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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その419

b0083728_22432662.png個人的経験:
トスカニーニが演奏した、
バロック音楽は少ないとはいえ、
さすがにバッハやヘンデルは
しっかり押さえている事に
驚きは少ないものの、
ヴィヴァルディの
無名のヴァイオリン協奏曲を
録音していることについては、
いささか気になってしまう。
録音も、「四季」などが、
レコードで普及する以前のもので、
「作品3」のような有名曲でもない。


ただ、アメリカ初演の記録とされる、
「変ロ長調」のヴァイオリン協奏曲を収録した、
NAXOSのCDの記載には、
ヴィヴァルディ作品の整理ナンバーで、
RV370とあるが、これは、間違っている。

1947年にトスカニーニが振り、
コンサートマスターのミシャコフが独奏を受け持った、
ヴィヴァルディの珍しいヴァイオリン協奏曲は、
今でも録音が少ないが、
2013年録音という、
新しいCDで聴くことが出来るのは、
とてもありがたいことである。

しかも、このCD、
「A tale of Two Seasons」
というタイトルが興味をそそる。
今年、2014年に結成20周年となる、
英国の団体「LA SERENISSIMA」
(ADRIAN CHANDLERの指揮/ヴァイオリン)
が演奏している。

ヴィヴァルディとその同時代の作曲家に
フォーカスした活動を行う団体だけあって、
かなり憎い企画と言える。

「SEAZONS」というのは、
おそらく、有名な「四季」に仮託したものであろうが、
これは、音楽の興行シーズンであって、
しかも、連続したシーズンではない。

ここでは、ヴィヴァルディの生涯の断面を
切り取る形で、ここでは、
1717年と1733年が選ばれている。
ヴィヴァルディの年齢換算では、39歳と55歳に相当。

ヴィヴァルディの作品で最初にブレークして、
バッハも知っていた「調和の幻想」作品3が、
1711年のものであるから、
1717年と言えば、それに続く飛翔期であろうし、
最も有名な作品、「四季」は、
1724年頃のものであり、
ヴィヴァルディは1741年に亡くなっているので、
1733年といえば、かなり円熟も極まった時期となる。

このような企画ものCDに、
トスカニーニがアメリカ初演した、
RV367の協奏曲が、
たまたま取り上げられている。

この曲は1733年の作品の代表、
つまり後期のヴァイオリン協奏曲に相当するが、
「後期ヴァイオリン協奏曲集」などというタイトルで、
カルミニョーラが、ソニーに集中的に録音したCDには、
この曲は含まれていなかった。

では、どのような理由で選ばれたものか、
演奏しているチャンドラー自ら書いた、
CDの解説を読み進めてみよう。

まずは、器楽曲で有名なヴィヴァルディが、
オペラの作曲家として、
激務に追われるようになった点から
書き起こされている。
つまり、オペラ作家としての活動が、
いかに器楽の世界に影響を与えたかという点が、
ここには概説されているのである。

「1713年に彼の最初のオペラ、
『離宮のオットーネ』の初演の後、
ヴィヴァルディのキャリアは激動した。
彼の残りの生涯において、
彼は、音楽、人生、オペラ界の政争に
翻弄されることになる。
彼は、毎シーズン、オペラを上演していた、
5つの劇場を有する、生地ヴェネチア以外に、
フェラーラ、フィレンツェ、マントヴァ、
ミラノ、レッジョ、ローマ、ヴィンツェンツァ、
ヴェローナのためにオペラを書いた。
ヴェネチアの最大のオペラハウスは、
サン・ジョヴァンニ・グリソストーモと、
サン・サッシーノであったが、
ヴィヴァルディのオペラは、
より小さい、サン・サミュエーレ、
サン・モイーズや、
特に、サンタンジェロで上演された。」

このサン・モイーズ(モイゼ)は、
後に初期のロッシーニが、
ヒットを飛ばした場所であるが、
ロッシーニの時代に閉鎖されたものの、
モンテヴェルディの作品も演奏されたという、
重要な劇場であったようだ。

