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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その401

b0083728_20243296.jpg個人的経験:
プロデューサーから
現場のエンジニアまで、
大きな悩みを抱えずに
いられなかった
1930年代の
トスカニーニの演奏記録。
半世紀を超えてようやく、
その全貌が見えてきている
感じなのかもしれない。
が、あるところにはあるもので、
このBBCのCDも、
大曲を惜しげもなく収めている。


表紙はトスカニーニの鬼気迫る表情の写真で、
あまり、手にしたくなるものではないが、
このシリーズ共通のシンプルな色のコンポジションで、
かなり、印象が緩和されている。

たとえば、1989年に出た、
諸石幸生著「トスカニーニ」(音楽之友社)では、
1935年のBBC交響楽団のライブ録音として、
5曲しかディスコグラフィに載せていないが、
前回聴いたWHRAの4枚組では、
倍以上の曲目が収められていた。

今回のCDでは、この1935年のライブでも、
大きな反響があったとされる、
ベートーヴェンの「第7交響曲」が再び聴けるが、
クレジットによると、2夜あった公演の最初の方、
6月12日のものだと書かれている。

信じがたい事だが、2日後の「第7」は、
先のWHRAレーベルの最新復刻で聴けるのだから、
21世紀に生きる我々はぜいたくなものである。
とはいえ、WHRAが採用した6月14日の「第7」は、
諸石本のディスコグラフィにも出ている。
こちらのものは、さすがBBCレジェンズ、
未発掘のものを掘り出して来た。

ただし、6月3日のケルビーニの序曲と、
6月14日のモーツァルトの交響曲は、
ディスコグラフィにはないが、
WHRAには入っていたもの。
とはいえ、あちらは2012年の発売で、
こちらは1999年のものだから、
このBBCのCDが初発売で、
さすがBBCレジェンズということになる。

しかし、この2枚組のBBC盤の本命は、
1939年5月28日の「ミサ・ソレムニス」で、
後半のCDまるまると、前半のCDの最後を占めているので、
演奏時間の55%を占め、まったく躊躇することなく、
WHRAの4枚組と一緒にコレクションすれば良いのである。

BBCレジェンズは、BBCなのだから、
もともと、BBC交響楽団の演奏は、
全部、持っているのではないかと類推できるが、
あえて、これら4曲しか出さなかったのは不思議である。
ブラームスの4番とか、EMIに持って行かれたものは、
しかたなく省いたのかもしれない。

解説は、そんなに長いものではないが、
かなり興味深く読める。
「天上からの光」と題されている。
Harvey Sachsという人が書いている。
イギリスのレーベルなのでイギリス人かと思ったが、
フィラデルフィアのカーティス音楽院で学び、
ヨーロッパにも長く住んだという、
トスカニーニの本を多く出しているアメリカ人であった。

フィラデルフィアに縁のある人だけに、
「トスカニーニ、フィラデルフィアとニューヨーク」
などという本を書いている。

「アルトゥーロ・トスカニーニは、
20世紀で最も名高い指揮者であったが、
彼のキャリアは、60歳を過ぎるまで、
主に、イタリア、米国、
わずかアルゼンチンでしか知られていなかった。」

ここで、あえて、one of とか、
みみっちい事を付けずに言い切っている点がうれしい。
それだけ、トスカニーニに心酔している人なのだろう。
上記の本は1978年に出されていて。
32歳の時の仕事、ハーベイ・ザックスにとって、
トスカニーニは音楽の象徴なのかもしれない。

「たとえば、ほとんどの英国の音楽愛好家は、
彼がニューヨーク・フィルのツアーで演奏した、
1930年代まで、生で彼を聴くことができなかった。
そして、トスカニーニは、
68歳になった1935年まで、
イギリスの楽団と共演することはなく、
この時、クイーンズ・ホールで、
創立5年のBBC交響楽団を指揮した。
ここに聴かれる素晴らしい演奏は、
彼の最初と最後のコンサート・シリーズの間で
録音されたものである。
『私は、皆が、トスカニーニ来訪こそが、
BBC交響楽団のキャリアの頂点であり、
ゴールだったと思っていたと思う。』
この楽団の創設指揮者のエイドリアン・ボールトは、
そう回想した。
『このオーケストラを彼に紹介しながら、
世界最高、という言葉を使って、
みんなが願っていた我々の到達点について、
私は何か挨拶をした。
その時、マエストロは優しく、
私の肩を叩き、
“ちがう、ちがう、ちがう、ちがう、ちがう。
それは全然違う。
ただの誠実な音楽家だよ“と言った。
したがって、みんな笑うので、
私はそのまま放っておき、
椅子に座って、
いったい、何がいつ起こるだろうと、
最初の爆発を待った。
しかし、それは結局なかった。
実際、ブラームスのホ短調交響曲の
真ん中の2つの楽章は中断なく演奏された。
“祈れ、祈れ、祈れ”、彼は言った、
“ただ、3つのことだ。”
それから、彼は3か所ほどパッセージを見つけ、
それを正し、さらに続けた。
トスカニーニは、一度、良しとすると、
さらに鋤を入れることは良いと思っていませんでした。
言うまでもなく、オーケストラは、
この最初のリハーサルからマエストロを賞賛しました。』」

