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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その122

b0083728_11564471.jpg個人的経験:
1819年という年に、
シューベルトが、
歌曲「プロメテウス」を書いた時、
彼はマイヤーホーファーと住んでおり、
教員を続けるよう要求していた、
父親との関係に加え、
仕事の上でも悪戦苦闘が続き、
この年上の友人との関係なども、
いろいろ悩ましいところが、
あったのではないだろうか。


が、詩を書いた方のゲーテはどうだったのか。
木村謹治という人の書いた戦前の「若きゲーテの研究」には、
このような記述があって、同様に危機の時代にあったことが分かる。

「頌歌Prometheusは1774年の秋の作である。・・
頌歌Prometheusは天才の賛歌である。
創造する者の喜びの声である。
自我の絶対的主張である。
ゲーテは『詩と真実』のうちに、
如何にして彼が此の神話上の人物に思い至ったかを語って、
自己が最も孤独の境地に置かれて、
たよるべき何ものもなくなった時であることを告白している。」

ゲーテ25歳の作品。
ちょうどウェルテルが出版された頃である。
宿命のロッテと別れ、激しい「生の倦怠」に襲われた時代を経て、
「ゲーテの青年期における最後にして最も長期にわたる試練の時代」
の作ということになるらしい。

シューベルトも作品を作っては中断し、ということを繰り返すが、
ゲーテもまたそうした時期にあったようで、
「プロメテウス」にしても、劇を構想しながら中断した経緯があった。

先の本でも、
「所謂『日の要求』に従って、
一歩一歩踏み固めて健実なる達成の道を進む底のことは、
天才時代のゲーテの芸術性ではなかった。
感激と熱情とは彼を駆って直に最後の結実をもぎとるために、
突撃を試みしむるに急であるに反して、
その階梯をなす技術の力はその意企に照応しない恨があった。」
とあって、「ファウスト」、「プロメテウス」、「マホメット」、
「ツェーザル」、「永遠のユダヤ人」などが、
未完成に終わっていることが記されている。

いずれにせよ、ゲーテといえば、
古い時代に属するがゆえに、
ベートーヴェンやシューベルトを、
理解することなかった、悠々自適の文豪、
また、作曲家たちが得ることの出来なかった、
地位や健康で、80歳を超える長寿を全うした、
低回趣味の人、という感じが付き纏うが、
少なくとも、そんな余裕のある時代の作ではない。

22歳のシューベルトが、
25歳のゲーテの激しい魂の叫びに
共感して書いた作品ということであれば、
その内側からあふれ出すエネルギーにも、
素直に身を委ねることが出来る。
歌曲「プロメテウス」への親近感も増すというものだろう。

こうして生まれた激烈な作品は、
歌曲というものの限界を超えたところがあって、
クセジュ文庫の「フランス歌曲とドイツ歌曲」という本でも、
1818年から1822年の間に書かれた、
シューベルト作品の代表として特筆されており、
譚歌風な性格をもった大壁画、神話の力強い人物像を描く際に、
シューベルトが、通作歌曲の手法を取ったと書くときも、
「プロメテウス」が例示されている。

このような作品であるがゆえに、
当然、オーケストラのパワーを背景に、
歌いたい人も出てくるであろう。

ドイツロマン派も行き詰った頃、現れた風変わりな巨匠、
マックス・レーガーが、それを実行してくれており、
これは、CDで聴くことも出来る。

前回取り上げたプライもそれを歌っているが、
ここでは、ドイツのバリトン、クヴァストホフが、
アバドの指揮するヨーロッパ室内管弦楽団を背景に歌った、
「Schubert LIEDER with orchestra」と題された、
グラモフォン・レーベルのものを見てみよう。
メゾのオッターが、21曲中11曲を受けもち、
クヴァストホフは10曲を歌っているが、
72分という収録時間も嬉しい。

