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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その407

b0083728_2225412.jpg個人的経験:
トスカニーニの戦前の、
ベートーヴェン録音は、
どれも聞き逃せず、
ニューヨーク・フィルとの、
「第5」と「第7」、
BBCとの「田園」など、
ファン垂涎の名盤が並ぶが、
私にとっては、
「第4」が貴重である。
人気があるとは言えないが、
何故か、同時代の演奏が、
聴き比べられるからである。


NBC交響楽団では、伝説的と言われる
ベートーヴェン・チクルスのものがあり、
第2夜に「第2」と一緒に演奏された、
1939年11月4日の放送用の録音がある。

また、同じ1939年には、
これより半年前の、6月1日に、
英国のBBC交響楽団との最後の記録として、
演奏されたのが、
やはり、この交響曲であった。

さらに、3年さかのぼれば、
1936年2月2日の
ニューヨーク・フィルとの録音があり、
まことに贅沢なことに、
トスカニーニ所縁の3つのオーケストラの違いを
聴き比べることが出来る。

それだけではない、1936年と言えば、
トスカニーニがニューヨーク・フィルを辞任した年で、
その後任となった、バルビローリの演奏が、
やはり1936年12月13日の演奏がCD化されていて、
これは、以前、紹介したことがある。

トスカニーニのライヴァルということでは、
フルトヴェングラーも、
少し遅れるが、戦時中、1943年に、
この曲の代表的名盤とされるものを録音している。

さらに下れば、バルビローリのライヴァル、
トーマス・ビーチャムもこの曲を、
1945年に録音しており、
ここまで時代を下れば、
トスカニーニの1951年のライブを聴いて、
さらに比べても良いかもしれない。

「英雄」や「第9」も、
トスカニーニはやたら演奏が残っていて、
聴き比べできるが、
肝心のニューヨーク・フィルのものがない。
(あるのかもしれないが、私は知らない。)

ということで、この「第4」を軸に、
いろんなことを考え、非常に楽しい体験ができる。
「第4」は、なかなか表題を付けにくい作品だが、
極めて個性的で、一筋縄ではいかない交響曲だ。

そのせいかは分からないが、
アンセルメのような、
ベートーヴェンとは関係なさそうな指揮者が、
1958年にライブ録音を残していたり、
東独の大御所コンビチュニーが、
西側のザルツブルクに出てきて演奏した、
という興味深い録音がぽつんとあったりする。

カラヤンが最後に日本で演奏したのも、
この曲だったのではなかろうか。

全くの偶然であるが、こんな聴き比べは、
実は、ドナルド・キーン氏も行っていて、
中公文庫の「音楽の出会いと喜び」に、
「アメリカ人演奏家のために」という一章がある。

ここでは、ちまたで言われているように、
本当にアメリカのオーケストラはだめだめなのか、
と検証するべく、
ラインスドルフ、ショルティ、
マゼール、セル、バーンスタイン、
オーマンディ、カラヤン、ベームという、
いかにも1979年に実施したに相応しい録音で、
この「第4交響曲」を聴き比べしているのである。

彼が、この曲を聴き比べに使った理由は、
この曲には、「人間みと暖かみ」が必要とされるから
(本当にアメリカの楽団には暖かみがないかを調べるために)
であった。

また、キーン氏は、
「この曲は、多くの解釈の余地を残す偉大な作品」
と書いてもいるが、多くの指揮者が、
様々なアプローチを行う理由もここにあるのだろう。

しかし、この時代に比べると、
レコード産業はかなり衰退したらしいが、
確かに、上に並んだ指揮者による、
「第4交響曲」がすべて出ていた時代は、
違う意味で「すごい」とも言える。

実際のところ、
私は、どれも聴きたいと思わないからである。
あえて言うなら、セルだろうか。

ちなみに、私が最初にこの「第4」を聴いたのは、
ちょうどこの時代であって、モントゥーが指揮したものが、
廉価盤LPで出たのを機にしてのことだった。
この時、モントゥーは、「第2」も出たが、
どちらも美しい音楽で、
調べると、ウィーン・フィルとの録音だったらしい。

