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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その143

b0083728_01023.jpg個人的経験:
1989年に、
バイエルン放送交響楽団の
創立40周年の
記念のように
出したディスクが
好評だったからだろうか、
1992年にも、
同様のライブ録音が、
多数、オルフェオレーベルから
CD化された。

前の一連のCDは、
ヴァイオリン独奏者が不明確なものばかりだったが、
今回のものには、ありがたいことに、
我らがコンサートマスター、ケッケルトの名前が、
明快にクレジットされているものがある。

が、表紙のテイストは同じ。
赤のフレームに白黒の指揮者が浮かび上がるもの。
あまり飾りたくなるようなものではないが、
強烈な視覚効果で、背表紙も赤。
捜し物のとき、これほど判りやすいレーベルもないだろう。
ということで、奇妙な存在感と個性を誇るデザインになっている。

ケッケルトが登場するもの。
例えば、1966年、12月19日、
ヘラクレス・ザールでのライブ録音とされる、
ルドルフ・ケンペの指揮による「ドン・キホーテ」などがそれだ。

このCD、前半にハイドンの協奏交響曲が収録されており、
独奏者の名前がずらりと列挙されている。

ヴァイオリン:エーリヒ・ケラー
チェロ:ワルター・ノータス
オーボエ:クルト・カルムス
ファゴット:カール・コルビンガー
とある。

前回のCDの解説によると、このオーケストラの創設時に、
ヨッフムが連れてきた名手に、ケッケルト四重奏団の他、
オーボエのクルト・カルムス、バスーンのカール・コルビンガー、
ヴァイオリンに、エーリヒ・ケラーとゲルハルト・ザイツがいた、
とあったが、まさしくこの4人のうちの3人までが聴けるのである。

今回、ケッケルトの音を求めているので、
このハイドンでもヴァイオリンがケッケルトだったら良かったのに、
と思えなくもないが、ケラーはケラーで、
四重奏団を率いていた名手ということなので、
聞き比べを楽しむのも良いだろう。
私が聴いた感じでは、ケラーの方が、
線は細いが、澄んだ音のようだ。

このように聞き比べると、
ケッケルトの音は少し濁っているが押しが強い感じだろうか。

しかし、チェロのノータスとは誰であろうか。
1965年来日時のパンフレットには、この人の名前はない。
ケッケルト四重奏団のヨーゼフ・メルツ、
または、ケラー四重奏団のマックス・ブラウンなら、
奏者一覧の1番目と2番目に載っているのだが。

または、この人が新しく入団したので、
その歓迎も含めての演目だろうか。

重ねて書くが、1966年のライブなので、
先の来日の翌年の記録なのである。

それにしても、このハイドンの作品は、
いつ聞いても、非常に美しい作品だと思う。
屈託なく典雅であると共に、しみじみとした情感に溢れ、
最後には晴れやかさを解き放ち、
人生のわびさびまでを表現した名品である。

各独奏者も、それぞれにオーケストラとの協奏での腕の見せ所があり、
なおかつ、楽器同士の掛け合いの親密さもあって、
演奏が楽しそうである。

この録音では、新米のノータスの方が余裕を持って演奏しており、
ケラーのヴァイオリンはひたむきながら、少し神経質に聞こえる。
あるいは楽器の音域によるものか。
少し、この演奏に伸びやかさが足りないとしたら、
このケラーの芸風によるところが多そうだ。

管楽器のベテランたちも、古典に相応しい端正な響きを聴かせ、
さすがの絡み合いを見せる。

この演奏に接した当時の聴衆は、心から満足して、至福の時を味わい、
耳をそばだてたに違いない。
このCDも、彼らの美音と、
オーケストラのふっくらとした響きを捉えて言うことなし。
ノイズもなく、本当にライブなのか。
が、「Live Recording」とある。

それにしても、ケンペのレパートリーで、
ハイドンというのは珍しくないだろうか。
ベートーヴェン、ブラームスの交響曲の全集や、
リヒャルト・シュトラウスの管弦楽曲全集で名を馳せた人だが、
ハイドン、モーツァルトにはあまり印象がない。
グルダの弾いたピアノ協奏曲はあったが。

ただし、後半の「ドン・キホーテ」は、得意中の得意の演目。
待ってました、といった組み合わせ。
チェロには、盟友のトルトゥリエを据え、
独奏ヴィオラには、ゲオルグ・シュミット。

