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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その421

b0083728_20545654.jpg個人的経験:
ヴィヴァルディの、
大量の協奏曲群を前に、
この作曲家は、
同じ曲を数百回書き直した、
などと言って誤魔化すのは、
時代遅れであって、
カルミニョーラのような
第一人者は、
それぞれの楽曲の個性を、
よく味わえるような
世界初録音のCDを多数発売し、
聴衆を啓蒙しつつある。


が、もっと若い世代の、
アドリアン・チャンドラーなどは、
自ら研究者としての側面を前面に出し、
解説までを自らの手で記載しながら、
テーマ性の高い選曲でCDを作り続けている。

1974年生まれとあるから、
年齢不詳の怪人サルデッリや、
カルミニョーラ(1951年生まれ)、
アレッサンドリーニ(1960年生まれ)、
ビオンティ(1961年生まれ)、
スピノジ(1964年生まれ)、
マンゼ(1965年生まれ)などより若い。

ヴィヴァルディの生年は、1678年であるから、
約300年を経て、
ようやく、ここまで研究が進んだ、という感じがする。

ヴィヴァルディは、死後、急速に忘れられたが、
生前は、破竹の勢いで頭角を現したラッキーボーイでもあり、
晩年まで、皇帝お気に入りの作曲家として寵愛を受けており、
皇帝の死がなければ、貧民墓地に葬られ、
その場所が分からなくなるような事はなかっただろう。

ということで、神聖ローマ皇帝カール6世と、
この作曲家の関係に着目したCDとして、
チャンドラーは、セレニッシマを率いて、
「アントニオ・ヴィヴァルディ
神々と皇帝たちと天使たち」と題したアルバムを作っている。

このタイトル、月とすっぽん並みに、
無関係なものを集めただけに見えるし、
すべて複数形なので無神教のように見えるので
非常に分かりにくいのが、
チャンドラーの頭の中では、
何らかのつながりがあるようである。

一応、これらの表すものが、
解説を読んでいくと読み取れる(ようだ)。

「私は9人の高貴な方々と文通する栄誉に浴し、
私の手紙は全ヨーロッパを旅しています。」
(アントニオ・ヴィヴァルディ 1737年11月)

チャンドラー自身が書いた解説は、
いきなり、このようなヴィヴァルディの、
誇らしげな言葉から始まっている。

「これはヴィヴァルディがその中で活動していた、
高貴なサークルを指しているのだろうが、
その中でも最高位にあったのが、
神聖ローマ皇帝、
カール6世(1685-1740)であった。」

こんな風に始まるので、皇帝たちとは、
いったい他に誰がいるのか、
と思ってしまう。

ヴィヴァルディは、この皇帝には寵愛されたが、
次の、マリア・テレジア帝とは無関係であった。

「この人は、すぐれたアマチュアの作曲家で、
伴奏者であり、
ハプスブルク家直系の最後の皇帝であった。
この皇帝の庇護を得るための彼の努力の中で、
ヴィヴァルディは、
2つの華やかな弦楽の協奏曲を献じている。
1727年の作品9と、
1728年の9月10日から12日の間、
皇帝のトリエステ訪問時に、
個人的に手渡した手稿譜である。
これらは共に、『チェトラ(竪琴)』と題され、
ヴァイオリンになぞらえた
竪琴を操るアポロと比べることによって、
皇帝を喜ばせようとしたものである。」

ということで、アポロが出て来たが、
キリスト教的な神ではなく、
このCDのタイトル「神々と皇帝たちと天使たち」
にある「神々」は、
ギリシャ神話的な神々であることが分かる。

「1728年の曲集の5つのパート・ブックは、
独奏ヴァイオリンの譜が欠けているが、
7曲が何らかの形で現存しており、
第10協奏曲(RV271)
(『恋人』と題されたもの)は、
トリノの国立図書館に、
ヴィヴァルディの自筆譜が収められている。
一方、2つの二重協奏曲は、
第1のヴァイオリン独奏パートは、
ここに示した変ロ長調(RV526)のように、
第2のヴァイオリン独奏パートから、
簡単に修復ができる。
1728年にヴィヴァルディが、
2曲の二重協奏曲を含む献呈をしたのは、
1727年の出版の1曲の二重協奏曲が、
好評だったことに直接影響されているのだろうか。」

