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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その102

b0083728_2273333.jpg個人的経験:
ここしばらく、
シューベルトと、
その友人たちを、
夢中にさせたと
思われる、
ロマン派の詩人、
シュレーゲル兄弟
について、
取り上げて来た。


が、実は、ハイペリオンのCD解説にはまだまだあって、
グレアム・ジョンソンは、シュレーゲルと、
シューベルトの友人たちとの関係を、
まとめた記述も行っているのである。

しばらく読むと、ここにも怪しい話が出てきて驚いた。

「シューベルトのサークルを最もひきつけた、
(後にシューマンもひきつけた)
『ルシンデ』や『アテニウム断章』は、
あからさまな修正主義によって、シュレーゲル全集から削除された。
しかし、最も新しい文学上の展開の前線にでもいない限り、
シュレーゲルの心境の変化は知りうるべくもない。
とりわけ、リベラルで国際的なシンパシーを持った人物が、
いかにして、かくも堅苦しい人物になってしまったのかを、
どうすれば知ることが出来よう。
人は、詩人の初期の作品を読んでいた頃、
シューベルトがいかにシュレーゲルに会いたがっていたかを、
推測するのみである。
どうやって、そして何時、それが可能となったかは、
作曲家と詩人が結局会ったことがなかった、
という資料がないので、証明することは難しい。
しかし、多くのシューベルトの友人たちが、
シュレーゲルとコンタクトしていたかを、我々は知っている。
ロザムンデの作者、ヘルミーナ・フォン・シェジーは、
転向前のパリ時代の教え子の一人であったし、
マティアス・フォン・コリン、カロリーネ・ピヒラー、
クレイガー・フォン・ヤッケルッタは、シュレーゲルと、
一方的な、または双方的な交流を持っていた。
1876年のような遅い時期に、
フランツ・フォン・ショーバーは、
シューベルトのD732の『アリフォンゾとエストレッラ』の台本を、
褒めてくれたと言っている。」
何となく、ロマン派の文学と音楽には、相当の時期の隔たり、
場所の隔たりがあるように感じていたが、どうやら、
かなり近接した活動だったようだ。

「ある事実がある。
1827年までに、シューベルトの友人、ヨーハン・ゼンは、
フランツ・フォン・ブルッフマンに興奮した文通を行い、
改心したシュレーゲルを、いかさま師、ペテン師と、
はっきりと告発している。
これがシューベルトサークルの一般的な見方であって、
当然、後期のシューベルトのキャリアにおいて、
シュレーゲルはまったくいかなる役割も演じなくなってしまう。
1827年6月、ブルッフマンのジュリエッタ・フォン・ウェイローターとの、
不幸な結婚の場には参加していたシュレーゲルなのだが。」
気になるが、この不幸な結婚が何であるかは、書いていない。
他の資料には、息子の生後一ヶ月で、奥さんが亡くなったとある。

以下、最新のシューベルト研究の成果に触れる記述が頼もしく、
こうした部分が、このシリーズを価値あるものとしている。
「私たちは、傑出したシューベルト研究家、Susan Youensの教え子、
Lisa Feurzeigが、この領域の魅力的なリサーチ、
特にゼンとブルッフマンの間の激しく強烈な友情に関する研究を、
大々的に公開してくれたことに感謝したい。
これは全シューベルトサークルにおいて、重要な意味を持ち、
シュレーゲルのサークルに繋がる糸にも繋がっているのである。
Feurzeigも結論づけるようなリンクの証拠は持ち合わせていないが、
シューベルトがシュレーゲルと遭遇したが、
共感することはなかったという興味深い可能性は、
ほぼ確実なようである。
かつてはシューベルトのサークルで愛された、
複雑で繊細な青年、ブルッフマンは、
シュレーゲル自身の転向の影響を受け、
彼の昔の友人たちのライフスタイルを、
激しく拒絶したということである。
ブルッフマンが、
シュレーゲルの影響を受けていたことは疑うべくもなく、
『新しい異端者の時代の偉大な汎神論者』に対する
解毒剤のような、後期の彼の書き物
(それ自身シュレーゲルにインスパイアされた)は、
自虐的になったブルッフマンによれば、
友人たちのサークルには受け入れられなかった。
その論文において、Feurzeigは、
シュレーゲルの動物磁気のヒーリングパワーの処置の実施に関する
さらに興味深い情報を付け加えている。
これは、フロイトの治療法を余地させる、
その時代特有の現象である。」
NAXOS盤では、交霊術を行っていたシュレーゲルが、
このハイペリオン盤では、磁気治療の医者となっているのである。
いったい、どっちが本当なのだろう。
こっちの方が、研究者の名前付きなので、信用がおけるが、
あるいは、交霊しながら、動物磁気の火花を散らしたとも考えられる。
いずれにせよ、怪しい世界であることに違いはない。

