人気ブログランキング | 話題のタグを見る
excitemusic

クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
ICELANDia
カテゴリ
以前の記事
2023年 01月
2022年 08月
2022年 05月
2022年 04月
2022年 03月
2021年 08月
2021年 07月
2021年 03月
2021年 01月
2020年 11月
2020年 10月
2020年 09月
2020年 06月
2020年 05月
2020年 04月
2020年 03月
2019年 12月
2019年 10月
2019年 08月
2019年 06月
2019年 05月
2018年 05月
2018年 03月
2017年 10月
2017年 08月
2017年 05月
2017年 01月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 09月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
フォロー中のブログ
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その107

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その107_b0083728_20302979.jpg個人的経験:
前回取り上げた
新しいCDとは別に、
似たような趣向の、
シューべルトの
オペラの抜粋のLPが、
フィリップスから出ていた。
これは日本盤もあったから、
多くの人が耳にした
はずのものである。

ジャケットデザインも、しゃれていて、
日本盤には書かれていないが、
「A.Vissersのコレクションによるミニチュアシアター」とある。

老人と、若い娘と男が配置されているので、
「アルフォンゾとエストレッラ」の、
老王フロイラと、主人公たちと見ることも出来ようが、
アルフォンゾがこんな髭面だとしたらがっかりである。
あるいは、この髭面はエストレッラの父、
フロイラから王位を奪ったマウレガートと見た方がよいかもしれない。
とにかく、古雅な感じもよいし、ここからいろいろ想像できて良い。

しかも、ソプラノにアーメリング、指揮はワールトで、
そこそこ売れる条件を備えている。
スター歌手であるアーメリングが歌いまくるわけでもなく、
スウェーデンのテノール、アーンシェーが、
デュエットを聞かせてくれるのがまた良い。

さらに、解説は、モーツァルトの研究で有名な、
エリック・スミスが書いているという豪華版。

「シューベルトは、舞台のために、
少なくとも17の作品を作曲、または、手がけた。
そのうちの三つ、
『ロザムンデ』、『魔法の竪琴』、そして『双子の兄弟』は、
彼の生前に何度か演奏され、
残りの『家庭争議』が一度ならずも演奏されているとはいえ、
一つか二つの序曲や、『ロザムンデ』の舞踏音楽以外は、
シューベルトの歌曲愛好家の多くにとっても、
これらすべて、知られざる領域として残されている。
マイヤーホーファーやショーバーなど、親切な友人たちなど、
シューベルトの台本作者の多くが、あまりにも不適当であるばかりか、
彼自身、ドラマティックな形式への経験がなかったことから
そこには真の意味での傑作がないからと、即答すれば良いのかもしれない。
すべては、あまりもしばしば、
その天才から離れた要素に、シューベルトが注力しすぎたからで、
1823年、ウェーバーの『オイリュアンテ』の年に書かれた、
最後の完成作においても、モティーフによる、
通作形式のドラマティックなシーンやレチタティーボがあるばかりで、
アリアがほとんどない。
不幸なことに、彼は自身の作品の実際の上演や、
歌手やステージと契約するような経験から学ぶ機会がなかった。
それさえあれば、ウェーバーとともに、
ロマン派ドイツオペラの創始者となったかもしれない。
十分、予想されるように、その音楽の最高のものは、
叙情的な部分にあり、このアンソロジーの大部分は、
これらを集めて作られている。」

「1815年、18歳の誕生日の年、
シューベルトは真剣に作曲家として船出した。
歌曲や四重奏曲から離れ、ミサを書き、
二つの交響曲、いくつかのピアノソナタ、
7つのオペラの断片を残した。
その中の一つ、テオドール・ケルナーの台本につけられた、
『四年間の歩哨勤務』である。
村娘と結婚するために脱走した歩哨が、
4年後に軍隊が戻って来たときに、
制服を再び着用した。
彼は、誰も任を解いてくれなかったので、
ずっと歩哨の任務を続けていたと主張し、
うまくやってのけるという筋で、
序曲は、有名な二つのイタリア風序曲の先駆となっている。」

