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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その76

b0083728_10473131.jpg個人的経験:
長らく私は、
あらえびすの著書は、
SP時代の名盤を、
ことごとく
網羅したような本だと
思っていたが、
バックハウスの「ます」などが
掲載されていないことから、
改めて、この名著のテーマ、
「よき曲、よき演奏、よき録音」
を思い出した。

つまり、よき録音でないものは、
あまり触れられていないようなのである。

私たちにとって、
漠然と、歴史的録音(ヒストリカル)に、
戦前の録音、あるいは、SPの復刻、
といった分類はあろうとも、
電気吹き込み以前、
電気吹き込み以降という分類になると、
少し、経験も定義もはなはだ怪しくなる。

デジタル録音とアナログ録音で、音質がどうだ、
という議論はよくあるし、
LPとSPの議論も聞いたことがある。
しかし、SPの中で、
どのような録音技術の向上が図られたかというと、
あまり、考えたことがなかった。

が、バックハウスの「ます」や、
クライバーの「第二」などについての記述がないことから、
改めて、「名曲決定盤」を眺めてみると、
録音に関しては、当時はさらにシビアな目で、
見られていたことが分かる。
このような事が書いてあることに気づいた。

「レコードの蒐集は、常に音楽愛に終始すべきもので、
絶対に骨董いじりに堕してはいけない」。
「骨董的なレコードの蒐集は、電気以前のレコードに懐古的な夢を追う
老人に任せておくがいい」。
これを読むと、いわゆるヒストリカルも、
1920年代以前となると、老人の分担のようである。

特に、「管弦楽」について書かれた章などには、
こんな一節がある。
「然るに一九二五、六年に到って電気吹込み法が完成し、
管弦楽の吹込みに一大革命が齎された。」
「初期の電気吹込みでは、楽器の分離が甚だ粗雑で、
ほとんど絃と管との区別がつかず、
ただむやみに大きな音を出した時代があった。」
電気吹込みであっても、
1920年代末から1930年代初期のものは、
やはり、あまり薦められないということであろうか。

たとえば、ベートーヴェンの「第一交響曲」などは、
この著書の中では、1930年代後半の
ワインガルトナーの演奏が紹介されているのみである。

したがって、というべきであろうか、
今回聴けた1931年録音の近衛秀麿盤、
1928年録音のプフィッツナー盤などは、
あらえびすは知っていたはずだが、この著書には登場しない。

シューベルトの室内楽を管弦楽化した、
日本の指揮界の先達、近衛秀麿には、
残されたレコードが極めて少ない。

この時代のものは、さらに稀少で、
いったい、日本人のパイオニアが、
どのような音楽を奏でていたかということが、
妙に気になってしょうがない。

そもそも、遠い異国の古典音楽を、
我々の先祖はどのように受け入れてきたか、
ベートーヴェンと私たちの距離や、
シューベルトと私たちとの距離感を、
私は何とか実感したい。

この近衛盤、珍しくもミラノ・スカラ座管弦楽団の演奏とあり、
当時のSPレコードのレーベルを表紙デザインにして、
かなりノスタルジアを感じさせる仕上がりになっている。

ケンレコードというところから出された日本製であるが、
初めて聴くレーベルだ。

解説はたった2ページで、
ここにレーベルの意図や正体が書かれているわけでもない。
解説は、歴史的事実が述べられているだけで、
録音のいきさつなどは不明。

ただ、第一交響曲は、
「邦人によるベートーヴェンの交響曲全曲盤の第一号」、
「邦人の指揮者が海外で録音した最初のレコード」とあり、
これが、いろんな意味で原点となる録音である旨が読み取れる。
とはいえ、あとは、聴いて判断せよという感じである。

近衛は、1930年、「越天楽」を編曲しながら、
シベリア鉄道でヨーロッパに向かったようだが、
先に取り上げた、例の評伝では、
この楽旅は、フルトヴェングラーや、
クライバーと知己を得たことが、
最大の収穫のように書いてある。

翌31年年初に、
スカラ座を振ってレコード録音したことにも、
触れてはいるが、ここでも経緯は分からない。

この本の中で、フルトヴェングラーに会う時は、
ライヴァル、トスカニーニの話は厳禁、と言われているが、
スカラ座のオーケストラといえば、
わずか2年前の29年まで、
そのトスカニーニが振っていた楽団である。
フルトヴェングラーと交遊しつつ、
アンチ・フルトヴェングラーの、
トスカニーニとも接点を探っていた可能性もある。

