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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その459

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その459_b0083728_21152486.jpg
個人的経験:
その復活を
実証することによって、
真の救済者であることを
証明するべく、
イエスは一度は
死ななければ
ならなかった。

その経緯などは、
バッハの「マタイ受難曲」
などに詳細に描かれ、
我々異邦人も、
音楽で学ぶことが出来る。


私は、先だって、メンゲルベルクの指揮の
有名な録音を聞き直してみたりしたが、
イエスの前に立ちふさがる理不尽や、
弟子たちの貢献や裏切りも生々しく、
これが2000年も前の「お話」
とも思えず、むしろ、
これを2000年にもわたって、
ああじゃこうじゃと解釈し、
こねくり回していた
教会なるものに、
恐るべきものをむしろ感じた。

キリスト教の世界では、ここはこう解釈すべき、
という教条主義が脈々とあって、
かつて、私は、勝手な解釈をして、
信者の方に叱られた事があった。

従って、勝手に、クルシェネクの曲といえど、
ここは、こう聴こえる、などと感想を言えば、
怒られてしまうのかもしれない。

しかし、クルシェネクだって、
「哀歌」のこの部分は、こういう解釈だから、
などと考えて作曲したのではあるまい。

おそらく、哀歌の亡国の嘆きと、
そこに含まれる教訓が、
妙に心に響いたから、作曲をしたのであろう。

だから、彼は、「教会用ではない」と断言しているのである。

私も、同様の立場で、自分に響く言葉を、
心に留めていく作業を行った。
信者の方々には、気分を害される方もおられるかもしれない。

とはいえ、いずれにせよ、お話は単純で、
こうした自問自答の受難の後に復活の奇跡があることが、
おそらくキリスト教の
信者たちを力づけて来たものであったはずだ。

2020年の復活祭は、しかし、まったくそれどころではない。
世情にて喪に服した状態である。
日々の感染者は、日本では増加の一途であるし、
海外からは、日本の政策は手ぬるい。
そんな事では日本はもうだめだ、
という声も寄せられている。

これを書いている段階で、
復活祭の季節にまでなってしまったが、
その受難を耐え忍ぶ音楽が、少なくとも私には、
この自粛の日々にふさわしい。
実は、クルシェネクの難解な音楽が、
妙に心に染みるのである。
まったく情感に訴えることを期待せず、
ただひたすらに、音楽を音の規則として扱った、
このきわめて数学的な音の配置が、
図らずも、人智を超えた、異次元に私を誘って止まない。

最初にこのCDを手に入れた時には、
最後まで聞きとおさずに、棚にしまい込んでいたのだが、
この事態を前にして、妙に聴きたくなって、
聴きこんでいるうちに、好きになってしまった。

この言葉を信じてCDを購入する人がいても、
まったく責任は持てないし、
誰かに推薦して、同様の共感が得られるとは、
まったく思えないのであるが。

ただ、歌詞を読んで、
驕り高ぶりはいかん、という気持ちは、
妙に掻き立てられる。

このコロナ禍に対して、
自分は気を付けているから平気だ、
という気持ちの裏には、
自分以外なら、かかっても仕方ない、
というエゴの感情がうごめくのが、
気になってきたりする。
自分は大丈夫というのは、
ユダヤ人の「選民思想」と何が違うだろうか、
というような気持ちにもなる。

この問題は、世界が平らかに収まらなければ、
決して、元の状態に戻るものではない。

人間と人間のきずなを断ち切る、
バベルの塔の災いのような問題である。
「選民思想」があれば、たちまち、
この問題は後に禍根を残すであろう。

前回は、オランダ室内合唱団で聴いた、
クルシェネクの「預言者エレミアの哀歌」。
今度は、RIAS室内合唱団の演奏で聴いてみたい。

ほぼ、同時期の録音だが、演奏時間は、
こちらの方が10分以上長く、
録音もすっきり感じられる。
マークス・クリードという英国出身の指揮者が、
1948年に創設されたベルリンの合唱団を指揮している。

表紙写真は、ドイツの写真家、
グンドゥラ・シュルツェ(Gundula Schulze)の
白黒の作品で、
「ポーランド1980」とある。
工場と十字架が対置されたものであろうか。
現代社会における宗教の在り方を問う作品なのだろうか。

ハルモニア・ムンディから出ているドイツ盤だが、
エバ・シアマッヒャー(EBBA SCHIRMACHER)
という人が解説を書いている。
ただ、この名前でネットで検索してもよく分からない。

