哀れである。

ここからは、この前に聴いて、文字数オーバーだった部分に、
今回の感想を書き足して行く。
Trackナンバーは、TDKのDVDのもの。
()内が今回のものに対応。

Track33(Track30).
そこに、フロイラが現れ、
「もはや憎しみは消えている」、
「そなたも十分償ったであろう」
と和解が成立する。
音楽は、敬虔な感情に満ちて、恩寵をすら感じさせる。

イケメンのハンプトンが、ギャングのベーアに対し、
本当に優しそうな顔をして見せる。
杖を拾い上げて渡す演出も美しい。

スウィトナー盤は、ここで、フィッシャー=ディースカウと、
ヘルマン・プライという、二十世紀後半の誇る、
二大バリトンに二重唱を歌わせている。
私は、この素晴らしい和解のシーンに、
様々な思いが去来して、涙が出そうである。

サンツォーニョ盤でも、威厳のあるパネライの声に、
ボリエロの悔悟に満ちた声が唱和されて、
オーケストラもじわじわと盛り上がっている。

Track34(Track31).
フロイラはエストレッラを、
同盟の証として、前の王様に引き渡される。

この部分もまた、うねるようなオーケストラの色調に、
恐ろしい程の感動に襲われる。
大団円の前の小団円であるが、
三重唱が始まる時の、シューベルトの筆の冴え。

アーノンクール版では、次々に村人が集まって来る演出も良いが、
いくぶんあっさりしているかもしれない。

サンツォーニョは、最初、オーケストラをえぐるように響かせ、
そこからテンポを落として、じわじわと幸福な感情を広げていく。

Track35(Track32).
勇ましいラッパの音が遠くで聞こえ、
合唱による勝利の歌が響き渡る中、
全員が着席して、フロイラが王に戻ることを宣言する。
何と、牢から出て来たアドルフォまでが、
服従しているではないか。

ここまで大団円にする必要もなさそうだが、
ショーバーたちは、あえて、そうしたのである。

ここで、首飾りをくれたのがアルフォンソであることを、
エストレッラが告げると、
いかにもシューベルトらしい雄渾なメロディが響き、
アルフォンソに王位と、
エストレッラとの婚約という、
二つの成就がやって来る。

合唱にティンパニが打ち込まれ、
大団円の重唱が重なる。
「若き夫婦に幸あれ」という部分になると、
せっかく高まった緊張がいったん収まるが、
再度、オーケストラは白熱し、
クライマックスに到る。

アーノンクール盤では、兵士の投降に、
アルフォンソが、倒れ込んで戻って来て、
恐ろしい戦闘があったことを暗示していて良い。

スウィトナー盤では、エストレッラの声に誘われて、
二人の王、そしてアドルフォまでが恩寵を讃える。
マティスの声に導かれる合唱までの盛り上がりをかなり堪能できる。

アーノンクール盤では、さすがに、
これはリアリティがないとしたのか、
アドルフォは降参の旗を持っているだけである。
8分の曲が5分に縮められていて、
もっともっと聴きたい感じが残る。

サンツォーニョ盤は、ダンコの声にスケール感がないが、
これはこれで女性的な優しさも含めての大団円ということで、
納得が出来る。
得られた事:「シューベルトはフォーグルを想定して、このオペラを書き、それが仇となっている。」
by franz310 | 2011-01-29 21:54 | シューベルト

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その261

b0083728_11503037.jpg個人的経験:
シューベルトの代表的オペラ、
「アルフォンソとエストレッラ」は、
リストが演奏会形式で演奏しており、
シューベルトの舞台作品の中では、
それなりに演奏歴のあるものだ。
従って、1978年に、
スウィトナーのような大家の棒で、
録音が行われるまで、
演奏がなされなかった、
というのも不自然な感じはしていた。


前回のスウィトナーのドイツ盤解説にも、
「20世紀になると、『アルフォンソとエストレッラ』は、
様々な放送局によって企画されたコンサートで、
時に部分的にではあれ、聴かれるようになり、
1977年と1991年には全曲が舞台にかけられた。」
と書かれていた。
全曲版以外はもっと頻繁に演奏されていたのであろうか。

はたして、というべきか、
1956年10月26日、ミラノでの録音とされる、
サンツォーニョ指揮による2枚組CDが、
galaというレーベルから出ていて、
唸ってしまった。全曲が演奏されている。

イタリア語歌唱というのも怪しすぎるので、一瞬、悩んだが、
フランス歌曲の録音で有名なシュザンヌ・ダンコが、
エストレッラを歌っているとあって、
購入を決めてしまった。

彼女は、私にとっては、
アンセルメとの共演で親しい感じがする。
アンセルメのLPは、私の学生時代に、
大量に廉価盤で出され、
いろいろフランス音楽、というか、
独墺系以外のレパートリーを勉強させてもらった。

このCDでは、この歌手を以下のように解説している。
「1911年1月22日、ブリュッセルで生まれた。
地元の音楽院で音楽の勉強を始め、
1936年、ヴィーンで賞を取り、
エーリヒ・クライバーのアドヴァイスを受けて、
プラハに移り、テノールのフェルナンド・カプリと、
仕事を共にした。
1940年、イタリアでの最初のリサイタルシリーズ後、
彼女は翌年、『コシ』のフィオルディリージで、
オペラ・デビューをジェノヴァで飾った。
これは、録音されていないが、
最も得意とするレパートリーであった。
素晴らしいモーツァルト歌いとして、
彼女は、エクスヴァンプロヴァンスや、
グラインドボーンやエディンバラに招かれた。」

何と、アンセルメとの関係など、
まったく書かれておらず、
フランス音楽の大家かと思っていたら、
モーツァルティアンと書かれている。
完全にイメージが間違っていた。

しかも、エーリヒ・クライバーというのが、
味わい深いではないか。

最初に彼女の声が響くのは、狩りの合唱の中から、
浮かび上がる、日常への不安のアリアであるが、
幾分、陰のある優美な歌い方で、愛おしく感じられる。

また、今回の盤で、
アルフォンソを歌っているのは、
ロッシーニなどで録音も多いルイジ・アルヴァで
ミラノのオーケストラ、合唱団がバックなので、
すっかりイタリア的なものかと思っていたが、
実は、このアルヴァも、
解説によると、ペルーの人だと言うことである。

「1927年生まれのペルー人で、
『チェレネントラ』と『セリヴィアの理髪師』での、
レッジェーロ・テノールとして長きにわたって名を馳せた。
1949年、リマでルイザ・フェルナンダでデビューを飾って、
1989年に引退するまで世界中の主要オペラハウスで歌った。
彼の洗練されたスタイルは、
特にモーツァルト、ロッシーニに適していた。」

第1幕のアルフォンソのアリアでも、
何とも言えぬ青春の憧れを歌い上げて素晴らしい。
こうした、普段は、イタリア歌劇ばかり歌っているような、
歌い手が、心を込めて歌っているのが素晴らしい。

決定的名盤とされるスウィトナーのCDが、
3枚組だったので、この録音、きっとカットがあるだろう、
と思っていたが、通しナンバーはすべて振られているし、
全曲で150分程度なので、無理すれば二枚に入るようなのである。

第1幕でスウィトナー盤より演奏時間が明らかに短いのは、
フロイアのアリアの後の合唱くらい、
第2幕では、エストレッラとマウレガートの合唱付きデュエット、
第3幕では、終曲手前のデュエットと
テルツェットにカットがありそうだが、
基本的にちゃんと全曲演奏していて、
テンポがきびきびしている。
しかし、序曲を初め、スウィトナー盤より
たっぷりと演奏されている楽曲も少なからずある。

残念なのは、第2幕の頭で、
恋人たちが会う魅力的なシーンで、
CDを交換しないといけない点か。
しかし、一息で聴かせてしまうこの演奏なので、
二枚続けて聴けば良い。
ここでは、タイトルロール二人の、
美声が興奮を伝えてやまないのは事実だが。

