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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その412

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その412_b0083728_2137479.jpg個人的経験:
トスカニーニが演奏する
NBC交響楽団は、
放送局用のオーケストラである。
当然、放送用の演奏を
くり返していた。
ところが、あくまで、
放送を聴かなかった
我々にとっては、
特に、戦後にこの巨匠が、
大量のLP録音に使い、
そして、すぐに解散した、
管弦楽団でしかなかった。


このLPの録音をしたのが、RCAビクターであるが、
RCAとはRadio Corporation of Americaという、
これまた、ラジオが名前の最初に付く、
巨大なエレクトロニクス企業であり、
この傘下に、放送会社の
NBC(National Broadcasting Company)と、
RCAレコード(RCAビクター)があった。

前者は、アメリカの三大ネットワークの一つであり、
後者は、1960年代まで、コロムビアと並ぶ、
アメリカの二大レコード会社である。
共に名門企業であった。

(こうした当時の世界企業も、
1986年にRCAがGEに買収されるや、
哀れな事に、翌年には、
RCAにおける家電部門はトムソンに、
RCAレコードは、ドイツのBMGに売却されて、
その華麗な歴史に終止符を打っている。)

ということで、NBCで放送された、
トスカニーニの演奏は、時として、
兄弟企業であるRCAレコードからレコードが出ることがあり、
1939年の放送の交響曲の中では、
第3「英雄」が、
唯一、トスカニーニの眼鏡にかなったとして、
レコードとしても発売されていた。

が、ここでややこしいのが、
RCAレコードになったものと、
NBCで放送されたものは、
はたして、親会社が同じだからといって、
同じ音質と言えるか、という点である。

スイスのレリーフ・レーベルから出ていた、
トスカニーニのベートーヴェン録音、
「ライブ・シリーズ」の解説を読むと、
そのあたりの事が少し垣間見える。

このレリーフ・レーベルのCDは、
巨匠の行った、1939年のチクルスから、
一夜ごとにまとめるのではなく、
たとえば、「第1夜」のメインであった「英雄」を、
チクルス後半の「第5夜」の
始まりと締めくくりを担当した、
「レオノーレ序曲」の第1と第2と組み合わせる、
といったように、
かなり変則的な編集をしていた。

このような具合に、このCDには、
RCAから出ていた「英雄」が収められていることから、
うまい具合に、RCA盤との聴き比べが可能となるのだが、
聴いた印象は、曲の冒頭から、かなり違う感じである。

いずれも、元は同じなのかもしれないが、
80年近い歳月の中で、様々な事があったのであろう、
とにかく違う。
あるいは、録音の最初から違うのかもしれない。

このCDの解説は、こんな感じである。

「1939年の秋、50年以上にわたる
ベートーヴェンの交響作品への芸術的な取り組みを経て、
アルトゥーロ・トスカニーニは、
彼のNBCラジオの聴衆に、
全ベートーヴェン・チクルスを披露した。
これは、彼の生涯で4度目の取り組みであった。
全6回の演奏のうち、最初の演奏会は、
ラジオ・シティの8-Hスタジオで、
10月28日に行われた。
『フィデリオ』序曲と第1交響曲に、
1926年以来、トスカニーニが50回以上演奏してきた、
『英雄交響曲』の演奏が続いた。
『マイスタージンガー』序曲や、
ドビュッシーの『海』に続き、
マエストロがもっともよく取り上げた曲目であった。
1938年3月の
トスカニーニのセッション録音開始以来、
(その間、ベートーヴェンの
『第5』と『第8』が作られている。)
これらは8-Hスタジオで行われてきたが、
聴衆がいる中、『英雄』を、
初めて、RCAビクターは、
『ライブ』でテープ録音することを決めた。」

この記述に、私は、一瞬、何がなんだか分からなくなった。
確か、少し前までのトスカニーニのライブ録音と言えば、
ディスクをとっかえひっかえのアセテート盤録音だったはずである。