「人間味と暖かみ」が必要であるとすれば、
この組み合わせの録音で、
この曲を知った私は幸福であったと言えよう。

ちなみに、私は、レギュラー価格で出ていた、
カラヤン、ベーム、マゼールなどは、
とても買える境遇ではない学生であった。
その「恨み」のような感情が、
ひょっとすると、
これらの指揮者を聴きたくなることを
妨げているのかもしれない。

ということで、トスカニーニの「第4」であるが、
1939年の録音は、連続演奏会の放送用のもので、
多くのレーベルで入手可能。
NAXOSのものはコンサートごとにまとめており、
しかも、放送用のアナウンサーの声も入っている。

Music&Artsのものは、
基本はコンサートごとだが、
アナウンサーの声はなく、
「第7」と「第8」は、
コンサートとしては別の日であったが、
同じCDに詰め込まれている。

また、私が音質的に好きなのは、
GRAMMOFONO 2000のものだが、
これは、交響曲の番号順にまとめてある。
今回は、このCDで聴いたが、
1998年に出たもので、
「NEW 24-BIT RESTORATION」
と大きく書いてある。

全体が黒を基調にまとめられ、
トスカニーニの横顔があしらわれたデザインだ。

ただし、Music&Artsの解説が、
聴き比べをする際には便利なので、
再び、これを読んでいくことにしよう。

「第4交響曲は、NBCのプログラムで、
1951年のライブ録音を含め、
たった3回しか演奏されておらず、
比較的演奏されなかった、
もう一つの交響曲である。」

ということで、トスカニーニの演奏は、
たまたまこの時期に重なっていただけで、
彼自身、この曲を好んでいたかは、
分からない記載である。

「この曲においても、1936年2月の
ニューヨーク・フィルとの、
早い時期のバージョンでは、
特に第1楽章で、リラックスしたテンポ、
古典的な抑制が見られ、
同様に、1939年5月の
BBCのバージョンでは、
この場合、木管が遠くて、
録音の解像感がないことによって、
いくぶん、損なわれているとはいえ、
親しげな自発性が見られる。」

このように、各楽団とのアプローチの違いが、
いきなり強調されている。

「そして、1939年5月のBBCの演奏会のものや、
古いワインガルトナー、LSOのような敏捷さが、
少し硬いスケルツォには欠けているとはいえ、
ここでも、真の劇的な迫力、
演奏の正確さと、堂々とした点で勝っている。」

ということで、聴くときのポイントは、
1.第1楽章の序奏のテンポ
2.スケルツォの俊敏さ
3.演奏が堂々としているか
ということにあるようである。
「堂々としているか」は難しいが、
テンポの遅い速い、
俊敏であるかないか、
は、そこそこ簡単に聞き分けられそうである。

「そうは言っても、トスカニーニは、
38小節に及ぶ序奏部を、
ミクロコスモスの世界を創造しており、
興味深いことに、BBCでの録音同様、
正確に3分半をかけており、
ニューヨーク・フィルとの超拡張アプローチから、
30秒も短くしている。
しかし、ここでも録音にいささか難があり、
8HスタジオのX線のような音響効果は、
伴奏バスと低音木管の繊細なバランスが残ることを許さず、
すべての魔法の痕跡が消え失せている。
事実、この録音の音には、
こうしたことを考慮する必要がある。」

ということで、録音が良いかどうかも重要そうである。
特に、BBCのものは、スタジオ録音で、
最も、条件が良いはずだが、
木管の音が「遠い」と文句をつけられている。

「この夜の魔法は、翌日のダウンズの記事、
『第4交響曲の演奏は、
ベートーヴェンが牧歌的な気分で書いたことを、
しばしば想起させるオーケストラの、
まるで神秘的な沈黙と憂鬱のような部分に、
音の透明性を与えて素晴らしかった。』
からも推し量ることが出来よう。」

この後は、同日演奏された他の曲目の
演奏会評であるから、第4に関しては、
影のある部分の透明性が重要だったようである。

では、序奏の印象勝負:

1936年2月ニューヨーク・フィル盤:
最初の木管楽器の音色がずっと続いて、
しかも、かなり、ゆっくりとした音楽。
まるで、荒涼たる荒野を彷徨っているような風情。