さて、最初に、格好良く歌い出すのは、
ローランド・パネライのフロイアである。
夢見心地でいかにもカンツォーネしていて、
大変、味わいの深い歌い口である。

ディースカウのような格調高さはないが、
シューベルトは、このように歌われるのも素朴で良い。
が、賢人フロイアというより、
メフィストフェレス風に聞こえなくもない。
それもあってか、第1幕で秘密を告げるデュエット、
妙に、迫力があって、何か起こることに対して、
期待を抱かせる。

この歌手に関しては、そこそこ解説も出ていて、
「1924年10月17日、
フィレンツェ近郊のCampi Bisanzioに生まれた。
フィレンツェでRaoul Frazziに学び、
後に、ミラノで、ArmaniとGuilia Tessに学ぶ。
彼は、そのセミプロとしては、
生地のダンテ劇場で、1946年、
ドニゼッティの『ルチア』のエンリーコ役でデビューした。
1947年、Spoletoの歌唱コンクールで優勝し、
ナポリのサン・カルロ劇場に、ロッシーニの『モーゼ』の、
ファラオーネの役で初登場した。
1951年、彼はミラノ・スカラ座に属し、
そこで、彼は全キャリアを過ごしながら、
ロンドン、ヴィーン、パリ、ヴェローナ、
ザルツブルクにゲスト出演し、
世界中に名を広めた。」

イタリアでの録音であるが、
主要歌手では、ようやくこの人が地元の人。
イタリアあたりなら、どんな歌手でも集められるだろうが、
わざわざ、アルヴァやダンコなどを集め、
気合いが入った録音であることが分かる。

イタリア語による歌唱、
さすが、歌の国の言葉というべきか、
伝統というべきか、
アルヴァの歌唱も、非常に流麗で、
それだけで推進力があり、
最初のアリアでも、切なげではあっても、
軟弱な感じはあまりしない。

しかし、かなり歌い崩しもあって、
何だか、いろいろ考えさせるCDである。

考えた事としては、
1.イタリア語で歌った方が、
  オペラらしく聞こえるのではないか。
2.シューベルトの作品ということで、
  リートの延長の歌い方をしていたら、
  この作品は真価を発揮しないのではないか。
  ということから、このアプローチは正しかったりして。

これらは仮説であって、本当かどうか分からない。

さらに、この人たちの歌は、何となく、
戦前の映画などで歌われる歌のように、
妙に古めかしい感じなのである。
これがまた、シューベルトの時代に近い感じを全体的に漂わせ、
舞台作品として作曲されたことのリアリティを感じる。

何が、そう感じさせるのかは、
ちょっと良く分からないが、
時々、コブシを効かせたり、
ヴィヴラートをかけたりする点だろうか。

3.昔ながらの歌い崩しなどを入れた方が、
  シューベルトのオペラは
流麗さを得ることが出来るのではないか。

こんな事も考えたりした。
何だか、眼前で演じられている様子や、
彼等の表情や衣装までもが眼に浮かぶようなのがすごい。

このCDの解説には、この録音の経緯のような事も、
曲そのものの事も、よく書かれていない。
ポルトガル製とあるが、幸いな事に英語解説であるが、
ライブなのか、放送録音なのか、正規の商業録音かも不明。
聴いた感じでは、ノイズもないので、ライブではあるまい。

そんなに悪い録音ではないので、イタリア国内をターゲットとした、
商業録音にも思えるが、こんなのが売れる市場があったのだろうか。
演奏に関しても、私には大きな不満はない。
オーケストラは伴奏めいているが、
かなり威勢が良く、聴き映えがする。

このサンツォーニョという指揮者は、
ウィキペディアで調べると、
(13 April 1911, Venice - 4 May 1983, Milan)とあり、
現代ものを得意とする指揮者で、
作曲家でもあると書かれている。
ミラノ・スカラ座で、ショスタコヴィッチの「マクベス夫人」、
ベルクの「ルル」、プロコフィエフの「炎の天使」を初演したとある。

カラヤンやケンペなどと同世代の人で、
マリピエロやシェルヒェンに学んだとあるから、
知られざる本格派、というか理知派である。

序曲のテンポも小気味良く、
いささか冗長に感じられる第1幕が、
あっという間に終わってしまう、
この点では、これまで聴いたものの中で、
随一かもしれない。傾聴すべき指揮である。

表紙デザインは、いかにも中世風のもので、
悩ましい日々を送っているエストレッラのように、
物憂げな聖母様、という感じである。
水色の単色線画に黒字タイトルという、
大変、簡素なものながら、私は好きである。

解説は、この曲の内容について書かれておらず、
ひたすら、シューベルトの舞台作品を論じている。
署名もない。

「アルフォンソとエストレッラの大部分は、
ザンクト・ペルテン近郊のオクセンブルクの城で書かれ、
ショーバーとシューベルトは、ここで休日を過ごした。
技術よりも、熱狂に駆られ、
趣向をこらした(ショーバーは、喜々として、
様々な状況を織り込んだ)、
しかし、ドラマ的に弱い、
1曲のオペラを作り上げた。
一度はケルントナートーアから声がかかったようだが、
歌手たちの反対もあって、取り下げられた。
シューベルトはドレスデン、ベルリン、グラーツでも、
上演を試みたが無駄に終わった。
リストによって、死後、初演されている」
と書かれているだけで、
「アルフォンソとエストレッラ」に関して、
特に、聴いて欲しいわけではなさそうである。

シューベルトが作曲したオペラ論みたいなのは、
これよりたくさん書かれていて、
一応、筋は通してある。

「シューベルトの歌曲や器楽曲は、
彼を偉大な作曲家たらしめているが、
彼のオペラ作品は、一つとして、
スタンダードなレパートリーに含まれていない。
音楽的には素晴らしい瞬間があるが、
ドラマとしての弱みゆえに失敗している。
大規模な作品を組み立てる生来の欠点か、
劇場での経験の不足であるかは分からない。
シューベルトは明らかに、
彼の歌曲に見られた、
自然で崇高な表現に見られる、
留まることを知らぬ創造性の障壁となる
劇場の要求や慣習による、
ぎこちなさを感じていた。
しかし、最後のオペラ群は、
もし、長生きしていたら、
彼はオペラの独自の高い領域にまで、
到っていただろうと思われる。
彼の異常な才能は、1808年、
コンヴィクトの生徒になってからすでに明らかで、
サリエーリによる作曲の授業は、
彼が学校を去ってからも1813年まで続いた。
サリエーリは、シューベルトに、
作曲家たるべきものは、
ドラマティックな作品で才能を表すべし、
と教え込んだ。
コンヴィクトでシューベルトは、
すでに早産となるジングシュピール、
『鏡の騎士』の試みを行っているが、
重要なオペラ作品は、彼が卒業後すぐに、
12ヶ月かけて作った、『悪魔の別荘』である。」

シューベルトの作品で、こんなに長い期間をかけて、
作曲されたものがあったかと、
伝記を読み直すと、
1813年10月30日から書き始められ、
翌年の5月15日までに第1版が書かれ、
サリエーリの指導が入って、
第2番が完成されたのが1814年10月22日だとある。

「1815年、父親の学校の補助教員をしていた時、
当時の流行に乗った4つもの舞台作品を書き、
これらはすべてジングシュピールであった。
モーツァルトとベートーヴェンの『フィデリオ』の影響は明らかで、
さらにシューベルトは、ヴェンツェル・ミュラーや、
ワイグル、フンメルらの、
ポピュラーなヴィーンのジングシュピールの他、
フランスの同時代のLe Sueur、Dalayrac、メユールら、
の作品にも明らかに親しんでいた。」

シューベルトの見たオペラというのは、
諸説あるが、フンメルの劇作品というのは知らなかった。
ネットで調べると、「ギース家のマティルド」というのがあるらしい。
メユールのオペラもCDがあるようだ。

