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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その110

b0083728_13323363.jpg個人的経験:
前回取り上げた、
シューベルトの
大歌曲「人質」は、
以前、日本盤として、
プレガルディエンが
テノールで歌った盤が
発売されていたと記憶する。

伴奏はフォルテピアノの
シュタイアーであった。

特に雑誌でも注目されていなかったので、
購入していなかったのだが、
この美しい装丁の独ハルモニア・ムンディの輸入盤は、
まだ売られるのを発見したので、早速、入手してみた。
「シラー歌曲集」として、以下のような曲目が収められている。

「人質」 D246
「希望」 D637
「ヘクトールの別れ」 D312b
「エマに」 D113
「乙女の嘆き」 D191
「タルタルスの群れ」 D583
「巡礼者」 D794
「アルプスの狩人」 D588
「弔いの幻想」 D7
「ギリシアの神々」 D677b
「憧れ」 D636

したがって、前回のシラー歌曲集とは、
「人質」、「弔いの幻想」という大曲2曲と、
「エマに」、「憧れ」という2曲の計4曲が重なっているが、
私の好きな「ヘクトールの別れ」と、「乙女の嘆き」に加え、
名作とされる「タルタルスの群れ」や「ギリシアの神々」が収められている分、
こちらの評価は高くなるが、当然、ハイペリオンは全集を狙ったもので、
同じ土俵で評価するわけにはいかない。

が、そうした中、ドイッチュ番号で、なんと7番、
1811年、シューベルトのローティーン時代のものとされる、
「弔いの幻想」が収められているのが、興味をそそる。
単発で出しても、価値ある歌曲だと、
プレガルディエンか、シュタイアーがみなしたのであろう。
このあたりのことが、解説にないのが残念。
しかし、非常に説得力のある演奏、
変幻自在のピアノ伴奏からして、ひょっとして、
シュタイアーからの提案かもしれないなどと考えてしまった。

さて、このCD、手に取ったときの第一印象が非常に爽やか。
独ハルモニア・ムンディのCDでおなじみの、
大理石調の額縁に囲まれた表紙には、
Jakob Philipp Hackert(1737-1807)
という画家のItalienische See-Landschaft(Lago d’Averno)、1794
という絵画があしらわれており、シューベルトよりは前の世代とはいえ、
ゲーテ、シラーの時代をしのぶには適切なものと見た。

青空写る透明な湖が大変美しい。
収穫の季節だろうか、前景の植物は茶色くなっており、
ロバに農作物を乗せていく人の姿、
その前には犬の姿も見える。
いろいろなことを想像させ、
よき世界に思いを巡らせることのできる絵画である。

ただし、このような絵画に相応しい曲がここにあるかと言うと、
「世界は古くなり、また若返る」と歌われる、
「希望」くらいであろうか。
他の歌は、どちらかというと、もっと厳しいものばかりである。

例えば、可憐な乙女が出てくる、「乙女の嘆き」にせよ、
「樫の森がどよめき、
雲が流れる、
乙女は岸辺の芝生に座っている、
波が轟々と、轟々と砕ける」
という感じで、嵐の予兆に満ちている。

「タルタルスの群れ」に至っては、冥界の底の光景。
厳しいという以上に凄惨な光景である。
亡者たちは、永遠の苦痛にもだえておる。

「巡礼者」は、まだ、温厚な歌だが、
「目的地には少しも近づかない」
「ああ、どの道も通じていない」
「そしてかの地は、この地上には決してない」
という、絶望的な結末に向かっていく。

プレガルディエンの歌は、ナイーブな若者の心情を歌って透明であり、
木の響きのする1815年のピアノフォルテのレプリカを弾く、
アンドレアス・シュタイアーの素朴な音色も忘れがたい。

気になる「人質」は、冒頭に置かれ、力の入った演奏である。
演奏時間は17分を要しており、前回のアレンの演奏よりも長い。
例えば、あの清水が流れて来る部分の描写など、
だんだん、水が流れ始めるような風情で、
ゆっくりゆっくり演奏されており、
シュタイアーのこだわりが感じられる。
結婚式の描写も、古雅な趣きが生きている。

強奏においては、あるいは、急速にかき鳴らされる部分では、
楽器の限界に挑戦するような迫力が、
若いシューベルトの野心的な書法を浮き立たせている。

しかし、やはり、フォルテピアノの音色の制約であろうか、
見方によっては、アレン、ジョンソン版よりも、
あっさり終わっているようにも感じられる。
もちろん、それだけ、凝集された演奏、シャープな表現とも言えよう。
アレンの重々しいバリトンのメロスより、
テノールのメロスの方が若々しいが、
アレンの方が劇的で聴き映えがするとも言えるし、
どちらが良いかはわからない。

