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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その400

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その400_b0083728_19501959.jpg個人的経験:
トスカニーニの決定盤とされた
1936年録音の
ベートーヴェン「第7」は、
当時のスタジオ録音の限界を行く
細心の工夫を凝らされて
記録されたものであったようだが、
これほどまでに愛聴された
名盤であるにも関わらず、
手を変え品を変え、
様々な復刻の試みが市場に流出、
結局、どんな演奏なのか、
分からなくなってしまった。


しかし、この演奏を補足するような、
同じ「第7交響曲」の記録が、
同時期に残されているのが面白い。

何故、面白いかと言うと、
当時のトスカニーニの録音嫌いは有名で、
ほとんど、生前には、これらの存在は、
少なくとも指揮者本人にとっては、
認めることのできない記録であったはずだからである。

1936年のニューヨーク・フィルとの、
先の「第7」交響曲は、連続録音時間の限界から、
4分半くらいずつ、休止を入れ、
録音機器を繋ぎかえる時間まで作ったとされる。

しかし、それに先立つ、
1935年7月に、彼は、イギリスにわたり、
BBC交響楽団を指揮して、
聴衆を興奮のるつぼに落とし込んだ。
このライブの記録が、CD化されて聴けるのである。
ニューヨーク・フィルの努力は何だったのか、
と思えるような事が実際に行われたのである。

今回、WHRAというレーベルが、
2012年新復刻と銘打って出したCDには、
そのあたりの事情をよく書いた解説がついている。

この4枚組のCDは、
「トスカニーニ・アット・ザ・クイーンズ・ホール」
と題され、誰もいない客席の前で、
リハーサルを付けていると思われる、
トスカニーニの白黒写真が、
セピア色で使われていて、
非常に格調高い趣きを持っている。

トスカニーニを復刻するレーベルは、
このオーケストラ所縁のBBCレジェンズや、
ナクソス、ビダルフ、パール、
ミュージック&アーツなど多数あるが、
WHRA盤は解説も充実していて別格の感がある。
CDの盤面も黒くて風格を感じさせる。

本家のEMIからも、BBCでの録音は、
最近、廉価盤の6枚組で出ているが、
何となく、安さを全面に出して、
心をこめて復刻していないのではないか、
などと考えて、このCDが出たのは嬉しかった。

CD3では、1936年4月、ようやく、
トスカニーニがマイクの前に立って録音した、
ニューヨーク・フィルとの名盤、
ベートーヴェン「第7交響曲」の10か月前の
ライブでの「第7」が収められている。

最新リマスタリングを謳うだけあって、
ノイズもほとんどなく、
トスカニーニらしい、鋭いアタックや、
各楽器の鮮やかな歌い回しなどはさすがである。

が、オーパス蔵にあったような、
ノイズの海から立ち上る猥雑さや、
その喧騒の中から立ち上る熱気というのは、
残念ながら、ここからはあまり聞き取れない。

リマスタリングは、リストレーション技術者として、
Gene Gaudetteという名前が特記されている。
Biddulphのオバート=ソーン復刻の、
トスカニーニ/BBCの復刻より、ノイズがない。

とはいえ、この曲の演奏として、
聴きやすく、古典的ですらある印象は、
パール、ナクソスのオバート=ソーンや、
本家、BMGの、
Andre Gauthierの路線と同じである。
ただし、第1楽章主部になると、
ライブ録音であるせいか、
かなり、熱気が湧き上がってくる。
終結部などは、感興に満ちている。

このCDでは、写真も多用され、ブックレットが良い。
Christpher Dymentという人が、
オバート=ソーンに対抗するような、
丁寧な解説を書いてくれている。

ニューヨークで試みられた事の、
再現のような事が、ここでも語られている。
このような記載を味わうにつれ、
いかに、こうした記録が貴重な至宝であるかと、
思いを馳せずにはいられない。

