名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その42 |
個人的経験: ジュリアード四重奏団は、 現代音楽の大家であり、 特に、バルトークの演奏では、 必ず引き合いに出される、 古典的名盤を残していた。 ベルクの「叙情組曲」なども、 古い録音ながら有名であった。 だが、それゆえに、通常の古典を弾く演奏家とは、 思われていなかったかもしれない。 この前紹介したCDで、ブタペスト四重奏団が、 指揮者として有名なセルを、ピアニストにして協演したのと同様、 ジュリアードは、 バーンスタインとの協演でシューマンを録音したりしていた。 奇人として知られていたG・グールドとも協演していた。 何故、普通のピアニストとやらないの?という感じがまた、 ちょっと変わったことをやる、 特殊な連中という先入観を、 少なくとも私には植えつけていた。 実際、彼らの結成50周年のアルバムを見てみると、 こんな解説が出ている。 「バーンスタインが指揮でやったこと、グールドがピアノで、 あるいは、カザルスがチェロでやったことを、 ジュリアードは果たしたのである」、と。 それは、 マンやアダム、ローズといったメンバーが作曲もするからだ、 と書かれており、 正確に作曲家の気持ちになっての解釈が出来るのだ、ともある。 とはいえ、私が音楽を聴き始めた70年代ころには、むしろ、 ラサール四重奏団や、アルバン・ベルク四重奏団が台頭して、 現代作品でも、 ついに、ジュリアードを越えたといった紹介が目立った。 ここで、改めてレコード芸術の推薦の目録を見ていると、 当時でも、ベートーヴェンやモーツァルトの後期の四重奏曲、 シューベルトの五重奏曲など、ジュリアードのレコードは、 しっかり推薦されていた。 だが、記憶によると、 どうしてもファースト・チョイスではなかったと思う。 しかし、彼らは、 シューベルトの最後の弦楽四重奏曲を録音したあたりから、 明確に、 現代を代表する名四重奏団として、私の脳裏にもしっかり焼きついた。 そもそも、この謎に満ちた長大な四重奏曲には、 シューベルトがその生涯でただ一度開いた自作発表会で、 重要な役割を果たしたはずなのに、これといった名演がなかった。 ブッシュの古い演奏はあったが、 ブタペストも、スメタナも録音をしなかった。 コンツェルトハウスのものを私も持っていたが、 なんとなく、全集録音の一環として、 という感じが強く、モノラル録音であったからか、 決定盤とは思えなかった。 (ただ、アマデウス四重奏団が名演を残していたようだが、 当時は廃盤であった。) シューベルトの音楽としても、この最後の四重奏曲は、 すこし、屈折した受容史を体験したのではなかろうか。 その前の前の四重奏曲(イ短調)は、 すごい顔ぶれで初演されて、生前に出版もされた。 前作の「死と乙女」は、 その激しい表出力で恐ろしいポピュラリティを獲得した。 しかし、この最後の作品は、 立派な完成品、初演の経緯も公知のはずなのに、 幻想的な楽想が錯綜して、長大な音楽が果てしもなく、 敬して遠ざけられるような面があった。 この作品の後、シューベルトは、 弦楽五重奏というさらに巨大な、未曾有の作品を書き、 これが広く知られたがゆえに、 最後の四重奏は、宙ぶらりんになった格好だった。 そこに登場したのが、ジュリアードの79年の録音であった。 これには、非常に感銘を受けた。 非常に、見通しが良く、立体的な構成感も心地よく、 素晴らしい推進力で、 私を、この音楽が持つ火照りの中に投げ込んだのである。 エネルギーを放射して突き進むごとに、 シューベルトが四重奏曲で到達した、 かけがえのない境地が、ようやく明らかにされていく、という感じであった。 ジュリアードのアプローチは、余韻を残す、というようなものではない。 シューベルトの創作の余韻のように弾かれて来た、この音楽の、 実体がこのスタイルによって、明確にされたという感じであった。 そのような耳で、今回の「ます」を聴くと、 やはり、特徴的なのは、めりはりの効いた推進力であり、 序奏からして決然としている。 明確に、各声部が動き回り、それらがいずれも、 神経質なまでの火照りを持っている。 ユニゾンで弾くときも、 複数の音が鉄条網のようにからまっているのが分かる。 考えすぎかもしれないが、 共演者のピアノのアラウは、あおられてもいるようにも聞こえる。 そもそも、アラウは、バッハからベートーヴェン、ブラームスと続く、 重厚なるドイツの本流を得意とした本格派の巨匠であり、 シューベルトは晩年にまとまった録音を残したが、 この2枚組CDに収められた、フランスの作曲家フランクや、 チェコの作曲家ドヴォルザークなどが、 そのレパートリーに入っているなど、想像したこともなかった。 さらに言えば、アラウには、室内楽のレコードというものがほとんどなかった。 あっても二重奏までであり、こんな俊敏な若造ども4人に追い立てられて、 ストレスが溜まったのではなかろうか。 ジュリアードの最盛期は、ここで聴く、 ハイラー、アダム体制までだったという人が多いが、 その黄金時代のメンバーで、「ます」の録音が残されたのは、 まことに奇跡的とも思え、非常に喜ばしい。 この黄金のメンバーであるが、 創立50年の記念に出たCDの写真などを見ると、 新人類のヤンキーたちが、一発かましてくれるぜ、 という感じがダイレクトに伝わってくる。 バックが飛行機なのも、新時代に突入した感じを出していた。 このソニーのCDには、「ます」はないが、 フランクやドヴォルザークの録音が収められていて、 今回、国会図書館の録音から発掘されたものと比較することが出来る。 前者のピアノはボレット、後者のピアノはフィルクスニーという大家を迎え、 巨匠アラウにまったくひけをとらない。 カルテットのメンバーは、第一ヴァイオリンを除いて入れ替わっている。 得られること:「現代からのアプローチがシューベルトの細胞を活性化させる。」 |
by franz310
| 2006-10-29 20:38
| 音楽
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