このあたり、海外の最新事情を強引に吸収しようとする、
黎明期の貪欲さが感じられて良い。
このようななりふり構わぬ存在があったゆえに、
短期間で、洋楽が、この国に根付き、
あらえびすのような愛好家が、現代にも通用する著作を、
残すことができたのであろう。

このCDの嬉しいところは、3曲目に、
トスカニーニとさらに縁の深いNBC交響楽団との演奏(1937)が入っていることである。
(評伝にも、1936年には、
この大指揮者との交遊が始まったことが書かれている。)

このように、近衛は、この時代、
ドイツ、イタリア、アメリカ、ロシアなどを拠点に、
活躍の場を広げていったようだが、
果たして、プフィッツナーとは面識があったのだろうか。

1930年には、ベルリン・シュターツカペレのオーケストラによる、
プフィッツナー指揮の「田園」が、
また、33年にはベルリン・フィルとの「第八」が発売されているから、
近衛の近辺で、何らかの話題はあったはずである。

さて、プフィッツナー盤の「第一」は、例のNAXOS盤なので、
解説で、丁寧な演奏の特徴が書かれているはず。

そこに期待して入手したが、やはり、
クライバーの「第二」と同様、Rob・Cowanという人が、
タイミング表示付きで、演奏の特徴を要約してくれていた。

前回、バックハウスの「ます」が、シューベルトの没後100年を、
機会とした録音と書いたが、このプフィッツナーの「第一」も、
ほぼ同じ年、1928年頃の録音ということになる。

さっそく解説を見てみると、
この前のものと同様、最初の方は、
演奏と関係なく、曲に対する説明から入っている。

「奇数番号が、穏やかな偶数番号の曲より、
ドラマティックであるという、
ベートーヴェンの交響曲に対する広く知られたセオリーは、
第一と第二を考える時にはうまく行かない。」


「第二交響曲の作曲は、迫り来る難聴や、
いわゆるハイリゲンシュタッドの遺書とほぼ同時期であり、
エレガントな第一に比べ、明らかな古典的話法を使いながらも、
よりタフで拡張されたものとなっている。」
ということで、まるで、「第二」の解説みたいである。

「第一交響曲は、1800年の4月に初演され、
幾度となく、『18世紀の白鳥の歌』と呼ばれてきた。
第一と第四楽章はゆっくりとした序奏で始まるが、
もっとも目新しい語り口調は、
ユーモラスにためらうアダージョが、
徐々に歓喜に満ちたアレグロ・モルトに道を譲るフィナーレにある。」

確かに、世紀の最後に出たエポックメイキングな作品ではあるが、
「十八世紀の白鳥の歌」とまで呼ばれるとは知らなかった。

とはいえ、1800年といえば、モーツァルトは亡くなっていたし、
より高齢のハイドンは、名作を書き終わっており、
シューベルトは3歳の幼児であって、
特に知られた大作曲家に限れば、ベートーヴェンしか、
こうした作品を書く候補はいなかったかもしれない。

「中に据えられた、アンダンテとスケルツォは、
コントラストの両極をなし、
特にスケルツォでは、明るく爽やかな味わいで、
シューベルトを予言している。」
そういわれて耳を澄ませると、確かに、「大ハ長調」の、
壮大な活気を思い出すような楽想である。

このように、曲の解説は続き、併録された「田園」についての記述が続く。
ここは、よく知られたことが書かれていて、8年後の作品で、
五楽章形式となってベルリオーズの先駆をなし、
各楽章に作曲者自身のタイトルが記され、
「描写や絵画ではなく感情の表現である」というその言葉が、
紹介されている。

ここからが、いよいよ、曲の詳細と、演奏の特徴を示す部分である。

「戦前の78回転盤で、もっとも有名なものは、
トスカニーニがBBC交響楽団を指揮した、
1930年代のものであった。」
と、先ほど来、話題にも出した、
トスカニーニの事が書かれている。

「様式の点から言えば、この二人の指揮者は、まるで違ったものだ。
トスカニーニが比較的、客観性や、文字通りの真実味や、
表現力豊かなテンポのシフトを避けた方法を好むのに対し、
ドイツの作曲家で指揮者であるハンス・プフィッツナーは、
あふれるような愛情を持って接している。」

なるほど、「客観的」のみならず、
誠実、真実を表わす、「truthfulness」ゆえに、
かのイタリアの大指揮者トスカニーニは、
ベートーヴェンが書いた楽譜に忠実で、
そこに書かれていない表現以外では、
テンポは動かさないという論法である。

