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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その148

b0083728_10451265.jpg個人的経験:
以前にも書いたが、
私が中学生の頃は、
「シュトラウスを
聴かなければ、
管弦楽を聴いた
ことにはならない」、
と言わんばかりの
広告があった。
ここまで書かれると、
何か聴かないといかん。


そう思って、一番、有名な、「ツァラトゥストラはかく語りき」の、
ミュージックテープを買って来た。

またまた、「ます」からは脱線するが、
そもそも、「ます」の録音を二度も行った、
バイエルンのコンサートマスター、
ケッケルトの話から、ここまで来てしまった。

最初に「ツァラ」を買った時、
他に候補がなかったのだろうか、
何故かベーム指揮のものを買って来た。
何故だろう、と、ふと、疑問がわきあがる。

ちなみに、74年、「レコード芸術」誌付録の「最新レコード名鑑」では、
カラヤン、メータ、バーンスタインが推薦されている。
ただし、カラヤンのは73年録音の、ベルリン・フィルとの新盤である。

私が記憶を辿る限り、
ベームのを買った後、すぐに、カラヤンの新盤が、
店頭に並んだような気がする。

とにかく、このようにして買って来て、
それとは別に、5つ驚いたことがあった。

1. 最初の部分以外、まったく面白くない。

2. 両面合わせて30分程度しか収録されてない。

3. 協奏曲でもないのに、ヴァイオリン独奏者の名前が書いてある。

4. オルガンが響き渡ることが有名だが、ほとんどそれが聞こえない。

5.何時終わったか分からない。

こんな風に、シュトラウスの第一印象は最悪だったような気がする。

一方で、カラヤンのレコードには、強烈な印象が残っている。
といっても、演奏内容からではない。

b0083728_1045421.jpgベームのものは、
デザインも含め、
何だかよく分からなかったが、
カラヤンのものは、
少なくとも、
ジャケットがかっこよかったのだ。
この日蝕のような
デザインテイストは、
どうやら、多くの人の、
心を打ったようで、
類似のものが多く現れた。

おそらく、太陽の強烈な光が、これから差し込むであろう瞬間を捉え、
それが、この曲の冒頭のイメージに繋がるのであろう。

また、宇宙映画の主題曲にも選ばれたので、
天体とは相性が良いのであろう。
当時は、ホルストの「惑星」が人気作品であったから、
そうした雄大なイメージは時代の感覚にも合っていたのかもしれない。
あるいは、この録音を当時入手していたら、
もう少し満足度は高まったかもしれない。

一方、ベームの録音であるが、
今もって、このテープに使われた謎の図形の意味は、
解読できていない。

b0083728_10462249.jpgLPなどでも、
ベーム盤は、
廉価盤で
再発売されたし、
レギュラー時代のもの、
輸入盤も合わせて、
今でも、中古でも
出回っているが、
別のデザインなので、
この輸入カセットの正体は
不明のままである。

LPのベーム盤は、大空に広がる夕日であるが、
これは、カラヤン盤と反対に、日が暮れる印象で、
ツァラトゥストラの冒頭というより、
終曲のイメージに連なるものかもしれない。

いずれにせよ、雄大な自然が描かれた音楽ということであろう。
が、これらのジャケットは、はたして、意味があるのだろうか。

ニーチェは知っていて、
その著作、「ツァラトゥストラはかく語りき」には、
仮に目を通したとしても、
この曲とどんな関係にあるかは、
よく分からないままである人が多いはずである。

なぜなら、レコードの解説でも、そのあたりについて、
よく書いていないからである。

例えば、先の「レコード名鑑」でも、
「交響詩とはなっているが、この哲学書を標題的に扱ったものではなく、
この本の詩的な気分をとりあげた絶対音楽に近い作品である」とあって、
「曲は単一楽章でできているが、
全四部にわかれているところでは交響曲に近い」と結んでいる。

それなら、もっと、ジャーンと豪快に終わって欲しい。

では、当時の私は、
このグラモフォンの輸入テープについていた解説を、
もしも、よく勉強して読み解いていれば、
何か、違うその後があったのだろうか。

英語と独語がついているが、今回、初めて読んでみた。
ただし、無署名である。

「ニーチェによる、リヒャルト・シュトラウスの音詩、
『ツァラトゥストラはかく語りき』作品30は、
『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』と、
『ドン・キホーテ』の間、1896年に書かれた。
2年後には、想像力に富んだ、音楽的自伝、
『英雄の生涯』を書いている。
『ツァラトゥストラ』は、続く二作に先立つ自然な補足であり、
これは実際、自伝ではないが、ニーチェの思想に対する、
明らかな信仰告白となっている。」

