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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その142

b0083728_16401221.jpg個人的経験:
ここのところ、
ケッケルト四重奏団に、
興味を持っていたが、
バイエルン放送交響楽団の
主席奏者たちでもあるので、
このオーケストラを
聞き込めば、
彼らの独奏部分も
聞こえるのではないか
などと考えついた。

バイエルン放送交響楽団といえば、
ヨッフム、クーベリック、デイヴィス、マゼールらの残した、
膨大とも言える録音群によって、我々にも非常になじみの深いオーケストラで、
レコードの上では、確かに、ベルリン・フィルに次ぐ、
ドイツの主要オーケストラという位置づけにある。

もう20年近く前になるが、
オルフェオというドイツのレーベルから、
このオーケストラが巨匠指揮者を招いて行った、
演奏会のライブシリーズが、
オーケストラの40周年記念で出されたことがある。

これらのCDはオルフェオ・ドール・シリーズとして、
以下のような壮観を呈した。

ヨッフムのヴェルディ、ブルックナー(1952/1954)
クレメンス・クラウスのハイドン、ラヴェル、シュトラウス(1953)
ヒンデミットの自作自演、ベルク(1959/1961)
ストラヴィンスキーの自作自演(1957)
オーマンディのアイネム、ヒンデミット、ルーセル、ラヴェル(1959)
フリッチャイのバルトーク、チャイコフスキー(1960)
クレンペラーのバッハ、ブラームス(1957)
アンセルメのオネゲル、ブラームス(1964/66)
クーベリックのブルックナー(1963)
ミトロプーロスのシェーンベルク、プロコフィエフ(1954)
ヨッフムのモーツァルト(1956)
クーベリックのハイドン、モーツァルト(1982/1985)
クーベリックのベートーヴェン(1982)
デイヴィスのブルックナー(1987)

これを見るまで、このオーケストラが、
ヒンデミット、ストラヴィンスキーのような大作曲家に始まり、
クラウス、クレンペラーといった旧世代の巨匠から、
アンセルメ、オーマンディのような、ステレオ録音の権化のような存在、
フリッチャイ、ミトロプーロスのような、
悲劇的な死を遂げた指揮者までを相手にする、
物凄い許容量を秘めたオーケストラだと言うことは、
あまり認識されていなかったのではないだろうか。

もちろん、ヨッフム、クーベリック、デイヴィスといった、
この楽団を率いて、多くのレコード、CDを作って来た指揮者の、
ライブ録音での顔が見られるというのも興味深い。
レコードより実演の方がすごいと言われる指揮者は多い。

が、アメリカで活躍したオーマンディやミトロプーロスが、
こんなところで顔を出すとびっくりしてしまう。

もちろん、古いものはモノラル録音であるし、
ライブ特有の傷もあるが、
まるで、往年の名指揮者一覧の様相を見ると、
ミュンヘンの音楽シーンとは、こうしたものであったか、
と、ため息が出るばかりである。

この度、ケッケルト四重奏団の演奏を聴き進んで、
このオーケストラも、そうした耳で聞くようになってしまった。

これらのシリーズで、ケッケルトが独奏を務めたと、明記されているものはないが、
ざっと見て、活躍しそうなのは、プロコフィエフの「第5」ではなかろうか。

b0083728_16391744.jpgこの交響曲、
終楽章の最後の盛り上がりを、
コンサートマスターが
一人で引っ張り上げて行くという、
アクロバティックな
聴かせどころがある。
この部分は、いったい、
どうなっていただろうか。
はたして、ケッケルトが、
華麗な妙技を聴かせるのか。
指揮は、ミトロプーロス。

うまい具合に、このCDの解説、
ケッケルトらのことも記載してある。
まず、この解説を読んでみよう。

「バイエルン放送交響楽団の40年」
と題されている。

「通貨がようやく安定し、食料の配給券、
優先引換券や衣服の配給がなくなった翌年、
ようやく平和の時期が到来したのは、
1949年のことであった。」
などと、強烈な書き出しである。