が、こうした特徴が、「弔いの幻想」では、
14歳のシューベルトの、
熱にうなされたような、
あまりにも先走った幻想に、
そこそこの統一感のようなものを与えているような気もする。

アレン盤では、この曲は前座的にも思えたが、
こちらのものでは、クライマックスを形成するかのように、
最後から3番めに置かれている。
演奏に19分22分をかけて、
これはアレン盤より4秒長いが、
これまた、すぐに聴きとおせるような感じがする。
アレンよりも粘らず先に進む工夫に重点を置いたのかもしれない。

この詩はシラーも21歳くらいの時に書いたもので、
青年期特有の事大主義が見受けられるが、
中学生と同じような年のシューベルトもまた、
それに感応して、幻想の限りを尽くしている。
それに応えるように、どちらの演奏も、
趣向を凝らして、不気味な雰囲気を高めている。
「ため息をついて夜の霊が空中をよぎる」
というところでは、奇妙な声を出して、
いかにも墓場の空気に気持ち悪い感触を伝えようとしている。

19歳で死んだ、シラーの友人の葬式を描いたものだが、
彼が生きていたら、父親にはどんな希望や夢があったか、
それを克明に描いた上で、それを残酷にも拒絶するといった、
描写の羅列が続き、あえて、音楽にして歌う必要があるか疑われるが、
状況の変化に即応して、シューベルトは、多様な音楽、
しかも、非常に魅力的な楽節を含む野心的な音楽をつけている。

アレンの声は非常に重々しく、こうした、
過多な情感描写に対して、それを助長しているが、
プレガルティエンの方は、こうした問題を感じさせず、
素直に音楽に浸ることが出来る。
シュタイアーのピアノも、共感に打ち震えている。
それは、序奏の最初からして、没入ぶりが伝わってくるほど。
様々に音色を変えて、強弱やテンポの調整など表現力の幅も大きい。
私は、これを耳にして、この若書きが、
けっこう、聞かせる曲であると確信した。
それに比べると、ジョンソンのピアノは、
何だか大きな構想力を放棄しているように聞こえる。

このプレガルティエン盤、名曲が多いこともあろうが、
こうした共感に裏付けられた凝集性もあって、
感73分32秒という総演奏時間が、
あっという間に感じられる。

ということで、デザイン良し、演奏良しで、
解説はどうだろう。
ここでの解説には、何が書いてあるだろうか、

(この解説、見開きの左3/4は歌詞で、
右1/4だけに解説があるので、非常に読みにくい。)

Thomas Seedorfという人が書いた
「フランツ・シューベルト:
フリードリヒ・シラーによる詩への歌曲」というもの。

「フリードリヒ・シラーは、自身、
生まれながらの詩人とは思っておらず、
偉大な同時代者ゲーテと比較すると、
単なる『詩的詐欺師』にしか、
すぎないとさえ感じていた。
作家自身の寂しい自己評価は、しかし、
彼の生きた時代、そして、その後の世代にまで、
無視できぬポピュラリティを持つに至ったその詩によって、
書き替えられてしまった。
多くのマイナーな詩が消えていく中で、
シラーの『潜水者』や、『Die Kraniche des Ibykus』や、
特に知られた『Das Lied von der Glocke』のようなバラードは、
国民的な文学運動において確固たる地位を占めた。」

このような詩は知らなかったので、
調べてみたが、伝記を見ると、
「1797年、『バラード年鑑』発行し、
シラーの詩としては、『潜水者』、『イビクスの鶴』など」
とあり、
「1799年に田園を逍遥したとき、『鐘の歌』の着想を得る」
などと書かれている。
いずれにせよ、日本では『群盗』のような戯曲が知られているのみ、
こうした長編詩はほとんど知られていないのではないだろうか。
「潜水者」などが知られているのは、シューベルトのおかげであろう。

