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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その131

b0083728_2257377.jpg個人的体験:
シューベルトの歌曲を
大量に管弦楽編曲した
作曲家ということで、
レーガーに脱線している。
あまり日本では
知られていない作曲家ゆえ、
その正体や魅力を探るべく、
彼の弦楽四重奏曲を、
順番に聴き進めているが、
いよいよ全5曲のうち、
第四番を取り上げる。


「いよいよ」と書いたのは、
レーガーの「弦楽四重奏曲第4番」は、
名作の誉れが高いからである。

「弦楽四重奏曲第3番」は、
希有壮大な英雄的四重奏曲であったが、
第四、第五は、少し小ぶりとなって、
例えば、ベルン四重奏団の「全集」では、
1CDに2曲が入っている。
「第三」で、20分もあった奇数楽章が縮小しているからであるが、
偶数楽章に比べると、これらはやはり長く、
「第一」 から続く、レーガー得意のバランスや構成が、
ここでも、繰り返されている感じである。

また、「第三」に比べると、すぐに気づくことだが、
第一楽章の雄渾な性格が、すっかり影を潜め、
全体としても、非常に穏やかなものに代わっている。

先に、「名作」と書いたが、
そういった事も手伝ってか、
レーガーの代表作として広く認知されているようで、
古くから、「第四」には、レコードも多い。

この前、この欄でも取り上げた、ドイツ往年の名手、
ブッシュらによる演奏も残されている。
素晴らしい事に、日本の新星堂の企画。
この録音は、非常に貴重なものらしく、
それについては、CD解説に詳しく情熱を持って語られている。

いや、しかし、読めば読むほど、貴重な録音である。
まず、ナチスに妥協して、ドイツを離れていた、
名手アドルフ・ブッシュが、
1951年、戦後初めて、祖国に戻った時の録音であるということ。
この年の末に、ブッシュ四重奏団は解散、
翌年、ブッシュはアメリカで亡くなったので、
まさに遺品のようなものである。

しかも、レコード用ではなく、放送用の音源だということで、
これを管理している「ブッシュ協会」との交渉の上、
ようやくCD化されたものだという。
しかし、
「著作権交渉にこれほどコストとお金がかかるとは」
とか、
「手数とお金がかかっている点だけをとっても、
もっとも贅沢なのがこのCDだ」
とか書いている解説も珍しい。

どんどん書いて頂きたい。
ありがたさが増すのは、ユーザーにとって、
望むところであろう!

そもそも、そんなにも企画担当者、
渉外担当者を苦しめた、「ブッシュ協会」とは何ぞや、
と考え込んでしまう。
実は、それについても、「ブッシュ協会について」という一文が、
何と5ページにわたって掲載されている。

ブッシュは、ヴァイオリンのアドルフの他、
指揮者の長兄フリッツ、この四重奏曲の演奏にも参加している、
チェロのヘルマンが有名だが、3人ではなく8人兄弟で、
音楽教育や演劇にも秀でた弟たちがいるという。
こうした、彼らの、芸術遺産を、
将来に残そうという理念で設立されたものらしい。

会員の年度寄付金で運営されているというが、
「ナショナリズムや人種差別の、
如何なる傾向にも反対して戦った兄弟の理念に従う」とあるらしいので、
忌まわしき時代を思い出す時の、一閃の光とも言える役割がありそうだ。

この部分は、岡堂勝行氏という会員の方が書いている。
が、一番、ブッシュのレコードが聴かれているのが日本だというのは、
喜んでいいのか、あるいは、世界標準から我々はずれているのか。

さて、このような協会ゆえ、ブッシュ関係の様々な記録が残されているが、
20回ものコンサートを催したとはいえ、
この訪独の際の記録が大量にあるわけではなさそうだ。

演奏会の記録としては、1番、9番、13番の、
ベートーヴェンの四重奏の録音がある。
幸い、これも一緒に別売りでCD化された。
そのほかに、バイエルン放送局に残されたのが、
このCDに収められたたった一曲+断章だったという。

それにしても、その貴重な一曲に、
このレーガーの「第四」が選ばれている点、
ブッシュとレーガーの関係が偲ばれるではないか。

この「偲ばれる」という感情に、音楽も相応しく、
冒頭からして、懐かしさをいっぱいにたたえた情緒である。
ただし、さすがにレーガー、そこに、
そうした情感を打ち破る荒々しい動機が乱入してくる。
レーガーのよく分からない点は、この荒々しい動機が、
どのような感情からのものなのかが不明確なところだ。