ここも、ケッケルト四重奏団の
リードルで聴きたかった所だが、
例のメンバー表では、
リードルの下に名前が見えるのがシュミット。

何故か、来日時のパンフレットにも、
ティンパニのハンス・ヘルツル、
フルートのカール・ボブツィーン、
トランペットのウィリ・バウアーと共に、
このヴィオラ奏者は顔写真入りで紹介されている。
ケッケルト四重奏団、ケラー四重奏団は、
演奏風景の写真があって顔はよく分からない。

この顔入りで紹介された人たちは、
よほど、有名なのか人気があるのであろう。
ただし写真と名前だけで説明はないが。

そして、独奏ヴァイオリンには、ルドルフ・ケッケルト登場である。
しかし、普通、シュトラウスの交響詩で、
独奏ヴァイオリンが特記されるのは、
「ツァラトゥストラ」か、「英雄の生涯」ではないか。
「ドン・キホーテ」の場合、チェロ協奏曲のように、
チェロの名前が特別記載されることが多く、
時にサンチョ・パンサ役のヴィオラの名前も出ることがあるが、
ヴァイオリンが記載されているのは珍しい。

やはり、ケッケルト、すごいぞ、ケッケルト、と言いたくなる。

さて、この「ドン・キホーテ」も、とてもライブとは思えない、
音質で、楽器の難しいバランスをよく捉えた録音となっている。

実直な指揮者の印象を受けるケンペは、
何故かシュトラウスの豪華華麗な管弦楽曲を得意とし、
そんな彼の演奏は、ドレスデン・シュターツカペレという、
東ドイツ最高と思えるオーケストラで全曲が聴けるが、
それよりも10年近く前の記録となる。
さらにさかのぼるとベルリン・フィルともこの曲を録音している。
だからこそ、待ってました、なのである。

この前のミトロプーロス盤とは違って、
どこにも傷がない演奏で、
それでいてライブ特有の火照りもあり、
まさしく、このシリーズ中、お奨めの一枚となる。

いつものように、ここで、このCDの解説の出来映えを見てみよう。

前回のものと同様の企画ながら、
創立40周年のオーケストラの記念盤とは、趣きを異にしている。
前回のものは、指揮者についてと、オーケストラの歴史しかなかったが、
今回のものは、ちゃんと楽曲解説から入っている。
ただし、前回の解説が、二十数ページからなる立派な冊子だったのに、
今回のものは4つ折りの一枚紙がブックレットということになっている。
これは少し寂しい感じであることは言うまでもない。
したがって、そんなに沢山書いてあるわけではない。

Gottfried Krausという人が書いている。

「ヨーゼフ・ハイドンは、1792年に協奏交響曲を書いたが、
同じ年に、彼は二曲のロンドン交響曲、第97番と98番を書いている。
有名な興行主ザロモンに付き添われ、
ヴィーンからロンドンにやってきた60歳の作曲家は、
ロンドンにおいて、まさしく生涯最高の体験をした。
彼の英国における、財政上、芸術上の成功は空前のもので、
その高揚とした気分が、この時期の作品にも写されているようである。」
これは面白い褒め方である。
カネががっぽり入ったから、高揚した作品が出来たということ。
が、判らなくもない。
現代においても、月末の金穴状態では、
多くのサラリーマンは元気がなさそうである。

「他のハイドンの協奏曲とは異なり、この「協奏交響曲」は、
根本から、バロック期のコンチェルト・グロッソのモデルから離れている。
独奏楽器は、コンチェルティーノのグループを常に構成しているとはいえ、
全てのサウンドを統合した形で、オーケストラと融合もしている。
ヴァイオリンとチェロという二つの弦楽器、
そしてオーボエとバスーンという木管楽器の対照は、
喜ばしげな音の調和となり、
混合の効果や、対称的な効果を呼び起こしている。
色彩的に書かれた管弦楽は、コンチェルティーノの木霊となり、
より大きなスケールでの相互作用を及ぼす。」
各楽章の説明まではない。
が、晴れやかな作品であることは読み取れるし、
聴きたくなるような解説であろう。

「ある意味、リヒャルト・シュトラウスの、
『ドン・キホーテ』もまた、協奏交響曲の伝統に基づいている。」
この解説での一番の発見は、この記載である。

この曲を、「交響詩」とか、「協奏曲的」、あるいは、「変奏曲」と、
呼ぶ人は知っているが、協奏交響曲になぞらえるのは初めてである。
ケンペが、これをしくんだのか、
あるいは、この演目から勝手に解説者が考えたのか、
確かにそう考えるとそう思える節がなくはない。
例えば、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロと管弦楽のための、
協奏交響曲と考えれば、非常に納得できる点がある。
例えば、第1変奏の前の主題提示部でも、確かに、
主人公のようにチェロが歌い出すが、それに唱和しているのは、
「表情豊かに」と記載されたヴァイオリン独奏なのである。
また、第3変奏の冒頭では、ヴィオラとヴァイオリンのソロがやりとりをし、
たびたび、ヴィオラとチェロの掛け合いがある。