「1816年、教職を諦めてから、
1818年まで、実りなきオペラの努力をしたが、
1819年には、歌手フォーグルの影響の結果、
『双子の兄弟』の依頼を受けた。
1820年、彼の音楽付きメロドラマ『魔法の竪琴』は、
めくるめく魔法の効果によって、
決して大成功というわけではなかったが、
一般に、彼の舞台作品を一般に知らしめた。
シューベルトは、1821年から23年にかけて、
さらに4つの完成された舞台作品、
最後の舞台作品群を書いた。
シェジーの『ロザムンデ』の付随音楽だけが、
生前に演奏された。
彼の最後のオペラ、『フィエラブラス』と、
未完成作品『グライヒェン伯爵』のスケッチは、
シューベルトがいかに、その修行時代から、
長足の進歩を遂げたかを示している。
セットやオーケストラの伴奏など、
いくつかの観点から、
その独自の劇場スタイルが姿を現し始めており、
後のドイツ・ロマン派オペラの進展を予告している。」

ということで、この作品も含め、
様々な趣向を織り込んだ、野心的な作品なのである。
ドラマとして弱い、というような批評は、
ひょっとすると、シューベルトは、
わかっとるわいと答えた可能性がある。
「僕たちは、何か、違うものが作りたかったのだ」と。

第2幕の最初に、ドラマ上は無意味な、
「雲の乙女」のバラードが歌われるが、
これなど、ハープを伴うオーケストラは冴え渡り、
かなりシューベルトとしては、こだわりを持った楽曲になっている。
あえて、ドラマとしての停滞をも覚悟して、
一幅の絵画を配置した形である。

二人の出会いと別れのシーンでも、
ダンコの憂いを秘めた声が切実で泣ける。
それを勇気付けるように歌い上げるアルヴァの声が、
若者の弾む心を伝えているのも良い。

また、二幕後半の、すさまじい効果で、
音楽を装飾していくオーケストラの冴え、
さらに、マウレガートの苦悩やアドルフォの裏切りとか、
どこから仕入れて来たかと思う程、
シューベルトとショーバーの筆は入魂ものである。
よほど、効果的な舞台を研究していないと、
ここまで出来ないのではないか。
アドルフォを歌うクラバッシ、
マウレガートのボリエロの歌唱も、
それぞれの個性を捉えていて不足はない。

第2幕の終わりで、
アルフォンソのことを思い出すエストレッラ。
ダンコの声が情緒たっぷりで美しい。
シューベルトならではの、
陰影豊かな親密感に溢れた曲調のすばらしさ。
が、こうした要素は、オペラで盛り上がるだけのものではない。

風雲急を告げる謀反の方に、どんどん密度を増していく、
素晴らしい音楽に対し、
もっとシューベルト・ファンは陶酔し、
賞賛するべきであろう。
サンツォーニョの的確な指揮によって、
白熱の展開を見せている。

さて、このブログでは、この正月(2011年)に聴いた、
TDKで出ていた、コルステン指揮のDVDを聴いた時から、
このオペラを聴いて取り上げている。今回は4回目となる。

その時の記事が、文字超過で書ききれなかった分を、
ここらに入れ込もうと思うが、
このサンツォーニ盤の感想も織り込んで行くことにする。
スウィトナーで聴いた時も書いた。

ただ、以下のトラックナンバーと最初の記載は、コルステン盤のものである。

Track24.
ここから、最後の第3幕である。
導入曲は、戦争シーンを描いた管弦楽曲で、
DVDの舞台上では、人形劇が凄惨な戦いを暗示している。
全部死んじゃった、という感じ。

スウィトナーの指揮のものはCD3の1曲目で分かりやすい。
これまた、とても聴き応えのあるスウィトナーらしい、
充実した音楽。
サンツォーニ盤は、CD2のTrack12からである。
かなり鋭くえぐるような指揮で、
オーケストラも興奮しきっている。

Track25.
DVDでは、いきなり美人とイケメンが出て来て、
戦場の悲惨さを歌い上げる。
少年と少女が、
援軍が来て欲しいと願うシーンで、
シューベルトの筆も緊迫感に満ちている。
メロディも美しい。

ここでは、DVDの方は、少女の美しい容姿も楽しめるが、
サンツォーニョの指揮は息もつかせぬテンポが良い。

Track26.
ついに、アドルフォが、エストレッラを掴まえる。
「今や、王国は私のもの」と勝ち誇るアドルフォが、
さらに姫に言い寄るピンチの場面。
音楽も千変万化して面白い。

スウィトナー盤では、テオ・アダムが、
エディット・マティスに言い寄る構図である。
それにしても、何とすばらしい管弦楽であろうか。
この二人の歌手の回りに立ち込めるオーラを、
これでもかこれでもかと強調している。

おそらく、シューベルト当時のオーケストラは、
演奏困難と言って難色を示したはずである。

サンツォーニョ盤も、管弦楽も歌手たちも一体となって、
興奮しきっている。

Track27.
めくるめく音楽に乗って、
英雄アルフォンソが現れる。
正直言って、このシーンはかっこいい。
音楽も咆哮しまくって、すごい迫力である。
アドルフォは捕まってしまう。

スウィトナー盤、シュライヤーが、さっそうと登場。
管弦楽は、これまたファンファーレと怒濤の繰り返しで、
クライマックスを形成する。
まさしく、ここで、悪の総本山は崩れ去ったのである。

サンツォーニョ盤のアルヴァの英雄的な声は、
さらに効果的で、トランペットのように響き渡る。

Track28.
緊張がほぐれて、
アルフォンソとエストレッラの二重唱が始まるが、
急に熱が冷めた二人みたいで、少し接続に工夫がいる。
是非、ここで、興奮の絶頂にまで駆け上がって欲しいものだ。
「幸せと苦しみを結びつけるのは愛の力だけ」
と歌われるメロディは、もっと、強調して歌われてもよい。

スウィトナー盤は、マティスの声が素晴らしい。
何やら、悲劇性を秘めながら、
気高く、空に向かって一直線に向かって行く感じが、
ようやく明らかになった、この英雄オペラの性格にふさわしい。

アルヴァの声はひたすら甘く、
ダンコとのデュオは、センスたっぷりで、
往年の銀幕という感じで微笑ましい。

Track29.
急に、父王が心配になったエストレッラが、
うろたえ出すレチタティーボ。
ここで、アルフォンソが、
「出来る限りのことをいたします」と、
剣をかざす二重唱もかっこいいが、
ここでの二人は、ちょっと軽いので、
もっとこけおどし効果が欲しい。

スウィトナー盤では、オーケストラの合いの手によって、
緊張感が保持され、これから起こることを予感させる。
リズムがきびきびしているだけでなく、
ずしっと腹に響く低音が心を捉える。

サンツォーニョ盤もまずまずだが、
ちょっと、次のシーンへの序奏のような感じ。

Track30.
二人が抱き合っている所に、
合唱が響き渡り、戦士が逃げ惑う様子が描かれる。
アルフォンソが、角笛を取り出す。
これこそ、第1幕で置かれた布石で、
アルフォンソは村の全軍を動かせるのである。

実は、私は、この部分に手を入れると、すごい効果が出ると思う。
怒濤のように山の民の軍勢が、襲いかかる音楽が欲しかった。

スウィトナー盤では、
シュライヤーの声も厳しいものがあって良く、
ホルンの響きも深々としている。
しかも、その後、軍隊を統率する様子まで、
ちゃんと歌っている。

どうやら、DVDのコルステン盤では、
このあたり省略したようである。
どうも座りが悪いと思った。
もう、第3幕も終わりに近づき、
シューベルトの筆は、冴えまくって、
省略を許さないものと見た。

サンツォーニョ盤は、
後半になってアルヴァの声が輝かしくなって、
盛り返して来る。

Track31.
フロイラも王様の衣装となって現れ、
アルフォンソは、宿敵の娘と知りながら、
エストレッラを、父の手に預ける。
「敵を許すことこそ、良き勝利」と、
これまた、美しい思想。
シューベルトとショーバーは、
劇場での効果などより、
聴衆の啓蒙に興味があったようだ。

