人気ブログランキング | 話題のタグを見る
excitemusic

クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
ICELANDia
カテゴリ
以前の記事
2023年 01月
2022年 08月
2022年 05月
2022年 04月
2022年 03月
2021年 08月
2021年 07月
2021年 03月
2021年 01月
2020年 11月
2020年 10月
2020年 09月
2020年 06月
2020年 05月
2020年 04月
2020年 03月
2019年 12月
2019年 10月
2019年 08月
2019年 06月
2019年 05月
2018年 05月
2018年 03月
2017年 10月
2017年 08月
2017年 05月
2017年 01月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 09月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
フォロー中のブログ
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その61

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その61_b0083728_1081849.jpg個人的経験:
前回、オンスロウの
ピアノ五重奏曲が、
最後に、「風のそよぎ」
などという標題音楽の
楽章をおいた事に、
奇異な感じを受けたが、
この人は、
自分の身に降りかかった
悲劇までをも音楽に
してしまうらしい。

狩猟中の事故で、顔に弾丸を受け、
その体験を、五重奏曲にしている
ということなので、どうしてもそれが聞きたくなった。

シューベルトの「ます」からは離れてしまうが、
オンスロウと言えば、いつも、この事故が語られるので、
ちょっと、それがどんな事件であったのかを、
確認しておきたい。

実は、この曲、昔、日本でも発売されたようだが、
今回、入手できたのは、ドイツのMDGレーベルから、
昨年出されたばかりのものである。

このレーベルのものは、すでに作品34と35で取り上げたが、
今回は作品38と67のコントラバス付きの五重奏曲で、
その続編のような感じである。

演奏家も、Quintett Momento Musicaleで、前回と変わらない。
しかし、前作から2年を経て、オンスロウの研究が進んでいることが、
感じられる解説になっている。

「生前、『室内楽の巨匠』とみなされながら、
ほとんど忘却の淵に落ちた作曲家による二つの作品を、
今回のレコーディングは紹介する。」
というのが、前回の解説で、いかにも、忘れられた作曲家を、
恐る恐る取り上げている感じがするが、今回は、
こんな力強い書き出しになっていることからも分かる。
「近年、ジョルジュ・オンスロウの音楽に対する、
興味が広がり、大きくなっている。
研究結果が彼の作品の広がりや美しさを明らかにして、
それらの多くが出版され、録音されている。」

日本では、どのような実演がなされているかは知らないが、
欧州では、なにやら、進展しているのであろう。

「モーツァルトやベートーヴェンの
弱々しい後継者としての長い過小評価の後で、
オンスロウは今、強い芸術的個性、才能ある音楽家、
19世紀前半のフランス及びヨーロッパの音楽シーンにおける
大きな存在として受け入れられている。
明らかに、この考え方の変化は、
彼の作品群を調査し続けている
近年の器楽奏者たちの才能に負うている。」

「オンスロウの作品は難しく、骨の折れるものなのだ。
それは正確さと、何よりもヴィルトゥオーゾのテクニックを要求する。
作曲家は、こうした思いやりを、少ししか意に介していない。
第一楽章は、息切れするようなテンポで急き立てられ、
完璧な指と弓による豪華なパッセージが要求される。
それに加えて、彼の和声や旋律のコントラストは、
しばしば付いていくのに容易ではない。
最後に、古典に根ざし、ポスト・ロマン主義を、
予兆すらしない力強い音楽話法を満喫するには、
単なる名技性を越えて、
演奏者たちがこのスタイルを理解していなければならない。」
これは大変な音楽家である。
難解な曲を理解したあとに、
さらに難技巧の関所が設けられているというのだから。
確かに、シューベルトの最後の弦楽四重奏曲なども、
こうした側面から、かなり最近まで、
等閑視されてきたのではなかったか。

「オンスロウの音楽的言語は、
フランスがエキサイトした世界主義的芸術観や、
外国の演奏家を聞くためにコンサート会場に聴衆が群がり、
フランスの出版社が作品を輸出入し、
革新的楽器製造が最高潮に達した、
19世紀前半の文化的雰囲気を反映したものだ。」
確かに、この時代、パガニーニを初めとする、
超絶技巧の演奏家が輩出され、一般市民たちを、
興奮の坩堝に叩き込んだ時代でもあった。

