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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その79

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その79_b0083728_22353951.jpg個人的体験:
この前も書いたとおり、
私は長らく、
SP期の録音などは、
十把ひとからげに
して考えていたが、
「名曲決定盤」などを、
改めて読むと、
あらえびすなどは、
録音の差に対して、
非常に厳しく、
容赦ないことが分かった。

特に電気吹き込み式以前の録音に関しては、
管弦楽曲は「ほとんど無価値」とすら言っており、
協奏曲もダメ、弦楽四重奏曲も「聴くに堪えない」とあり、
ヴァイオリンも「大した値打のものではなく」とあって、
電気吹き込みのないヨアヒムなどに興味があるだけだと、
書かれている。

ということで、ヴァイオリンの項を見てみると、
「過去の巨匠たち」として、ヨアヒムの紹介が出ている。

「言うまでもなく、ヨアヒム(一八三一-一九〇七)は
十九世紀後半の名ヴァイオリニストであるばかりでなく、
ブラームスらの友人として、楽壇的に大きな足跡を遺し、
その雄渾かい麗な演奏は、」とある。

そこで紹介されているのは、
ブラームスの「ハンガリアン舞曲」第二番であるが、
「おぼろげに大ヨアヒムのおもかげを偲ばせるに過ぎない
極めて心細い録音である」と書かれている。

この1902年の録音は、音楽の友社が出した、
「あらえびすSP名曲決定盤」シリーズで聴くことが出来る。
解説には演奏者の紹介と曲の来歴があるだけであるが、
盟友ブラームスの作を、自ら編曲しただけあって、
自信に溢れた豪壮で、「雄渾」な演奏に聞こえる。
かい麗というのは、「すぐれて美しい」という事らしい。

即興的でありながら、大きな表情の演奏だが、
何しろ3分くらいしかないので、ここから多くを詮索するのは難しい。
1902年といえば、ブラームスの死後であり、ヨアヒムは71歳。
亡くなる5年前の演奏ということからすると、
晩年まで若々しい演奏をしていたことが分かる。

「極めて心細い録音」とあるが、ノイズの向こうから、
これくらいは聞き取れそうである。

「名ヴァイオリニストたち」(M・キャンベル著)にも、
ヨアヒムが、大変タフな男であったことが書かれている。
「ずっと高齢になるまで若々しい回復力を保っていた」
と書き、24時間の旅のあとで、大学に出てレッスンをしたり、
オーケストラのリハーサルの後で、弦楽四重奏の演奏をしたりした、
といった逸話の紹介も、成る程とうなずけるのである。

この本によると、ヨアヒムは、メンデルスゾーンに可愛がられ、
その死後は、リストの組織したオーケストラに誘われて、
コンサートマスターを務めたが、その未来音楽志向に耐えられず、
ブラームスと友情を育んだとある。

そこから、有名なヴァイオリン協奏曲や、二重協奏曲が生まれたのは、
周知のとおりである。

ヨアヒムは、12歳でデビューしたようなので、
シューベルトが若くして亡くならなかったら、
親子のような年齢関係だったはずである。

こういう人の演奏がまがりなりにも、
スピーカーから、鳴り響くのが聴けるのは、
100年の時、さらにその人の若い頃、
150年以上の昔にまで思いを巡らすことが出来る、
至福の一瞬と言える。

当時の批評家ハンスリックは、彼の演奏に接し、
「彼の大きく確実な運弓がその楽器から引き出す音色には、
何と大きな力が流れていることか・・」
と書いたというが、録音からも片鱗を確信した。

うまい具合に、このヨアヒムの演奏は、
イギリスの「SYMPOSIUM」レーベルの、
「About A HUNDRED YEARS」という面白いCDでも、
聴くことが出来る。

ここでは、レコード100年にわたる歴史が解説されており、
興味深い録音資料が38も収められている。

残念ながら、シューベルトの曲は一曲もなく、
まるで、五重奏曲「ます」とは無関係だが、
レコードの歴史や、シューベルトゆかりの音楽家が登場するので、
今回は、このCDを紹介したい。

もちろん、ヨアヒムは、シューベルトのピアノ曲を、
管弦楽曲に仕上げた人である。

このような企画ゆえ、その最初に登場するのは、
もちろん、エジソンの声であるが、
2番目に登場するのが、作曲家のブラームスなのである。
ブラームスが、シューベルトの作品紹介に力あり、
熱心に自筆譜の収集をしていたことはよく知られている。