怖いもの知らずの若者たちの理想主義である。

スウィトナー盤、妙に、説得力のある演奏だ。
理想主義が等身大で鳴り響いている。
湾岸戦争も同時多発テロもない時代には、
恐らく、みんなが夢見ていたことだったかもしれない。
30年も前の録音だから、という訳ではあるまいが。

私は、このCDを買ってから十何年も、
このあたりの事に気づかすにいたわけだ。

サンツォーニョ盤は、このあたり特筆すべきことはない。

Track32.
ここでは、逃げ惑うレオン王の姿が描かれる。
彼は、フロイラから王冠を奪い取った事を反省している。
このオペラでは全員が良い人なのである。

そんな茶化し言葉を、慎まないといけないような、
迫真力と迫力、説得力が、ヘルマン・プライの歌の中には、
何故かある。ものすごい事である。

サンツォーニョ盤でも、ボリエロが、
渾身の声で、切実な心情を歌い上げる。
さすが、このあたりの指揮も入魂である。

Track33.
そこに、フロイラが現れ、
「もはや憎しみは消えている」、
「そなたも十分償ったであろう」
と和解が成立する。

スウィトナー盤は、ここで、フィッシャー=ディースカウと、
ヘルマン・プライという、二十世紀後半の誇る、
二大バリトンに二重唱を歌わせている。
私は、この素晴らしい和解のシーンに、
様々な思いが去来して、涙が出そうである。

あるいは、シューベルトもまた、
涙を流しながら、これを書いたかもしれない。

サンツォーニョ盤でも、威厳のあるパネライの声に、
ボリエロの悔悟に満ちた声が唱和されて、
オーケストラもじわじわと盛り上がっている。

良いところで、またまた、文字数制限となってしまった。
次回もまた、このオペラを味わって行くことにして、今回はこれで終わる。

得られた事:「昔のイタリア勢健闘でシューベルトの真価が見える。表情までが見えるような生き生きとした歌唱、共感豊かな管弦楽に、舞台での効果のさらなる可能性を見た。」
by franz310 | 2011-01-23 12:01 | シューベルト

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その260

b0083728_072898.jpg個人的経験:
今回の報告は、前回とおなじ演奏。
何となく、
禁断の報告のような気がしないでもない。
無駄な買い物をしている感じが、
かなり後ろめたい。
私も最初は、同じ録音に、
二組のCDセットを持つことに、
大いに抵抗感があった。
また、それをここで告白して何になるか、
という感じはしていた。


が、これらが、同じ録音をネタとした、
全く異なる商品という感じがする!
というのが今回のミソである。

HMVのサイトで検索しても分かるが、
名匠スウィトナーによる、シューベルトのオペラ、
「アルフォンソとエストレッラ」は、
前回、傾聴した日本盤のみならず、
ベルリン・クラシックからも発売されている。

では、何がどうかというと、まず、見た目が別。
日本盤はデザインが地味な白黒だったが、
ベルリン盤はカラフルで、かなり対照的である。
おなじ曲とはとても思えない。

ただし、いずれを取っても、
意味不明であることに、
何ら変わりがあるものではないのだが。

日本盤のデザインは、誰がやったか分からなかったが、
このドイツ盤も、いろいろ解説書をひっくり返しているが、
やはり、デザイナー名がない。
黄緑色の背景の下部に、紫の線が横に伸び、
その上に大きな赤い五角形のようなものがあって、
さらに濃い山吹色の、石碑状のものが重なっている。
何なんだこれは。

さらに、このCD解説、日本盤と違って、
かなり作品に対して前向きな事が書かれている。

「ショーバーのリブレットは、あまりに類型的、稚拙に過ぎ、
しばしば現れるシューベルトの素晴らしい音楽でも
救われることなく終わってしまう」、
「全体がメルヘンチックで牧歌的な
間延びした”うた物語”になっている」と、
語り尽くされた事が書かれているのが日本盤であるのに対し、
さすがドイツ盤は、新しい切り口を提示している。

解説は、Bernd Krispinという人が書いている。

「『アルフォンソとエストレッラ』の素性は、
シューベルトの作品群の中では異色のものである。
1821年の秋の初め、彼は台本を書いたショーバーと共に、
当時のオペラの伝統から、
明らかに離れた意図を持つこの作品を書くような、
いかなる公式な約束もないままに、
平安で静かなザンクト・ペルテンに逃避した。
彼等の手紙から察するに、
二人の男たちは、驚くべき共同作業を行ったが、
それゆえに、シューベルトが無批判に、何の下書きもなく、
友人の書いた言葉に曲を付けて行ったという非難がある。」

という風に、これまで言われて来た事を、
否定してくれる期待が高まる。

以下、この作品が、生まれた環境ゆえに、
不遇だった事が説明される。

「生前には、付随音楽ロザムンデの初演時に、
序曲のみが、公式に演奏されたが、
当時のヴィーンの劇場における事情ゆえに、
シューベルトは全曲が舞台にかかるのを、
見ることが出来なかった。
成功への重責から、
両宮廷劇場の監督、ドメニコ・バルバーヤは、
聴衆が必ず有頂天になるロッシーニや、
あるいはウェーバーのように
評価の定まった名前を取り上げるのを好んだ。
しかし、ヴィーンからの依頼で書かれた、
後者の『オイリュアンテ』が完全な失敗に終わると、
バルバーヤは、まだ駆け出しだったドイツ・オペラを、
支持するために、さらなる努力をすることに対し、
すっかり興味を失ってしまった。」

このように、シューベルトでなくとも、
この時期、ドイツ・オペラ上演が、
極めて難しい状況だったことが語られている。

「シューベルトにとって、もう一つの障害は、
影響力のある友人たちが、
バルバーヤのやり方に抗議して、
劇場から手を引いてしまい、
しかるべき所に声が届かなくなってしまった。」

これは、フォーグルが引退した事などを
示唆しているのだろうか。

「ヴィーン外での演奏は、まだ当てがあった。
が、ドレスデンでの上演は、
『オイリュアンテ』をシューベルトが否定したのを、
よく知っていたウェーバーが、支援をする気がなくなって失敗した。
ベルリンでの上演は、
エストレッラの役が不適切だと思った歌手、
アンナ・ミルダー=ハウプトマンの異議によって
キャンセルされた。
三度目のグラーツにおける試みも、
オーケストラがその技術的困難さを克服できないと感じ、
上手く運ぶことはなかった。」

以上のうち、最初の二つの話は有名であるが、
グラーツでの上演が、そんな理由で流れたとは知らなかった。
たしかに、この作品、オーケストラの雄弁さは、
特筆すべきものがあろう。

「シューベルトの死後、
このオペラはこの作品自身ではなく、
作曲家に敬意を表したフランツ・リストが、
アルフォンソとエストレッラを擁護するまで、
忘却の中に消えていた。
パリで、完全に新しいリブレットこそが、
上演には欠かせないと感じていた彼は、
1854年6月24日のヴァイマールでの初演のため、
最終的に作品をかなり短縮させてよしとした。
リストは、物語を引き締めて進行させるべく、
独白部を主に取り去った。」

シューベルトの友人で台本を書いたショーバーは、
何と、リストの秘書をしていた事があり、
その影響でリストがこの作品を初演したのだと思っていたが、
リストが、リブレットにケチをつけていたとしたら、
ショーバーはさぞかし、面目を失ったことであろう。
シューベルトに密着していた友人であるのにも関わらず、
この人が、あまり、シューベルトについての、
回想を書き残していないのは、
そうした経緯もあるのではないかと思った。