ドイツで磁気録音が開発されたのが、
トスカニーニの演奏会の前年の1938年で、
戦時中のドイツの録音は、
切れ目がないということで、
連合国が驚き、戦後になって、
テープ録音が広まった、というのが、
これまでの大筋理解であったが、
トスカニーニのい1939年録音は、
テープ録音が試みられたのだろうか。

あるいは、磁気テープではなく、
異なる種類のものなのだろうか。

「技術的には、不幸なことに、
結果として、
『ビクターによるトスカニーニ録音の最低のもの』
(R.C.Marsh『トスカニーニとオーケストラ演奏の芸術』
となってしまった。
聴衆の存在が、残響の最後を弱め、
また、マーシュがまさしく『虐殺』と呼んだ、
深刻な音響上の不純さが、
シェラック録音には残された。」

テープ録音の話の直後に出てくる、
このシェラック録音というのが難解である。
これは、とっかえひかえのシェラック盤の事だと思う。
テープ録音とシェラック録音が、
同時に行われていたと言うことなのだろうか。

「明らかに、『ライブ録音』のプレッシャーによって、
ビクターの技術者たちは、
音楽のフレーズのいくつかや、何小節をも台無しにした。
これは、ディスクのある面の真ん中で、
音楽が欠落するような事になった。
それにもかかわらず、RCAビクターの委員会は、
指揮者不在の中、この録音(M-765)を、
修正して発表することを決定した。」

この部分、「指揮者不在で」と勝手に書き換えたが、
英語では、「作曲家不在で」と書いてある。
それでは意味が分からなくならないだろうか。

ちなみに、M-765は、SPの番号である。

「ワルター・トスカニーニが、
コンサートのラジオ放送のテープを持っていたが、
これはシェラック盤より音質が良いもので、
シェラック盤の技術的失敗が、
明らかに改善された後でも、
この『英雄』は、RCAがLPとして、
米国でも欧州でも発売することのなかった、
権威的バージョンの一つとなっている。」

ここでも、私には、かなりの混乱があって、
「コンサートのラジオ放送のテープ」が、
エアチェックしたものなのか、
先に出て来たテープ録音のことなのか、
あるいは、それをダビングしたものなのか良くわからない。

しかし、先に、テープ録音した、
とあるので、それそのもの、あるいは、その複製、
と考えるのが自然であろう。

このスイス・レリーフ盤は、
このテープに基づいての復刻なのだろうか。
肝心の事をびしっと書かずして、
下記のような、どうでもよい事が続く。

以下は、おなじみのトスカニーニの、
演奏解釈の変遷の話である。

「トスカニーニは、この作品を、
1949年にカーネギーホールで録音しており、
RCAは、1953年12月6日に行われた
演奏会の録音も発売している。」

ちなみに、日本で多く聴かれているのは、
このうちの後者で、
1949年盤が忘れられているのは残念である。

「この指揮者の、この作品の解釈上の見方は、
年々、進化しており、
B.H.ハギンズは、『トスカニーニとの会話』で、
1944年のマエストロとの会話について触れている。
トスカニーニは、11月5日の『英雄』の放送を準備していたが、
1939年の録音を聴いて恥じらったという。
『40年前、私が『英雄』を最初に演奏する際、
ドイツの指揮者の演奏を聴きました。
リヒターも聴いたし。
そして、私は同じように演奏しないと
いけないと考えたのです。』
それから、77歳の指揮者はピアノの前に座り、
ゆっくりとしたテンポで第1楽章の、
『アレグロ・コン・ブリオ』を演奏した。
『しかし、その後、私は、
この作品を信じるように演奏するにつれ、
今や、遂に正しいテンポに自信を持ちました。
簡単なことです。
ドイツ人はすべてを遅くし過ぎて演奏します。』
しかし、1930年代初期までは、
トスカニーニは『英雄』で、
フルトヴェングラーよりもさらに、
幅広いテンポを取っていた。
1930年のNYPとのベルリン公演の後、
ドイツの指揮者たちは、『葬送行進曲』の、
有機的でないリズム構成や、
引き伸ばされた大げさで感傷的な解釈を批判している。
残っている最も初期の音の記録である、
1934年12月のストックホルムのものは、
『葬送行進曲』が1939年のものよりも、
1分半も長くかかっていて、
スコアにあるメトロノーム指示より明らかに遅い。
しかし、その後の15年に記録されたり、
発売されたりした、
トスカニーニとNBC交響楽団との
『英雄』の演奏時間は、全曲でも、
70秒くらいの違いしかない。
広く考えられているのとは反対に、
彼の後年の演奏は基本的に、
前のものより速くはない。
一例を上げれば、
『葬送行進曲』の基本テンポは、
1949年のものや1953年のものの方が、
1939年のものより堂々としている。
しかし、フィナーレではそうではない。」