そんな思いを補足するかのように、
ベートーヴェンの「第7」の第2楽章は、
心にざわめきをかきたてるような、
情感豊かさで響きわたる。
トスカニーニは、歌っているのではないか。
いや、最後などは、明らかに鼻歌が、
オーケストラより雄弁だ。

解説は、「コンサート」、「レコーディング」、
「パフォーマンス」と章立てされているが、
これまでの流れからして、この真ん中の部が興味深い。

「1934年の11月、
HMV/EMIが最初に、
トスカニーニの演奏会のニュースを聴いて以来、
彼らはそれを商業ベースで、
それらを録音してやろうと考えた。
彼らは、まず、トスカニーニが、
ずっと録音嫌いで譲らないことを知っていたが、
EMIの興行師フレド・ガイスベルクの剛腕交渉術を盾に、
1935年早々から奮闘を始めた。」

このあたり、ニューヨークで起こった事と、
まったく同じではないか。
が、ニューヨークには、この剛腕ガイスベルクがいなかった。

「1935年2月、夫の演奏会に付き添っていた、
娘のワンダを通じ、
トスカニーニは、演奏会の放送は受け入れるが、
HMVのためにもBBCのためにもお断り、
と明言してきた。
ガイスベルクの説得力のある言葉で、
しかし、ワンダやカルラからは、
密かに助力が得られる公算が大きく、
彼女らは、6月5日、
(2回目のコンサートの昼間)
ガイスベルクの催した、
サヴォイ・ホテルでの昼食会に、
トスカニーニを参加させることが出来た。」

ということで、ビジネスの基本は、
接待ということであろうか。
RCAビクターは、これをやったんだっけ。

とにかく、今から80年も前の事とは思えないほど、
現代の私たちにも勉強になるような記載が生々しい。
トスカニーニが、ニューヨークよりも、
こちらの方で興奮していたのは、
「第7」の第3楽章のリズムにのって、
楽しげな鼻歌を聴かせていることからも明らかである。
トスカニーニは、ガイスベルクから、
よほど、気持ちよくもてなされたものと思われる。

「和やかな会話が交わされる中、
ガイスベルクは、焦げ付き状態の、
BBC演奏家の録音の問題について切り出した。
トスカニーニは、信念どおりに、大嫌いな録音を拒絶、
大事な主兵であるニューヨーク・フィルに対しても、
この信念は曲げていないと言った。
再度、ガイスベルクは、
カーネギーホールでのRCAビクターによる、
少なくともトスカニーニが実況録音の失敗と比べられるように、
テスト録音をする許可を求めた。
最後にしぶしぶトスカニーニはそれを許可した。」

さすが剛腕ガイスベルクである。
テスト録音さえできれば、次のステップに進むことが出来る。

しかも、ガイスベルクは非常にしたたかである。
トスカニーニの返答などはそっちのけで、
実は、臨機応変に、すでに事を起こしていたのである。

「実際は、トスカニーニの許可なく、
HMVは6月3日の最初の演奏会を録音しており、
続く3つもカバーするつもりであった。」

実は、この7月3日のコンサートの録音は、
私にとって、非常に重要である。

というのは、このトスカニーニと、
BBC交響楽団の一連のコンサート録音の中で、
私が賛嘆せずにいられないのが、
ブラームスの「第4交響曲」で、
この交響曲は、ここでは1面に入っているが、
6月3日、5日録音とされている。

また、他に6月3日の録音としては、
ケルビーニの「アナクレオン序曲」が、
この4枚組の冒頭に入っていて、
これもまた、珍しい曲目ながら、
多様に脈打つ音楽の発展が目覚ましく、
トスカニーニらしい透徹したというか、
純度の高い節回しに、つい、耳を澄ませてしまう。
10分以上かかる、そこそこの大曲である。

さらに、2枚目に入っている、
エルガーの「エニグマ変奏曲」もまた、
6月3日の録音とある。

これは、諸石幸生著「トスカニーニ」で、
「イギリス的でない」と言われながら、
識者には絶賛されたものとされているが、
多少、違和感のある、
いくぶん情感をそぎ落とした感じの演奏になっている。
が、拍手はすごい。