こう書かれると、誠実と愛情は別物だったのか、と、
妙な早合点と納得とをしてしまう。

プフィッツナーの表現は、
主題などをこれみよがしにゆっくり演奏したりして、
現代の目からすると、酔っ払いのテンポのようにも思えるが、
これは、杓子定規な表現を嫌い、
作品に対する愛情ゆえだ、という解釈のようである。

クライバーの「第二」が、スタイリッシュだったのに対し、
同じCDにカップリングされた「第四」(こちらはプフィッツナー指揮)も、
どうも、へなへなした軟弱風と聞こえたが、
それは違う聴き方をしなければならないようだ。

先般のCDの写真にも明らかなように、
時代錯誤のマッド・サイエンティストの風貌。
おかしなおっさんが、勝手な解釈をした、
としか思えないのだが、
こう書かれると、よく耳を澄ます必要があろう。
同時に、頭も切換が必要である。

「実際、1928年、
プフィッツナーの『第一(ベートーヴェン)』の録音が、
オリジナルリリースされた年は、
トスカニーニがニューヨーク・フィルを指揮していた年である。
これはトスカニーニのベートーヴェンに対するアポロン的視点が、
ドイツの偉大な同時代者、フルトヴェングラーの、
きわどい柔軟性に対抗していた時代にあたる。」

このように、フルトヴェングラーとトスカニーニとの確執は、
輸入版CDでも、日本の書物でも、必ず触れられる話題なのである。
ナチスの時代に入って、さらに、これがややこしい事になるのは、
周知のとおりである。

しかし、主人公のプフィッツナーからいきなり、
フルトヴェングラーの話にするのは止めて欲しい。

このCDには、もう一曲、
先の「第六番、田園交響曲」も収められており、
むしろ、こちらの方に、この音楽家の特色が出ているようである。

「作曲家としてプフィッツナーは、
偉大なドイツロマン派の伝統を保持しようと努め、
美しくも影響力のある傑作と位置づけられ、
一部、 自伝的でもある歌劇『パレストリーナ』が、
後世に残る代表作とされる。
指揮者としては、プフィッツナーは、
霊感に満ちてはいるが、気まぐれである。
彼のアプローチのすべては、この『田園』に最も集約されており、
わずかな速度の変化、強調が、
楽譜の裏側まで見通す、先鋭な創造精神を示唆している。」

なるほど、マンネリのようにも思えるテンポの変動も、
実は、想像力の発露だったわけである。
こうした援護は、近年、聞いたことがなかった。

「どちらの交響曲(第一と第六)も、
いくつかのリピート表記は守られていないが、
正当にも、重要な『第一』のスケルツォは、
繰り返されている。
プフィッツナーの『第一交響曲』に対する姿勢は、
音楽的に豊かな鑑賞眼を感じさせるものの、
様式的には正統なものである。」

「最初の楽章の快活な第一主題(1:23)は、
かなりの優美さを伴いつつも、
手早く処理されるが、第二主題(2:13)は、
巧妙なテンポの緩和で、際立たせられる。」
さっそく、このタイミング表示の恩恵が味わえる。

ここまでのところを聞き比べると、
一聴して、近衛盤の方が新しいのに録音が悪い。
ざらざらノイズが多く、音量が弱々しく、そのせいか音が薄っぺらな感じがする。

2年後の録音であれば、
近衛盤に求められる「レコード市場で勝つポイント」は、
「最新の録音」くらいではないのだろうか。

ドイツを代表する高名な音楽家が、
天下のベルリン・フィルを振ったものが、
競合盤なのだから。

しかし、この二つの録音とも、あらえびすが、
特に評価した形跡がないのは残念だ。
そもそも、近衛とは交友関係があり、レコード愛好家仲間だったはず。
録音が悪いと切り捨てられたのだろうか。

2年後の「田園」ですら、あらえびすは、
「古いながらも今でも評判のよいレコードである」と書いている位だから、
曲も録音も落ちるとなれば、「名曲決定盤」には、
取り上げなかったとしても、不思議はない。

しかし、プフィッツナー盤は、すくなくとも、
今回のCDを聞く限り、比較的、良好な音質と思える。
あらえびすが、古いと書いた時点で10年も経っておらず、
この時代の技術進歩の速さを偲ぶことが出来る。