ここまでは、最初のリハーサルの模様を伝えるもので、
ブラームスについては、ごく順調に練習が終わったことが分かった。

このCDに収められている曲目についてが気になるが、
この後も、おそらく、うまく言ったのであろう。
下記のような文章で、
トスカニーニと英国の関係が締めくくられている。

「この感覚は共通のものだったようで、
続く4年、トスカニーニはBBC交響楽団を4度訪れ、
トータルで22公演を振り、
(コレルリからショスタコーヴィチに至る)
7回の録音セッションを持った。
戦争がなければ、トスカニーニとBBCのコラボが、
さらに続いたであろうことは間違いない。
戦争中、マエストロはロンドンに来ることはなく、
1952年、85歳の時、
新しいロイヤル・フェスティバル・ホールで、
フィルハーモニア交響楽団と2回のコンサートを行い、
英国に別れを告げた。」

トスカニーニのBBCとの演奏は、
上記セッション録音は、非常に有名であるが、
演奏会の記録としても、
WHRAが出してくれた1935年のものの他、
ベートーヴェンの「第9」や、
ヴェルディの「レクイエム」など、大作が、
ぽつぽつと復刻されている模様。

そういうものと比べても、
今回のCDの1939年の「ミサ・ソレムニス」などは、
音質は古いが聴きやすいのでありがたい。

リマスターは、20bitとあり、
Arthur M.Fierroなど、
3人のエンジニアによるらしい。

解説は、ザックスという人の力量発揮で、
そもそもトスカニーニは、
という感じの部分もある。

「トスカニーニのキャリアは、
1886年、この演奏の半世紀も前に始まっているが、
ここに聞く曲目のうち、
たった1曲のみが、
この期間の半分以上の演奏経験に入っていた。」

私は、こんな書き方の解説は初めて見た。
つまり、これらの曲が、何時、彼のレパートリーに入ったか、
ということをザックスは気にしているのである。
さらりと書いているが、かなりの研究を経ないと、
こんな記載はできないだろう。

では、その1曲、つまり、この中で、
もっとも古くから手掛けていたものはどれか。
それは、モーツァルトらしい。

「彼は、モーツァルトの『ハフナー交響曲』を、
1908年という早い時期から、
スカラ座のオーケストラで指揮しており、
トリノ、ニューヨーク、ヴィーン、フィラデルフィア、
そしてNBC交響楽団とも演奏している。
彼はスタジオ録音も2回しており、
抒情的で柔軟、今の基準からすると、
極めてロマンティックなバージョンによる、
1929年ニューヨーク・フィルとのものと、
1946年の、いささか硬いNBC交響楽団とのもの。
この1935年のBBCでの演奏は、
ニューヨークとのコンセプトに近い。」

1908年から1935年までは、
27年経過しているので、
確かに、半世紀の半分は経過しているわけだ。

この演奏はWHRAのCDで聴いた時にも感じたが、
まったく、解説者に同感である。
柔軟で、歌に満ち、どうも、後期6曲として紹介される、
モーツァルトの交響曲の中では、
一本気な、お硬い長男みたいな感じを受けがちな、
この交響曲の中に、優しい心情を見せてくれた。

じゃーんという序奏に続く楽句が、
ためらいがちに演奏され、
ばーんと出る主部の華やかさを強調しているが、
これが、決して強引ではなく、
丸みを帯びた微笑みを伴っている。

経過句における楽器のやり取りも、
後年のピアノ協奏曲のような、
典雅な風情を漂わせている。
こうした間の取り方や、
音の伸びやかさなど、
メンバーの自発性を生かした感じで、
ニューヨーク・フィルとの演奏以上かもしれない。

