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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
ICELANDia
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その440

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その440_b0083728_20491859.jpg個人的経験:
黄金時代のスペイン音楽の
サヴァールらのCDに、
エレディア作曲の
「戦いのティエント」
というのがあって、
ミサの時に演奏された、
神と悪の戦いを表した音楽、
と記されていた。
TVもネットもない時代、
教会に集まって来た、
素朴な信者さんたちも、
それが、どんな戦いだったか、
などは共通の興味の
対象だったのだろうか。


それは、教会で、
「異常にドラマティックな
衝撃を与えたことであろう。」
と解説にあったが、これは、
「ジャヌカンの有名なシャンソン、
『戦争』の劇的効果の動機を使っている。」
とあった。

今回は、このジャヌカンのCDを聴いて、
このあたりの音楽状況を探ってみたい。
声楽アンサンブル「ア・セイ・ヴォーチ」が、
アンサンブル・ラビリンセスらと
アストレー・レーベルで録音した、
「音楽の果樹園」とでも訳すのだろうか、
アルバムが手元にある。
表紙も「愛の園」というイタリアの絵画。

ジャヌカンは、
今から5世紀も前の人であるが、
まさしく鉄砲伝来の時代の人、
とも、いえることになる。

ここに収められた、
シャンソン「戦争」で、
ぱーんぱーんとやっているのは、
それこそ、鉄砲の音であろうか。
だとすると、私たちは、
種子島の歴史と一緒に、
このジャヌカンの音楽も学ぶべきであった。

鉄砲を持ってきたのはポルトガル人だが、
ジャヌカンは、フランス人で、
大航海時代とは関係がなさそうに見える。

しかし、約100年後のスペイン、
アラゴン派の代表格ともされる
エレディア(1561-1627)
が、参考にしたというのだから、
何らかのルートがピレネーを超えて
つながっていたのであろう。

というか、鉄砲と一緒に、
伝わって行ったのかもしれない。

この鉄砲という代物は、
ちょろっと調べるだけで、
ややこしい問題をはらんでいるようで、
ポルトガル人が持ってきた以前から、
日本にも、いろいろあったのではないか、
という説が散見される。

そもそも、蒙古襲来時に火器に遭遇し、
苦しめられた日本人が、
それ以降、ポルトガル人が持ってくるまで、
こうした武器の知識がなかったとは思えない。
例えば、フィクションとは言え、
宮崎駿監督の「もののけ姫」でも、
火器が重要なアイテムとして登場しているが、
あれは、室町時代の設定であった。

また、ヨーロッパで火器が使われだしたのは、
百年戦争(1337-1453)の時代と言われ、
アステカ(1521滅亡)や
インカ帝国を征服(1572)する際は、
こうした兵器が使用されたとされる。
まさしく、ジャヌカンの生涯(1485-1558)は、
こうしたイベントの狭間にあるではないか。

しかし、多くの歴史の本は、
何万の兵が布陣したとか、
誰が加勢したとかは書いてあるが、
どんな武器で戦ったかなどについては、
よく書いていないので、
ひょっとすると、
今回のCDの方が、
情報量が多いかもしれない。

それにしても、こうした書物をめくっても、
どう考えても血なまぐさい時代である。
いかにも、と思いを馳せてしまうような、
猥雑で粗野で、活力ある音楽が演奏されていても、
まったくおかしくはない。

フィリップ・カングレムという人
(トゥールーズ大学の先生)が書いた、
このCDの解説には、
いったいどんな事が書いてあるのだろうか。

「『やかましい騒音を出そうとしても、
女性の醜聞を歌で表そうとしても、
小鳥たちの声を模倣しようとも、
彼が歌うものすべてにおいて、
素晴らしきジャヌカンは不滅、
彼は神がかっている。』
1559年に、詩人、アントイネ・デ・ベイフ
によって書かれた、この一節は、
後に全欧に流布した
この高名なフランスの作曲家、
クレマン・ジャヌカンの
典型的なイメージを、
よく描き出している。」