1995年に出たCDであるから、
「エルネスト・クルシェネク、私たちの時代の一人の人間」
というタイトルになっているが、
これは、20世紀のことだ。

「私たちがクルシェネクの名を心に思い描く時、
いかなるスタイルの統合としても分類することが不可能な、
様々な作品群に当惑することになる。
しかし、それらを次々に並べて行くと、
我々の時代の音楽史の例がシリーズで読み取れるようにも思える。
従って、彼が、20世紀の音楽的、音楽美学的、
哲学的、歴史的な出来事について意見を表明する中、
人はクルシェネクと、その240曲もの作品にアプローチする時、
偏見のない心で接する必要がある。
1900年にウィーンで生まれ、
他の芸術家の誰とも違って、
多岐にわたる音楽語法で世紀を生き抜いた。」

以下、シュレーカーの影響を受けた、
初期の表現主義の作風から、
マーラー風の「第2交響曲」、
新古典主義の「コンチェルト・グロッソ」、
アメリカの軽音楽の影響を受けた「ジョニーは演奏する」、
といった作風に進んだ話が出てくる。

「実質はロマンティックな作品であったが、
それは『ジャズ・オペラ』というお決まりの誤解を受け、
その大ヒットによって大金を手にする一方で、
一方で、同僚たちからは、
軽音楽のレベルに自分を下げた、という非難も受けた。
それ以上に、国家社会主義者に『退廃音楽』の作曲家という、
烙印を押されて、将来のキャリアに広範囲な影響をもたらした。
黒人のジャズバンドのヴァイオリニスト、ジョニーは、
社会に対するその傲慢な態度によって、
まさしく堕落した芸術のまさにシンボルとされた。
この苦境を脱し、まだ12音技法を受け入れる前に、
あからさまに実質的にロマンティックな語法で、
クルシェネクは最後のエッセイをものした。
明らかにシューベルトに霊感を得た、
『オーストリアアルプスからの旅日記』(1929)で、
クルシェネクは過去に決別し、
新しいものを模索していることが感じられる。
それは、19世紀に失われた語法を続けるように見せかけるとともに、
11音の音列の世界に初めて足を踏み入れている。
これらの歌曲集の中で、
帝国と共に没落するオーストリアに優しい追悼を行い、
故郷から離れる予感が音にされている。」

このような流れの中に、十二音技法による、
オペラ『カール五世』が書かれた。

「1933年にナチスが力を持つと、
クルシェネクの音符は一音も演奏が許されなかった。
彼は真剣によく考え、作曲家をやめ、作家を職業とした。
1938年に合衆国に最終的に移民するまで、
彼は試みに、作家として何年か何とか生計を立てる活動をした。
ここでクルシェネクは多くの同僚と同様に、
芸術家の仕事からまず第一に身を引き、
生活費をレッスンで稼がざるを得ない状況となる。
が、教師としての刺激もあり、
ヨーロッパの音楽から遠く離れた制約もあって、
音楽史の勉強を始め、とりわけオケゲムの音楽に興味を持った。
1941年12月に、
彼の『預言者エレミアの哀歌』作品93を作曲した時、
クルシェネクは目の前に精神的に暗い時代を見ていた。」

このように暗い時代見つめた音楽。

「ヨーロッパから数千マイルも離れ、
将来の可能性はすべて不透明で、
友人も、知的な会話の相手もおらず、
アメリカは戦争の準備をしており、
何より彼の生活費を得る仕事は不確かであって、
この亡命は犠牲を要求した。
クルシェネクは聖なる街の没落に寄せた、
これらの預言者の絶望の嘆きを
この作品が本当に演奏できるかどうか
この音楽がおそらく演奏されることも、
歌われることもないないかもしれないという
心配もあったけど、これに臆することがなかった。
作曲したテキストはクルシェネク自身が
エレミアの哀歌から集めたが、
カトリック教会が
テネブレのお務めで使うのと同様のものであった。」

以下、この前の回でも紹介した言葉が出てくる。

「彼はそれを教会で使うことは考えなかったが、
しかし、テキストの流れは、
『ナチス支配のドイツが私の祖国を破壊行為で脅かし始めたので、
私が生まれ深く関与した教会の権威が聖別したもの』を選んだ。
テキストは、9つの聖書朗読から組み立てられる
その都度に三つのグループに分けられ、
それぞれが、エルサレムの嘆願、
救いの祈り、神への回帰、で締めくくられる。
お務めは一声から九声で作曲され、
八声はダブルコーラスに統合される。
小節線はなく、
テキスト単位も表すリズミカルな数字は、
モーダルボーカルのように、均一な音価で構成されている。」

