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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その81

b0083728_1194614.jpg考えて見れば、
1822年の有名な
「未完成交響曲」(D759)と、
死の年1828年作と言われていた
「ザ・グレート」(D944)
の間にあって、
1824年の
グラン・デュオ(D812)が、
仮に交響曲であったならば、
年代的にも、
高名な上記二作の
架け橋のような位置づけとなる。

「グレート」が、最近の研究のように、
1825-6年の作品だとすると、
シューベルトの2年おきの成長を見ることが出来るわけだ。

「未完成」の管弦楽法と、「グレート」のそれを、
ちょうど足して二で割ったような管弦楽法で、
これを編曲するよう試みがなされたなら、
おそらく、もっとシューベルトらしい姿を現すかもしれない。

が、ヨアヒムの行った管弦楽化も、
シューベルト需要の歴史を知るための、
重要な指標となることも確かで、
このような見地から、エッシェンバッハのCDは、
解説が書かれていた。

これは、KOCHというレーベルから出ていたが、
何と、このKOCHからは、95年にも、
Leon Botsteinという人の指揮で、
このヨアヒム編曲のハ長調交響曲を録音して発売している。
ここでの題名表記は、
Arr. Joseph Joachim(1831-1907)
Sonata in C Major, D812 , “Grand Duo”
となっており、
[transcribed as Symphony in C major]と、
補足されている。
演奏は、アメリカ交響楽団である。

KOCHが、こんなにもこの曲を発売してくれるのは、
大変ありがたい。

このレーベルは、独墺系のレーベルと思っていたが、
オーケストラはアメリカ、裏面を見ると、
A product of KOCH International USAとある。

それはともかく、
エッシェンバッハのヒューストン交響楽団といい、
ボットスタインによるアメリカ交響楽団といい、
ある、重要な名前が私の脳裏に浮かぶ。

そう、稀代の名指揮者ストコフスキーのオーケストラということである。
ストコフスキーについては、前回書いたが、
常に新しい何かを探っていた、この大指揮者の精神の、
忘れ形見を垣間見たような気がして嬉しくなった。

このボットスタイン盤のハ長調ソナタ“グラン・デュオ”は、
エッシェンバッハが、強い陰影で、各部を克明に描き出した音楽とは、
違う音楽の魅力を引き出している。
より楷書風で、直線的だが、第二楽章などの歌には、
豊かに、絵画的とも言える情感を響かせている。
第三楽章は、音響は立体的だが、淡々と進み、
シューマンを想起させるトリオも、比較的あっさりしている。
反対に第四楽章は、熱狂の乱舞のような感じで、
メンデルスゾーン的な色彩が散見され、これはこれで興味深い。

さて、このCDには、さらに様々なシューベルト作品の管弦楽化の例が、
収められている。

いつか紹介したCDの解説には、
マーラーが、「死と乙女」で行ったようなアレンジは、
19世紀の音楽界の時代の流れの産物であり、
シューベルトだけに限っても、リストによる「さすらい人幻想曲」、
ヨアヒムによる「大二重奏曲」、モットルによる「幻想曲D940」
などが、同様に管弦楽曲化されているとあった。

リストやヨアヒムは、編曲者も有名がからだろうか、
記述もよく見れば、実際に音を聞いたこともあるのだが、
この、モットルの「幻想曲」とは何だろうか。

モットルは、ブルックナーの弟子のようだが、
作曲家というよりも指揮者として高名で、
ワーグナーの熱狂的な紹介者として、
例えば、「ヴェーゼンドンク歌曲集」を管弦楽化したことで、
音楽愛好家に知られている存在である。

そもそも、この「幻想曲」、
シューベルトが思いをかけていたという、
カロリーネ・エステルハージィに捧げられていて、
それが、シューベルトの死の年の作品であることもあって、
私などにとっては、
彼女との今生の別れを直接的に想起させる名品である。
何ゆえに、こうした内密な作品を、
管弦楽化する必要があるのか?
という疑問もあったが、何と嬉しいことに、
このボットスタイン盤では、この珍奇な作品が聴けるのである。

実は、このCDでも、一人の解説者(Chiristopher H.Gibbs)が、
はっきりと、「親密さの喪失は不可避」と書いている。
原曲は、ヨアヒムの場合と同様、ピアノ連弾曲である。
むろん、カロリーネと並んでピアノを弾いた日々の回想があろう。

