人気ブログランキング |
excitemusic

クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
ICELANDia
カテゴリ
以前の記事
2019年 06月
2019年 05月
2018年 05月
2018年 03月
2017年 10月
2017年 08月
2017年 05月
2017年 01月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 09月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
フォロー中のブログ
メモ帳
最新のトラックバック
http://venus..
from http://venuspo..
http://while..
from http://whileli..
http://while..
from http://whileli..
http://www.v..
from http://www.val..
バッハが人類に残したメッ..
from dezire_photo &..
ミュージカルかファンタジ..
from dezire_photo &..
バッハが『ロ短調ミサ曲』..
from dezire_photo &..
ルター派のプロテスタント..
from dezire_photo &..
ダンテの『神曲』 ”地獄..
from dezire_photo &..
バッハとヘンデルの音楽性..
from dezire_photo &..
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その423

b0083728_2183148.png個人的経験:
英国有数のヴィヴァルディおたく、
チャンドラーのCDを、
ネット検索していて、
ずっと前から気になっていたのが、
今回、紹介するAVIEレーベルのもの。
「ヴィルトゥオーゾ・インプレサリオ」
というタイトルは、
「いかさま興行師」みたいに感じる。
「ヴィルトゥオーゾ」は、
「技巧家」みたいな意味だろうが、
どんな「技巧」か分かったもんじゃない、
という感じがして、ヤバい感じ。


検索していると、
チャンドラー率いるセレニッシマのCDの中でも、
表紙デザインからしていかにも怪しい。

作曲家の顔があしらわれているだけではないか、
などと感じられるかもしれないが、
緑の帯と服の赤の対比が安っぽく、
その影響か、ヴィヴァルディの眼も口も、
何やら、悪巧みを考えていそうな謎の表情である。

確かに、技巧家でも興行師でも、
これくらいでないと務まるまい。
いかにもお人よしの技巧家とか、
いかにも分かりやすい興行師とか、
我々が求めているとも思えない。

さらに、このCD、ヴィヴァルディでありがちな、
先のタイトルからしても、
単に協奏曲の名曲集ではあるはずはなく、
「協奏曲、アリアとシンフォニア」と書かれている。
いったい、どんな曲が、どう集められているのだ。

あるいは、私は、この多産な作曲家に対し、
どこからどう手を付けて良いか分からず、
このような企画に飢えているのであろう。
膨大な作品を、どのように整理して考えるべきなのか。

これを考えると、ベートーヴェンやシューベルトが、
初期、中期、後期が把握しやすい、
年代順の作品番号やドイチュ番号で整理されているのが、
いかにありがたい事かを再認識してしまう。

ヴィヴァルディの場合、
作品番号がある曲は限られており、
リオム番号などは、曲種ごとの分類にすぎず、
どんなジャンルがどれぐらいあるか、
という情報くらいしか得る事が出来ない。

では、さっさと、このCDの解説を読んで行こう。

「1711年のヴィヴァルディの
作品3『調和の幻想』の出版は、
莫大な成功を収めた。
彼は、今や、さらに名誉ある依頼に相応しい存在となり、
1713年には、最初のオペラ
『離宮のオットーネ』、RV729や、
オラトリオ『教皇ピウス5世の予言した海戦の勝利』、
RV782が、ヴィンツェンツァから依頼を受け、
まったくもってキャリアが変転した。
ピエタでの職位も、一時的に『合唱長』となった。
このポストは4年で終わったが、
彼は50曲に及ぶオペラの作曲を、
その生涯にわたって続けることになる。
多くの作曲家が、ヴェネチアの劇場で失敗したが、
ヴィヴァルディは、こうしたオペラの世界が、
残酷な女主人であることを知っており、
ヴェネトのはずれの地でデビューすると決めたのは、
賢明なことであった。
それでも、彼はさらに用心深く、
RV370のヴァイオリン協奏曲変ロ長調の
第1楽章として改作される、
協奏曲的なシンフォニアを、
『オットーネ』のオープニングに選択した。」

オペラ「オットーネ」の話から、
いきなり、協奏曲の話になるのは、
いささか唐突であるが、
このCDでは非常に重要な事で、
最初に収められたのがこの曲なのである。

したがって、それを知らずに以下を読むと、
何がどうなったかと戸惑ってしまう。

なお、このRV370は、
私にとっては忘れがたい曲である。

トスカニーニがNBC響を振ったライブに、
この曲が入っているとされ、
NAXOSのCDにはそう記載されていたのだが、
実は、トスカニーニが振ったのは、
RV367であった。

