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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その58

b0083728_2043651.jpg個人的体験:オンスロウという名前を、
例えば、
音楽学者のアインシュタインが書いた
「シューベルト」(音楽的肖像)
などで調べると、
「ます」の五重奏曲ではなく、
同じ五重奏曲でも
晩年の大作、
「弦楽五重奏曲」の説明のところに
名前が挙げられている。

シューベルトの傑作五重奏曲は、
二曲とも、編成でいつも物議をかもす。
ピアノ五重奏曲では、コントラバスの使用が問題となり、
弦楽五重奏曲では、何故、チェロが二挺使われるかが論議となる。

アインシュタインは、後者のモデルは、
オンスロウが模範でないかと書いている。
同様の編成で五重奏を書いた先達にボッケリーニがいるが、
これを否定した上で、
「むしろ、ジョルジュ・オンスローの多数の五重奏曲の一つが
模範だった可能性の方がはるかに多い。」
「第二チェロは本質的には音の支持であって、
このことは再び、五重奏曲の一部において第二チェロの代わりに
コントラバスを使用することを許したオンスローとの関係を示唆する。」
と書いているのである。

こんな事を書かれると、オンスロウの作品を、
特に五重奏曲を聴きたくなってしまった。
オンスロウの作品などはろくに日本では発売されないが、
うまい具合に、ヨーロッパでは再発見の機運が高まっているようで、
ドイツのMDGレーベルが、
2004年に発売した輸入盤を発見することが出来た。
しかも、ちょうどアインシュタインが書いた、
コントラバス利用の演奏であるのが泣けるではないか。
Quintett Momento Musicale という若手の団体が演奏していて、
録音は優秀で演奏も冴えている。

CDの表紙の絵画もきれいだが、
1673年のヴァン。ダイクが書いた肖像画である点、
いったい、オンスロウと何の関係があるのだろうか。
五重奏曲だから、子供5人ではあるまいな。
犬は何だ?コントラバスの象徴か?

しかし、解説書は、まさしくかゆいところに手が届く内容だ。
これはうれしかった。

「際立った天才たちの存在を無視することなしに、
マイナー作曲家の作品にも、先入観なく客観的な方法で、
アプローチする必要を、今日の学者も音楽家もが認めている。
その結果、音楽愛好家たちは、興味深く、
また、各ジャンルの発展という歴史的な重要度もある
作品たちに親しめるようになってきた。
生前、『室内楽の巨匠』とみなされながら、
ほとんど忘却の淵に落ちた作曲家による二つの作品を、
今回のレコーディングは紹介する。」
まるほど、「a master of chamber music」というのが、
オンスロウの評価であったわけである。

「ジョルジュ・オンスロウは、1784年、
7月27日、オーヴェルニュのClermont-Ferrandに生まれた。
彼の父親は、古い英国貴族の家系で、1781年にイギリスを離れ、
母親もオーヴェルニュの立派な家系の出身であった。
オンスロウは英国でよい教育を受け、
ロンドンにおけるヒュルマンデル、
ドゥセック、クラーマーらの指導によって、
若くして評判のピアニストになった。」
なるほど、前のCDにはなかったが、彼はピアノの名手だったのだ。
それなのに、何故、弦楽五重奏なのか。

「それからおそらく1798年に、彼はオーヴェルニュに戻り、
そこで、親交を結んだアマチュアの室内楽奏者たちによって、
ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンやボッケリーニの作品に親しみ、
チェロを習うに至った。」
ちゃんと、私の疑問にも答えてくれているではないか。

アインシュタインは、シューベルトとボッケリーニの、
直接的な関係は否定したが、シューベルトが影響を受けたとした、
オンスロウはボッケリーニに親しんでいたわけだ。

さらに、オンスロウが、ピアノとチェロを弾いたというところが、
なんとなく「ます」の五重奏曲の成立事情を想起させはしまいか。
そう、あの作品は、アマチュアのチェロ奏者の求めに応じて、
作曲されたのであった。

