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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その109

b0083728_13233195.jpg個人的経験:
五重奏曲「ます」とは、
水の描写でしか、
関係のあるものではないが、
シラーのバラードによる
「人質」について、
さらに書き進めてみたい。
前回は、オペラ版だったが、
シラーの詩をそのまま音楽にした
歌曲版にふれないのは、
片手落ちのようにも思える。

「シューベルトはまず、
彼の歌の年である1816年の中ごろ、
オペラを作曲する2、3週間前に、
声とピアノのバラード版を作曲した。」
と、前回のオペラの解説にあったが、
ハイペリオンのシューベルト歌曲全集、
16巻の「シラー歌曲集」にも、
「人質」D246が含まれている。

バリトンのトーマス・アレンが歌っており、
グレアム・ジョンソンがピアノ、そして、
この詳細な解説も受け持っているのは、毎度のとおり。
トーマス・アレンといえば、コヴェントガーデンの人気者で、
ブリテンのオペラやイギリス歌曲で知られ、
グルックのオペラでも高名であった。

長身のスターに相応しく、
古代の彫像や、
シラーの肖像に囲まれたジャケットも、
堂に行った感じを与える。

CDには、以下の曲が収められている。
弔いの幻想 D7
ピアノを弾くラウラ D388
ラウラへの熱愛 D390
ラウラへの熱愛(ホリックスによって完成) D577
歓喜に寄せて D189
エマに D113
異国から来た娘 D117
秘密 D793
人質 D246
小川のほとりの若者 D638
四つの時代 D391
憧れ D52
巡礼 D794

「歓喜に寄せて」は、ベートーヴェンの「第九」の合唱と同じ内容。
シューベルトの作品は2分に満たないが、
簡潔なメロディーの中から、ベートーヴェンで親しい歌詞が聞こえてくる。

ちなみに、「弔いの幻想」は、
フィッシャー=ディースカウが、
シューベルトの歌曲全集を作った時に、最初に置いたもので、
シューベルト10代の前半に書かれた最初期の作品。
演奏に19分を要して、「人質」より長大なもの。

このように、シューベルトは、初めから、
こうした長い詩に対応した歌曲を得意としたことが分かる。

フィッシャー=ディースカウは、このように書いている。

「『人質』は『潜水者』よりももっとひきしまっていて、
感動的な作品である。
突然の豪雨、森の泉、夕焼けなどの具象的な自然描写にも事欠かず、
聴き手を圧倒するばかりである。」原田茂生訳)

では、ジョンソンの解説で、この「人質」はどう書かれているか。

「これはシラーのバラードの中で最も有名なものの一つである。
ドイツ語圏の人で以前の世代の人たちは、学校でこれを暗記し、
彼らの終わりの日まで、ここぞというときには暗誦したものである。
『潜水者』がフランソワ一世の統治のエピソードであるのと同様に、
シラーは、ここでも既存の物語を焼きなおしている。
原典は、Fabulaeの『2世紀のラテンの物語と逸話』のコレクションで、
ヒギニュスの名のもとに1670年にアムステルダムで出版されている。
257章に見られる物語で、次のような見出しがついている。
『友情によって最もしっかりと結び付けられたものたち』。
バラードは、注目すべき速さで書かれ、
1798年の8月27日から30日にかけて3日で書かれた。
詩人はおそらく、ゲーテとの友情や、
カール・オイゲン公の暴政の思い出によって、
個人的にインスパイアされたものと思われる。
シラーは、ゲーテに、古典古代の物語を扱っていると、
そこがまるで自分のホームグラウンドのように感じる、
と書き送っている。」