「そして、シューベルトも、
ショーバーのガールフレンドの一人、
マリー・スミスという名前の女性を通して、
精神をわずらっていた彼女の治療に立ち会う形で、
こうしたことに参加していた可能性がある。
ジャスティーヌ・フォン・ブルッフマンと、
フランツ・ショーバーの関係の破局にも疑問がある。
後者は、ブルッフマンの友人であったが、
新しいカトリックの教義に照らして改宗者の目で見ると、
彼は悪魔の化身に見え、ブルッフマンは、何のためらいもなく、
無慈悲にもこの結婚をやめさせた。
こうした出来事の背景のどこかに、
フリードリヒ・フォン・シュレーゲルの影があって、
ピリオドを打った宗教的反動の力を現す黒幕タイプで、
これは、気前のよい若者が、厳しい当局の要職についた時に起こる、
典型的な変化である。
ブルッフマンは、何かセクシャルな罪の意識を持っており、
(手紙で遠まわしに触れられているのは、
シューベルトのサークルに一定のモラルがあった証拠であろう。)
昔の友人たちの振る舞いに、
我慢できない一人よがりと押し付けで、激怒していた。
それは、ゲーテをそのパンテオンから掃きだすほどだった。」
シュレーゲルも転向し、ブルッフマンも転向したのであろう。

「シューベルトがシュレーゲルを目の当たりに見たのだとしたら、
いかに彼は失望したことだろう。
そこには、おそらく、『夕映え』の詩人の面影はなかっただろうし、
むしろ、彼は、改宗した偏狭で風変わりな人、
つまり下記のような人間となっていた。
世俗的な力を完全装備することをあからさまに好む、
精神的法悦を求める男。
かつては大胆にまで論理的だったのに、今や、モーツァルトの、
『コシ・ファン・トゥッテ』の昔からパロディ化されている、
磁気の呪文を唱える男。
かつては、広く開いていたその扉を、
ぴしゃりと閉じてしまおうとしている男。
さらに、シュレーゲルには性的に偽善者だった証拠があり、
精神的に若い女性を、ヴォルフの『イタリア歌曲集』の、
死んだ少女の告白にあるような偽坊主のような手段で、
助けていた。
手短に言うと、帰化したヴィーン人、シュレーゲルは、
シューベルトやその友人たちが忌み嫌っていた、
オーストリア当局の全てを表わしていた。」
かつての英雄、フリードリヒ・シュレーゲルも落ちたものである。
とはいえ、これだけの矛盾も平気で生き抜けるくらいでないと、
貴族には列せられなかったであろう。

