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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その95

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その95_b0083728_21375274.jpg個人的経験:
前回、リスト編曲による、
シューベルト作品、
「ハンガリーのメロディ」を
紹介したところで、
文字数が尽きてしまったが、
同じ作品のCDが、
例のハンガリーの名門、
フンガロトンから
出ている。


ここで、またまた脱線して、こちらのCDにも触れてみよう。
このCDは第一印象から、完全にいかれている。
4つ手がある、中年長髪ピアニストが、
まるでカエルみたいに、こちらを凝視し、
ピアノの上に張り付いている構図の写真があしらわれ、
まったくもって美しくない。

少なくとも、誰かに上げたら笑われそうである。

GYORGY ORAVECZという人で、1963年のブタペスト生まれ、
録音が2003年とあるので、40歳の録音である。
イシュトヴァーン・ラントシュや、ゾルターン・コチシュに学んだとある。
コチシュと言えば、ハンガリーの若手三羽烏として、
若々しい風貌ばかりが記憶に残っているが、
こんな恐ろしげな弟子を隠し持っていたのである。

「コンサートホールで成功を約束する才能」と、
このコチシュが褒めているらしい。
「ヴィルトゥオーゾの技巧、様式的な落ち着き、
音楽的個性の独自性」を挙げているが、
聴いてみると、それがよく分かる。
非常に硬質なタッチで、確信に満ちて、
素晴らしい推進力で弾き進める音楽は、
何となく、ハワード以上にリストらしい感じがする。

1985年に、ハンガリーラジオのコンクールで、
これまたハンガリーの名手、シフラの賞を受けているというから、
国内では知られた名手と思われる。

しかし、このCD、不思議なのは、
ハワードが94年に録音している「ハンガリーのメロディ」や、
97年に録音している「さすらい人幻想曲」を収めたものでありながら、
何故か、1stRECORDINGを強調していることである。
前回紹介した、ハワードの「ハンガリーのメロディ」は、
サールの整理番号でS425 とあるが、
こちらのオラヴェッツ盤には、S425、R250、LW A48とある。
Sは、1954年の「グローブ音楽辞典」に、イギリスの作曲家、音楽著述家の、
ハンフリー・サールが採用した整理番号である。
しかし、サールは音楽学者ではなく、以前に、ドイツの音楽学者、
ペーター・ラーベが1931年にまとめた作品目録ラーベ番号を、
再整理したにすぎないとされる。R250のRはラーベを意味する。
したがって、この二つは基本的に同じ作品には同じものが付くはずである。

また、サールの場合、
「オリジナル」と「編曲」の二つに分けたりしている点が問題で、
(ピアノ独奏曲の場合S100番、200番台がオリジナルで、
S300~500番台は編曲作品となっている。
このシューベルト作品も400番台、500番台のナンバーだ。)
しかし、リストのように、同じ作品を何度も改訂している場合、
こうした分類には障害が出ることから、
「ニュー・グローブ音楽辞典」では、また、別の分類ナンバーが、
採用されたという、このA48というのは、それを示している。
LWとは、それを示す記号と思われるが、何の略かは分からない。

この作品を表わす、番号であるが、
この二人の演奏家による「さすらい人幻想曲」など、
混乱の極み。
このブログシリーズでも、管弦楽伴奏をつけた版は紹介したが、
さらに4手版を作曲したとあっても、ピアノ独奏版は、
初耳であった。
しかし、ピアノ独奏曲全集を作っている、
ハワードが、ちゃんと、これを録音しているので、
聞いたことがない、4手版より、ずっと、私には実在性が高い。

が、ピアノ独奏曲をピアノ協奏曲や4手用に編曲したくなっても、
何ゆえに、ピアノ独奏用に書き直す必要があるのだろうか。

この曲、ハワード盤には、S565aとあるが、
S565は、作品表には「ミュラー歌曲集」とあるが、
この「a」とは何なのか。
いい加減にして欲しい。

一方、オラヴェッツ盤には、S-、R-、LW U17とある。
「ニュー・グローブ音楽辞典」では、
前述のように、「ハンガリーのメロディ」は、
A48として分類されているが、
「さすらい人幻想曲」は、「U17」?この「U」って何だ。
また、S-ということは、Sナンバーなしということ?