ところで、このCDには、
こうしたテーマに関する解説と共に、
各曲に関する解説もあって、
かなり贅沢に楽しめる。

ただし、解説の順番と曲順は、
一致したものではない。

この「ラ・チェトラ」協奏曲第6番(RV526)
についても、このような記載があるが、
これはCDのTrack13-15に収録されている。
解説では冒頭であるが、
全9曲中のど真ん中、5曲目に登場する。

Track13.追いかけっこのような、
でこぼこをくり返す、変なリズムの音楽で、
リコンストラクション、アドリアン・チャンドラーとあるが、
2つのヴァイオリンの独奏部は、
絡まり合いながら模倣する感じで、
新たに復活させたものとは思えないような自然な音楽になっている。

「前述のように、
この協奏曲の第1の独奏ヴァイオリン・パートは、
第2の独奏パートから再構築されたものである。
残念ながら、今日の音楽家たちは、
音楽をもとに戻す事に関して控えめである。
我々が再構成する際に遭遇したのは、
オープニングのソロだけであった。
我々は、ここで、ヴィヴァルディが、
第2ヴァイオリン・パートを、
コピーした時のミスを利用した。
バス・ペダルの持続音の2ビート後に、
ここでの音型が変わっている。」

何と言うことのない解説ではあるが、
一曲一曲を大切に吟味して演奏している感じが、
伝わってくるだけでも良いではないか。

Track14.ラルゴ。
一方のヴァイオリンが、懐かしい情景に思いを馳せる中、
そっともう一方のヴァイオリンが、
優しく寄り添う風情なのが良い。

Track15.アレグロ。
はち切れるような楽想で、
ハイドンやベートーヴェンが好きそうな、
ギクシャクとしたごつごつの展開ながら、
この楽章も中間部で、懐古的な楽想が出て、
ヴァイオリンが夕空を駆ける。
第2ヴァイオリンの寄り添いも泣ける。
オルガンを使った低音が、
不思議な色彩を放つ。

この曲のどこが、
皇帝を思わせるのかは分からないが、
カール6世は、こうした軽妙さや、
そこはかとない情感を愛する君主だったのだろう。

もう一曲、「ラ・チェトラ」からの協奏曲、
カラヤンなども演奏した超有名曲「恋人」RV.271は、
このCDの最後に収められている。

また、曲別解説にも、
「このアフェットゥオーソ・スタイルは、
ヴィヴァルディにとっては
非常に珍しいものである」とある。

「3つの楽章すべてに、
アッポジャトゥーラ(前打音)が多用されており、
タルティーニやロカテッリが、
そのソナタで採用したスタイルを偲ばせる。」

Track22.アレグロは、
流れるように優美な楽想で、
春のそよ風を思わせるが、
カール6世は、こうした気取った、
あるいは洒落た表現も好きだったのだろうか。

Track23.ラルゴ/カンタービレで、
打って変わって寂しげな曲想で、
終始、独白調で、慰めるような伴奏に対し、
ヴァイオリンが感情を押し殺したように、
相談するともなく、感情を披歴し、
いかにも劇の一場である。

Track24.アレグロは、
あっかんべえの音楽で、
さっきの悲嘆は嘘でした、みたいな楽想。
激しい推進力の中、
ヴァイオリンが縦横に活躍する。

中間部では、ふと、
寂しげな本音が出ているのか。

3分40秒頃から55秒頃にかけて、
かなり目立つカデンツァがあるが、
演奏しているチャンドラーの作ともある。

「最終楽章に現れる短いカデンツァは、
タルティーニやロカテッリの長いカプリッチョより、
タルティーニやテッサリーニの短いカデンツァのスタイル。」

ちなみに、ロカテッリは、
協奏曲にカプリッチョ楽章という、
技巧誇示楽章を設けたことで知られている。

この作曲家は、1695年生まれと、
ヴィヴァルディの次の世代に属する。
カール6世(1685-1740)は、
おそらく、自分より若い、
この世代の作曲家は知らなかったはずで、
ヴィヴァルディは、かなり新しい音楽を、
それに先駆けて、皇帝に献上していたということか。