「同時代の室内楽への徹底的な係わり合いが、
オンスロウの作曲への関心を目覚めさせた。」
何と明快な話であろうか。

「以前、信じられていたオンスロウのベートーヴェン訪問は、
どうやら作り話だと証明されており、むしろ、オンスロウは、
生涯を通じてベートーヴェンに対して、特に後期の作品に対して、
アンビバレントな感情を抱えていたようだ。」
これも分かりやすい。

この前のCDは、オンスロウの後期の作品のものだったので、
何だか時代遅れの変人作曲家といった面が強調されていたが、
これを読むと、野人ベートーヴェンに対し、
貴公子オンスロウといったプロフィールが、非常に鮮明となり、
二十歳かそこらの小僧にしては、かなりませた、
また高踏的なハンサムガイであったような気がしてきた。

「オンスロウの最初の作品は、
三つの弦楽五重奏曲作品1で、1806年頃、出版されている。」
22歳である。いきなり、五重奏曲というのもすごい。
ハイドン、モーツァルトの四重奏曲に、無理やり、
好きなチェロを持って乗り込んだ形であろうか。

「ピアノソナタ作品2、三つのピアノ三重奏曲作品3、
最初の弦楽四重奏曲作品4がすぐに続いた。」

1806年といえば、「英雄」と「運命」にはさまれた、
若いベートーヴェンの飛翔期であり、
シューベルトは、まだ10歳にもなっていない。
こんな時代から活動を開始してさらに半世紀の活動を続けたのであるから、
一代の傑物としか言いようがない。

「ここに至り、彼は、音楽の正式な基礎教育の必要性を感じ、
パリで、アントン・ライヒャ(1770-1836)という
傑出した先生に出会った。
ライヒャは、ヴィーンでハイドンやベートーヴェンを囲むサークルに入り、
自らを鍛え、理論的な知識を獲得した。パリ音楽院の教授として、
リストやベルリオーズ、フランクらを教えた。」
次世代のホープたちの先輩に位置するというわけである。

「室内楽はオンスロウの作品群の中心をなし、
彼も次第に、それに身を捧げ、
他のジャンルは事実上排除してしまうこととなった。
彼の三つのオペラはパリで注意を引いたけれども、
その4つの交響曲と同様、室内楽と同じような賞賛を得ることはなかった。」

「1842年、彼はケルビーニの後任として、パリの学士院の会員となった。」
もう、ベートーヴェン、シューベルトの死後、十数年が経過していて、
改めて、その音楽的生命の長さに驚嘆する。
さらにこの後、彼には十年以上の寿命があった。

「彼は、イギリス、オーストリア、ドイツでもさまざまな名声を博した。
彼はパリでの熱狂的な音楽生活を避け、
オーヴェルニュの比較的人里はなれた場所で、一年の大半を過ごし、
ここで創られた作品を冬になるとパリのサロンで発表した。」
このあたりは、前のCDにも出ていたことである。
「彼は病気がちな身体と、狩りでのアクシデントによる後遺症によって、
残りの人生を苦しめられ、同時期には、彼の作品が次第にフランスの音楽界との
関係を失っていくという状況に立ち会うことともなった。」
前回のCDでは、晩年まで歓迎されていたようだが、この狩りでのアクシデントは、
たぶん、これらの作品が出版された頃起こったものと思われるから、
(続く作品番号の作品で、オンスロウはこの事故を扱っているらしい。)
かなり長いレンジでの話である。

「室内楽の親密な喜びは、グランドオペラや交響詩のファッショナブルなテイストに、
大きく道を譲ることとなった。ジョルジュ・オンスロウは、1853年10月3日、
クレルモント-フェランドで息を引き取った。」

「オンスロウの初期、中期、後期の作品は、
その生涯における特定の領域への好みの変化の強さによって、
識別してもよいだろう。
中期は彼の弦楽四重奏、五重奏への愛情が大きく影響しており、
フランスとドイツで、その名声の基盤となった36曲の四重奏曲、
34曲の五重奏曲が書かれた。
彼の室内楽は明らかに、
ボッケリーニに代表されるイタリアの伝統にルーツを持ち、
五重奏曲ではヴィオラ一挺チェロ二挺の構成を引継ぎ、
19世紀の作曲家たちの主流から一線を画した。」
このように見ると、
パリのサロンで、ピアノの技巧と、管楽器の様々な音色を、
撒き散らして賞賛を受けた作曲家といった、
前回のCDの印象から打って代わって、真摯な求道者としての、
オンスロウ像も形成されてくるのである。

