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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その464

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その464_b0083728_21262306.jpg個人的経験:
「フロム音楽基金」なる
現代音楽の後援会が作った
レコードの音源を集めた
10枚ものCDのセットを
せっかく買ったのだから、
クルシェネクだけ
を聴くのではなく、
他の作曲家のものも
一通り聴いてみようと思う。



ただし、クルシェネクほどには
突っ込まないように。

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その464_b0083728_21283801.jpgこのCDセットの一枚目は、
レオン・キルヒナー(Leon Kirchner)
という作曲家の作品が
2曲、収められている。
いずれも古典的な
編成の室内楽で、
ピアノ三重奏曲と、
ヴァイオリンとピアノのための
「ソナタ・コンチェルタンテ」。


1957年1月14日発売のLPからのものである。
いずれもピアノは作曲家自身が務めている。

解説には、1950年代中ごろは、
この作曲家は日の出の勢いであったとある。

キルヒナーは1919年、
ニューヨーク、ブルックリンの生まれで、
クルシェネクよりは20歳近く若いが、
ブーレーズよりは数年年配である。

2009年まで生きていたので、
クルシェネク同様に長命であったため、
同時代の人とも思われるが、
日本でレコードが出たというような記憶はない。

シェーンベルクの賛美者というが、
1954年のトリオも、
52年のソナタも、
何故か2つの楽章しかない。
録音時間もわずか36分で、
CDの規格の半分ほどしか入っていないが、
これはLPと同じ収録にしたせいであろう。

表現主義的な悲痛さには満ちているが、
戦後のヨーロッパを支配した、
音のシステム的な感じはない。

音楽が何か扇情的であるし、
各奏者には、刺激的な音色が求められるので、
演奏会で聴いたとすると、
熱演であれば感情をかき立てられるので、
面白い音楽ではあろう。

すくなくとも、
同時代のクルシェネクよりは、
ずっとロマンティックである。

若い頃にどっぷりとロマン派の残照にいたクルシェネクは、
そこに返ることを潔しとしなかったので、
かえって痛々しいほどだが、
キルヒナーにはそうした束縛はなかったということだろう。

特に、コンチェルタンテは、
第1楽章が14分という長丁場であるが、
モノローグ的な部分あり、
高揚した広がり感ありと、
変化もあって、
じっくり聴くべき音楽なのかもしれない。
作曲家自身のピアノも雄弁である。

第2楽章はグラツィオーソ(優美に)だが、
出だしこそ繊細だが、
あまり、そうとも思えない
ごちゃごちゃと錯綜した感じ。
時として、
ベルクのヴァイオリン協奏曲のような感じもする。

とにかく、どれもこれも、
濃密な感情に満たされていて、
同じ曲にも思えてしまう。

解説によると、彼は、
バークレイのカリフォルニア大学で、
ロジャー・セッションズに学んだと解説にあるが、
そこには、主題労作にたけており、
自由な12音技法が使われているという。

CD解説は、それだけであって、
後は、オリジナルジャケット仕様の、
CD個包装の裏の0.5mmの文字を読むしかない。

流し読みすら厳しいが、
略歴があって、
40歳にもなっていないのに、
有名人であることなどが書かれている。
また、20世紀の最も捉えどころのない作曲家、
バルトークの音楽を想起させる、
などと書かれてもいる。

その楽譜には、様々な感情表現を表す言葉が、
まるで、マーラーの第10交響曲のように
散りばめられているらしい。

ベルクと書いたが、
マーラーとバルトークの血を混ぜ合わせたら、
こういった音楽が出来るような感じもする。
バルトークの「ラプソディ」の遠縁なのかもしれない。

戦後のアメリカで育ち、評価され、
ショスタコーヴィチのように、
取り巻く環境が興味深いわけでもないので、
キルヒナーの音楽の、
渦巻く感情の中に、
身を投じる動機付けが、
今の私にはない。

演奏家について書いておくと、
三重奏は、
ヴァイオリンがナタン・ルービン(ネイサン・ラビン)、
チェロがジョージ・ナイクルグ
二重奏は、
ヴァイオリンがユーディス・シャピロとある。
どの人も全く分からないが、
ネットで調べると、キルヒナーと同世代の人たちである。