さて、このCD、
「フランツ・シューベルト:オーケストラ化された」という解説も
二人がかりで、14ページもあって非常に読み応えがある。
表紙デザインは意味不明だが、華やかで見ていて気持ちが良い。
大指揮者の顔写真シリーズなどよりは、はるかに多くの人に喜ばれそうである。

解説を見ていくと、結構、面白いことが発見できた。
まず、指揮者のLeon Botstein氏の解説から。
演奏者が解説を書いてくれると、その演奏の意図がはっきりして助かる。
「シューベルトの交響的音楽に対し、後世の人は、
いつも何かちょっと、足りないような感じを受ける。
それは単純に不十分と思われるのである。
ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンのようには、
シューベルトの最高の交響曲はその生前に演奏されなかった。
素晴らしい初期の交響曲があるにもかかわらず、
スタンダードなレパートリーになったのはたった二曲。」

私も、この意見には賛同したい。
共に傑作である、「未完成」や「大ハ長調」の間の4年は、
名作が連発された充実した年でもあるので、
是非、埋めて欲しい気持ちが働く。
イギリスの音楽学者が、幻の「ガシュタイン交響曲」を、
捜し求めたのも、たぶん、同じ理由であろう。

「ロ短調の『未完成』交響曲は、
作曲家の死後30年も経ってから、
エレガントで力強い合唱指揮者ヘルベックによって、
ヴィーンで初演された。
それは、即座に、不運な恋、貧困といった、
シューベルトの生涯と性格など、
人気の神話を表わす代名詞のようになった。
それはメロディと形式に対する、
シューベルトの天才を示す壮麗なる例証ともなった。
『大ハ長調』交響曲は、ちょうど死後十年で1839年、
メンデルスゾーンによってライプツィヒで初演されたが、
それはシューベルトを交響曲作家として、
ベートーヴェンの後継者に位置づけた。
19世紀風の視点から、ブルックナー、マーラーに至る、
一里塚ともなった。」

「驚くまでもなく、それゆえに、1828年、31歳という、
その早すぎる死に続いて、シューベルトの最も有名な作品、
ピアノ、声楽、室内楽などを管弦楽曲化する努力が、
脈々、累々と行われることとなった。
ブラームスは歌の数曲を管弦楽化し、
リストは「さすらい人幻想曲」をピアノとオーケストラの、
協奏曲に改作してしまった。」

「この録音のような管弦楽化によって、
シューベルトという共通の土俵の上で争われた、
19世紀の審美的論争の一部を、ある意味、理解することができる。」

「リストやワーグナーによって、
いわゆる新ドイツ運動というものが展開され、
シューベルトはその先駆者とされた。
この楽派はここでは、フェリックス・モットルの
トランスクリプションで代表される。
この作品は、ヴィーンのワーグナー派の頭目で、
1875年にはヴィーンでのワーグナー公演を成功させた
Josef Standhartnerに捧げられている。
このStandhartnerは医者であり、
ヨアヒムの親友で、仲間であったヨハネス・ブラームスと共に、
学友協会の取締役員を務めた人である。
ほかに、シューベルトに魅了されたワーグナー信者としては、
ブルックナーがいる。」

「一方、ブラームスは、この新ドイツ派に公然と異議を唱える、
作曲家グループに属しており、
彼と、ヴィーンの批評家のリーダーである友人のハンスリックは、
純粋な音楽語法を賛美する、
古典派と初期ロマン派の伝統に基づく音楽美論を支持した。
音楽は、ヴィジュアルや言葉の語りを装飾したり、
それらを付随するために使われたりするべきではなく、
器楽こそが、その最も独立しているがゆえに音楽の最高形式であった。」

「事実、反ワーグナー陣営に最初のインスピレーションを与えた、
音楽や批評を書いたシューマンによって、シューベルトは理想化され、
ブラームスは、すべてのシューベルトの交響曲を最初に校訂して、
ブライト&コップフ社から出版した。
ヨアヒムは、アンチ・リスト派に転向する数年前、
ワイマールでリストのコンサートマスターだった。
彼は、両陣営のシューベルト賛美を経験していた。
それゆえに、大二重奏曲の管弦楽化が、
名ピアニストであり、反ワーグナー派の、
シューマン未亡人クララ・ヴィークに捧げられたことは、
魅力的であると共に皮肉な結果といえる。」