私は、現代の演奏と聴き比べようとして、
ネットで検索して即時購入したのだが、
期待して待っていたものを聴いて、
ようやく、全然違う、と気づいたのである。

面白い事に、この時、今度は、
同じ変ロ長調でもRV367をネット検索して、
チャンドラーのCDに行き当たったのである。
それまで、この人については、
まったく知らなかった。
そして、このCDについてはかつて書いた。

「彼の初期の技巧家的なスタイルで書かれ、
1712年の『パドヴァにおいて
聖アントニウスの聖なる舌に捧げられる儀式のために』
RV212に使われた、
急速なパッセージワークやマルチ・リトルネッロの
レイアウトの余韻がある。
閃光のような音階、
超絶なボウイング・パターンは、
1716年にヴェニスに滞在し、
ヴィヴァルディに学んだ、
若いザクセンのヴィルトゥオーゾ、
ヨハン・ゲオルグ・ピゼンデルの、
並外れた技巧を想起させる。
(おそらく、この頃、この協奏曲は書かれた。)
そして、この人の手で筆写譜が、
ドレスデンのザクセン州立図書館に保存されており、
他の自筆譜はトリノの国立図書館に収められている。
初期の大規模なヴァイオリン協奏曲の多くに、
ヴィヴァルディは終楽章にカデンツァを入れた。
時々、彼は、聖アントニウス協奏曲のように、
それをすべて記載したが、
しばしば、単に、『よきにはからえ』と書いただけで、
オペラのアリアでそうしたように、
そして、それをベネデット・マルチェッロに非難されたように、
即興で弾くことをほのめかしている。
『オットーネ』の『Guarda in quest’occhi』は、
ヴァイオリンのカデンツァが要求されたもので、
現存するものである。」

こう書かれると、このアリアも、
このCDに収められているのか、
と期待したくなるのだが、
残念ながら、これは含まれていないようだ。

しかし、「離宮のオットーネ」は、
たくさんのCDで出ているので、
それを参考にしても良い。
第3幕のカイオのアリアである。

確かに、グリエルモのCDでも、
ヴァイオリンが大活躍している。
そして、最後に短いが強烈なカデンツァがある。

私は、かつて、この人の演奏による、
このオペラのCDを聴いて、
その序曲からして協奏曲的であることを
驚いた経験があるので、
チャンドラーが書いていることは、
いちいち納得できる。

ヴィヴァルディは、あえて、処女作では、
安全な自分の土俵で戦ったということだ。

Track1.協奏曲RV370第1楽章。
序奏からして、
グリエルモの「オットーネ」で聴き親しんだ
快活な主題が出てくる。
が、さすが協奏曲だけあって、
ヴァイオリン独奏が前景に飛び出て来ており、
それゆえに、超絶な感じはするが、
「オットーネ」に比べておおらかさが減退し、
音楽の広がり感は小さくなったような気もする。

Track2.第2楽章は、
グラーヴェとあり、荘重な歎きの音楽。
序奏は荘厳で、
ヴァイオリンの強い線が、
簡単な伴奏のオーケストラの前で、
ぎゅうぎゅうと悲しい音をふりしぼる。

Track3.再び、アレグロ。
じゃんじゃんと威勢の良いオーケストラに、
颯爽と入って来るヴァイオリン。
同様の音型を繰り返し、
「閃光のような」と形容されたのが良くわかる。

雷を表すようなぎざぎざの進行が、
興奮を盛り上げて行ったに相違ない。

チャンドラーがヴィヴァルディ風だと信じて
新たに作曲したカデンツァは、
終わり近くで聴かれるが、
ヴィヴァルディがどんな演奏をしたかを彷彿とさせる、
気品があって嫌味なく、しかし華麗なもので、
非常に楽しめた。
このカデンツァは、以下のように紹介されている。