「ガイスベルクの若いアシスタントの
デヴィッド・ビックネルの技術監修によって、
ロンドン北部のHMVのエイヴィ・ロードのスタジオの、
機械室にホールから有線で効果的につながれた。
この部屋は、遠隔地からの録音用で、
スタジオ1、2、3を補助する部屋であった。
何年かして、ガイスベルクは、結果に対する心配を語った。
『柔らかなチェロのパッセージにおいても、
ティンパニ奏者が太鼓を雷のように鳴り響かせるたびに、
コントローラーが心臓麻痺を起しそうだった。
トスカニーニの歌うメロディは、
独奏楽器をかき消しそうだった。
ディスクの表面にピアニッシモは聞こえず、
フォルテッシモは、溝を跳び越すようだった。』
しかし、この時は、ずっと楽天的であって、
録音の決定で、いくつかサイドエンドの不備はあろうが、
EMIにとって初の快挙となると考えていた。」

例のランチの翌日、6月5日には、
このCDの二枚目に収められた、
ワーグナーの「ファウスト序曲」などが演奏されており、
この曲は特に、ガイスベルクの心臓が縮みそうな、
ダイナミックレンジで演奏されている。

「6月12日のジェミニアーニの合奏協奏曲だけは、
最初に録音機が正しいスピードにならず、
不完全なものとなった。
このCDで初めて、この不備を補正して発売する。」

このジェミニアーニ復活は、この時代特有の、
情念豊かなロマンティックなバロック音楽演奏で、
私としては非常にうれしい。

すこし、ぎくしゃく感のある開始部だが、
大きな問題はなく、陰影の豊かな、
感情の幅の激しい音楽となっていて、
入魂の演奏の証拠として、
トスカニーニの強烈な唸り声が持続する。

期待通りに、通奏低音部の迫力もすさまじい。
独奏弦楽器と合奏の質感の対比にも立体感がある。

同じ日の録音のロッシーニ、
「セミラーミデ序曲」も、恐ろしい音楽である。
ピッチカートや木管の歌による静かな部分と、
総奏による激烈な動機の対比に、
当時でなくとも、現代のスピーカーすら、
大破しそうなダイナミックレンジだからである。

この曲は、トスカニーニのお気に入りで、
翌4月には、ニューヨーク・フィルと再録音される。
が、ライブの熱気のせいか、
ニューヨーク盤の復刻の丸みのせいか、
これもベートーヴェン同様、
このCDに収められたものの方が勢いを感じる。

「トスカニーニに非公式の了解を得たHMVは、
演奏会の録音発売の許可をも模索したが、
トスカニーニがロンドン出発前に、
結果を聞いて見たいとまでは言ってくれたものの、
これには失敗した。
彼らは、
1936年のBBCとのコンサートで、
彼が戻って来る時を捉え、
最高の状態で、それらを聞いて貰える機会をおいてしか、
トスカニーニの了承はあり得ないと考えた。
1935年の終わりまで、
それゆえ、彼らは不完全な、
サイドエンドの補修などもしなかった。
それから、RCAとの交渉でトスカニーニは、
先のライブ録音についての考え方を変えたと知った。
彼は、録音を許可したことを悔やみ、
それを聴くことも断固、拒絶したのである。」

読んでいて、気の滅入る話ではないか。
トスカニーニの考え方に振り回され、
レコード会社はへろへろであったろう。
が、そんな中で、何とか録音が残って良かった。

しかも、ここに聞く録音は、
いずれも素晴らしい音質で、
ずずんと響く低音が少し足りないくらいで、
聴いていると、音楽に浸るばかりで、
まったく不満はない、と言って良い。

「1936年2月から4月に、
カーネギーホールで、
トスカニーニにニューヨーク・フィルと、
素晴らしい一連の録音をさせ、
RCAが成功したことによって、
HMVの地位はさらに下がった。
アーネスト・ニューマンの
HMV録音に対する意見があり、
『海』やブラームスの交響曲に対する、
批評家の賞賛があったにも関わらず、
1936年初めの
トスカニーニとHMVの折衝は、
マエストロの心を動かすに至らなかった。」