「芸術を愛するバイエルン放送局の監督、
ルドルフ・フォン・ショルツは、組織の拡大と共に、
アングロ・サクソン・モデルの優秀なオーケストラや、
プロの歌手らによる優れた合唱団が必要であるとした。
こうした音楽王国の組織や監督を、
彼は、ハンブルクの音楽監督をしていた、
47歳のオイゲン・ヨッフムに委ねた。
この指揮者は、バイエルンの出自で、ミュンヘンで学び、
デビューの頃からミュンヘンとは関わりが深かった。
新聞は、誰もチケットを買う余裕などなく、
他のオーケストラも食うや食わずでいるこの御時世、
聴きに来る聴衆などいるわけはない、
ミュンヘンにさらなるオーケストラは不要と異議を唱えた。」

何と、この名門オーケストラ、発足当時はかなり物議を醸し出したようだ。
確かに、バイエルンには歌劇場のオーケストラやミュンヘン・フィルもある。
また、我々には晩年のヨッフムの姿が焼き付いており、
47歳にして大役を仰せつかったヨッフムというのも、
あまり想像が出来ない。

さて、以下に、ケッケルトたちの話が、さっそく出てくる。

「放送局には有利な点があり、機会を捉えて、
ミュンヘン以外でもこれを利用することができ、
オイゲン・ヨッフムは、最高の音楽家たちを呼び寄せた。
ケッケルト四重奏団は、弦楽の中核をなすべく・・」
とあるのを読むと、ケッケルトたちは、
入団したらたまたまみんなが弦のトップに座ったという感じではない。
むしろ、ヨッフムが、ケッケルトらの力量を知っていて、
彼らを核として、その弦楽部のイメージを膨らませた、
というようなニュアンスも感じてしまう。

前に読んだケッケルト四重奏団のCDの解説にはこうあった。
「プラハ音楽院に学んだ4人が、
1938年、プラハのドイツ・フィルの弦楽器の第1奏者となり、
そして一年後、四重奏団として最初のコンサートを行った。
1945年、46年のシーズンからは、バンベルク交響楽団で新しい出発をした。
1949年にはさらに南に移動、ミュンヘンにオイゲン・ヨッフムが創設した、
バイエルン放送交響楽団でも、彼らは第1奏者を務めた。」
微妙である。
バンベルクには、45年から49年までいたようだが、
単に、ここから引き抜いたようにも読めなくはない。
いずれにせよ、創設当初から、ケッケルト四重奏団は、
セットで、バイエルン放送交響楽団の中核として呼ばれたことは確かで、
これを読んでから、私の頭の中では、
「ケッケルト四重奏団×増幅率=バイエルンの弦楽部」
という公式が成り立ってしまった。

ただし、ヨッフムが連れてきた名手はこの四人だけではなく、
以下のような名前が続く。
「オーボエのクルト・カルムス。
バスーンのカール・コルビンガー。
ヴァイオリンに、エーリヒ・ケラーとゲルハルト・ザイツ。」

放送局であるから有利だったとあるが、
「放送局だから、あなたがたの演奏がどこにでも飛んで行きまっせ。」
といって口説いたのだろうか。

さて、解説を読み進めよう。
「このようにして設立されたオーケストラは、
1949年、まず、こうした特別な方法をもって産声を上げた。
85歳の誕生日が迫る、リヒャルト・シュトラウスが、
放送局に来て、『カプリッチオ』から『ノクターン』を指揮したのである。
これが、彼の生涯で、最後のバトンとなった。」