私は、すべてがこの調子で、
このように、カール6世一人に献じられた協奏曲が、
単に集められたCDかと思っていた。
これでは、CDのタイトルの
「皇帝たち」に合わないのだが。

が、下記にも王族として、
別の人物が出てくるので、
これが、きっと「皇帝たち」の一人に
カウントされているのだろう。

「我々はヴィヴァルディが1729年の終わりから、
1730年の初めまで、
サンマルコ教会のヴァイオリニストであった
父、ジョヴァンニ・ヴァティスタ・ヴィヴァルディが、
ヴィヴァルディと共に、
今日のオーストリアとボヘミアまでを含む、
『ゲルマニア』の地に付き添うのを許されたのに合わせ、
ヴェニスを留守にしていた事を知っている。
この地の多くは、ボヘミア王を兼ねていた、
カール6世に統治されており、
ヴィヴァルディの以前の好評に
助けられたものではないか、
と考える人もいる。
この滞在は、ヴィヴァルディが、
ボヘミアの貴族、ウェンツェル・フォン・モルツィン伯と、
再会する機会となったに相違ない。」

ボヘミアのモルツィン伯と言えば、
ハイドンが若い頃に仕えたことでも有名な音楽好きである。
下記のように皇帝に連なる人であったようだ。

「この人は、ホーヘネルベの世襲貴族で、
皇帝カール6世の相談役でもあった。
ヴィヴァルディは、この伯爵とは、
何年かの付き合いがあって、
不在ながら宮廷楽長として振る舞い、
1725年には作品8の協奏曲集を、
彼に献じていたりしている。
他の作品も、
伯爵の『名人芸楽団』のために書かれており、
RV496のバスーン協奏曲ロ短調などは、
彼の名前が冠されているし、
おそらく、ボヘミアの紙がつかわれた、
自筆譜が残された、
他の二つのバスーン協奏曲も同様であろう。
これらの一つはイ短調(RV500)であり、
RV482のニ長調の断章も、
同様の作曲上の工夫があるゆえに、
同時期に作曲されたものと思われる。」

さすが古楽の研究成果である。
この種の手法は、シューベルトの作品分析でも、
かなり進んでいるはずで、
ボヘミアの紙が、いかなる特徴のものか、
調べてみたい気もする。
和紙もこのたび、世界遺産になった事であるし。

ただし、このRV482が、
何故、断片に終わったかが書かれていないのは、
いささか残念である。

この断片の方のバスーン協奏曲は、
もう一曲のバスーン協奏曲が、
CD前半にあるのに対し、
CDの後半のTrack20.に入っている。

伴奏の激しい情念からして、
いかにもオペラの世界の音楽を思わせる。

決して、楽想が続かなくて放棄された曲とも思えず、
その強い感情掻き立て効果によって、
断片に終わらせるには惜しいような気もする。

断片ではない方の、RV500の協奏曲は、
Track7-9に収められている。
この曲には、曲別解説はないが、
以下に述べるように、
聴きごたえのある音楽である。

Track7.アレグロ。
風雲急を告げる、イ短調の協奏曲で、
劇的であり、苦悩の表情もあって、
楽想としては、かなり英雄的。

バスーンの独奏も、
楽器の音色に相応しく内省的で、
モルツィン伯爵の名人芸集団に敬意を表した感じもする。

Track8.ラルゴ。
微睡むようなリズムであるが、
メロディはまさしく夢見心地で非常に美しい。
バスーンのふくらみのある、
柔らかな質感を生かしたという意味では、
古今のこの楽器の協奏曲を代表しても良いくらいだ。