また、シューベルトの室内楽を系統的に紹介したのは、
1849年創設のヘルメスベルガー四重奏団であったが、
先のヨアヒムは、このヘルメスベルガーに師事しており、
いわば、彼らは、元祖シューベルト演奏の直系と言える。
メンデルスゾーンもまた、シューベルトの大交響曲の紹介者として知られるが、
ヨアヒムは、上述のようにメンデルスゾーンからも影響を受けている。

さて、このCDだが、実は、
クラシック音楽のCDとは言いがたい。

高名な歌手、カルーソーやシャリアピンの声、
パデレフスキ、ハイフェッツ、トスカニーニらの演奏に加え、
名女優、サラ・ベルナールや大作家トルストイに、ドイルの朗読のみならず、
レーニンやガンディ、チャーチルの演説までが収められているからである。

表紙デザインも芸術的というより工業デザイン的だ。
初期の蓄音機の下に、ヨアヒム、シャリアピン、ヒンデンブルク、
ハイフェッツ、トスカニーニ、メルバの写真があしらわれているが、
音楽家と政治家が同列なのがすごい。

このCD、最初に登場するエジソンの声からして、
興味深いエピソードが傑作である。

何しろ、1877年の実験機が壊れて再生不可能になったゆえ、
50年後に吹き込み直したものであるという。
「50年」と軽く書くが、人生の記録としても、
技術環境も、あまりに違いすぎるのでは?

ということで、
現存する最古の録音は、次に登場する、
ブラームスの声であると、解説で紹介されている。

このCDの解説では、こうした録音再生技術の歴史まで説明してくれており、
それが、非常に参考になる。

「装置が有名になるにつれ、さまざまな要求が生まれてくる。
『トーキング・マシーン』のケースでも、最初に録音を行い、
また、それを再生したのが、その機械を作ったエジソン(1847-1931)
であることを、信じることが出来る。
力強い声をもった話し手が、薄い振動板の近くで話すと、それを振動させる。
すると振動板の後ろの針が、動いているアルミ箔に、くぼみをつける。
アルミ箔が動いて針を動かすと、振動板が振動して話したことが再生される。
回転する金属シリンダーに巻かれたアルミ箔は、
振動の刻みを受けるのに十分やわらかく、
また、振動板を振動させるのに十分に硬いものである。」

こんな微妙なアルミ箔を保存するのは、困難であっただろう。
したがって、トラック1のエジソンの声には、こんな解説がある。
「オリジナルの装置は粗雑で、再生可能な状態では、
当時のアルミ箔は残っていない。
しかし、50年後、もっと相応しい言葉もなく、
エジソンは世界初の録音された言葉を繰り返して録音した。」
エジソンは、この時、80歳。
この「言葉」とは、有名な「メリーさんの羊」だが、
歌っているわけではない。これは想像と違った。

1847年生まれということだから、チャイコフスキーなどと、
同世代の人だったということになる。

「彼は、その音再生の弱さに興味を失い、
すぐに、電気照明やその電力供給に興味を移していた。
この分野で、他の人によって着手されたと聞いたからである。
しかし、10年後、再度フォノグラフの分野に戻り、
改良を決意した。これまた、他者の動向を耳にしたからである。
1888年、一年の集中の後、アルミ箔をワックスに代え、
新しい改良版が成った。
アルミ箔にぎざぎざをつけていた針は、ワックスに溝を刻むようになった。
(その差異は分かりにくいが、弁護士を儲けさせた。)」
いずれにせよ、エジソンは、金になれば何でもよかったとも読める書きぶり。

もちろん、声ばかりを録音していたわけではなかろう。
「最初に録音を行ったのは、アメリカを訪れた神童、
ピアニストのヨーゼフ・ホフマンであるが、これもまた存在しない。」
このピアニストの来日を、あらえびすは期待していたらしいが、
大震災で来なくなったと、「名曲決定盤」にある。
(が、このあらえびすが、
「古い吹込みのハンディキャップを超えて燦然たるもの」
と評した、ベートーヴェンの「トルコ行進曲」が、
このCD(TRACK 34)には収められていて、確かにすごい。
解説によると、アメリカデビュー時のシリンダーはなくなったが、
その50周年の、コンサートの記録らしく、聴衆のノイズが聞こえる。
解説にも「breathtaking」(わくわくする)とあり、異例の絶賛である。
ただし、1937年の録音とあるから、
あらえびすが聞いたものとは違う機会のもののようだ。)

