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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その114

b0083728_1914490.jpg個人的経験:
1819年は、
シューベルトが、
「ます」の五重奏曲を
書いたとされる年で
この年のこの作曲家の生活を、
ハイペリオンのCDに、
グレアム・ジョンソンが
書いた解説をもとに、
読み解いて来た。


しかし、単に「ます」の年と言うより、
オペラの年でもあって、「双子の兄弟」や、
「アドラスト」などが、この年を彩っていた。
このブログでは、それを読んで、そこから舞台作品へと脱線し、
舞台作品のもとになったシラーのバラードにも触れた。

また、1819年は、マイヤーホーファーとの関係が深まった年であったが、
前回は、このマイヤーホーファーに捧げられた歌曲集についても取り上げた。

が、この献呈の時、実は、この二人、
一度すでに決別を経験していた。
そのあたりのところは、すっとばした形になっている。

今回は、そうした、前回までの脱線を反省し、
シューベルトの1819年の仕事の、
まだ触れていなかった部分を、
ハイペリオンのシューベルト歌曲全集第29巻の解説に沿って、
読み終えてしまおう。たいした量ではない。

「オペラを別にしても、1819年の残りに、
7つの歌曲が残された。
これは多くの数ではないが、
ここにはいくつかの傑作が含まれている。
重要なプロメテウスを含む2つのゲーテ歌曲の他、
4つのマイヤーホーファー歌曲、
それから、この作曲家の随一の、
恐らく最も美しいシラー歌曲、『ギリシアの神々』。
これら二つの古典的主題は、
明らかにマイヤーホーファーの影響の続きが見て取れる。
1819年後半の歌曲は以下のようなものである。

D669 風に
D670 星の夜
D671 慰め
D672 夜の曲(以上、マイヤーホーファー詩)
D673 恋人が書いた
D674 プロメテウス(以上2曲ゲーテ詩)
D677 ギリシアの神々(シラー詩)

「シューベルトはマイヤーホーファーに台本を書かせると、
いつも、この詩人の歌詞への作曲もおこなった。
1821年から22年の歌劇『アルフォンゾとエストレッラ』
の場合も同様で、これを書いている時には、
その台本を書いたショーバーの詩による歌曲をいくつも書いている。」
と、ここまでで、シューベルトの1819年の軌跡の記述は終了する。

この時期の歌曲を比較的よく集めてくれているのが、
このアーメリングのCDで、
シラーの「ギリシアの神々」や、
翌年のシュレーゲルの「夕映え」や「舟人」が聴ける。

この時期のものだけでなく、
有名な「ます」や「水の上にて歌う」に加え、
さらにゲーテ、シラーの歌曲も収められていて、
意欲的、かつ多彩な構成で好ましい。

ということで、このCDは、
これまで、それほど重要だとは考えていなかったが、
あまり知られていないものの、
興味をそそる作品をさりげなく取り上げていて、
実は、非常に興味深いものであることが再確認できた。

そもそも、名歌手アーメリングが歌い、
名門フィリップスの制作であるわりには、
ジャケットデザインは、あまりいただけない。
ルドルフ・ヤンセンが二重あごになっているし、
オランダの名花の姿も何だか黒ずんでいる。
あまり、しゃれたデザインではなく、工夫もない。
かろうじて、アーメリングの衣装が目を引く程度である。
というような要因が、どうもこのCDに先入観として滑り込み、
評価を下げていたような気がする。

ちなみに、このブログの主題である「ます」の、
歌曲が取り上げられているのには助かった。
脱線の許容範囲に含まれよう。

曲目としては、
1. ガニュメード D.544(ゲーテ詩)
2. ギリシアの神々 D.677(シラー詩)
3. ミューズの子 D.764(ゲーテ詩)
4. 愛の充溢 D.854(F.シュレーゲル詩)
5. 愛の言葉 D.410(W.シュレーゲル詩)
6. 白鳥の歌 D.744(ゼン詩)
7. 死に寄せて D.518(シューバルト詩)
8. ます D.550(シューバルト詩)
9. 春の小川で D.361(ショーバー詩)
10.水の上にて歌う D.774(シュトルベルク詩)
11.舟人 D.694(F.シュレーゲル詩)
12.遠く離れた人に D.765(ゲーテ詩)
13.沈みゆく太陽に D.457(コーゼガルテン詩)
14.夕映え D.960(F.シュレーゲル詩)