もちろん、チェロ協奏曲的にチェロが長々と受け持つことも多いが、
第3変奏でソロ・ヴァイオリンが消えてからは、
サンチョ・パンサ役のヴィオラが延々とおしゃべりをする。
序奏や第8変奏のようにヴァイオリン独奏の見せ場も多い。
ケッケルトの名前が書かれるに相応しい働きが要求されるのである。

「32歳のシュトラウスはコンチェルタンテな効果や、
この形態そのものに惹かれたわけではなく、
純粋にその力強さに惹かれたのであった。
音楽的神秘主義の領域を、交響詩『ツァラトゥストラ』で探求した後、
シュトラウスは、今度は、まったく違うものに注意を向けた。
作曲家のドラマティックな音楽に対する天分は、
17世紀初期にセルバンテスが書いた、
騎士道の理想を幻想の中に追い求めながら、
虚しさと無駄な骨折りに終わる、
『憂い顔の騎士』に同質性や新しい楽しみを見いだした。」
このあたり抽象的で何となくしか分からない。

「先に、『ティル』をロンド形式でまとめたように、
主題から多彩な色彩や可能な限りの効果を引き出すために、
シュトラウスは今度は、変奏曲形式を用いた。
ドン・キホーテは、格調高く、かつ、グロテスクな表現が可能な、
チェロによって描かれ、彼の忠僕サンチョ・パンサは、
より慎み深いヴィオラによって性格付けされている。
彼らは、シュトラウスがこの作品35について語ったように、
『騎士的な性格』による『幻想的変奏曲』の中心なのである。
彼の主人公は、セルバンテスの小説からより抜かれた。
多くの冒険を体験したとはいえ、
単なる描写の危険に陥らせず、
シュトラウスは常に音楽家として振る舞っている。」
要するに、音で小説を描いたのではなく、
小説に触発された純粋音楽だということか。

また、ケンペについては、こんなことが、
略歴として書かれている。
「1910年、ドレスデンに生まれた、
ルドルフ・ケンペは、戦争によって、その学業やキャリアのための、
重要な時期を奪われた世代の一人である。
ドレスデンで学んだ後、1935年に指揮者に転身するまで、
ケンペはドルトムントやライプチッヒで、オーボエ奏者をしていた。
しかし、戦争がその前途有望な状況を断ち切ってしまった。
1945年以降、ケンペはほとんど最初からやりなおさねばならなかった。
東ドイツでチェムニッツからヴァイマール国立劇場に移り、
1950年に、ドレスデン州立オペラで音楽監督になった。」
戦争で失われた時代があった割には、非常に早い挽回である。
しかし、同世代のエリート、カラヤンやクーベリックと比べると、
出遅れた感は否めない。
東側にいたという事情はどう影響したのだろうか。

「2年後、彼は、ミュンヘンのバイエルン州立歌劇場の同ポストを得て、
同時に、西側への足がかりを得た。
1955年からこの指揮者は、
世界中のオーケストラとオペラハウスの両方で活躍した。
ロンドンでも、チューリッヒでも、
ミュンヘン・フィル(1967-1976)でも、
彼はオーケストラから愛された指揮者であった。
おそらく、それは彼が、音楽の化身であったからで、
自身を偉く見せようとすることには無関心であったからである。
その仕事の中心は、ヴァーグナーとシュトラウスのオペラ、
コンサートでは、偉大な古典の交響作品、シュトラウスの交響作品であった。
1976年、ミュンヘンでの演奏会のライブ録音によって、
ここに、注目に値する録音伝説がまた一つ追加された。
ケンペは1976年にチューリッヒで深刻な病気の末、死去した。」
この、オーケストラから愛された、
というのは、録音からも聞き取れそうな気がする。

しかし、同じミュンヘンの街にある、もう一つのオーケストラのボスが、
ライヴァルのような放送交響楽団に客演して指揮をするというのは、
いったい、どんな感じなのであろうか。
クーベリックはケンペをどう見ていたのか。
ケンペはまた、クーベリックをどう見ていたのか。
クーベリックがシュトラウスを振ったレコードも記憶にないが、
そこに何かあるのかないのか。