「そのリアクションが、ゼンの場合ほど激しいものではなかったにせよ、
シューベルトは、シュレーゲルを、少なくとも完全なる退屈と、
見なしたかもしれない。この作家の昔からの友人と一緒になって。
これと同様の心と方向の変化は、多くの作家にも幾度も繰り返されただろうが、
当然、シュレーゲルほど急激なものはなかった。
多くの昔からのファンは失望し、裏切られ、
英国では、Malcolm Muggeridgeや、それより若いPaul Johnsonだけが、
改訂版になったあとも、変わらず彼を好きだった。
宗教的な行動から、シュレーゲルの文化に対する貢献を、
ぼかすべきではない。
この貢献は、実際に一人の男が達成したものであって、
その初期に練り上げられた理論によって、
すべての種類の予期せぬ方向に果実を育んだのである。
ベンヤミン、ルーカスとアドルノの
ネオ・マルキシズムはシュレーゲルに範を求めていたし、
近年のトレンドであるフェミニズムや、文学解体の理論同様、
Szondiの文学理論、ディルタイやガダマーの哲学などがそうである。
フリードリヒ・フォン・シュレーゲルの最も不滅の印象は、
絶え間なき探求と検索、そして、
どんな量の作品や成功でも達成することの出来ない、
個人の空虚を満たそうとする無益な試みである。
ティークのような、それほど知的ではないかもしれないが、
それとは、比較にならないほど偉大な芸術家は、
アウグスト・フォン・シュレーゲルに、フリードリヒの死後、
こう書いている。
『あなたはよく知っているでしょうが、彼は、
学問や芸術においても、真実と宗教においても、
何も達成しませんでした。』
この一度は、『哲学博士』であった人は、
『カトリックの専制者』になり、
思考の世界を変節し、
継続的に役割を変えて行き、
何かになることを失敗したのである。」

このようなシュレーゲルではあったが、
彼のおかげで、シューベルトの素晴らしい歌曲が生まれたのも事実である。
「夕映え歌曲集」第一曲の「夕映え」も、印象的な名曲だったが、
終曲の「茂み」もまた、素晴らしい。

ハイペリオンのCDにもこうある。
「『茂み』は、まごうことなき偉大な歌曲である。
(a very great song)
特に、静かで、ゆっくりとLangsamという、作曲家の指示も含め、
歌うのに難しい音楽だが、詳細に研究するに値し、
シューベルトの「実験的な日々」と呼ばれる時期の中で、
もっとも高いポイントを示すものの一つである。
同様に幻視的な『夕映え』と並んで、この作品の神秘的な質感は、
歌曲集を締めくくるのに相応しい二つの「極」であり、
今日の演奏者に、シュレーゲル歌曲集の演奏の試みに駆り立てるものである。
フリードリヒ・フォン・シュレーゲルの初期の詩の熱狂的な世界に、
リスナーをひきつけるインセンティブにもなりうるもので、
シューベルトとシューマンの作品を偶然ではなく結びつける、
特別なリンクの一つなのである。」

詩は、このようなものである。
「涼しくそっとそよ風が、
暗い野原を吹き抜けると、
天空だけは微笑んで、
沢山明るい瞳を向けている。
一つの霊が動いている。
海原の轟きの中、
木の葉を渡る囁きの、
その柔らかな言葉にも。
波が波に木霊する、
精霊が秘かに嘆くところ。
言葉が言葉に連なるのは、
精霊たちが息づくところ。
こうした全ての音を経て、
大地を彩る様々な夢の中、
一つのかすかな音が木霊する。
秘かに耳傾けるもののため。」

このような美しい作品ながら、
最初に出版されたのが、1885年の、
ペータース版のシューベルト歌曲集第七巻まで、
出版されなかったというのは、いったいどうしたことだろうか。
本当に、それまで知られざる歌曲だったのだろうか。

よく分からないが、1972年に、
ヤノヴィッツが、ザルツブルク音楽祭で、
歌った時には、まだまだ、珍しい選曲だったことが、
この実況録音のCDによって、確かめられる。

ヤノヴィッツといえば、ドイツ・グラモフォンが、
フィッシャー=ディースカウのシューベルト歌曲全集を作った時に、
彼が歌わなかった女声による歌曲を担当した人として、
私の記憶に残っているが、このCDに見られるような活動の延長で、
あの仕事は行われたのであろうか。

このゆっくりした歌は難しいと、ジョンソンは書いていたが、
少し、ヤノヴィッツは、歌のスピードが速すぎるのではないだろうか。
ゲルネが3分19秒かけているところを、2分24秒で歌っている。
まだ、この歌曲の解釈が煮詰まっていない時期なのだろうか。