シューベルトの「未完成交響曲」の美しいメロディが中断されたり、
チャイコフスキーの第五交響曲の夢見るような緩徐楽章に、
非情な運命のテーマが轟きわたったり、といった感じともちょっと違う。
何故だ。

これがまた、切迫した低音での総奏による楽節でなだめられて、
神妙な雰囲気が充ち満ちたりしつつ、曲は立体的に進むが、
この変化をつけるという目的だけに、先の絶叫があるような感じもする。

前回、当時の批評家たちが、レーガーの音楽には、
何か隠されたテーマがあるのではないかといぶかったのも、
分かるような気がする。

とにかく、このCDの解説、ブッシュについてはたくさん書いてあるが、
レーガーについては、手抜きに近い。
私は、このような商品を企画し発売する難しさも、
なんとなく分かっているつもりだが、
また、このCD制作の努力には、心から感謝もしているのだが、
レーガー理解の上では、この解説では、いかんともしがたい。

「転調の手法を極度に拡大し、対位法的な音構造をあまりに複雑化したため、
晦渋で近づきがたい」とあるが、ほとんど、恣意的な作曲家としか読めない。
一応、この曲については、
「彼の作品の中では最も魅惑的で美しい一曲」
と書いてはいるが、先の第一楽章については、
「粘着質な二つの主題によるソナタ形式」とあるだけ。
あのしんみりとした感情については、何も書かれていない。
我々は、さあ、粘着質な主題はどれだ?
と考えながら聴くべきなのだろうか。

うむ、なるほど、あのしみじみした歌は序奏であって、
その後、現れる荒々しい動機が、第一主題ということか。
第二主題はどれだ。

この解説、弦楽四重奏曲の神様のような、
幸松肇氏の書いたものなので、敬意を持ちながらも困っている。

とはいえ、ブッシュについては、もう、満足するしかない解説。
何と、7ページもある。
そもそも、ドイツ精神の権化のようなこの四重奏団の母体が、
1913年の「ウィーン・コンツェルトフェライン四重奏団」という、
ヴィーンにあったオーケストラの四重奏団だったというのも初めて知った。
第一次大戦後、ベルリンで再結成したのがブッシュ四重奏団だという。
しかし、その後、チェロがナチ信者だったりと曲折があり、
このチェロの席に弟ヘルマンがついて、
イギリスデビュー、その後の活動が、我々にも親しい、
多くのレコードとなったのだという。
日本で、あらえびすが、これらのレコードに感涙したことは、
この前、紹介したとおりである。

この時期にして、すでに結成から約20年が経過している。
それから、アメリカ亡命、メンバーの多くが、
健康上の問題もあって入れ替わり、
1945年に一旦解散、さらにブッシュ妻の死があった。

そこから、ブッシュの最後期の活躍が始まったようだ。
すでに、ブッシュ自身も心臓に宿痾を抱えている。
さらにメンバーが替わり、最後の第二ヴァイオリンは、
弟子のシュトラウマンになったとある。
ということで、このジャケットを見ると、
第二ヴァイオリンがやたら若い。

ここまで詳しく書いてあるのに、
この写真の出所が明記されていないのは、
少々、残念である。
(テープ提供:ブッシュ協会/バイエルン放送局録音、とは書いてあるが。)
この訪独の際の写真だとして、
翌年に亡くなるというブッシュの眼差しも尋常ではない。
満身創痍の老将である。

第一楽章も中間部に到ると聴かれる、
鋭い慟哭もここから絞り出されているのだろうか。
そして、あの冒頭の穏和に回想するような主題が、
時折、現れては、彼岸の調和を指向する。
このメロディの扱いについても、
「特に冒頭のテーマにはブッシュのこの曲に対する
限りない愛情が滲み出ている」と解説でも特筆されているのだが。

