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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その426

b0083728_19445580.jpg個人的経験:
再起をかけた
ヴィヴァルディが、
ハプスブルクの都で
披露すべく企画していたのが、
他の作曲家の作品も入れ込んだ
パスティッチョであった事は、
驚くには値しないのだろう。
彼は、素寒貧だったので、
無益なプライドに拘っている
余裕などなかったのである。
それより、即効性、
スピードを重視した戦略である。




21世紀になって、エレクトロニクス産業は、
オープン・プラットフォームだとか、
ソリューション・ビジネスとか言われるが、
社内にないものは、外部から調達すればよい、
という割り切り戦略は、
昔から、普通に行われていた。

各機能で最高なものを提供されるのなら、
ユーザーにとっては、
いいとこどりは非常に有難い。

そう考えると、
ベートーヴェンが、
聴衆がへとへとになろうが、
「運命」と「田園」を一緒に披露してみたり、
シューベルトが、
最晩年に「自作だけの演奏会」に拘ったりしたのは、
その時代特有の戦略だったような気さえしてくる。

サン=サーンスのような
19世紀後半に活躍した作曲家も、
「オルガン交響曲」のような
畢生の大作を初演した時、
合わせて演奏したのは、
いくつもある自分の協奏曲ではなく、
ベートーヴェンの「ピアノ協奏曲」であった。

このように考えると、
興行師でもあったヴィヴァルディのオペラ観は、
エンターテイメントのカタログみたいなものだった、
などと考えても良いのかもしれない。

ヴィヴァルディは、ヘンデル同様、
声の技巧に偏重した、ナポリ派オペラの台頭に苦慮したが、
人間の官能に直接訴えるような表現を重視した、
それを阻止することは不可能と判断、
むしろ、同じテイストを自作に入れたり、
そこに便乗したりして、時代の流れを乗り切ろうとした。

ちなみにヘンデルは、オペラでは破産するので、
オラトリオに乗り換えた。
ヴィヴァルディはオペラの中で、
同様の価値観見直しを行ったように思える。

ビオンディが、ヴィヴァルディの作戦に共鳴して、
現代にその考えを復活させるような勢いで、
ヴィヴァルディが最後まで上演を夢見て、
果たせなかったオペラ、
「メッサニアの神託」を蘇演したのは、
極めて喜ばしいことである。

このCDでは、ヴィヴァルディのみならず、
当時の嗜好をも考察しながら、
ジャコメッリのような人気作曲家の作品に、
耳を澄ませることが出来る。

前回、途中まで聞き進み、
解説も途中まで読んだので、
今回は、その続きを見て行きたい。

まずは、ヴィヴァルディの碩学、
フレデリック・デラメアの解説で、
ヴィヴァルディが、
最終的にヴィーンに向かった時の事を、
読んでみることにしよう。

「ヴィーンへの召喚」と題されている。

「1737年12月16日に書かれた、
有名な手紙において、
ヴィヴァルディは自分の生涯を要約し、
ヴィーンから召喚された事を、
そのキャリアのハイライトの一つとして挙げている。
おそらく、皇帝自身からか、
そのごく近い側近から来たもので、
トリエステで受け取った。
1729年9月、
コンティが書いている皇帝謁見の翌年、
ヴィヴァルディの父親、
ジョヴァンニ・バティスタ・ヴィヴァルディは、
彼の息子の一人が、
ドイツに行くのに同伴するということで、
サン・マルコ聖堂の職の休暇を得ている。
この場合、ドイツとは、欧州の中心たる、
オーストリア帝国に支配された、
ドイツ語圏に他ならない。
息子はアントニオに違いなく、
ジョヴァンニ・バティスタの子供たちの中で、
こうした旅行に相応しい職業なのは、
そして、さらに重要なことには、
ヴェネチアとそこにいる家族と離れる心構えをした、
その目的に敵う、唯一の存在はアントニオであった。
ヴィヴァルディ父子は、
ドイツに7か月ほど滞在し、
ヴィーンやおそらくはプラハ、ドレスデンにも行った。
この旅は実りあるもので、
彼がヴェネチアに帰って来た時には、
アントニオは、ロレーヌ公とリヒテンシュタイン王子の
聖堂の楽長という地位を手にしており、
首都において、彼のオペラの一つを、
初めて演奏したとも自慢できたかもしれない。
1730年、ケルントナートーア劇場で上演された、
『アルジッポ』の印刷されたリブレットの発見は、
その年にヴィヴァルディが、
皇室の後ろ盾で、ヴィーンの公の劇場との結びつきを、
得たことの証拠となる。
彼の『皇室の高貴な方』である、
皇帝の認可を得た劇場
『Teatro Privilegiato da S.M.Reale』が、後に、
『メッセニアの神託』のヴィーン版のリブレットで、
言及されることになる。」