「9月の終わりに、この新しいオーケストラは、
当時、臨時のコンサート・ホールになっていた、
ミュンヘン大学の講堂にて、ベートーヴェンの夕べと催し、
公開演奏のデビューを行った。
ヨッフムが第1と第7を指揮し、30年代に名を馳せたアイーダ役、
デュソリーナ・ジャンニーニがコンサート・アリア『ああ、不実なものよ』
を歌った。
続いて、ヨッフムは、彼の広大なレパートリーの中核作品を提供した。
ブルックナーの『第5』、ベートーヴェンの『第9』、
バッハの『マタイ受難曲』、ヴェルディの『レクイエム』。
若いオーケストラは、スタジオに閉じこもることを好まず、
それを許されもしなかった。
彼らは外に押し出され、ミュンヘンでもバイエルン諸都市でも、
公開演奏をおこなった。
彼らはすでに、1950年には、定期演奏会を開始し、
年間12回、時に二夜連続のプログラムもあった。
1951年にはオーストリアやイタリアへの演奏旅行を行った。
何もないところから、ヨッフムが作り上げた新しいオーケストラは、
それも当然と思われるようになったミュンヘンでより、
むしろ国外で、驚き以上のものを与えた。
オペラの全曲録音が行われ、これらはレコードによって広まった。
すぐに、バイエルン放送は、カール・アマデウス・ハルトマンの、
20世紀の音楽のフォーラムである、『ムジカ・ヴィヴァ』という、
コンサートシリーズを引き受けたが、
以来、この前衛音楽の演奏会をこのオーケストラと合唱団が受け持っている。
50年代にはストラヴィンスキーが『オイディプス王』を演奏、
ミヨーは車椅子で指揮を取ったし、
現代音楽の指導者ヘルマン・シェルヘンは、十二音音楽を指揮し、
アンセルメは、ミュンヘンで無視されていた、
フランスものの真価を伝えた。」

「現在、このオーケストラと合唱団は、次のような形で活動を行っている。
ミュンヘンやバイエルン州各市でのシンフォニー・コンサート。
(ビュルツブルクのモーツァルト祭、ニュルンベルクのオルガン週間、
レーゲンスブルクの春、オットーボーレンの演奏会など。)
スタジオ活動、コンサート・ツアー、
1960年から増え始めたテレビへの出演、
レコード録音に加え、室内楽活動。」
このように数えると、放送局の特権というのは、確かにありそうである。

「バイエルン放送交響楽団は、クーベリックの指揮で、
ドイツのオーケストラでは初めて、マーラーの全交響曲を録音した。
シェーンベルクの『グレの歌』が続き、最初のドイツ・レコード賞を受賞して、
若いオーケストラは鼓舞された。」
「グレの歌」の方が早い時期のはずなので、この記述は少しおかしい。

「1961年、ターニングポイントがやってきた。
ヨッフムがフリーの指揮者になる道を選び、
バロックから現代までのレパートリーを誇り、
大西洋の両岸から最高で精力的と評価を得ていた、
チェコ亡命の47歳、ラファエル・クーベリックが、
その後を継いだ。
クーベリックの情熱的なスタイルは、
たちまち、オーケストラ、合唱団、聴衆を巻き込んだ。
最初のひと振りから理解し合った。
新しい時代が始まった。
これは、クーベリックが年を重ね、健康に不安を覚え、
辞任を決意する1979年まで続いた。
クーベリックの退任は一つの分水嶺となった。
多くの創設時のメンバーが定年の時を迎えていた。
初代リーダーで独奏者であった、ルドルフ・ケッケルト、
第1チェロ奏者のヨーゼフ・メルツ、それに、
何人かの管楽器奏者たち。」
このケッケルトとメルツは、ケッケルト四重奏団のメンバーである。
1914年くらいの生まれのはずなので、65歳になっている。
こうして、ケッケルト四重奏団の拡大版としてのバイエルン放送交響楽団は、
1949年から1979年までの30年の歴史を閉じる。

いみじくも、このシリーズ、
「ケッケルトの時代の記録(その始まりと終わり)」
みたいなタイトルが付いてもおかしくないではないか。
すると、ますます、これらのCDどれもが、重要な時代の証言、
彼らの記念撮影のアルバムにも思えて来た。