このように作曲された、「エレミアの哀歌」であるが、
今回は、この現状のコロナの惨状に即して、
「何故、エルサレムが荒廃したのか」
を、歌詞から妄想してみたい。

エルサレムを遠い昔の都と考えると、
他人事になってしまうので、
ここでは、「東京」と呼び変えて、
我々にこれらの音楽を身近に引き寄せてみよう。
この旧約聖書の「哀歌」から取られた歌詞は、
前述のように9つのコンテンツからなる。

これを三日でお務めするので、
1日目から3日目まで3つのコンテンツが並ぶ。

ざざっと、まず1日目の内容を概観する。
ここでは、エルサレムが泣きぬれる
といった感傷的な部分は無視して、
いかに、エレミアが、エルサレムの過去を反省しているか、
という部分にのみ注目する。
1日目の第1ルソンには、
「敵がはびこることを許した」
とある。

これなどは、まさしく、クルシェネクが逃げ出した当時の、
オーストリアの姿であって、まったくもって、
3000年前の物語ではない。
神妙に歌いだされる最初のいくつかの音は、
グレゴリオ聖歌そのものらしいので、
すっと、教会の雰囲気に吸い寄せられる。
うまく、この流れに乗れるかで、
この曲に浸れるかどうかが決まる。

1日目の第2ルソンは、
「罪に罪を重ねた」、「恥が暴かれた」とある。
恥ずかしい事が隠ぺいされるのは世の常であるが、
隠ぺいしてしきれると思うのが腐敗の姿であろう。
第1曲とは異なり、
吸い寄せられるよりは、
ヴェールが下りてくるような感じ。
無伴奏の合唱が、この人間不信の世情のせいか、
音楽が無機質であってもなぜか心地よい。

1日目の第3ルソンは、
「宝物に敵が手を伸ばした」とあるから、
敵が欲しくなるものを持っていた事が悪い、
とも読め、
敵に渡してはならないものまで、
売ってしまったとも読める。
第3曲は、暗中をかき分ける感じの音の連なりである。
ここで、「哀歌」の背景となる「歴史」を振り返る。

極めて単純化した構図によると、
まず、ダビデ王、ソロモン王が築いた、
栄光のイスラエル王国があって、
それらが紀元前900年頃、南北に分裂、
北王国はアッシリアに征服される。
南王国がエジプトと組もうとすると、
アッシリアをすでに支配していた
バビロニアがムカついて
これを攻め滅ぼしてしまった、
という感じである。
この南王国の首都がエルサレムである。

このようにみると、そもそも、
何故、国が二つに分かれなければいいじゃん、
となるわけだが、
ソロモン王が何とか防いでいた分裂が、
王の死で起こってしまった、
というのは、よく聴く話である。

うまく行っているときは、問題もたまっているが、
それが目に見えないので、何かが起こると、
簡単に思わぬことが起こってしまう。
また、民主主義の世界では、
それぞれ思いついた言いたい事を言えばいいので、
これは実は容易に起こりうることである。

今回も緊急事態宣言を国が出すのが、
遅いという人が異を唱えているし、
都の定める規制の対象がどうかということで、
ああじゃこうじゃと国を二分する論争がある。

まだまだ、米中のような死者が出ていないので、
何とか理性を保っていられるが、
まさしく目の前に死体が累々と並び始めると、
実力行使で、町を封鎖する動きが出てきてもおかしくはない。

当然、封鎖した町は立ちいかなくなるが、
そこに某国から支援物資でも送って来た日には、
もはや、国が分断されたといってよい事態になっているわけである。

実は、首相が補助をどこに出すとか出さないとかで、
すでに国の分裂の危機が始まってもいる。
つまり、見捨てられた業界は、
海外の資本の下に入って行く可能性がある。

夜の店には、すべて他国の裏社会が絡んでいる、
といった未来像は恐ろしくて想像したくもないのだが。

「宝物に手を伸ばした」というテキストは、
このように、気づかぬうちに、
国内産業を見殺しにしている
我々自身の価値観にも突き付けられた課題である。

まったくもって、他人事ではない。
音楽で言えば、クルシェネクはアメリカに取られてしまった。
ヨーロッパはユダヤ人の音楽家なども多く失った。

同様に、この災禍の後、
自分のお気に入りのレコード屋が、
営業を再開できるかと言えば、難しい場合も多かろう。

その時、ああ、あれは、この町の宝だった、
などと思い出しても後の祭りになり兼ねない。
そうならないようにするために、どうすればいいのか。

第2日の第1ルソンは、
主に、ひどい目に会った事を嘆く部分が多い。

反省なのかどうかわからないが、
事実として、
「律法を教える者は失われ」とあるが、
これは自責か他責かよく分からない。
音楽は、なんだか分裂気味の、
当惑気味なもので、
律法がないのであるから、
そうなってもおかしくはない。

