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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その447

個人的経験:名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その447_b0083728_20215680.jpg

ダンテがいくら、

トルバドゥールの

芸術に感化されたにせよ、

日本において、

トルバドゥールの本や

レコードなどを

楽しんでいる人は、

限りなく少ないのではないか。

そもそも、情報がなさすぎる。

雑誌、書籍等に取り上げられる

「名盤」などと呼ばれる録音でも、

トルバドゥールなど見たことがない。



グレゴリオ聖歌から、

デイヴィッド・マンロウの

「ゴシック期の音楽」

くらいまで空白になるイメージがある。


「吟遊詩人」などと訳されるように、

音楽であると共に、詩であるはずなのだが、

難解なものが多いうえ、

南フランスの古い言葉、

「オック語」なるものが、

すでに言語として滅びているので、

録音のみならず、著書そのものが少ない。

研究者の数が激減するのだと思われる。


トルバドゥールの詩には、

トリスタンの物語など、

アーサー王関連の物語も登場するが、

このアーサー王というのも、

長い歴史の中で典拠が不明になっているで、

現代から見たトルバドゥールは、

円卓の騎士と同様に半分、

霧の向こうにあるかのように見える。


ダンテというキーワードが出て来たので、

「神曲」を書いた、このイタリアの詩聖について、

書かれた本を改めて手に取ると、

1974年に出た野上素一著

「ダンテ その華麗なる生涯」(新潮選書)

のような古い本でも、意外なほどに、

トルバドゥールの事が良く書かれている。


ただし、トルバドゥールという言葉は、

一切、使われておらず、

「プロヴァンスの詩人」という表現で登場する。

また、王妃エレアノールも、

レオノーラ姫、などと書かれてあって、

「恋の冒険好きな彼女の性格のお蔭で、

ヨーロッパに新しいサロン文化が生まれた」

などと皮肉っぽい紹介になっている。


ただし、ややこしい話を、

簡潔にまとめてあるのはありがたく、

例えば、「オック語」についても、

こんな風に総括してまとめられている。


ダンテの時代には、俗ラテン語が崩壊した、

ロマンス語として、

北フランスのオイル語、南フランスのオク語、

イタリアのシ語の三言語があっただけで、

この後、さらにフランス語、イタリア語、スペイン語、

ポルトガル語、ルーマニア語になったとある。


いずれも、肯定の「Yes」の言い方で、

こう分類されていたらしいが、

このような単純な関係であれば、

ダンテが兄弟言語のオック語で書かれた

新しい詩に対して興味を持った、

ということも十分あり得る話だと理解できた。


また、留学中の先輩が、

フィレンツェの政争で帰国できず、

パリにまで足を延ばして、

いろいろな見分を持ち帰った、

という話なども興味深い。

こうした混乱の中で、

新しいものが生まれて来る、

ということなのだろう。


ただし、野上氏のトルバドゥール評価は、

かなり否定的なもので、

技術重視で受けはよく、

海外に簡単に広がったが、

平凡で因習的なものだと切り捨てている。

その詩人は作曲もして、

宴会の後で発表した(弦楽を伴奏として)が、

見栄っぱりで気障な連中という感じで、

十把ひとからげにされている。


ベルナール・ドゥ・ヴァンタドゥールと、

アルナルド・ダニェルロが、かろうじて、

それぞれペトラルカとダンテを感心させた詩人として

特筆されている。


この本では、当然、ダンテが主人公なのだが、

ダンテに人気が出たのは、

「プロヴァンスの伝統を受け継いで、

伴奏をつけて歌いやすい詩を書いた」

からだとある分析が面白かった。

とすると、ダンテもその末流だということになる。


さて、日本では、この本よりも2年早く、

新倉俊一訳でアンリ・ダヴァンソン著の

「トルバドゥール」(筑摩叢書)が出ていて、

これが現代にもそのまま通用しそうな総括で、

このトルバドゥールを概観していたようだ。


できれば、多くのCD解説の小間切れから妄想する前に、

この本を読んで、イメージを固めた方がよかったようだ。

そう思えるほどに、ここでの記述は包括的で素晴らしい。


ここでは、代表的な詩人は、

以下のような面々と明記されている。


1.ギロー・ド・ブルネイユ、

2.アルノー・ダニエル、(野上氏も挙げた名前)

