名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その31 |
個人的経験: あらえびす著「名曲決定盤」を、 今回、改めて読み直して見ると、 最初読んだ時には気付かなかった、 当時の由々しき状況が、 文章のあちこちに染み出していた。 それとは別の話だが、 こんなエピソードが紹介されているのも、 あらえびすが、レコード収集していた、 その時代を彷彿させる。 「室内楽」の最初に、 取り上げられている 「カサルス・トリオ」の項。 ここでは、この団体が最初に録音したのが、 シューベルトのニ短調のピアノ三重奏曲であったことから 書き出されている。 あらえびすや当時の愛好家が、 どんなにそのレコードを手にしたかが、 簡潔に活写されている。 「英国の雑誌でその記事を見るとすぐ、 私は十字屋へ行って註文をしたが、 ちょうど居合わせた近衛秀麿子が、 私の手からサウンド・ウェーブ誌を取り上げて、 『ほう、とうとうカサルス・トリオが入りましたね。 第一、曲が良い。私も一組取ることしよう』 そんなことを言っておられたのを記憶している。 レコードの来るまで、 一日千秋の念いであったことは言うまでもない。」 「第一、曲が良い」と言ったという、指揮者の近衛秀麿は、 そういえば、シューベルトの晩年の弦楽五重奏曲を、 交響曲として編曲したりしていたのではなかったか。 これが、1928年くらいの逸話であり、 この本が書かれたのは1939年頃であるから、 時局は、その頃から一変していたのではないか。 31年、満州事変勃発、33年、国際連盟脱退、 36年、二・二六事件、37年には上海事変を経て戦争突入である。 「今日ではもはやレコードは輸入禁止されている。 今さら外国から取り寄せようという不心得者は一人もあるまい」 などという言葉が出てくると、ぎょっとさせられる。 だから、38年録音のエリー・ナイらの演奏による、 「ます」の五重奏曲の演奏が、これまで知られてなかったことも 何となく理解できるのである。 そもそも、ヒトラーにも好まれたというドイツの女流、エリー・ナイについて、 「イギリスの女流では大姐御(甚だ失礼な言葉だが)格であるらしい」 などと、 かなり間違った解説が、この本には記載されているのである。 さすがのあらえびす氏も、かなりヤバい状況下、限られた情報によって、 この道を究めた本の出版を夢見て、 何とか、記述を進めていたのであろう。 ただし、エリー・ナイ三重奏団については、 先のカサルスや、メニューイン、ブッシュらに続いて、 「少し若いが達者だ」と、前向きに紹介している点はさすがである。 このナイ三重奏団は、ヴァイオリンもチェロも名手で固められており、 J・ベッキ著の「世界のチェリストたち」の、ヘルシャーの項にも、 「このトリオは、間もなくヨーロッパ各地の演奏会で成功を収めた」 と紹介されている。 ヴァイオリンのシュトループは、 ドレスデンやベルリンのオーケストラのコンサートマスターである。 このトリオに、これまたヴィオラの名手のW・トランプラー、 さらにベルリン・フィルのコントラバス奏者であるH・シューベルトが、 加わって録音されたのが、このレコードである。 トランプラーは、ブタペスト四重奏団との共演で知られるように、 この録音の翌年にはアメリカに亡命している。 その1939年は、ポーランド侵攻によって、 第二次大戦の火蓋が切られた年であることはいうまでもない。 1938年のレコードといえば、名指揮者のワルターが、 数々の妨害の中、ウィーン・フィルを指揮して、 マーラーの「第九」を演奏したものが有名だが、 演奏すれば殺すとか、会場を爆破するとか脅迫があったというから、 もう、めちゃくちゃな状況下であったことは想像が出来よう。 こうした時期の録音ゆえ、「名曲決定盤」に出てこないのも、 あまり知られていなかったという理由も、十分、理解できるのである。 しかし、ナイというピアニストは、ヨーロッパでは無視できない存在のようだ。 P・ローレンツ著の「ピアニストの歴史」では、 この3世紀の歴史における、 わずか、40人たらずの最高級のピアニストとして、 ショパン、リスト、ブゾーニ、ラフマニノフらと共に、 彼女の名前を挙げているのである。 それにしても、このCD、よく復刻してくれたものである。 解説も丁寧で、 祖母がベートーヴェンに面識があったという、 正統に連なる、日本では忘れられた名ピアニストについて、 多くの知識を得ることが出来る。 そして、当時56歳であった、この大姐御のもとに、 20代から30代の若者たちが集って(コントラバスはやや年配だが)、 緊迫した状況下ながら、のびのびと演奏した「ます」の記録。 ナイのピアノが、非常に緻密に見え隠れするのが好ましい。 まるで、山歩きの間に、清流の流れが常に傍らに響いているような感触である。 大ピアニストがわが道を行くレコードは、辟易とさせられるが、 ピアノが控えめであることにかけて、このCDほど徹底したものは他にない。 大姐御という感じはまったくしない。むしろ、慈愛に満ちた演奏である。 ジャケットはどうであろうか。少々、安っぽいか? そもそも、シリーズの通し番号を示す数字が、でかでかと書かれているのが、 どうも、このCDだけでは完成していない感じをかもし出している。 ただし、併録のピアノ三重奏曲(こちらはシュナーベルの息子によるもの)が、 これまた味わい深く、すばらしい。「第一、曲が良い」。 得られること:「戦争の影響というものは、ともすると見過ごされがちであるが、関係なさそうなところにも爪あとを残している。」 |
by franz310
| 2006-08-16 17:50
| 音楽
|
<< 名曲・名盤との邂逅:1.シュー... | どじょうちゃんの悲しい過去が、... >> |