「シラーの初期の劇作や反独裁の態度が、
この大激変に影響を加速させたと言われているがゆえに、
このバラードが、詩人を驚かせ悲しませた、
フランスの恐怖時代の後に書かれたことは重要である。
事実、シラーは、『歓喜に寄せる』において、
万人への祈りを書いたが、大衆に同意したわけではなかった。
詩は最初に、自らの命をかけて暴君を殺そうとした刺客に、
同情を与えるように始まる。
ここまでは、作品は完全に革命に対する信任を書いているように見えるが、
物語は、急転回して、個人主義的な物語となる。
暗殺が失敗し、暴君殺しの計画者は、即座の処刑に代わって、
結婚式への参加が許され、信頼する人質として友人を残して去る。
ベルトルト・ブレヒトが、彼のソネット、
『シラーの詩 人質 について』で皮肉っぽく指摘したように、
仕返しを延期する忍耐力があるのは、真の暴君ではない。
もし、そんな時代が、実際にあったのだとしたら、
それは、自分の言葉に責任を持つ時代のことで、
勇気や誠実が賞賛された時代のことであり、
支配者のやり方が悪から神に変わりうる時代のことであった。」


「しかも、ここでシラーが言いたかったのは、
国家が個人からなっているということで、
国家全体が良いかは、個々の市民の誠実な関係に、
依存していることである。
シラーはルイ16世やフランス貴族の陣営にいたことはなかったが、
テロリズムの大規模虐殺にはショックを受けた。
彼がメロスに出会い、キャラクターを作り直したとき、
マラーを暗殺した、シャルロッテ・コルデーや、
『自由の名において何が犯罪か』と叫んだ、
マダム・ロランドのことを考えた。
Der Zeitpunktに書いたように、シラーは、
新しい世紀に、偉大なエポックが生まれると信じていたが、
実際には小人たちの競争が生まれただけだった。
彼自身のモラルは、多くのヨーロッパの世代と同様、
『ペンは剣よりも強し』で、これはシューベルトも同じだった。
物語の最後で、独裁者は、
彼のこれまでの経験を超えた振る舞いを見て感動し、
愛の実在に救われる。
シラーは報酬を超えた例外的な振る舞いの素晴らしさや、
それぞれの人々がその誠実さに気をつかうとき、
それを構成する個々のメンバー同様、
国家は啓蒙されるに違いないと信じていた。」

「シューベルトがこの詩を気に入ったに違いないことは、
同じタイトルで同じ主題のオペラを書いたのは、
これだけだということからも分かる。
この1816年5月のオペラ(D435、16のオペラ断章)
のリブレットを書いたのが誰かはわかっていないが、
古典主題との関連からして、1814年の終わりに作曲家と会った)
マイヤーホーファーが、シューベルトにこの作品の興味を抱かせ、
何らかの役割を演じたと推測するのも理由がないわけではない。
マイヤーホーファーは、古典古代の崇拝者で、
密かにメッテルニヒ体制の批判者で、
詩の持つ政府転覆的な潜在要素を見抜いていた。
とりわけ、この同性愛の詩人は、このバラードが、
古典時代の男性同士の高尚な友情の賛歌であるとも、
読めることに気付いていた。
ここには、こうした要素はないのだが、メロスにとって、
人質の死は、帰って来るという自分の言葉のみならず、
いわば、自分よりも素晴らしい友を愛するがゆえに、
ありえないことなのであった。
シラーによりながら、シラーの詩句は使わなかったこの作品のリブレットは、
作曲家が取り上げた最悪のテキストの一つと考えられている。
1822年、ベートーヴェンがワイグルとともに、
この主題によるオペラを書くことが議題に上がり、
これは実を結ばなかったが、6年後にシューベルトの友人の、
フランツ・ラッハナーが、この台本をうまく引き継いでいる。
ペストにおけるこの作品の初演は、
この機会にハンガリーに行きたいと考えていた、
シューベルトの死の3週間前であった。」