「エジソンは、特にヨーロッパ、
英国にG・E・Gouraud、オーストリアにA.T.E.Wangemann
といった代表を送って宣伝をした。」

「Track2:
最初の信頼できる録音は、1889年、ウィーンで作られたシリンダーで、
他ならぬ、作曲家ブラームス(1833-1897)のものである。
最新の技術の補助をもってしても、
何が起こっているかわからないようなものだが、
以下のようなことが聞き取れる。
1. 非常にかすかな声で、たぶん、
Ladies and Gentlemen, I am Theo Wangemann.」

なるほど、先の解説で、エジソンがワンゲマンを派遣したとあったが、
彼は、大物を仕留めたわけである。優秀なビジネスマンである。
が、その声は、ノイズの海の中で蚊の泣くのを聴くようである。

「2.そしてクリアに、Haus von Herrn Dr.Fellinger,
I am Dr.Brahms, Johannes Brahms」

甲高い声で、どれだけ忠実に再現されているか分からないが、
確かにそう聞こえる。しかし、ファイニンガー博士の家にいると宣言したり、
自分をドクターと呼んでいるのが、奇妙である。

言葉の最後を跳ね上げるようにする癖が聞き取れる。

シリンダーの回転か、どこんどこんと、
太鼓が鳴っているようなノイズの中である。
それから、唐突にピアノがじゃらんじゃらんと鳴り始める。
演出も何もあったものではない。
短時間に何でもかんでもぶちこんだ、
歴史的断片である。

この音楽、ほとんど、何だか分からないが、
ヨアヒムも好きな、ブラームスの代名詞、
例の「ハンガリー舞曲」のようである。
こちらは、もっと有名な「第一番」のようだ。

その後も、ピアノらしい音が聞こえるが、下記の解説のように、
何だかよく分からない。この間、約1分である。
ワイゲマンは、必死でいろいろ指示したことであろう。

「3.ハンガリー舞曲第一番ト短調の最後の部分。
 4.あまりにも不明瞭で、特定できないが、その続きか、ピアノ曲2曲。」

イギリスの名ピアニスト、ファニー・デイヴィスが、
ブラームスのピアノ演奏を評して、
「タッチは温かく豊かだった」、「レガートは筆舌に尽くしがたかった」
と書いたが、指がしなやかに音をつむぎだしているのは分かるが、
とても、そこまで聞き取れる代物ではない。

「この録音に関する信頼できる記述は、1986年8月の、
『Opus Classical Music Magazine』の中の、
William Crutchfieldによるものだ。
Ronald Smithのような優れた耳をもってしても、
この最後の不明瞭な部分は、
舞曲と同じ調であるということ以上のことは
聞き取れないということである。」

さて、このようなシリンダー式では、
かさばるし、壊れやすいということから、
円盤状のレコードが登場するが、そのあたりの経緯が、
Track3と共に、紹介される。

このトラックは、この円盤の発明者ベルリナーの声であって、
「きらきら星」の詩が朗読されている。
これも歌っているわけではないのが、変である。
「アメリカに名声と富を求め、あるいは、仕事や安全を求めて、
移住する人の波の中に、エミール・ベルリナー(1851-1929)がいた。
1879年に渡った彼は、様々なありふれた仕事で、
しがない生活をしていたが、
それ以外の時間は勉強に当てていた。」

「彼は改良されたマイクロフォンを発明し、
ベル電話研究所に売り込みを続け、彼らと仕事をしているうちに、
彼は音響録音実験の資金を得た。
1888年、円盤に録音することに成功した。
これはエジソンのシリンダーに対し、2つの顕著な優位点があった。
i)一つのオリジナルから大量生産が可能。
ii)重力によって、エジソンのシリンダーより深い溝が可能。
これによって、複雑なメカニズムが不要となった。
これによって、ベルリナーが「グラモフォン」と呼んだ、
再生機がより簡単に安く作られるようになった。」

「市場に最初に出たのは、しゃべる人形用で、3・1/2インチの円盤であった。
1890年頃、手作りのグラモフォンのために、5インチのディスクが作られた。
手回しの機械は音楽再生に不適切で、多くはスピーチであった。
強いドイツなまりからベルリナー自身の声と思われ、
その音質ゆえに片面ディスクの裏面にはテキストの紙が貼り付けられていた。」

こんな風に、何だかおもちゃ箱のような感じで始まるCDだが、
貴重な演奏記録も多数、収録されている。
Track7は、イタリア歌劇の巨人、カルーソーの歌う「アイーダ」、
あらえびすは、「絶品的」と書いている。
続いて、スーザの自作自演の「星条旗よ永遠なれ」、
Track9は、カルーソーの先輩、タマニヨ。
ヴェルディは、この人のために、傑作「オテロ」を書いたが、
期待にたがわず、「オテロ」の中の曲を歌っている。