ということで、
「Teatro Privilegiato da S.M.Reale」とは、
何か、という事になるが、
次の章のタイトルがまさしく、
「Teatro Privilegiato da Sua Maesta Cattolica Reale」
となっている。

まるで、推理小説を読むような解説である。

「ヴィーンにおいて、カール6世の劇場世界は、
2つの別個の部分に分かれていた。
一方は宮廷劇場で、その目的は、
王位の力と栄光を祝賀するためのもの。
これらは、選ばれた人のためのもの。
もう一方は、たった一つ、
広く公衆に開かれたもので、
古い『Carinthian Gate』近くにあるため、
ケルントナートーアと呼ばれる、
『公衆劇場』であった。
1709年に建設された、
ヴィーンの最初の大衆劇場は、
1728年から、テノールの
フランチェスコ・ボロジーニが、
宮廷の舞踏音楽の作曲家でダンサーでもあった、
ヨーゼフ・カール・シラーと共同で運営していた。
この二人に宮廷は免許を与え、
歌付きの幕間劇を伴う、
コメディーを上演させていたが、
正規のオペラ・セリアは禁じていて、
これは、宮廷劇場に委ねられていた。
この規制は、しだいに検閲が甘くなり、
そのため、ヴィヴァルディは、
『アルジッポ』を上演することが出来た。
この時代からのヴィーンの劇場との
ヴィヴァルディの関係の実体は、
まだ良くわかっていないが、
『アルジッポ』の初演後10年、
ケルントナートーア劇場で、
少なくとも、台本を変えながらも、
繰り返し演奏されていた事を
示唆する証拠がある。
この時期、ケルントナートーア劇場で演奏されたもので、
ヴィヴァルディが関係したオペラのリストは、
(そのいくつかは単独で手掛けた)
再考を促すものである。
1731年のNerone
1733年のTito manlio
1734年のArtabano
1735年のTeuzzone
1737年のFarnace。
1737年には、さらに、
リブレットも、ヴィヴァルディのスコアも、
『忠実なニンファ』を下敷きにした、
田園オペラ『幸福な一日』の初演があり、
これは、フランソワ3世(マリア・テレジアの夫)の最初の娘、
大公女マリア・エリザベートの誕生を
祝うことを意図したものだった。
翌年、同様にヴィヴァルディ作曲の主題による、
『La Candace』が
ケルントナートーア劇場にかけられている。
ある意味、ヴィヴァルディの音楽は、
ヴィーンで流行になっていた。
ヴェネチアの聴衆の、
彼への支持が落ちて行ったときだったので、
この流行が、
1740年春、故郷を離れ、
ケルントナートーア劇場から、
それほど遠くない家に、
ヴィヴァルディを住まわせたのだろうか。
40年近く関係があった、ピエタ養育院は、
1740年の5月、
多くの彼の作品を買い取っている。
ヴィヴァルディは最新のオペラを持って、
ヴィヴァルディはヴェネチアを離れた。
その中には、『メッセニアの神託』のスコアもあった。」