ここからが、いよいよ、シューベルトの歌曲の内容となる。
「シューベルトのバラードの音楽は、何人かの批評家には、
他の巨大なシラーの作品よりは下位にあると言われることがあった。
深い『潜水者』における超自然の恐怖が、
しかし、『潜水者』より、『人質』を、
その切り詰められた形式感ゆえに高く買う人もいる。
ここで、演奏者は、単に歌い手として詩句を楽しむのではなく、
私たちに対し、興奮したバラードの語り手とならなければいけないという、
音楽進行に対する驚くべき感覚がある。
その時、我々は音楽を意識せず、
物語に何が起きるかのみに集中することになる。
つまり、この音楽に漲る単純性は、意図的なものであり、
物語を語るための邪魔をしないように計算されたものだと言えよう。
そうだとすると、シューベルトは、ゲーテによって賛意を表され、
ライヒャルトやツームシュテークによって推進された、
バラードの伝統に忠実に倣ってベストを尽くしたということになる。
耳の肥えた聴衆には、ベートーヴェンの第五交響曲からの『運命』主題が、
いろいろな場面で出てくることに気付くであろうことを書いておこう。」
ということで、だんだん、期待も高まってくる。

以下、CD解説の3ページ分、
各節の進行に従って、詳細な解説が続く。

「1:陰謀者は侵入するが、あっという間に掴まってしまう。
『schnell(急速に)』という言葉が冒頭に記されており、
序奏での半音階の上昇はなかなかうまく行かない。
音楽的には発展することない一撃で、放たれるのみである。
開始すぐに、メロスは捕らわれ、暴君から短い尋問を受ける。
これはシンプルで分かりやすい彼の答えと、
音楽的に素晴らしいコントラストをなす。
単純な四分休止のあと、即座に十字架にかけられるよう宣告される。」
このあたり、さすがアレン、役者ぶりを発揮して、
何となく皮肉な暴君の様子を、さりげなく描きだして憎い。
いきなり、山場に持って行かれる。

以下2節は、それほど特徴がない部分も続くが、
ピアノ伴奏の単調な繰り返しのせいか。
しかし、メロスの潔癖で高潔な人柄を伝え、
王の人間不信をみごとに表現した部分になっている。
「2、3:ここでは拍子の変化はなく、
音符の拡張があるのみで、
この状況ながら、筋の通ったメロスのアリアが、
王に対して歌われる。
彼は評決を冷静な勇気で受け入れ、
礼儀正しく、もちろん、あつかましくなく、
慇懃に妹の結婚式に出席するための時間をくれるように願う。
彼の歌の確固たる長いラインと信頼に満ちた和声が、
ディオニソスのひねくれた半音階の返答とコントラストをなす。」
王の言葉に先立つピアノの装飾からして、
メロスを舐めた感じを出している。

「暴君はサディスティックで、
ほとんど実行不可能に見える契約から得られるものを見るのを楽しみ、
ほとんど、他人の苦しむのを見て喜ぶ変態のようでもある。
彼は横柄に返答するが、彼の王国における権力とは裏腹に、
シューベルトの音楽では、何だかすねた、軽めの人物に見える。」
アレンは、メロスの率直な声と、王のひねくれた声で、
じわりとこの2節に変化をつける。

以下、友に会うときの敬虔な感情か、
非常に美しい前奏が、美しい粒立ちのピアノで柔和に歌われる。
歌自身は、とても切迫した状況を伝えたものではない。
それが、二人の信頼を表しているのだろう。
「4:このニ長調のセクションでは、『Ruhig(静かに)』と書かれ、
メロスは友人に聞きもしないで、彼を不快な取引に巻き込んでしまう。
お互いパニックの兆候はない。
これはシラーがPosaとドン・カルロスの関係で描いたような友情で、
ヴェルディは、これをバリトンとテノールの高貴な二重唱で描き出した。
シューベルトは、メロスが友人に状況をモノローグで説明する部分の音楽を、
異常な静けさと柔らかさで描いている。
この詩の進行は、人質が自分を語る余裕を与えていない。
黙って受け入れるので十分なのであろう。
シューベルトはおそらく、全音符の和音の連続でアリアを支え、
シラーのペンのスピードのせいで黙っている、
強く、物静かで協力的なこのキャラクターを、
単純で絶対的に表そうとしており、
背景にある、彼の忠実さこそが、この作品での行動の主動力になる。」
確かに、メロスが自分勝手な状況を、一方的に説明しているのみ。
が、この部分は、非常に温和な優しさに満ちている。
ピアノのタッチが精妙だ。
王の前ではあんなに勇ましかったメロスが、
妙にはにかんでいる点が、まるで初々しい恋人同士を見るようだ。