さて、この曲が穏和な性格を持つ理由については、
先般から紹介している、CPOレーベルの「全集」の解説に詳しい。

「有名な四重奏団が、新作を解釈し、
浸透させるという難しい課題に、
少しずつ向き始め、レーガーの夢の四重奏団であった、
ボヘミア四重奏団にも、遂にその役割が回って来た。
この四重奏団は、ブラームスが参加した1893年、
ヴィーンの演奏会で国際的キャリアを開始し、
四重奏の歴史に革命を起こしていた。
ヴァイオリニストのカール・フレッシュは、
その回想録で、
『その登場は、四重奏の歴史における、
ターニングポイントだったと評価されよう。
その頃までは、
トップクラスのヴァイオリニストの、
挫折のようなアンサンブルが見られ、
とりわけ、ヨアヒム四重奏団にそうした例が見られた。
1890年代の始めに、3人の若い音楽家と、
少し年配の一人の音楽家が、プラハから来て、
ヴィーンのステージに立ったが、
彼らは、4人が一体となって、前代未聞の強烈さ、
新鮮さ、生まれる前から天国で決まっていたような、
技術的な完成度の高さでの演奏を披露した。
四人の均等の技量の器楽奏者が、
同じ感情の深さになって、同じ技術の高さにあって、
素晴らしい演奏を繰り広げるのを、私たちは初めて体験したのである。』
(チューリヒ 1960年、P121)」

これまで、ヨアヒムだ、ロゼーだ、ブッシュだと、
独墺系の四重奏団ばかりが意識されていたが、
どうやら、こんなすごい団体もあったようだ。

「レーガーはボヘミア四重奏団と組んで、
ブラームスのピアノ五重奏曲を演奏し、
これが数年の空白のあと、1909年3月に、
彼に弦楽四重奏曲を書かせる霊感となった。
彼は第四弦楽四重奏曲変ホ長調作品109を、
同じ年の5月に完成させた。
出版してすぐ、1909年、9月30日に、
フランクフルトでミュージアム四重奏団によって初演された。
すぐその後、ボヘミア四重奏団が、ベルリン、プラハ、
ミュンヘン、ライプツィッヒで、凱旋公演を行い、
この曲を世に広めた。
『これ以上、何を賞賛すればいいだろう。
プレストの妖精のような動き、それとも、
オルガンのような第三楽章の導入部?
フーガの演奏は途方もなく輝かしく、
それが透明で明確に演奏される様には度肝を抜かれた。』
(1910年5月10日、ドルトムント時報)」

ここで、さらりと書かれている、
プレスト(第二楽章)=妖精
第三楽章=オルガン
第四楽章=輝かしく透明なフーガ
というキーワード、記憶にとどめるに値する。
が、あの懐かしいテーマの第一楽章については何か言ってくれないか。

「レーガーは、この変ホ長調四重奏曲を、
メンデルスゾーンの義理の息子である、アドルフ・ワッハに捧げた。
二年前、この高名な法律家で、ゲヴァントハウス議会の議長は、
このカトリック音楽の改革者を、
保守的なルター派のライプツィッヒに移り住むように勧めた人の一人であった。
レーガーは、この人と個人的にも深い親交を深め、
マイニンゲン、イエナに移ってからもそれは続いた。
この被献呈者と、メンデルスゾーンへの尊敬から、
この曲はレーガーの作品の中では、穏和なものとなっている。
野性的な前の作品に比べて、より中庸でカンタービレに満ち、
ハーモニーも安定している。
ここだけではないが、特にフィナーレでは、
四人の奏者の緊密な連携や、
四重奏における奥義の縮図を披露する素晴らしい見せ場がある。」

ということで、古典的なメンデルスゾーンへの敬愛などが、
この曲の平明さに繋がっているのだという。
それにしても、ブッシュのCDに併録されているのが、
メンデルスゾーンの小品、カプリッチョである。
何と味わい深い。
ブッシュはそこまで考えて曲を選んだのだろうか。

この「カプリッチョ」(作品81より)は、
題名こそ軽いが、
これまた、渋いテーマで、フーガも出て来て、
完全にレーガー的な音楽である。
これまで見落としていた名品だと思う。

一方、私には、このCDのメインとなる、
レーガーの四重奏曲がそんなに素晴らしいものだとは、
最初は、まったく思えなかった。
が、この解説の最後にある、「弦楽四重奏の奥義の縮図」というのは、
大変、気になった。

そこで、この楽章を改めて聴いてみた。
で、ぐわっと、度肝を抜かれた。
ただし、このとき聴いていたのは、ブッシュのものではなく、
「全集」のベルン四重奏団のものである。
ブッシュは、濃厚な味わいながら、こうした点では多少、
透明感に不足する。

私が、この「奥義」の楽章を聴きながら思い出したのは、
まるで、渦を巻くように描かれた、カラフルな現代絵画である。
「オルフィスム」とでも言おうか。
ひょっとしたら、レーガーは、何か視覚的な幻影を見て、
それを表現するような音楽を書いたのかもしれない。