第2日目の第2ルソンは、
子供が飢えて死んでいくシーンが何よりも強烈だが、
後半には、
「罪をあばくべき預言者が偽りの言葉を吐いた」
とある。

これは、まったく情報開示が進まない状況に似ていて、
極めて現代的な課題である。
何故、これだけ犠牲者が出ているのに、
「テレワークの人とそうでない人の比率」とか、
「酒飲みと酒を飲まない人の比率」とか、
「スーパーでレジ待ちした人としてない人の比率」ぐらい、
整理して公開できないのであろうか。

音楽は悲し気で、無力感に溢れたものだ。
ほの暗いオランダ室内合唱団の演奏より、
RIASの演奏の方が、突き抜けた感じがある。

第2日の第3ルソンには、
「死者と共に闇の奥に住ませる」、
「助けを求めても誰にも届かない」
といったフレーズが、
今まさに、我々が直面しかねない
医療崩壊後を思わせ、
完全に他人事ではない。

オランダ室内合唱団は、
この切迫した状況を叫ぶように訴えた。
RIASは、そうした人間の感情を抜きに、
ゆっくりと、説明しているように聞こえる。
この曲あたり、かなり、二つの演奏で、
解釈が分かれているのかもしれない。

クルシェネクはユダヤ人ではなかったが、
彼の時代のユダヤ人は、
この状況を暴力的に体験した。

ただ、ここにも、
「道を曲げてわたしを惑わす」とあるように、
惑わされている事に対しての自戒があるとも読み取れる。

第3日の第1ルソンには、
「望みを置いて尋ねる魂を救う」とあるから、
我々も、未来を模索しなければならない。
音楽は、無限の宇宙空間を漂う宇宙船のような感じ。
ものすごく美しいともいえる。

第3日の第2ルソンには、
「聖所の石が打ち捨てられている」とあるが、
これは原因か結果かわからない。
ただ、「美食」や「華美な衣」にも触れられているが、
これが罪なのかはわからない。
私たちがこれまで、意識せず大切にしてきた価値観が、
このコロナ旋風の後、瓦礫のようになっている可能性があり、
ここに書かれていることは、ある意味、非常に生々しい。

音楽は、うらぶれた響きを醸し出し、
これまで価値のあったものが、
さげすまれ、打ち捨てられている様子だろうか。

第3日の第3ルソンには、
「エジプトに手を出し、
パンに飽こうとアッシリアに向かった」
という点が罪として明記されている。
つまり、独立の気概より、
実益にのみ走った感じが描かれている。

このフレーズの解釈は、
どこかにオーソライズされているのであろうか。
この国際社会において、隣国と、
何らかのかかわりを持つことは当然なのだが。

古代イスラエル王国が滅びたのは、
「偶像崇拝」がはびこったから、
などと、
当時のロジックに引っ張られて考えると、
単純に意味不明となって終わってしまう。

しかし、これを、仮に、「グローバリズム崇拝」とか、
もっと身近には、「五輪崇拝」とか「経済崇拝」とか、
現代風にアレンジして考えることは可能なのか否か。
クルシェネクのオーストリアも、
結局、99%だかの賛成率で、
ヒトラーを崇拝して滅びたわけである。

とにかく、「崇拝」が入ると、おそらく、
無条件で「考えなし」になるのであろう。
この「奴属状態」では、指示待ちしかできなくなり、
「思考停止」となって、
「俺は言われたからやっただけだ」
という方向に流れていく。

世界中で起こっている事を、
分析することもなく、
「お上が禁止してないから、俺は7時までなら飲んで騒ぐぞ」
といった発想にもなりうる。

そもそも、日本企業は、言うことを聴く人間が大好きで、
学校教育から同じ価値観を信奉するのを良しとする傾向がある。
つまり、それだけ、偶像崇拝は起こりやすい環境と考えられる。

企業というものも、常に、「利益率」とか、
「成長率」という偶像に近いものを拝んでいる。
拝んでいる、と書かざるを得ないのは、
今回のような「コロナ禍」は、
そもそも「想定外」として捉えるだけであって、
事業計画上は、「起こらない事」を祈るだけだからである。

