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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その108

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その108_b0083728_13295290.jpg個人的経験:
前回と前々回、
取り上げた、
シューベルトの二つの
オペラ・アリア集。
フィリップス盤とハイペリオン盤に、
共に収められているオペラ作品に、
日本でもおなじみ、太宰治の
「走れメロス」と同じ
作品を下敷きにした、
「人質」というものがある。
シューベルト19歳の作品。

これを機会に太宰治の作品も、教科書以来、
読み直してみたが、この物語を覚えていれば、
このオペラは大筋での把握は可能であるようだ。

太宰の作品の最後には、
(古伝説と、シルレルの詩から)と書かれているように、
このシラーの詩がもとになっていて、
太宰はそれなりの創作を追加したし、
シューベルトサイドも、シラーを原作としながら、
オペラ化するための工夫を凝らしている。

また、ややこしいことに、シラーは詩を改作して、
「ダーモンとピンチアース」と、
この友人たちの名前を変えているし、
シューベルト版では、モエロスとテアゲスだし、
太宰は、メロスとセリヌンティウスという名前にしている。

こんな具合に、もとは一緒のシラーでも、
シューベルトのオペラも、太宰治も、それぞれに、
良かれと思って、つけたしや変更をしているので、
「シューベルトのオペラ『走れメロス』(邦訳)」
などとは、素直に書けなくなっている。

そう考えながらも、ハイペリオンのCDの、
TILL GERRIT WAIDELICHの解説を読んでいると、
太宰の作品が日本の教科書にあるように、
シラーの詩は、ドイツ人は、学校で暗記しているとあって、
どうも、これらの作品を、もう少し比較したくなってしまった。

このハイペリオン盤の解説から、「人質」の部分を概観してみよう。
すべてにファースト・レコーディングとある。
このCDを持って、この作品を取り上げなければ、
再度、これを賞味する機会はありそうにない。

「『人質』
シラーのバラード「人質」の成立については、
よく記録が残されている。
1798年の夏のこと、
シラーはゲーテに良い主題がないことを嘆いており、
その結果、ゲーテは、Hyginusの名で集められ、
1670年にアムステルダムで出版された、
ラテンの物語や逸話をシラーに贈った。
このアンソロジーから、シラーは文学でもよく取り上げられる、
その忠誠を壊す様々な試みや、痛々しい誘惑に抵抗した、
シラクスの二人の男の無条件の友情による名高いテーマを選んだ。
このテーマは古典期から何度も取り上げられ、
主人公の名前や細部の変更など、
いろいろなバリエーションが生まれたもの。
例えば、フランツ・フォン・ホルバインの、
『人質』による劇、『シラクスの暴君』が、
1806年にブルグ劇場の公演があった。
シューベルトがまさにこのオペラを作曲しているときも、
雑誌にはエリーゼ・ブリューガーの、
『シラクスの友人たち』と題された5幕の劇がレビューされ、
メロスとフィロスのシーンが出版されている。」

「シラーは原作を読むやすぐにバラードを書いてみて、
重要なテーマがすべて盛り込まれているかをゲーテに尋ねた。
ゲーテはシラーの到達した高みを賞賛したが、
人質にした友人を救うべきメロスが、
波や死にそうな喉の渇きに、
メロスが早く苦しまない点にやきもきしたと述べた。
しかし、シラーはその詩に何の変更も加えなかったが、
友人、クリスチャン・ゴットフリート・ケルナーなどは、
賞賛以外は見出さず、筋の緊張感と、
弱強弱弱強のリズムを特に褒めた。
すぐに詩は出版され、迅速に普及して、
多くの世代で学校の生徒がこれを暗記するまで学び、
恐ろしい人気を博した。」