このアーメリングは、LP時代から数多くの、
シューベルト歌曲の録音を行って、
私は、大学時代から、それらのお世話になっているが、
これまで、各盤がどのようなテーマで選曲されているのかを、
あまり考えたことはなかった。
(「歌曲集2」と題されたものは、
グレートヒェン、ズライカ、エレンといった、
女主人公が出てくる作品でまとめられていたが。)
何となく、有名な歌曲を集めて歌っている感じで、
そういった学究的な姿勢はなかったような気がする。

しかし、珍しいシュレーゲルが3曲入ったとしたら、
何らかの意図があったと考えた方がいいだろう。
とはいえ、そうしたテーマが、
日本盤の解説などで言及されているわけでもない。

日本盤解説では、
「神話とそれを生んだ世界への憧憬、
愛や死にかかわるもの、水や夕日の歌などが、
微妙な照応を保ちながら小さなグループを形づくっている」
とある。

この理屈から言えば、
1-3の3曲がひとまとめになり、
4-7の4曲が次のまとまりで、
8-15の8曲が、最後の大きな集合ということになる。
が、こんなに沢山のテーマがあると、
完全に焦点がぼやけてしまう。
神話と愛と夕日と言われると、
結局、「雑多」と同義ではなかろうか。

輸入盤の解説には何と書いてあるだろうか。
書いているのは、Karl Schumannという人である。

ああ、「BASIC THEMES OF ROMANTICISM」と題され、
ロマン主義に明らかに焦点を合わせた企画であると明示されていた。
このような企画であったからこそ、
シュレーゲルや友人たちが登場したわけである。

と同時に、ゲーテやシラーもあるからなあ、と考え出すと、
どうも説得力に欠けるような気もする。
プロデューサーの意志がどれほど反映されているのか。
アーメリングに適当に歌ってもらって録音できたから、
じゃあ、適当に解説を書く人を、さがして来ようか、
みたいな乗りではなかろうか。
何だか、ハイペリオンの仕事と比べると、そんな感じがしないでもない。
こうした視点で見てみると、どこにもプロデューサーの名前はない。

とにかく、解説にはどうあるか。
「1816年から1825年の日付を有する、
シューベルトの歌曲の宇宙から選ばれた15曲は、
言うなれば、一般的な歌曲の概念を押し広げた、
初期のゲーテ歌曲と、『美しい水車屋の娘』完成の、
2、3年後までのものと言える。
これらはロマン主義の基本テーマ、
『自然、愛、死』を取り巻くものである。
ただし、これらの境界は、外的にも内的にもあいまいなものであって、
牧歌的なものとして現れたものは、同時に人間の内面の絵画となる。
そうすることで、人は自然の中で、
自分が何によって動かされているかを見るのである。
古代の伝説、『ガニュメード』は、理想郷での夏の朝に置き換えられ、
ゼウスは少年給仕係を天上界に引き上げてしまう。
この初期の歌曲は、
二つのメロディが、次々に、
ほとんど階層的に展開するという伝統的な形式を破壊し、
常に変化する調性を発展させている。」
この解説、題名と内容が一致していないように見え、
テーマの話から、急に音楽語法の話に飛んでいるが、
こうした形式破壊がロマン主義の一つの方向だったということか。

「シューベルトは、シュヴァーベンの作家の教訓的な詩を変容させ、
魚を描いた特徴的、現実的な絵画を作り上げた。
『ます』は、何よりも愛らしい有節歌曲であって、
次第にどんよりと曇り、思慮深い結尾で結ばれる。」
と、いきなり、「ます」の話になってくれたのは嬉しいが、
先ほどの、牧歌的なものが絵画になる、という一節に対応しているのか。
ここで、アーメリングの歌い口は、自然で好ましい。
「僕は岸辺でのんびり見てた、元気な魚がきれいな水に泳ぐのを」
の、「のんびり見てた」のところで、
少し、テンポを落として変化をつけているのも悪くはない。
事態はこの後、悪い方向に動き出し、
鱒は釣られてしまうので、一服するならここしかないだろう。

「『春の小川で』は、優しく波立つ水と詩人の悲しげな感情が、
メランコリックなコントラストをなす。」
この歌曲は、有名なもので、前回のヴァーコー盤にも登場した。
春の小川は楽しげだが、自分の心は悲しいという。

「風はふたたびそよそよと吹き、
苔も草も新しい青々とした色になる」という風景が、
物憂い美しいメロディで描かれるのに対し、
私の心に入ってくる希望は、
想い出に咲いている青い花を見つけることだけ、
と心中を語る部分は、激しいレチタティーボとなる。
ピアノが一閃し、時間が止ったように痛切である。
冒頭のメロディが戻って来て、ようやく緊張が解ける。