「オンスロウのバイオグラフィー研究は、
すでに細部まで詰められている。
ただ、このオーヴェルニュ人に、付け加えることがあるとすれば、
ほとんど排他的にオペラ流行に身を捧げた国において、
古典的器楽曲の遺産を継承するという
困難な仕事を一身に引き受けた、
心底からのヨーロッパ人であったということである。」
ますますもって、この解説者は、
オンスロウの研究の価値を信じているようだ。
解説者は、前回、Cordura Timm-Hartmannという人だったが、
Viviane Niauxという人に替わっている。
こういった文章を読むと、このように研究が進展している、
同時代に生きられたことを幸福に感じずにはいられない。

「サブタイトルに『弾丸』とある、
オンスロウの弦楽五重奏曲作品38は、
作曲家の生涯のドラマティックな
エピソードと関連付けられている。」
という具合に、まさに、今回、知りたかったことが、
明らかにされていくのもぞくぞくする。

「それは、狩猟中のアクシデントであって、
1829年、Chateau-sur-Allier近くの
セント・オーガスティンという別荘に滞在中に起こった。」
シューベルトの死の翌年。オンスロウは45歳。
この人は69歳まで生きたから、
人生はまだ1/3残した時の事故だったということだ。

「オンスロウは夜明けのずっと前から呼び出された。
その五重奏曲はその時のすべての時間や思考を語っているが、
作曲家は、まずこの申し出を断った。
しかし、友人はそれを聞き入れず、
友人が気分を害することを恐れて、
彼は集まりに参加することを承諾した。
彼らは森の中に集まった。」
すでに、嫌な予感がする書き出しである。

「オンスロウはイノシシの通路と思われるところから遠くない、
小さな土手の上の木の傍らに陣取った。
しばらくして、犬たちが、
野生のメスイノシシが走って来るときに吠え立てたが、
オンスロウは撃ち損じた。
すぐ続いて、友人が立っている場所から銃を放つと、
オンスロウの左頬を打ち抜いた。
彼は地面に落下し、ハンターの一人が飛び降りて助け、
上向けにしないと窒息死するところだった。
彼は、セント・オーガスティンに連れ戻されたが、
彼の頭部は血まみれの包帯でぐるぐる巻きにされていた。
その夜、彼は「精神錯乱」という楽章を構想した。
作品38の五重奏曲の、1830年版のタイトルページには、
ずばりこう書かれている。
『深刻な事故の後、作者は、彼の苦痛や、
回復、復帰をこの五重奏曲のメヌエット、
アンダンテ、終曲で表現しようと試みた。』」
大事故に遭遇しながら、すぐに、それを音楽化しようとした、
そういう風に読み取れる。恐ろしい執念である。

「この作品は、チェロの名手でパリ音楽院の教師であった、
ルイ・ノーブリンに捧げられている。」
この曲も、コントラバスが最低音を担当するが、
やはり、チェロを重視するとき、
この大きな楽器が必要だということだろうか。
このシリーズ、コントラバスが、しっかりと聞こえて、
素晴らしい低音の安定感に身を委ねることが出来る。

「これは、第一チェロパートの重要性を考慮したもので、
それはアレグロ・モデラート・エ・エクスプレッシーヴォの主題を
直ちに提示する。
ハ短調の主調、拡張された減七度のアルペッジョと
アクセントをつけられた半音階動機、
二つの下降線を伴う第一主題の暗く劇的な性格、
これらすべてが、このドラマティックなハンティングのエピソード以前に、
すでにオンスロウが深い表現を持つ作品を構想していたことを示唆する。」
この部分、注意を要する。
オンスロウのこの曲、非常に深刻な曲想だが、
最初の楽章は、「弾丸」とは関係ないようである。

「熱っぽいメヌエット、「嘆き」が、緻密に構成されたアレグロに続く。
オンスロウは、際立った効果を求め、
彼の苦しみを明確にするために、対照的な要素を利用した。
始まってすぐに、オクターブで重ねられた第二チェロによる長い音は、
突然、二つのヴァイオリンパートによるダブルストップによる
減七度の和音に乱暴に割り込まれ、音響の塊を対立させる。
フォルティッティシモとピアニッニシモが互いに続き、
ほとんど息継ぎのできない連続となる。
非常に素早いテンポで、叩きつけるような、
忘れられない性格の音形が繰り返される。
そして、ヴィオラの短い、ほとんどトリルのような動機と、
チェロの半減七度の威厳のあるフォルティッティシモで、
半音階的な要素が散りばめられ、ドラマティックな雰囲気を盛り上げている。」
確かに、この第二楽章、楽器の動きも音量も、激変して、
切羽詰ったものを表現しようと、異常な熱っぽさ、
精神錯乱の様子が、よく描かれている。
フランスからは、やがて、次の世代のベルリオーズの手によって、
「幻想交響曲」が現れるが、その下地は、
創作の上でも、聴衆のサイドからも、
十分、出来上がっていたという感じである。