しかし、このヨアヒム版交響曲は、「未完成」発見前、
「大ハ長調」しか知られていない時代であれば、
大変、重宝されたとしても不思議はない。

「この管弦楽化の仕事は、ヨアヒムの精力的な作曲家としての、
短いが印象的な時代に完成された。」

どうも、この新ドイツ派と、その反対者が、
どのようにシューベルトを担ごうとしたかを、
書き出そうとしているようだ。
ワーグナー対ブラームスを、
モットル対ヨアヒムと捉えれば良いのであろう。

「1850年代、彼とブラームスは非常に近い関係にあり、
作曲をし、手稿を交換したりした。
ヨアヒムはブラームスにオーケストレーションを教えた。
ブラームスの暖かい賛嘆にもかかわらず、
ヨアヒムは自分の天職は演奏家であり、
オルガナイザーであるという自覚を持つに至った。
ブラームスと比べとその才能には限界があった。」
この最後の一言はなくもがなではないだろうか。

「ヨアヒムのブリリアントなバージョンである大二重奏曲は、
いくつかの序曲や、
いわゆるハンガリー風ヴァイオリン協奏曲を作曲したのと、
同時期のもので、
ブラームスはニ短調のピアノ協奏曲に注力していた。」

「後にヨアヒム四重奏団は、シューベルトの室内楽を、
弦楽四重奏曲の基本的なレパートリーに列することに貢献した。」

ここは、よく覚えておきたい。
ヨアヒムに続く四重奏団となると、
録音を残している世代の団体もあるからである。

「シューベルトに敬意を払った19世紀の公衆は、
家庭のアマチュア用に書かれた音楽から始めたが、
公的なプロの演奏会、特にオーケストラコンサートが、
1848年以降の音楽生活において、
大きな部分を占めるようになってきた。
音楽文化は演奏よりも鑑賞に重きを置くようになった。
オーケストラ化されたシューベルトへの要求も高まった。
初期の交響曲では不十分で、
成熟して独特なシューベルトを聞きたがった。」

「ヨアヒムがそのオーケストレーションを完成させた頃までには、
考慮にいれるべき第二の要因もあった。
四手のピアノ曲の人気の低下である。
独奏ピアノ曲や弦楽四重奏と違って、
二人が並んで座り、一緒に演奏するジャンルは、
コンサートのステージに順応するために抵抗しているようだった。
音響的にも、劇場イベントとしても、ピアノ連弾は、
集客できるイベントにならなかった。
モットルの例もそうであるが、連弾の管弦楽化は、
19世紀中盤までは、偉大な作品を忘却から救う作業でもあった。
ヨアヒムの版は非常な成功を収め、しばしば演奏された。
トスカニーニすら、そのレパートリーに加えていた程である。」

これは、エッシェンバッハ盤でも書かれていたことである。
あるいは、同じレコード会社なので、ぱくりもあるかもせれぬ。

ここからは、面白い論点での解説が繰り広げられる。

「1960年代になると、紛れもないローカルなシューベルト狂が、
ヴィーンに形成され、たくさんの男性合唱団のメンバーが、それに拍車をかけた。
1897年のシューベルト生誕100年には、
その作曲家は、政治的シンボルにもなり、
闘争する党派にふさわしいとされた。」

「ブラームスとその支持者たちを含むリベラル派は、
シューベルトをもっと、単純で謙虚な市民にまで手を差し伸べる、
コスモポリタン的なヒューマニストとして捉えた。
一方、Karl Luegerに率いられた、
ラディカルなキリスト教的社会主義者たちや、
右翼の国粋主義者や反ユダヤ派など、その味方は、
熱心なブルックナー信者となった。」

「国際的な古典派の基準において、
唯一、ヴィーン生まれのシューベルトは、
彼らにとって、真正で純粋な独墺精神の実例であり、
ユダヤ人や外国人に壊される以前の、
ローカルな反近代的価値の象徴となった。」

ちょっと待って、そこまで行くのか?
という解説だが、非常に興味深い。

「このような論争のさなか、
ワーグナー派の指揮者で、
長年、ヴィーン・フィルを指揮した
ハンス・リヒターに後見されていた、
フェリックス・モットルは、ヘ短調の幻想曲を、
オーケストレーションした。
それはヴィーン生まれで、新ワーグナー主義のモットルから、
生誕100年祭でのシューベルトへの贈り物であった。
これは他ならぬ、R・シュトラウスから賞賛された。」