「ヴィヴァルディのオペラ、『ダリオの戴冠』は、
1717年にサンタンジェロ劇場で
演奏された3番目のもので、
1月23日に初演された。
この作品は、当初、
『ペネロープ』に続く上演のはずだったが、
この作品は、
作曲家のフォルチュナート・ケレーリが、
報酬を巡って折り合わず、投げ出し、
楽譜を持って逃げ、興行は中止され、
歌手や音楽家たちへの支払いも停止するという
深刻な事態に陥った。
不満を持った二人の歌手の
要請だと報告されている
二人の刺客に、
ケレーリが刺されるという騒ぎも続いた。
作曲家は数か所の傷を負ったものの、
一命は取り留めた。
1716年の秋に、非常に成功していた、
ヴィヴァルディの『アルジルダ』が、
急きょ、改作された。
無名の作者による風刺詩にそのことは記録され、
ヴィヴァルディの立ち回りは、
下記のように書かれた。
『赤毛の司祭はみっつめのオペラに取り掛かったが、
夕食分のお金は稼いだのだろうか。
彼は名手で弓の達人だから、
二三時間もあれば、みんなを教えられる。
彼らはすぐに、前に演奏した最初のオペラに取り掛かった。
誰も、二番煎じになるかもしれないと思わないのだろうか。』」

この詩は、ヴィヴァルディが、名人芸の演奏や、
旧作でお茶を濁したことを風刺しているのだろうか。

「『アルジルダ』とヴィヴァルディの新作『ダリオの戴冠』の、
成功が一緒になって、明らかにその場は凌げた。
さらに、そこには、ヴィヴァルディや、
時には、その弟子、ザクセンの名人、ピゼンデルによる、
習慣的な導入協奏曲(エントランス・コンチェルト)
(偉大な『ムガール大帝』のような)
の演奏という客引きもあった。
この作品は、オペラ『ムガール大帝』の幕間に、
演奏されたものと考えられている。
オペラの台本はヴィヴァルディの同僚の、
ドメニコ・ラッリ(『離宮のオットーネ』や、
その他の、ヴィヴァルディの作品のリブレット作者)
によって書かれ、音楽は、もう一人のヴェネチア人、
ジョヴァンニ・ポルタが書いたものである。」

この「ムガール大帝」(RV208)という
ヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲は、
その題名が、ものものしいので、
いかなる音楽かと思っていたのだが、
このCDで、曲も聴けるし、
こうして、その来歴も読めてよかった。

「このオペラは、サン・カッシアーノ劇場の、
贅沢な内装の中で演じられ、
この華美な雰囲気は、
東洋風に聞こえるレチタティーボや、
2つの大きなカデンツァなど、
名技性の誇示に相応しいものだった。
問題のムガールとは、
東インドのムガール人、Tisifaroの事で、
このオペラの中で、彼は、様々な愛の諍いを解決し、
3人の死刑を命じる(全員、助かるが)。
その極端な技術上の要求によって、
ヴィヴァルディ自身が自ら、
ソロ・パートを演奏したものと思われる。」

明確な記載はないが、
ここまでが、1717年のヴィヴァルディの話で、
ここからは、「後期」の話が出てくるので、
1733年のヴィヴァルディの話に飛ぶものと思われる。

CDの裏表紙にも、
「1717年と1733年のオペラ・シーズンの
協奏曲とアリアは、この間のヴィヴァルディの
様式変化を強烈に示している。
アルジルダの平易な魅力から、
2曲の後期協奏曲の大胆な創意まで。」
という能書きがあるのだから。

「トリノの国立図書館が所有する、
ヴィヴァルディの個人的な手稿コレクションの中には、
恐らく、劇場用に書かれたと思われる、
多くの後期の協奏曲がある。
驚異的に声楽的なベル・カント・スタイルの
ヴァイオリン書法に加え、
これらの作品はすべて、
弱音のパッセージで、
『ハープシコードなし』の指示がある。
他ならぬ、こうした豪華さを楽しむための劇場では、
おそらく、たった一つしかない
ハープシコードというのは通常ではなく、
そこには多数のものがあったという推測が成り立つ。」