「次の楽章、「回復」は、安息に満ちた子守唄のように優しく揺れる。
楽器はそれぞれの中音域内に留まっており、
この楽章の静かな、ミュートされた音は、「嘆き」の大騒ぎとは、
際立った対照をなす。
そこにはダイナミック記号は限られ、
メロディラインは、緊密な和声のテクスチャーで静かに流れる。」
この楽章、美しいのに、4分もかからないのが惜しい。
ベートーヴェンなら、もっと長く癒してくれたであろう。
これからという時に、喜ばしい終楽章がやってくるが、
ちょっと、類型的なくらいに、明るい終楽章だ。
ベルリオーズだとしたら、こんな解決は有り得ない。
やはり、旧世代、「田園交響曲」的な無邪気さである。

「長いヴィオラのトリルが、「回復」の楽しいハ長調の終曲を導く。
すべてのパートが沢山の事を言い、
特に、第一ヴァイオリンと第一チェロがそうだが、
後者のエコーが前者の急旋回の名技的なアラベスクを模し、
ベートーヴェンの作品132にも比較されてきたこの五重奏曲の、
表現力に富む性格を明確に現している。」
大事故でありながら、完全に立ち直っている。

いずれにせよ、この曲の深い感情表出力は、忘れがたいものである。
しかし、このレーベルのオンスロウ。
またまた、古風な絵画のデザインで、
オンスロウの時代(ベルリオーズ前夜)を、まったく示唆しない。
さらに言えば、「弾丸」の内容に似つかわしいとは思えない。
シューベルトの「ます」のような、標題音楽ではないような曲でも、
それらしいデザインがあしらわれて、聴く者の心を音楽に誘っていることは、
すでにいろいろと例示したとおりである。
もうすこし、曲の内容やオンスロウの時代を示して欲しい。
こうしたイメージ作りから、忘れられた作曲家像の構築は、
始める必要があるのではないだろうか。

このCDの二曲目は、作品67で、同じ編成の作品。
1843年の作というから、60歳近くの円熟の作品である。
これも、ハ短調で、オンスロウが特別な思いを持っていたもの。

ものものしい序奏からして深刻で恰幅の良い音楽である。
第1主題は、チェロがニヒルに歌う。
この曲では、終楽章まで、この高貴な気分が継続し、
全体の完成度という意味で、作曲家の腕は明らかに上達している。
相変わらず、同様の音楽を書いているような感じもするが、
こうした熟成味に身を委ねるのは、ロマン派の時代にあっては得がたい雰囲気。

途中、第二楽章は、メンデルスゾーン的な妖精のスケルツォであるが、
単に幻想を追ったものではなく、抜き差しならない緊張感が横溢している。
中間部のメロディはフンメル的だが、安直ではなく、統一感がある。
第三楽章のカンタービレも美しく、非常に高潔で清澄な気配に満たされている。
癒されるに十分な規模の点でも申し分ない。
途中で乱入するエピソードがあるが、次第に、この清らかな歌の中に浄化される。

ひょっとすると、安定感のあるまとまりと、構成のすわり心地の良さ、
深々とした音響の豊かさから、私は、オンスロウでは、
この曲が一番好きかもしれない。

素晴らしい演奏と録音で、この曲を届けてくれたことに、
MDGレーベルには、深く感謝したいぐらいである。
ただし、ジャケット絵画は、何とかならないものだろうか。

この後、晩年の作曲家は、ピアノという楽器にも立ち戻って、
より色彩的な世界を切り開いていくことは、
このシリーズの脱線「オンスロウ編」の最初の解説に見たとおりである。
改めて、恐るべき怪人であると認識し、感服した。

得られたこと:「作曲家や作品のイメージを明確にするためには、徹底したイメージ戦略が重要であろう。」
by franz310 | 2007-03-11 10:08 | シューベルト
<< 名曲・名盤との邂逅:1.シュー... 名曲・名盤との邂逅:1.シュー... >>