このバイエルン放送交響楽団の創立40周年のシリーズでは、
特に、コンサート・マスターが活躍する曲があるわけでもなく、
例えあったとしても、ケッケルトがそれを弾いているかは分からない。
特に、誰が独奏を弾いているとは書かれていないからだ。

それはともかく、まず、このCDの紹介が必要であろう。
すべて、私の個人的なものと結びついていて、
他の人の参考になるかはさっぱりわからない。

まず、ここで前半、シェーンベルクの、
ヴァイオリン協奏曲が弾かれているのが珍しい。

最近、シェーンベルクのピアノ協奏曲は、
表現主義的な情念が分かりやすく、よく弾かれるが、
より抽象的と言えるヴァイオリンの方は意味不明な難曲として、
取り上げる人が少なかった。

何と、このCDで演奏しているのは、
ルイス・クラスナーである。
ルイス・クラスナーといえば、あの、美しいベルクのヴァイオリン協奏曲を、
ベルクに依頼し、かつ、初演して録音も残した人として高名だが、
この人は、続いて、シェーンベルクのこの問題作を、
初演したヴァイオリニストでもある。

このCD、こうした現代音楽の擁護者のような存在が、
実演した瞬間を記録した、貴重な録音なのである。
クラスナーは41歳で第一線から引いたというので、
わざわざ引っ張り出して、51歳の彼に弾かせたイベントの記録。

諏訪内晶子は、その著書で、クラスナーに会いに行った時のことを、
詳しく書き留めてくれている。
1903年生まれのクラスナーは車椅子に乗って現れ、
まず、モーツァルトを弾いてみなさい、と言ったらしい。
「モーツァルトを充分に弾けなくて、ベルクが弾けるわけがない。」

無事に充実したひとときを過ごした後、別れ際に、
彼は、こう言ったという。
「ベルクも素晴らしい曲ですが、
師匠のシェーンベルクのヴァイオリン協奏曲も名作であると、
私は確信しています。
残念ながら、この曲は演奏されることがあまりにも少ない。
私はこの曲の真価が世界中の音楽愛好家に
あまねく認められる日が必ず来ると、
固く信じています。」
しかし、それが最初で最後の訪問になったのだという。

また、この本では、作曲したシェーンベルクもまた、
初演時のクラスナーの演奏を、
「柔軟なテクニックと、説得力のある暖かみ」と激賞したとある。

この録音は、いわば、知られざる名作の、最も重要な理解者による演奏。
かつ、作曲家のお墨付きのようなものである。

シェーンベルクの作品で、最も有名なものは、
「浄められた夜」という、交響詩のような弦楽合奏曲であるが、
この曲を、私に強烈に印象付けたのが、指揮者のミトロプーロスであった。
ソニーから出ていた廉価盤LPであったが、
あれ以上の演奏を聴きたいとは思わない。
そう考えると、独奏もオーケストラも全く理想の組み合わせであろう。

このシリーズが出た時、私が最初に購入したのが、この1枚であった。
唯一心配なのが1954年のモノラル録音という点で、
こうした多彩な楽器が活躍する作品で、これが不利にならないか。
しかし、聴いて見て、特にそこは問題にならないことが分かり安心した。
独奏もオーケストラも充分鑑賞できる音質である。
作品がいくぶん緊張を強いるので、それどころではないのかもしれない。

集中力の高いクラスナーのヴァイオリン。
これは甘味なものではないが、ルオーの筆裁きのように、
闇を切り裂く燐光を放つような色調。
機能的なオーケストラは、ミトロプーロスの指揮に的確に反応して、
クラスナーが渾身で描く一本の描線に、きめ細やかに絡み合っていく。
この作品、ベルクの曲よりも長大、
オーケストラが独立しているようで、
背景に巨大な壁画を立てていくような趣き。
ヴァイオリンがまったく登場しない部分も長く、
打楽器が鳴り響き、管楽器が鬨の声を上げる。

ベルクの協奏曲は、レクイエムといったもう一つのヒントが、
私たちを助けてくれるが、同時期に書かれたシェーンベルクには、
そうした手助けがない。
そこから、1936年という時代、
シェーンベルクのようなユダヤ人が、
アメリカに亡命しなければならなかった時代の空気が、
感じ取れる程度であろうか。