ということで、どのような告白がなされているのかが気になる。

「このことは、スコアの冒頭に置かれた、
散文詩によって要約されているかもしれない。
『音楽は、あまりにも長い間、まどろんでいた。
今、我々は目覚めるときだ。
暗闇を歩いていた我々は、
これからは光の中を歩くのだ。』
この作品の中で、シュトラウスは、
『哲学的音楽』を書こうとしたのではなく、
思想の体系を作曲してみせようとしたのでもなく、
むしろ、ニーチェのアイデアのエコーであり、
『哲学的な詩』の、熱狂的な言葉の音楽化とは反対に、
『音の詩人』が感じたものを作曲した。」

このあたり、実にややこしいが、
しょっちゅう、引用される箇所であって、日本盤LPの解説では、
「自分は、哲学的な音楽を書こうとしたのでもなく、
あるいはニーチェの偉大な著作を音楽で描こうとしたのでもない。
音楽という手段により、人類の発展の観念を、
その起源からその発展の諸相を経て、
宗教的にも科学的にもニーチェの超人の観念に到るまでを
伝えようとした。」

別の表現をすれば、少し分かるかと思ったが、
結局はややこしい。

シュトラウスは、単に弁明しているだけに思える。
いくら、そう主張したところで、
こんな題名を付けられると、どの部分が何を表している、
などと詮索せざるを得ないではないか。

いずれにせよ、音楽が新しい生命を得ることを、
ここでは、求められているようである。
少なくとも、ニーチェはそう願った。

LPを見ると、A面には、序奏に続き、
「後の世の人々について」
「大いなる憧れについて」
「歓喜と情熱について」
「科学について」
「病から回復に向かうもの」(第一部)
が収められ、
B面には、
「病から回復に向かうもの」(第二部)
「舞踏の歌」
「さすらい人の夜の歌」
が収められているということが分かる。

前半に短い曲がならび、後半になると長い曲が続くようだ。
「ドン・キホーテ」とは違って、切れ目なしに繋がっているので、
まさか、A面、B面にまたがった部分があるなどとは知らなかった。

とにかく、この題名を追ってみても、
どうやって、「人間の起源と発展の諸相」になるのか、
さっぱりわからない。

テープの解説の続きを読んでみよう。
「これが、野心的な音詩であることは、
6つのホルン、2つのハープ、オルガンを含む、
異常な編成からも分かる。」
だから、それは、どんな野心なのですか。

CDで言うところのトラックナンバー式に整理しながら、
ここに書かれたことを整理してみた。

1.序奏:
「この巨大なオーケストラの手段を利用して、
シュトラウスは、序奏部で、この作品のコンセプトと、
トランペットの呼び声から、導かれるメインテーマを示す。
この謎に満ちた序奏は、大きな音響変化の他、
短調と長調の激しい切り替えを有し、
標題的な詳細を知りたいと思う者を戸惑わせる。」

ちなみに、日本盤解説は、このような難しい事は書いておらず、
「曲は、ハ長調で緩やかにはじまり、
朝日が天に昇るのを描く。そこでトランペットが荘重に、
『自然の主題』を出す」とあるだけである。

しかし、この「自然の主題」が、何なのかはよく書かれていない。
が、このような主題からも、これらのジャケットで、
自然の雄大な光景が使われるのにも意味があったと分かる。

最近になって、かつて憧れたカラヤン盤を入手したので、
非常に有名な部分なのだが、この部分を聞き比べるとどうなるだろう。

私は、カラヤン/ヴィーン・フィル盤は未聴だが、
ベルリン・フィル盤を聴くかぎり、ベームは悪くない。
非常に、緩急のアクセントをつけて、芝居上手な感じがする。

日の出のようなものより、人為的な感じがするくらいであるが、
かなり気迫がこもっている。

2.「後の世の人々について」(約4分):
テープ解説には、こうある。
「序奏に続く楽章『後の世の人々について』は、
超越的事象の特徴を扱う。
シュトラウスはこれを表すために、
グレゴリオ聖歌のクレドをライトモティーフのように使っている。」

ここは、最初に聴いた時にとまどった部分である。
せっかく、壮麗な序奏から始まったのに、
いきなり、楽器がぼそぼそと暗いムードで呟く。
この部分に、みんなが不満を持ってしかるべき部分である。
そもそも、ソナタ形式ならば、序奏の後に活き活きとした、
アレグロが来るべきであろう。