私が持っている本では、そう明記されているわけではないが、
この「ニュー・グローブ」による分類では、
Aはピアノ独奏曲、Bは連弾、Cは2台ピアノ、Dは室内楽、
Eはオルガン、Fはオルガンとその他、Gは管弦楽、
Hは協奏曲、Iは管弦楽合唱、Jは宗教合唱、
Kは宗教的独唱、L、Mは世俗合唱、Nは歌曲、
Oはオペラ、Pはメロドラマ、Qは未完成作品が、
それぞれ対応づけされているようだが、
この「U」は、何なのだ?

このCD製作者も、おそらく最後の手段と思ったか、
利用した楽譜まで記載している。
つまり、「さすらい人」は、
シュトゥットガルトのCotta社が1871年に出したもの、
「ハンガリー」は、ディアベリが1840、41に出したものとある。
ファースト・レコーディングの信憑性を高めようとしているということか。
さしものハワード盤も、ここまでの記載はない。
ハワード盤の最大の弱点は、この年代意識の低さにある。
何年のもの、という解説がない点が歯がゆい。

このフンガロトン盤は、少なくともそれを補ってくれる。
解説も比較的丁寧で、好感が持てる。

「リストは、1822年から3年にかけて、ヴィーンにおいて、
チェルニーやシューベルトが音楽理論を学んだサリエリに師事していたから、
早い時期からシューベルトの作曲した作品に出会っていたのであろう。
さらに、のちに1830年代には、彼と、その恋人のマリー・ダグーは、
シューベルト歌曲の愛好家となり、プライヴェートな集まりでも、
演奏会でも、リストはその伴奏をするのを好むようになっていた。」
リストが伴奏するシューベルト歌曲!
なかなか魅力的な光景であるが、肝心の歌手は誰だったのか。

「さらに、彼は50曲に及ぶ歌曲のピアノ曲集を作り、
それをピアノ独奏で演奏もした。
一連の歌曲は、1833年の『ばら』を皮切りに、
1837年から46年にかけて、
数種のシューベルト歌曲アレンジ集を生み出した。
これは、オリジナルの歌曲より、
実際、ポピュラーとなった。
リストはシューベルトの器楽曲を熟知しており、
1838年から48年に公開で演奏した曲目カタログ、
「Programme general」でも、シューベルトの名前は、
ソナタ、三重奏曲、幻想曲や行進曲のジャンルで見つけることができる。」
まさか、このCDで、こうした情報が得られるとは思わなかった。
リストは、シューベルトのソナタや室内楽(トリオ)も、
演奏していたのである。

が、このシリーズの主題である、
ピアノ五重奏曲「ます」は、演奏していないことが、
何となく伺われるような状況になってしまった。
が、逆に、このピアノの鬼神が、
たまには室内楽を演奏していたことも分かったわけである。

「シューベルトの作品による編曲作品も、
これらの作品に混ざって見つけられる。
例えば、シューベルトの小さなワルツを集めた、
『ヴィーンの夜会』は、演奏会での評価を高めたし、
ピアノと管弦楽のための『さすらい人』幻想曲も、
ピアノと管弦楽のための様々な演奏会で取り上げられた。
また、シューベルトの4手作品の行進曲や喜遊曲の部分を、
集めてアレンジしたものもある。
リストはさらにシューベルトの、
2手、4手のピアノ作品の校訂でも貢献し、
このCDでは、リストの編曲、
または、校訂したシューベルトの器楽曲を含む。」
ということは、この「Edition」(校訂版)が、
先の、さすらい人幻想曲の「U」マークということだろうか。