解説においても、「大部分は」叙情的な部分からなる、
と注釈されていたが、このレコードは、
このように歌のない、純粋な管弦楽曲なども収録して、
プログラムに変化をつけているのが魅力である。

ホルンが遠くから聞こえてくるロマンティックな冒頭から、
我々をひきつけるもので、
田園風景が想起される木管の軽妙な主題も心ときめかせてくれ、
単にイタリア風序曲と比較する以上の魅力を感じてしまう。

「彼は次に、ゲーテのジングシュピール、
『ヴィッラ・ベッラのクラウディーネ』を取り上げ、
おそらくこれまで書いたもののうち、
最良の舞台作品3幕を完成させており、
確かに価値ある台本に書かれた唯一のものである。
しかし、第二幕、第三幕は、
シューベルトの奇妙な友人、
ヨーゼフ・ヒュッテンブレンナー
(彼のところから、『未完成交響曲』はかろうじて救い出された。)
が保管しているうちに、焼けてしまっている。」
この部分、私は、非常に面白いと思った。
何と、友人のヒュッテンブレンナーが、
わざとオペラを焼いたり、交響曲を隠したりしているような、
意味ありげな書き方ではないか。

「第一幕から、小さな形式ながら真の完成度をもつ二曲、
クラウディーネの『愛はすべての道をさまよっています』と、
おきゃんなルツィンデの『あちこちで矢が飛んでいるわ』を、
録音している。ペータース版のピアノ編曲ゆえに、
両曲ともよく知られたものである。」
実際は、序曲の次には、「サマランカの友人たち」からの二重唱が来るが、
解説は作曲順に進行するようである。
ちなみに日本盤も同様の措置であるが、
スミスの訳文ではなく、日本の大家、石井不二雄氏が、
丁寧でより詳しい解説を書いている。

このアリアも、実際にはルツィンデの方が先に歌われている。
キューピットの矢に当たらないように気をつけなさいという内容。
一方、クラウディーネは、愛と誠について、教条的な箴言を歌う。
いずれもあっけないほどにすぐ終わってしまう。

「『サマランカの友人たち』は、音楽ナンバーのみが残っている、
マイヤーホーファーのリブレットによるものである。
これはロマンティックなコメディであり、
見せかけの誘拐や、女相続人の救出が含まれている。
デュエット『』は、恋愛を賞揚する田園詩で、
オープニングのテーマは、シューベルトが9年後に、
『八重奏曲』の変奏曲の主題として使ったことから、
良く知られたものである。」
八重奏曲の解説には必ず出てくる話なので、
この大きなオペラから、この部分をうまく取り出してくれたのは、
大変ありがたい。
後半、二人が声を合わせるところは、
むしろ、「ます」の音形が聞こえるという人もいるほど、
前半とはうって変わった軽快な音楽となる。

「1816年、彼はシラーのバラード『人質』の物語に基づく、
3幕のオペラの大部分を書いた。
暴君ディオニュースを殺そうとして捕らわれたメロスは、
処刑の前に家に戻ることを許される。
彼の友人、テアゲスは、彼の保証人となり、
メロスが現れない場合、代わりに死ぬことを覚悟する。
最後には、メロスは、ここで、音楽で描かれるような苦難の道を越えて、
時間ぎりぎりに戻って来るが、
それが暴君の心を動かし、彼を許させることとなる。
その間、しかし、テアゲスの妻、アンナは、不安にさいなまれる。
この抜粋の中で、我々は、
小さな童謡を子供たちに歌う情景、
(ロマンス『母親がかわいい子を探しています』)
それから、シューベルトが真のドラマティックな表現力を見せる、
悲痛なアリア、『何という夜を過ごしたのだろう』が続き、
最後に、彼女を慰めるテノールの友人と、子供たちの四重唱が、
(アンサンブル『お母さんのため息を聞いてください』)
長く、シューベルトらしいメロディを奏でる中に、
彼女の姿を見ることができる。」
つまり、これは主人公メロスではなく、
その友人の妻にスポットライトを当てた企画となっている。
前回取り上げたバリトン・アリアは、メロスのアリアなどが、
多数収録されていたので、これらを合わせて、
この未完成作品の全貌を空想することが可能である。