今回、ケッケルトがオーケストラで、どんな音色を出していたかを、
探求するのが目的で書き始めたが、いったい、ヴァイオリンとは、
どんな音色で鳴るべき楽器なのだろうか。
まさしく求道者のような音もあるということだ。
そんな人が、モーツァルトがちゃんと弾けないとダメだという。
ちゃんと弾くとはどういうことか。

ちなみに、LP時代、唯一といっても良いと思うが、
この曲はグラモフォンから出ていて、
演奏はクーベリック指揮のバイエルン放送交響楽団。
ザイトリンが独奏を受け持っていた。
私は高校生の頃、このレギュラープライス盤を買って、
表面のヴァイオリン協奏曲、裏面のピアノ協奏曲の、
いずれも訳が分からず、非常に後悔したものである。

改めて、このLPを聞き直してみると、
1923年生まれのザイトリン、クラスナーの演奏に比べると、
ずっと明るく鮮やかな色調を持っているようだ。
ただし、それが時として、ヒステリックな印象を与えるのがマイナスだろうか。

録音のせいか、突き抜けるような美音で、
自信たっぷりに、それをさらに引き延ばして歌うので、
ひょっとすると、損をしているのかもしれない。
クラスナーを聴いた後では、それが、これ見よがしの技巧誇示にも思える。
あるいは、演奏会で聴けば、圧倒されてしまうかもしれない。
この時代、この難曲を、やはり楽しい音楽として、
とにかく広く訴求しようとする姿勢は重要だっただろう。

しかし、優秀なステレオ録音で聴く、
オーケストラの豊かな色彩感、遠近感、
各楽器の陰影のある響きは、とても美しい。
先の解説の続きにもこの楽団の美質が出ていたが、
まさしく、メロウで豊かなサウンドである。

独奏でも、総奏でも、恐ろしく美しいオーケストラで、
何故、買った当時、気がつかなかったのだろう、
などと感じ入ってしまった。

ヘラクレス・ザールでの録音。残響も非常に美しい。
クーベリックも余裕を持って、独奏を受け止めている。
ミトロプーロスより自然体で、表情が豊かである。

バイエルン放送交響楽団のメンバーは、
17年前のクラスナーの演奏を覚えていた人もいただろう。
さすがに、現代音楽のシリーズを受け持つオーケストラである。
共感を持って臨んでいるようだ。

私は、このLPのジャケットに関しては、
非常に愛着を持っている。
ファイニンガーの絵で「エアフルトのパルフュッサー教会」という。
私は、教会というより、ニューヨークの摩天楼に立ちすくむ、
亡命者、シェーンベルクの孤独を思った。

そして、この解説にある、
「私は、私のヴァイオリン協奏曲に、
新しい種類のヴァイオリニストたちのために、
必須の作品を作ったと信じている」という言葉も素敵である。
シェーンベルク特有の自信過剰より、
シェーンベルクもまた、新しい音楽を祈るように模索していた、
そんな真剣勝負の一面を見る。
問題があるとすれば、ザイトリンに、求道者風のひたむきさが感じられない点か。

B面にはシェーンベルクのピアノ協奏曲が入っているが、
独奏はブレンデルである。
ブレンデルは繰り返しこの曲を録音しているし、
内田光子なども録音をしており、かなり名曲としての評価は固まった。
ピアノの深い音色、ザイトリンと違って内省的な表情で、
充分に聴くものの耳をそばだてる効果を持っている。
名作の評価固まった、バルトーク風の部分もあり、
幻想に身を委ねることができる。