中国が3億人もテレワークしているのに、
日本では、テレワークが9%しか行われていない、
と聞いただけで、
ほとんど、日本人が竹やりで戦車に向かうように、
「祈るだけ」で、出勤している姿が目に浮かぶ。

このように、ほとんど綱渡りのような、
我々の日々の実態を、
今回のコロナ問題はあばきだしている。

クルシェネクの「エレミアの哀歌」の
最後の音楽は、
この曲の冒頭の回想のような音楽で、
最後は、ブラックホールのようなものの中に、
吸い込まれていく。

そもそも締めくくりの歌詞も、
「人妻はシオンで犯され、
おとめはユダヤの町々で犯されている」
と凄惨なもので、こんなものを、
修道院などで歌っていた連中は、
いったい、何なのだ、という気持ちも沸いてくる。
最後は、「立ち帰れ神の許へ」の祈りが続くのであるが。
全体として、
まるで永遠の悔悟の連鎖のようになっている。

おそらく、我々は、しばらく、
このポスト・コロナの問題に
向かい合わなければならないのであろう。

「中世の音楽の研究に啓発され、
常にメロディの発展に意識を払い、
クルシェネクは12音の音列を旋法的にアレンジ開始し、
展開の中で協和やオクターブを避けた。
彼は12音を相補する6音のグループに分解、
ローテーションの原理で扱った。
ヘキサコードの最初の音は、
新しい6音のグループの最後に現れるので、
新しい12音音列は、構造的、語法的に
オリジナルに類似なものになり、
耳には再構成されたように聞こえる。
これはカール五世でも試みられていたが、
まだ、体系だってはいなかった。
彼は、セリー音楽が十分に知られていない以前に、
自身でその構造原理を構築した。」
このように、亡命先の極限状況にあって、
生み出された新境地であったが、
クルシェネクは、若い世代から無視されてしまう。
「1950年以降、クルシェネクは規則的にヨーロッパに戻り、
ダルムシュタットにも招かれたが、
シュトックハウゼン、ブーレーズ、ノーノといった、
新しい世代の作曲家たちの関心を引くことはなかった。
クルシェネクは、自身を確立された作曲家と思った事はなく、
過去の実績の名声に浸ることなく、
新しいものを受け入れ続けた。
『すべてのゴールは新しい出発点だ』、と、彼は、
彼の旅行記に書いているので、彼が電子音楽のスタジオで
働いた事は驚くに値しない。
いかに興味が掻き立てられようと、
彼はヨーロッパに永住することはなかった。
何十年か前に予想したように、彼は家無しの感覚で、
カリフォルニアの砂漠の中に隠棲した。」

クルシェネクの後半生は、このように、
ある時は時代を追い越し、ある時は、時代遅れとみなされ、
結局、私たちから、いまだ、遠くにいる。

得られた事:
「コロナ感染拡大の最中、2020年は復活祭を迎えた。長い長いレントの期間となった気分であるが、クルシェネクの音楽がこんなにも身近に感じられるとは、この災禍なしにはあり得なかったような気もする。」
「この長い内省の時期にあって、我々自身の価値観が崩壊していってもおかしくはない。在宅勤務で社を離れてみて、何とくだらない事に、これまで、血眼になっていたのだろう、などと考える人は多かろう。また、同時に、見捨てられた商店の中には、再開することなく消えて行くところもあるだろう。それが、自分にとって、大切な場所だった、と気づいた時には、何も手立てはなくなっているのだろう。」
「クルシェネクは、完全に音のロジックのみで、聖書のテキストに音楽をつけたが、これがなんともいえぬ、超俗的な空間を作り出して、恐るべきコロナウイルスですら、入る事の出来ない、安心な領域を想起させている。」
「意味不明の写真が表紙に使われていると思ったが、有名な写真家が捉えた現代における宗教の在り方とみれば、この殺風景さにもありがたさが感じられる。社会主義の名残か、工場と十字架が並んでいる。」
「クルシェネクは自分が感じた聖書のテキストへの思いに忠実でありたいがゆえに、『教会用ではない』と断って、この曲を書いた。そうでなくては、勝手な解釈は許さんというう教会サイドのちゃちゃが入ったかもしれない。クルシェネクのこの態度ゆえに、我々、信者以外の人も、この聖書の中の当惑と反省に、自問自答しつつ身を委ねることが許されるような気がする。」

by franz310 | 2020-04-12 21:28 | 現・近代
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