次の第5節の2行で、友人の行動が描かれる。
「すると誠実な友は無言で彼を抱擁し、
自ら暴君に身柄を預けた。」という部分である。

「5:婚礼。この節の最初の2行はレチタティーボで、
さっさと流され、シューベルトは、『Lieblich(愛らしく)』と書かれた、
変ロ長調の古めかしい宮廷の婚礼の間奏曲で妹を嫁にやる。
ベートーヴェンの『運命』のモチーフが、
ピアノの優しい音楽に控えめに表れ、
浮かれ騒ぐうちにメロスに自身の運命を思い出させる。」
ここのピアノのモチーフは、確かに控えめでとってつけたように、
メロスにささやく。どうも、ジョンソンが説明的に強調しているようだ。

「ここには、王がメロスが自身の用向きを済ませるようにと、
猶予を与えた三日のうちの二日の時間差があって、
さらなるレチタティーボが家に向かった旅人に、
判決文を突きつける。」
このように、5節は、三つの部分が詰め込まれていて、
友人が王に捕縛される部分から、結婚式を経て、
出立までが語られる。
それだけ言葉を切り詰めた結果であろう。
音楽は、そのため、とても変化に富んで楽しい。
さらに、雨が降り始める部分になだれ込んでいく。

「6-9:洪水。
この四節は、繋げられて大きな一つの音楽を構成し、
大部分はニ短調で書かれている。
ピアノの右手では、ぱたぱたと弾かれるノンストップの16分音符が、
(左手の激しい8分音符がオクターブで弾かれる)
第六節から第七節で絶え間ない雨を描く。
これは最初のうちは、比較的やさしいが、たちまち力を集める。
英雄の苦境への嘆きが、長いDsのラインで共鳴し、
メロディは叫びを表すために抑圧され、
不規則で耳障りなスフォルツァンドの和音がそれを支える。
ベートーヴェンの『運命』の動機がピアニストの左手に、
第六節の『川も水かさを増す』の後で、
そして、第七節の後の小さな間奏曲の後で再度、現れる。
第八節は、同様に道を急ぐが、ムードは、
『ゼウスに両手を上げて』のところで変化して、
神への祈りのレチタティーボとなる。
ヴォーカルラインの形が天に向かって嘆願する上昇が、最も痛ましい部分。
雨は洪水になる。
激しく増水した8分音符の和音が水を流し、
軽い16分音符による、前の節の落ちてくる水音と対照をなす。
川が溢れるように、バスのオクターブが半音でさらに持ち上がる。」
このあたり、ピアノの描写力を聴くべき部分。

「命がけで泳ぐ恐ろしい努力は、ヴォーカルラインに反映されており、
これもまた、『神様』という言葉の高いGフラットの土手に至るまで高まる。
メロスは筋肉を酷使し、ゴールに至るまで座ることは適わぬ。
『憐れみを示し給う』という言葉で、彼は一時のリラックスを許され、
Gフラットのキーに感謝して身をかがめる。
さらなるトラブルのため、そこにとどまることは出来ないのである。」
以上、雨の描写や、増水の様子はリアルだが、
あのオペラを聴いた後では、橋の崩壊に関しては、やり過ごされた感じ。
運命の動機が鳴り響き、その後のメロスの足掻きに焦点が当てられる。

「10、11:盗賊。
第9節の最後の言葉が終わるや否や、
二拍子のあと、第10節が始まる。
旅人の試練はひっきりなしである。
自然の災害の方が、シューベルトには気分が乗るようである。
このエピソードは、細部描写をするほどには、
彼の関心を引かなかったようだ。
3人の悪党が打ち倒されたところは、
声楽的にもピアノ的にも努力を要さない。
とにかく物語は手短に語られ、敗れたならず者たちの撤退は、
『散り散りに逃げる』の後、ピアノによって面白くコメントされる。
作曲家はここで効果を出す機会を逃がしたように見えるが、
全体のペースからして先を急いだものに相違ない。」
確かに、この部分、逃げ去るところは軽妙だが、
印象に残らない部分かもしれない。