最初の曲から、テアゲスの子供たちの役、
愛らしいボーイソプラノが、澄んだ声を響かせて、
独特な効果を上げている。
ここでは、まだ、夫の運命を知らないのであろうか、
テアゲスの妻は、物語とは無関係な、物語を歌って聞かせている。
無邪気な子供たちは、それに単純に反応してリフレインしているだけである。
音楽も純朴な優しさに満ち、それがまたほほえましい。
とても清らかなもので、もっと聞かれてしかるべきものである。

二曲目は、テアゲスが処刑されてしまう妄想に苦しむ妻の姿で、
声の限りに縦横無尽に歌い継ぎ、オーケストラも雄弁、
緊迫感に富んだ情景。

最後の曲は、錯乱する母親を、いたいけな子供たちが、
宥めるように歌いだされるが、まるで、宗教曲の一節のように、
厳かな感じを出している。

「友達の代わりにお父さんが死ななければならないのだ。
心の底からメロスが憎い。」
当然のことながら、憎むべきはメロスである。
が、こうしたシーンで予想されるような絶叫はなく、
そうした点が、シューベルトが、
どうしても踏み外せなかった点かもしれない。
が、これはこれで、押し殺したような表現でリアルである。

そこにフィロストラートゥスというメロスとテアゲスの友人が現れ、
朗らかに、「メロスは誠実な友人です」と歌う。
「彼は友人の生命を救うためなら、
十度でも自分の生命を差し出すだろう」という合唱で、
このアンサンブルは終わるが、
このような言葉には、本当にシューベルトの仲間たちを、
髣髴とさせるような雰囲気が感じられる。

「1819年に、ケルントナーシアターはシューベルトに、
フランスものをG・E・フォン・ホフマンが改作した、
ジングシュピール『双子の兄弟』の作曲依頼をした。
シューベルトの友人で優れた歌手であったフォーグルが、
双子の役を受け持った。
(彼らは傷病兵で、一方は右腕を吊っており、
もう一方は左手を吊って、
すばやい役の交代が容易にできるようにしている。)
シューベルトは、このいくつかの公演にわざわざ臨席することもせず、
この有り得ないばかばかしい物語に、うんざりしたかもしれない。
しかし、それでも、彼は楽しいアリア、
『お父さんはいつまでも私を子供と呼ぶといいわ』を書いた。
これは、若い女性が最初に愛にうちふるえる感じを表わした、
生き生きとして愛情のこもった習作で、軽い歌曲の魅力のみならず、
巧妙な楽器法の魅力も有するものである。」
今回は、アーメリングの歌。
前回のドナートよりも、軽く、小気味よい歌となっている。

「1822年の二月、シューベルトは、数ヶ月の格闘ののち、
友人ショーバーのロマンティックな台本による、
これまででもっとも野心的なオペラ、
『アルフォンゾとエストレッラ』を完成させた。
この中で、おそらく最も優れた部分は、
ここにすべてを収録したもので、ここで、
王位を追われたトロイラの息子、アルフォンゾが、
森に迷った、強奪者の娘エストレッラと出会う。
彼らは、新鮮で愛情のこもった音楽、
つまり、三つの二重唱と二つのアリアで恋に落ちる。」
このオペラについては、日本盤では、石井不二雄氏が、
初演者リストの言葉を取り上げたり、沢山の言葉を使っている。
リストは、個々の歌に集中して、全体としての盛り上げが出来なかったのが、
この作品、シューベルトの弱点だと書いているようだ。

このレコード、主人公による二重唱「岩と森に囲まれて」、
レチタティーボとアリア「どなたですか美しい方」、
二重唱「親切に姿を現してくださって」
アリア「いつまでもここに留まって」
二重唱「あなたに思い出の印として」
という5曲を連ねて、約1/4は、このオペラに捧げられている。
大オペラではあるが、森のメルヒェンといった感じである。
道に迷ったエストレッラの彷徨も、シリアスなものではなく、
ちょっと牧歌的である。

