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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その74

b0083728_11551677.jpgE・クライバーの残した
録音の中では、
後年、デッカに残した
ベートーヴェンの交響曲集が、
録音からも、
推進力からも、
推薦するに足る
すばらしいものだが、
今回、私が特に心を動かされたのが、
NAXOSレーベルから復刻された、
スメタナの「モルダウ」であった。

1928年という、
非常に古い録音であるが、
Mark Obert-Thornという人が、
丹念な復刻を行っており、
聴きやすい、自然な音質でCD化されている。

この人が何者であるかまで、
ちゃんと、このCDの解説には書かれているのもうれしい。
録音時を取り仕切る、
レコーディングのプロデューサーとか、エンジニアは、
よくレコードやCDの記載にも登場するが、
一度、録音が終わった記録が、
きれいに再生されるように音つくりを担当する、
エンジニアは、あまり、よく知られた商売ではないだろう。

しかし、こうした古い録音を、
多くの愛好家が満足して楽しめるようにする技術者は、
むしろ、アーティストなのだと言う。
確かにそうかもしれない。
技術者と呼ぶには、あまりにも感性的な要因が多すぎる。
こんな解説が載っている。

「Mark Obert-Thornは、世界でもっとも尊敬されている、
トランスファー・アーティスト/エンジニアの一人である。
彼は、パールやビダルフ、ロモフォン、ミュージック&アーツといった、
多くの専門レーベルと仕事をしている。
彼の三つのトランスファーは、グラモフォンアワードにノミネートされており、
最近では、フィラデルフィア管弦楽団の12CDからなる記念事業の、
芸術コンサルタントにも任命された。」

ということで、トランスファー・アーティスト/エンジニアというのが、
何十年も前の録音を聞きやすい形に直してくれる職業だということだ。
トランスファーは、古いSPレコードをCDに「転写」するという意味であろう。

日本ではリマスタリングという言葉がよく用いられるが。
これも英和辞典で調べると、
「remaster =(通例デジタル録音により音質を向上させて)
・ ・の新しいマスターテープ[原版]を作る」
とあり、和製英語ではなさそうだが、何か使い分けがあるのだろうか。

「Obert-Thornは、古い録音の音響品質に、
大きな変更や、多大な付加を行うような、
『純粋主義者』や、『再加工者』というより、
自らを、『控えめな介在者』と表現している。」

もちろん、そういった姿勢は大歓迎である。
こうした人が、勝手な効果を付けてしまうと、
何を聞いているのか分からなくなってしまう。

「彼の哲学は、良いトランスファーは、
それを気づかせず、むしろ、
演奏に注意が行くようなものであるべきだ、
というものである。」

「bert-Thornの復刻は、残響の多いカテドラルサウンドでも、
多くの権威ある商業復刻がそうであるような、
可もなく不可もない音に、貧弱な低音が響くだけのものでもない。」

確かに、ノイズを消して、肝心な音楽の一部まで消してしまった、
薄っぺらな復刻では、興ざめも良いところであるが、
このCDでは、十分に演奏を味わうに足る自然な音響となっているし、
豊かさもある。

「彼は、もっとも状態のよい78回転盤を選び、
しばしば、オリジナルマスターを保管している
会社のアーカイブのメタル原盤から復刻する、
復刻エンジニア以上の結果を得ている。」

ということで、この人の特徴は、
そこらの収集家の持っているSPレコードを音源として、
みごとな音質でCDを作るということにあるようだ。

「彼のトランスファーは、古い録音特有の、
オリジナルトーンを保存しており、
他の多くの商業復刻にはない、
低音の周波数と重要な中高音域に気を配り、
音楽的な高忠実度を達成している。」

このCDにはありがたいことに、たくさんの、
クライバーの演奏によるチェコ音楽、
特にドヴォルザークが集められていて、
いろいろ楽しめるのがお買い得感を高めている。
「偶然今回リリースのセレクションは、
だいたい、オリジナルのレコーディングの逆の順番になっている。
『謝肉祭』序曲は、英国デッカプレスから取られた、
初期の“ffrr”レコーディングである。」

これなどは、1948年の録音とあるが、他の戦前の録音に比べて、
特に音質良好とも思えない。
大戦中、軍事用に開発されたというffrrのよさは良く分からない。
ロンドン・フィルの演奏。

その前に収められた「スケルツォ・カプリチオーソ」は、
私の好きな音楽だが、短縮版だったのが残念だが、
その理由も書かれている。

「『Scherzo Capriccoso』は、
初期のドイツのUltraphonのコピーである。
オリジナルはシビアなピッチの不安定性によって、
むしろ残響過多のものであったが、
私は、今回のトランスファーでこれを改善することを試みた。
(SPの)両面に作品を収めるために、
後にオーマンディがミネアポリスで録音するのと同様、
クライバーはスコアを短縮している。」