「今日、カデンツァは、
協奏曲本体から動機を再導入するが、
しかし、ヴィヴァルディのカデンツァは、
ロカテッリの作品3の
『ヴァイオリンの技法』(1733)同様、
急速な音階や、楽器を上下するアルペッジョ、
頻繁なダブル・ストップ、トリプル・ストップを
駆使することを好む。
それゆえ、これらのカデンツァは、
協奏曲から独立して、
ヴィヴァルディは遠慮なく拍子記号を変えている。
この協奏曲はヴィヴァルディ自身のものが
欠けている曲の一つで、
私は、彼のスタイルで即興的なカデンツァを作曲した。」

以上が1曲目の説明で、
以下、2曲目の説明が始まる。
読んで分かるように、
2曲目は変化をつけてアリアである。

しかも、一気に3曲、
「ソプラノ、弦と通奏低音のための、
『愛と憎しみの誠実の勝利』RV706からのアリア」
と銘打たれている。

「1716年という日付は、
この協奏曲が、二つのヴェネチアでのオペラ、
サンタンジェロ劇場のための、
『ポントスのアルシルダ王妃』(RV700)や、
サン・モイーゼ劇場のための、
『愛と憎しみの誠実の勝利』(RV706)と、
同時期のものだということである。」

ということで、
1716年のヴィヴァルディを、
協奏曲とオペラの両面から描こうとしている。

「『アルシルダ』のスコアは残っているが、
『誠実』の方の音楽は何曲かのアリア以外は、
失われている。
2001年、バークレー城で、
主に1716年から17年の、
ヴェネチアのオペラ・シーズンの
50のナンバーの手稿が発見された。
ソプラノのための2曲のうち、
たった1曲だけが、
演奏会でもかけられるようなものだが、
それらのうち8曲は、
『誠実』のものとされている。
ベルリンの州立図書館でも、
さらに3曲のアリアが見つかっている。
『Se vince il caro sposo』は、
しかし、スカスカのスコアである。
『Hei sete di sangue』は、
G.C.Schurmannのパスティッチョ、
『アルチェステ』の中に含まれ、
『Amoroso caro sposo』は、
どのオペラのものか分からないような感じで、
別に見つかっている。」

これはすごい事である。
散逸したオペラが、
こんな遠く離れた所で発見されているとは。

このCDでは、
Track4.に「Sento il cor brillemi in petto」とあるが、
これは、上記のどれなのであろうか。

ソプラノのMhairi Lawsonが歌っているが、
「私の胸に、心が燃えるのを感じるわ、
だから、苦しみとよ喜びの間に捕えられ、
私に痛みをもたらすの」という内容らしく、
楽しい陽気なリズムと、悩ましい歌唱が交錯して、
確かにいきなり、ヴィヴァルディの劇場音楽の世界に、
引きずり込まれてしまう。

Track5.には、
他人のパスティッチョから探し出された、
「Hei sete di sangue」が置かれ、
これは、「血に飢えたあなたでも、
私の心は傷つけることは出来ない、
恥知らずの恩知らず」という歌なので、
ざっくざっくとした荒々しいリズムの
切迫した音楽が、罵りの感情を盛り上げる。

パスティッチョでは、
裏切りに対する怒りのシーンで使いやすそうだ。

Track6.に、保護された迷子のように見つかった、
「Amoroso caro sposo」が来る。

これまた、ヴィヴァルディらしい、
真実味と華麗さを兼ね備えた美しい音楽で、
「愛する夫は、過酷な嵐の海の中」という語句で、
悲嘆にくれた歌かと思いきや、
「それが、あなたを安心させるだろうが」と続き、
敵を毒づく音楽と思われる。

したがって、英雄的でもあり、
様々な感情が渦巻くように、
管弦楽の効果が目覚ましい。

「これらのアリアは
ヴィヴァルディ初期の
オペラ様式の典型的なもので、
彼の楽器をもてあそぶような、
リトルネッロや独奏部の挿句がたくさん現れ、
初期の協奏曲様式にも似ている。」
と、解説では総括されている。