という書き出しからして、
いかにも、典雅な時代の人、という感じがするが、
すでに述べたように、
フランソワ一世は、戦争大好き王なので、
そんな時代だからこそ、
こうした神がかり的な不滅の芸術の道が、
求められたということかもしれない。

「その生地(シャテルロー)と、
1485年頃という生年以外には、
ジャヌカンの生涯の早い時期については、
一切わからず、
最初期の音楽教育を郷里で受けたと
推察されるのみである。
彼の最初の確かな情報は、
1505年からで、
当時、ボルドーの陪審員の議長で、
1515年からリュソンの司教を務めた、
ランスロ・デュ・フォーに、
ボルドーで務めていた事である。
1523年、司教が亡くなると、
ジャヌカンはボルドー司教、
ジャン・デ・フォアに仕えた。
この間、作曲家は1525年の
聖エミリオンのカノン、
1526年の聖ミシェルのCureを
作曲している。
1529年にデ・フォア司教が亡くなると、
ジャヌカンは僧碌を恐らく失って、
ボルドーを後にしている。
そのころまでに作曲家として、
彼はいくらか名声を得ていた。
前年、パリの楽譜出版者、
ピエール・アテニャンは、
彼のシャンソンを集めて、
一巻の曲集を出版している。
これが、アテニャンから、
定期的に作品が出版されるという、
特別な地位をジャヌカンが得た
時期の始まりであった。
1530年代の初めに、
1531年、オーシュのカテドラルに、
短い期間務めた後、
彼はアンジェに移り、
アンジェの聖堂の合唱学校に、
1534年から1537年まで務めた。
彼は、この街に1549年までいたが、
同年、パリに移った。
ここは、彼が、その前にも、
短期間滞在した事があったようである。」

さらりと書かれているが、
フランソワ一世の治世が終わり、
ジャヌカン自身も60歳を超えている。
が、彼には、まだ10年近くの余命があったようだ。

「彼は、しかし、宮廷には、
宮廷礼拝堂のchantre ordinaire du roiとなった、
1554年まで認められなかった。
最終的にのの死の二、三週間前に、
単に肩書だけであるが、
宮廷作曲家に任じられた。
彼は、1558年1月に、
遺言を認め、そのあと亡くなった。」

60歳を超えて再就職したのみならず、
名誉も手にして、遺言まで残せるとは、
遅咲き作曲家として、
着目すべき存在である。
ヴィヴァルディやモーツァルトなど、
前半飛ばして、後半腰砕けという、
作曲家はかなり多いような気がするが。

「これらのいくつかの伝記の断片からも、
ジャヌカンが、パリから遠く離れた
フランスの地方の教会音楽家だった、
と結論つけることもできるだろう。
しかし、その国際的知名度は、
その宗教音楽ではなく、
世俗曲『シャンソン』への貢献によるものである。
たった2曲のミサ曲と
1曲のモテットが残されているのに対し、
250曲のシャンソンが残されている。
実際、1533年に、
彼の作曲のモテット集が出版されたが、
彼が残した少ない教会音楽で、
この16世紀の教会音楽家としての
役割を追うことはできない。
一般的に、
ジャヌカンとその同時代人の、
クローダン・ド・セルミジが、
1520年代から1530年代に
パリでアテニャンが出版した、
いわゆるパリのシャンソンの
2大模範とされている。
クローダンとジャヌカンの他の作曲家として、
パリの出版者に選ばれたのは、
サンドリン、Certon、Jacotin、Vermontなどがおり、
彼らに名声を与えたのは、
当時、ルーヴァンのPierre Phaleseや、
リヨンのジャック・マドレーヌなどによって
出版されたものではなかった。」