「興味深いことに、リストが作曲した、
最初のハンガリーの主題のピアノ曲は、
初期の断片Zum Andenken(1831)を除くと、
シューベルト編曲作である、
作品54の4手ピアノの喜遊曲に基づく、
『シューベルトのハンガリーのメロディ』
(Raabe 250、Searle 425、 LW A48)なのである。
この3楽章からなる『ハンガリーのスタイル』の喜遊曲は、
1826年に最初出版され、
エステルハーツィ伯の領地、
上部ハンガリーのツェリス(現スロヴァキアのZeliezovce)
のメロディをシューベルトは利用した。
リストは、1838年、
ペストを襲ったドナウ大洪水によって引き起こされた、
彼の故郷、ハンガリーへの想いの高まりと一緒になって、
このシューベルトの作品の理解を深め、
この作品に取り掛かった。
最初の伝記作者リナ・ラーマンによると、
1838年に早くも、
この作品をヴィーンでのチャリティー・コンサートで演奏している。
しかし、1839年遅くに、
一連のヴィーンでの演奏会とハンガリーへの出立にあたって、
この作品は彼の関心に止ったと思われる。
1839年12月14日のヴィーンでの最終演奏会で、
彼はこれを演奏し、批評家が言うように、
『魅惑的で完全な流儀』によって、
アンコールに応えなければならなかった。」
リストはついていたような気がする。
ハンガリーに大衆の目が行っている時に、
その場所を喚起させる音楽をこしらえて演奏したのだから、
環境は最高に整っていた。

「ヴィーンの出版者、ハスリンガーとディアベリは、直ちに、
ハンガリーのメロディによる編曲や曲集でリストと契約した。
これまでのところ、リストの手稿が出てきていないので、
これらの作品が何時出来たかは、正確にはわからないが、
第二楽章だけは、1839年12月25日に、
ペストで書いたマリー・ダグーへの手紙によって、
12月19日と22日のコンサートの合間に、
プレスブルク(現ブラティスラヴァ)のホテルで
書いたことが分かっている。
ディアベリは三つの楽章を分冊の形で分けて出版し、
アンダンテ(第一楽章)と行進曲(第二楽章)は、
1840年の1月に、
終楽章アレグレットは、まる1年してから出された。
リストは、そのヨーロッパ中の演奏会で、
しばしばこの『ハンガリーのメロディ』や、
その中の一曲をアンコールで演奏した。
1846年には、特にヴィーンでこの曲が取り上げられた時、
ディアベリはこの曲を簡単にした版を出版した。」
非常に、細かい日付を取り上げて、ハワードの不満をやわらげてくれる。
書いたのは、Maria Eckhardtという人である。
英訳はTunde Vajdaという人。
英語圏の名前ではないが、読みやすい。

「第一楽章アンダンテは、Maria Domokosが述べるように、
オープニングテーマは、フリギア調。
メランコリックでルバートのかかったハンガリー民謡に関係がある。
もう一つのジェストの主題は、
Verbunkosの飛び跳ねるリズムによる、
特徴的な要素に支配されている。
ここで、リストは忠実にシューベルトの4手の原曲に従うが、
ツィンバロンを模したカデンツァの拡張や、
名技性を強調している。
シューベルト作品では、第二楽章の行進曲は、
伝統的なダカーポマークによるシンプルなトリオを有し、
さらに長く重要な第一と第三楽章の間に置かれた短い楽章だが、
リストはこの部分は単純なアレンジでは満足しなかった。
彼は単純な繰り返しに変化をつけ、さらに形式的に大きな改良として、
変イ長調のトリオの主題の材料を使って、意気揚々としたコーダを作り、
ハ短調の行進曲の終わりをハ長調にしている。
この形で、この作品は独立した作品となり、
少しずつ違った、いろいろなバージョンが実際、残されることとなった。」
このあたりは、ハワードの表に詳しい。

「第三楽章のアレグレットは、形式的に、
シューベルトのままでも十分複雑である。
メインの材料は、2つの間奏曲をもって3度現れ、
それぞれが、A-B-Aの形式をなし、コーダを有する。
リストは基本的に形式は変更していないが、
反復のいくつかは省略し、内部を拡張し、
特にカデンツァやコーダにおいて、
名技的要素を強調したりして、
それを自由に扱っている。」