ゲルネやボルヘェルトが、神秘的な情感を醸し出すのに対し、
ヤノヴィッツのテンポでは、何か焦燥感のようなものが、
ドラマ性をかき立てるが、前述の内容の詩なので、
特にドラマ仕立てにしなくても良いような気もする。

さて、このCDでは、このような曲目が並んでいる。
1. 戸外にて D880(ザイドル詩)
2. 茂み D646(シュレーゲル詩)
3. 憧れ D516(マイヤーホーファー詩)
4. ギリシャの神々から D677(シラー詩)
5. アテュス D585(マイヤーホーファー詩)
以上、シューベルトの歌曲。
いずれも、一級の歌曲で、選曲も、歌唱も傾聴する価値がある。

以下、ヒュッテンブレンナーの歌曲が7曲
6. ひばりの歌、7.糸紡ぎ歌、8.丘、9.春の歌、
10.航海、11.海草、12.星《シューベルトのD939と同じ詩》
これらは、シューベルト狂の贔屓目で見るせいか、
ピアノ伴奏は活発であるものの、
口当たりのよい軽い小唄に聴こえてしまう。

最後に、また、シューベルトで、
13.川 D693(シュレーゲル詩)
14.孤独 D620(マイヤーホーファー詩)
で締めくくられる。

ちなみに、グラモフォンに録音したものは、「戸外にて」と「川」の二曲のみ。

このオルフェオ・レーベルも、
輸入CDファンには忘れられない会社であるが、
ヤノヴィッツの経歴は、こんな風によく書いてあるが、
音楽の紹介についてはいささか心もとない。

「歌曲の声楽家と彼女のパーソナルノート

グンドラ・ヤノヴィッツというソプラノの星は、
1960年代初頭に、ヴィーン歌劇場の空に上った。
ヘルベルト・フォン・カラヤンが、当時、国立歌劇場の監督で、
ベルリン生まれでグラーツに育ち、1959年にグラーツ音楽院を出た
若い歌手とElevinとして契約した。」
このElevinとはなにか分からなかったが、
下記の文を読むと、見習いかなにかのように思える。

「グンドラ・ヤノヴィッツは、長くはElevinではなく、
フィガロのバルバリーナとしてのデヴューの後、
『蝶々夫人』のケート・ピンカートン、
『トラヴィアータ』のフローラのような小さな役、
ラインの娘たちやヴァルキューレが続いただけではなく、
『魔笛』のパミーナ、『ボエーム』のミミ、
『フィガロ』のマルツェリン、『カルメン』のミカエラなどの大役を務めた。
さすがカラヤンだけあって、彼はすぐにこの若い歌手が、
彼女の声のタイプ以外の役柄にも挑戦すべきことを見抜いていた。
1964年6月、彼の指示で『影のない女』の女帝の役を歌った。
しかし、これは例外的な機会となり、
カラヤンはヴィーンを去って、
二度とシュトラウスのオペラを振ることはなかった。
しかし、グンドラ・ヤノヴィッツは、
モーツァルト、シュトラウス、そしてヴァーグナーなど、
すぐに大きなリリカルロールをこなし、世界中の歌劇場を征服した。
ザルツブルクでグンドラ・ヤノヴィッツが成功を収めたのは、
コンサート・ステージであった。」
こう見てくると、文字数の大部分を、
グンドラ・ヤノヴィッツ(Gundola Janowitz)が占めていて、
結局、どこかしこで名声を馳せた、ということしか頭に残らない。

「また、今度は、1963年にカラヤンが『第九』のソプラノ独唱で、
彼女をこの地に招き、続いて、ハイドンの『天地創造』の、
ガブリエルとエヴァを2年後に歌った。
彼女のパートナーは、フリッツ・ヴンダーリヒや、
ヘルマン・プライで、後にコンサートのレパートリーは、
ペルゴレージの『スターバト・マーテル』から、
ヴェルディの『レクイエム』にまで及んだ。
その頃までに、彼女は舞台でも確固たる地位を築き、
カラヤンの『ドン・ジョバンニ』のドンナ・アンナ、
ベームの『フィガロ』の伯爵夫人、『コシ』のフィオディリージ、
後には、マルシャリンやアリアドネといったシュトラウスの大役も務めた。
ザルツブルクでのデビューからわずか9年で、
グンドラ・ヤノヴィッツは、今度はリート歌手として、
公衆の前に現れた。
彼女は、この分野でも、その高い完成度と、
通常とは異なるプログラム、そして、彼女自身の解説によって、
独自の地位を築いた。」