とにかく、中学生あたりが持っていたラジカセなどでは、
各楽器が何をして、何が起こっているのか分からなかった。
暗い。とにかく暗い。改めて聴いても暗すぎて、
どこが聞き所なのか分からない。
ようやくのように、弱々しく聖歌調の音楽がメロディアスに響く。

今回、改めて、解説を読んでも、よく分からないのは変わらない。

「超越論」とは、「有限な事象」に、
「神の存在」を見る哲学のようだが、
それが、「後の世」と何の関係があるのか。
そもそも、「後の世」とは何か。
諸井誠などは、「背後の世界」と訳しているが。

LPには、
「宇宙の謎を解決しようとする人間精神と、
知恵と知識を深めようとする希望を表す、
『憧憬』の動機が低音に現れる。
人間が探求する真理を見いだそうとするために、
宗教に転ずることを暗示し、ホルンがラテン語で、
『我は唯一の神を信ず』と記された、
グレゴリオ聖歌に由来する荘厳な句を出す」とある。

とにかく、宗教にすがる人間を扱った部分のようだ。
ニーチェは神を否定しているので、何だか、弱々しく、
卑小な存在に描かれたのであろう。
先のメロディアスな部分は、最初、弦楽の小さな合奏が、ちまちまして、
弱い者が肩を寄せ合っている感じがする。

カラヤン盤などでは、こうした地味な部分も、
目立つ部分は、ここぞとばかりに、美麗な音で聴かせる。
なお、カラヤン盤の解説には、
「宗教に救いを求める人々の暗示」などとある。

当然、ニーチェであるから、否定されるべき対象であろう。
暗く、じめじめは、シュトラウスの狙いでもあろう。

3.「大いなる憧れについて」(約2分):
どこから、この部分になるのかは、トラックナンバーでもなければ分からない。
ヴァイオリン・ソロに、ハープの分散和音が重なって、
印象的に移行するが、それでも音楽がすぐにぱっと変化するわけではない。
LPやテープでは絶望的。楽譜がいる。

たかだか、2分しかなく、
むしろ、木管の木霊やオルガンの音色が印象的。
こんな中、すこしずつ、音楽は明るい方向に向かい、
何やら、低音からわき上がるものがある。
時折、トランペットが鬨の声を上げる。

テープの解説には、
「次のセクションは、『大いなる憧れ』を表し、
法悦の音楽が、クレドのモティーフと対峙し、
この生の賛美と、来世の知識を対照させる。」

LPには、「第一展開部」とも書いている。

「人間精神を暗示し、無知と迷信から解放を願う人間を描く」
とあるから、「宗教」に対して、何やら、「憧れ」とか「法悦」とかの、
葛藤のようなものを表したものであろうか。

しかし、ほとんど経過句のような部分である。

あえて意訳すると、宗教に束縛された哀れな人間は、
「憧れ」の力によって、その束縛を離れようとするということか。
しかし、カラヤン盤には、
「『憧憬の動機』が、『自然の動機』に否定される」とある。

4.「歓喜と情熱について」と、5.「埋葬の歌」:
テープには、このような一文が続く。
「『歓喜と情熱』が次のセクションの主題であり、
飽き飽きした、うんざりとした感じが描写されるまで、
地上の生は再び賛美される。
葬送の歌が続き、前のセクションの動機再現との間、
陰気に進んでいく。」

LPは、次のように書く。
「ハ長調を中心として、表情豊かな新しい旋律を出す。
トロンボーンが新しい『嫌悪の動機』をだしてくると、
調性はロ短調とハ短調の間をさまよう。
つづいて、前の表情豊かな主題が、『埋葬の歌』と記されて、
オーボエで奏される。」

もう、混乱の極みである。
「ドン・キホーテ」の明快な描写が懐かしい。

とはいえ、ここでは、ようやく、音楽も少しずつ、推進力を取り戻す。
確かに、ハープがかき鳴らされ、管楽器が鳴り響く中、
分厚い弦が歌い継ぎ、葛藤を感じさせる内容。
ようやく曲も盛り上がって来た感じ。
しかし、これも、解説にあるとおり、がくがくした動機の登場によって、
いかにもあきあきした感じになる。

「埋葬の歌」になると、再び、しけた音楽となる。
独奏ヴァイオリンが、よろよろして、途方に暮れたような曲想。
ここでもカラヤン盤は、美音をちりばめて耳をそばだてさせる。

さっきの意訳からすれば、
「憧れ」に従って、好き勝手にしても、
結局は飽きちゃうし、死んじゃうよ、
ということであろうか。

以上、ここまでで、大きな固まりがありそうである。
見ると、カラヤン盤の解説には、「以上が提示部である」とある。
だから、何なんだ、という標題との関係には触れていない。