ということで、宗教曲を書いていても、
まるで儲からず、
世俗文化が花開いていた、
ということだろうか。

「パリのシャンソンのテキストは、
概して短く、時として、
クレマン・マロット
(この録音では、
Tetin refaict plus blanc, Mii/66、
Une nonnain fort belle, Miii/113、
Martin menoit son porceau, M ii/61、
Plus ne suys ce que j'ay, Miii/82)や、
Mellin de Saint-Gelais
(Ung jour que madame, Miii/101
(ある日奥方が眠りにつくと))
のように、
宮廷で活躍した詩人によるものだった。
これらのエピグラムの主題の幅は極めて広く、
愛に対する考え(Toutes les nuictz, M iv/130)から、
おかしな情景やみだらな状況さえ扱っている。
クローダンやジャヌカンは、
まさにこの点で比較され、
後者は単純に、無遠慮なものを選んだのに対し、
前者は、おそらくメランコリックなテキストを好んだ。
しかし、私たちが、
「Plus ne suys(同じではない)」、
「Toutes les nuictz(毎晩)」
といったシャンソンを聴くと、
こうした見方は単純化しすぎていると感じる。
クローダンの作品にみられるような、
「Il estoit une fillette(そこに小間使いがいて)」のような、
きわどいテキストが含まれるものがある、
という事実にも関わらず、
「Martin menoit son porceau
(マルタンは豚を市場へ連れていった)」のように、
MartinとAlixの冒険を描こうとする時、
ジャヌカンが持っていた才能は明白である。
しかし、このテキストの始まりの詩節は、
私たちに、ジャン=アントワーヌ・ド・バイフ
(1532-1589)などを思い出させ、
ジャヌカンは、少なくとも2つの理由で、
多くのシャンソンで非凡な第一人者である。
まず、その曲の長さが
パリのシャンソン作者よりずっと長く、
とりわけ、それらがオノマトポエティック(擬音)
の効果が幅広く用いられている。
『狩り』、『パリの叫び』、そして、
『Le caquet des Femmes』などが、
このカテゴリーに含まれるが、
そのうち、最もよく知られた2曲が、
ここに収められた『戦争』と『鳥の歌』である。
これらの作品は1528年に、
最初に『クレマン・ジャヌカン師によるシャンソン』
として出版されたが、後に何度も版を重ねた。」

期待が高まって来たところで、
ここらで、これらが、いったい、
何を言っているかを確認してみたい。

3大ポイントは、
ポイント1.メランコリックなもの
ポイント2.猥雑なもの
ポイント3.長大で擬音(オノマトペー)を含む
ということであろうが、
このフランス歌曲、シャンソンの元祖とも言える人物が、
特徴としていたもののうち、
300年後のシューベルトが受け継いでいたものが、
あるかもしれない、と思えるのは、
最初のものだけしかないように見える。

猥雑なシューベルト歌曲、
オノマトペーで彩られたシューベルト歌曲、
というのは、すぐには思いつかない。
国家の締め付けみたいなものによるのか、
シューベルティアーデというものの持つ空気なのか、
おそらくは、シューベルトの馬鹿真面目な性格か、
こうした一切合切の時代の要請か。

シューベルト歌曲では見つけにくい、
きわどい内容の歌曲の代表のように書かれた、
「Il estoit une fillette(そこに小間使いがいて)」は、
このCDでは冒頭、
Track1.に収められている。

歌詞は、このタイトルから、
予想される「恋の手習い」もので、
かなりいかがわしいものと考えれば良い。

寂しそうにしている彼女に、
2、3度、それを教えてやると・・・、
という内容で、
男声合唱が、鄙びたメロディに乗って、
緩急自在の機知を効かせ、
面白おかしく聴かせる。

Track2.「Ung gay bergier(賢い羊飼い)」も、
同じような感じだが、内容はさらにやばい。

女声(カトリーヌ・パドー)が入るので、
さらに色彩的となっていて、
破裂音的な効果、早口言葉などが、
縦横無尽に飛び交い、
ロッシーニのオペラなどの効果は、
こんな源泉を持っていたのか、
などと妄想できる。

ただし、こちらのメイドは、
もっとしたたかで、
賢いはずの羊飼いも、
このあばずれを満足させられず、
完全にこけにされて終わる。
上記2曲は、さすがに作詞者名はない。

先に、詩人の名前が出てきたが、
宮廷詩人、クレマン・マロットによる、
Track3.「Plus ne suys ce que j'ay
(もはや、私は同じでいることができない)」
は、一転して感傷的な曲想。

この種のものは、
かろうじて、シューベルト歌曲でも、
受け継がれたものを聴く事が出来そうなものだが、
これがまた、強烈なポリフォニーの綾で、
ほとんど教会音楽にしか聞こえない。

