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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その65

b0083728_19545440.jpg個人的体験:
インフルエンザにかかって、
高熱を発して三日間、
全身、節々の痛みで寝込んでいた。
その間、目を使うと、
目の奥が痛み出すので、
目を瞑って
出来ることと言えば、
CDウォークマンで
音楽を聴くことだけであった。

そんな環境で、
オンスロウの交響曲を聴くうちに、
シューベルトの事を思い出した。
オンスロウの交響曲第三番は、
原曲は、「弦楽五重奏曲」である。

そもそも少ない編成で演奏できるものを、
大編成にするというのは、
何となく水増ししているみたいで抵抗がある。
レコードがない時代、大編成の曲を、
ピアノや室内楽、あるいは管楽合奏などに編曲して、
普及させる習慣は、ハイドンの時代からあったようで、
私は、そうしたレコードはかなり好きである。

家庭の狭い環境で、大交響曲のレコードを再生するより、
スペース的には理に適っているような気がするし、
多くの楽器の色彩で覆い隠されていた音楽の実態が、
こうした編曲によって垣間見えて来るという面白さもある。
もちろん、油彩をデッサンで楽しむような趣も渋い。

とはいえ、ラヴェルがムソルグスキーのピアノ曲を、
管弦楽演奏できるようにした場合のように、
デッサンに油絵の具を塗りたくって、
華やかな音響の渦に浸れるようになった場合はないわけではない。
特に、市民階級が大娯楽を求める時代になってからは、
そうした例がいくつか出てくる。
沢山の演奏家が一体になって鳴り響かせる大音響の渦の陶酔は、
まさしく筆舌に尽くしがたい効果を上げるからであろう。

晩年のシューベルトが、
「もう歌はやめた。交響曲とオペラだけにする」と語ったのは、
ベートーヴェンやロッシーニ、ウェーバーなどの成功を、
意識した言葉であろうが、ひょっとするとこうした歴史的な展望の中で、
捉えられることが出来るかもしれない。

シューベルトと同じ頃、オンスロウも同じ気持ちを抱いたと思われる。
1820年代の中ごろにはオペラを1830年には交響曲の作曲を開始した。
シューベルトはその間に亡くなったが、交響曲もオペラも、
成功しなかったり、演奏されなかったりで、結局、最晩年を飾るのは、
いずれ至宝の如き、室内楽曲やピアノ曲、そして歌曲であった。
シューベルトが、先の言葉に固執しなかったのは、
大変、良いことであったと、考えることも出来よう。

これらの大規模な作品の仕事に専念するということは、
オンスロウのCD解説にもあったように、
作曲以外の事務仕事に忙殺されるからである。
それによって、シューベルトの最後の2年を飾る傑作群の、
どれが書かれなかったと考えるだけでも、恐るべき損失であろう。

イギリスを代表する作曲家のベンジャミン・ブリテンなどは、
音楽史で最も実り豊かな一年は、1828年であったと言っている。
いうまでもなく、名作群を立て続けに完成させていった、
シューベルトの最後の年のことを指している。

しかし、先の言葉にあるように、交響曲を想定したような、
壮大な構成が晩年の諸作を彩るのも事実であって、
その編成に収まりきらないような豊かな、
空間的、時間的な広がりが、晩年のシューベルトの作品を特徴付ける。
また、交響曲も、歌劇も、最期までシューベルトの構想にあって、
これらのスケッチの残骸が、その草稿の中に沢山残されていた。

長命だったオンスロウも、交響曲とオペラへの熱中から、
室内楽の作曲家に戻って行くことになるが、
シューベルトが長生きした場合、どのような作品群が残されたのであろうか。
あるいは、1828年がピークで、あとは昔の作品の焼き直しみたいなのが、
ぞろぞろと作られるだけになった可能性だってあるだろう。
こう考えると、失敗の連続こそが、
シューベルトの絶えざる発展を生み出したとも言える。

それにしても、最期の年に、シューベルトが、
こうした高度なレヴェルに達した作品の作曲に専念できたというのは、
素晴らしいことであった。
例えば、前の世代のモーツァルトも、
後の世代のマーラーやR・シュトラウスも、
必死に演奏会や家庭教師によって収入を確保しながらでないと、
作曲などをすることは出来なかったのである。

シューベルトは、最後の年に、自作のみの演奏会を企画し、
成功を収めているし、そこそこ、楽譜も売り出せていたから、
短命ではあったが、道を究めることが出来たのであろう。