次に、このCDの最後に収められた、
「性格的な大行進曲」についての解説が始まる。
これは、ハワードのCDにも登場する、
3曲1セットとなったものの一部である。
「『シューベルトのハンガリーのメロディ』の成功を受け、
リストはもう一曲、シューベルトの4手ピアノ曲を、
ピアノ独奏に編曲したものをこしらえた。
これは、1846年、ほぼ同時期に三つの分冊で、
ヴィーンのディアベリによって、
1. シューベルトの大葬送行進曲
2. シューベルトの大行進曲
3. シューベルトの性格的大行進曲
として独立したタイトルで出版された。
リストは、以下のシューベルトの行進曲を編曲した。
4手のための6つの大行進曲作品40(D819)の第5曲、第3曲。
4手のための2つの性格的行進曲作品121(D968B)の第1曲。
これらすべてのリストの行進曲は、すべて自由なアレンジで、
第一番、悲しみの行進曲変ホ長調は、最も原曲に近く、
しかし、他の2曲は、シューベルトが施した、
ダカーポによる伝統的三部形式では満足していない。
ここでレコーディングされた第三番ハ長調は、
主部のギャロップもリズムの6/8拍子に、
イ短調のトリオで、3度、
作品121/2の、クアジ・アレグレット、イ短調、
作品40/2からのアレグロ・マ・ノン・トロッポ、嬰へ短調、
作品40/1からのウン・ポコ・メノ・モッソ、嬰へ長調の主題が現れる。
行進曲は、アレグロ・トリオンファンテの勝利のコーダで終わる。」
このように、このCDでは、
ハワードが録音した「シューベルトの行進曲」3曲から、一曲のみが、
付録のように収録されている。
「1859年、リストは、この3曲の行進曲に、
『ハンガリーのメロディ』からの『ハンガリー行進曲』を合わせて、
オーケストラ曲とした。
この4つの管弦楽行進曲は、1870/71に出版され、
リストはさらに4手ピアノ版のスコアも出版した。
驚くまでもなく、
これらは、オリジナル作品から大きくはずれたものとなっている。」

ここからが、「さすらい人幻想曲」についての解説だが、
CDには、これが最初に収められている。
「シューベルトの作品15の『さすらい人』幻想曲(D760)もまた、
1846年、ヴィーンでの演奏会で、
初めてリストのレパートリーとして登場したが、
これは、先の行進曲が最初に出版された年でもある。
批評家によると、リストはこの、
『偉大な歌曲作曲家による深く詩的な作品』たる幻想曲を、
無比のインスピレーションをもって演奏し、
聴衆から喝采を受けた。
シューマンは、1822年作曲の、
シューベルトの大規模な幻想曲を、
作曲家がフルオーケストラを、
2手のピアノに圧縮しようとしたもの、
と表現したが、
リストもまた、同様の感じ方をしたのであろう、
それをオリジナルの形でしばしば演奏しながらも、
ピアノと管弦楽のために、シンフォニックアレンジメントを行い、
1851年に初演、57年にヴィーンで出版している。
1862年には4手ピアノ版も加えられた。
リストのこの曲に対する徹底した興味は、
ここで終わったわけではなかった。
シュトゥットガルトの出版社、コッタから、
『古典ピアノ曲の啓蒙の手引き』
と題されたシリーズの出版に、
力添えして欲しいという依頼が来たとき、
1868年、リストは、ウェーバーと、
シューベルトのピアノ曲を取り上げた。
最初のシューベルトの巻は、1871年に現れ、
その最初を飾るのが、この幻想曲であった。」

このあたりからが、リストの作品表に、
明確に現れない理由のようなものになるだろうか。
「このシリーズは、音楽学生に、
オーセンティックな技術の達成や、
作品に対する芸術的な洞察力を養うことを、
手助けすることを目的としており、
このチャンスを活かして、
リストはシューベルトの幻想曲を複写するのみならず、
演奏会を通じ、また、数回のアレンジを経て開発された、
彼自身の複雑で熟達した解釈を書き写した。」

つまり、この曲は、リストのアレンジというより、解釈であって、
教育用の材料であったというわけだ。
しかも頼まれ仕事でもあって、
大々的にリストの作品だっ、という登場の仕方ではなかったと見える。

「彼の追加(ダイナミックスの記号、アーティキュレーション、
ペダルその他の利用法)は、印刷されて明示されている。
さらに顕著な例で言えば、リストのオッシアの記譜が、
シューベルトの譜の上下に追加されており、
これらは技術的に簡単であったり、効果的であったりで、
音色を豊かにし、細部の強調などがある。
最後のフーガは、
リストの表現記号はあるものの、オリジナルのままで、
そこにはオッシアの追加はなく、
その後に、『先の楽章のリストのバージョン』というものが
つけられている。」
終楽章が、かなり違って聞こえるのは、こういった理由があったのである。