ちなみに、主部になると、猛烈なドライブで、
オーケストラが煽られていくが、
第2主題では、テンポが落ち着く。

経年変化であろうが、
目立つがりがりノイズがあるが、
鑑賞の妨げになるものではない。

1939年6月BBC交響楽団盤:
緊張感が増し、何かが起こりそうな、
不気味さが冒頭から充満している。
しかし、霧が晴れていくように、
少しずつ、隙間が開けてくる感じ。

主部に入る前のじゃーんは、
英国風なのか、マイルドな感じで、
主部に入ってからも、
何やら微笑みのような余裕を感じる。
格調高く曲は進むが、
確かに木管による主題の登場は、
いささか分離が悪い。
しかし、逞しく、余裕があり、古典的である。

1939年11月NBC交響楽団盤:
かなり即物的で、
それほど、神秘感も不気味さもない。
ただ、リズムをがつがつと踏みしめて、
平常心で先に進む感じである。

演奏会場が、悪名高い8Hスタジオのせいか、
いささかダイナミックレンジに余裕がない。

主部に入る前の爆発はさく裂系であるが、
ここに入ってからも、
テンションは高いが、
基本的にきちっとした感じが強い。
戦争が始まって規律重視になったのだろうか。
音がぎゅうぎゅう締め付けられているようだ。

この時期(以降)のトスカニーニに
共通して感じるのは、
木管のふっくらした感じなどは、
どうでも良い解釈ではないかということ。

1936年12月バルビローリ、ニューヨーク・フィル盤:
序奏のテンポは遅く、
ねばねばするくらいに音が延ばされている。
が、各楽器の音色が出ては消えて、
無重力感というか、不思議な空間に迷い込んだ感じ。

主部に入る前のじゃーんも、
長く延ばされて、
主部に入ってからも、
バルビローリらしい優雅さを感じる。

木管主題も、色彩的だが、
トスカニーニのような推進力よりも、
流麗な音の連なりを重視した音楽である。

1943年6月フルトヴェングラー、ベルリンPO盤:
(ソ連変換からのライブ)
ものものしい中、静かな緊張感が目指されたか、
客席の咳などノイズが目立つ。
じゃーんになるまでの、
テンポのゆらぎがフルトヴェングラー的である。
テンポはトスカニーニのニューヨークPO盤より速く、
思ったより遅くはない。

この交響曲に、
かくも強烈なティンパニのさく裂がある事は、
この録音まで気づかなかった。
木管主題は、そこそこ印象的であるが、
この前後のテンポの揺らぎの方が気になる。

なお、これを聴いて注意して聴きなおすと、
トスカニーニ、ニューヨーク・フィル盤も、
かなり、ティンパニを強打していた。

1945年8月、10月ビーチャム、ロンドンPO盤:
かなり速く、妙にギクシャクしたテンポの序奏、
かなり肩の力は抜けている。
神秘感はよく漂っているが、
主部も軽快で、走り抜けて行く感じ。

1951年2月、トスカニーニ、NBC交響楽団盤:
1939年盤同様、神秘性などはなく、
また、39年盤のような緊迫感もない。
ただ、主部が来るのを待っているだけみたい。
この曲で序奏が、これほどまでに軽くみられると、
第4のありがたさは半減した感じもする。

主部では、新しい録音だけに、
木管の響きなどが明晰ではあるが、
かなり気忙しい音楽で、むやみな激情型。

よく言われることだが、
高齢のトスカニーニは、
微妙なニュアンスを
伝えることが出来なかったのではないか、
という意見に納得せずにいられない。

第2楽章比較編:
トスカニーニ、ニューヨークPO盤:
かなり音質が悪いが、
そんな中から聞こえてくるクラリネットの音色など、
あえざえとして美しく、夢いっぱいの音楽である。
8分56秒かけていてトスカニーニの中では長いが、
他の指揮者は、トスカニーニよりけた違いに長い。