ということで、「劇場用コンチェルト」の例として、
トスカニーニ(とミシャコフ)が取り上げた、
RV367のヴァイオリン協奏曲の話となる。

「こうした作品の一つが、
変ロ長調の協奏曲(RV367)で、
自筆スコアと、不揃いのパート譜が残っている。
両方の原典(これらには作曲家による大量の修正がある)からは、
ハ長調の協奏曲(RV191)の第1ヴァイオリンのパートや、
『モンテズマ』や『セミラーミデ』のアリアが、
再利用されていることがわかる。」

ありがたい事に、このCDには、
この「モンテズマ」のアリアと、
RV191も収録されている。

「ヴィヴァルディの協奏曲の年代特定は、
恐ろしく困難なのだが、
このアリアによって、変ロ長調の協奏曲の
作曲の最終期限が分かる。
『モンテズマ』の初演が、
1733年の11月14日であるのに対し、
『セミラーミデ』は、
マントヴァのアルキデュカーレ劇場で、
1731年の12月26日以降に
初演されている。
従って、1733年が、
変ロ長調協奏曲とハ長調協奏曲の、
作曲の日付である可能性がある。
残念なことに、協奏曲に含まれる
(L‘aquila generosa「偉大な鷲」?)
『モンテズマ』のアリアは、
スペイン軍の将軍フェルナンドという
キャラクターによって歌われるが、
部分的に残っているスコアにはなく、
ここでは、それに変えて、
フェルナンドの兄弟である、
ラミーロの役を歌った、
メゾ・ソプラノのアンギョーラ・サヌッチ
のために書かれたアリア2曲を収めた。」

ということで、ちょっと、混乱する。
変ロ長調協奏曲に再利用されたとされるアリアは、
残っていないとあるのに、
どうして、再利用していると分かるのか?

そのあたりの事は、最悪、
完全に理解できなくとも鑑賞はできる。

もし、私が、トスカニーニが演奏した、
ヴィヴァルディの協奏曲に、
複雑な楽想の変遷と、
技巧が技巧を呼び起こすような、
驚異的な展開を見たとすれば、
その理由も、こうした、
様々な引用の影響があるのかもしれない。

全体解説は、以下のように結ばれている。
当然、昇竜期のヴィヴァルディと、
後期のヴィヴァルディが比較されていなければならない。

「1717年から1733年の間の、
ヴィヴァルディのスタイルの変化は注目に値する。
声楽曲、器楽曲とも、
華やかなナポリ派の作曲家の影響を受けている。
ソロのエピソードが概して長く、
オーケストラのリトルネッロの重要さが減っている。
ヴィヴァルディの後期のオペラを研究すると、
歌手の限界を追及し、
ヴァイオリン協奏曲では、
弓の技巧を開陳して、
左手の名技性を引き出している。
(その素晴らしさは、
すでに1710年代に知られていた。)
様々な難しい異なる音の変化パターンや、
複雑なスラーのパッセージを伴う、
アップボウのスタッカートに使われていた。
ソティエ(跳弓)という弓使いが見える。
ヴィヴァルディが、
同じ協奏曲を400回書いたのではない
という証拠を必要とするのであれば、
これを聴けば良い。」

以下は、各曲の解説になる。
このCDには、4曲の器楽曲と、
4曲のアリアが含まれているが、
前半の2曲の器楽曲(シンフォニアと協奏曲)と、
3曲のアリア(器楽曲に挟まれている)が、
1717年のヴィヴァルディのプロフィールであり、
後半の2曲の協奏曲と、
2曲のアリア(これも協奏曲に挟まれている)が、
1733年のヴィヴァルディを代表するものとして、
紹介されている。

まず、前半には、冒頭に、
オペラ「ダリオの戴冠」RV719のシンフォニアがあり、
続いて、同曲のアリアが2曲。
さらにオペラ「アルジルダ」RV700のアリアが1曲。
それから、「ムガール大帝」というRV218の、
ヴァイオリン協奏曲が演奏される。

