名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その29 |
シュナーベルは、 SPの時代、本場ドイツを代表する 大ピアニストとして、広く畏怖されていた。 昭和14年の前書きがある、 野村あらえびす著、「名曲決定盤」でも、 (あらえびすは、『銭形平次』の作者、 野村胡堂の別のペンネームである。) シュナーベルは、 ピアニストの項で、 フランスのコルトー、 ポーランドのパデレフスキーに次いで、 登場する。 それにしても、この本は、日本のレコード史に残るべき業績であろう。 この著書の復刊がなかったならば、 私も、ここに列挙されている多くの演奏家に対して、 たいした興味もなく、過ごしていた可能性がある。 例のGRシリーズでも、多くの名演奏家が体系的に聴けるが、 古い録音のくせに、高価なこのシリーズが、そんなに簡単に買えるわけもなく、 (LPの最後期には、便乗値上げしたりしていたような気がする。) 失敗したらノイズの海に金を捨てるようなものだから、 そもそも、普通の感覚では、必然的に体系的に聴くのは不可能だった。 ありがたいことに、文庫で復刊したこの本には、 その何倍もの演奏家たちが、詳述されているのである。 実は、この名著には、まず、 「よき曲 よき演奏 よき録音」 と大書されている。 現在のレコード評論の源流であることを、 強烈に印象づける。 今も、あちこちで見かける多くのレコード評が、 この原則で書かれているのは言うまでもあるまい。 つまり、ここで私が、 「よき演奏 よきジャケット よき解説」 を大書しようとしているのは、 これに対する反抗とも言えるかもしれない。 よき曲だけではつまらないし、 よき録音以外を探す方が難しくなってしまった。 というか、よき録音でも、つまらない演奏が増えすぎてしまった。 それはともかく、この中で、 「当代の現役的な大ピアニスト中、 最も傑れた人を選んだならば、 十人の九人まで、シュナーベルとコルトーを 挙げることであろう。」 という記載からも分かるように、 シュナーベルは、かなり別格扱いだということが分かる。 あらえびすの時代、 つまり、日本人がクラシックのレコードを求めて、 このような著書を座右に置くようになっていた時には、 まだ、シュナーベルは、次々と新録音を、発表していたのだ。 そんな事にも、何となく、意外さを感じてしまう。 そもそも、シュナーベルなどに関しては、カラー写真を見たことがない。 演奏している所を撮った写真も、記憶にない。 ということで、実在した感覚がまったくない。 あらえびすの著作などを読まない限り、 ふーん、そんな人もいたかもね、といった以上の肌触りのようなものがない。 古い録音の向こうに聴こえる演奏が、これまた端整であるから、 ますます、図書館の資料のようにしか思えないのであった。 だが、これを読むと、 ここには、ナチスを逃れ、イギリスに渡った録音嫌いのシュナーベルを、 何とかレコードの世界に引き込もうとする運動があって、 ようやく、その録音が実現した、などという記載がある。 昭和14年といえば1939年なので、妙に生々しい。 「シュナーベルの演奏に文句を言える人があったら、 それは音楽を知らない人だと言ってもいい。」 ここまで書かれると、やはり、聴かないといけないようにも思えてくる。 そうはいっても、もう、通常のレコード、CDの演奏家としては、 扱われない部類に入ってしまったのは事実であろう。 あらえびすが、「よき録音」と大書せずにはいられなかったように、 この時代の録音技術は、現代の水準からすると隔世の感があり、 彼のレコード、CDを、プレゼントしたりされたりするケースは、 かなり特殊な状況ではなかろうかと思う。 (そもそも、ジャケットからは、何の情報も得られない。 爺さんの顔と曲名と、演奏家名しか読み取れないからである。) しかし、このあらえびすの本でも、 プロ・アルト四重奏団との、「ます」は、 「典麗と言ってもいい、見事な演奏である。」 と断言されているが如く、 まだまだ無視できない何かを持っているような気がして来た。 |
by franz310
| 2006-07-29 23:08
| 音楽
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