ヴィヴァルディは、何度かヴィーンに行っただけ、
というイメージであったが、
大量のオペラを提供していたということだ。

カール6世の死去で、
ヴィヴァルディが苦境に立ったのは知っていたが、
その孫の誕生祝いにまで関わっていたとは知らなかった。

次に、「ヴィヴァルディのメローペ」という章が来る。
メローペとは、「メッセニアの神託」のヒロインとも言うべき、
王妃の名前である。

「ヴィヴァルディの『メッセニアの神託』の初演は、
1737年の12月28日に、
ヴェネチアのサンタンジェロ劇場で行われ、
カーニバルのシーズンが始まった。
このシーズンは、異常に短期間に企画され、
たった一ヶ月前に、ヴィヴァルディは、
フェラーラで演奏されるはずだった、
『Siroe』の改訂版など、
いくつかのオペラすべてを発表した。
フェラーラの大司教で、
ローマ教皇の特使であった
トマゾ・ルッフォ卿が、
聖職者に関わらずミサもあげず、
歌手のアンナ・ジローと『友人関係』にある、
という理由で、
突然、ヴィヴァルディの市への
立ち入りを禁じた時、
フェラーラのシーズンのため、
上演の準備はかなり進んでいた。
『不運の大海』に落とし込まれ、
彼がすでにつぎ込んでいた、
財政上の義務による破産への恐れから、
フェラーラ公演の放棄以外、
ヴィヴァルディには選択の余地はなく、
このような事業を監督できる、
代理の者もいなかった。
ヴェネチアにおける
『メッセニアの神託』の作曲と企画は、
こうした躓きの成り行きであった。」

ヴィヴァルディは、興行主であったから、
かなりの大金を動かしていたはずだが、
一度の失敗で、破産まで追い込まれるものであろうか。

しかも、1737年と言えば、
ヴィヴァルディも59歳、
今の社会でも定年間際みたいな年になっている。
この年での失敗は痛かったであろう。

病気や家族の死や、リストラといった事は、
年を取れば、よく聴く話であるが、
ヴィヴァルディのように、
大きな負債を抱えた大作曲家というのも珍しい。

悲劇の早世で知られるモーツァルトやシューベルトも、
貧乏であったようだが、
彼らが動かしていたお金は、
ヴィヴァルディの百分の一とかそれぐらいではないか。

「ローマ教皇の特使の決定の撤回が
無理であることが分かった、
1737年10月30日から、
ヴィヴァルディは、
おそらく、
重要なアンナ・ジローをはじめ、
フェラーラで使う予定であった、
アンサンブルを使って、
サンタンジェロのオペラシーズンを、
大急ぎででっち上げた。
このような素早いシーズンの企画は、
『メッセニア』、『ロズミーラ』、『アルミーダ』
といった、
3つの異なる作品を揃えていた。
これは、同時に、
秋のシーズンからこの劇場お抱えだった、
興行師チェーザレ・ガルガンティによって、
組織されたアンサンブルを、
サンタンジェロから立ち退かせたことを意味し、
ヴィヴァルディがなおも、
かつての勢力範囲に影響力があった事を示している。
フェラーラでの失敗の後、
ちょうど一か月後、
ヴィヴァルディは、ヴェネチアで契約を結び、
そこで流行っているものに、
プログラムを適合させた。
『メッセニアの神託』での
ヴェネチアシーズンの即席のオープニングは、
芸術的にも、実利的にも意味があり、
アポストロ・ゼーノの台本『メローペ』の改作は、
彼自身の音楽アプローチと、
彼のお気に入り歌手に理想的な曲を提供することで、
ヴィヴァルディに、完璧に劇的な構成を与えたし、
短い時間で、火花を散らすようなスコアを、
短期間で構成することを可能とした。
ヴィヴァルディは、メローペのリブレットに、
何年も関心を持っていた。
プロットは、エウリピデスの悲劇
『クレスフォンテス』によっており、
その著者によって、
『私の劇の中では悪くないもの』と呼ばれていた。
アクションの効果的な取扱いと、
力強い性格描写で、
それは、ゼーノの輝かしい『改革』時代の
眩い実例である。
ヴィヴァルディは、
1711年のカーニバルのシーズン、
ヴェネチアのS.カッシアーノ劇場で上演された、
彼の最初のオペラの師匠であった、
フランチェスコ・ガスパリーニによる、
最初の付曲について、明らかに知っていたはずである。
彼は、このオペラが、
フィレンツェ(1713)、ミラノ(1715)、
トリノ(1716と1732)、
ボローニャ(1717)、ミュンヘン(1719と1723)、
ローマ(1721)、ペルージャ(1731)、
カールスルーエ(1729)そして、
プラハ(1731)で、
アレッサンドロ・スカルラッティ、
ステファーノ・フィオーレ、
マリア・オルランディーニ、
ピエトロ・トッリ、
リッカルド・ブロスキらの音楽で、
上演されたことを知っていたかは分からない。」