「ダリオの戴冠」の序曲とも言うべき、
シンフォニアの解説は、以下のようになっている。

「この作品はヴィヴァルディの手稿と、
その弟子、ピゼンデルの手によるコピーでの、
オペラ全曲の手稿と一緒に残されている。
第2楽章に付されたアンダンテのテンポは、
ピゼンデルの手稿にのみ見られるもので、
おそらく、ピゼンデルが、
実際のオペラ上演に接したうえで、
書き加えたものと考えられる。
フィナーレのプレストは、
とても速く演奏するという事より、
活力とエネルギーを持って演奏すべき指示だと、
私は考えている。
このような指示はヴィヴァルディの初期作品にみられ、
『オットーネ』の『Gelosia』などがそうだが、
『ニンファ』における『アレグロ』と記譜された、
『Alma oppressa』と同様に、
これは、コロラトゥーラ・アリア部と
同様の速さで演奏されただろう。」

演奏者のとった解釈の根拠にすぎない、
この解説は、我々にとって、
特に意味があるものとは思えない。

Track1から3が、
この曲に当てられているが、
冒頭の尖ったギザギザ音型からして、
沸き立つようなリズムと推進力で、
そこに、クールなメロディが織り込まれ、
とてもわくわくして、オペラを待ちたくなる。

解説にあった第2楽章だが、
第1楽章でも繊細な音色を響かせていた、
テオルボの音の上を、
痛切なメロディが流れて美しい。

第3楽章は、確かにプレストではなく、
適度な速さで、娯楽に対する心の高まりを
誘うような趣き。

私は、ヴィヴァルディの最初のオペラ、
「離宮のオットーネ」の美しさからして、
魅了されつくしたのだが、
ここでも、初期の作にカウントされている、
Track6.「ダリオの戴冠」の
「枝の中から穏やかで平和な囁きが聞こえる」
と歌われるアリアの繊細さに、
まずは、うっとりとした。

その他のアリアも含め、ここでは、
このような解説でひとくくりにされている。

「これらのアリアは、
ヴィヴァルディの初期のオペラに見られる
典型的なもので、1720年代や30年代のものより、
一般的に短い。
時を経るにつれ、ヴィヴァルディは、
アリアの中のテキストを変更するようになり、
時として、ヴェネチアの方言を入れ込むようになった。」

Track4は、「ダリオ」の音楽で、
王の娘、アルジェーネが、
「鎖も足かせも、血も死も、
怒りで鍛えられた心には、
何の恐れも感じさせはしない」と、
勇ましく歌うもの。

Track5は、「アルジルダ」のアリアで、
タイトルロールである。
これも、妙に痛々しい音形が繰り返される、
悲痛なもので、
「歎きに溢れたこの胸に、
傷ついた心が泣きながらため息をつくのを感じる」
と歌われている。

写真で見ると、きりりと美形の、
サリー・ブルーチェ=パイネという、
英国のメゾが歌っている。

しかし、初期作品として紹介されている器楽曲は、
いずれも、野心的なもので、
「ムガール大帝」と呼ばれるものは、
「大帝」に相応しく、かなり規模が大きい。

「この作品は、3つの原典があり、
一つ(手稿)はトリノにあり、
一つはシュウェーリン、
もう一つはアッシジにある。
このタイトルを有するのは、
P.J.フィックの手になる、
シュウェーリン保存のもののみである。
アッシジのものもカデンツァを有するが、
この出典はこの録音で使われた
それとはかなり異なるカデンツァを含み、
二番目のカデンツァは、
『ポントッティ(Pontotti)氏のために』
という書き込みがある。
自筆譜にはカデンツァがないが、
ヴィヴァルディの書き込みで、
『Qui si ferma a pincimento』
という止める指示があり、
それが実際には想定されていたことがわかる。」