「彼の前後の多くの他の作曲と同様、
シューベルトはまず、彼の歌の年である1816年の中ごろ、
オペラを作曲する2、3週間前に、
声とピアノのバラード版を作曲した。
同時代人は、シラーのバラードに対し、
これを劇にしたり、音楽をつけたり、
リブレットを作ったりすることの賛否を論じていたが、
概ね、好意的なものは多くなかった。
一般に詩人が選んだ独白形式が、
最も相応しいというのが大多数の意見であった。
ドラマやリブレットは、違うアプローチが必要なのに、
シラーのテキストに対する極端な尊重によって、
多くの批評家は、適切な逸脱であっても否定した。」

「オペラにおいては、しかし、特に、
その時代ポピュラーであったフランスの救済オペラにおいて、
非常に悲劇的な対立から、
意志の力、英雄的な行為遂行の能力、寛大さと、
センセーショナルな救済などは、すべて広く賞賛された。
それゆえに、『フィデリオ』に類似点を持つ、
『人質』のような主題が、
こうした特別な友情や忠誠に興味を持つと思われた、
ベートーヴェンに1823年に提案されているのは、
別に不思議なことではない。
ベートーヴェンがこれを受けなかったのは、
単に、中間に牧歌的な結婚式のシーンがあったからだと言われている。」

「このバラードの重要点は、以下のポイントである。

○シラーにとっては当然のことながら、
友人が彼の保証人になってくれることのメロスの確信。
この友人は、回想の中でしか登場しないが。

○ ディオニソスのずるさが、
時刻どおりに帰って来なかったら友人を殺すという条件で、
メロスに自由を約束したりして、有徳の士を誘惑する。

○改心した暴君が、彼らの友情に加えてもらうという要望を出す。

暴君がその友人として受け入れられたかは、
バラードはそれが明らかになる前に終わっているので、
シラーは答を出していないが、リブレット作者は、
これに答えないでいるのは困難である。
バラードの作者なら、熱烈な無条件の友情、
忠誠への賛歌、暴君の赦免に対する、
今更ながらの祝福を書かなくてもよいが、
リブレット作者は、そうもいくまい。
これらすべてを音楽形式に当てはめていかなければならない。
ディオニソスの異例の豹変という単純な着想も、
他の『人質』オペラの問題点になっているが、
これはシューベルト作品では起こっていない。
第三幕が断片でしか残っていないからで、
リブレットも独白も失われてしまっているのである。」

「シューベルトがこれを作曲しようと思ったのは、
オペラの材料で、効果的な作品を本当に書きたかったからで、
友人たちを用立てるという気持ちもあったに違いない。
リブレットは、シューベルトの友人たちの一人が書いたと思われるが、
彼の親密な上部オーストリアのサークルによる文学年鑑、
『Beytrage zur Bildung fur Jungjinge』に寄稿していた、
シュパウン、オッテンヴァルト、クライル、マイヤーホーファー
といったメンバーではないものと思われる。
現存するリブレットを見る限り、彼らの書簡に見られるような、
友情の喜びに対する、熱烈な賛歌は見受けられず、
また、こうした若い詩人たちが、
こんな無味乾燥の詩句を作ったとは思えない。
シラーの複雑なリズム構成(ABBAACC)は、
オペラに見られないばかりか、それは、時として、
洗練されているというより、むしろ粗野である。
しかし、それは、最悪のリブレットのような曖昧さや、
ぎこちなさがあるわけではなく、文体上のミスもないが、
むしろ、シーンのつながりが書かれていないことが問題である。
リブレットの作者は、ある種の一貫性をもって、
オリジナルのシラーの詩の引用を拒んでいるが、
これは、当時の『人質』のリブレットとは異なるアプローチである。
特にベートーヴェンのために書かれ、
後にラッハナーとリンドペイントナーによって、
付曲されたリブレットでは、シラーの詩作品から、
うまく引用されたパッセージが登場する。」