前半は、オッターが歌っており、
1. ロザムンデのロマンス D797-3
2. ます D550(ブリテン編)
3. エレンの歌第二 D838 (ブラームス編)
4. 糸を紡ぐグレートヒェン D118 (レーガー編)
5. シルヴィアに D891 (編曲者不明) 
6. 夕映えの中で D799
7. 夜と夢 D827
8. タルタルスの群れ D583 (以上、レーガー編)
9. 魔王 D328 (ベルリオーズ編)
10. 若い尼僧 D828 (リスト編)

後半は選手交代でクヴァストホフ。
11. 涙の雨 D795-10
12. 道しるべ D911-20
13. 君こそは憩い D776
14. 彼女の肖像 D957-9 (以上、ウェーベルン編)
15. プロメテウス D674 (レーガー編)
16. メムノン D541
17. 馭者クロノスに D369 (以上、ブラームス編)
18. 音楽に寄せて D547
19. 魔王 D328 (以上、レーガー編)

ここで、またオッターの声で、
20. ひめごと D719 (ブラームス編)
最後に、クヴァストホフで、
21. セレナード D957-4 (オッフェンバック編)
という構成である。

さて、今回のジャケットであるが、
二人の歌い手の写真を上下に並べた、
シンプルかつ上品なもの。
こちらを見つめるオッターの表情(北欧の青い瞳の美しいこと)、
虚空を見やるクヴァストホフの眼差し(まるでプロメテウスのように)、
いずれも魅力的でわくわく感があるが、巨匠アバドは無視か?
(裏にはしっかり写っているのだが。)

あと、Recorded live at Cite de la musique, Paris in May 2002とあり、
せっかく一同に会した感じがあるのに、
この二人が一緒に歌うものはないのは、少し残念である。
最近では、スター歌手は日程調整が困難ということで、
別々に録音したものを繋ぎ合わせたようなレコーディングもあるらしいが、
今回はそうしたペテンはないようである。

また当然、プライ盤のようにすべて同じ人が歌うよりは、
変化があってよいだろう。

さらに、解説を見て、著者がSusan Youensとあるので、
嬉しくなってしまった。
この人は、たびたび、ハイペリオンのシューベルト歌曲全集で、
解説しているジョンソンが、その研究成果を讃えている人で、
最新のシューベルト研究学者の書いた文章に触れることが出来るということだ。

その解説は、以下のようなもの。
「フランツ・シューベルトの、
マンモスのような歌曲のレパートリーの豊かさは、
多くの作曲家を、蜜に集まる蜂のように引き寄せた。
その編曲は、彼の死のすぐ後から現れ、
それはフランツ・リストのピアノ独奏用編曲が、
シューベルトの音楽を広めるのに、
果たした役割を思い起こせばよい。
シューベルト歌曲の音楽的着想、
その展開の豊かさや、ある種の歌における
ドラマティックな本質、
それらが示唆する異なった音響世界など、
こうした全ての視点から、
オーケストラ伴奏歌曲が演奏会で地位を確立した、
19世紀後半から20世紀初頭の作曲家たちは、
シューベルトのピアノ伴奏に、
オーケストラの衣装をまとわせることとなった。」
と、このように、こうした編曲が、生まれて来た背景を簡潔に述べる。

「シューベルト自身は、こうした路線の出発点として、
1823年のヘルミーナ・フォン・シェジーによる、
『キプロスの女王、ロザムンデ』の付随音楽において、
チャーミングな詩、『ロマンツェ』で、
オーケストレーションを行っている。
特に、詩句の間の間奏曲における、
木管の使用が印象深く、リフレインにおいて、
キーワードを強調する時に盛り上がる弦楽の使用に注意するべきであろう。」
と、まず、作曲家自身のオーケストラ歌曲。

最近、たまたま、「ロザムンデ」の全曲を聴く機会があり、
この解説についても、十分、参考にした。
(5月5日のラ・フォル・ジュルネ2008にて。)