シュウェーリンを調べると、
かなりドイツも北の地方であり、
ヴィヴァルディがよく、
そんな所まで普及していたものと、
改めて感心してしまう。

ポントッティは、
北イタリアのチヴィダーレ出身の音楽家らしい。

「出典によって、かなりの違いがある。
トリノ版は、ヴィヴァルディ自身による改訂が多数なされ、
しかし、書き換えられる前の材料は、
シュウェーリン版に似ているので、
このドイツのものがオリジナルのものだと考えた。
このような理由から、このCDでは、
この版を主にして演奏したが、
適宜、ヴィヴァルディの手稿を参照した。」

このような解説以外にも、
「ムガール大帝」は、
作品7の11(RV208a)を改作したもの、
という紹介のされ方もある。

ただし、作品4の「ストラヴァガンツァ」と、
「四季」を含む作品8の間に挟まれて、
この作品7自体が、作品5、6と同様、あまり有名ではない。

Track7.第1楽章は、
「ムガール大帝」という、
強そうなタイトルに相応しく、
かなり横柄なリズムと、
激烈なカデンツァが特徴的で、
ばん、ばん、と強引で異国風の伴奏の上を、
ヴァイオリンが美しさよりも、
名技性をひけらかしながら飛翔する、
といった、変な音楽である。
中間部でオーケストラが様々な音を、
虹色に交錯させると、
ヴァイオリンも華やかな虹をかけて輝く。

しかし、その後には、またまた、
強烈なパッセージを散りばめたカデンツァが現れ、
合奏が音型を模倣しながら盛り上がる。

Track8.第2楽章も、
ドローンのような効果で、
伴奏がどろどろと音を響かせる中、
独奏ヴァイオリンのぎらぎら感を丸出しにして、
また、時に嘆き節を響かせ、
ジプシー風に気まぐれな
一筋縄ではいかない音楽。

Track9.第3楽章になって、
軽快なリズムが戻るかと思いきや、
これまた小技を効かせながら、
独奏ヴァイオリンが休みなくけしかけて、
音楽を盛り上げて行く。

ヴィヴァルディのイメージは、
イタリアのカンタービレたっぷりに、
豊潤な音楽がジューシーに溢れ出すようなものだが、
そんなものは、この曲には、
ほとんど感じることが出来ない。

後期のヴァイオリン協奏曲の、
曰く言い難い魅力を探ろうとして
聴き始めたこのCDであるが、
初期に数えられるこの協奏曲も、
十分ヘンテコである。

長大なカデンツァが、取って付けたように、
他の演奏者を黙らせて、延々と続いて行く様は、
やり手のオペラ興行主でもあった、
ヴィヴァルディその人の姿を彷彿とさせ、
呆れてしまうような傍若無人さである。
さすが、ムガール大帝であると納得した次第。

この曲は16分もかかっており、
このCDに収められた音楽の中では最長である。
その中で占める独奏の比重は強烈。

さて、後期作品に移ると、
協奏曲変ロ長調RV367は、
以下のような解説がある。

「この曲は、1730年代にヴィヴァルディが書いた、
数曲の劇場用協奏曲の一曲である。
これは、トリノに保管されている、
二つの自筆の典拠がある。
一方は総譜であり、
もう一方は、第1ヴァイオリンとバスのパートがない、
パート譜のセットである。
前に書いたように、ヴィヴァルディは、
第1ヴァイオリンのパートは、
協奏曲に変えて適合させるべく
他の作品のものを再利用した。
もう一曲の変ロ長調の劇場協奏曲(RV365)
にも、同様の手稿のパッチワークが見られる。
一般に、こうした変更は、
意図的な剪定であって、
概してヴィヴァルディの手稿は、
作曲に実質的な素材の追加を行うものではない。
この協奏曲の通常とは異なる性格は、
『Solo a piacimento』
(勝手に弾く?)の指示が、
緩徐楽章の独奏に見られることである。
これはヴィヴァルディが、独奏のラインを
念入りに装飾することを求める時の指示である。
レオポルド・モーツァルト、クヴァンツ、
タルティーニのような18世紀の理論家は、
この実践を論じ、
我々は、ヴィヴァルディ自身が残した、
1、2の例を知っている。
特に素晴らしい例は、
後期のヴァイオリンと二重オーケストラのための
ハ長調協奏曲(RV581)の緩徐楽章である。
自筆譜に装飾付版は見られないが、
ヴェネチアのベネデット・マルチェッロ音楽院に
保管されている、ヴィヴァルディの弟子の
アンナ・マリーアのための楽譜に見ることが出来る。
ヴィヴァルディの2、3の指遣いを参考に、
私は自身の装飾で、当時の雰囲気を与えてみた。」