とにかく、この物語は、作家自らが自慢することが
不思議でないほどに、様々な作曲家が取り上げた。
しかも、イタリアのみならず、
プラハやミュンヘンでも上演される
人気作だったということだ。

師匠が作った作品の他、
もう一つの有名な作品も、以下のように、
ヴィヴァルディは愛好したようである。

「しかし、彼は、個人的に、
ヴェネチアの
テアトロ・S.ジョバンニ・グリソストーモで、
1734年のカーニバル・シーズンに上演された、
ジェミニアーノ・ジャコメッリの
人気作は良く知っていて、
ここでは、当時の最も有名なカストラート、
偉大なファリネッリと
嵐のようなカファレッリが共演した。
ジャコメッリの『メローペ』は、
ヴィヴァルディの『オリンピアーデ』が、
ほぼ同じころ、サンタンジェロ劇場のシーズンを
締めくくったのと同様に、
ヴェネチアの最も名声ある劇場のシーズンを閉じ、
明らかに深い印象を彼に残していた。
一年後、ヴェローナにて、
ヴィヴァルディは、
ジャコメッリのスコアから、
2つの偉大なアリア、
『Barbaro traditor』と、
『Sposa…non mi conosci』を
こっそり引用し、
パスティッチョ・オペラの
『バヤゼット』を作った。
それから、1736年のシーズンに、
フィレンツェのデル・ペルゴラ劇場から
アントニオ・サルヴィの旧作リブレット
『ジネブラ』によるオペラを委嘱された時、
代わりに『メローペ』はどうかと提案して失敗している。」

このような有名な劇であるから、
ヴィヴァルディも、これに曲を付けたい、
と思ったとしてもおかしくはないが、
あえて、人気作がある所に、
連なろうとしたところが面白い。

この時代以降は、むしろ、
この作品は、この人の音楽があるから、
などと遠慮する傾向が強まって来る。

ヴィヴァルディは大変な自信家だったのか、
あるいは、興行師としての彼の本性のなせる技なのか。

「ヴィヴァルディの
ゼーノのリブレットへの親近感と、
ジャコメッリのスコアへの賞賛が、
1737年の12月、
サンタンジェロでの即席シーズン、
非常にタイトなスケジュールの仕事に迫られた時、
彼が、『メッセニアの神託』を
選んだ理由であることは、
疑うことが出来ない。
彼が新しいスコアを用意するとき、
彼がかつて『バヤゼット』で
行なった方法を取ったようで、
ジャコメッリの音楽を、
多くここにも有効利用した。
『神託』のリブレットは、オペラの作曲家は
ヴィヴァルディだけのように思わせるが、
情報を総合するに、
『メローペ』の物語の
彼の最初のバージョンそのものが、
実際、もう一つのパスティッチョなのである。
公式にヴィヴァルディ作と考えられるリブレットによって
パスティッチョであることが分からなくなることは、
同じシーズンにヴィヴァルディが、
サンタンジェロ劇場で上演した
『ロズミーラ』によっても、
疑いもなく証明される。
同様に、彼は非常にタイトなデッドラインに直面したが、
多くの流用可能な素晴らしい素材を持っていたのに、
ヴィヴァルディが新しい音楽を書いたりして、
無駄な時間を費やしたとは全く思えない。
最初の『神託』のバージョンのスコアは失われたが、
リブレットが残っていて、ヴィヴァルディが、
ジャコメッリのオリジナルをテンプレートとして、
新しいナンバーを挿入するとか(第1幕第4、第9場、
第2幕第2、第3場、第3幕第1場など)、
最近、彼自身が書いた最高のアリア集を再利用するとか、
新しい材料をそこに差し込むという作戦で、
どんな音楽を作品に適合させたかが分かる。」