「第一級の抒情詩(作者の懐疑とは裏腹に、
シラーの詩やバラードは、まさしく、
というカテゴリーに入るものであろう)は、
1810年にシラー抒情詩全集というものを
作曲し出版したのが、ただ、
ライヒャルトだけだったとはいえ、
いつも作曲家たちには魅力的であった。
シラーの多くの詩は、曲を付けにくいので、
この実に広範囲な業績には、
驚かずにはいられない。
詩人が自ら語るように、
『哲学的な精神』があまりにもしばしば、
彼を捉えるので、その詩は、
一般の芸術詩のような叙情的な感情表出にはならず、
あまりにも知的な内容で占められてしまう。
明確な一例として、『理想』という詩があるが、
Johann Gottlieb Naumanという人が作曲したとき、
シラーはこれを拒絶した。
しかし、シラーによる理想主義的な詩の観念だけが、
シューベルトを引き寄せたのではなかった。
シューベルトは、このワイマールの作家の、
力強い、生き生きとした言葉のみならず、
詩のなかに現れる劇的要素、
さらに、多くのシラーの詩に見られる、
理想郷の主題に強く惹かれていた。
ゲーテについで、シラーは、
シューベルトによって、最も頻繁に作曲された詩人であった。」
実際は、マイヤーホーファーの詩が多いはずだが、
彼は素人なので、解説者はカウントしなかったのだろうか。
あるいは、下記改作を含めると、そうなるのであろうか。

「1811年から1823年の間、
若い作曲家は、32のシラーの詩に作曲し、
それらのうち13は、一度ならず手がけ、
いろいろな異稿をカウントしなくとも、
いくつかの詩は3つ、
または4つの異なる音楽が付けられている。」
32-13+(13-5)×2+5×3=60となるから、
マイヤーホーファーの46曲を越すという計算にはなる。

「有名な『糸を紡ぐグレートヒェン』や、
『恋人の近く』とともに、
若き日のシューベルトは、
ゲーテの抒情詩によって、
シューベルトらしい詩の作曲法を模索していた。
しかし、シューベルトが最初の歌曲を作曲しはじめた時、
シラーこそが最も重要な霊感の源であった。
最初期の『ハガールの嘆き』につづいて、
『乙女の嘆き』の最初の作曲や、『弔いの幻想』の作曲が行われた。
これら二つの壮大な歌曲は、
将来の歌曲の傑作の予告は少ししかしていないが。
全453小節からなる『弔いの幻想』は、
明らかに歌曲のジャンルの限界を超えたもので、
歌曲よりもオペラの形式に似たものである。
このオペラの訓練場から、
『乙女の嘆き』の最初のアイデアを、
シューベルトが引き出したゆえに、
4つの節はすべて異なる音楽が付けられ、
個々のイメージやシーンを、その過程の中で見失う危険を、
回避しようと常にコントロールしているわけではない。
『弔いの幻想』は、学校友達の死に霊感を得て、
若いシラーが書いた葬式の情景だが、
期の熟した作曲家は、さらにそこにある何かに感応している。
この巨大な『弔いの幻想』は、一度しか手がけられていないが、
シューベルトは、さらに2度、『乙女の嘆き』に立ち返り、
この詩を、歌曲作曲の基本とした。
今回は、もはや前景には嵐や暴風雨の個々の描写はなく、
四つの節すべてを音の調子が一貫する。
シラーが、マティソンの詩に対して、
細かい表面を描きながら、魂の画家になっていると、
書いたとおりの精神に合致したものとなっている。
歌曲の限界を拡張し、それを超えて多くの方向を示唆した、
『乙女の嘆き』のような有節歌曲は、
シューベルトの作品の中に見られる。
この後者の作品は、シューベルトの同時代者には、
理解されることがなく、
1824年、ライプチヒの批評家は、
『シューベルト氏はいかなる意味でも真の歌曲をかかず、
そんなものを書きたいとも思っていないのだ。
彼が書いたのは、自由な歌であって、
時としてあまりにも自由で奇想曲とか、
幻想曲と呼んだ方がぴったりくる。』
例えば、『アルプスの狩人』のような曲で、
シューベルトが使ったリート分野での、
慣習的方法について見てみよう。
曲は、家に留まるように息子を説得する母親と、
山に狩りに出かけたい息子との会話で始まるが、
3つの節によるこれらの会話に続いて、
また3つの節でカモシカを追う狩人を描くが、
この情景の転換は、この3つの節の間、奏される、
新しい音楽に反映されている。
まるで、最初の3節が一つの歌であり、
続くもうひとつが独立した歌のようである。
第七節は、『狩の音楽』で始まるが、
狩りする人がかわいそうなけものを殺すのを止めさせる、
山の精の急な登場によって、中断される。
変ト長調からト長調への急なシフト、
そして、ムードの急変によって、
シューベルトは、別世界を魔法のように作り出して見せた。
単純な歌のように始まったものが、
ドラマのシーンに向かって広げられているのである。
シューベルトは虚しくも、
オペラの作曲家として成功しようと、
生涯にわたって努力した。
彼のオペラに対する努力は失敗したが、
ドラマに対する嗜好は、リートや多くの声楽曲に見られ、
いくつかのそれらは小さなオペラの情景である。
こうしたものの一例として、
『ヘクトールの別れ』があり、
これは、アキレスと戦う準備をする
ギリシア時代の英雄ヘクトールと、
その妻、アンドロマケの会話である。」