「あるいは、この作者は、こうした古典的な主題を扱うのに、
かつてのギリシャ劇での合唱の機能を使わずに、
重要な情報を伝えるために合唱を、頻繁に利用しようという、
大きな野望を持っていたのかもしれない。
事実、作者は、同時代のオペラのコーラスのような、
典型的な合唱の役割を制限している。
それにもかかわらず、シラクスの民を悩ませた、
政治の専制、エトナ山の爆発のような自然災害の脅威など、
大きな受難については、我々は合唱によって知るのである。
断章から推察するに、
このオペラにおけるメロスの音楽は、
シューベルトの他の作品の主人公とは違う。
彼はソロのナンバーしかもたず、
異常な感情の高ぶりと共に、憂鬱で思慮深い。
当時の『人質』のオペラでは、暴君殺害の試みを、
オープニングか、最初の大詰めで描くのに対し、
シューベルトのにはそれがなく、何時、いかにして、
ディオニソスを殺害しようとしたか、正確にはわからない。
彼は、それにもかかわらず、絶望と憤りを、
ヘ短調のアジテートのアリアでぶちまけ、
これはレチタティーボで中断される(トラック10)。
メロスの歌のほとんどすべてどこにも、
歌曲の作曲家としての、
シューベルトらしさを感じることが出来ないが、
同時代の英雄オペラのこうした性格付けは、
『悪魔の別荘』にも見ることができる。
典型的な指使いの弦楽や、陰鬱なトロンボーンの炸裂の、
劇場での効果的な利用によるオーケストラもまた、
簡単にピアノに置き換えることが出来ないものである。
変イ長調で始まって終わる、メロスが神に祈る、
どこかしらコラール風の中間セクションも、
音楽は三和音を鳴らし、時にあいまいな半音階を利用、
最後の少し前で、音階的パッセージを導き、
ピッツァーロの復讐のアリアを思わせる。
中間のレチタティーボで、
メロスは、共謀者に呼びかけているのか、
すべてが独白なのか、定かではない。
テキストの詳細は筋が通っていないが、
シューベルトは、効果的なメロディを着想しており、
意図的に古いダカーポ・アリアに似せてはいるが、
繰り返しは巧妙に変化させられており、高まっていく。」

このように、シューベルトのメロスは、
極めて思慮深く、太宰のメロスが、単純直情型に対し、
まったく別人物となっている。
この復讐のアリアを、「走れメロス」を読みながら聴いても、
違和感だらけである。
何となく、私憤のようなものも感じられる。

こんな内容が歌われている。
「アリア:
心の奥底で感じよ。
深い苦痛を不面目。
そして、この復讐の喜びを。
私は小さく、弱い存在だ。
神よ、私から五感を奪い、
墓穴に深く沈めたまえ。
そこは私が平安と休息を見出すところ。
忘却の場所。

レチタティーボ:
今日こそは、王の宮廷での祝賀の日、
上機嫌で淫らな歌が歌われ、
酔っ払いが酒をあおる。
ここでは、罪が肥え太り、
暗い力が私を苦しめる。
嵐を呼ぶ夏の夜。
私の胸に、暗雲が垂れ込め、雷鳴が轟く。」

「メロスの次のアリア(トラック11)は、
穏やかで単純なトーンが、
人質に取られた友人テアゲスに、
感謝の言葉をかけているようにも見えるが、
誰に向けた言葉なのか定かではない。
一時的に、あるいは、
恒久的な赦免を行うことが出来るのは、
ディオニソスだけであるし、
『Gnade』(許してください)という言葉は、
暴君に慈悲の期間を聞き入れられたメロスの感謝を、
表わしているようにも見える。
真実の友情に対する情熱が欠けるとはいえ、
前者の可能性の方がより高い。
優しく流れるようなメロディや装飾音は、
シューベルトがグルックやサリエリのことを、
思い描いていたように見える。」

このような内容が歌われる。
「アリア:
あなたの慈悲に感謝します。
あなたのことを常に思い、
私はここから喜んで急ぎます。
私の務めを果たすために。
私が明日戻る時、
私は自分の罪を償います。
この慈悲が私の運命を和らげます。
私の最後の日々の間。
あなたの慈悲に感謝します。」