WHRA盤に劣るのは、
トスカニーニの歌声あたりに、
フィルタ特性がかかっているのか、
それがかすかにしか聞こえず、
指揮者と一緒に共感するための情報が、
薄まっている点であろう。

「トスカニーニは、ケルビーニのオペラ・バレエ、
『アナクレオン』への序曲を、
1925年にスカラ座のオーケストラで、
最初に振っている。
輝かしいが名作とも言えないこの曲を、
彼は8つのオーケストラと演奏している。
指揮者の死後、RCAは、1953年の
NBCでのこの序曲の放送録音を発売している。」

ちなみに、アナクレオンは、酒と愛の詩人。
軍人でもあったらしい。
ゲーテが、「アナクレオンの墓」という詩を書いているので、
18世紀から19世紀の疾風怒濤の時代に、
流行った人物なのであろう。
1803年の作品で、
「逃げた愛の神」という副題があるように、
軽妙な要素もあったのだろうか。

トスカニーニ好みの潔い序奏に、
鮮やかなメロディが続く作品で、
複雑に声部が交錯して発展して爆発するのが快感である。
このBBCレジェンズの音質は、
非常に聴きやすい。

WHRA盤は、ノイズを取らずに、
色彩が生々しい反面、
ざらざら感にデッドなイメージが付きまとうが、
このBBC盤は、なめらかに仕上げている。
迫力や立体感はいくぶん劣るが悪くはない。

楽想に、きらきらと輝くパッセージあり、
軽妙な弦楽の弓使いあり、
豪壮な金管の咆哮ありと、
リヒャルト・シュトラウスの古典版みたいな感じ。

かつての大指揮者たちがこぞって取り上げたのも、
良くわかる管弦楽のパレットの豊かな作品である。
トスカニーニの密度の高い音の采配が、
説得力を持って迫る。

「ベートーヴェンの『第7』交響曲は、
彼が49歳になるまで、
そのレパートリーに入らなかったものである。
『第2』と『第8』以外は、10年、20年前に、
ベートーヴェンの全曲を取り上げていた。
彼は、『第7』をスカラ座時代に頻繁に取り上げ、
1920年から21年に、イタリアや北米で、
マラソンツアーし、その後も全欧やアメリカで演奏した。
1951年のNBCとのスタジオ録音は、
良く知られているが、
1936年のニューヨーク・フィルとのバージョンが、
これまでなされた交響楽録音の中でも
最高のものとされるのがふさわしい。
『ハフナー』交響曲の場合同様、
コンセプトにおいてBBCとのものは、
ニューヨーク・フィルとのものに近く、
この演奏の時、トスカニーニと会って、
2週間しか経っていなかった楽団が、
マエストロとの10年の共演の中で到達した、
ニューヨーク・フィルの突出した名技性や、
意志の統一に迫っている。
演奏は息を飲むもので、
音質も当時のものとしては素晴らしい。」

この「第7」は、重心が低い音質で、
WHRA盤のような、
楽器の分離を生かしたものに比べると、
ずーんと来る序奏からの密度の高さに圧倒される。

主部に入ってからも、
ティンパニの連打を伴って、
すごい迫力で脈打って盛り上がる。
トスカニーニの魅力は、
これまで、なかなか言葉にすることが出来なかったが、
ここに聞くような、
内部から膨らんでくる生命感のようなものが、
その一つかもしれないと思った。

第2楽章の悲壮感も、
このしっとり気味の音質はマッチしている。

トスカニーニは終始歌っているが、
彼の声のあたりの周波数帯をいじっているのか、
このCDではWHRA盤よりはっきり聞こえない。

リズムが息づくように刻まれ、
まったく生命体のように音楽が脈動する。
聴けば聴くほど、ベートーヴェンの「第7」とは、
こんな音楽だっただろうかと、
新鮮な気持ちになる。

もっと力ずくの、単調な割にあくの強い音楽、
というのが私の先入観であったが、
強引な指揮をするはずのトスカニーニが、
そうではなく、むしろ、すっきりとした、
律動感と生命感にあふれた演奏を聴かせてくれ、
まったくこの曲のイメージが変わってしまった。

第3楽章では、トスカニーニの声は、
あちこちで響きまくりである。
ここでの、執拗なリズムも、
何故か嫌味にならず、
むしろ、軽快で洒脱な感じがする。

第4楽章なども、豪壮な表現だと思うが、
その跳躍の柔軟さに、無重力感すら感じてしまう。
いったい、この演奏のエネルギーは、
どうなっているんだ、などと考えているうちに、
あれよあれよと曲は進んでいて、
目を回しているうちに、
ぶわーっと巻き込まれて音楽は終わっている。