このCDは、最後にウェーベルン編曲の作品も収められており、
次は、そのための解説である。

「1920年代までには、
ラディカルなモダニズムというヴィーンの新しい動きが現れた。
シューベルトやモットルと同様、オーストリア生まれの天才、
ウェーベルンは、後にナチスへのシンパシーを示したりもした。
彼は、その師、シェーンベルクと同様、
特に後にナチズムを装う政治的保守主義の美学に反対し、
進歩的近代主義を標榜していた。」

「シェーンベルクの理想は、ブラームス、ワーグナーの両方の
伝統の上に、それを取捨選択し、新しい流れを作ることであった。
急速なウェーベルンのシューベルト接近には、
反ロマン派、モダニズムの反産業の系譜の音が聞こえる。
そのオーケストレーションは、
19世紀初期の新古典的な造形や、
ビーダマイヤー風のデザインのすっきりしたラインに、
急進的なモダニストの魅力を加味したものである。
シューベルトは、ブルックナー、マーラー、ブラームスらの、
詰め込みすぎの音響、長大さ、大げさな身振りに対する、
必要とされた解毒剤であった。
急進的モダニズムには、シューベルトの世界、
産業がなく、大市場の商業も、近代的政治もない、
前近代に対する独特のノスタルジーがあった。
シューベルトは再度、審美運動の媒体、シンボルとなったのである。」

ついに、シューベルトが、戦争前までに演じた役割が、
述べられてしまった。すごい視点に立った指揮者である。

「文化的政治的なことはこれでおしまいにして、
上記作品に対するこの録音は、
リスナーに、傑作がいかに多くの別フォーマットが付加されてきたかを、
思い出させるものである。
私たちは、どの楽器が使用されたか、
どのような歴史的証拠で演奏が整理されたかに対し、
厳格になりすぎたので、
100年前に、音楽への愛という名のもと、
先達が過去をすり替えて近代化してきたことを忘れてしまった。
彼らは、シューベルトの音楽に手を差し伸べ、
新しい聴衆に新しい話法で語らせた。」

「この録音の作品に耳を済ませることによって、
われわれは、シューベルトの偉大さと共に、
三人の先達が、どのように過去を洞察し、聴覚の想像を
働かせたかに思いを馳せるべきであろう。」
以上が、指揮者Botstein氏の解説である。

さて、晩年の「ヘ短調幻想曲」の管弦楽への編曲であるが、
ハープを伴って演奏される主題からして甘味だが薄手で、
カロリーネへの控えめな愛を伝えるには、少しあからさまにすぎる。
激しい慟哭の表現も、安手のメロドラマを見ているようで、
ティンパニが連打されたりすると、この曲の微妙なニュアンスが、
失われてしまうような気がした。

同様に親密な情感に満ちた「ます」の五重奏曲が、
こうした扱いを受けなかったことは非常にありがたいが、
そもそも、このような歴史の中で、
五重奏曲「ます」が、どのように受容されてきたかは、
どうもまだ、よく分からない。

こうした編曲をしたモットルについては、こんな解説がある。
「モットルはワーグナーと親しかったことで有名で、
バイロイトや他の場所で、そのオペラを演奏した。
新ドイツ学派の作曲家の編曲者、校訂者であって、
ワーグナーの『ヴェーゼンドンク歌曲集』は、
オリジナルのピアノ伴奏よりモットルの管弦楽伴奏版で演奏されることが多い。
同郷のシューベルトへの編曲が最も多く、歌曲、舞曲、鍵盤楽器の作品を含む、
多くの作品に及び、Otto Neitzelと共に、シューベルトの最も重要なオペラ、
『フィエラブラス』を、1897年にカールスルーエでリバイバル上演している。」
非常に、シューベルト普及にも功労があった人と見た。

いずれにせよ、原曲ではなく、編曲作品レベルの勝負では、
ヨアヒム(反ワーグナー派)の勝ちとしたい。

解説はまだまだあり、これはすごい読み応えであった。
指揮者自らが、シューベルト受容の歴史を書き、
各作品の舞台裏まで語って演奏したCDとしても、これは強烈な存在感である。

得られたこと:「歴史は、シューベルトの音楽を何度も利用しようとした。」
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by franz310 | 2007-07-28 11:19 | シューベルト
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