さすがに歌詞は時代がかっていて、
「もう私は前の私ではない。
素晴らしい春と夏は、
窓の外に消えていった。
愛よ、私の支配者よ、
私は、あなたを、どんな神様によりも仕えた。
もう一度、生まれ変わることが出来たなら。
もっと、あなたによりよく仕えようものを。」
という感じ。

愛の擬人化という点で、
かなり古臭い感じがする。

Track4.に、高名な、
「(Le) Chant des oyseaux(鳥の歌)」が来る。
これまでの作品が一分ちょっとの小品だったのに、
この詩は長く、演奏時間5分半。

「鳥の歌」といえば、カザルスが弾いた、
カタロニア民謡が有名で、
ジャヌカンの「鳥の歌」のLPが出た時、
おそらく多くの人が混同したはずだ。

しかし、こちらの歌は、
戯れ歌のたぐいで、
鳥の囀りになぞらえた、
猥雑な愛の冷やかし。

まさしく解説にあるとおり、
オノマトペーで彩られた大曲になっている。

「ティ、ティ、ティ、チャ、チャ、チャ」と
いう歌詞などと共に、
「コキュ、コキュ、コキュ」と、
いかにもという感じで、
この歌の主要テーマが歌われる。

本当に、この時代の人は、
こういうゴシップが好きだったのだなあ、
と思わせるが、
おおらかだったのか、
宮廷とか社交界では、
こんな事しか楽しみがなかったのか。

後世の人は、こんな内容のものに、
必死で、高度な音楽技法を駆使しよう、
などと思わなかったのではないか。

シューベルティアーデで、
これを発表しようとしたら、
明らかに顰蹙を買うであろう。
貴族とか平民とかの境目がなくなる時代では、
下卑ていたら負け、みたいな価値観になるであろう。

こうした内容で、
画期的な音楽作品が出来ていた時代と対比すると、
やはり、シューベルト自身がくそ真面目なのは、
その時代の要請でもあったと考えさせられる。

Track5.「パヴァーヌ、ガイヤルド」は、
笛と太鼓の合奏で、器楽曲。
どすんどすんという太鼓が朴訥で、
笛の響きも素朴この上ない。
ここにパヴァーヌが来る理由は、
後で、解説で詳しく説明される。

Track6.「Ce tendron si doulce
(この娘はとてもかわいい)」も女声が入る。

これは、しっとりとした恋の歌で、
古い時代のロマンスは、こんなものだろう、
と考えさせる典型的なもの。

Track7.「マルタンは豚を市場へ連れていった」
は、すでに解説で話題になっていたが、
アリックスという女と一緒に行ったというもの。
途中の草原で、彼女が罪深いことを持ちかける。
しかし、豚をどうするか。

という内容であるが、
小刻みにまくしたてる歌詞と、
力こぶの入った熱唱が、
事の顛末をくそ真面目に報告する。

Track8.「Suivez tousjours l'amoureuse entreprise
(愛の喜びに続くもの)」は、
器楽の簡単な伴奏も相まって、
物思いにふけるような美しい音楽。

Track9.「Puisque mon cueur」
器楽曲バージョンで、
笛の合奏が、
素晴らしい桃源郷を描き出す。

Track10.「ある日奥方が眠りにつくと」は、
この後、旦那がメイドとジーグ?を踊る、
という、どう考えても、という内容。

メイドは、どっちが上手?と聴くあたり、
いかにもフランス風の展開だが、
面白いぺちゃくちゃ効果が挿入される。

クレマン・マロットの詩によるとあって、
こんなものが宮廷詩人の書いたものか、
と驚きあきれるのも良いだろう。

Track11.「Toutes les nuictz
(毎晩、毎晩)」は、曲想も、
いかにも、静かな夜の音楽である。

歌詞は、何だか切ないもので、
「毎晩、あなたはそばにいるが、
昼間は私一人。
夢の中でだけでしか幸せでない。」
という、平安時代の女流歌人が書きそうな内容。

Track12.「Fy, fy, metez les hors
(そんな甘言には)」は、
偽りの愛に注意を促す警句のようなもの。

Track13.「Tetin refaict plus blanc
(まるまるとした良い乳房)」
は、それをずっと賛美して、
神々しさや陶酔にまで到達しているようだ。
歌っている連中からして、
男たちが輪になって愛でている様子が目に浮かぶ。