単純な詩なのだが、これは、多くの人が共感できる内容であり、
メロディであり続けるはずである。
ちなみに、ヴァーコー盤の解説では、
「水の流れや、小川に沿って花咲く野花の、
自然さや描写によって、最もシューベルト的な霊感に満ちたもの」
という風に表現されていた。

では、フィリップス盤解説の続き。
「流れは静かな8分音符の三連音で描かれる。
波の動きは絶え間なく、
シューベルトの音楽では、人生の象徴であって、
シュトルベルクの『水の上にて歌う』と同様である。
ここで、伴奏は声のラインと平行三度で結合され、
絶え間なく続く16分音符は、
シューベルトのピアノ曲の基本リズムとして繰り返される。
『夕映え』は、
『すべてのものが、詩人に語りかけるように見える』
自然は一体となれるものに語りかけるという詩句に、
支配されている。
ピアノの精彩ある音形によって、銀色の川が彫琢される。
ピアノのぎざぎざした低音ラインは、山々の頂きを明瞭に暗示する。」
「夕映え」がもっと語るべき内容を持った逸品と学んだ我々には、
どうも、これだけだと寂しい。

「同様の雰囲気は、『沈みゆく太陽に』にも反映されている。
モーツァルト風の影響が、二つのエピソードを有する、
ロンド形式に見られる。」
確かに、ロココ風の優雅さを持って始まり、ピアノ装飾も愛らしいが、
詩を書いたコーゼガルテンは、まさしくモーツァルトの時代の人だった。

バルト海のリューゲン島の神父だったらしいが、
そこからの日没を歌ったものだろうか。
そんなことを考えると、妙に、その詩句にも共感が芽生えるというもの。

「太陽よ、お前は沈む、安らかに沈め、おお太陽よ!」
という最初の一行が引き伸ばされて美しいメロディとなり、
「お前の別れの沈黙は感動的で荘重だ」といったところは、
多少テンポが速まる。

第二節にも冒頭のメロディがあるが、
続くのはギャロップのような曲想で、
「野に立ち上る霞」や風や波を歌う。
全曲は6分もかかる。
それにしても、CDの最後に収められた二曲を、
この段階で解説するのはやめて欲しい。

「よりよき失われた世界への憧れが初期のシラー歌曲、
『ギリシアの神々』に聞かれる。」
とあるが、D677の「ギリシアの神々」は、
「early setting of Schiller’s」と言えるのだろうか。
これまで、もっと若い頃のシューベルトが、
シラーに熱を上げていたことを学んできた。

また、シラーの歌曲で一番美しいといった特筆表現はない。

「シューベルトの歌曲4曲が、
『憧れ』というタイトルを持つが、その一曲は、
友人のマイヤーホーファーの詩への作曲である。
複雑な詩は豊かなコントラストを付けられて作曲されている。
最初に、イタリア風のロマンスでもの思い、
次に突然の和声変化で、無情な現実を表わし、
苦い諦めが、繰り返される音符で表現され、
最後に慰めの感情が歌われる。」

親友マイヤーホーファーの詩、
「憧れ」への付曲も、最初は美しい春の情景を歌って、
先のショーバーの詩と好一対である。
つまり、最初はひばりの声、新緑のビロードの春の賛美。
が、結局は、そこに自分の居場所はない、という結論に至る。

「理想なき大地から望むものは生まれない」といった、
失恋や疎外感から突き抜けた、はるかに強烈な怒りの表現が聞かれる。
最後は、春の情景は歌われず、諦めに似た風情となる。
「死にゆく鶴の仲間になって、穏やかな国に行く」とある。
さすがに、マイヤーホーファーは陰気である。

「『遠く離れた人に』は、新しい朗唱風で描かれた、
憧れの絵画である。
『愛の言葉』は、興奮した和声を付けられた、
あからさまな情熱のセレナードで、
『愛の充溢』は、冷酷な運命を思わせる、
一つの上昇リズムに基づき、これが全曲を支配する。」
これらは、小粋な小品。
ただし、W・シュレーゲルの詩による、
「愛の充溢」は、
「たとえ僕の心が張り裂けても、
僕はこの苦しみを神聖なものとして保とう」と、
失恋の悲しみを、理屈を並べて克服するような内容で、
6分半もかかる意志的な音楽にしている。