このように、ヴィヴァルディは、
その時代の集大成のような、
一大絵巻を我々に残してくれようとした、
とも考えられるし、
絶対、失敗しないような作戦で、
背水の陣を敷いたとも言えるだろう。

では、今回は、第2幕を聴き進んでみよう。

第2幕:
「クレオンは勝利を収めて戻る」
と、この時代のオペラらしく、
イノシシは見られずに終わってしまう。

CD1.Track24.
第2幕は、いきなり、エピタイデの凱旋で、
イノシシを倒したらしく、勇ましい角笛を表すような、
ホルンの響きも素晴らしい音楽が始まる。
この部分は、古典的に平明なまでの曲想で、
かなり風通しが良く、エピタイデのアリア
「親しい岸辺よ、私は勝利者として戻った」も、
簡潔かつ、朗らかである。

この状況は、ロッシーニの「タンクレディ」を思わせる。
なお、ここは、ジャコメッリの「メローペ」そのままのようだ。

Track25.
この部分は、レチタティーボで、
下記のようなややこしい状況を説明していく。
が、原作が「メローペ」だけあって、
この王妃の猜疑心の高まりが見どころである。

「彼はポリフォンテの抱擁は拒むが、
死にゆくエピタイデにこうして欲しいと頼まれた、
として、メローペの右手へキスする。
彼は、王室に返す貴重な宝石も貰ったとし、
疑り深いメローペは、クレオンの報告を怪しみ、
この見知らぬ若者を強盗だとして、
息子を殺したと糾弾する。」

Trac26.
当然、彼女の感情が高まって行くので、
アリア「お前は、慈悲に値しない、残酷なものよ」。

ここは、ヴィヴァルディの
「グリセルダ」の音楽を持って来ているが、
このような、いくぶん凝った、
管弦楽と歌の交錯や、畳み掛ける跳躍が来ると、
「待ってました」と言いたくなる。

が、これは、ナポリ派的な技巧を凝らされたものではなく、
アンナ・ジローの演技力を引き立てる、
情念のほとばしりに注力したものだ。

Track27.
「ポリフォンテは、彼を擁護し、
王室の捕われ人を花嫁に与えると約束する。」
このあたりはヴィヴァルディが挿入したナンバー。

Track28.
ポリフォンテの、強烈なアリアである。
「メッセニアが、喜びで怪物の死を祝うように」。

声だけが強烈なのではなく、
管弦楽のアタックや、渦巻きと、
みごとに調和したアリアが全体として、
ものすごい集中力を感じさせる。
少々、調子を外したチェンバロの音色が、
屈折した状況を表すのか、
素晴らしい効果を上げている。

ヴィヴァルディの「モンテズマ」からのアリア。
さすがだ、と言いたくなる。
しかし、ポリフォンテが、エピタイデを、
何故、ここまで重用するのかは、
よく分からない。

Track29.
「エピタイデは、リチスコから、この捕われ人が、
他ならぬ愛するエルミーラだと知らされ狂喜する。」

Track30.
が、ここで、狂喜しているのは、
むしろリチスコだったようで、
「天が与えた花嫁は、愛情深い人です」
というアリアで盛り上がっている。

日本公演でも素晴らしい声と演技を聴かせた、
ゴットヴァルトが、楽しげに歌うのは、
小唄風で、分かりやすく、
ジャコメッリの作品。

Track31.
ここでは、メローペが、大臣トラシメーデに、
前王殺しの下手人、
アナサンドロを連れてくるように
命じているだけである。

もう10年も経っているのに、
何故、今更、といった展開で、
ゼーノは、「この作品は悪くない」と言いながら、
このあたり、気にならなかったのだろうか。

Track32.
アナサンドロは、鎖に繋がれて現れる。
「メローペはアナサンドロに、
クレスフォンテと息子たちが殺された事について
問い詰めるが、
アナサンドロは、公開の裁判でのみ、
それは明らかにするという。」