ここから、気になる「人質」の解説になる。

「いかにも通して劇的なのは、
シラーの有名なバラード『人質』に、
1815年に作曲したものである。
失敗した暗殺、自然の猛威、盗人、絶望の炸裂、
何よりも、凶暴な暴君の改心など、
ロマンティックなオペラの要素が満載である。
このバラードの作曲のまさに1年後に、
オペラを作るためにこの主題を利用した。
ただし、特に、予測された検閲のために、
この作品は未完成のまま残された。
メッテルニッヒ体勢下のヴィーンでは、
劇場で支配者の殺人の試みを見せることはご法度であった。
この物語のバラードバージョンは、しかし、
シューベルトのオペラ作曲家としてのポテンシャルを、
明らかに示している。
この455小節の『人質』は、
シューベルトの最初期の作品への回帰を思わせる。
しかし、後者では、個々のセクションはバラバラに見えるのに対し、
『人質』では、最初から最後まで首尾一貫しており、
一つのステップごとが論理的に繋がって、
ドラマティックな興奮に高まっていく。」
こんな感じで要点は押さえているが、
やはり、ジョンソンが書いた壮大なものとは比較にならぬ。
どんな音楽であるか、これだけで、
あの大作を表現するのは無理である。
ということで、解説はハイペリオン盤の圧勝。
さすが全集の企画は違う。

こうして、この独ハルモニア・ムンディ盤、
各曲の概観はそこそこなされているが、
後半は、シラーと古典との関係を軸に、3曲が取り上げられる。
いくつかの曲は解説なしということになるが、
これは少し不親切であろう。

先を続けると、
「友人のマイヤーホーファーやフォーグルが、
古典的な文脈にて、シラーの詩句に対して、
シューベルトを目覚めさせた張本人である。
シラー自身同様、シューベルトもまた、
古典古代を忘却の淵に沈む理想郷と見ていた。
その詩、『ギリシアの神々』において、
シラーは理想の、理想化された、
そして永久に失われた古代の世界の国家への
悲しみを素晴らしい言葉で表明した。
16節の詩から、シューベルトは、
第12節の一節のみを選んで音楽にした。
しかし、この一節は全作品の精髄を含み、
『美しい世界よどこにある?帰ってきてくれ、
自然の花咲いた素晴らしい時代よ』と歌われる。
短調と長調の交錯は彼の典型的なスタイルで、
このテキストの喪失感や憧れを、比類なく、
適切に音楽化している。
古代の世界を描いたもう一つの作品に、
あらゆるリートの慣習を打破した、
『タルタルスの群れ』がある。
シラーは、苦痛の終わりに希望をつなぐ、
冥界の地獄の人々を描くが、
しかし、『永遠が彼らの頭上に輪を描き、
サトゥルヌスの大鎌(時間の象徴)をばらばらに砕く』。
シューベルトは、時間から離れたところにいて、
その結果不安定な地獄の人々を描くために、
野心的な手法を使い、詩への作曲は、
音楽を支持する和声の中心を持たず、
そのかわり半音階的に広く変化して、
タルタルスの人々にふりかかる運命の象徴とした。
『憧れ』は、こうしたシューベルトの古典世界から、
あまり遠くないところにあって、
シューベルトが幾度となく使った小舟のモチーフなどが、
ここでも現われる。
もう一度、理想郷の姿、
作家が行きたいと願った、
美しい未知の国を、詩は描いている。
シューベルトは、この詩にまず1813年に付曲し、
約8年の後、最後の形に仕上げた。
これは、まったく従来のリートとは異なるもので、
最も人気のある作品の一つとなった。」

このように、シラーは、古典古代に理想を見る、
非常に高い理想に燃えた詩人であって、その心象に、
シューベルトは同調して、様々な新境地を切り開いたわけである。

得られた事:「もともとシューベルトは歌曲作曲家というより、劇的作曲家であった。」
by franz310 | 2008-02-17 13:39 | シューベルト
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