以下の部分で、ここで歌われた歌曲が珍しい選曲であることが、
何とか読み取れるが、何故、彼女が、これを取り上げたは、
さっぱり分からない。
この歌手の勲章は分かっても、どんな人柄であったかなどは、
まるで読み取れないのである。
「ここに録音された、
1972年夏の最初のリサイタルの夕べでも、
プログラムの選曲は一般の境界を越えたものであり、
ほとんど専門家にも知られていないシューベルトの珍しい歌曲に、
シューベルトの友人のアンゼルム・ヒュッテンブレンナーの、
手稿しかない歌曲を対比させた。
この2年後にも、同様に珍しい選曲がなされ、
ドビュッシーやリストを含むもので始まり、
シューベルトだけのリサイタルが続いた。
ここでも、良く知られた歌曲に、知られざる歌曲がミックスされ、
ヒンデミットの『マリアの生涯』が最後に演奏された。」
以上で曲の解説は終わりである。

「細心のパートナーであり、
何よりも熟達したエキスパートであり、
歌曲の研究家であるアイヴァン・ゲイジとのコラボレーションが、
みごとに実を結んだ。」
私は、このゲイジのピアノによるルートヴィヒの歌唱で、
シューベルト歌曲に親しんだので、ゲイジとなると少し嬉しくなる。
しかし、こうした伴奏ピアニストが歌曲に占める役割は絶大である。

「グンドラ・ヤノヴィッツは、
その声の扱いだけでなく、テキストとフレージング、
自発性と芸術的な抑制のバランスのよい統合への配慮など、
独唱者としての、取って置きの手を使っている。
経験豊かなステージ歌手は、
どこにドラマや劇場的な活力があるかを、
いつも熟知しているが、
叙情的表現の芸術が要求する、
様式や限界点もまた保持している。
比較的早い時期、あまりにもすぐに、
グンドラ・ヤノヴィッツはザルツブルク音楽祭に出演しなくなった。
1981年、ディーター・ドルンの演出によって、
カール・ベームの死後行われたサヴァリッシュ指揮のアリアドネと、
ヒンデミットの『マリアの生涯』が、音楽祭での最後の舞台となった。
しかし、音楽祭の多くの聴衆の記憶の中で、
彼女は名誉ある位置を占めている。」

以下に実際の音楽祭でのプログラムが掲載されているが、
Gottfried Krausという人が書いたもので、
何が、ヤノヴィッツ自身の解説なのかよく分からない。
実際は曲間にスピーチでもあったのだろうか。
「A Genuine Festival Programme
モーツァルテウムの大ホールでの、
1972年8月10日の歌曲リサイタルは、
すでに述べたように、シューベルトの歌曲と、
アンゼルム・ヒュッテンブレンナーの2つのグループの歌曲で、
コントラストを付けられたものである。」
ヒュッテンブレンナーの歌曲が、どう2つに分けられるのかは、
よく分からない。確かに、9曲目と10曲目の間で拍手が入る。
春を題材にした前半より、海を題材にした後半の方が、
幾分暗く、深い味わいがあるようだが。

このヒュッテンブレンナーは、あの「未完成交響曲」を、
何故か隠蔽していた人物として有名な人で、
弟のヨーゼフは、歌曲「ます」の自筆稿を献呈された人として有名である。
したがって、このようにシューベルト所縁の人の
作った音楽を聴けるというのは、
非常に楽しみな企画ということになる。