6.「科学について」:
ここで、またまた、2の冒頭のごとく、
何だか聞こえない音楽になる。
が、LPによると、第二展開部らしい。

テープ解説には、
「次の部分『科学について』は、人間が科学に向かうことを示す。
乾いた、対位法的な効果が、彼らをあざける」とあり、
音楽は分かりにくいが、解説の意図は妙に分かりやすい。
LPには、
「ゆるやかな部分、ここではフーガが採用されている」とあるだけ。

とにかく、聞こえない部分。弦楽が静かにパッサカリアみたいな感じで、
ぼーぼーやっている。この調子で3分近くやっていて部分は比較的長い。

その後、急に、曲調が明るくなって、
楽しく速い音楽が高音の弦で始まり、
木管も明るいアクセントでメロディを歌う。

その後、トランペットでぱっぱっぱーと警告が出て、
ぽこぽこと奇妙な音型が出たりするのが、
あるいは、何か実験をしている様子であろうか。
何となく、徒労に終わりそうな、どたばたが、
それらしく描かれている。
カラヤン盤解説には、「フーガ」とか、
「○○の動機が出て」などと書いてあるだけ。

7.「病から回復に向かうもの」:
ここは、大きな音で盛り上がりながら、
フーガ的な音楽になるので分かりやすい。
もうどたばたである。
カラヤンは、こうした部分を快速で飛ばして、
嬉しそうである。

だんだん、カラヤンの常套手段も見えて来る。
この部分のように、めまぐるしく動く場面では、
いかにも名人芸をひけらかすように、
息をする間もなく音と音とをつなげてしまう。
これによって、推進力と流麗さは出るが、
軽薄な感じになることは、言うまでもない。

各楽器も恐らくは、この部分、自分を殺していて、
納得も出来ず、後味の悪いながらも、指揮者に追従している感じである。

反対に遅い部分では、リズムも粘って、
さらに遅くするので効果は高まるが、
音楽が、必ずしも、こうした効果を求めているわけではなかろう。

途中、バーンと総奏で、盛り上がって終わるので、
LPやテープは、ここでA面を終わる。

前半と後半では、全然、イメージが違うので、
分割されてもしょうがない。

このように、A面の解説も終わっていないのに、
実は、私が持っていたテープの解説は、残りもう5行しかない。

これには、「『回復期の人』は、人生の喜びを求め」とあるが、
LPでは、ここを「第三展開部」とし、
「ツァラトゥストラは、死んだようになって倒れ、
7日間も絶食し、それから次第に快方に向かっていく。
それと同時にツァラトゥストラは精神的に解放され、
変容し、浄化する」とあり、妙に描写的である。

「嫌悪の動機は科学を否定する(フーガ)。
そのクライマックスで自然の動機が高らかに響き渡る。」

おそらく、これが、バーンの部分であろう。

後半は、鳥の声が響き、力が漲って来る感じである。
さらに、金管のファンファーレが、エネルギー満タンの感じ。

また、勝手な意訳を試みると、
死んじゃいそうになれば、薬を使えばいいよ、
生き返れるよ、というお話になってしまう。

カラヤン盤の解説では、ここまでが展開部と再現部とある。
あとは、コーダである、とある。

病との闘いでツァラトゥストラの精神と肉体が勝利をおさめ、
科学を否定する、自然の動機が鳴り響く、とある。
薬などに頼らず、復活したということであろう。

しかし、この部分だけは、みんな自信を持って、
標題を語っているが、何故、前後との関係を気にしないのだろう。

8.「舞踏の歌」(約8分)、9.「さすらい人の夜の歌」(約5分):
テープでは、「楽しげなダンスの音楽が彼を祝福し(舞踏の歌)」、
とあるが、実際、そんな音楽で、ここは、独奏ヴァイオリンの活躍で、
すぐに識別可能。これが8分もあるので、
全曲の1/4は舞踏音楽ということになる。

このあたりは、LPによると、第四展開部だとある。
楽曲構成にいろんな解釈はあろうが、
この部分は、単に舞踏音楽なので、安心して楽しめばよい。

しかし、これだけ活躍すれば、独奏ヴァイオリンの名前を、
明記しないわけにはいくまい。
ベーム盤、カラヤン盤とも、シュヴァルベのソロだが、
カラヤン盤の方が、明らかにしなを作って耽美的。