「12:太陽。
雨と川でずぶ濡れになった英雄が、
2、3時間後に喉の渇きで死にそうになるのはおかしいとして、
ゲーテすら、この節は賢明ではないと考えた。
最初の3行は熱にぼうっとなって疲れたレチタティーボで、
ぼやけて朦朧としたトレモロが伴奏する。
この節の第四行、『おお御身は盗賊の手から』という部分で、
ホ短調の謙遜したアリオーソの祈りがあり、
『親愛なる』友人の姿を垣間見る。
大騒ぎの音楽の後、軽い休息の楽章とも見える。」
蜃気楼のような描写も、ふらふらと行く様子も、
まるで、映画を見ているように、克明に描写されている。

さて、ここからは、トラックを変えてくれているので、
検索が簡単である。この部分、とても印象的なので、
トラックがなくとも聞き逃すことはないだろう。

曲は二分され、トラック10から11になる。
できれば、もっとトラックを振って欲しかった。
「13:小川。
この場面の音楽は、シューベルトが、
1年後に同じ題名のオペラで利用したもの。
『人質』のNo.14、ポコ・アンダンテの部分では、
このアリアの一音符ごとの再現を見るが、
弦楽はピアノ伴奏による水の流れを織り込み、
オーボエは、『すると聴け、銀の明るい音を』
の部分の美しいメロディを奏でる。
オペラでは、バリトンは、
あまり心地よいとはいえない高音域で歌われる、
このニ長調のメロディそのものに委ねるのではなく、
その対旋律を歌うようになっているのが興味深い。
おそらく、1816年までに作曲家は、声楽と器楽の、
音域の違いということにさらに関心を持つようになっていたのだろう。
それにもかかわらず、このバラードの短い休息部は、
『美しい水車屋の娘』からの、『知りたがる男』の中の、
『おお、僕の愛の小川よ』という作曲家最高の愛の賛歌の、
最も明白な、前触れの一つとなっている。
この歌曲集で、そしてオペラ、バラードにおいて、
この川の流れは、命を救い、魔法の力を持つほどに重要である。
その泡立ちは聖水のようであり、
少なくともシューベルト愛好家にとっては聖なるものなのである。」
わずか1分に満たない部分に、これだけの賛美、
こんなに解説があるのもすごい。

「14-17:Langsam(ゆっくりと)と記された、
変ロのセクション、『太陽が覗き』の部分は、
何としても先を急ぐべきだと思っている人には、
あまりにも呑気な部分と思われよう。」
荘厳なピアノ・ソナタの一節を聴くように、この部分は、
味わい深いので、私には、もっとやってもらってもよい。

「しかし、自然の美しさを記録した荘厳な瞬間はすぐに終わりを告げる。
(この物語ほど、一日の間、何マイルかの間に、
こうも気候が急変するものがあるだろうか。
シシリー島の変化しやすい天候を経験したのは、
シラーではなく、ゲーテだったのだが。)
『二人の旅人が』の部分から、Geschwind(迅速に)と記された、
前半の嵐の部分とのバランスをとった、基本的に速い部分に戻る。
ここでは、伴奏音形が、後の『ヴィオラ』の第6節、
『ヴィオラと、かよわい子よ』の音楽を、先取りしている。
メロスは二人の旅人の会話から、友人の差し迫った磔を聞き知り、
テンション高まると、我々を、最後の疾走へと誘い、
急を告げる伴奏のトリルが、前へ前へと駆り立てる。
執事フィロストラトスとの短いシーンの中で、
16節の『一刻も』の心に触れるメロディが現れるが、
この時になると、この老人がゆっくり詳しく話そうとするのを、
急かしたくなる。もう一刻も猶予はない。
しかし、この部分、『一歩下がって好機を待つ』部分。
英雄が、たとえ遅くなったとしても、結果がどうなったとしても、
先へ急ぐことを決めたことを示すかのように、
テンポはさらにかき乱される。
17節の宣言は、誠実な友情の究極の言葉である。
『愛と誠を信じさせよう』の後の、ピアノの間奏曲は、
ベートーヴェン風の嵐の音楽となる。
見物人を脇に押しやり、市街への狭い道に導くように、
変ホのキーを制圧し、音楽は推進力を高める。」
確かに、まさしく「走れメロス」の部分であるが、
ジョンソンは、ベートーヴェン風と書いたが、
よくもこのような表現を考え付いたものだと思わせる、
変幻自在なピアノ伴奏が、我々の耳を釘付けにする。
執事が立派な友の様子を説明する部分も気高く美しい。