さらに言えば、この「第一」、
話題の「田園」に比べれば、
はるかに癖のない演奏と思える。
第二主題のテンポ変化も、それほど大きなものではない。

むしろ、特徴的なのは、低音の動きが出ると、
大きくそこをゆっくり克明に陰影付けするところで、
その時に描かれる太い輪郭線が、この人の味のような気もする。

とはいえ、このようなテンポの変動は近衛盤でも聞き取れる。
近衛盤では、少し早めのテンポに推進力がある代わりに、
録音のせいか、復刻のせいか、プフィッツナーのような低音の陰影が乏しく、
そこにあるはずのオーケストラの存在感を薄める要因ともなっている。

「楽章の展開と共に、プフィッツナーはテンションを高め、
そして、第二楽章のアンダンテ・コン・モートの、
軽快な最初の小節で、改めてそれを緩和させる。」

緊張を高めとあるが、テンポがゆっくりの部分もあって、
そこで緊張が途切れるので、それほどのものではない。
ロマン派風かどうかという問題も気になるが、
SP録音ゆえのツギハギスタイルということはないのだろうか。

第二楽章の記述は、「最初の小節」だけで、
次の話題に飛ぶのが、少しさびしい。

「スケルツォの渦巻き状の第一主題(0:05)の頂上から、
トランペットが鳴り響き、
オーボエの四分音符で開始されるトリオでは、
それが失われたように響く。
プフィッツナーは、この時代の習慣に従い、
中央のトリオ部のテンポを急に落としている。」
ということで、これだけでこの曲の解説は終わって、
「田園」の解説に移る。
第四楽章については言及なし。
これまた寂しく、残念。

近衛盤においても、トリオ部のスピードは急に落ちる。
どちらも、この時代の習慣の影響から脱皮したものではなく、
聴衆もまた、こうした演奏を求めていた可能性が高い。

こうして、みんなで同様のテンポ処理がなされると、
どうも、「愛情」とは反対の、「無意識」、
「想像力」とは反対の「マンネリズム」を感じるが、
ものは言いようよも言えるし、
擁護して考えると、確かに、そもそもは、
楽譜からの自由な飛翔を意味するものだったのかもしれない、
などとも思える。

それにしても、近衛盤の音質は全体にわたって劣悪で、
「ほとんど絃と管との区別がつかず」と書く、
あらえびすの表現に近いものである。

近衛は、颯爽とした指揮姿を想像させる洒脱な味を出して、
ドイツの大家に伍する演奏を繰り広げているだけに残念である。

あらえびすの目からは、両方ばっさり、という感じなのだろうが、
当時の、他の批評を読んでみたいものである。
ベートーヴェンが個性を出し切っていない「第一」の演奏では、
なかなか特徴を出すのは困難であることも痛感。

そんな中で、何ゆえ、近衛はこの曲を録音したのだろうか。
プフィッツナーの場合は、「没後100年記念の全集完成」という大義名分があった。
イタリアまで行って、何ゆえ「第一」?
他の名曲にはライヴァル盤目白押しだったということか?

このCDには、他にもいろいろ入っている。
ベートーヴェンに続いて収録された、
1937年録音のシュトラウス「こうもり」からのワルツは、
前述のNBC交響楽団のものだが、思わず笑みを漏らしてしまうような、
快演となっている。

RCA放送用の録音の私家盤とのことで、大変貴重。
数年を経ているが、録音技術の進展を体感できるものではないのが残念である。

日本のオーケストラによる二曲が続き、
一曲は、あの「越天楽」の自作自演であるのが嬉しい。
が、録音は28年、32年とも同上。
黎明期の日本のオーケストラ演奏がどうかと言えば、
海外の楽団と並べて、大きな違和感があるようなレベルではないようだ。

最後は、プフィッツナーが、先のベートーヴェン演奏で使っていた、
ベルリン・フィルによる「君が代」。
1938年録音。ナチス時代のもの。
ここから、何か音楽的な感興を引き出すのは、かなり無理がある。
重要な記録ではあろうが、鑑賞したい類のものと言えるだろうか。

ベートーヴェンの「第一」の前には、
リムスキー・コルサコフの、「スペイン奇想曲」が、
ベートーヴェンと同じオーケストラで入っているが、
これは、シュトラウスと同様、
楽しい、しかも味のある表現が微笑ましい。

貴重な記録で聞けてうれしかったが、玉石混交という感じであろうか。

得られたこと:「ロマン派風のツギハギテンポは、本来、演奏家の愛情や想像力の発露であった。」
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by franz310 | 2007-06-24 11:18 | 音楽
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