このようにSP期のレコード録音の制約(片面3-4分)上の措置だったようだ。
演奏時間は8分55秒である。
これが1930年の録音。ベルリン・フィルを振っている。
戦争の影響が、この年代差からも読み取れるというものだ。

続く、スメタナの「モルダウ」は、11分03秒なので、
無理に両面に収めようとしたら、どんな音楽になっていただろうか。
危なかった。

「残りのセレクションは、
すべてドイツ、フランスのポリドールプレスの黒ラベルから取られている。
興味深いことに、クライバーは、2年の間に2回録音しており、
同じカタログナンバーで配給された。
今回のものは後からのもので、前のものよりテンポの動きが自由で、
よりコンヴェンショナルな解釈になっている。
同じスラブ舞曲の録音が、これらのセットのいずれにもフィルアップされた。」
ということで、1927年のスラブ舞曲第一番が、
片面用にあったので、計2枚とし、
3面を使って「モルダウ」がSP化されたものと思われる。
これらは、ベルリン国立歌劇場管弦楽団(シュターツカペレ)。

私も学生の頃は、二枚組のLPを買うのには、
大きな決断を要したが、2枚組と1枚の差は大きい。
スケルツォ・カプリチオーソでのカットの決断も、
やむをえないものがあろう。
それにしても、違う録音に同じカタログナンバーというのは、
あまりにも紛らわしい話ではないか。

さて、「モルダウ」のどこが、私の心に響いたのだろうか。
それを振り返ってみたい。

戦前の録音だが、前述の復刻の効果か、みずみずしい音を楽しめる。

曲の冒頭、川の二つの水源を表わす、
ゆらゆらと奏されるフルートですら、
繊細な響きが再現されており、独特の弾みを持って立ち上る。

有名なメロディも、
低音の弾力のあるリズムによって、
まるで生き物のように音楽の細胞が、
脈動しているようにすら感じられる。

ハープの弾奏が、水の泡が弾けるような効果を生んでいる。
おそらく、こうした泡立ち感が、この川の音楽に相応しいのではないか。
それが、私の心の川岸を、ひたひたとさざなみで洗うのである。
水の流れや深さまでが、何故か感じられる。

森の狩猟の場面は、控えめに遠くで響き、
あくまで、河畔の森の中、
エピソードとしての光景であることが暗示される。

特に、農民たちの婚礼のダンスでは、
先へ先へと急き立てられるような、
この指揮者特有の音楽作りが聴ける。
聴いている方も胸が躍り出し、クライバーの感興に乗った指揮姿が、
目に浮かぶようである。

中間部の夕暮れや水の精の描写も冴え冴えと、
清らかな水の底から湧き上がって来て、
それを取り囲む冷気が伝わって来る。
各楽器の自発的な弾力性が、ぴんと張り詰めた感触を盛り上げる。

母なる大河、モルダウの主題が戻ってくると、
やがて、聖ヨハネの急流に差し掛かる。
突如、あわ立つような音形が繰り返されると、
木管が水しぶきの輝きを撒き散らし、
ヴァイオリンの慌しい動きでは、
短めのフレージングで、その響きにも銀色の飛まつが飛び交うようだ。

プラハの町に川が流れ込むときの、
浮き立つような喜びも、あるいは、この指揮者らしいかもしれないが、
古城ヴィシェフラドの主題が誇らしげに奏されると、
コーダのリズムはさらに活力を増していて、
爽快に音楽が閉じられる。

ついつい、この指揮者がプラハにゆかりが深く、こうしたチェコ音楽を、
多く録音したことにも理由があるであろうことを想起した。

この指揮者の盟友、フルトヴェングラーが、
戦後、1951年に録音したもので、同じ曲を聴いてみると、
同時代を生きたとは言いながら、二人の音楽作りの違いが、
明瞭に感じられ、クライバーの魅力が浮かび上がる。