4曲目の美しいエストレッラのアリアでも、
「城壁の中では術策と暴力が住んでいます」
とあるように、森の中での小川の流れ、
緑と小さな花々を愛でて、人間の住む場所を嫌い、
この時代の閉塞感と、現実逃避的要素を感じさせる。
管楽器の伴奏や、弦楽の陰影は、とてもデリケートなニュアンスで、
名作「ロザムンデ」が好きな聴衆なら満足できるものである。

「シューベルトの最後の三つの舞台作品、
『ロザムンデ』、『陰謀者たち』、『フィエラブラス』
は1823年に書かれた。
J・F・カステッリによる一幕の喜劇は、
アリストファネスの『女の平和』によるものだが、
十字軍の時代に置き換えられていて、
比較的後期という作曲の時期から予想できるような、
音楽水準とは違うとはいえ、
何度も上演されてきたオペラである。
へレーネ公爵夫人のロマンス、
『私は気がかりでそっと忍び歩きます』は、
クラリネットとバスーンによって、
暗い色調を与えられ、表現力に富む小品。」
この「陰謀者たち」または、「家庭騒動」は、
1枚のLP、CDで気軽に聞けるし、非常に軽快な音楽が楽しい。
ここで取り上げられたアリアは、
新婚の若妻が、戦地に赴いた夫を想って、
「あなたは外国で何を探しているのですか」
と嘆く歌である。

「この小さなセレクションは、シューベルトのオペラに含まれる、
さらなる宝を味わう欲求をかきたてるだろう。」
このようにスミスは結んでいるが、まったく、そのとおりで、
とても楽しんで聴きとおすことが出来た。

さて、前回紹介した、シューベルトのオペラ・アリア集の解説は、
先のスミスのものとは、かなり違った視点で書かれていて面白い。
その解説も、ここで併録しておこう。参考になる。

「『シューベルト氏が彼のために重要な作品を書いた、
フォーグル氏はステージを去ることを決めた。
そして、それは、演奏に影響なしには終わらないだろう。』
このように、ヨーゼフ・ヒュッテンブレンナーは、
シューベルトと、彼のあるオペラに対し、未出版の記事に書いた。
1822年の終わりに、54歳になった、
有名なバリトン、ヨーハン・ミヒャエル・フォーグルは、
ヴィーンのホーフオペラを去り、もっぱら、シューベルトの歌曲に専念した。
作曲家の野心的なオペラ・プロジェクトは、突然、予測なく座礁したように見えた。
当時としては極めて異例なことながら、
オペラ作曲家としてのシューベルトは、最も特徴的な役割を、
バリトンの声で想定した。
シューベルトはまた、大部分の歌曲をバリトンのために書き、
フォーグルや特に、カール・フォン・シェーンシュタインは、
ともにバリトンで理想的な解釈者だったが、
これは、あまり普通のことではなかった。」

ということで、シューベルト作品の異質性が、
その主役の声の扱いという着眼点から書かれている。

「シューベルトの友人のヨーハン・マイヤーホーファーや、
ヨーゼフ・フォン・シュパウンは、共に、
1811年頃、作曲家が最初にオペラを見たときのことを、
記憶の中に思い出しており、例えば、
ヨーゼフ・ヴァイグルの『スイスの家族』や、
グルックの『タウリスのイフェギニエ』を見たとき、
ソプラノのアンナ・ミルダーのみならず、
フォーグルの演じ、歌った、ヤーコブ・フォン・フライボーグや、
オレストの役柄に対して感涙した。
これがおそらく、彼があまりにもしばしば、
彼のオペラの主役にバリトンを好んだ理由であろう。
よく言われることだが、作曲家が役を構想する時に、
歌手は重要な部分を占めており、
フォーグルは、ヴィーンのオペラのために書いた作曲家の多くに、
霊感を与えていた。
ヴィーンのオペラで歌う、他のバリトンについて、
シューベルトによる、オーセンティックな資料は残されていないが、
歌曲の歌手としてはフォーグルより、シェーンシュタインを、
高く評価していたことは確かであるが、この人はオペラには出なかった。
しかし、非常に傑出したコミック・バスのルイジ・ラブラッキのためには、
シューベルトは、異常な成功を収めたロッシーニのイタリアオペラに、
明らかに影響を受けた三曲の歌を書いている。」