ここでのメロスも、妙に優男で、
太宰のメロスが、こうした敬虔な感情で歌うとも思えない。

「暴君のアリア(トラック12)は、
モーツァルトの最初のジングシュピール『ツァイーデ』の、
バッソブッフォ役、オズミンの音楽の様式を想起させる。
ディオニソスの悪は、この唯一残された音楽ナンバーによって、
実際、シニシズムであったことが分かる。
『フィデリオ』のピッツァーロや、
『魔弾の射手』のカスパールとは少し違って、
彼の自信のある言葉には、いささかの罪の意識もない。
我々はこの劇的な状況は、
メロスやテアゲスが来て、
前者は戻ることを約束し、
後者が無条件の信頼を述べて去った直後、
たぶん、暴君一人の時ではないかと推測する。
このあざけりのアリアは、
他の高貴、正直、忠実な登場人物たちが、
清廉を表明するのとは、全く異なる。
メロスを後で待ち伏せする危険な強盗たちによる、
ヴェルディの有名な共謀者のアリアのサウンドにも似た、
四重唱と対をなすものだ。」

完全にいかれた歌である。
「レチタティーボ:
彼が帰って来るなんて疑わしいね。
とてもそんなことは信じられんな。
聴いたこともない申し出だ。
まったく信じることは出来ないね。
アリア:
ない、ない、夢想家の見る夢だ。
愛する友人、信頼と認可、
忠誠心に、それにすべてだと。
だましあいと馬鹿げた振る舞い。
何という壮大な戯言。
お前は友のところに急ぐがいい。
が、彼は、すでにこの世にはいないだろう。」

実に、軽妙な音作りで、とても、暴君の声とは思えない。

「シラクスに無理やり残された、
人質のテアゲスに立ちはだかる問題は、
第一幕のほかのいくつかのナンバーで描かれる。
シラーのバラードにはない部分だが、
彼の悲劇的な葛藤を発展させるべく、
テアゲスは社会的重責のある人物として描かれ、
妻と子供たちがいて、彼女らに対し、
友人に代わって牢に入ることを告げなければならない。」
この妻、アンナについての話は、
前回、アーメリング盤で紹介したとおりである。

さて、文中に注記はないが、以下が、トラック13の解説となる。
「第二幕は、メロスが歌う、
大きな、ドラマティックなシーンで始まり、そして終わる。
これらに挟まれて、フィロストゥラトスが絶望のアンナを、
メロスが、彼女の夫に抱く、
愛情と忠誠に頼るしかないことを聞かせて、
慰めるシーンがある。
テキストも音楽も、メロスが、
友人を救うために、恐怖に打ち勝つところを描く。
第二幕への序曲は、オープニングシーンを導き、
魅力的なメヌエットで始まる。
いくぶん、文脈的に奇抜だが、
すぐに、この牧歌的光景は中断される。
しかし、メロスがこの冒険の旅に出た第一の理由は、
彼が、妹の結婚式をアレンジするためであって、
このメヌエットなくしては、音楽的にも、
残されたリブレットを見ても、
それについては述べていないのである。
つまり、プロットを考慮すると、このメヌエットは、
的確な配置となっている。」

「走れメロス」では、
長々と結婚式の描写がなされているが、
シラーのバラードでも、
「三日目の朝が明ける前に、
彼は大急ぎで妹を結婚させ、
期限に遅れることのないようにと、
心配しながら帰路を急ぐ」
とあるだけ。
シューベルトは、
この簡潔性にならったものと思われる。

が、このトラックに収められた音楽は、これまでで最長(6分)で、
極めて美しい。典雅なメヌエットから、悲劇的な旅立ちが痛々しい。
メヌエットの部分だけでも、レスピーギの名曲、
「古代の舞曲」を思わせるが、たった一分で終わって、
ティンパニが轟く、壮絶な嵐の音楽となる。
その後の、焦燥感に溢れた部分の壮絶な響きは、
完全にベルリオーズの「ファウスト」の音楽を先取りしている。