これがまた、3分半と長い。
このアルバムでは、
五本の指に入る大曲である。

また、Track14.にまた、
「マルタンは豚を市場へ連れていった」
が収録されているが、
なんと、2つのリュート版。

ものすごく、
格調の高いポリフォニー曲に変貌しており、
ジャヌカンが卑猥な表面の裏に隠していた、
高い音楽性がさらけ出されている。

Track15.「Si d'ung petit de vostre bien」
は、ネット検索すると、
恐るべき日本語訳が出ているが、
このCD解説書では、
非常にわかりにくく、
「If you are not willing」などと英訳されている。

これは、Track14.とは打って変わって、
その精妙なポリフォニーに惑わされていると、
究極の春歌であることに、
気づかないでいるところであった。

それにしても、最初は、鉄砲と血なまぐさい時代、
という先入観があったが、
かなり割り切った屈託のない時代に思える。

Track16.「(L') Amour, la mort et la vie
(愛と死と生)」というものだが、
笛の伴奏を伴う、聖歌風の曲想。
これらが、私を苦しめる、という、
いかにも古楽という感じの音楽。

諸行無常の感じもあり、
このCDに、戦国の世の歌があるとすれば、
この曲かもしれない。

Track17.「鳥の歌」の変奏曲、
6分にわたるフルート重奏曲。
これも歌詞がなくとも、十分楽しめ、美しい。
スペインで、流行歌が器楽曲になっていったのも、
十分、肯けるが、逆に、歌詞を取り払った事で、
より、堂々と演奏可能になった、
と言い換える事が出来るだろう。

このCD解説では、このような解説がある。

「この曲は有節歌曲のようにも工夫され、
それぞれの詩句では、
異なる鳥を登場させ、
あらゆる効果を用いて、
考えうるあらゆる様々なさえずり、
チチチ、チュンチュン、震え声を模倣する。
第3節のナイチンゲールで、
作曲家の想像力は完全に燃焼している。
しかし、声楽版以上に、
1545年ニコラス・ゴンベールによって作られた、
(ここではリコーダー利用の)三声の編曲では、
まるで、ナイチンゲールに命が吹き込まれたようである。」
とある。

確かに、第一節から細かいパッセージが重なり、
人間技ではないテクスチャーで感興を高めてくれる。

以下、「この版を聴くと、1555年に、
ピエール・ベロンがナイチンゲールに捧げた言葉を、
思い出さずにはいられない。」と書かれ、
「ナイチンゲールは、
『眠ることなく、夜を通して歌い続け・・・』」
とその言葉を長々と引用しているが、
その声の賛美なので、ここでは省略する。

Track18.「Une nonnain fort belle
(美しく健康な尼僧)」も、いかにも、
というタイトルだが、期待を裏切ることはない。

世を捨てた事を後悔する彼女は、
魂の配偶者たるキリスト以外のものを求めている、
と告白する。

シューベルトの「若い尼僧」とは大違い。
音楽も、もちろん、
シューベルトの濃密なドラマはなく、
「こういうことでした」という、
簡潔な報告調で、ストレートである。

以下、器楽曲が二曲続いて、
最後のクライマックスの「戦争」につなげる。

Track19.「J'ay double dueil
(僕には二重の苦しみが)」
は、気品あるリュート二重奏曲。
タイトルのとおり、物憂げである。

Track20.「Tourdion, 'C'est grand plaisir'」は、
活発なフルートの四重奏曲。

Track21.「(La) Guerre, 'La bataille de Marignan'
(戦争、マリニャンの戦い)」は、「鳥の歌」と並ぶ大曲。

この曲は、このCD解説では、
特別に詳しく紹介されている。

「特に『戦争』は、その世紀の終わりまで、
さらに世代を超えて国際的に名声を博した。
『バタリエ』としても知られ、
おそらく、1515年のマリニャーノの戦いで
フランス軍の戦勝記念のものである。」