Track9.アレグロ。
弦の透徹した音で始まる、
いくぶんシニカルな音楽。

この楽章では、あの大きな木管楽器に、
細かい音形をひっきりなしに吹かせ、
また、ある時は、しみじみと歌わせ、
多様な楽器の魅力が味わえる。

バスーンはピーター・ウェランという、
アイルランド出身の知的なイケメンが担当。

「ボヘミアの紙がつかわれている
もう一つの作品は、RV163の
華麗な協奏曲『Conca(Conch)協奏曲』で、
約60曲ある、独奏なし、
弦楽とコンティヌオのための作品の一つである。
タイトルは、楽器のホルンかトランペットのような、
巻貝(conch shell)の使用をほのめかし、
これはネプチューンとアンフィトライテの息子の
トリトンが使うもので、
ネプチューンの従者たちは、
これまた一括してトリトンたちと呼ばれる。
ヴィヴァルディの時代のボヘミアでは、
(第1楽章に聞き取れるように)
法螺貝は、差し迫る嵐を表し、
船乗りには、霧笛やセイレーンを連想させた。」

神々というタイトルに無理やりこじつけたのではないか、
と思われる程、この解説では、
ネプチューンやらトリトンまでが出て来た。

さて、この曲は、
曲別解説にも取り上げられているが、
そこにはこう書かれている。

「聴くものは、この協奏曲が、
トニックとドミナントの
2つの和音に強く依存していることに気付く。
これはヴィヴァルディが法螺貝を模倣したもので、
これは主音とその上、
属和音ともう一つの主音4音しか吹けない。
ユニゾンのオクターブの多様は、
ヴィヴァルディが、
2マイル先まで届く、
耳をつんざく
法螺貝の騒音を呼び起こそうとしたものである。
さらに特筆すべきは、
ヴィヴァルディが演奏指示に書いた、
battuteで、
これは、最初の2つの楽章に出て来るが、
『打たれた』という意味である。
もう一つは『stricciate』で、
これは、strisciateの変形で、
こそこそする、とか、這うという意味である。
この形容詞は、嵐が近寄るときに用いられ、
無数のトレモロのボイングの際に現れる。
これは、1627年のフェリーナの
『カプリッチョ・ストラヴァガンテ』以降、
最も早い時期の例である。」

この曲は本CDの冒頭を飾っている。
いろんな事が書いてあるが、
第1楽章は2分に満たず、
全曲のTrack1~3でも
4分程度で終わってしまう。

多くの場合、弦楽のための協奏曲の一曲として、
さらりと流されてしまいそうな小品であるのに、
よくも、ここまで書いたという感じもする。

Track1.アレグロ―アレグロ・モルト。
短いながらもいろんな事が起こる音楽で、
ホルン(法螺貝)信号のギクシャクした楽想から、
ギャロップのようなリズミカルな部分に移る。
聞き取ろうと思えば、嵐の接近や、
それに身をすくめる様子なども音になっている。

Track2.アンダンテで、
嵐の後の団欒のように、気持ちが良い。

Track3.アレグロ。
再び、法螺貝信号が頻出する、
リズミカルな楽想に戻る感じ。

では、メインの解説の続きを読んで、
いったい、何時、タイトルにある
天使たちが出てくるのかを見てみよう。

「ヴィヴァルディが、
何故、作品9の協奏曲をカール6世に
選んで贈ろうとしたかは分からないが、
スペイン継承戦争で、
1707年にオーストリアの手中に落ちた、
マントヴァの宮廷に彼が仕えたことから、
その入り口が開いたのかもしれない。
ヴィヴァルディは、この宮廷のために、
ヘッセン=ダルムシュタットのフィリップ王子の
オーケストラの持つ華々しい楽器群をフル活用して、
いくつかのすぐれたオペラを書いてもいる。」

むむむ、ここでも高位の人が出てきている。
カール6世、モルツィン伯、そしてフィリップ王子。

「1730年代初めまで協奏曲の中で、
それを活用することはなかったが、
これらのオペラの中で、ヴィヴァルディは、
フラウティーノ(ソプラノ・リコーダー)のために、
初めて曲を書いた。
これらの3曲は、
独奏者にヘラクレス的な技巧を求めており、
特にRV445の協奏曲はそうである。」