ということで、テンポの話は、
これまでも読んできたとおりのもので、
特に新しい知識にはならない。

以下、少し、目新しい事が書かれている。

「スタイル上、基本的な違いは、
テンポではなく、陰影法(shading)にある。」

音楽における「陰影法」とは何だろうか。

「年を重ねたトスカニーニは、
書かれていないテンポの変化を許さず、
しばしば、ほとんど知覚できないような様式で、
各々の基本テンポからの
わずかな絶え間ない速度変化を行い、
ダイナミクスやフレージングを洗練させており、
彼の初期のNBCとの解釈は、
時として劇場的なしぐさで
際立って伸縮自在、効果的である。
これこそが、ハギンズが1939年版を、
『トスカニーニの最大傑作のひとつ』と、
呼んだ所以である。」

さきほど、ハギンズに向かって、
「お恥ずかしい」と言ったとあったから、
トスカニーニ自身は、
この録音を認めていなかったのかと思ったが、
「お恥ずかしいが、それこそが、
現在の私の解釈です」という事なのであろうか。

さきほど、この録音をこき下ろした、
マーシュの意見は異なるようである。

「対称的にマーシュは、
ここにはまだまだイタリア的な要素があって、
『フーガは、ロッシーニの序曲の
長い加速するクライマックスようであり、
和音は崩れ、膨らんで暴力的に、
フレーズは予期せず伸縮する』。
あらゆる面で、マエストロの変遷するスタイルと、
『正しい』解釈に対する絶え間ない探求の、
貴重なドキュメントである。」

これは前にも読んだことであるが、
このロッシーニ風の歌心がまた、
トスカニーニの魅力であるに違いない。

特に、一緒に収めらた『レオノーレ』からの
序曲では、実にロッシーニ的な痛快さが聞き取れる。

このCDの解説の最後は、
この序曲に当てられていて、
ようやく、第5夜の話になる。

「この演奏会シリーズの
最後から二番目のコンサート
(1939年11月25日)のハイライトは、
『第8交響曲』だったが、これは、
『レオノーレ』序曲、第1番と第2番に挟まれて演奏された。
RCAビクターは、スタジオ8-Hで、
序曲第2番のライブをテープ録音したが、
『正規盤』であるにもかかわらず、
米国で発売することはなかった。
シェラック盤はHMVで出たことがある。」

最後に、今回のCDが、
テープからのものであることが書かれているが、
いきなり「放送用のアセテート・テープ」とあって、
混乱は極みに達する。

が、アセテートとは、合成繊維の一種で、
アセテート盤に使われるのみならず、
磁気テープの基材のような感じでもあるようなので、
そこを混乱しないように読めばよさそうだ。

「我々は、よく保存された
ラジオ放送のアセテート・テープを、
この録音に利用した。
レコーディング・スタジオの音響的な問題にかかわらず、
我々は、慎重なデジタル・リマスタリングによって、
オーケストラのサウンドを出来るだけ忠実に再現しようとした。」