シャピロは美人なので、
ぜひ、キルヒナー自身が、
ピアノに手をついている写真などより、
表紙にしてもらいたかった。

なお、1999年に音楽之友社が出した、
ONTOMO MOOK、
「クラシック輸入盤パーフェクト・ガイド」
には、
芳岡正樹という人が書いた、
「知られざる女流ヴァイオリニストたち」
というコーナーがあって、
そこには、
晩年のストラヴィンスキーの信頼が厚かった
知性派奏者として、
この奏者が紹介されているのを発見した。

ここでは、ストラヴィンスキーのヴァイオリン作品集が
代表盤として紹介されているが、
このCDも、ストラヴィンスキーの横顔のスケッチが
デザインされていたようで、
顔出しがないので、印象に残りようがない。

しかし、このような形で、
「知られざる奏者」が、
こっそりと復活しているのも、
また、嬉しいものである。

ロシア革命で日本に逃れてきた音楽家にも、
シャピロという姓の人がいるが、
コンスタンティン・シャピロがチェロ奏者で、
その妻、リディアと従弟のマキシムがピアノ奏者であったようだ。

彼らは日本でも活躍したが、
特に、マキシムは藤原義江の伴奏をしたり、
音楽学校で教えたりしている。

ロシア出身のストラヴィンスキーとの関係もあるし、
そうした人たちと、関係がありそうだが、
世代としては、ユーディスは彼らよりひと世代後の人である。


名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その464_b0083728_21292127.jpgさて、10枚組の2枚目は、
キルヒナーと名前が似ている
キルマイヤーという、
1927年生まれの
ドイツの作曲家と、
ルー・ハリソンという
1917年生まれの
アメリカの作曲家の
ミサ曲を集めた
アルバムである。

彼らの横顔がうまい具合に並んで、
実に印象的な二重ポートレートとなっている。
向こうがキルマイヤー、約30歳、
こちらがハリソン、約40歳。

マーガレット・ヒルズという指揮者が、
ニューヨーク・コンサート合唱団、オーケストラを
指揮して録音したものだが、
1枚目の室内楽の世界から、
いきなり声楽曲、しかも宗教曲が二曲とは、
さすが、フロム音楽財団の視野は広い。

1枚めのキルヒナーのLP同様、
1957年に発売されたようだが、
こちらの方が録音は早く、1955年とある。

キルマイヤーの曲は
「ミサ・ブレヴィス」と題され、
キリエ、グローリア、アニュス・デイの3楽章。
無伴奏合唱曲ながら、
途中にソプラノの独唱や、
独唱が歌い交わす部分などがある約18分。

ルー・ハリソンの「ミサ曲」は、
クレド、サンクトゥスが挟まって、
なおかつ、オーケストラ伴奏まであって、
30分程の規模になっている。

さすが、10歳年長でもあり、
書き直しも出来たということか、
1952年改訂版の録音とある。

一方、最初に置かれた、
キルマイヤーの曲は、
ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン紙に、
「独自性があり、かつ、合唱の扱いが上手い」
と書かれたそうだが、
下記のように、変化に富んだ内容だ。

キリエ、
キルマイヤーはオルフに認められたということで、
いきなり、曲頭から、音の塊をぶつけるような、
野蛮な感じである。
途中で、モノローグ調になるが、
後半は再び、叫び声が交錯し、
また、それが収まる感じで終わる。
なるほど、アジタートと記されているわけだ。

グローリア、
マエストーソの表示。
控えめな合唱をバックに、
ソプラノの独唱が冴え冴えと響くが、
とてもキリスト教の音楽とは思えない。
南洋の島で海に向かって声を上げているようなイメージ。

キルマイヤーは、ミサ曲を宗教の文脈から外し、
テキストをドラマのように扱った、
と書いているから、
その思惑通りになっているわけだ。

この楽章の終わりにかけては、
目くるめく声の渦が発生し、
素晴らしい効果を上げている。

アニュス・デイ、
レント・ラメントと書かれている。
よって、静かに口ずさむ効果から、
憐みの声を上げる効果などが組み合わされて曲が進む。
途中、合唱から離れて、独唱が交錯させる等、
非常に多彩な技法が試みられている。