「彼はヴィーン学派が好んだヴィオラ二挺チェロ一挺の構成には
最後の五重奏曲である作品78、80、82まで戻らなかった。
実際、作品32の五重奏曲以降、オンスロウは二挺のチェロの一つを、
ダブルベースで代用することを好み、
この録音でも、その代用が選択されている。」
「ます」でも、常に問題となるコントラバスの利用が、
オンスロウでは、普通に起こっているわけである。

ここから、ついに、コントラバス利用でも良いという、
不思議な編成の誕生の秘話が語られる。
「ダブルベースを利用するというアイデアは、
どうやら、ロンドンでのあるイブニングに端を発しているようだ。
オンスロウは作品32の五重奏曲をある夜会で披露しようとしたが、
第二チェロ奏者が現れず、たまたま居合わせた、
有名なベーシスト、ドメニコ・ドラゴネッティが即興で、
チェリストの代役を務めたのであった。
もともと懐疑的だったオンスロウに、彼の演奏は深い感銘を与えた。
以降、彼は、チェロか、アドリブでダブルベースでもよいと書くようになった。」
これも、ぶっとぶような偶然ながら、
コントラバス利用の効果が発揮された瞬間を物語って、
妙にリアリティがある記述である。

ドラゴネッティは、確か、シューベルトの「ます」の、
コントラバスパートを褒めていたのではなかったか。
この人のことを調べると、イタリア出身のコントラバス奏者で作曲家であり、
1794年以降、ロンドンにあって半世紀を過ごし、
何度か大陸を渡り、ヴィーンではハイドン、ベートーヴェンとも、
親交を交わしたとある。
何と、30曲以上の弦楽五重奏曲はコントラバス入りだという。
後に出現する、ドヴォルザークのコントラバス入りの弦楽五重奏曲もまた、
珍奇な楽器編成で話題になるが、ちゃんとルーツはあるようだ。
とにかく、その楽器の名手たるもの、標準編成に加え、
自分の楽器を持ち込みたがるものと見える。

「作品33の弦楽五重奏曲や、
作品36の3つの弦楽四重奏曲とともに、
1829年3月にライプツィヒで出版された、
この録音の二つの弦楽五重奏曲(作品34、35)は、
オンスロウ中期の作品である。
すべてのオンスロウの五重奏曲と同様、
第二楽章がメヌエットである4つの楽章からなり、
両端の楽章はヴィーン学派の不文律たるソナタ形式で構成されている。」
1829年といえば、シューベルトの死の翌年。
つまり、大傑作とされるシューベルトの「弦楽五重奏曲」の翌年。
オンスロウは作品82まであると書かれていたから、まだ、途半ば。
シューベルトの生涯の疾走と、
シューベルトの初期と後期に置かれた、
たった2曲の五重奏曲が、どのような時間軸で書かれたかを、
改めて痛感させられた。
オンスロウが、ゆっくりと自己の道を模索している間に、
短命のシューベルトは、その時点の音楽界での、
最良の成果を取り入れながら、
火花のような作品を刻んでいったという感じである。

それにしても、ライプツィヒで出版とは、
ロンドンで勉強し、パリで活躍した人にしては、
かなりの国際的知名度ではないだろうか。
シューベルトは亡くなる数年前から、ヴィーンの出版社に失望し、
様々な出版社と交渉を試みていたが、ライプツィヒの出版社からの対応は、
以下のようなものであったとされる。
ペータース社:「偉大な作曲家の出版で手一杯である。」
プロープスト社:「もっとわかりやすい作品を希望する。」
ただし、プロープストは、結局、シューベルト晩年の傑作である、ピアノ三重奏曲作品100を出版しており、前述の弦楽五重奏曲も、結局出版されなかったが送付したようだ。

得られたこと: 「オンスロウはフランスの作曲家であるとはいえ、国際的な知名度も高く、シューベルトに何らかの影響を与えた可能性は大きい。」
by franz310 | 2007-02-17 20:06 | シューベルト
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