なお、この解説は、
Peter Aistleitner
という人が書いている。

このように、レリーフ社は、テープ録音の良さを強調しているが、
同じ時の録音でも、例えば、NAXOSの録音の方が、
ずっと聴きやすい。
ただ、ナクソスが、テープから持ってきたのか、
シェラック盤から持って来たのかわからないが、
こちらは、RCAビクターのサウンド・エンジニアであった、
リチャード・ガードナーが関わっているので、
シェラックを修復して出した「英雄」と同じプロセスなのか、
あるいは、放送時のコメントも入っているから、
それこそテープ録音なのか。

良くわからないが、
やたら出ている、このトスカニーニ録音、
とにかく、生まれながらにして、
異なる方式で録音されていたものがあった、
という事は理解できた。

私は、レオノーレ序曲の第1を、
トスカニーニが指揮した、
BBC交響楽団との録音を聴いてから、
すっかり好きになってしまったが、
この曲の解説は、
ナクソス盤から持って来よう。

「ベートーヴェンは、たった一曲のオペラ、
『フィデリオ、夫婦の愛の勝利』を書いたが、
1805年11月にウィーンで初演された時には、
フランス軍によって首都が落ちた後で、
わずかな成功しか収めなかった。
1806年3月に第2版がウィーンで上演されたが、
最終版は1814年5月の上演であった。
オペラはオリジナルは、『レオノーレ』として知られ、
政治囚フロレスタンが、
忠実な妻、レオノーレによって救出されるもので、
彼女は、少年フィデリオに変装し、
看守のロッコに仕える。
彼女は、牢を担当する役人、
宿敵ドン・ピザーロが、
夫を殺そうとするのを防ぎ、
その邪悪が明らかになるや、
うまく、これを懲らしめる。
ベートーヴェンは、このオペラのために、
4つの異なる序曲を書いた。
このうち、『レオノーレ』第1番
として知られているものは、
1807年にプラハでの上演を想定して書かれた。
これは1828年にウィーンでのコンサートで、
初めて演奏された。
『レオノーレ』第2番として知られている序曲は、
1805年のウィーンでのオペラ初演のために書かれた。
これに続いて、1806年にウィーンでの上演のために書かれ、
最後の『フィデリオ』序曲は1814年の舞台用であった。
当初、『レオノーレ』第1は、初演用に書かれたが、
軽すぎるとして、取り下げられたと考えられていた。
しかし、手稿から、
この良く知られた話は間違いであると分かる。
ハ長調で書かれた『レオノーレ』第1は、
オペラや続く部分に関係しない、
ヴァイオリンの主題で始まる。
これが、作品の主部『アレグロ・コン・ブリオ』を導き、
一般的な調性の構成ではないものの、
ソナタ形式の二つの主題を予期させる。
作品の中心は、しかし、
展開がアダージョ・ノン・トロッポに入れ替わり、
彼がその運命を嘆く、
フロレスタンの地下牢のシーンを予告する。
すでに出て来たテーマが再現部で現れ、
強勢された主音の和音で終結する前に、
音楽を鎮める。」

まさしく、このオペラとは無関係に見える、
不思議な序奏部の色彩が、私には魅力的である。

この部分、ナクソスの録音は、
ほとんど何も気にせず聴けるが、
このレリーフ・レーベルのものは、
パチパチ音が目立ち、
ダイナミック・レンジ的にもひしゃげ気味に思える。

また、演奏そのものも、
BBC交響楽団とのスタジオ録音が、
伸びやかであり、高雅な楽器の音色が美しい。
指揮者もオーケストラもないような一体感がある。
わずかにかかっているポルタメントも、
妙にぞくぞくする。
ホールの遠近感も美しい。