この章が最も長く7分40秒あるのだが、
上述のような仕掛けで歌い継がれ、
最後はソプラノ独唱の絶え絶えの響きで終わる。

後半のルー・ハリソンのミサ曲は、
よく見ると、1939年の作曲とある。

その時代を思うと、戦争の足音を聴きながら、
22歳の青年が書き綴った作品ということになる。

最初の版はメキシコやカリフォルニアで、
聖歌のように歌われていたインディアンの歌に
霊感を得て作られたようだ。

が、その後、ニューヨークに移り、
ヨーロッパの影響から、
中世の対位法的な要素を絡めて、
第2版を作ったとある。

非常に沈痛な美しいメロディが底流するキリエ。
キルマイヤーの曲が、戦後の開放的な空気を感じされるのに対し、
押し殺したような閉塞感が胸を打つ。
こちらはオーケストラが付いているが、
オスティナート調の弦楽の動きが感動的だ。

すばらしいトランペット独奏を伴う
グローリアも、極めて深刻な色調で、
ここでも低音弦の動きが表情豊かで、
そこに重なる女声合唱の清純なこと。
また、決然とした調子への転換なども素晴らしい。

この人はヘンリー・カウエルとシェーンベルクの弟子、
とあるが、
オネゲルとかデュリュフレとか、
フランスの作曲家たちの声が聞こえるようだ。

熟達の合唱技法が称賛された
キルマイヤーには、こういう瞬間はなかった。

クレドはアルトの独唱が先導し、
合唱が続くが、これも精緻な書法に聴こえる。
ニューヨーク・タイムズは、
この曲を「センシティブ」と表し、
「熟達した書法」と称賛したが、
合唱とそれに絡み合う器楽による
この楽章の目くるめくような効果は、
まさしく、その称賛にふさわしい。

サンクトクスは、
この曲で最も長い部分(8分19秒)で、
まるで、天の声に強制されているような、
宿命的な響きに満たされている。

結尾のホザンナの絶唱も、真摯で、
表情豊かな管弦楽の色調がユニークでもある。

最終章、アニュス・デイは、
女声合唱による清純な祈りの合唱。
しずしずとこうべを垂れるしかない。
そこにお告げのようなトランペットが重なる。

この曲は30分くらいと手軽なサイズであるから、
ぜひ、もっと実演でも演奏されるべきではないだろうか。

ハリソンは、この第2版を教会でも演奏できるように書いたらしいが、
純粋なコンサート用で第3版を考えている、とも書かれている。

ただし、この作曲家は、だんだん、こうした伝統的な音楽から離れ、
ジャワのガムラン音楽のような方向に向かっていったらしい。
難しいものだ。
名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その464_b0083728_21380048.jpg

フロム音楽財団の関わった
現代(当時の)の作曲家のLP録音、
CD化されたものの3枚目は、
ジュリアード弦楽四重奏団という、
日本でも人気の室内楽団の演奏。
これは、その筋で、
一度、復刻されたことがあるので、
両方のボックスセットを持つと、
同じCDが二枚集まってしまう。


(しかも、36分というCDにあるまじき収録時間のものが。)

しかも、そんな不満に加えて
このCDのジャケット写真は、
どうにもいただけない。
2枚持っている意味が分からない。
(怖いのでぼかしておく。)

マフィアの指名手配のような印象で、
手に取るのも憚られる。

丸顔の方がベンジャミン・リース。
フロムは、ニューヨークの音楽ばかりでは、
どうも偏りがあると考えたらしく、
ロシア系の両親のもと、
中国で生まれ、翌年、アメリカに移住、
カリフォルニアで育ったという、
この作曲家などにも目配りをした。

大戦中は兵役につき、
終戦後に南カリフォルニア大学に入って、
作曲の勉強をしたようだ。
ジョージ・アンタイルの生徒だという。

軽快に始まるぶっきらぼうな弦楽四重奏は、
ヒンデミットとかレーガーの音楽に聴こえる。
中間部に優しいメロディが現れるが、
ここはショスタコーヴィチのような感じだろうか。
1924年生まれなので、28歳の時の作品。

モデラート、アダージェット、アレグロ・ヴィーヴォの3楽章、
15分ほどのコンパクトな曲である。

アダージェットは、マーラーの交響曲のような
甘美なものを想像してしまうが、
モノローグ調で寂しげ。
これも中間部に民謡風とでもいおうか、
メロディアスな部分がある。
ヤナーチェクとかコダーイみたいな感じだろうか。