「1720年代は、ナポリ派の、
新世代の作曲家たちが勃興し、
近代的なベル・カント歌唱法で、
世界中をとりこにした。
アルビノーニのような古い音楽家たちは、
流行について行くことが出来なかったが、
ヴィヴァルディは、
ヴェローナの『アカデミア劇場』用の
『忠実なニンファ』(RV714)のように、
ギャラントスタイルを自作に導入して適応した。
シピオーネ・マフェイのテキストにより、
『ニンファ』は、8人の独唱者がおり、
印象的なトランペット群、打楽器、ホルン、
リコーダーが、通常の弦楽合奏に加えられた。
ヴィヴァルディの通常のものとは違って、
オペラは二重唱、四重唱、五重唱を含み、
第3幕ではバレエ音楽も含んでいる。
しかし、ここにも2曲取り上げたアリアが、
創造力をかきたてる、素晴らしい例となっている。
ロンバルディア風のリズムによる、
『Dolce fiamma』は、ヴィヴァルディの中でも、
最も優美なアリアの一つで、
『Alma oppressa』では、
コロラトゥーラの離れ業と、
巧みなオーケストラ書法が見られ、
作曲家が芸術の力の絶頂にあった時の
自信にあふれた作品になっている。
ダ・カーポ・アリアは、今や規則正しく、
三つの独唱部分とリトルネッロを有し、
後期の協奏曲と同様である。
もっとも、後者は最後のリトルネッロを要するが。」

初期のオペラから絶頂期のオペラの話に移ったが、
CDでは、これらのアリアは、
最後の一曲の前を飾るものである。

Track16.の「Dolce fiamma」は、
確かに、浮遊するような、
羽根のタッチのオーケストラをバックに、
ソプラノがシンプルながら、
時にコロラトゥーラを響かせるナポリ派風で、
6分半も歌われる。
「私の胸の中の甘い炎よ、
運命の力によって、名前も素性も変えてはいるが、
心までは変えられない」という、
これまた、かなり鬱屈した感情を歌うものであるが。

Track17.の「Alma oppressa」は、
待ってました、と言いたくなる、
ヴィヴァルディの代表的なアリアで、
激烈な管弦楽の書法の網目を縫うように、
声が縦横無尽に飛翔するのは、
鳥肌が立つような感じ。

「残酷な運命に魂も虐げられ、
愛で悲しみを慰めるのも無駄で、
その愛がまた悲しみなのだ」
という悲惨な八方塞がりの状況。

このCDのソプラノは、
超絶技巧ということはないが、
美しい声で、スリリングな難所を切り抜けて、
素晴らしい聴きものである。

以下、解説には、
後期協奏曲の特徴が語られている。

「『モト・ペルペトゥオ(無窮動)』
のパッセージワークは、
メロディの声楽書法のために抑えられ、
RV243の協奏曲 『センツァ・カンティン』の
このことは緩徐楽章で前面に出され、
その典型的なサンプルである。
この協奏曲は、ヴァイオリニストに、
『E線なしで(センツァ・カンティン)』
という異例の指示があり、
最低音の弦は、最終楽章の、
長いbariolage(静的な音と変化音の急速な変化)楽句の
持続音のために調弦して使われる。」

この曲は、Track13~15.で、
アリアの前に置かれている。
最初にこのCDを聴き流した時から、
この緩徐楽章は強い印象を残すものであり、
オペラのアリアが始まるのではないか、
などと身構えた程であった。

Track13.アレグロは、
どっぷりオペラの世界に浸かった
ヴィヴァルディの面目躍如の音楽で、
いきなり序奏から、がっつり聴き手を掴む感じ。

極めて強い意志、あるいは運命の力を感じるような楽想で、
真ん中で現れる長大な無窮動のカデンツァが、
がむしゃらである。

Track14.アンダンテ・モルト。
夢見るような物憂げな歌謡楽章で、
解説に、歌のラインを大切にして、
器楽的な効果を押さえている旨あったが、
これと「E線なし」は、何か関係あるのだろうか。

あるいは、終楽章でE線を使うようにして、
制約を設けたら、無窮動がしにくくなったとか。

Track15.
ここでは、前の楽章で我慢していた、
パッセージワークが頻出するが、
全体の印象は、
ベートーヴェンのスケルツォのように無骨なもので、
重いリズムがばーんばーんと打ち付けられ、
ヴィヴァルディ的な快活さとは一線を画し、
巨大なエモーションに突き動かされている感じがする。