そう考えると、第二楽章なども、
妙に視覚に訴えるような音楽だと思えて来た。
先に、妖精のような、とあったが、
確かに、これは独楽のような形状の音楽である。
細い軸棒を中心に、妖精だか妖怪だかが、
くるくる回っているような感じがする。
そういえば、メンデルスゾーンは、妖精のスケルツォの作曲家であった。

ブッシュ盤の解説には、
「ブッシュの固く短いスタッカートは第二楽章や、
フィナーレのフーガで生き生きとした輝きを放つ」
とあるが、浮遊感には不足する。
ベルン四重奏団は、ブッシュの後では、どうも淡泊で、
軽量級ながら、こうした立体的な視覚的効果に関しては、
思いもよらなかった効果を発揮する。

最初、この第二楽章は、
悪しきレーガーの典型だと思えてならなかった。
軽妙というより軽薄、アイロニカルというより自画自賛、
ぽこぽこと鳴るチェロの音が、どうも、
聴衆をからかっているようにも思えた。
が、何か視覚的なものがあるのではないかと、
音の流れを立体的な線として聴いていると、
何だか、非情に興味深い音楽に思えて来た。

新星堂盤の解説は、
「機知に富んだト短調のスケルツォ」と素っ気ない。

ひょっとして、レーガーは、楽譜に音楽を書き込みながら、
音符の並びに視覚的な霊感を得て、法悦郷に到りながら、
フーガを書き進めていたのではないだろうか。

さて、前回、紹介したように、
「ブラームスが不滅なのは、
古いものを受け継いだからだけではなく、
新しく、想像も出来なかったような、
感情表現を醸し出すことができたからです。」
と、レーガーは書いたというが、
第一楽章や第三楽章の、レーガー特有の夕暮れのようなメロディは、
まさしくそうした微妙な感情を想起させる。

このあたりは、ブッシュの強烈な郷愁が、
曲想と完全にシンクロしている。

幸松氏も、
「かつて耳にできなかったような、
太く逞しいヴィブラートをかけて、
この息の長いカンタービレ楽章に独自の性格を与えている」
とあるが、もう、この楽章は、説得力の前に平伏するしかあるまい。

この楽章の解説は、
「ベートーヴェンの緩徐楽章にも匹敵する深い感動を秘めた歌謡形式」
と一行でシンプル。

ブッシュで、第三楽章、ベルンで第二楽章を味わえば、
きっとこの作品は傑作なのだろうと納得するしかなくなる。
第四楽章の冒頭はベルンの視覚的効果に目を見張り、
最後の強烈な盛り上がりは、ブッシュ大将と一緒に泣くしかなかろう。
新星堂盤の解説は、
「フーガ。後半で交響的な二重フーガとなる」
とあって、投げやりである。

曲のエンディングは、この2団体では、
まったく別の曲のような様相を帯びている。
ブッシュが望郷の絶唱であるのに対し、
ベルンは、あくまで微笑みを失っていない。

問題は第一楽章であるが、
あの唐突な混乱で、美しい情緒をぶちこわすのが、
意志的な第一主題と考えてみれば、何やら分かりやすくなるだろうか。
「粘着質な主題」などと、マイナスイメージはちょっと待って。
これは、懐古調を戒め、意志的に推進していくレーガーの自画像なのだ。
そう考えると、ちょっとは頭の整理もついて安心できる。

文学趣味になって申し訳ないが、
やはり単に、「ボヘミア四重奏団に霊感を受けて作曲された」
だけでは、痒いところに手が届かない。
ブラームスが、クラリネットのミュールフェルトの演奏に、
霊感を受けたというのも、
ブラームスが最晩年の寂寞の中に、
一筋の光明のようにこの巨匠の笛の音が輝き渡ったという、
お話の中でしか意味をなさないのではないか。

ラヴェルもプロコフィエフも、
右手を失ったピアニストのために、
協奏曲を書いたが、その印象が強すぎて、
結局、音楽は、何やら謎を含んだままで、
放置されているような気もする。

いったい、レーガーは、この時、どんな状況にあったのだろう。
作曲家直伝の演奏に間違いはなかろうが、
ブッシュのような望郷の念がこみ上げていた時期なのだろうか。

得られた事:「視覚的幻想を音楽化したような趣きに、レーガーの音楽の魅力の一端がある。」
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by franz310 | 2008-07-12 22:58 | 音楽
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