3.ベルトラン・デ・ボルン、

4.ピエール・ヴィダル、

5.ゴーセルム・ファデット、

6.ヴァンタドゥール、(野上氏も挙げた名前)

7.ランボー・ドランジェ。


数を数えるために番号は私が付けてみたのだが、

七人の侍みたいで分かりやすい人数である。


多くのCD解説では、いきなり、

各曲の紹介で詩人をその場限りで紹介するので、

他に後、何人、聴くべき巨匠がいるのか、

分からなくなって、少なくとも私は不安であった。


この後、20年以上経って、

沓掛良彦という古代ギリシアの研究家が、

「自分の楽しみのため」と訳出した詩集、

「トルバドゥール恋愛詩選」が、

世紀が変わる前に出たが、

ここでは、何と37人の詩人たちの

50もの詩が収められている。


最初の詩人は、ギエム・デ・ペイテュー

とされているが、

これは本来のオック語読みで、

当然、最初のトルバドゥールとされる、

ギョーム・ド・ポワティエ(フランス語読み)

で、あの王妃エレアノールの祖父である。


「めぐりきた新たな季節のうるわしさに」

と題され、「森には木の葉芽吹き、小鳥たちは

おのがじし自分の言葉で歌っている」

と、極めて平易ながら、

すがすがしく、心浮き立つ情景を歌っている。


この有名な最初のトルバドゥールは、

地域の支配者であって、

武人であったことから、

もともとは、「みやびの愛」などには興味がなかったのに、

妻や娘があきれ果てて修道院に入ってしまったので、

女性に気に入られる術を開発していて、

新しい詩歌の世界に到達した、

というまことしやかな伝説と共に語られている。


さて、この本では、あとがきに先立つ、

「トルバドゥールと『みやびの愛』」

という章で以下の詩人が特筆されている。


初期トルバドゥール:

1.ジャウフレ・リュデル「平明体」

2.マルカブリュ「密閉体」

この「密閉体」とは、アクロバット的に

複雑な韻律を駆使したものらしい。


古典期トルバドゥール:

3.ヴェンタドルン(最大の詩人)「みやびの愛の詩人」

4.ラインバウト・ダウレンガ「芸術体」

5.ボルネイユ「巨匠」

6.ガウセルム・ファイデット「多彩な詩作」

7.ベルトラン・デ・ボルン「戦争賛歌など」


ちなみに、ダンテや野上氏が称賛した、

アルナウト・ダニエルとボルネイユは、

近代になって評価が下がった詩人として数えられている。


ここで、「密閉体」の代表とされている

マルカブリュだが、毒舌が強烈すぎて、

城主に殺された、という伝説があるようだ。

女嫌いで道徳家というが、

この「恋愛詩選」に載っている詩は、

野辺で泣く女性を慰めるもので、

極めてシンプルなものだ。


このマルカブリュ、

1981年に春秋社から出た、

「音楽史の名曲」(美山良夫、茂木博著)でも、

「トルバドゥールの最初の世代」

などと紹介されている。


しかし、このこの人の曲は、

多くのトルバドゥール特集のCDでは、

まったく見たことがない。


が、デイヴィッド・マンロウが

1970年に録音した、

「十字軍の音楽」には、

2曲目に堂々と収録されていたりする。


野上氏のダンテの本より早い時期に、

こうした録音がなされていたということは、

やはり、西欧本場との情報量の差異を考えさせられる。


なお、野上素一著「ダンテ その華麗なる生涯」が出た、

1976年には、音楽の友社から、

雑誌「レコード芸術」の付録として、

「中世・ルネサンス音楽完全ディスコグラフィー」

という小冊子の付録が出ているが、

ここには、トルバドゥール関係のLPは、

ビングレーのもの、ベケットのもの、

そして、マンロウの「十字軍の音楽」に、

プロヴァンス古楽器アンサンブルのもの、

とわずか4種類だけが掲載されているのみ。

多くは、トルヴェールもミンネゼンガーも一緒くたで、

最後のものは、

アルフォンソⅩ世のマリア頌歌まで混ざっている。


日本では、マンロウのものは大事にされてきたようで、

私は、21世紀になってから再発売されたCDを持っている。


日本で出たものは、

欧米で出回ったものとは異なったデザインで、

表紙にあしらわれたのは、

中世の騎士と馬で、騎士は何かに跪いている。

馬も一緒にいるので、王様にへりくだっているのだろうか。


日本盤の常として、

表紙が何であるかが明記されていないが、

いろいろと検索して調べると、

大英図書館にある「Westminster Psalter」なる

詩篇の写本にある細密画によるものらしい。

なるほど、旗にも衣装にも、

十字の模様が見て取れる。


DECCAの

SERENATAシリーズの

MUSIC of the CRUSADES

の裏面には、

ちゃんと、Cover

Capture of Acre

By Vincent de Beauvais

であると書かれている。

ドミニコ会士、

ヴァンサン・ド・ボーヴェ

(1190-1264)は、

中世最大の百科事典『大いなる鑑』を

編纂した人だとある。

また、「アッコン征服」とは、

1191年、英リチャード獅子心王と、

仏王フィリップ2世による

地中海の東の端の港湾都市を陥落させた事で、

第3次十字軍の成果らしい。


第1次十字軍の成果として生まれた

イェルサレム王国は、

第2次十字軍がうまくいかなかったため、

イェルサレムはすでにムスリム勢力に奪回されており、

この港町だけが残った形であった。

しかし、この成果を巡って、

英仏王がいさかいを始めたという、

キリスト教国家側としては、

情けない歴史の始まりでもあった。


石井美樹子著「王妃エレアノール」では、

アッコンはアッカーと書かれているが、

リチャード獅子心王の

戦士としての能力が発揮された戦闘として特筆され、

「異教徒の最後のひとりが息絶えるまで、虐殺は続いた」

と、彼の残忍な面も描写している。


このような世界史の一コマとして、

何やら図解されたのが、

このCDの表紙のようだが、

この中央に奇妙な像が机の上に置かれている様子が、

描かれている理由はよく分からない。

リチャード王はサラディンに旧司教座聖堂に安置されていた

「大十字架」の返還を求めた、とあるが、

この彫像のようなものが大十字架とも思えない。


また、市民の身代金として、

ばく大な金貨もせしめている。


こうしたぎんぎらぎんの栄光と、

血なまぐさい残虐の絵巻物のような十字軍と、

トルバドゥールの、いささか世捨て人的な世界が、

ほとんど表裏一体で成り立っていた、

中世欧州情勢というものは、

非常に興味深いが、

マンロウのCDは、その両面を両方捉えようとしたものだ。


欧米盤解説は、リュート奏者として参加している、

ジェームス・タイラーが書いているが、

十字軍の始まりから、その略奪、

ロマンティックな吟遊詩人の歴史観が総括され、

オック語による二つのトルバドゥールの詩歌、

初期フランス語による

トルヴェールの八つの詩歌、

ミンネゼンガー(ドイツ語)一曲、

さらにラテン語の曲を収めたと書き進められている。


十字軍に直接関係するのは、

獅子心王の曲などがそれだが、

その他の多くは、その時代の音楽を集めた、

とある。


60も残っているトルバドゥールの詩のうち、

少ししか楽譜が残っているものはなく、

しかも、音の高低が記されているだけで、

演奏者によって解釈が異なるのは仕方がない、

ともある。


また、文献や絵画などから、

当時の楽器が分析されているが、

リュートや、笛のようなショーム、

太鼓ネイカーズは、もっと近年になってから、

中東からヨーロッパに伝来した、とあって、

当時、まだなかった楽器を使ったことも断っている。


Track.1:

このCDは、冒頭から太鼓と、

アラビアの笛が吹き鳴らされて、

あまり、プロヴァンスそのものよりは、

強く海の向こうを感じさせるものだ。


Track.2:次に収められているのが、

マルカブリュの「神の御名において平安を」という曲。

巡礼で亡くなった人への哀歌、

と解説になるように、

独唱と合唱で訥々と感情を高ぶらせ、

歌いまわしもうねうねとして、

表出力の強いものであることは分かる。


次のTrack.3:

打って変わって、呑気な鼻歌風の曲が始まるが、

これなどは、戦争の終わりと

女たちとの楽しみを重ねており、

もう十字軍は終わったのか、

という感じがする。


反対にTrack.4:

十字軍の人集めのような、

プロモーション音楽。

太鼓(タンブラン)に合唱が重なって、

能天気に楽しげだが、

東方への道すがらどんな悲惨が待っているかが、

分からずにいる恐ろしさを感じた。


Track.5:

一転して、戦いに出た恋人を想う、

若い女性の歌。

クリスティーナ・クラークという人が歌っているが、

切々とした感じで聴かせる。

「あの人が戻ってくるまでは、

忍耐強く、この不安に耐えましょう」

という歌詞そのままの音楽。

寄り添う笛は、マンロウ自身の演奏だろうか。

(日本製CDには、

各曲の演奏者がどこにも書かれていない、

という致命的不具合がある。

海外のものは廉価盤であっても、

使用されている楽器と共に、

ちゃんと奏者も書かれていた。

私は仕方なく、これも購入した。

フルート、マンロウ、

そして、ハープはホグウッドだって?

こうした情報だけでも、鑑賞が妙に味わい深い。)


Track.6:

バグパイプかシトロの甲高い音が闊達だが、

「王の舞曲」という荘重なタイトルに似合わない。

(これも海外盤にはバグパイプ、マンロウ、とあった。)


Track.7:

「シオンよ、塵の中に」という朗唱。

十字軍後の喪失感か。


Track.8:

ドイツのミンネゼンガー、

フォーゲルワイデの名曲「パレスチナの歌」。

リュートの簡素な伴奏と共に、

聖地を訪れた時の万感迫る思いが歌われる。


トルバドゥールでもなく、

トルヴェールでもなく、

ミンネゼンガーとなると、

かなり、時代が下った感じだが、

海外盤には、ちゃんと、

各曲が、どの十字軍に相当する曲かが書かれていた。

これは第6次十字軍らしい。


しかし、ここでの味わい深いリュートなどが、

フィクションであるのは残念だ。


Track.9:

うって変わって、土俗的な舞曲のような感じだが、

宗教的、道徳的な内容の歌らしく、

モテットだとある。

坊さんが慰みに演奏したのではなかろうか。


Track.10:

これは、マンロウの別の傑作録音集、

「ゴシック期の音楽」に聴かれたような、

不思議な浮遊感を持った

多声の合唱曲「おお、全アジアの栄光よ」。


そのCDでも、我々を不思議な空間に連れ去った、

ジェームズ・ボウマンと、

チャールス・ブレットがカウンターテナーで、

ゴシック的な垂直に上下する動きで、

非日常を醸し出す。


Track.11:

またまた王様が出てきて、

「王のエスタンピ」なる急速な舞曲。

先ほどまでのいささか辛気臭い雰囲気が一層される。

あまりに甲高い音なので、笛かとも思ったが、

レベックというヴァイオリンの先祖みたいなのが使われている。


Track.12:

これまた、多声の合唱曲で、

「ソロモンには」と題され、

先ほどのモテット同様、

何だか欲求不満のはけ口みたいな軽妙さがある。


Track.13:

「五月、この新しき季節に」というタイトルが、

期待させるとおりの中世らしい素朴で生き生きとした歌。

マンロウのリコーダーが新鮮な序奏を聴かせ、

ボウマンが妙に脱俗的な声を聴かせる。


作者は、ギィ・ド・クィーシーというトルヴェールらしい。

この人の名前は、先の本では確認できなかった。


Track.14:

ここで、ようやく、

先にあげた本に出て来た詩人の作品が来る。

「多彩な詩作」として紹介された

ガウセルム・ファイデットの有名な曲、

リチャード獅子心王の死を嘆いた、

「較べるものなき」。


この曲は、この時代を取り上げた、

数限りないCDで聴く事ができる。


この曲で妙な説得力を添えているのが、

効果的な弦楽器の弾奏である。

ジェームズ・タイラーのリュート、

ホグウッドのハープをバックに、

ナイジェル・ロジャーズが歌っている。


Track.15:

「私のいとしい人に」は、

作者不詳らしいが、

ボウマンとブレットによる、

虚無的で、どこか作り物じみた哀歌。

その情緒的欠落のような、

いかにも機械が自動で演奏しているような、

現実から乖離した雰囲気は、

カウンターテナーという不自然な声に加え、

マンロウの奏するクルムホルンなる

へんてこな笛のおかげでもあろう。


マンロウは76年に33歳の若さで亡くなるから、

これらの録音は20代のものという事になる。


Track.16:

コノン・ド・ベチューヌという作者が、

第4回十字軍で活躍した人、

とされているが、

ダヴァンソンの本には名前だけが出ていて、

ネットでは、確かに第3、第4次十字軍に参加した、

トルヴェールで戦士、として書かれている。


この人の「あまりに愛したために」が、

セクエンツィアのCDの最初に入っていたが、

同じような曲にも聞こえる。

なお、このセクエンツィアのCD解説では、

第3次十字軍に参加せずに謗られた人、

という話が出ている。


「おお、愛よ」という、

愛する人との別れと、

遠征への想いをつづった曲。

ロジャーズの甘いテノールに、

甲高いレベックが絡むが、

太鼓が終始鳴っていて、

これを受け持つのがホグウッド。


ハーディ・ガーディが伴奏しているのかと思ったが、

トレブルとバスのレベックだとある。


Track.17:

王のエスタンピという騒がしい器楽曲。

レベック二つが掛け合いながら太鼓が鳴り響く。


Track.18:

このCDの最後のクライマックス、

「囚われ人は」。


十字軍では華々しく戦ったものの、

帰国時に捕まってしまった、

リチャード獅子心王の嘆きの歌。


これまた、この種のCDでは、

幾度となく繰り返し収録されてきたもの。


ボウマンの声と、ホグウッドのハープが、

「何故、家臣たち、友人たちは、

この王様に身代金くらい払わないのか」

といった、微妙な状況を

控えめな情感で歌い上げる。


この人になると、エレアノールの息子、

エレアノールの祖父であったギョームから

4代も下っていて、

トルバドゥールの本には登場しない。

が、最初のトルバドゥールの子孫にあたる。


この王様は、石井美樹子著の

「王妃エレアノール」などでは、

父王に逆らったり、十字軍で国政を顧みなかったり、

剛毅であるが短慮の人みたいに書かれているが、

一般の人気にはすごいものがあり、

様々なCDも、この王様を取り上げている。


Track.19:

シャンパーニュ伯、チボー4世作、

「邪悪と不正と」。

日本盤解説には、

リズム解釈が2つあるから、

この演奏では、初めは遅い声楽曲、

終わりは速い器楽曲と言う風に、

前半と後半の対比が興味深いことが書かれている。


歌詞は、このCDを終わらせるのにふさわしく、

「我らの諸侯はこの世を邪悪にする」とあり、

十字軍の残忍さと無意味さを歌っている。


タイラーのリュート伴奏にした、

ロジャーズのテノールが、

訴えるような歌を歌い終えると、

ホグウッドの太鼓とマンロウのリコーダーが、

そそくさと戦場を走り去る。


この曲の作者、チボー伯は、

キャサリン・ボットのCDでも取り上げられていたが、

やはり、プロパガンダ的な内容であった。

この貴族詩人は、ダヴァンソンの本でも紹介はされている。

が、トルヴェールとしてである。


このように、トルバドゥールの芸術は、

南フランスに消えた文化でありながら、

各地に散らばった芸術でもあって、

同時に十字軍の音楽であったり、

地中海的であったりする。


ヨーロッパ各国のぐちゃぐちゃな時期にあって、

国を超え、急速に文化伝搬する現象でもあるので、

やたら国際的な視点からも光が当てられる、という、

極めてユニークな立ち位置にある。


そのため、この「十字軍の音楽」みたいに、

その他の地域の同時代の音楽を

一緒くたにした録音はやたらにあるようだ。


そのような状況下で、

1989年と1991年に録音された、

ダンスリーという日本の団体による、

「よき人に逢っての帰り」と

「暁の歌」という2つのCDでは、

これらが一応、分けてあつかわれているのはさすがだ。


前者CDは、リチャード獅子心王から、

フォーゲルワイデなどが扱われたものだが、

このフォーゲルワイデの曲は2曲収められ、

一方はマンロウと同様、「パレスティナの歌」で、

平井満美子というメゾ・ソプラノが、

聖地を訪れた前半の謙虚な感動から、

後半の異教徒を懲らしめるという昂ぶりに、

目覚ましい表現の変化を見せる。


もう一方のフォーゲルワイデは、

「菩提樹の木の下で」という、

十字軍とは関係ない民謡調で、

ちょっと恥ずかしくもある愛の歌である。

こちらは、このCDを二人で歌い分けている、

ソプラノの松井智恵という人が歌っている。


このCD「よき人に逢っての帰り」は、

実は、この十字軍とは直接関係のない、

少し時代の下った14世紀フランスの

ギョーム・ド・マショーの曲

(マショーも4曲入っている)

のタイトルからとられているが、

解説は十字軍に沿って進められている。


そもそも一曲めから、

ゴーセルム・フェディットの

「リチャード獅子心王の死」である。


このCDの洒落たタイトルに釣られて購入した人は、

いきなり、王様が死んでしまう歌から始まる内容に、

かなり戸惑ってしまうのではなかろうか。


平井満美子の歌は、素朴でストレートで、

虚飾がないだけになおさらである。


フェディット(ファイデット、ファデット)は、

ダヴァンソンも沓掛良彦も重要なトルバドゥールに数えている。


また、獅子心王自身の「囚われ人の嘆き」は、

CDの二曲めに収められているが、

これまた、いきなりモノローグから始まるので、

「良き人」とはいったい何時会うのだ、

という気持ちが高まるに相違ない。


この曲に関しては、

マンロウ盤のナイジェル・ロジャーズとは違って、

女声による澄んだ広がり感が、

嘆きよりも解放への憧れを感じさせる。


最初と途中に入る語りが、

この王様の状況を説明しているので、

こちらの方で悲痛さを強調した演出とも言える。


松井智恵という人が歌っていて、

とても澄んだ良い声だが、

この血なまぐさいような時代の歌を歌うには、

少し、水分にミネラルが足りないような気もする。


なお、このような並びだと、

この王様は、捕囚されて亡くなったように見えるが、

実際は、囚われた後、解放され、

またまた血が疼いて戦地に赴いて亡くなっている。


そもそも、この捕囚自体が身から出た錆のようなもので、

例のアッコン征服の時、成果を独り占めにしたので、

恨まれて囚われたのであった。


3曲目にも、マンロウ盤でも取り上げられた、

チボー伯の曲が来る。

ただし、曲は異なり、

「愛するがゆえに私は苦しむ」というもので、

いかにもトルヴェール的な内容のもの。

かなり凝った器楽の前奏に続き、

平井満美子の自問自答調の声が入る。


そして、あとは、フォーゲルワイデ(13世紀)

マショー(14世紀)の歌が続いていく感じ。


トラック6になってようやく「よき人に逢っての帰り」が来るが、

メロディも愛らしく、歌も情緒的で、

この曲のタイトルでCDを代表させた気もちも良く分かる。

が、マショーの音楽の特徴は、

トラック7以下の曲の方がよく出ていて、

ぞくぞくする神秘的な情感が私を引き付ける。


このような趣向を凝らした

この時代の音楽を集めたCDが

日本で生まれた事は嬉しいが、

この録音から

はや四半世紀が過ぎている。

失われた20年と言うべきか、

似たような企画はなかったのではないか。


得られた事:

「トルバドゥールの作品は、まずは詩歌であってそこに音楽が付いている感じで、音楽の鑑賞は、CDだけでなく数少ない文献も合わせて進めた方が効率良かったかもしれない。(CDの解説だけでは全貌がよく分からない重要トルバドゥールが、ヴェンタドルン、ボルネイユ、ファイデット、ベルトラン・デ・ボルンらであることが分かる。)」

「十字軍の血なまぐささと略奪三昧は、トルバドゥール、トルヴェールの詩歌の虚無感とは同時代の表裏一体であった。」

「この空間的広がりから、12世紀から14世紀の音楽は、一緒くたにされて録音される事が非常に多い。」


by franz310 | 2018-05-05 20:29 | 古典
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