「ヴァイマールでの初演は、数十年に一度の機会であった。
ヴィーンの宮廷劇場の音楽監督フックスが、
複雑な筋を単純な進行に変えてこの作品に挑戦する、
1880年代まで、この作品の上演はなかった。
しかしながら、それでもなお、
フックスは、音楽自体に音楽と、
自作の言葉や他の曲からの言葉を組み合わせて、
徹底的な変更を施して、
それがオリジナルのメロディを改変するまでに至っている。
1881年3月、カールスルーエでの改作初演に、
カッセル、ヴィーン、ベルリン、
マンハイム、ハノーヴァーでの公演が続いた。」

このフックス版「アルフォンソ」も聴いてみたいものだ。
が、現状でも、筋がそれほど込み入っているとも思えない。

「20世紀になると、『アルフォンソとエストレッラ』は、
様々な放送局によって企画されたコンサートで、
時に部分的にではあれ、聴かれるようになり、
1977年と1991年には全曲が舞台にかけられた。」
さらなる怪しげな改作として、
このオペラとシェークスピアの
『テンペスト』との類似性ゆえに、
クルト・ホノルカによって、これらが結合され、
2幕のオペラ『不思議な島』が作られて、
1958年にシュトゥットガルトで初演された。
この改作に対する最大の問題点は、
シェークスピアの言葉とシューベルトの音楽が、
コンテクストからして乱雑に切り離されている点である。」

20世紀も後半になってから、
このような不思議な扱いを受けていたというのも面白い。

「劇場がシューベルトの『アルフォンソとエストレッラ』を、
完全に無視していた事実は、
シューベルトについて書く人が、
何世代にもわたって、この作品に、
『上演不可能』というレッテルを貼って、
しばしば、シューベルトが、
単に劇的なオペラを扱うことができなかった、
と断言したことに起因している。」

という風に、この解説を書いたクリスピン氏は、
あくまで、先入観から離れようとしている姿勢を見せる。

「何十年もの間、批評家は、
ショーバーの台本に焦点を合わせ、
音楽自身については、本質的な議論をなおざりにしてきた。
シューベルトのオペラ作品については、
劇作家のアンチテーゼとされる彼の一般評価が、
間違っていると暴かれるまでは、
厳密な評価はなされなかった。」

このあたり、初期の長大なバラードなどに見られる、
すばらしいドラマ性がクローズアップされるようになって、
大きく肯きたいところだ。

しかし、生誕200年の1997年に出た、
朝日選書「シューベルト」でも、
「表層的な効果ばかりを狙って人物像が生きてこず、
ドラマとしての求心力に欠け、
日常生活とおなじ平凡なリズムに陥っている」と、
書かれているように
シューベルトのオペラはまだまだ、
クリスピン氏のような意見は少数派である。

私は、今、このスウィトナー盤のCD3の、
Track3のあたりを聴いているが、
アルフォンソによるエストレッラ救出のシーンの、
素晴らしい迫力に息を呑んでいる。
が、Track5で、敵将アドルフォが消えると、
確かに、いきなり、日常的な愛の歌になる点には、
戸惑いがないわけではない。

ということで、このような意見は、
両方とも、嘘ではないような気がする。
しかし、Track6で、再び、緊迫感が高まり、
シューベルトは、あえて、叙情的な音楽で、
メリハリをつけたような感じもする。
シューベルトは、やろうとすれば、
何でも出来たような気がする。

結局、このクリスピン氏も、
このあたりを結論としていて、
下記のように、このオペラの背景にあるものを、
探りだそうとしている。

「シューベルトとショーバーは、
単なる騎士のロマンスになることを、
この世ならぬ響きによって上手く避けて、
二つの美学論を模範的に結びつけた。
それは、イグナーツ・フォン・モーゼルの
『劇的音楽美論試論』(1813)と、
クリスチャン・フリードリヒ・ダニエル・シューバルトの、
『音楽美学理念』(1806)である。
前者は、グルックによって確立された
パースペクティブの美学の上に立ったもので、
物語の進行や、使われるべき材料の選択、
劇音楽の機能、オーケストラの扱い、
リブレットにおける朗唱法、
アリアの継続性など、
詳細な指示を含む。
シューバルトは、彼の役割として、
これぞれの調性の個性の重要性において、
極めて主観的なものであった。」

つまり、シューベルトとショーバーは、
気まぐれに作品を書き進んだのではなく、
所定の美学理論を実践しようとした、
ということであろう。

これは、先の朝日選書に、
「台本の重要さは知ってはいたが、
専門の台本作者や台本を厳選するよりは、
友人たちの書いた台本で済ませることが多かった。
それらが自分の音楽のイメージと合うかどうか
一行一行厳密にたしかめ、
彼らと一字一字とことん議論したという話は聞かない」
とあるような、適当なイメージとはほど遠い見解である。

ショーバーもシューベルトも、
何か高い理想を求めて、奮闘していたように見える。
そもそも、一行一行、一字一字議論した、
などという話は、ベッリーニの「ノルマ」の、
ヒットナンバー、「清き女神」で特筆されるような話で、
めったに出て来るものではないような気がする。
いきなりハードルを上げて、飛び越せないからダメダメ、
と意地悪を言っているように見える。

なお、ヘルトリングの小説では、
「聴いてくれ、ショーバー。
こんなのはどうだろう。」(富田佐保子訳)
と、二人が一行一行論議している光景が、
描写されている。

ということで、いろいろ言いようや、
妄想もあるようだが、
このCDのクリスピン氏の結論は、
下記のようになっている。

「『アルフォンソとエストレッラ』は、
これらの美学標準の古典的な解決の一例で、
これを極限まで拡張し、
それによって、各エピソードは独立して扱われる傾向にあり、
叙情的な部分の挿入によって、進行が遅くなる傾向にある。
シューベルトの音楽は、進行に沿って流れるが、
拡大されたレシタティーボと、
情景の絶妙の彫琢に眼を見張るものがある。
この作品は、かくして、オペラの世界において無類のもので、
この録音によって、再び生命を宿すことを期待するものである。」

確かに、バラバラな曲集にも見えるが、
これは、彼等が意図した美学であるということ、
さらに、これはこうした路線の希有の成功例である、
というのが、この解説の要点であるように見える。

1994年の商品なので、解説は少なくとも、
この時点では書かれていたはず、
日本盤は、97年のものであるから、
これより先に進んだ内容があって欲しかった。

このように、デザインのみならず、
解説の方向性も、まったく違うものになっているのである。

しかし、これだけだと、輸入盤と国内盤で、
よく起こりうる違いにすぎない。
国内レコード会社は、パッケージだけ変えて、
別商品にしたいからである。

が、今回のCDは、もっと大きな違いがあるような気がする。

実は、国内盤には、
SBMとか、PDLSという
高分解能技術や、編集上の改善技術が使われているとあって、
大変期待していたのだが、
音が固いのが気になっていた。

このベルリン盤は、No Noise-Systemという、
何だか、古くさい名前の編集システムが書かれているが、
何と、こちらの方が聞きやすいのである。
私は、アルフォンソがエストレッラと出会う、
第二幕から聞き始めたのだが、
いきなり、フロイラの歌における
ハープの響きに陶然となってしまった。

何だか、オーケストラの花園が、
眼前に広がっているような錯覚を覚えたほどである。
アナログ的な空気感、自然な減衰感に驚愕した。

そんなはずはないと、技術を誇示した、
日本盤を再度取り出して聞いてみると、
どこが、というのは難しいが、
やはり、何だか寸詰まり感がある。

はたして、これは日本の技術過信なのか、
あるいは、原盤の質の悪いのが回された結果なのか、
どっちか分からないが、何だか、
後者の可能性も感じる。
この業界のことは良く分からないが、
あるいは、価格交渉時に値切って、
しょぼい盤を回された可能性もあろう。

ということで、各楽器の分離や、各々の美質、
合唱の広がりや迫力、ビッグな歌手たちの声の張りなど、
どうしてもベルリン盤で聴きたくなる。

冴え冴えとしたCD1のTrack7、
アルフォンソのアリア冒頭のフルート、
Track10の角笛に続く女声合唱のみずみずしさ、
Track11で登場するマティスの声の清純さ。
枚挙にいとまがない。
こうした繊細さの違いは、
CD2のTrack4、エストレッラの心の高鳴りに、
アルフォンソが重なって来る心理描写にも影響する。
何とすばらしい音の絵画であろうか。