ケンペもクーベリックもベートーヴェンやブラームスはもちろんのこと、
ドヴォルザークやチャイコフスキーも得意としていたが、
ケンペはクーベリックの得意としたモーツァルトは敬遠していたように見え、
クーベリックはケンペの得意としたシュトラウスを敬遠していたように見える。
そういえば、このモーツァルトとシュトラウスを、
神様のように崇拝していたのが、カール・ベームであった。

そんなことを考え出すと、興味が発散して仕方がない。

さて、ケッケルトのヴァイオリンが、
いかなるものであったか、耳を澄ませてみよう。

b0083728_00297.jpgこの録音のちょうど一年前に、
カラヤンがベルリン・フィルと、
「ドン・キホーテ」を録音している。
ここには、
ピエール・フルニエ(チェロ)
ジェスト・カッポーネ(ヴィオラ)
と書かれているが、
ヴァイオリン独奏の名前はない。
おそらく、
ミシェル・シュヴァルベ
ではないかと思うが。

私は、この録音のテープを、学生の頃、友人に貰ったが、
彼は、確か、何か上げるけど何がいいか、
と、前もって私に確認してきたような記憶がある。

休みの都度、彼を連れて、レコード屋巡りをしたので、
そのお礼のようなことを言っていたような気がする。
何か返したかは忘れてしまった。

私は、ちょうど「ツァラトゥストラ」を聴いていたので、
何となく、シュトラウスの作品がいいと言ったのであって、
特に、カラヤンを指定したわけではなかった。
「ドン・キホーテ」とは言ったかもしれない。

というのも、他の友人が、「英雄の生涯」を、
メータの指揮で買って聴いたら、何だか変な曲だった、
とか言っていたからかもしれない。
チェロ協奏曲のような作品と聴き、興味を持ったのだと思う。

確かに、シュトラウスの作品、どれもこれも変な曲である。
私は、この後、セルの指揮による「ティル」と「ドン・ファン」、
そして「死と変容」の入ったレコードも入手したが、
何が面白いのか、未だ、よく判っていないところがある。
結局は、単なるパズル遊びのような気がする。

その中で、「ドン・キホーテ」は、まだ、何となく愛着がある。
変奏曲形式ゆえ、ぶつ切りで理解しやすいのかもしれない。

とにかく、このカラヤン盤が、私の原点なので、
名手とされるシュヴァルベ?対ケッケルトということで聴いてみたい。
ヴァイオリン・ソロの腕の見せ所は、
冒頭部から(ここは弱音器付きだが)沢山あるが、
前述のように、目立つのは、
第1変奏の前の主題提示部の「表情豊かに」と記載された部分、
第3変奏の冒頭でのヴィオラとの掛け合い、第8変奏あたりであろうか。

先入観かもしれないが、ケッケルトのヴァイオリンは武骨。
素っ気なく、単刀直入な感じがする。
シュヴァルベ?は、「表情豊かに」の指示に敏感に反応して、
艶めかしいしなを作っているような感じがする。
が、これは、常に、カラヤンが言われて来たことだ。
そのせいで、そう聞こえるのだろうか。

このドイツ・グラモフォンによるカラヤンの「ドン・キホーテ」、
表紙デザインも洒落ていて、誰にでもお勧めできるものだ。
Johann Georg Geygerによるものという。

一方、バイエルンのオルフェオのシリーズなどは、
普通の人なら欲しくならないだろう。
ケンペの顔も影の具合が異常に不気味である。
小さめの目がかろうじてケンペの特徴を残しているが、
これがないと誰だかわかりもしない。

カラヤンのものは、解説も丁寧で、
この作品がフランツ・ヴュルナーによる、
1898年3月8日のケルンにおける、
ギュルツニッヒ・コンサートのために書かれたことから、
各変奏曲の内容まで説明している。
Heinz Beckerという人が書いている。

最初、シュトラウスは、この曲の内容を説明していなかったが、
後知恵のように説明を付け加えて行った、とあるのが興味深かった。

が、ベッカーは、「ティル」は、
タイトルだけで内容を示唆しているが、
「ドン・キホーテ」はセルバンテスを読まないと理解不能だと書いている。

得られた事:「ドン・キホーテ=交響詩=変奏曲≒協奏交響曲&独奏ヴァイオリンも重要。」
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by franz310 | 2008-10-05 00:13 | 音楽
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