「ヒュッテンブレンナーはシューベルトより3歳年長で、
詩人のマイヤーホーファーやヨーゼフ・フォン・シュパウン、
画家のモーリッツ・フォン・シュヴィント、歌手のミヒャエル・フォーグル、
台本作者のヨーゼフ・クーペルウィーザー、作曲家のフランツ・ラッハナーと共に、
作曲家に最も深い友人たちのサークルの一員であった。」
こういう解説は嫌いである。
名前を列挙してあるだけで、ほとんど何の情報にもならない。
シューベルトを愛する人は、すでに知っていることであるし、
そうでない人には、何の薬にもなるまい。
グンドラ・ヤノヴィッツを連呼したように、
下記の文では、アンゼルム・ヒュッテンブレンナーを連呼する。
だんだん、このゴットフリート・クラウスという人が嫌いになってきた。

「シューベルトと同様、アンゼルム・ヒュッテンブレンナーは、
アントーニオ・サリエリの指導を受けた。
シュタイヤーマルクの地主の息子で、
法律を学んだが、最も惹かれていたのは音楽であって、
早くも1816年には最初の作品を出版している。
父親の死後、アンゼルム・ヒュッテンブレンナーは、
グラーツに戻り、家族の財産を管理したが、
彼の人生の中心には音楽があった。
にわかの批評家になったり、1825年には、
シュタイヤーマルクの音楽協会の芸術監督に就任したりした。
これは彼が、ヴィーン楽友協会の路線で、
彼が1815年に設立したものである。
短い中断はあったものの、この今日まで続く組織を、
アンゼルム・ヒュッテンブレンナーは1839年までリードし、
シュタイヤーマルクの音楽シーンに重要なインパルスを与えた。
ヒュッテンブレンナーは、
三つの歌劇、5つの交響曲、ミサ曲、
3つ以上のレクイエム、室内楽、ピアノ曲、膨大な歌曲など、
豊富な作品群を残している。
アンゼルム・ヒュッテンブレンナーは、19世紀のシュタイヤーの、
最も重要な作曲家であるが、出版されているものはほとんどない。
グンドラ・ヤノヴィッツによって選ばれて歌われているのは、
手稿を用いてのものである。
これらはヒュッテンブレンナーの申し分ない職人芸を示し、
自然、テキストの扱いや形式の点で、シューベルトに近い。
ここにあるライトナーの詩による「星」などを、
シューベルトの曲と比べると、決して劣ったものではない。」
私には、そうは思えない。情感も類型的で、変化も少ない。
むしろ、その前の二曲の方が渋い。
とはいえ、詩人も歌詞も、解説にはなく、不親切この上ない。
ということで、このCDは背負っているものの割に、
内容が不親切である。これでは、ヒュッテンブレンナーの復活は難しい。
ジャケットも、ヒュッテンブレンナー復活を祈る風ではない。

そもそも、解説者もシューベルトの方に、
より興味を持っているのは、以下の文からも明らかであろう。
「いっそう興味深いのは、グンドラ・ヤノヴィッツが、
このリサイタルのシューベルトのパートで、
よく知られた曲を選んでおらず、代わりに、
シラー、シュレーゲル、彼の友人のマイヤーホーファーの詩による、
珍しい作品を選んでいる点で、とりわけ、歌曲カンタータである、
『孤独』がこのリサイタルを締めくくっている点で、
これは、シューベルト自身、高く評価しており、
1818年8月の手紙でも、『これまでで最高の出来』と、
書いているものである。」
以下、前述のフィッシャー=ディースカウの著書から、
この曲に関する解説が引用されているだけで、
シュレーゲルは名前が出てきただけとなる。
が、彼については、ここの前半で、かなりヤバい話まで触れたので、
我々には十分であろう。
ちなみに、「川」の方も、何と、1872年まで出版されなかった模様。

得られた事:「シュレーゲルの『夕映え歌曲集』の何曲かは、19世紀も後半に出版され、長らく知られざる歌曲であった。」
その2、「人名をフルネームで無闇に列挙する、かさ増し手抜き解説に注意せよ。」
by franz310 | 2007-12-22 22:18 | シューベルト
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