また、弱音系だけが救われているのではない。
低音でうごめくリズムの絶妙さ、
迫力に満ちたCD3の冒頭から最後まで、
音の凝集に窮屈さがないので、すごい迫力を感じる。
特に大団円の合唱、エストレッラの声がひっぱって行く所も、
こんな演奏を目の前で聴いたら、
しばらく放心状態になるのではないか、
などと考えてしまった。

前回、この演奏は、教科書的に杓子定規な感じがする、
と書いたりもしたが、どうやら、音質のせいであった、
などと弁解したくなる。
そこからどこまで、文句なく立派な演奏である。

つまり、今回のベルリン盤の音質差の発見によって、
作品そのものの魅力そのものが、
かなり変わってしまったのである。

これを聴くと、歌の連なりのような前半も、
眼をうるうるさせて聞き惚れてしまい、
前に書いた短縮処理など、しなくて良い、
この作品は、これで充分、という気持ちになってしまった。
演奏ばかりか、作品までが文句なしになった。

それにしても、これは商品の本質に関わる困った事だ。
日本盤で良いのは、歌詞対訳が付いていることだけになってしまった。
だから、私は、冒頭で、禁断の報告になると書いたのである。

こんな事を書いたら、日本のレコード会社の商品を、
買いたくなくなってしまうではないか。
いくら、24ビットとかすごい技術を駆使しようとも、
元にする原盤がボロだといかんともし難い。

さて、何となく、この作品の、
汲めども尽きぬ魅力が分かって来たところで、
この作品が、これまで、
どのように扱われて来たかを概観しておきたい。

1957年に書かれた、
シュナイダーの「シューベルト」では、
シューベルトのオペラで今でも上演される可能性があるのは、
「家庭騒動」だけである、としながらも、
「アルフォンソ」についても、
合唱は心地よく、各曲の組み合わせ、
楽器法についても特筆されている。

1965年のブリュイールの「シューベルト」では、
「劇的天才であったシューベルトには、
演劇的天才が欠けていた」とされ、
ちょっと、関心が後退した感じである。

1985年の渡邊學而著「フランツ・シューベルト」では、
「このオペラの音楽は、シューベルト特有の叙情性に加えて、
劇的な性格も充分発揮されている第一級のもの」とされており、
うまくいかないのは、ショーバーの台本のせいとしている。

おそらく、今回のスウィトナー盤の登場によって、
ようやく、この作品の全貌を把握した言及がなされた感じであろうか。
が、ショーバーには責任あり、ということか。

同年、オズボーンが書いた、「シューベルトとウィーン」は、
私の好きな著作であるが、このオペラは、ほとんど無視されている。

いよいよ生誕200年の年、1997年になると、
ヒルマー氏の書いた「シューベルト」において、
ショーバーは、「当時のジングシュピールにおいて人気のあった
感傷的な牧歌と、英雄的な騎士オペラのいわば混血児」を、
この作品の骨格とした、という表現が見られてくる。

ようやく、いい加減に作られたり、
才能の欠如による失敗作ではなく、
もともと、彼等の意図に沿った作品である、
という見解が出て来た感じだ。
ショーバーも、よく考えた、という感じだろう。

2004年の作曲家・人と作品シリーズの、
「シューベルト」では、再評価の機運が高まっている、
という報告に留まっているのが歯がゆい。

そんな中、1992年にナツメ社が出した、
クラシック名曲・名盤辞典では、
集中的にシューベルトのオペラが取り上げられていて、
今回のスウィトナー指揮の国内盤解説を書いた小林氏が、
気を吐いているのが印象的であった。

得られた事:「『アルフォンソとエストレッラ』は、ショーバーとシューベルトが熟考して、思惑通りの結果を得た、素晴らしい仕上がりの作品である。」
by franz310 | 2011-01-16 00:10 | シューベルト

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その259

b0083728_18282778.jpg個人的経験:
前回、コルステン指揮による、
シューベルトのオペラ、
「アルフォンソとエストレッラ」を、
正月早々から鑑賞した事を報告したが、
これは、DVDで映像付きだったのが、
まことに貴重な経験であった。
というのは、このオペラ、
純粋に音だけなら、
古くから、決定盤とでも言えるものが、
日本でも広く知られていた。


それは、1978年にスウィトナー指揮で、
ベルリン歌劇場管弦楽団の演奏によって、
LP用に録音されたものである。
これは、シューベルトの没後150年に当たる年、
しかし、この時は、国内盤は出なかったはずである。

それから20年も経とうとする頃、
1997年、徳間ジャパンから、
作曲家の生誕200年に、遂に、CDで再発売された。
シューベルト愛好家は驚喜して、
この3枚組を買い求めたものだ(と推測する)。

その後、めちゃくちゃ安くなって再発売されたので、
生誕200年に飛びついた、シューベルト・ファンは、
かなり怒り狂ったに相違ない(はずだ)。

そのような事もあったので、
おそらく、大量に、この録音は、貴重な歌詞対訳と共に、
日本市場に出回っているものと思われる。

ただし、このCD、
表紙デザインが意味不明というマイナス・ポイントがある。
馬のお尻と尻尾、それを追いかける女、
このイラストは、何一つ、このオペラを表現していないはず。
いったい、何だと言うのだろう。
デザイナーの記載がないが、釈明を求めたい。

それはそうとして、
実は、私は、学生の頃、スウィトナー指揮で、
「未完成」、「大ハ長調」の交響曲演奏を、
N響の定期で聴きに行ったことがあるが、
それは、大変、内容の濃い演奏であったと記憶している。

当時、スウィトナーは、ドイツの貴重な正当派
というイメージはあったが、
シューベルティアンかどうかは意識していなかったと思う。

当時は、何よりも、DENONレーベルに、
やはり、ベルリン・シュターツカペレとデジタル録音した、
「田園交響曲」のLPが、素晴らしい演奏で、
いきなり、巨匠に仲間入りした感があった。

この人は、1922年生まれということなので、
当時、まだ60歳前後だったはずだが、
モーツァルトなど、1960年代から録音は多く、
かなりのベテランだが、ぱっとしない時間が長かった。
とはいえ、若い頃の録音から、彼の演奏で、
味わいが薄いものはなかったと思う。

このように、長い間かけて熟成してきたこの指揮者、
消える時も、同じような感じであったと思う。
続けて、シューベルトとシューマンの交響曲全集を録音したが、
その後は、何となく記憶にない。
戦争と、東西の分断によって傷ついた世代である。

あまり、インタビューなどで、あれこれ語っている記憶もなく、
得意としていたモーツァルトであっても、
何でも取り上げる人ではなく、
確か、私が聴いたシューベルトの演奏会と前後して行われた演奏会は、
モーツァルトの三大交響曲を並べただけのものであった。

とにかく、意外性や話題性がないが、
すごい音楽を聴かせるというタイプなので、
あまり聴かれないシューベルトのオペラを録音していることが、
実に不思議である。

が、やる以上、やるよ、という感じで、
交響曲のように雄大にオーケストラを鳴らして、
非常に聴き応えあるものとなっている。
エストレッラとアドルフォの二重唱なども、
オーケストラの方が雄弁に聞こえるほどだ。

スウィトナーは、最近、亡くなったはずだが、
と調べると、ちょうど、1年前の今日、
2010年1月8日に亡くなっているではないか。
何と、この記事を、彼の命日に書くことになるとは、
まったく思っていなかった。
87歳ということになるので、
天寿を全うしたと書くべきであろう。