Track33.
「メローペは、トラスメーデに、
民衆を集めるように命じる」という後で、
この大臣は一人、もんもんと悩む。

Track34.
トラシメーデのアリアで、
7分にわたって、超絶技巧が聴かせられる。
ただし、いきなり、この人がここまで興奮するかは、
ちょっと微妙。

何と、ここで使われているのは、
ブロスキのもの。
「私は危険な揺れる船で」。
これは、日本公演でも、
ユリア・レージネヴァが、小柄な体格で、
いくぶん、声量に限界を感じさせながらも、
素晴らしい集中力で、すごい迫力で歌い切り、
ものすごい拍手に繋がったものである。

なお、日本公演パンフレットでは、
各アリアの出典が書かれていないが、
この曲については、
「映画『カストラート』でも歌われていました。
・・・気づけたらお見事!」
と特記されている。

CD2:
Track1.
ここは、恋人たちが束の間の喜びを語りあうシーン。

「その間、エルミーラは、
エピタイデの死は謀略であると知り、
彼らは喜んで再会するが、
エピタイデの正体は、
秘密のままにしておくことに同意する。」

Track2.
エルミーラのアリア、「優しい希望よ」で、
序奏からして、上質な織物の質感。

ヴィヴァルディの「テンペのドリラ」から持って来たもの。

陰影の豊かさ、管弦楽の繊細さ、
これまた、ヴィヴァルディを聴く醍醐味であろう。

Track3.
「裁判に先立って、
ポリフォンテは民衆の裁きに従うふりをするが、
アナサンドロは、彼の命令で、
メローペが殺人をそそのかしたと糾弾する。
ポリフォンテは、
彼女が死の宣告を受け入れることを求める。
メローペは絶望する。」

Track4.
王妃メローペのアリア、
「私に味方してくれる口も心もありません」で、
楽しげな序奏にチェンバロが明るい響きを散りばめる。
ジャコメッリの作品そのままである。

歌が始まると、切々とした調子を歌い上げ、
中間部では切迫した表現も見られ、
なかなか聞きごたえのあるもの。

Track5.
「エピタイデだけが、
この急な評決を非難する。」
などと、余所者がでしゃばるのは、
いかがなものか。

Track6.
主役のようなものなので、
でしゃばっても良いし、
彼がしゃしゃり出ないと、
続く緊迫感に繋がらない。

しかも、ジュノーの声を、
このあたりで聴きたいではないか。

アリア、「王家の血を訴えるものは」で、
ジュノーのいくぶんくすんだ、飛び上がらない声が、
公演でも、すこし、もの足りなかったが、
このCDでも、もっと突き抜けた世界を要望したくなる。
ジャコメッリの「メローペ」のもので、
技巧が散りばめられている。

Track7.
「アナサンドロはポリフォンテに、
クレオンは、エピタイデに他ならないと警告し、
ポリフォンテは怒りをぶちまける。」

Track8.
ポリフォンテのアリアである。
「荒れ狂う海も、恐ろしい稲妻も」で、
ヴィヴァルディの「フェルナーチェ」からのもの。
木管楽器の装飾も楽しく、協奏曲のように目立ち、
弦楽群の激しいアタックが、情感を盛り上げて行く。

日本公演でもオーボエの音色が印象的だった。

Track9:
アナサンドロ一人。
「アナサンドロは、彼は悪人だが、
自分の名前は、その大罪を負うのだと考えて、
自らを奮い立たせる。」

Track10.
アナサンドロのアリア、
「私は殺された前王の影がさすらうのを感じる」と、
かなり恐ろしい鬼気迫るもので、
手を下した本人であれば、恐ろしい幻想であろう。
ちょこまか動く弦楽や、めくるめく執拗なリズムが、
いかにもヴィヴァルディ。
「ウティカのカトーネ」から採られたもの。

得られた事:「パスティッチョ・オペラの中に入っても、ヴィヴァルディのアリアは、めくるめく情動と、上質な織物を思わせる管弦楽の陰影で、独自の輝きを放っている。」
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by franz310 | 2015-03-15 19:45 | 古典
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