終楽章は、勢いのある音楽だが、
やはり寂しげで四角四面な感じがする。
ここでも、疾駆するメロディがささっと流れて、
上手い具合に処理している。

この作曲家は、この曲を、
完全に個人的な作品
と呼んでいるようだが、
多感な時期が戦時下に重なった人の内面は、
こんな感じかもしれない。

さて、このCD表紙のもう一方の
四角く長い顔の方は、
リースより一回り以上年配で、
1910年生まれのウィリアム・デニイという人。

これまたニューヨークから離れた、
米国北西、カナダに近いシアトルの生まれ。
カリフォルニアでセッションズに学んだとあるから、
レオン・キルヒナーと同門なのであろうか。
新古典的とされる作風ゆえか、
忘れられた人かもしれない。
リースは、ナクソスからCDが出ていたが、
デニイは記憶にない。

表紙写真の怖い顔の話ばかり書くと、
ハラスメントになってしまいそうだが、
それは表情や構図で何とかなる話で、
作曲家本人を中傷しているわけではないのだが、
それでも、この弦楽四重奏曲の出だしは、
優しくロマンティックでもあり、
先入観を厳しく諫めるものではある。

が、時折、ショスタコーヴィチが
見せる表情に似ているかもしれない。
緩やかな序奏に続く
敏捷な音楽もまた、
これまたショスタコ風の響きを持っている。

高音部でヒステリックで響くヴァイオリンにも、
ソ連の同時代人の響きがある。

やがて、曲は、再び、穏やかな抒情的な雰囲気に戻る。
(第1楽章はトランクィロ-ブリオーソ-トランクィロで11分)

ショスタコーヴィチはデニイと4歳年長で、
15曲も弦楽四重奏曲を書いたが、
交響曲では有名な「第5」が書かれた後、
1938年になって、ようやく第1番を書いた。

しかし、デニイのこの曲は、
1952年なので、戦争を挟んで、
さらにずっと遅い感じだ。
ショスタコーヴィチは、
戦後、ソ連を代表する作曲家であったし、
戦後、すぐに、代表作ともいえる、
第3弦楽四重奏曲も発表しているので、
デニイが、そうしたシリーズを知っていた可能性は高いだろう。

ますますショスタコーヴィチ風に、
グロテスクにゆがんだメロディが跳躍する
第2楽章は第1楽章より少し短く10分弱、
これが終楽章なので、
合わせて20分ほどの作品になる。

この曲については、
LPをそのまま復刻したCDジャケットの裏の
1mmほどの文字を読むしかないが、
第2楽章も2つの部分に分かれているから、
A-B-A-C-Aという構成だと書いてあった。
最後に、最初の穏やかな夢想的な雰囲気たっぷりの音楽が戻ってくる。

当時の評論家は、その熟達した技法や才能を称賛し、
繰り返し聴きたくなる作品と評しているが、
デニイは、今回の3枚のCDの中では、
最も忘れられた作曲家だと思われる。

ここで取り上げた他の作曲家が、
みな、80歳、90歳まで生きて、
今世紀まで存在していたのに、
デニイだけは70歳で1980年に亡くなっている。

得られた事:
「フロム音楽財団が後援した録音をCD化したものの最初の3枚で、キルヒナー、キルマイヤー、ハリソン、リース、デニイという5人の作曲家の室内楽やら合唱曲が聴けるが、いずれも、手堅く、いわば、日本の尾高賞のように、伝統的なものの延長を意識させる選曲となっている。」
「1950年代中庸のライジングスターとされたキルヒナーは、ベルクなど表現主義を背負い、キルマイヤー、ハリソンは、オルフやデュリュフレを思わせ、リース、デニイはショスタコーヴィチ風で、類似品とされてしまう可能性が高い。」
「ハリソンが最も独創的に思えたが、彼はその後、この路線に疑念を抱き、このレールから降りてしまっている。改めて、現代において、新しい音楽を奏でるという意味を考えさせれる。リースなどは、完全に個人的な作品と言い切っており、聴衆はそこにどう向き合えばよいのか。」


by franz310 | 2020-10-22 21:39 | 現・近代
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