「重要な一致が、叙情的小品の『白鳥の歌』と、
静かで、大またで歩くような『死に寄せて』の間にはある。」

輸入盤CD解説の壮大なタイトルには感心して、
ざっとここまで見て来たが、
結局、各曲を単に、概観していくだけのような文章には飽きてきた。
また、この解説のタイトルにこだわって考えてみたが、
どこがロマンティシズムの説明なのか、よく分からない。

「『ミューズの子』の絶え間ない6/8のリズムには、
歌い手の生活の喜びや、誇らしげな自信が脈打っており、
これは若いゲーテの自画像となっている。
シューベルトは『舟人』において、
うだるような夏の暑さに寝転ぶ怠惰な舟人を、
リアリスティックに描いたが、
その無気力を何者も邪魔はしない。
エンディングにはハミングがあるが、
これはシューベルト歌曲の中でも、無比の効果を有する。」

このシュレーゲルの「舟人」は、1820年の作。
マイヤーホーファーの、同じ題名の曲と比べると、はるかに呑気。
舟人は、月光の下、のんびりと櫂を操りながら、金髪の少女を夢見る。

が、無比の効果を有するなどと書いてもらうと、
じっくり耳を傾けたくなって良い。
が、これはやはり、男声の方がいいかなあと思う。

さて、このアーメリング盤の解説は、これで終わり。

フィリップスのようなメジャーレーベルになると、
英独仏伊の多言語対応が大変で、
結局、解説もこの程度になってしまう。
何だかよくわからない解説である。
これでは各曲について、じっくり耳をすますまでには至らない。

が、このアルバム、各曲とも聴けば聴くほど、
味わいの出るものである。
一曲、一曲が妙に問題を秘めており、アーメリングも、
それを十分理解して、共感した歌いぶりで、
かつてのような無理に声を張り上げるようなことがなくなっている。
年齢的な問題もあろうが、声の質も、落ち着いたものに変わっている。

ただし、終曲に持ってきた、あの「夕映え」などは、
その壮大な景観を完全に表現するには、声の質が軽い、
といった感じは受ける。ここでは、ピアノのヤンセンも、
もっと主張するべきであろう。

だが、「美しい世界よ、帰って来ておくれ」と、
古代世界への憧れを歌い上げる、
「ギリシアの神々」などは、遠い世界への憧憬が、
蜃気楼のように立ち上って美しい。

このように聴いて来ると、アーメリングが、
優れて特徴的な歌曲を集めて、
巧妙な選曲をしていることは明らかであるが、
日本盤解説のように、
「神話とそれを生んだ世界への憧憬、
愛や死にかかわるもの、水や夕日の歌などが、
微妙な照応を保ちながら小さなグループを形づくっている」
と考えた方が妥当のような気がしてきた。

さて、最後に、例のグレアム・ジョンソンの解説から、
1820年初頭のシューベルトの活動を概観して終わろう。

「1820年の初めに、何らかの理由で『アドラスト』を、
脇においたシューベルトは、彼の最も革命的、実験的な作品に取り掛かった。
これは、カンタータ『ラザロ』で、3幕からなるはずのもので、
(2幕の終わりは無くなってしまったが、)2幕だけが完成された。
この驚くべき作品の真価が理解されるようになったのは最近になってからで、
静かな威厳、堂々とした壮大さにおいて、
40年後のワーグナーのアリオーソ利用のみが、
それに比肩しうるようなものである。」

「レチタティーボとメロディの境界線が流動的で、
語りのリズムがいつしか、いつの間にか、
最も美しいシューベルトらしいメロディになっており、
また、伴奏付きのレチタティーボになっているといった風である。
アドラストと同様、管弦楽の利用は特に刷新的である。
1778年にアウグスト・ハーマンが書いた詩に付曲され、
1820年のイースターのために、
兄のフェルディナンドが音楽監督をしていた教会を想定して書かれた。
しかし、この時は、
シューベルトの驚嘆すべきスピードの作曲能力を持ってしても、
作品を期日に間に合わせることが出来なかった。
ラザロも放置され、二度と復活しなかった。」

得られた事:「『ます』の五重奏曲を書いたとされる、1819年のシューベルトは、オペラ『双子の兄弟』を書き上げ、野心的なオペラ『アドラスト』を書き進めつつ、大量の歌曲を書いていたが、翌年には『アドラスト』は中断し、宗教劇『ラザロ』に取り掛かった。が、これも未完成に終わった。」
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by franz310 | 2008-03-15 19:02 | シューベルト
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