次は、いよいよクライマックスへと高まっていく部分。
そして、後半は、友人との再会を静謐な絵画として描き出した部分。
「18、19:
エネルギーの最後の燃焼、メロスは恐ろしい処刑場所にたどり着く。
当然、ちょうどその時である。
シューベルトは、この曲の最も力強い瞬間、
心を打つ、『刑吏よ、私を』、そして、『殺せ』と叫ぶ部分を、
あえて抑えている。
嘆きと勇敢な自己犠牲に対して、みごとな扱いである。
彼の叫びの後の静かなピアノ間奏曲は、非常にシンプルなものだが、
19節の、驚きに言葉を失った群衆の様子を効果的に導く。
友情の三度が、この部分、特に、『これを見て涙を流さない眼はなく』
では鳴り響き、心の傷を和音で慰めてくれる。
そして、明らかにそれは和解を予告する。」

「20:
この作品の最後のページのために、
シューベルトは見事な腕前を取っておいた。
4つの和音の塊が、休止を伴いながら打ち鳴らされて、
暴君を改心させる。
フォルティッシモの和音は、かつては盲目だった人に、
何か異常なものを見せるという奇跡や、
いぶかるような不信感を反映したものだ。
ジョン・リードは、ここに、トスカのスカルピアのコードが、
予告されていることを発見した。
もし、ここに改宗したスカルピアや、
さらには、ダマスクスへの道の、聖パウロを見る人がいるとすれば、
そういった理由によるものなのである。
最後のディオニソスのアリアは、
暖かく温和で、突然、慈悲深いものとなる。
フィッシャー=ディースカウは、
『あまりにもヴィーン的で、全体の効果を弱めた』と書いたが、
ここで、暴君は、奇跡的に、また、瞬く間に教化されたのであり、
若いシューベルトにとっては、
彼はここで魅力的で、垢抜け、寛大になるという、
新しい力量を持ったことを表すものだった。
シューベルトにとっては、暴君にヴィーン風の衣装を着せる以上の、
賛辞はなかったのである。
『アーデルヴォルトとエマ』といった最長のものを含め、
多くのほかのバラード同様、その前の長さには相応しくない、
短い後奏曲で曲は結ばれる。
(シューベルトがリートの多くの発明貢献をしたが、
この後奏曲の発展については、大作曲家ではシューマンが最初となる。)
シューベルトは、これら2小節に、
ベートーヴェンの『運命』動機が、
予期せず暖かく、好ましく変形されて最後に登場することが、
重要であると考えたに違いない。」

全曲を通じて、とにかく詩の本来の味わいを重視した設計。
ピアノの美観を簡潔に利用し、素朴とも言える表現で、
現代よりも純朴であったであろう古典古代に思いを馳せ、
質実剛健なシラーの文体を大切にした作品と考えれば、
非常に得がたい傑作と考えられる。

得られた事:「原作の翻案が矮小化に繋がることもある。走れメロスの原作は、単に稀有な友情の物語で終わるものではなく、さらにそれが国家と個人との関係にまで拡張されるという夢を背負ったものであったようだ。」
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by franz310 | 2008-02-10 13:37 | シューベルト
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