私は、同じヴァイオリニストでも、
指揮者によって、かなり印象が変わる、
という事実に今回、驚いた次第である。

また、録音のせいか、ソロの強調の仕方も違っていて、
カラヤンの方が目立たせることによって、
楽曲の色調を明るめにしているような気がする。
リズムもしっかり刻みながらも、いくぶん素っ気ないベーム盤は、
地味な印象を免れない。

「ドン・キホーテ」でも、独奏ヴァイオリンが、
妄想の世界に誘ったが、ここでも、これが先導して、
何やら生命の賛歌のようなものに我々を導いていく。

この部分、LPでは、
「ツァラトゥストラはワルツのリズムで踊り出す」
などと、まるで、バレエ音楽か何かのような書きぶり。
が、それでいいような感じ。

「それもおさまると、第五展開部となり、
ホルンが表情豊かに『夜の歌』を奏し出す。」

さっきの解説では、全体は4部分からなる、とあったが、
ここでは、第五展開部まで出て来た。
いったい、どうなっているのだろうか。

が、さきほどのレコード評では、
「舞踏の歌」と「夜の歌」は「大コーダ」とあったので、
2つの展開部を1部分とする考え方もあるのだろう。

カラヤン盤によると、
1.埋葬の歌まで。
2、3.回復に向かう者まで。
4.残り全部。
ということらしい。
全曲の1/3がコーダなのだ。

また、この部分、ベームのLPによると、
「独奏ヴァイオリンも効果的であり、ここで自然と人間の動機が、
巧妙に結びつけられる。そこには、『歓喜と情熱』で、
あらわれた旋律も加えられる。
さらにワルツの旋律も出る。その頂点で鐘が響き、
『さすらい人の夜の歌』と記された旋律が力強く奏される」とある。

確かに、力強いが、何故、夜の歌がこんなに力一杯なのかは謎だ。

カラヤンは、こうした場面は大好きである。
打楽器の連打もすさまじく、オーケストラをあおって、
自分の美学全開という感じである。

このカラヤン盤の解説には、
「さまざまな主題が出てクライマックスになる」とあって、
再び、完全に標題解釈を放棄している。

さらに、輸入テープでの解説は、
かなり投げやりで、もっといい加減。

「『さすらい人の夜の歌』では、明るいロ長調で、
この人生の謳歌を締めくくる」とあるだけである。
「人生の謳歌」はないだろう。

LPは、「それから速度が緩み、
結尾となって、ハ長調とロ長調の復調的な進行を見せ、
最後はハの音で結ばれる」となっている。

最後の「鐘」が始まると、私は、ようやくこの曲も終わるな、
という感じを受けたものだが、その後は、もう、
何だか、息も絶え絶えになっていくばかりのような終曲は、
いったい何を表しているのだろうか。

カラヤン盤の解説には、「神秘的に終わる」とあり、
ニーチェが、「大いなる真昼のとき」に、
生命が燃焼し、舞踏に合わせ、歓喜の歌を歌うとした、
という輝かしさは、ここにはない。

ベームとの比較では、
カラヤンが、高音の美音を響かせているが、
録音がそれを補っている可能性もある。

が、この謎に満ちた終結部に関しては、
少し、無関心すぎるような気もする。
楽団員にも、勝手にやって頂戴、という感じが漂っている。

ただし、ベーム盤がそうではないかと言うと、
やはり、ベルリン・フィルはベルリン・フィル、
といった感じがしないこともない。
カラヤンのような不自然さはないものの、
色気も薄いのも確か。

カラヤンのは協奏曲的で、ベームは交響曲的。
いずれも、標題について、深く悩んだ様子は感じられない。
どの解説もそうだったが。

昔、ベームの演奏のものを買った後で、
カラヤンの新盤が出た事で、大失敗したような気がしたが、
今、聞き比べると、どっちもどっちの変な音楽、という感じ。

解説を書いている人たちも自信なさげで、
この曲はこう聴け、という主張はない。

絶対音楽で、標題は無視せよ、と言われて、
はい、わかりました、というリスナーが、はたして、
どれだけいるのだろうか。

「ツァラトゥストラ」の名を語って売る以上、
また、各トラックに意味深なタイトルを付ける以上、
それなりの私論でも書いてくれないことには、
内容に偽りありとして、公正取引委員会や、
消費者保護法案のお世話になるのではあるまいか。

ということで、こまった音楽である。
きっと、この曲の冒頭を聴いて、クラシック音楽が好きになり、
最後まで聞いて、嫌いになった人たちも多いことだろう。

得られた事:「コンサートマスターの独奏の音色も、指揮者によって印象が異なる場合がある。」
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by franz310 | 2008-11-09 11:49 | 音楽
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