この演奏など、聴衆の拍手も録っておいて欲しかった。

「トスカニーニが最初に『ミサ・ソレムニス』を
演奏したのは、1934年のことで、
ニューヨーク・フィルの演奏であった。
彼はこの曲を1935年、1942年に、
同じ楽団と演奏し、1936年にはヴィーン・フィルと、
1939年にはBBC交響楽団と、
1940年、1953年には、
NBC交響楽団と演奏している。
7つもの非正規な商品が出た、
1940年のNBC盤と同様に、
このBBCとのものは、
輝かしい解釈で演奏されている。
しかし、この録音に使われた、
マイクのすぐれた配置によって、
トランペットとティンパニの
突出したバランスが気になる
アメリカ録音より優れている。」

録音時の楽器のブレンドは、
演奏のイメージが変わってしまうので、
たいへん、重要だと思う。

一聴すると、このレジェンズ盤は、
平板で奥まった感じがしたが、
確かに、M&Aなどから出ている、
NBCとのライブのやかましさに比べると、
ずっと聴きやすく、上品で、
この時代のトスカニーニのイメージに合っている。

「両方の盤に登場するソプラノ、
ジンカ・ミラノフは、この録音では、
クレドの終わり前の23小節で、
明らかなミスをしているのが分かるが、
それ以外は、他の歌手同様素晴らしい。」

このように、最初のキリエとグローリアについては、
すっとばして、クレドの話になっているが、

「キリエ」の独唱とオーケストラ、
合唱のブレンドも大変美しく、
しっかりと刻まれて膨らむ音楽の歩みも素晴らしい。

私は、この演奏なら、
この大曲を聴きとおすことが出来そうだ、
などと感じてしまった。

「グローリア」の爆発的な歓喜のファンファーレも、
推進力があって、宗教曲という抹香臭さがない。
トスカニーニの決然とした音楽作りが、
この曲に、どうも親しみを覚えられない私も、
巻き込んでくれてありがたい。
もう、この部分などを聴いていると、
1939年という古い録音だなどとは、
意識していないで聴ける。

独唱者が出たり入ったりするところや、
合唱が包み込む時の雰囲気の豊かさは、
奇跡的な感じさえする。

「クレド」では、トスカニーニは、
もう、渾身の指揮ぶりだったと思われる。
ミサ曲の中心をなす、この複雑な音楽を、
すごい緊張感で解きほぐしていく感じ。
ティンパニの一打一打が入魂に思える。

「1953年のVBC-RCAの正規録音は、
音質の点では、他のトスカニーニが指揮した、
このミサ曲より良いが、演奏はと言えば、
しばしばそれ以前の演奏のような深みに欠ける。
事実、マエストロは86歳になって、
70代で持っていたような、
驚くべき技術を失っていたのである。
BBCでの演奏の多くで、
トスカニーニのテンポは、
1953年のものよりも
明らかに遅いが、
1940年のものよりはいくぶん速い。
1939年の盤における、
アニュス・デイは、しかし幅広く、
3種の中では、おそらく最も美しい。
この作品の最後にベートーヴェンが書き込んだ、
『内部と外部の平安への祈り』は、
戦争が始まる3ヶ月前に、
トスカニーニが英国に捧げた、
最後の捧げものであった。
『ミサ・ソレムニス』の
トスカニーニの解釈は、
印象深く、かつ衝撃を、
ロンドンの音楽愛好家にもたらした。
たとえば、『タイム』の批評家は、
1939年5月27日の記事で、
ミサの中でベートーヴェンは、
声楽と交響的に扱っていることを認めながら、
『多くの指揮者はこうしたやり過ぎを、
これまでやわらげようとして来たし、
聴衆もそれに満足していたが、
トスカニーニは、そこに狂喜している。
“et vitam venturi”
(クレドの最後の「来世の生命を待ち望む」)の
主題における管楽器のスタッカートは強調され、
声楽も同様にそれに倣い、
わずかに主題の荘厳さを加える。
“アレグロ・コン・モート”の部分では、
歌手たちは、それに相応しく忘我に至る。
このベートーヴェンが作品を書くときに、
異常なまでにこだわった書法によって、
彼の思い描いたものまでに、
至ったかについては疑問がある。
明らかにベートーヴェンのスコアには誤算がある。』
しかし、トスカニーニは、スコアの特異性を、
単に眺めて悦に入っているわけでも、
音楽テキストの字義に、
自身を縛り付けているのでもなく、
ベートーヴェンの、音楽コンセプトや、
感情の驚くべき扱いという挑戦に対し、
ただ、受けて立っている。」