「続いて、メロスを取り巻く状況が描かれ、
後で明らかになるが、洪水との格闘、
当時のメロドラマや、映画音楽にも相応しい標題音楽になっている。
パワフルなオーケストラの『アレグロ・アジタート』は、
感情的な緊張を高め、絶え間ないスフォルツァンドの唸りが、
カーテンが開くまで続き、この後、音楽的なクライマックスでは、
嵐の中で、橋が崩れ落ちるのを聴く。
シューベルトのこの部分の音楽は、
シラーの第三者のナレーションに相当する。
もう一つの音楽遷移の後で、リブレット作者は、
メロスが彼を救ってくれた感謝を心から神に表明する時、
彼が体験したすべてが聴く者に分かるように、
その言葉の中に含めて説明させるという仕掛けを用いているのである。
そして、メロスは、導入部のテーマやモティーフを、
改めてアリアで再現させて、再び心理的恐怖を表現する、
彼の友人に感謝を述べ、短い空白があるが、
彼もオーケストラも、強奏と急速な音階で競うようになり、
出来るだけ早く戻る望みが、その言葉と、走る行為によって描き出される。」

この部分、実は、いろいろなことを考えさせられた。
つまり、「走れメロス」の中で、執拗に描写されていた、
結婚式の様子や、氾濫した川の様子が、前奏曲のような部分で表され、
体験談がアリアの形で歌われる。
太宰治が、これでもか、これでもか、と書いた部分は、
力作ながらも、序奏で片付けられてしまっている形である。
そう、舞台上で、結婚式を再現するのは、
あるいはコスト的に合わないと判断された結果もあるだろうし、
濁流渦巻く川を再現させるのも、この時代は大変だったであろう。

音楽は、想像力で、これらを眼前に繰り広げるための幻燈だったともいえる。

歌われている内容は、こんな感じ。
「導入とアリア:
神よ、感謝します。
天国に至るまで感謝します。
あなたの永遠の王国でも!
すべては決定され、戦い、
救われ、成し遂げられました。
天上の力に感謝します。
神の言葉に従って、
私はここまで来ました。
おどおどと見てみると、
橋は崩れ、
水の墓標に落ち込みました。
私は叫び、もがきました。
狂乱と絶望で駆け出しました。
帆船を探しました、
私を目的地まで乗せてくれるような。
しかし、何も見えません。
私は向こう見ずにも、
水に飛び込み、
何とか救われました。
半狂乱で腕を振り回し、
この苦難は去りました。
崩壊した川もなくなり、
私は走れます。
彼を救うために。
愛する我が友。
呪われたくび木から、
その死から、
早く、早く、
私は彼を救うために走ります。」

この部分は、「走れメロス」と呼んでもよい内容である。
具体的な文言も、太宰の作品と変わらない。

さて、以下が、このハイペリオンのCDの最後、
トラック14の解説となる。

「メロスの第二の大きなシーンは、
彼が人質を救うための旅における、
さらなる痛々しい障害を描写しており、
これは、第二幕のフィナーレを形成している。
グリルパルツァーが呼んだところの、様々な『音楽的散文』、
特に、シラーのバラード『人質』や、『潜水者』のような、
バラード風のものより、シューベルトはここでは、
ずっと感情の表現を抑えている。
これは、オペラにおいては場違いなのであろう。
盗賊との格闘における熱狂シーンの交錯ではなく、
彼の勝利を歌うことにして、さらに、砂漠でのこの主人公の感情を歌わせ、
すっきりしないながらも、効果と意図をバランスよくして、
シューベルトは音楽的な統一感を出そうとしている。
すべての危険を克服したメロス。
かれの成功裏での課題遂行を告げるように、
この幕の最初がそうであったように、
オーケストラは、エネルギッシュな爆発的進行で、
この幕を閉じる。
音楽的にも、この交響的な部分は、
オペラに登場した他の動機や、終曲の動機を引用して大きく広がる。」
まことに力づよい音楽で、この録音が、
初録音というのは信じがたいほどの充実感である。