演奏時間は、こちらの方が短いが、
NBCのものより、余裕があるように聞こえる。

それはさておき、この緊張感を盛り上げていく、
序奏部は、他の序曲にはない、
幻想的な趣きがある。

主部のメロディも勇ましいが、
影が差して、様々な感情が込み上げては消える感じも良い。
しかし、この前に前に推進する音楽づくりには、
確かに歌があり、ロッシーニがあるように思える。
コーダに向かっての爆発などは、
ロッシーニ以外の何ものでもない。

しかし、ロッシーニが現れるのは、
この序曲が書かれてから、
数年以上後の事になる。

ベートーヴェンに、
すでにロッシーニ的なものがあったようだ。

「『レオノーレ』第2は、
三つの下降音形からなるユニゾンで始まり、
GからFシャープに繰り返し下降して、
フロレスタンのAフラットの牢獄のアリアを
このオープニングの『アダージョ』は、
チェロのテーマの『アレグロ』を導き、
フル・オーケストラがこれを引き継ぎ、
アリアからの第2グループを導くが、
これは展開部を締めくくる
トランペットのファンファーレの後で再現し、
急速なコーダが続く。」

私は、この曲にあまり親しんだ記憶がない。
最初に書かれたということだろうか、
ちょっとくどい感じがしなくもない。

が、トランペットが出てくる前後の、
ヤバい感じはよく予告されている。
レリーフのものは、音が荒れていて、
あまり浸ることはできない。

GRAMMOFONO2000の全集では、
この曲は省略されている。
Music&Artsの全集では、
なかなか深い響きを聞かせている。
しかし、主部はやたらやかましい。

なお、このMusic&Artsの解説では、
トスカニーニのこれらの曲の他の演奏と比較があり、
「著者の見方では、1939年の6月1日に、
HMVによって録音された、
BBC交響楽団との『第1』が、
その自発性と抒情性で賞賛に値し、
数か月の間にマエストロの演奏が
変わったかを知ることができる。
1946年のルツェルンにおける
スカラ座管弦楽団との『第2』が、
その幅広さと力で、この演奏を上回る。」
としている。

1946年と言えば、
トスカニーニは、もう80歳になる。
これは戦後のものであるし、
音質の向上を期待したいところでもある。
(ダイナミックレンジを圧縮した感じで、
格段に良いわけではない。)
演奏時間は1分ほど長くなって、
序奏部のものものしさ、
各声部の粒立ちなどは、
大伽藍を前にしたような印象を受ける。
ティンパニの迫力が効いている。
ブラームスの「第1交響曲」の序奏の予兆すらある。

戦争が終わった解放感をも想起させる、
主要主題の輝かしさなども特筆すべきであろう。
コーダの直前ではつんのめったような感じもあるが、
これがこれですごい興奮を伝えてくる。

ついでに、チクルス「第2夜」で演奏された、
「レオノーレ」第3のナクソスの解説も読んでおく。
「ゆっくりした序奏で序曲は始まるが、
Gから低いFシャープの柔らかい下降があり、
牢獄でのフロレスタンの音楽を導く。
第1ヴァイオリンとチェロに、
続くアレグロの主要主題が委ねられ、
フロレスタンのアリアが、第2主題群を形成する。
『レオノーレ』第2同様、ドラマティックな、
舞台裏のトランペットが響き、
ここで2回目の繰り返しが救援の合図となって、
序曲は拡張された急速なコーダに続く。」

これについては、
Music&Artsの解説では、
Musical Americaのダウンズの、
「荒々しく劇的」という言葉を紹介、
「バランス、明晰さ、音の磨き上げ、構成の結合の驚異、
活力と魅力的なリズム」を賞賛しており、
1951年2月の演奏まで、
トスカニーニ自身、このレベルの演奏はできなかった、
と書いている。

改めてNAXOSのCDで、
この1939年の演奏を聴いてみると、
「レオノーレ」第2より聴きなれているせいか、
清潔で、見通しの良い演奏にも、
いっそうの説得力が感じられる。

ナクソスの場合、
テープをオリジナル・ソースとしているのではなく、
NBCのTranscription discs(1935-1943)を、
プリズムサウンドというシステムで、
CD化したように書かれている。