さて、ヨアヒムの演奏はようやく、Track11に登場するが、
このような解説がついている。
「ヨアヒムは、メンデルスゾーンの推薦で、
1844年に初めてロンドンを訪れた。
彼はリストの友人でもあり、1868年には、
ベルリンの音楽ホーホシューレの学長となった。
長きにわたって、自身の四重奏団を率い、
名誉博士の学位を、ケンブリッジをはじめ、
グラスゴー、ゲッティンゲン、グラスゴーの大学から授与された。
今日ではブラームスのヴァイオリン協奏曲を捧げられた盟友として知られ、
そのハンガリー舞曲は、ヴァイオリン用に編曲された。
遺された五つの録音のうち二つは、これらの舞曲であり、
一つは自作である。
驚くべきことに、残る二つはバッハの無伴奏作品からの楽章である。」

私は、何故、「ビッグ・サプライズ」なのかは最初、ぴんと来なかったが、
確かに、たった五つのうちの4割を、
はるか昔の作曲家に捧げられているということは、
ロマン派の生き残りにしては、不思議なことである。

例えば、次の世代の名手たちは、みな、近代ヴァイオリン奏法の先駆、
サラサーテやヴュータンやヴィエニャフスキらの録音を繰り返した。
バッハの、しかも、無伴奏曲というのは、高踏的にすぎるのである。

「グラモフォンは、『きらきら星』から、遠くまで来たものだ。」
と書く解説は、たぶん、そうした事を言っているのであろう。
気になって、解説者の名前を、ここで見直したが、見つからない。

「TRACK11-ヨアヒムは非常な、しかし、
過剰ではない熱情を持って演奏している。
我々はヴィブラートが少ないことに気づき、
イザイやクライスラーがヴィブラートを、
定常的に使うようになる以前、
強さと速さのバリエーションが、
表現の規範であった世代であることを思い出す。」

「Great verve」と評されているように、
このバッハ(パルティータ第1番より「ブーレ」)は、
やはり、自信に溢れた演奏で、
リズムをきっちりと取った、推進力のあるもの。
がっちりと描かれたセザンヌの絵画のようである。

ノイズは激しいが、盟友ブラームスより10年長生きしたのは、
技術の進化の点で大きかった。
音色や演奏の特徴まで何とか聞き取ることが出来る。
これは1903年、ベルリンでの録音とある。

ちなみに、このCDには、
夏目漱石がロンドン留学中に聞いたとされる、
パッティの歌も録音されている。(Track 14)

1901年11月に、寺田寅彦に、
「明日の晩は当地で有名なPattyと云う女の歌を
『アルバート・ホール』へききに行く積り
小生に音楽などはちとも分からんが話の種故
此高名なうたひ手の妙音一寸拝聴し様と思ふ」
という手紙を書いているが、正しくはPattiで、
グノーの「ファウスト」から「宝石の歌」が聴ける。

これは1905年の録音とあり、1843年生まれのパッティは、
60歳を過ぎていたはずだが、愛らしい声を技巧的に響かせている。
ノイズはあるが、声もピアノも鮮明である。

あらえびすは、この歌手については、「歌の骨董レコード」の項に、
「歌の女王」として書いているものの、
レコードで聴くとたいしたものではない、と断じている。
「蓄音機音楽はあまりに若く、パッティはあまりに老いた」
という言葉を紹介してくれている。

ただし、中古市場で高騰していたとも書いており、
CDの1トラックで、気軽に聞ける我々は、非常に幸せである。
ちなみに、パッティは、ジェニー・リンドの再来と言われたらしいが、
リンドといえば、メンデルスゾーンの交遊で知られる、
美貌の歌手で、こうした事に思いを馳せるのも楽しい。

その他、英国の指揮者、ヘンリー・ウッドの「魔弾の射手」の
リハーサル風景なども素晴しく感興に乗っており、
買っておいて良かったと思われるCDである。

ただし、全部通して楽しむことは困難、音楽の後に、
いきなり政治演説が始まると、後味も何もあったものではない。

それにしても、恐るべき商品である。
いったい、レコード屋では、何のジャンルに分類されるのだろうか。
裏面にも、登場する人物名が記載されているのみ、
曲目すら分からない。

めくらめっぽうだったが、購入しておいて良かった。
二度と回り逢えないかもしれないと思うと、
ぞっとする。

得られたこと:「電気吹き込み以前には、ヴァイオリンのヴィブラート技術確立以前の記録が聞ける。」
by franz310 | 2007-07-14 23:11 | 音楽
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