饒舌な太宰の文章に、
この表現力豊かな音楽を響かせるのは面白いかもしれない。

「これらはライトモティーフではないが、
我々には、すでに親しいものとして響く。
冒頭で、例えば、盗賊との戦いの間、
第二幕の序奏の激しい雨の引用があり、
これがまた、暴君のあざけりや笑いを想起させる。
もうひとつのメヌエットのメロディが、
イ長調で2、3小節引用されるが、
これは一転して、結婚式のまぼろしとなる。
さらに、同じ調、同じ楽器によって、
ほとんどそのまま引用される音楽を使って、
メロスが、無事に川を渡り終えた時に、
発した喜びの叫びが回想される。
それから、メロスの最初のアリアで、
不幸に苦しんだときの、
打ち付けるようなテーマの反復が続くが、
今やこれは、草木を打ち枯らすような酷暑を表し、
さらに展開され、変形され、もう一つのシューベルト作品、
つまり、シラーのバラードによる歌曲の引用が導かれる。
この歌で、ナレーターは、銀色に輝く、
彼の命を救った泉の水のかすかな音を表現したが、
これはピアノ伴奏に反映され、オペラでは、
ほとんどそのまま、ヴァイオリンとオーボエの、
ささやきに置き換えられている。
こうした音楽と劇の結合のテクニックによって、
シューベルトは、当時の通常語法に従いながら、
我々が偉大なロマン派オペラやワーグナーで出会うような、
ライトモティーフと見まがう技術を習得した。」

曲は激烈なオーケストラの描写の後、
バリトンが、比較的穏やかな歌が続く。
ここでの歌の内容は、
「情景とアリア:
おお、天国の静けさ、祝福された平和。
この一日、いかに恐ろしい夢だっただろう。
次々に起こる脅威が私をつぶそうとしたが、
何とかそれに打ち勝った。
神を祝福せよ、私はまだ立っている。
征服され、救われ、敵は倒れた。
恐ろしい戦いの中、征服され、救われた。
感謝します、おお、無限なるものに感謝します。
私の心の、すべての愛の力に。」

ここから、蜃気楼を見ながら彷徨うような、
朦朧とした曲想となる。
「それにしても、この暑さが私を焼き尽くす。
何という消耗、戦いの憤怒が私を焼く。
愛する神よ、私は死にます。
ああ、あなたは私を助け、救ったが、
何という苦痛、何という。
私はこの渇きの中、ここで死ぬのでしょうか。
愛する神よ、私は死にます。
私はここで朽ち果てるのでしょうか。
同時に我が友も死ぬ。
ああ、何という暑さが私を焼くのか。」

すると、解説にもあったように、
ヴァイオリンの漣に乗って、
オーボエが湧き水を描写する。
「おお、創造主よ。全能の者よ。
波打つ川があるのですか。
その川面には生命が宿る。
私を消耗させた火を消して下さい。」

いきなり元気になったメロスは、
ここで飛び起きたのか、
胸が詰まるような切迫感で、
元気いっぱいの歌を歌う。
「すぐに今、すぐにあそこに。
愛の力が私を引き寄せる。
不安な気持ち。
私が遅れると、
ああ、慈悲深い神様、
彼は無慈悲にも死ぬのです。
ゴールが手招きするのが見えます。
神聖なる献身の、驚くべき感情よ。
すぐに今、すぐにあそこへ。」
オーケストラの後奏も、メロスが駆け出す様を表現して爽快だ。
あるいは、この部分も、また、「走れメロス」に転用可能な、
歌詞内容と言えるだろう。

得られた事:「当時、音楽はスペクタクルの描写には、欠かせない大道具であった。」
その2:「シューベルトの『人質』は、太宰治の『走れメロス』と同じ内容ながら、主人公は性格からしてまるで違っているのには、ちょっと違和感。」
by franz310 | 2008-02-03 13:44 | シューベルト
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