この曲でフルトヴェングラーが使ったのは、
天下のウィーン・フィルである。

最初のフルートからして、あまりにも重々しく感じられ、
曲頭から、いきなり、モルダウは大河となっている。

美しい主題は、たっぷりと豊かな情感を漲らせ、
何か沈痛な悲しみすらたたえている。

狩りの場面の金管の炸裂は、
流れる水の音楽というより、
ヴァーグナーのオペラの英雄の入場のごとき、
大地を踏みしめるものものしい音楽となっている。

このような音楽作りから当然のように、
村人の婚礼も荘重な儀式になっており、
あたかも古式ゆかしいパヴァーヌのごとし。

神秘的な夜の音楽の後、再現されるモルダウの主題は、
川は下流になっているのに、流れはかえって速くなっており、
聖ヨハネの急流に向かって押し寄せて行く。

プラハの町に入って行くところなど、
もはや母なる大河というより恐ろしい土石流になっていて、
後半で無理やり盛り上げる感じになっている。

こうして見てみると、フルトヴェングラーは、
まさしく各場面ごとを、精一杯、絵画として拡張して、
12分30秒かけて眼前に描き出しており、
一方、クライバーは、各場面の対照を際立たせながらも、
11分03秒で、一筆書きのように、音楽が滞りなく、
終着点に到ることを第一としていることがわかる。

フルトヴェングラーの好まざる後継者とされた、
カラヤン(1968年録音)ですら、壮大な音絵巻として、
この作品を繰り広げており、
各部分を説明的になぞっている感じ。
12分27秒かかっている。

実際のライヴァルで、フルトヴェングラーと対立していた、
トスカニーニの1950年盤は、11分08秒で、
クライバーの演奏時間に近い。
冒頭部のピッチカートを強調して期待させるが、
全体に、いくぶん、音楽が磨かれすぎているせいか、
楽器が型どおりに鳴っているような感じ、
わくわくさせる要素が少ない。

私が、クライバーの演奏に惹かれたのにも、
どうやら、それなりの理由がありそうだ。

しかし、このクライバー盤は、
おそらく、モルダウがメインの曲目ではないだろう。
ドヴォルザークの「新世界交響曲」が、真ん中に、どっしりと、
41分34秒かけて居座っているからである。

例のトランスファー・アーティストは、
この曲については、控えめに音質について触れている。

「『新世界交響曲』の原盤ディスクの、
すばらしい状態にもかかわらず、
ほぼ5分にもなろうとする比較的長い録音ゆえに、
いくつかの面の終わりでノイズが聞こえる。
例えば、最後と最初の面の最後近くにラウドな部分があった。」

というが、実際、あまり気にならなかった。

b0083728_11533711.jpg実は、この音源、
すでに、日本でも、ポリグラムから、
「SP名盤コレクション」として、
CD化されていて、
復刻の違いを聞き比べることができた。

このような解説だったので、
私は、きっと、NAXOS盤は、
あまり音をいじっていないのではないか
と思っていたが、
一聴して、あっと気づくのは、
このポリグラム盤の方が、
ずっとノイズが多いことであった。

つまり、NAXOSの方が何か手を加えている感じ。

さらに、むしろ、迫力ある音質なのは、ポリグラムの方なのである。
先の解説にも、うるさくなるところがあると書いてあったが、
ポリグラム盤は確かにうるさいが、反対に、演奏にはかえって伸びがある。

さらに気づいたのは、ポリグラム盤の方が、勢いがあるということで、
何と、全曲が、41分14秒とあり、どうやら、何かが違うようだ。
第一楽章で10秒、第二楽章で9秒、第三楽章で19秒、第四楽章で7秒、
すべてポリグラム盤が短いのである。

トータル表示が10秒差というのを超えて、45秒も長いのがNAXOS盤である。

幸い、どちらにも、SPの原盤の表記があり、
773-74、824-26、775までは一緒、
ポリグラムはここで776を使ったようだが、
NAXOSは615というのを利用、
どうやら第三楽章の後半は別の盤を併用した模様。

最後の827-28、829は同じ番号である。
今回、ここまでしか調べていないが、
なかなか、戦前の78回転盤の回転数管理というのもやっかいな問題と見た。
クオーツ制御もないだろうから、
録音時も再生時も、いったいどんな管理をしていたのだろうか。

こうした録音の問題、音質の好き嫌いはあろうが、
いずれのCDも商品全体として悪くはない。
曲目解説もあるし、その他の解説も読み応えがある。
ポリグラムは、クライバーの略歴に注力、
NAXOSは、前述の、トランスファー・アーティストにスポットを当てた解説。
しかし、ポリグラム盤は、お家元にしては、しょぼすぎる表紙写真ではないか。
「新世界」一曲というのも、サービスが足りないような気がしないか。
NAXOSならより安く、74分にわたって楽しむことが出来る。

今回は、大きく、シューベルトの「ます」から脱線してしまったが、
戦前の録音の復刻の差異や、各巨匠の音楽作りの差異を概観することが出来た。

得られたこと:「SPからの復刻は、ノイズ処理の調整のみならず、回転数管理なども困難、演奏時間10分で10-20秒程度の誤差もありうる。(2-3%)」
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by franz310 | 2007-06-10 11:55 | 音楽
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