このCDは、このように、
「クレド」の最後について、
ソプラノが間違っているとか、
声楽が器楽のように扱われているとか、
やたら集中した部分で具体的な話題が多いが、
確かに、このコーダ部の高速さは、
ほとんど、何を歌っているか分からないくらいで、
声楽部が交響曲のパート化している。
難しい独唱者たちの交錯はこの後で来る。

1940年のNBC盤などは、
このあたりは、ラッパが合唱を飛び越えて、
最後の審判みたいになっている。
それに比べると、BBCの録音は素晴らしい。
ワルターの「大地の歌」で独唱を受け持った、
スウェーデンのコントラルト、
トルボルイが共演しているのも、
聴いていて嬉しくなる要素である。

ちなみに、テノールは、
Koloman von Patakyという、
ハンガリーの人、
バスは、Nicola Mosconaという、
ギリシャの人で、
国籍が多彩である。
ちなみに、Milanovはクロアチアの人らしく、
南欧、北欧、東欧の歌手が集まっている。
合唱はBBC合唱協会。

「サンクトゥス」の導入部の、
独唱も、そんな連想からか、
マーラーの世界を想起してしまった。
何か、原初的なものが現れるような、
神秘的で秘めやかな雰囲気がまた、
ドライに割り切ったトスカニーニのイメージが、
間違っていた事を証明している。

そんな事を考えながら聴きながら解説を見ると、
下記のように、トスカニーニ自身が、
このあたりの雰囲気を、
いかに神聖視していたかが書かれていて、
まるで、マエストロと心が通じたような、
厳粛な感動を覚えた。
私も、この楽章だけは、
常に、非常な感動を持ってしか、
聴くことが出来ない。

「典礼用の作曲を越えて、
ニ長調のミサ曲は、
複雑で抽象的な音楽の象徴を通して、
人間的な精神の追及がなされている。
テクスチャーは透明な時でも、
その内容は濃密で、いかなる試みも完成、
または、ほとんど完成されていて、
作品の演奏は不可能なほどである。
トスカニーニは、これを知っていたが、
挑戦を続け、他の指揮者たちが、
到達しえなかったような水準に至った。
ボールトは、トスカニーニが、
『ベネディクトスの独奏ヴァイオリンの
危険性について恐ろしい不安』について、
語ったことを報告している。
『事実、彼は金管とティンパニの
スフォルツァンドで、打ち切ろうかと、
私に相談しました。』
しかし、ベネディクトゥスの序奏の論議では、
トスカニーニは、ボールトにこう言った。
『あまりの素晴らしさに、
そこを指揮している時に眼を瞑る。
目を瞑ると、ついにはオルガンが響いてくる。
それは天上の光なんだ。』
この合唱と管弦楽の最高の傑作のひとつの、
圧倒的で啓示的な演奏に触れると、
今日の聴衆もまた、
同様の隠喩を完全に感じることが出来るだろう。」

トスカニーニは、まるで、
彼自身の鼓動のように低音を響かせ、
跪いて、天上の光にひれ伏さんばかりの、
痛切な表現を聴かせている。

この時のヴァイオリニストは、
Paul Beardという人だったらしい。
線が細く、いくぶん特徴に乏しいが、
格調が高く、トスカニーニやボールトの信頼が厚かった。
バーミンガムのコンサートマスターを皮切りに、
ビーチャムのロンドン・フィルを経て、
BBCに移ったという。

最後の「アニュス・デイ」は、
かなり、オーケストラも疲れているのではないか。
これだけの集中の後なので、
もう、勢いだけで持っている感じもする。
私も、「ベネディクトス」の美しさに触れた後は、
かなり満足しているので、
ちょっと唐突な終わり方でも言うことはない。
暖かい拍手が沸き起こっている。

得られた事:「初対面から2週間で、トスカニーニとBBC響は、10年来の主兵、ニューヨーク・フィル並みの名演を聴かせた。」
「トスカニーニは『ベネディクトゥス』で『天上の光』を感じ、我々もまた、同じ光を感じることが出来る。」
by franz310 | 2014-02-08 20:24
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