「ウェーバーの『オイリアンテ』(1823)の、
リシアートを含む役を演じた、
同様に人気のあったバリトンのアントン・フォルティは、
ヘルミーナ・フォン・シェジーによると、
ホーフオペラで最も劇場の才能に恵まれた歌手で、
ドイツオペラの特徴たる伴奏なしの独白を、
始めたのはこの人かもしれない。
シューベルトは、『フィエラブラス』の主役ローラントのパートに、
この人を想定したようである。
フィエラブラス自身はテノールパートだが、
ワーグナーのリエンツィのような役をこなす、
むしろ、荒々しいヘルデンテノールのようなもので、
フロレスタンを歌うようなリリックなテノールではないだろう。」

「ここでしばらく、シューベルトのオペラ作曲家としての発展を簡単に考察しよう。
彼は父親に音楽を学び、しばらく少年合唱団で歌ったあと、
1812年頃から、ヨーロッパ中で名を知られた王室音楽監督の、
アントニオ・サリエリ(1750-1825)に音楽教育を受けている。
オペラ作曲家としてのキャリアを歩むことは、初めから想定されており、
シューベルトとその友人たちは、大きな期待を寄せていた。
彼は、ここから富と名声を手早く手にすることを期待していた。
『シューベルトに君の台本を手渡せば、君の名前は全欧州に知れ渡るぞ』
と、ヨーゼフ・ヒュッテンブレンナーは、1819年、当時20歳の弟、
ハインリヒにアドバイスしており、『それで一儲けだ』と付け加えた。
こうした言葉はシューベルトの友人たちの素朴な合言葉であって、
彼らはオペラの形式などはすぐにマスターできると確信していた。
すでに沢山の詩やドラマのスケッチを書き、
あるものはすでに出版さえしていた、
こうした若い詩人たちは、
ホーフオペラや郊外の小劇場の天井桟敷に座ったという以上の劇場経験を、
ほとんど持たずして、流行の英雄的な壮大な、
さらには、大英雄ロマンティックオペラの台本を手に染め出した。」
こう書かれると、
シューベルトは才能ある友人たちのサークルに入っていた、
というよりも、
シューベルトの才能に才能たちが集まって来たという風に読める。

「しかし、シューベルトの友人たちには、
壮大なアイデアがあっただけではなく、
最近発見された下記資料のように、オペラなども含めて、
彼らはシューベルトの作品を広めるのに出来ることはすべてした。
シューベルトの友人、ヨーゼフ・ヒュッテンブレンナーの、
1823年の新聞記事への下書きは、シューベルトの、
オペラ作曲家としての才能の詳細に踏み込み、
このジャンルにおけるシューベルトの優れた点を、
熱心に紹介している。
彼は、我々にこのようにシューベルトを紹介している。
『シューベルトは前年、彼の友人、
フランツ・リッター・フォン・ショーバーの
素晴らしいテキストによる、“アルフォンゾとエストレッラ”という、
3幕レチタティーボ付のグランド・ロマンティック・オペラを
書いて提出している。』
これは、この最も野心的なシューベルトのオペラにサブタイトルをつけた、
我々の時代に残された当時唯一の資料で、
ここには、独白のないタイプのオペラであるという、
明白な記述がある。
ヒュッテンブレンナーは、
シューベルト-ショーバーの友達関係を、
強調しすぎるのは、賢明だとは思わず、
また、他の権威を引用したかったようで、
彼は上記センテンスをこのように書き換えた。
『シューベルト氏は、ここで、オペラに対する、
自身の素晴らしい才能を、ありあまるほど見せている。
スコアを見て、このオペラを、
シューベルトが演奏するピアノで聴いた幾人かの専門家は、
この音楽の美しさを熱狂して語った。』
さらに、ドレスデンのカール・マリア・フォン・ウェーバーを想定し、
『有名な海外の劇場もシューベルトと交渉している。』
とし、彼がこの作品に助力することを約束したことを書いている。
最後のヒュッテンブレンナーはその視野を広げ、
あえて、大胆な予測を行っている。
『もし、誰かがシューベルトが歌曲で達成したことから、
オペラで到達したかを推し量ろうとするならば、
また、これらのジャンルでモーツァルトとベートーヴェンと、
シューベルトを比較するならば、
彼がこの二人に匹敵することを確信するであろう。』
フォーグルの絶対的な支配権(彼は広く尊敬を集め、愛され、
シューベルトとの分かちがたい尊敬を楽しんでいた)は、
1818年から1823年までの重要なバリトンの役柄は、
基本的にフォーグルを想定し、彼の声を考慮して作曲されたことを意味する。」
ここで書かれた先のヒュッテンブレンナーは、
ひたすら、シューベルトに献身的にも見える。