マリニャーノはミラノの近郊で、
フランス王、フランソワ一世が、
イタリア戦争をした時のもの。
この人は、ハプスブルクと神聖ローマ帝国の冠をかけて、
戦った人でもある。

やはり、歌詞を見てみると、
「フランソワ王に続け」みたいな部分に、
「弓を引け、火縄銃を轟かせ」とあり、
明らかに、鉄砲の描写音楽であることが分かった。

「いずれにせよ、このシャンソンは、
様々な形で模倣され、アレンジされ、
とりわけ、適当なガイヤールと組み合わされて、
『バタリエのパヴァーヌ』と題されて、
振付が施された。」
とあるくらいに、
大ヒットしたようである。

このCD、48分くらいしか収録されていないので、
お馬鹿な歌詞を見て行くと、
あっという間に聞き終わってしまう。

さて、解説を読んでしまおう。

「当時、シャンソンとダンスが、
相互に関係したのは、
偶発的なものばかりではなかった。
それらは、相携えて発展したのである。
15世紀の終わりの三声部のテクスチャーは、
低音部が重要であったが、
やがて四声にシフトしていき、
高音はメロディを担って主要なものになった。
こうした特徴はパリのシャンソンのみならず、
同時期に出版された舞曲にも見られ、
ジャヌカンや同時代の作曲家の、
もっとも有名なメロディから、
インスピレーションを得たものであった。
器楽奏者にはいくつかの役割があったと考えられ、
ダンスでは歌手を伴奏し、その声部を強調したり、
単に、シャンソンの器楽曲版として、
演奏されたりした。
1533年には、出版者らによって、
このことは推し進められた。
ピエール・アタインナンは、
『四声部の歌曲はフルートやリコーダーにふさわしい』
として、2冊の曲集を出版した。」

この部分、この解説を読んでよかった、
と痛感した部分である。

シューベルトの場合も、
歌曲と器楽曲とのクロスオーバーが、
さまざまな見地から論じられるが、
良いメロディがあると、
楽器でも演奏したくなる、
というのは、世の習い、ということか。

が、その一翼を、ダンスが担っていた、
というのは面白い。
また、その陰にいるのが、出版者というのも、
妙に生々しい経済活動として捉えることが出来る。

我々、現代人は、このダンスという習慣を、
まったく失ってしまっているが、
これは、かなり、人間の本質とか文化とかの、
深いレベルで、何か大きな喪失をしている、
などと考えても良いかもしれない。

「こうしたケースでは器楽奏者は、
種々の複雑な装飾をくわえることがあり、
例えば、理論家のフィルバート・ヤンベ・デ・ファー
などは、1556年の『Epitome musical』の中で、
『『戦争』や『鳥の歌』、『le caquet des femmes』など、
他の多くの難しい曲を、8歳の子供でも簡単に表現できる。
発音しなければならない言葉ゆえに、
省略したい多くの部分を省くことが出来ないが、
リュート、スピネット。コルネット、フルート、
ヴィオールなどあなたが選ぶ楽器どれでも、
は多くのパッセージワークを表現できる。』
事実、いくつかのケースでは、
例えば、極端な例として『鳥の歌』のように、
テキストが多すぎることによって、
歌手は省略が許されない。」

得られた事:「鉄砲伝来の時代へは、ジャヌカンで思いを馳せる。まさしく、機械(楽器)の時代に突入する直前の人力(声)のクライマックスのような声楽曲。」
「ジャヌカンの時代以降、シャンソンは、教会音楽のようなポリフォニーの形から、器楽や舞踏とのコラボを経て、主旋律主導型に変容していった。これは、ジャヌカンらのメロディの美しさによるものであった。」
「シャンソンの始祖、ジャヌカンには、三つのカテゴリーの作品が目立ち、メランコリックなもの、猥雑なもの、長大で擬音(オノマトペー)を含むものがあるが、シューベルトの時代になると、重視されなくなったものばかりであった。」
by franz310 | 2016-08-27 20:51 | 古典
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