とはいえ、意欲的な作品ほど、出版社は難色を示した。
それによって、シューベルトが方向転換して、安易な作品ばかりを、
売り込むように、なったりしなかったのもよかった。
だが、長生きしていたら、
そういった誘惑に負けることもあったかもしれない。

ということで、シューベルトの作品は、
演奏されず、出版もされず、といった扱いになる場合があり、
識者の中で、これを何とかしようと考えるようになる人が出てきた。
ピアノの名匠フランツ・リストは歌曲をはじめ、
「さすらい人幻想曲」の管弦楽化などでシューベルトの普及に努めた。
ベルリオーズなども歌曲「魔王」の伴奏を管弦楽化した。
さらにヨアヒムは、ピアノ連弾のソナタを交響曲にしてしまったし、
ついには、日本人が最晩年の大作、「弦楽五重奏曲」を、
交響曲に編作してしまった。

私は、この曲の存在を何年か前に知って、こうしたものが、
まさか実演されると思っていなかったのに、
何年か前に、新宿でこれを聴くことが出来た。
その時の印象は、非常に地味なものであったが、
一番安い席で聴いたせいかも知れない。

最近、その時の指揮者、高関健が、
同曲を録音したCDが出たのを知っていたが、
その時の印象もあって、特に入手する機会がなかった。
それが、今回、病床にあってオンスロウの交響曲を聴いているうちに、
チェロ二つの弦楽五重奏曲の最高作とされるシューベルトの作品を、
どうしても、改めてオーケストラ版で聴きたくなってしまった。

動けるようになって何日かして、あちこちのレコード屋を、
探し歩いたが、少し遠出して、ようやく発見した。
「シューベルトの五重奏曲をオーケストラ用に編曲したものを探している」
と言うと、たいていの店員は、
そんなものは聞いたことがないという顔をする。
仕方がないので、指揮者の名前を言っても、ぴんと来ないらしく、
逆にレーベル名を聞いて来たりする。
こちらも、そこまでは知らないので、
日本のレーベルだと答えると、相手はますます訝しげな表情となるので困った。

出てきたCDを見て狂喜したが、
何とかならないのだろうか、このデザイン。
指揮者が大写しになっていて、編曲者の写真が、
その上に並んでいる。
題名も、「後期ロマン派に於けるトランスクプリプション」!
何じゃ、これは??
完全に、「分かる人だけ分かれば良い」といった装丁なのである。
シューベルトの「シュ」の字もないので、
これはどんな愛好家を想定した商品なのであろうか?
と悩みこまずにはおれない。

(なお、ここにはもう一曲、マーラーが編曲したバッハの「組曲」という、
超キワモノが収録されている。もちろん、バッハの「バ」の字も、
表紙には書かれていない。
これは、あまりにも奇妙な作品で、ここで語り出すと、
止まらなくなって、文章が終わらなくなってしまう。)

購入して帰りの電車で解説を読み、
解説は、編曲した近衛秀麿自身の言葉、
再演した高関健の言葉が十数ページにわたって記されているのには、
大変満足した。
前回、コンサートで聞いたのは、1998年の2月だったようだ。
オーケストラは新日フィル、東京オペラシティのオープニングシリーズとある。
近衛の生誕100年を記念しての演奏だったようで、
今回の群馬交響楽団との演奏が、同じ年、6月、群馬での演奏だったらしく、
ライブ録音とある。
近衛秀麿は、ドイツの大指揮者フルトヴェングラーとも親交があった、
日本指揮界の草分け的存在で、
その交友と指揮姿から、「振ると面食らう」と呼ばれていた人、
あるいは、雅楽をオーケストラに編曲した人、
というくらいしか知識がなかった。

したがって、単に、珍しい自分のレパートリーを増やすために、
いろいろ行った編曲のうちの一つであろうと、勝手に思いこんでいた。

しかし、この解説を読むと、近衛は、この五重奏曲を、心から愛していたようで、
「正直なところこの一曲は、
僕がかつて音楽的に受けた最大の感銘であったといえる。
当時、まだ音楽に対して去就を決し兼ねていた僕は、
この一曲に音楽を生涯の仕事とすべき理由を見出した。」
とさえ書いているのである。