指揮をしているミトロプーロスの略伝が出ているが、簡単に書くと、
1896年2月18日、アテネの聖職者の家庭に生まれた。
アテネ音楽院で12歳から学び、作曲家になろうとして、
いろいろな作曲家のスコアを読みあさり、
メーテルリンクによるフランス語のオペラを作曲したりした。
さらにブリュッセルでオルガンを学んだが、
ブゾーニと仕事をするためにベルリンに移り、
ワイルと友達になったりしている。
ベルクの「ヴォツェック」の初演を行った、ベルリン国立歌劇場で、
1921年、エーリヒ・クライバーのアシスタントになった。
その後、アテネで教鞭を取っていたが、
ベルリンの人たちは彼を忘れず、たびたび、客演をした。
ベルリン・フィルでピアニストが急病になった時には、
彼はピアノまで弾いて奮闘した。
1930年代は客演指揮者として何度も招聘され、
1937年にアメリカにも進出すると、
オーマンディの後任としてミネアポリスの指揮者に就任、
客演も活発になり、音楽のみならず講義も行って、
指揮台の哲学者と呼ばれた。
ついに、1950年には、ニューヨーク・フィルを治めて、
彼の人生のクライマックスの時を迎える。

そういえば、この時期、シェーンベルクの「浄められた夜」が録音され、
一緒に出た、プロコフィエフの「ロミオとジュリエット」も良かった。
この作曲家たちとミトロプーロスは相性がよかったのだろう。

1954年、ミュンヘンの「ムジカ・ヴィヴァ」に呼ばれて、
このような録音が残されることとなった。
1960年、マーラーの「第3交響曲」のリハーサル中に返らぬ人となった。
ということで、この録音は、彼の最盛期を捉えたものでもある。


プロコフィエフの最高傑作ともされる「第5交響曲」も、
長らく良い演奏には恵まれなかった。
「後半になるまで盛り上がらない曲」などと揶揄されたりしていた。
CD時代になって、ようやくいろんな名演が聴けるようになった。

しかし、このミトロプーロス盤、
自信を持った歩みで堂々としており、
気力が漲っているので、最初の楽章から緊張感で聴かせる。
弦と一体になって盛り上がり、たっぷりと膨らむ金管、
要所を引き締める打楽器群の充実。
第2楽章などでも、単なる騒々しいスケルツォではなく、
ともすれば平板になりがちな音楽を立体的に響かせている。
非常に充実した音楽になっている。
しかも、オーケストラも素晴らしいのであろう、
常に余裕を持って、響きの明晰さを確保し、
楽想の変遷や音量の増大時、あるいは急変するテンポにも、
美観を失うことがない。

美観といえば、第三楽章の冷たい叙情も最高で、
最後の部分の星空のような鮮烈な広がりには圧倒される。
そもそも、ヴァイオリンという一楽器の美観、
合奏時の美観、トータルとしての美観、
これらは場合によって、かなり求められるものが違いそうだ。

問題の終楽章のコーダであるが、
さすがのバイエルンのメンバーも手こずった様子が伺える。
クラリネットが悠々と弾き鳴らされながら、
雄大なメロディが鳴らされる中、
軽妙なフルートが割り込んで来る場所があるが、
ここで、入りが遅れて乱れる場面が小さな傷となってしまった。
テンポが激変し、次第にクライマックスへと高まっていくが、
連打される打楽器、吹き鳴らされる木管、咆吼する金管、
混沌を呈する弦楽器群の中から、ヴァイオリン独奏が浮かび上がって来る。
これはケッケルトだろうか。
想像するような強烈なものではない。
むしろ地味。つややかな響きでもない。
くすんだ、癖のあるヴァイオリンと聴いたが、
それはすぐにオーケストラの大興奮の中に消え去ってしまう。

ケッケルトではないかと必死で耳を澄ませ、
その特徴はどこにあろうか、と思ったが、
少なくとも、美音を振りまくようなものではなかった。

得られた事:「バイエルン放送交響楽団はケッケルト四重奏団の拡大型とも思え、その美質はメロウで豊かなサウンドにあるが、ケッケルト自身のサウンドはメロウでも豊かでもないように聞こえた。」
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by franz310 | 2008-09-28 16:49 | 音楽
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