「ここでは、バリトンの役が、明白にフォーグルのために
書かれたことを議論することが必要なのではなく、
下記の個々のアリアのそれぞれについて、
さらに詳細なコメントを行いたい。
しかし、シューベルト円熟期の作品には、
重要なバリトンの役は見られなくなることを、
ここでは簡潔に述べておこう。
『陰謀者たち』のようなアンサンブル・オペラでは、
内面の葛藤に駆り立てられるようなバリトンは
もはや主役として発展することはなく、
その代わりにコミカルなバスの役割があるのみである。」

「友人のレオポルドの兄弟で、ホーフオペラの演出家であった、
ヨーゼフ・クーペルウィーザーの『英雄ロマン的』台本による、
次のフルスケールのオペラ『フィエラブラス』では、
明らかにフォーグルが劇場から引退した最初の作であることが見て取れる。
ローラント役のバリトンは、
もはや、アリアも、実際的な意味でそれに相当する独唱もなく、
ここからも、ホーフオペラには、すでにシューベルトが
特別な声楽的、ドラマ的なクライマックスを作曲したいという、
霊感を与えるような、バリトンが残っていなかったことが分かる。
台本のいくつかの状況では、アンサンブル(No.4)や、
エギンハルトが歌い始める第二節をローラントが歌い継ぐなど、
(台本では実際、ローラントが歌い始める!)
ローラントに独唱シーンを与えることも可能だった。
もっと一般的なキャスティング、
つまり、フィエラブラスがバリトン、
エギンハルトとローラントがテノールだったら、
このオペラが、もっとレパートリーに、
残るチャンスがあったのではないかと推測する。」

あの名作、五重奏曲「ます」にしても、
チェロのパウムガルトナーはじめ、
素晴らしい演奏家たちが、シュタイアーの街に揃っていたからこそ、
成立したのかもしれない。

「『フォン・グライフェン伯爵』では、
理想的な解釈者とされたシェーンシュタインを除いては、
すでに、シューベルトは特別な歌手を想定していない。
この時期のホーフオペラは、特別有名なドイツ物のレパートリーはなく、
ヴィーンのみを想定したオペラなどは無意味だったのかもしれない。
しかし、バウエルンフェルトの台本やシューベルトのスケッチを
見る限り、ここでは、ロマンティックオペラの重要なバリトン役の伝統が、
主役に維持されているようである。
このオペラは、他のシューベルトの多くの作品同様、
その時代の因習を無視してはいないにもかかわらず、
もし、これが生前に完成していたら、
それらを超えて、聴衆や専門家の印象に、
よりよく残るところまで行ったであろう。
31歳の年、シューベルトはオペラ作曲家として認識される、
まさしく出発点に立っていたのである。」
確かに、このCDを聞いていると、
「グライフェン伯爵」のところまで来ると、
何か、風景が変わったような印象を持った。

得られた事:「シューベルトの舞台音楽の多くがフォーグルの声を想定したように、『ます』の五重奏曲もまた、すぐれた演奏家の存在なしには成立しえなかった。」
by franz310 | 2008-01-26 20:44 | シューベルト
<< 名曲・名盤との邂逅:1.シュー... 名曲・名盤との邂逅:1.シュー... >>