なお、余談ながら、上記N響を一緒に聴きに行った、私の友人は、
40代にして、すでに癌で亡くなっている。

というわけで、このレコード録音は、
私にとっては、スウィトナー指揮であろうがなかろうか、
別にどうでも良いものだった。

当時、すでに交響曲全集を録音していた、
サヴァリッシュあたりなら、もっと納得が行き、
ベームなら、もっと売れたような気もするが、
伴奏しかしてなかったような指揮者でなくて良かった、
という感じ。

まあ、ブロムシュテッドあたりでも良かったかもしれない。

序曲から、まさしく入魂の演奏で、
重厚堅実でありながら、情熱に満ちた、
この指揮者の特徴が良く出ている。
ドイツ風に腰が重いながらも、
打楽器の炸裂や木管楽器の軽やかさを活かして、
すばらしい推進力を獲得している。
コーダにかけての迫力もすさまじい。

第1曲の導入の合唱も、きびきびと小気味良い。
コルステン版は舞台も含め深夜の感じだが、
スウィトナー版は早朝の感じである。
が、3分半という倍の時間をかけている。
コルステンは冗長にならないようにカットしたと思われる。
スウィトナーは、史上初の完全全曲版の使命をかけて、
几帳面に、ちゃんとやっているのだろう。

さて、アルフォンソにペーター・シュライヤー、
エストレッラにエディット・マティス。
共に、40歳くらい。
マティスはまだ、39歳だったかもしれない。
彼等の父親が、これまたすごく、
共に50歳前後のフィッシャー=ディースカウと、
ヘルマン・プライ、もうくらくらしそうである。
いったい、いくらギャラを払ったのか。
悪役アドルフォにも、テオ・アダムという大物を起用。

彼等は、没後150年という記念イヤーを飾るべく、
渾身、没入の演奏で、シューベルトの意図をくみ取ろうとしている。
以下に書くように、弱いとされていたリブレットに、
素晴らしい説得力を加えて、
声に具現化している。

第2曲の、追放された王様、フロイラのアリアから、
いきなり、大物、フィッシャー=ディースカウが登場。
太陽に挨拶を贈るには、コルステン版の舞台は暗すぎたことを痛感。
ここでも、ディースカウは何時までも歌っている感じ。
8分半の大アリアであり、スウィトナーの鳴らすオーケストラも、
ものすごい迫力である。
コルステン版は6分半なので、2/3という感じ。

また、第3曲の村人の合唱も、コルステン版は、
半分くらいの長さになっている。
前回、私は、このあたりの亡命父子の、
いささか堂々巡り的な説明調の諸曲は、
みんなカットするべきだと書いたが、
コルステンはすでにいろいろやっていた。

私は、このオペラは、CD3枚を要する、
全曲で160分くらいかかる冗長な作品と思っていたが、
コルステンはDVD1枚の130分程度にまとめてある。
これが少し不思議だったが、
このように適宜、切り上げていたのである。

第4曲のフロイラとアルフォンソの二重唱は、
ディースカウとシュライヤーの競演ということになる。
とても、模範的な歌唱であるが、
あるいは、これは、演技なしのスタジオ録音ということか。
さすがに、DVDで見た実演の記録の方が、
真実味を持って響く。

こうした要因によって、
雄渾なオーケストラ伴奏による歌曲集、
または歌物語といった風情が、前半、
この演奏からは感じられてしまったのかもしれない。
立派であるが、ドラマ性は犠牲になっている。

が、後で見ていくように、
こうした傾向は、後半になると克服され、
DVDを越えた、すばらしい境地に到る。

アルフォンソの無い物ねだりのアリアでも、
名手シュライヤーの美声が満喫できる。
この曲など、劇に何の関係もなさそうな、
青春のたぎりの歌である。繊細なメロディは美しい。

が、この歌によって、ひょっとしたら、
アルフォンソの性格が誤解されてしまったような感じがする。
いじいじしすぎていて、後で、すごい活躍を見せるとは思えない。
もっと、英雄的な歌にしておけばよかったのに。

同時に、ここらで、聴衆を完全に征服する必要があり、
おそらく、ベッリーニなら、
このあたりで、一発、爆弾をしかけるはずだ。
デリケートであるよりも、もっとはったりのあるもの。

それを感じたか、第6曲のレチタティーボでは、
フィッシャー=ディースカウが、激烈な歌唱を見せ、
中だるみを防止しようとしているようだ。

続く二重唱でも、この迫力は維持されていて、
スウィトナーが打ち込む管弦楽のくさびと、
うねうねと流れる低音の不気味さによって、
悩める父子のひとときは盛り上げられている。
この部分は、かなり緊張感があるので、
オペラとしては成功した部分だと思う。
スウィトナーの指揮にも、思わず、にやりとしてしまう。

第7曲の女声合唱からエストレッラのアリアにかけても、
極めてきびきびした音楽の運びが素晴らしい。
マチスの声も、毅然として、さすが王女の風格である。
たとえ、アルフォンソの父を追放した、
成り上がり王の娘だとしても。

物憂い日々に退屈したエストレッラに、
悪役アドルフォが上手いこと言い寄るが、
ちょっと、この声は格好良すぎる。
そして、それを拒むエストレッラとの二重唱となるが、
これはこれで美しい音楽にはなっていて、
そこそこの切迫感も伝わって来る。
しかし、やはりマイクを前にしての模範的演奏、
という感じがしなくはない。
高飛車な娘が抵抗しているだけにも聞こえよう。

とにかく、このオペラ、第1幕では、
やがてカップルになる二人の状況説明的で、
おそらく、台本担当のショーバーも、シューベルトも、
一度でも上演されていれば、
何らかの作戦を立てたのではなかろうか。

そして、第1幕の終曲となる。
ここでは、王様を前に、アドルフォが、
エストレッラを寄越せと、あけすけな注文をする部分である。
13分の長丁場であり、合唱に、
彼等三人の声が加わって演じられる。
エストレッラの声を支えるホルンの響きが美しく、
雄弁な管弦楽の低音に乗って、
遂に、好漢ヘルマン・プライの素晴らしい声が聞こえて来る。
そして、エストレッラはどうなってしまうのであろうか、
という不安の中、炸裂する合唱や楽器群、
うまく第1幕を締めくくるにふさわしい充実を見せる。
そして、ヘルマン・プライ、
エストレッラの父は、必要以上に英雄的な表情で、
ついに、聖オイリヒの首飾りこそが重要だと言う。

しかし、ここで、やったやったと、
エストレッラは、狩りに出かけているが、
何だか、急に軽薄な姉ちゃんになってしまう感じなのが残念だ。
とはいえ、狩りに出てもらわないと、
アルフォンソとの出会いがもたらされないので、
これは困った台本だ。

以上、第1幕の終わりまでは、前回、すでに報告済みである。

これで3枚組CDの1枚目が終わるが、
このCD、小林宗生という人の解説で、
ショーバーのリブレットが弱いと断じている点が特徴である。
「あまりに類型的、稚拙に過ぎ、
しばしば現れるシューベルトの素晴らしい音楽でも
救われることなく終わってしまう」と書いている。
こんな解説を書かれたら、聴く気をなくしてしまうではないか。

が、シューベルトの斬新さに関しては、
褒めすぎるほど褒めている。
「ドラマティックな書法への接近、
ハープとピッコロの効果的な使用法、
フルートとオーボエを重ねた主題の歌わせ方、等々、
打楽器群やバンダの使用など、
派手な響きと効果を得るための思い切った編成も見られ、
オーケストレーションや楽器法の工夫が際だっている」
という具合である。

が、小林宗生もまた、
「特に第二幕のアドルフォの登場あたりから、
最後の大団円に至る経過は、いくつかある唐突さに眼を瞑れば、
徐々に高まる緊張とクライマックス、
そして、解決=解放へ至る流れは、
一貫性があり、かなりの効果が期待できる」
と書いてあるが、これは、私の感想と全く持って一致する。