ちなみに、大ピアニストのルービンシュタインも、
この五重奏曲から、生涯最大の感銘を受けたということを、
どこかで書いている。

また、この曲の構想の大きさゆえに、弦楽五重奏だけで演奏するには、
無理があって、管弦楽化でそれが補われると、ブラームスも言っていると、
その編曲の正当性を論じている。
シューベルトが楽長の職に就いていたら、
おそらくこれを管弦楽で演奏することを考えたはずだというのが、
近衛の意見である。

晩年のシューベルトの書法を、「枯淡の筆」、「孤独で内省的」と書き、
「イ長調(ます)の五重奏曲(一八一九年頃の作)と比すと、
その心境の変化の甚しいのに驚く他はない」とも書いている。

十数年にわたり、五回も書き改めて、シューベルトの様式に、
極力近づけたので、編曲者の個性は出ていないはずだということだ。
オーケストラの楽器もシューベルトが使った編成のものに抑えたという。
題して、「弦楽五重奏曲による大交響曲」である。

指揮をしている高関は、
「木管楽器やホルンに多くの旋律が振り分けられ、
また複数の音色のブレンドにより
柔軟でほのぼのとした響きを得ることに成功している。」
と評価している。

これは、早く聴きたくなるではないか。

私は、帰宅すると、疲れ果て、横になって、
再びポータブルCDプレーヤーにて、これを鑑賞した。
やはり、原曲から大きな逸脱はなく、管楽器や打楽器の補助によって、
響きの豊かさを増しただけという感じ。
(そういえば、もう一つの代表作「越天楽」も、
雅楽をそのままオーケストラに移したような音楽であった。)

私は、オンスロウの交響曲第三番
(こちらは作曲者自身による弦楽五重奏曲からの編曲)
の時にも感じたが、それと同じ印象。
交響的幻想曲の感触である。

やはり、金管楽器が、朗々とファンファーレを奏するような部分がないと、
オーケストラ曲として、ちょっと渋すぎるような気がする。
そもそも、原曲が、チェロの響きを効果的に響かせるべく、
特殊な編成で書いた曲なのであるから、低音の動きが活発になりがちである。
当然、地を這うような、かまぼこ型の音楽となる。
ちょっと類例のない管弦楽曲である。
しかし、要所要所で、ティンパニが轟き、管楽器が吹き鳴らされて、
突き進む様は勇壮であると共に、様々な彩りを添えられて歌われる夢は、
非常に豊かな広がりを持つこととなった。

心が豊かに満たされていって、疲れを忘れ、
この大曲を一気に聞き入ってしまった。

b0083728_19554595.jpg最近、うまいことに、
近衛秀麿に関しては、
評伝が本になっている。
(大野芳著、
「近衛秀麿 
日本のオーケストラを
つくった男」(講談社))。
ようやく、
本を読んでも
頭痛がしなくなった頃、
私は、
これを一息に読んでしまった。

これを読んでも、この曲が、この音楽家の活動の中で、
重要な役割を果たして来たことが分かる。

特に、1933年、何と、本場ベルリン・フィルの演奏会で、
この作品をお披露目したという部分が圧巻である。
大作曲家のR・シュトラウスも臨席して行われた、
この音楽界は大成功で、翌日の新聞には大きく報じられ、
その夜の夜会では、フルトヴェングラーが待ち受けていたとある。

「案の定、僕のシューベルトの管弦楽化が話題になり、
賛否が半ばしていた」とある。
「文筆家は室内楽の管弦楽化に難色を示し、
演奏家や作曲家は興味を持ったようだ。
「なかでもクライバーの激励には感動した。」
とか、
「日本でもレコードで有名なウィルヘルム・ケンプが
額に青筋を立てて擁護論を弁じてくれたのは愉快だった。」
とあるから、この音楽は本場の大物たちをも唸らせたものと見える。
クライバーもケンプも、シューベルトに関してはうるさかったはずだ。

近衛は、戦争中もヨーロッパで指揮者として活発に活動していたが、
このあたりはナチスの治世下のことゆえ、多くの人が忘れようとして、
いろいろなことが、不明確な状況となっているようだ。

この本は、宰相、近衛文麿の弟でもあった、
大指揮者の波乱万丈の生涯を取り上げて、
非常に参考になった。
「近衛を超える指揮者はまだ日本に出ていない」とされる巨人が、
いかにして、狭い日本の風土では阻害され、忘れられていったかが、
これを読むとよくわかる。

得られたこと:「せっかくの意欲的な企画も、店員がぱっと思いつかないような商品作りでは、ないも同然の扱いとなる。」
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by franz310 | 2007-04-08 19:57 | シューベルト
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