以下には、最後に収められた協奏曲の解説が続く。

「拡張されたbariolageのパッセージワークは、
ヴィヴァルディの後期作品で優れており、
協奏曲変ホ長調RV254は、
いくつかの特に美しい好例を含んで、
全編のベル・カント風を引き立てている。
この協奏曲はおそらく、
彼のオペラの導入に使われたに相違ない。
第1楽章に、『senza cembali』
(ハープシコードなしで)という記載を含むように。
劇場外でハープシコードが一台以上あるという事は、
あり得なくもないが、不自然である。」

Track18.疾風のような楽句が吹きすさぶ、
これまた大仰とも言える楽想。
大作のオペラを予告するのか、
ヴァイオリンの主題も稀有壮大さと、
英雄的な推進力を併せ持っている。

オーケストラも寄せては返す波のように激しい。
チェンバロなしの指定は、
ここでチャラリンと鳴ると、
急にお上品になるからであろうか。
それを避けてまで、緊迫感を盛り上げるもの。
ここでのカデンツァも強烈である。

Track19.またまた、情感豊かな緩徐楽章。
ここでは、思索的な状況で、
盛んにチェンバロが鳴っている。
ヴァイオリンも、
何やら難しい事を考えているようなメロディ。

Track20.ようやく肩の力が抜けたアレグロ。
このCDの後半は、緊張感がありすぎであろう。
ようやく、楽しげなヴィヴァルディである。
オーケストラの疾風はおさまり、
爽やかな風が流れる。
だが、ヴァイオリンが奏でるメロディは、
いささか珍妙であって、
わざと操り人形のような、
ぎくしゃく感を出しているのか。

CD最後の曲は終わっても、解説は続く。

「彼の弦楽と通奏低音のための作品を見てみると、
たくさんの独立したシンフォニアが見つかるが、
『誠実』の場合に見たように、
多くのヴィヴァルディのオペラは、
長い間、行方不明のものが多い。
RV134のような協奏曲は、
シンフォニアに後に改作され、
タイトルは異なる色のインクで、
変えられていたりする。
その素晴らしいフーガの開始を見ると、
オペラハウスで演奏されるには
ふさわしくなさそうである。
むしろ、オラトリオの開始部か、
あるいは自由独立の室内交響曲(リピエーノ作品)
なのかもしれない。」

このように、Track10~12.
として収められたRV134の解説となるが、
同じように大型の声楽曲なのに、
チャンドラーはオペラとオラトリオを、
厳しく峻別しているようだ。

音楽を聞いて見ると、
劇的な緊張感に溢れたフーガは、
かなり集中力を持って聴かせる力があり、
極めてシリアスである。
ただ、第2楽章は、内省的であるものの、
とても情緒があって悩ましく、
オペラの一部であってもおかしくはない。

終楽章は、活力があり、
メロディの晴朗さも、
古典派の作品といっても良さそうな新鮮さがある。

弦楽合奏のための協奏曲は、
ヴィヴァルディの中では地味な部類の曲種であるが、
このような曲を、こうした共感豊かな演奏で聴くと、
改めて、ヴィヴァルディを聴く喜びが再認識される。

「ヴィヴァルディのアンサンブル協奏曲は、
おそらく1720年代中盤から後半にかけて作られた、
ヴァイオリンと2つのチェロのための
協奏曲RV561に見られるように、
未だ、リズムの興奮と色彩の対比に依存している。」

と書かれて、Track7-9の作品に移るが、
これは、逆に言えば、
協奏曲は外面的な効果で乗り切れたが、
シンフォニアでは、
そうはいかなかった、というニュアンスであろうか。

「ヴィヴァルディは、
5曲以上の協奏曲と、
『ディキシッド・ドミヌス』RV595の
最初の付曲において、
2台のチェロ独奏を使っている。
この場合、木管楽器群を持つ協奏曲同様、
独奏部の一番おいしいところは、
ヴァイオリンが持っていっている。
緩徐楽章は全編、ヴァイオリン用で、
ニ長調、RV564の協奏曲の対応する楽章同様、
チェロは、単にアルペッジョで付き合っているだけである。」

何だか、良い事を書いていないようだが、
Track7.に始まるハ長調協奏曲は、
生き生きとしたヴァイオリンに対抗して、
ど迫力でチェロ軍団が襲いかかるような
第1楽章からして極めて面白い。