おお、ここでは、技巧を表すだけのために、
神話のヘラクレスが出て来た。
神々も皇帝たちも勢揃いした感がある。
では、天使たち、はいつになったら出てくるのだ。

残念ながら、このすごいリコーダー曲には、
特別な曲別解説はない。
この曲は、4曲目に登場。

CDの構成を見てみると、
前半から中盤にかけて、
「ラ・チェトラ」の二重協奏曲が2曲あって、
その間に、先のバスーン協奏曲と、
このリコーダー協奏曲が挟まっている。
どちらもイ短調で、シリアスな感じ。
さすが、王侯というものは、
こうした曲想がお似合いである。

Track10.アレグロ。
規模も大きく、リコーダーという、
甲高い音色の楽器のために作品には似合わぬ大協奏曲。
有名な作品10などが、こうした楽器で演奏されるが、
この曲のような悲劇性はあっただろうか。

冒頭からして、不安感が込み上げる、
悲劇の一大アリアの様相。
天駆ける感じのリコーダーに、
あえて神話で例えれば、
イカロスのような志を感じてしまう。

オーケストラも妙に雄弁で、
一場の舞台を華やかに盛り上げている。
恐ろしい難関のカデンツァ風の技巧を、
かいくぐらなければ終わることが出来ない。

Track11.ラルゴ。
この楽章は、安らぎのひと時かと油断していると、
これはいったい何なんだの悲壮感である。
オーケストラは、不安な音形で忍び寄り、
リコーダーは、超然と思いのたけを、
独白している。

Track12.アレグロ・モルト。
最後まで、この調子で押し通すのか、
と言いたくなるくらい、
独奏楽器は、確かにヘラクレス的に縦横無尽、
劇的で、孤独かつ英雄的な音楽。
ピエタのための音楽でなくて良かった。

が、演奏しているのは、
短髪のやり手お姉さんみたいな、
パメラ・トービイという人である。

「こうした曲を書いた作曲家は他にいないことから、
ヴィヴァルディは、限られた演奏会での、
一人の奏者のために書いたものと考えられる。」

こういうさらりとした一文も、
私には大きな啓示となる。

ヴィヴァルディはむやみやたらに、
協奏曲を書き殴った感じがあるが、
実は、ちゃんと演奏家など、
その演奏環境をよく吟味しており、
こうした名手なしには、
多くの曲は、残されなかった、
ということになる。

「恐らく、ヴィヴァルディが大量の作品を書いた、
ヴェネチアの孤児院ピエタで、
有名であった奏者の一人のためのものである可能性が高い。
ヴィヴァルディの時代、
ピエタではリコーダーが演奏されており、
非常に初期の協奏曲RV585には、
4本ものリコーダーが登場し、
1716年の
オラトリオ『勝利のユディッタ』(RV644)
にも、1740年の、
様々な楽器のための協奏曲RV556にも、
それは登場する。」

リコーダーは、マントヴァの象徴であり、
ピエタの象徴でもあったそうだが、
ヴィヴァルディ以外に、
この楽器を有効活用した人は少なかった、
ということのも読み取れる。

バロック時代にはいっぱい協奏曲が書かれたから、
探せば、リコーダーの曲もざくざく出てくるだろう、
などと考えていてはいけなかったようだ。

最近亡くなった、リコーダーの神様、
フランス・ブリュッヘンは、若い頃、
テレフンケン・レーベルのいくつかのアルバムで、
我々に素晴らしいリコーダーの魅力を教えてくれたが、
確かに、ヴィヴァルディやテレマンの協奏曲が、
メインの曲目を占めていたような気がする。

解説を続けて読んでみよう。

「さらに我々は、このオーケストラが、
当時最高の演奏家を抱えていたことを知っている。
ヴィヴァルディ自身の弟子、
アンナ・マリア(ある人の言うには欧州最高の奏者)は、
そうした好例であり、
その力量は、当時の作者不詳の詩にも、
下記のように書かれた。
『彼女のヴァイオリンはこんな風。
彼女を聴くとパラダイスに飛ぶ。
まじで本当にそこに行ったら、
天使たちがそんな風に弾いてる。』
他の同時代者は、こう報告している。
『彼女らは天使たちのように歌い、
リコーダー、オルガン、オーボエ、
チェロ、バスーンを弾く。つまり、
こんな楽器より大きな楽器はない。』」