トスカニーニ、BBC交響楽団盤:
確かに、クラリネットがよく聞こえない難点はあるが、
きわめて格調が高いなか、微笑みを感じる。

トスカニーニ、NBC交響楽団盤(1939):
毅然とした感じで、強い意志を感じさせる曲の進行。
音がデッドで、クラリネットの音色の魅力は乏しい。
しかし、うっとりと歌っている感じは伝わる。

バルビローリ、ニューヨークPO盤:
10分12秒かけていて、恰幅が良い。
最初から、弦のたっぷりとした魅力的な歌で聴かせる。
クラリネットも印象的で、
テンポの動かし方も丁寧な演奏である。

フルトヴェングラー、BPOライブ(1943):
11分59秒という、意識が遠のいていくような、
恐ろしいテンポ設定で、ほとんど音楽が止まっている。
そこに、ティンパニが撃ち込まれながら、
活力を増して行って、クラリネットで忘我の歌が出る。

ビーチャム、ロンドンPO盤:
9分35秒。
陶酔的なものではなく、ロマンティックでもない。
よく流れる音楽で、クラリネットも格調高い。

トスカニーニ、NBC響(1951年)盤:
これはカーネギーホールでのライブなので、
もっと、豊かなニュアンスが欲しいところだが、
録音のせいもあるのか、平板な印象の音楽に聞こえる。

第3楽章のスケルツォ比較編:

トスカニーニ、ニューヨークPO盤:
音が悪くてかなり不利だが、
ストレートで気迫にあふれた音楽で、
木管楽器はここでも美しい。

トスカニーニ、BBC盤:
さすがスタジオ録音で、解像度が増し、
ロンドンのクイーンズ・ホールの録音であるためか、
このがちゃがちゃした音楽の残響や、
楽器の遠近法のようなものが堪能できる。

トスカニーニ、NBC(1939年)盤:
ここでは、1点1画をおろそかにしない、
きちっきちっとした音楽が、
抽象的な美学にまで達しているような感じ。
楽器の出たりひっこんだりも、
かちかちっと決まっている。
「少し硬いスケルツォ」とされたが、
確かにそんな感じ。
「俊敏さに欠ける」というのは、
オーケストラの機能が悪いと言うか、
この演奏の量感を生かした解釈によるものだろう。

バルビローリ、NPO盤:
これは、トスカニーニ、NBC(1939)とは、
明らかに異なる美学を感じる演奏である。

量感をぶつけるのではなく、
あくまでも音の美質を追及していて、
どの瞬間にも破綻がなく、
各楽器の音色が際立っている。
音楽の自然な流れが、この指揮者には、
非常に重要だったことが分かる。

フルトヴェングラー、BPO(ライブ):
噛んで含むような、妙に落ち着いたスケルツォで、
ぎくしゃくとした音の面白さを楽しむ風情、
各楽器のブレンド感も立体的で良い。
この巨匠にしては、ここで、ひと息つきたかった感じか。

ビーチャム、LPO:
これだけいろいろ聴くと、
それほど特色があるものではない。
ただし、トリオに入る前には、
効果を狙った入魂の一瞬がある。

トスカニーニ、NBC響(1951年)盤:
力ずくでごりごりしているが、
木管楽器が出たり引っ込んだりするときの、
立体感や、色彩感は印象に残る。

終楽章比較編:

トスカニーニ、NPO盤:
非常に雄渾かつ開放的で胸躍る演奏である。
劣悪な録音ながら、
カーネギーホールでの演奏であるせいか、
楽器の魅力が聞き取れる。

この演奏はあまり普及していないものだが、
全体的にトスカニーニ、ニューヨーク・フィルの、
魅力を現代に伝える貴重な録音と言わざるを得ない。

有名なRCAとの「第7」は、
この演奏の2か月後のものだが、
大交響曲のはずなのに、立体感に乏しく、
どうも単調な感じがしていたが、
この「第4」は、色彩的で推進力もあり、
何かしら柔軟、繊細ですらある。

トスカニーニ、BBC盤:
古いながら録音条件が良かったため、
音質は格段に良いと思える。
確かにファゴットなどの軽妙な音色を、
もっと捉えて欲しかった気はするが。