しかし、チェロはがちゃがちゃ言っているだけで、
特に美しいメロディを奏でるでもなく、
音色の対比をして、陰影をつけているだけ、
と言われれば、そんな感じもする。

Track8.問題のラルゴである。
これは、どんぶらこどんぶらこと、
短調な音形をくり返すチェロを伴奏にした、
ヴァイオリンの舟歌みたいなものであった。

Track9.アレグロは、
ものすごいスピードで駆け巡るが、
チェロが動くので、重量級の迫力。
ヴァイオリンの囀りを、重火器が駆逐しながら進む。

「それらのすごい変則性によって、
ヴィヴァルディ初期の実験的な作品は、
バロック・スタイルの真の典型となっている。」

変則なのに、突き詰めれば「典型」だと。

「続く20年間、彼の遍歴は、
ここに取り上げた、
後期のヴァイオリン協奏曲、その他多くのように、
ソナタ形式のプロトタイプさえ利用して、
古典形式のすれすれまで導いた。
欧州の大部分では、
もう20年も前に亡くなっていた、
アルカンジェロ・コレッリの、
コンチェルト・グロッソの形式が
くり返されていたが、
そこから離れて、
新しい流行に夢中になったサークルのために。
しかし、ヴィヴェルディの協奏曲のスタイルは、
多くの若い作曲家の意識に浸透し、
その名技性や、
タルティーニのような衒学的な経験と共に
18世紀後半や19世紀の、
偉大な協奏曲の作曲家を導くことになる。」

以上で、チャンドラーが作った、
「北イタリアのヴァイオリン協奏曲の興隆」
シリーズの「第2巻」の解説が終わるが、
最後に、「第1巻」で取り上げられながら、
ここで訳出できなかった、
「調和の幻想」の解説部分を持って来て、
ヴィヴァルディ初期の協奏曲についても、
振り返っておこう。

「『調和の幻想』は、トスカーナの大公、
フェルディナンド王子(3世)に捧げられており、
「和声の誕生」とでも訳せばよいもので、
当時のピタゴラス派の音楽による天球の調和を表している。
何よりも重要な数字「7」が、
この楽曲の4つのヴァイオリン、
(彼の協奏曲には珍しい)2つのヴィオラ、
そしてバスという編成や、
作品の循環的な特徴に現れている。
最初の協奏曲は4つの独奏ヴァイオリンが使われ、
2番目のは2つのヴァイオリン用、
3つめのは1つのヴァイオリン用で、
全曲でこのパターンが繰り返される。
アルビノーニのものの残照か、
チェロ独奏を含むものが、第1番、第2番、
(短いが)第7番、第10番と第11番である。
このいかにもヴェネチア的な協奏曲集は、
彼の協奏曲集の中でもユニークで、
形式の点でアルビノーニの作品2や、
スコアの点でレグレンツィの作品8や10に負っている。」

何と、トラック・ナンバー(前のCD)で、
Track34-36.が作品3の3。
独奏用のヴァイオリン協奏曲で、
澄んで、快活なチャンドラーのヴァイオリンが楽しめる。
楽器は、アマティのコピーだとある。

Track37-39.には、作品3の10。
これはバッハが編曲したので有名なもので、
上記3パターンの4順目の最初の曲で、
4つのヴァイオリンが登場、時々、チェロが聞こえる。

楽器が多い分、
ものすごく豊穣なもので、
演奏の推進力も素晴らしい。
サラ・モファットや、
ジェーン・ゴードンといった美人奏者も、
この中で、音楽の綾を紡いでいると思うと、
想像するだに、リッチな演奏風景である。

得られた事:「協奏曲とオペラが合い携えて、ヴィヴァルディの音楽を発展させていった様子を魅力的に紹介した、極めて充実した内容のCDであった。」
「ヴィヴァルディの必殺技は協奏曲だったので、オペラ界に乗り出す時も、これを有効活用し、アリアにも楽器をもてあそぶようなリトルネッロや独奏部の挿句がたくさん現れる。」
「1720年代は、ナポリ派の作曲家たちが勃興し、ベル・カント歌唱法で、
世界中をとりこにしたが、ヴィヴァルディは、ギャラントスタイルを自作に導入して適応した。そして、それが、彼の後期協奏曲に広がりを与えて行く。」
by franz310 | 2015-02-08 21:09 | 古典
<< 名曲・名盤との邂逅:1.シュー... 名曲・名盤との邂逅:1.シュー... >>