確かに、CDの4枚目に収められた「海」も、
素晴らしい感興に溢れた演奏で、
トスカニーニは、ずっと歌いっぱなしである。
こんなにも朗々と鳴らされるドビュッシーは貴重で、
何だか雰囲気だけでまとめられた演奏より、
遥かに聴き甲斐がある。
録音も優れている。

ちなみに、続いてモーツァルトの
「ハフナー」が収録されているが、
これも、非常にチャーミングで、
トスカニーニで連想される強引さはみじんもない。

というか、トスカニーニは、
音楽に酔いしれて機嫌よくハミングしている。
ずっとよく知られた、
RCAビクターの録音を聴いて、
トスカニーニが、こんな優しく、
愛でるように音を出す人だと、
想像できる人は少ないかもしれない。

ひょっとすると、
機能的すぎるアメリカの文化から離れ、
より情緒的な文化が残るヨーロッパの楽団を演奏して、
トスカニーニも、ようやく、
深呼吸が出来たのではないか。

あらえびすは、「名曲決定盤」で、
このオーケストラを指揮しての「田園」を評して、
「イギリスのオーケストラ
(B・B・C交響管弦楽団)を用いたことで
多少質の低下を免れなかった」などと書いたが、
むしろ、BBCの演奏の方がホールの残響もあるのか、
ずっと情緒的に聞こえる。

オーケストラはできたてで、
大指揮者の登場で、委縮しそうなものだが、
不思議な協調感の方が優先して感じられる。

「1936年5月、パリ滞在時に、
トスカニーニが要請し、
送られていたプレス盤に対する返答もなかった。
演奏会の録音発売の、
トスカニーニの同意を確実にする時間は、
HMVにはなくなってしまった。
彼らの運命は、
BBCとトスカニーニの当時のマネージャー
(カルラが主にそれを演じた)との折衝の失敗により、
彼は1936年のロンドン公演をキャンセルし、
HMVは、その録音を、
クラリッジホテルで、
ゆったりと聴いて貰う事をもはや諦めた。
最後に、パリにいたトスカニーニに、
ガイスベルクは特にブラームスの交響曲について、
ワンダ、ホロヴィッツ、トスカニーニの親友、
アドルフ・ブッシュの義理の息子ゼルキンの求めに応じて
再生した後で、
『あなたがこれを聴いたら、
非常に心を動かされることと思います。
私たちは全員一致でこのようなものはかつて聴いた事がなく、
素晴らしい成果だと口を揃えました。』
遅すぎた事であるが、
この沈黙の回答によって、
これらの演奏会の録音は半世紀も地下室に眠ることになった。」

このCD解説には、
「演奏、そのスタイルと重要さ」というパートが続いていて、
「ガイスベルクがブラームスについて書いた事は正しかった」
という言葉で始まっている。

つまり、ここで聴かれる「第4交響曲」は、
作曲家直伝のような、
フリッツ・シュタインバッハ(1855-1916)の
演奏に繋がるという論旨だ。

1909年9月にトスカニーニは、
この指揮者がミュンヘン・ブラームス祭で指揮するのを聴き、
「ブラームスは偉大だ。シュタインバッハは素晴らしい。」
と書いたというのである。

シュタインバッハのブラームスの特徴は、
柔軟なリズムと細部のニュアンスにあって、
これがトスカニーニに強い印象を残し、
何と、シュタインバッハが1911年に、
トリノに来た時には、
ブラームスの「第2」の下練習をしていて、
「何もすることがない、誰が練習を付けたのだ」
と言わせしめたというのである。

1924年6月、チューリッヒで、
スカラ座のオーケストラを振った際、
それを聴いたフルトヴェングラーと口論になって、
トスカニーニは、静かにこの逸話を語ったらしい。
トスカニーニが食いついて、
フルトヴェングラーがなだめそうだが、
この場合は違ったようだ。