フランスのオーケストラによる、この曲の、
木管合奏の美しさは、筆舌に尽くしがたい魅力だった。
このCDのヨーロッパ室内管も、そこそこ聞かせるが、
あの時の、なんとも言えない柔らかな音の立ち上る感触は忘れがたい。
生で聞いたせいだろうか。

あの時の歌手も美しい声を響かせたが、
オッターの澄んだ声も同様の路線。

ここで、ちょっと話題を変えると、
このお祭り公演には、腹立たしいこともあった。

チラシには、「陰謀からハッピーエンドへという劇の音楽、
語りが加わり、音楽物語のような演出で楽しめる」とあったが、
語りなど出演者になく、まったくノー演出。

完全に、だまされたような感じである。
そもそも1時間5分という演奏時間からして、
そんな演出が入るような入らないような微妙さ。
もともとの音楽は1時間弱くらいなので、
5分で何か出来るかと言うと出来ないと読むべきだったか。

また、曲順は何か考えた形跡があった。
これまた、何かやりたくて諦めたようにも見える。
パンフレットに、※印で、「本公演での演奏順が異なる場合があります。」
というのも、意味深である。いいかげんにしろ。何がやりたい。

あと、私はこれと合わせていろいろ調べていて、
初めて知ったのだが、何と、この「ロマンス」は、
主人公のロザムンデが歌うものではなかったようだ。
なんと、その育ての親が歌うのだというので、
グリーグの「ソルヴェイクの歌」+「オーゼの死」のようなものである。
何しろ、これを歌うアクサを「年老いた保護者」と書く解説もある。

改めて歌詞を見てみると、
「満月が山頂に輝いている。
恋人よ、私はお前にあこがれている。
やさしい心の貞節な人よ、
まことを誓う接吻はなんと美しい・・」

これまた、何のことやら良く分かりません。
何故、養女を偲ぶのに、恋人を思って、
接吻を送る歌を歌う必要があるのか。

が、原詩を見ると、恋人よ、のところは、
スイートハートに相当する独語、Susses Herzがある。
また、憧れているというより、vermisstは、「いなくて寂しい」だ。
ひょっとすると、こう書くべきなのか。

「満月が出ると思い出す、
お前がいなくて寂しいよ、
かわいい子、とってもきれいな、
心からもういちどキスをしたいよ。」

こう考えると、続く詩句もわかりやすくなる。
「五月の美しさなんか何になろう、
お前が五月の光だったよ、
私の夜を照らす光よ、
死ぬ前にもう一度、微笑んでおくれ。」

なるほどなるほど、
この勢いで行くと、最後の詩句は、
こんな風にしてしまおう。
「満月の光の中にあの子は現れ、
天を見上げて言った。
『この世で遠く離れていても、
あそこでは一緒だわ』
その時、心が張り裂けそうだったよ。」

だいたいの場合、先の公演でもそうだったし、
このCDのオッターもそうであるが、
LP時代から、キレイな人気歌手が歌うから、
そんな風に誤解してしまうのである。

ここは一つ、漁師の妻であるから、汚いかっこうで、
曲がった?腰を伸ばしながら、よっこらしょと歌うべきなのである。
が、そんな舞台を見たい人はいないかもしれない。

さて、この調子で、全10曲からなる、
「ロザムンデ」の音楽の探訪を始めたら切りがない。

しかし、シューベルトのオーケストレーションは、
さすがにオリジナルの作曲家で、やりたいことは出来たせいか、
主張すべきところは主張し、
他の作曲家よりも精彩を放っているかもしれない。