これは、本放送の終了後も、
再放送や他の地域での放送ができるようにした
放送用原盤なので、放送局内のオリジナルか、
そのコピーくらいであろう。
ディスクというだけあって、
へなへなになりそうなテープよりは、
保存が効きそうな気がする。

しかし、さすがのRCAグループにとっても、
聴衆入りライブの録音は、
こうしたどえらい機会でもないと、
ふんぎりがつかなかったのだろうなあ、
と妙に感じ入ってしまった。

コーダの推進力もたくましく、
安定感があって危なげなく爆発に至る。
ただし、最後の一音は弱くないか?

喜んで聴衆も興奮しているし、いいか。

なお、この曲の場合、RCAレーベルからも、
「英雄」と組み合わされて、CD化されている。

これは当然、シェラック盤のものであろう。

気になるのは音質であるが、
最初聴いた時には、
このレーベルに対する先入観からか、
堅いイメージがあったが、
むしろ、4分をすぎて主題が爆発するあたりの、
天井に張り付いたような、
ダイナミックレンジの苦しさが難点かもしれない。

GRAMMOFONO盤などでは、
このあたりの高まりもうまい具合に補正されているようだ。

「フィデリオ」関係4序曲の最終作、
「フィデリオ」序曲は、このチクルスの初日の冒頭に演奏されている。

4曲の中で、私が、最初に聞いたのは、
この序曲なので、最も、長い付き合いであるが、
序奏が昔から、軽薄ではないか、と思っていた。

これも、ナクソスの解説で読んでおこう。
「ベートーヴェンの唯一のオペラを聴く聴衆には、
現在、この序曲が最初に演奏されている。
一般的には、『レオノーレ』第3が、
フロレスタンの拘束からの解放の前から、
最後のシーンの間に現れる。
愛情、葛藤、恐れとレオノーレと、
その夫、フロレスタンの喜び、
これらが、最終的な全ドラマの要約であるが、
フロレスタンは、無実の罪で牢獄におり、
我々は、音楽の始まりと共に、
フォルテッシモの和音が9つの音で下降して、
彼の牢獄の深さに下ろされ、
恐ろしい光景を心に浮かべる。
そこに弦と木管に助けられ、
荘厳で、惨めなパッセージが続き、
愛するものと切り離された、
彼の悲しみや歎きがさっと描かれ、
次第に、力と自責が込み上げてくる。」

何と、へんてこな序奏だと思っていたが、
こんなものがいっぱい詰まっていたのか。

「そこから希望を新たにし、
序曲の主要主題が飛び上がって、
より良きものへの希望に確信が生まれる。」

ここからは、単に、興奮が続く音楽だと思っていた。

「全オーケストラはしっかりとクレッシェンドで鳴り、
熱狂したパッセージワークが熱狂の頂点まで続く。
突然、調性が変わって、
遠くでトランペットが響き、
レオノーレの感謝の歌も交えて、
解放の内務大臣が到着する。」

このけたたましい楽想の奔流の中で、
いろいろなことが暗示されていたようである。

「前に出た主題が興奮した終結部で繰り返され、
歓声と結果としての幸福が続く。」

私は、「フィデリオ」序曲を今回ほど真面目に聴いた事はなかった。
トスカニーニの興奮も尋常ではない。
ちなみに、Music&ArtsのCDでは、
この序曲は切り捨てられており、
GRAMMOFONOとNAXOSとLYSで聴ける。

得られた事:「トスカニーニの1939年のベートーヴェン・チクルスは、テープ録音とシェラック盤の二つの方式が試されていた模様。レリーフ・レーベルは、オーセンティックなテープを採用した、とあるが、明らかに経年劣化が痛ましい。NAXOSは、トランスクリプション・ディスクを使用とあり、こちらの方が聴きやすい。」
by franz310 | 2014-06-28 21:36 | 古典
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