音楽の活力、よく言われる自発性に加え、
推進力や迫力、楽器の音色の魅力も
言うことがない。

トスカニーニ、NBC盤:
一心不乱で突き進み、
ざっくりと切り刻んでいく迫力はすごい。
ダイナミックレンジに限界がある録音がまた、
この感じを強調しているようだ。
トスカニーニの入魂の度合いも、
全二者とは違うようで、パンチがある。

バルビローリ、NYP盤:
これまた音質に限界があるが、
さすが、バルビローリの美質は、
この初期の録音から健在という感じで、
とにかく、音の有機的なつながりも、
情熱的な表現も、この指揮者らしさを放っている。

ぼわーんという盛り上げも、
自然に湧き上がってくる感じが素晴らしい。

フルトヴェングラー、BPOライブ盤:
出だしこそ抑え気味であるが、
ベルリン・フィルの機動力解放という感じ。
ティンパニが連打され、
どうしても戦時中の音楽を意識してしまう。
この演奏は、繊細さと剛毅さのバランスが、
緊張感に耐えられず雪崩を打つような演奏。

この楽章だけで、
これだけのドラマを描いて行くのは、
どえらい演奏の証しなのであろう。

ビーチャム、LPO盤:
オーケストラからぴちぴちした表現を引き出し、
楽器の美観も良く、大騒ぎせず節度がある。
大人の音楽という感じ。

トスカニーニ、NBC盤(1951):
何だかヒステリックで、
1867年生まれなので、
84歳という高齢になっていたトスカニーニは、
すでに難聴気味にでもなっていたのではないか、
などと考えてしまった。

「第2交響曲に対しては、
彼はいくらか保留をしており、
『最初の二つの楽章は、
そうであって欲しいという理想的なもので、
トスカニーニ氏がラルゲットでとったテンポは心地よく、
流れるようで愉悦感に溢れ、
歌を弛ませたり、感傷的に堕したりすることがなかった。
しかし、スケルツォには、我々は、
無愛想で身なりの悪いベートーヴェンより、
もっと、デリケートで18世紀的な清潔さを期待する。
もう少し礼儀正しいベートーヴェンを、
スケルツォやフィナーレでは期待する。』
これに引き替え、『レオノーレ序曲第3番』では、
彼は、『荒々しく劇的』であるとしている。
『Musical America』誌では、
『バランス、明晰さ、音の磨かれ方、
構造的な結合、生命力、リズムの説得力の驚異』と、
列挙し、トスカニーニの演奏は『圧倒的』としたが、
実際、トスカニーニは、これ以降、
いくつかの試みを行ったものの、
1951年2月まで、同様の高みまで至ることはできなかった。」

ちょうど、今回、1951年2月録音の、
RCAへ録音した「第4」までを聴いてみたが、
この時期のトスカニーニは、
気忙しく、音楽の美しさに酔わせてくれない。

トスカニーニが振った
ベートーヴェン「第4交響曲」の
各楽章のタイミングを見てみると、
1936年のニューヨーク・フィル盤と、
1951年のNBC交響楽団盤の演奏は、
ほぼ同じ長さになっているが、
その印象はかなり違う。

1936年のものは当然音質は劣悪なのだが、
ずっとニュアンスが豊富で、
音楽に詩的なものが多く含まれている。

しかし、戦争が始まるころから、
トスカニーニは、そうした情緒的な要素を、
極力排除して、力学的、構造的な方向に向かっていったようだ。

なお、1939年のベートーヴェン・チクルスは、
多くの復刻で入手可能だが、今回は、
GRAMMOFONO 2000のもので聴いた。

得られた事:「トスカニーニにとって、1939年は大きな変化の年で、前半のBBCの録音と、後半のNBCとの録音で、かなりの差異がある。」
「1936年の前半と後半とで、トスカニーニとバルビローリが、同じニューヨーク・フィルを振ってベートーヴェンの『第4』の録音を残したが、トスカニーニのものはむしろ主情的、バルビローリのものは造形的である。この後の動きを見ると、むしろ、それぞれが反対の路線に近づいたような感じすらする。」
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by franz310 | 2014-04-26 22:05 | 古典
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