では、このCDの解説を読み進めよう。
「ヨハネス・ブラームスは一度、
『シューベルトの歌曲はどの曲を取っても、
我々に、何かを教えてくれる。』
と語ったが、彼は生涯にわたって、
その偉大な先駆者の熱狂的な擁護者であった。
彼はシューベルトの作品全集の最初の編集者の一人であり、
その音楽を演奏し、指揮し、編曲し、
自身の歌曲にシューベルトを引用すらした。
有名なバリトンの、
ユリウス・シュトックハウゼン(1826-1906)との間で
結ばれた友情のために、
我々にはブラームス編曲による、
5曲のシューベルト歌曲が残されているが、
この人は1856年5月に『水車屋の娘』の、
完全全曲公演を開いた人であった。
これは、1861年のハンブルクでの、
リサイタルシリーズへと続き、
先の管弦楽編曲はその翌年に依頼されたものであった。
『馭者クロノスに』、『メムノン』の手稿には、
ブラームス自身の筆跡で『62年4月』とある。
『エレンの歌Ⅱ』と、『ひめごと』もまた、
ほぼ同時期のものと考えることができる。
シュトックハウゼンが最初にこの編曲を、
1863年(『メムノン』と『ひめごと』)と、
1867年(『馭者クロノスに』)に初演しており、
その後も何度か歌っており、
一方、1884年3月7日、ライプツィッヒでの
第16回のゲヴァントハウス演奏会で、
ブラームスが指揮したとき、
コントラルトのヘルミーネ・シュピースが、
『メムノン』と『ひめごと』を歌っている。」
シュトックハウゼンも、ヘルミーネも、
ブラームスの伝記ではおなじみの人たち。
こうした人たちがシューベルトを慈しんできたのだなあ、
と妙なことに想いを馳せてしまった。

特に、シュピースは、ブラームスが愛した女性の中でも、
特にチャーミングな人であったようだ。

「シューベルトに対するブラームスの敬愛を考えると、
その編曲が原曲に忠実であることは不思議ではない。
『メムノン』の第三節では、『静めることの出来ぬ欲望』の部分で、
シューベルトの原曲にはない木管の短い音形をいれているが、
こうした追加も極めて控えめなものである。
さらに楽器法も軽くなりがちで、透明ですらあり、
例えば、ゲーテの『ひめごと』でも、
ダブルベースを除いた弦楽と、
ホルンパート一つによって管弦楽化がなされている。
日の出の時に、母なる女神エオス、またはアウローラに、
声を発するとされるテーベの巨像を扱った、
ヨーハン・マイヤーホーファーの詩、『メムノン』でも、
開始部には弦楽は使わず、木管とホルンだけを使用している。」
「ひめごと」は、伴奏はぷかぷか言ってるだけの印象。
生真面目なブラームスが、困っているようにも思える。
「メムノン」も、確かに、木管独特の響きは素朴だが、
もっぱら和声を補助しているだけの印象を受ける。

私は以前、サバリッシュの指揮するN響を背景に、
ハンプソンが歌ったのを聞いたことがあるが、
どれも、たいした印象を受けなかった。
そもそも、後述のように、ブラームスの編曲は控えめなのである。
そうした友人たちの晴れ舞台がなければ、
別に原曲でいいじゃないかという気持ちもあっただろう。

最近の歌手の傾向か、クヴァストホフもハンプソンも、
とても嫌味のない声で、ごく自然な無理のない美しさを、
曲から引き出しているが、せっかくオーケストラ伴奏になっているのだから、
ちょっと、他のアプローチを加えたらどうか、
というような気もしないではない。

オッターもそうで、数分の曲ゆえ、
すべて、するすると通り過ぎていくような感じ。

「『エレンの歌Ⅱ』では、ブラームスは、テキストからヒントを得て、
狩のホルンの効果をスコアに加えたが、ここでも弦楽は一切使われておらず、
4つのホルンと三つのバスーンのパートからなり、
シュトルクによってドイツ語に訳された、
ウォルター・スコットの『湖上の美人』からのテキストを、
ユニークに仕立てている。」
これは、活発に動くホルンの響きが印象的で、
オーケストラ化の効果が出ている。