第2幕以下は、以下のようなもので、
コルステン指揮のDVDを見た時のメモである。
これに、スウィトナー版の感想を補足していこう。

Track14.
ここから第2幕で、ハープを含むオーケストラが、
情景を転換させる美しい音色を響かせる。
先ほどの宮殿でのどたばたとは打って変わって、
平和な山間での父子のひとときである。
ここで、アルフォンソはフロイラから、
将来を予言するような歌を聴かせられる。

「薄れゆく夕焼けの中、狩人の前に娘が現れる」
という歌で、
黄金の城が山頂に見え、娘に付いてそこまで行くと、
娘も城も消え失せたので、狩人は、山頂から身を投げた、
という内容のロマンティックなバラードである。
ここで、「冬の旅」のメロディが現れるのは有名である。

また、ここでも、父子で仲睦ましくやっている点が、
アルフォンソにひ弱な先入観を与えてしまう。
スウィトナー盤では、
シュライヤーとディースカウの二重唱で、
ドラマ以前に、ど迫力の教授たちの公開授業みたいな感じ。
ディースカウが、「冬の旅」のメロディの一節を歌うと、
まさしく、その後の歌までが、
「冬の旅」の異稿のように聞こえるではないか。

Track15.
ここから、アルフォンソとエストレッラの出会いの場面になる。
フロイラが去った後、美しい娘の声が聞こえて来て、
「さっきの娘の歌が聞こえて来るようだ」と、
アルフォンソは憧れに満ちた表情である。

それにしても、スウィトナー盤は、
何という精妙なオーケストラであろうか。
マティスの声以上に、ピッチカートの1音1音が、
雄弁に、この場面の期待を伝えて止まない。

DVDの方は、背景は、まるで、フリードリヒの絵画のような、
夜の森になっている。

アルフォンソは、森で迷ったエストレッラと出会い、
見つめ合って、いきなり二人の間に恋が芽生える。

この部分も、フロイラの歌に、すぐ二重唱が続くので、
平板な歌物語になりそうだが、
「幾千の太陽が喜びで世界を満たす」と歌う、
アルフォンソの歌う歌は、
「ラザロ」を彩った神秘的な歌を思わせ、
かなり、魅力的なものである。
「ああ、高鳴る胸に感じる未知の人生」と、
続く曲も、相変わらず二人は興奮している。

Track17.
「この森にずっと留まりたい」という、
エストレッラの歌であるが、
味わい深いオーケストラの音色に満たされ、
メロディも推進力があって魅力的。

ロザムンデでも出て来るような、
陰影に満ちた管弦楽や和声も魅力である。

ここで歌われていることも、
おそらく、シューベルト一派の思想を、
強く表したもので、
「静かな森を
誠実な天が見下ろし、
・・・
町の城壁の中では、
策略と暴力がはびこり」
と、自然回帰志向明瞭である。

「行かねばならないわ」などと、
これを、しみじみと歌わずに、
もっと、声を張り上げて、涙ちょうだいにすれば良い。

メイは、可憐な歌で優しげだが親密にすぎ、
スウィトナー盤のマティスは、
貫禄のある名唱を聴かせ、オペラを志向している。

Track18.
さらに、ここでも二重唱が続き、
アルフォンソが思い出に、首飾りを渡すシーンが来る。
「いつかまたお会いできるの」という歌が、
何故か勇ましい行進曲調で、
エストレッラが走り去ってしまうのが、
ちょっと拍子抜けする。
まだまだ、演出に工夫の余地はありそうだ。
スウィトナー盤は、1.5倍以上の演奏時間で、
別れの逡巡を表している。

Track19.
第2幕第2場である。
男声合唱が、兵士たちの集まりを表し、
アドルフォが、「敵は本能寺にあり」を告げるシーン。
合唱の力強さに、
めまぐるしいオーケストラの響きも効果的であるが、
アドルフォの歌を、もっと、激しい調子で歌って欲しい。
思い出話が入るが、これはカットしてもよかろう。

合唱が、「続きを話して欲しい」などと歌うが、
続きはいいかもしれない。
さっさと、王様の寝首をかきに行け。
非常に迫力のある音楽だけに、
さっさと行かないのが惜しい。

スウィトナー盤のオーケストラの爆発、
合唱の効果的な使用法は、まことに素晴らしく、
オペラの中間点にあって、見事に緊張感を盛り上げている。
テオ・アダムのまくし立てるような口調も、
この雰囲気にふさわしい。
是非とも、ここは、大見得を切った演技を交えてやって欲しい。
金管の咆哮を含む、多彩な管弦楽法は、
ベルリオーズを思わせる。
解説の人も書いていたように、このあたりから、
シューベルトの筆は冴えに冴えて行く。
雪崩を打つコーダもど迫力だ。

ここまでやっても駄目なのか、
というシューベルトに代わって嘆きたくなる。

Track20.
王様が、娘の帰りを待つシーンだが、
ここでもオーケストラの不思議なリズムが際だっている。
舞台上では、家臣たちの動揺を表すように、
人形劇が行われ、合唱が王のアリアをサポートする。
「エストレッラよ、戻ってくれ」というのが、
ちょっと長すぎるかもしれない。
シューベルトとショーバーも、
実際に舞台にかけてみれば、そうした問題にも、
気づいたかもしれない。
シュメッケンベッヒャーの歌うレオン王、
マウレガートは、かなり渾身の歌唱と演技。

スウィトナー盤では、ヘルマン・プライが歌っているが、
語り口にこの人ならではの味わいがあって、
このような長丁場を、みごとに引っ張っている。
何だか、このCDの歌手たちにも、
シューベルトの怨念が乗り移って来たような感じである。
オーケストラは、陰になり日向になり、
恐ろしい程の有機性で歌に絡まり、
歌手をサポートしていく。

何だか、スウィトナーという指揮者のすごさを、
改めて教えられたような感じがする。

Track21.
エストレッラが帰ってくる。
再会の喜びと、オイリヒの首飾りに気づく王様。
「隠し立ては無用ぞ」と詰め寄るが、あまり迫力はない。

スウィトナー盤は、プライとマティスの二重唱となるが、
私の学生時代のアイドルたちの競演みたいで、
何だか胸が熱くなる。
ますます、このオペラの本領が発揮されて来る。
緊張感は、プライの大見得を切ったような表現と、
切実なマティスの声で、一気に盛り上がる。

Track22.
「美しき山の高みに」と、エストレッラの方から、
全部、しゃべってしまうから、これ以上、
緊迫感は盛り上がらないのである。

この歌こそが、最も、省略すべき部分かもしれない。
それ程、美しい歌ではないし、
直接、次のシーンに飛び込む方が効果的に思える。

スウィトナー盤では、
しかし、マティスが一本気な味わいで乗り切っている。
悪くないかも。

Track23.
急に恐ろしげな音楽になり、
警備隊長が、反乱軍が迫るのを告げる。
王様はうろたえるが、
何と、まったくもって意外な展開だが、
エストレッラが戦えと鼓舞する。
「愛が戦う力をくれます」と、
この作品の確信となるような思想を歌う。
「わしが軍を率いよう」と、王様も急にかっこよくなる。
合唱もオーケストラも、すごい迫力で、
観客の反応も上々である。

この第二幕終曲、エストレッラが、
単なる軽薄な狩り好きの姉ちゃんから、
勇猛果敢な、筋の通った知性の持ち主となって、
おおいなる勇気を示すが、
いささか冷たいマティスの声質の方が、
メイの優しい声より、ふさわしいのではなかろうか。

この終曲を盛り上げるのには、やはり、プライ、マティスといった、
当代切っての名手の力がものを言っている。
管弦楽も、ほてりまくって、ばく進している。

DVDで、一応、筋のあらましは理解しているので、
このCDを単独で鑑賞していた時には分からなかった、
美点が多く見えて来た。

またまた、文字数オーバーになったので、
このあたりで切り上げる。

得られた事:「声の質によって、現実離れした登場人物に説得力を与えることが出来る。」
「オーケストラの的確な反応によって、オペラであっても緊張の糸を繋ぐことが出来る。」
by franz310 | 2011-01-08 18:36 | シューベルト