この解説は、私たちが知りたかったことを、
改めて教えてくれる。
「何故、リストはシューベルトのピアノ幻想曲を、
ピアノ曲としてアレンジすることを重要視したのか。
シューベルトのピアノと、成熟期のリストのピアノでは、
違いがあるということに、
おそらく応じたものであろう。
言い換えれば、1820年代のピアノと、
1870年代の楽器とでは異なり、
また、小さなサークルの聴衆と、
巨大なコンサート・ホールでの聴衆では、
大きな違いがあったということだ。
何よりも、それは、リスト自身が、
引き起こし、実践してきたことが、
こうした変化ではなかったか。
彼のシューベルト作品における、
解釈の自由を、彼は冒涜とは考えなかった。
何よりも、彼が愛し、尊敬した作曲家を、
こうしたやり方でより理解させることこそが、
自身の使命だと感じていた。
彼は誇りもって、『私は幻想曲の数箇所を変更し、
その終曲全部を、モダンピアノ版に改めました。
シューベルトも、これに不満を覚えないであろう、
と思えることは、私にとって光栄なことです。』」

このように、リストは、
指揮者のストコフスキーと同様の考え方をしていたのである。

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その95_b0083728_21382214.jpgさて、では、
このオラヴェッツの
CDは、
ハワードの後で、
本当に、
First recordingと、
呼べるのだろうか。
ここで、
ハワード盤の
解説を見てみよう。

全文は大変なので、この幻想曲の部分である。
「シューベルトの大幻想曲(さすらい人幻想曲として知られる)への、
リストの偏愛は、ほとんど没頭と呼んでもよいもので、
シューベルトの傑作は、テーマ発展や、多楽章を一つにまとめるなど、
リスト自身のシステムの核心を含んでいて、
1851年頃の有名なピアノとオーケストラ版、4手ピアノ版のみならず、
さらに後年、ピアノソロ版も作っている。
最初の3楽章には、変更可能なサジェッションがなされており、
ピアニスティックでない数箇所や、
19世紀中盤の鍵盤の幅を有効利用できていない部分は、
別のものに取り替えられている。
当時、実際、シューベルトから始まって、この作品は、ピアノ的ではない、
このままでは演奏不可能と、誰からも宣言されていたことを、
思い出そう。
最後のセクションで、リストは完全に違う楽譜を、
シューベルトの楽譜の後ろにプリントしており、
恐るべきアルペッジョや16分音符は、ほとんど削除され、
もっとオーケストラ的なテクスチャーに変更されている。
当然、現代では、すべての人がシューベルトのオリジナルを弾くが、
後期ロマン派の風習の証拠以上の正当な権利を有する、
この興味深い編曲なしでは、この曲は、
一般的なレパートリーにはならなかったかもしれない。」
と、このように、簡潔に同様のことが書かれている。
オリジナルの方がいい、と言ってるような直裁さが良い。
が、演奏は、この曲に限っては、ハワードの方が落ち着いた、
好ましい演奏と思える。

編曲そのものも、リストらしさが出ていて面白いが、
オラヴェッツ盤は、早すぎて騒々しい感じが、時折感じられる。
さすがのリストもあまり手がつけられなかった第二楽章も、
もっと、たっぷりと浸って聞きたいではないか。
リスト自身は、ここで、
きっと夢見るようなピアニズムを聞かせたはずだ。

1871年という年代表記がないのが、この前と同じだが、
書かれていることからして、おそらく同じ楽譜による演奏と思われる。

リスト特有のオッシアを別のもので演奏したから初録音だと言われれば、
そうかもしれないが、そんなことをすれば、
同じ楽譜から、2の数箇所乗の初録音が出来てしまう。

ではオラヴェッツ盤の演奏は必要ないかと言うと、
ピアノ特有のクリスタルな美観と、名技性が目覚しく、
「ハンガリーのメロディ」などは、絶対に、ハワードより、
オラヴェッツの方が聞き応えする。
ハワードのはテンポが遅すぎて、なかなか先に進まないが、
オラヴェッツの鮮やかな演奏では、
オリジナルと、この編曲版、両方の存在価値を感じる。

得られた事:「リストの編曲は、シューベルトの時代から進化した楽器の性能を引き出そうとしたものである。」
by franz310 | 2007-11-03 21:38 | シューベルト
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