「ベンジャミン・ブリテンの場合は、
幼少時からシューベルトに傾倒していたが、
彼の母親は、歌が好きなアマチュアの歌手だった。
1942年の手紙の中で、ブリテンは友人に、
『そこではシューベルトすら知られておらず、
ブリテンとピーター・ピアーズについてはもっと知られておらず』
と思われた、イギリスの小さな街で開いた、
リサイタルのシリーズについての逸話について詳しく書いているが、
彼によれば、シューベルトを知らないということは、
本当の無知だということになる。
ブリテンは、特に盟友ピーター・ピアーズとの競演によって、
また、ブラームスと同様の楽器法による、
オリジナルを尊重した『ます』のオーケストレーションによって、
20世紀有数の歌曲伴奏者であった。
数多くのシューベルトらしい水の音楽の中でも、
とりわけ素晴らしい例である、
この曲をまさしく有名にした、
泡立ち、渦巻く、繰り返されるピアノ音形が、
ここでは木管に置き換えられ、
常に歌手を支えて前に運び、
スタンザの間の間奏曲では弦楽部の中にかき消える。」
この編曲は微妙。歯切れの良い水しぶきは、
クリスタルなピアノの音の方がそれらしく、
ぬるぬるした木管の流線型は、少なくとも私には違和感がある。
が、編曲の仕事としては、ブリテンはシューベルトと語らうかのようで、
ブラームスよりは楽しんでいる風情を感じる。

さて、「プロメテウス」を編曲したレーガーの話となる。

「モーツァルトの主題による変奏曲」をはじめ、
古典形式を、いじくり回して巨大化させ、
様々な色合い、あの手此の手で変容させつくしたような、
独特の作風が強烈である。しかも作品数も膨大。
人物としても怪人に属する。

が、ここでは虚心に聞く。

「マックス・レーガーは、他の作曲家の大量の作品を、
校訂し、アレンジしたが、そこにはブラームスやヴォルフ、
アドルフ・ヤンセン、グリーグ、シューマン、シューベルトの
歌曲などが含まれる。
彼の15曲のシューベルト歌曲のアレンジの出版は、
1914年、彼の死の2年前と、
死後の1926年になされている。
この後期ロマン派の作曲家から、多くの人は、
豪勢で豊かな管弦楽法を予想するように、
自然美の賛歌、カール・ラッペの詩による『夕映えの中で』や、
静かな法悦郷を行く、夜と夢に対する
マティアス・フォン・コリンの、
ロマンティックな讃辞『夜と夢』などに顕著である。
もう一つの例としては、
ゲーテの『ファウスト第一部』の忘れがたい登場人物が、
最初から不幸な恋愛を感じさせるように、
『糸を紡ぐグレートヒェン』の最初で、
ピアノの左手が奏でる、糸巻き車の踏み板を打ち鳴らす音が、
ティンパニによって、さらに運命的な音を立て、
レーガーの傾向である、
ヴォーカルラインを補強する様々な楽器が、
全体的に派手な効果を加えている。」

さすがに、特筆しているだけあって、「グレートヒェン」は、
すごい演出だ。ここまでやってくれないと、と思うが、
それでも、あの軟体動物のごとき巨大変奏曲で有名な、
レーガーとしては控えめな方だ。

が、特に解説では、何も書かれていないが、
「プロメテウス」もまた、オーケストラの咆哮を生かして、
なかなかの迫力を出している。

クヴァストホフは、デビュー当時に、ピアノ伴奏でも、
この曲を歌っているから、お手のものであろう。

だが、ここで、前回のジョンソンの解説を概略振り返ると、
この7つの部分からなる歌曲は、下記のような、
厳しいチェックポイントがあることになる。

1. 危なっかしく落ち着かない主人公が、
秘かに抱えている、怒り、軽蔑が、暗示されているか。
  音の中心のシフトは、攻撃の足場固めを、
和声のねじれの繰り返しは、勇気を奮い起こすことの比喩を示唆しているか。
 
レーガーの編曲の最大の不満は、この部分の序奏が、
弦楽で呑気に始まるところであろうか。
やはり、冒頭から戦闘体勢で望んで欲しいもの。
もちろん、声が入ってからは、ティンパニが炸裂したりして、
神の怒りを暗示?しているが、
プロメテウスはさらに怒っているので、
もっともっとめちゃくちゃやって欲しい。
チェックリストは、冒頭の呑気さゆえに、×である。