この曲は、Track10~12に収められている。

概して、1946年のトスカニーニの演奏と、
2013年のセレニッシマの演奏で、
曲から受ける印象は同じである。

トスカニーニ盤の独奏のミシャコフの方が、
ロシア派のヴァイオリニストらしい、
たっぷりとした音を響かせているが、
セレニッシマ盤のチャンドラーも、
やはり、鬼気迫る音楽を奏でており、
トスカニーニたちが、
70年近く前に演奏していた
ヴィヴァルディが、
アメリカ初演なのに、
ほとんど古さを感じないのに感じ入った。

第2楽章は、侘しい情感を湛えた、
虚無的な緩徐楽章であるが、
チャンドラーの方が、恣意的な表現を効かせ、
むしろはったりを感じたりもできる。

第3楽章のラプソディックな、
狂乱のタランテラみたいな楽想も、
ヴァイオリンが忘我の境地のようになって、
初めて活きてくるような所があるが、
そのあたりも、両盤とも期待に応えてくれている。

ただし、通奏低音は、当然、
最新の研究を盾に、様々な工夫を入れ込んだ、
セレニッシマの方が華やかである。

続く、オペラのアリアには、
「モンテズマRV723からのアリア。
残念ながら、このオペラの
60パーセントしか残っていない。
ベルリンのジングアカデミーに、
自筆ではない原稿が保存されている。
この部分的欠落は、
明らかにヴィヴァルディの生前からのもので、
第1幕3部に、作曲家とリブレット作者の名前が、
共に、同時代者の手で記されている。
マニュスクリプトのいくつかのレイアウトは、
ヴィヴァルディの内輪のサークルから、
このコピーが出て来たものと思われ、
近年の校正者は、しばしば、
このコピイストが、ヴィヴァルディの正確な、
弦楽部のスラー表示を適当に扱っていることに、
直面しなければならない。」
という解説があるが、
何だか、鑑賞には関係ないものである。

ヴィヴァルディの内輪のサークルとか、
ベルリンにコピーがあるとかが気になるが。

Track13.ラミーロのアリア。
解説には、これが、
どんな状況で歌われるものか、
などを書くべきではなかろうか。

モンテズマは、スペイン人のメキシコ征服の物語で、
ラミーロは、メキシコ王の娘と恋に落ちた、
征服者側の兄弟の名前である。

「あなたが私の顔が赤らむのを見ても、
それは、尊敬の印ではない。
私のため息は恐れから来るものではない。」

切々たる訴えが、
豪華な色彩の通奏低音の上で、
伸びやかな声で歌われる。

Track14.同様に2幕からの、
ラミーロのアリア。

「嵐の中で、小舟が翻弄される」という、
いかにもこの時代らしい、
困難を打破する高らかなアリア。
ナポリ派風の、声の装飾がけばけばしく、
器楽の活発な伴奏も、
このテンポの速いめくるめく音楽を、
効果的に盛り上げて行く。

Track15~17は、
ヴァイオリン協奏曲ハ長調RV191。

この曲も大作で、14分18秒という演奏時間。
「四季」の各曲の1.5倍はある規模である。

今回は、この曲まで調べる時間がなかった。

得られた事:「ヴィヴァルディの後半生は、ナポリ派のオペラとの戦いだったが、その様式が、協奏曲の作風にも現れている。」
「『劇場用協奏曲』。ヴィヴァルディは、オペラ興行の盛り上げ役として、自らの超絶技巧を劇場でも披露した。」
「トスカニーニが70年前にアメリカ初演したヴァイオリン協奏曲は、最新の演奏と比較しても遜色のない、現代にも通用する出来栄えであった。」
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by franz310 | 2014-10-27 22:44 | 古典
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