先の文章には、ヘラクレス的な技巧とあったが、
今度は、「天使」のような演奏表現が出て来た。
つまり、タイトルの「天使たち」とは、
ピエタの女性奏者たちを意味していたのである。

何と言うことだ、
「皇帝たち」と「天使たち」の間に、
何の関係もないのだから、
このCDは、言うなれば
「寄せ集め」のCDである事を暴露しているようなものだ。

ただ、来歴が推定できる曲を集めた、
という感じで、逆に言えば、
ヴィヴァルディの守備範囲の広さ、
ひいては、彼の協奏曲の背景にあるもの、
その活動の特徴を概括したCDとでも呼べるかもしれない。

さらには、下記のような記述によって、
ヴィヴァルディが協奏曲を、
書き飛ばしていたわけではないことも読み取れる。

「トリノにある国立図書館の
ヴィヴァルディ・アーカイブには、
他のフラウティーノ協奏曲ト長調(RV312)
の一部が残っている。
この曲は彼が『フラウティーノのための協奏曲』
と題したのを消して、
『2つヴァイオリンのための協奏曲』としたが、
バツして消す前に、
再度、『フラウティーノ協奏曲』と書いていたりして、
彼は何らかの困難にぶち当たったようだ。
最終的にヴァイオリン協奏曲が好ましいとして
オリジナルのコンセプトを放棄する前に、
彼は第1楽章の最後まで、
ほとんど書き進んでいた。」

ここで、いったい何が、
ヴィヴァルディの障害になったのだろうか。

この「協奏曲断片RV.312」は、
「演奏上のノート(音楽家の視点から)」という
曲別解説にも取り上げられている。
やはり、未完成の断片をわざわざ取り上げる以上、
何らかの補足が必要と考えたのであろう。

「録音にこの曲を含めたのは、
紆余曲折した作曲過程を持つ作品を、
我々に探索する機会を持たせてくれる
実験となるからである。
この協奏曲の独奏者を変えた、
ある一つの理由としては、
最期の独奏パートのf’’’シャープが、
リコーダーでは演奏できないからであろう。」

ものものしい書き出しだったわりには、
かなり安易な結論だな。
演奏家を良く見て書いた、
と私が賛嘆したのは嘘だったみたいではないか。
楽器が吹けないからと、
楽器ごと変えてしまうとはどういうことだ。

下記のように妥協策もかなり安易であった。
なお、この曲は、CDの最後から二曲め、
Track21に入っている。

冒頭から、フォルテでリコーダーは、
弦楽と一緒に飛び出してくる、
元気のよい楽想で、
細かいパッセージで、鳥が歌い騒ぎ、
すがすがしい青空を仰ぎ見るような感じ。

よって、ヴァイオリンでも演奏可能であろう。
吹けないところは、下記のような回避を行ったとある。

「そのため、このパッセージは、
伴奏の高音の弦楽より、
1オクターブ下げている。
最後のいくつかの小節は、
ヴァイオリン協奏曲のもので補った。」

そろそろ規定量を越えたので、この辺で終わる。

得られた事:「貴族のオーケストラの抱える名手から、ピエタで育てた弟子まで、ヴィヴァルディは楽器の名手に囲まれており、その力量に応じた作品を書いたが、そこにいる名人によって作品の種類が固まる傾向にある。」
「ハイドンが仕えたとされるモルツィン伯はヴィルトゥオーゾ・オーケストラを持っていて、ボヘミアの紙が楽譜に使われていることから、バスーン協奏曲がここで多く書かれたことが分かる。」
「リコーダーはピエタやマントヴァで使われており、そこにいた程の名手はあまりいなかった。」
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by franz310 | 2015-01-01 20:57 | 古典
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