2.アイロニーと風刺に満ちているか。
オルガンのために書かれたような4声の音楽で伴奏され、
少しずつ進行する半音階的な動きは、教会音楽で使われる、
オールド・スタイルに学んだ精巧なパロディーであって、
ひざまずいた隷属状態を示唆しているか。

弦楽が静謐に嵐の前の静けさらしくやっているが、
せっかくなのだから、レーガーが得意とする、
オルガン風の効果に期待したかった。
ヘッセの小説にも出てくるように、
オルガン曲でも膨大な曲数を誇るのがレーガーなのだから。
チェックリストは×。

3.プロメテウスが実は傷つきやすい部分を持っているように聞こえるか。
伴奏が非常に単純で、まるで子供の奏でる音楽のようになっているか。

ファゴットだかオーボエだかがぶかぶかメロディーラインを補助する。
確かに子供時代を回想する鄙びた感じが出ている。
そういう意味では、このチェックリストは○になる。

4.『心』という言葉で、哀れみを意味する経過句が現れ、
この曲で最も高い音になって、悲痛な効果を加えているか。
自分の救済は自分にしか出来ないことに気付く。
ピアノは、この曲で最も壮大な和音を奏でる。

「心」の部分では、確かに高らかに歌われているが、
さっと通り過ぎている感じ。
さらなる絶叫があってもよい。
壮大な和音はオーケストラの総奏でクリアされているが、


5.最もエキサイティングなパッセージで、
こぶしを空中に上げての身体的な挑戦行動を示唆しているか。
『お前を崇めよというのか』の繰り返しで、
ボクサーの神経質なフットワークのような動きが聞かれるか。
最も困難な声楽パート、非常に困難なメッザ・ボーチェで、
慰めの音楽が聞こえるか。

言葉のめまぐるしい交代、楽器も効果的にエネルギー感を出している。
最後にホルンの補助が入るのは効果的。
判定は○。

6.戦闘開始前の小休止で、葬送行進曲のような、
かすかな太鼓を思わせるバスラインが聞こえるか。
『華々しい夢がすべて実ったわけではないからといって』
の部分の甘ったるさは、極めて皮肉なフレーズになっているか。

ここは、短いので、ピアノ版、オーケストラ版の差異より、
歌手の表現が気になるが、まあ、そこそこの線で△。

7.量感ある全音階の和音を叩きつけ、ベートーヴェンを想起させるか。
  巨人は作業場に坐っており、人間のもとをこしらえている感じが出ているか。
騒がしく駆け上がる和音と、間歇的な不気味な沈黙の交代とが、
強力なエネルギー場を織り成しているか。

勝利の音楽になっていて、最後もじゃじゃーんとやって、
盛り上げているが、特に霊感は感じられない。
レーガーでなくとも、こんな感じになりそうである。
もっと鍛冶場のどんちゃんをやって欲しかった。
まあ、ピアノよりは音量と色彩がある分、効果は出ているが、△であろうか。

しかし、クヴァストホフ、ピアノ伴奏で歌った時の方が、
演奏時間がながい。容器が大きくなった分、
壮大な歌唱が聞かれるかと思ったがそうではなかった。

が、ピアノ伴奏による1993年のCDは、
ピアノは壮大な序奏を打ち立てているのに、
歌手の方は、あまり怒り狂っていない。
第五部の、ゼウスに対する舌戦も、ちょっと表現力不足か。
前の世代の挑戦者としての位置づけから、
どうも一歩下がった世代という印象を受けた。
叙情的にすぎる。

以下、リスト、ウェーベルンやベルリオーズに触れられているが、
これは次回以降に回そう。

得られた事:「歌曲における歌詞の内容理解や伴奏の表現は、解釈によって、全く違うものになりうる。」
by franz310 | 2008-05-11 12:04 | シューベルト
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