このシュタインバッハの影響は、
この1930年代の録音に聞き取ることが出来、
その特徴は、持続する脈動の微妙な柔軟さにあるという。
特にアンダンテは、トスカニーニの後期のものと異なり、
この変動する脈動が、特別な性格を与えているという。

さて、このブラームスの「第4」は、
4枚組のCD1のTrack2以降に収録されているが、
これまた、トスカニーニの歌によって彩られた、
生々しくも共感豊かな名演奏である。

この録音は、かつて、1980年代末に、
EMIの「Great Recordings
of The Century」
のシリーズでも出ていたが、
これを聴いた時から、私は圧倒されている。

実は、私は、この曲で圧倒される事が多いので、
あまり当てにならないかもしれないが、
めったに実演でも感動できず、
私が新録音として聴くもので、
感動できたものは皆無であることは事実。
この曲ほど、過去の巨匠たちが偉大に見える曲はない。

最初にワルター/コロンビアで聴いた時の、
何とも言えない人生の寂寥感、
次に、フルトヴェングラーで聴いた時の、
感情を鷲掴みにするような情念の渦。

そして、このトスカニーニの輝かしく、
歌いぬかれ、柔軟に呼吸する音楽の、
仰ぎ見るような存在感は、
ブラームスの時代から続く、
リズムと細部の彫琢の見事さから来ていたのか、
と、今回の解説を読んで、
納得させられたような形である。

確かに、ブラームスというと、
北ドイツの霧の幻想を思わせるが、
ここでの演奏では、
心臓の鼓動を思わせるような、
鋭いパルス音の雄弁さによって、
ずっと明瞭な見通しの良さがあって、
そこに、胸を焦がすメロディが、
ためらいがちにこみ上げて来る。

第2楽章などは、鬼のような要求で知られる、
激烈な性格のトスカニーニも、
忘我の境地に陶然としながら、
ブラームスと心を通わせているようだ。

低音をたっぷりと響かせたバランスもまた、
胸にびりびりと迫るではないか。

第3楽章でも、鞭のようにしなるリズムは、
トスカニーニならではないかと思わせる。
いったい、どうやって、オーケストラに、
こんなフレージングを伝えたのだろうか。
まさしく神業にも思えてくる。

第4楽章で、聴くものを揺さぶるのは、
血しぶきが上がるようなティンパニの連打であろう。
メロディもぎりぎりまでに引き延ばされて絶叫する。

これには、ロンドンの聴衆も、くらくらになったに相違ない。
が、拍手は、ブラボーっとかならないのが不思議。
演奏のテンションに合っていないが、
圧倒されているのか、この人たちは。

いや、こんな演奏を聴いてしまうと、
NBC交響楽団との後年の演奏に、
手を伸ばす余裕などなくなってしまう。

なお、この曲の場合、EMIのCDも悪くない。
音が歪み、ちりちり音などがあるが、
小細工をしていない感じの、
割り切った迫力がある。
拍手なども、こちらの方が臨場感を感じた。

それにしても、トスカニーニの振る
BBC交響楽団の録音集について、
私は、かなり混乱していたかもしれない。

なぜなら、ブラームスの素晴らしい交響曲は、
先に書いたように、
すでにずっと前にEMIから発売されていたし、
特に、ベートーヴェンの「田園」などは、
戦前の「名曲決定盤」(あらえびす著)でも、
「最近に入ったベートーヴェンの『交響曲第六番』は、
実に見事な指揮である」と紹介されていたからである。

そうした流れから、1935年の録音も、
早くからレコード化されたものと思っていた。

ベートーヴェンの「田園」は、1935年ではなく、
2年後のスタジオ録音(やはりクイーンズ・ホールだが)
であった。

トスカニーニのBBC交響楽団との録音とは、
これらが入り混じっていたのであり、
1935年のものは、
ニューヨークでの「第5」同様、
お蔵入りになっていたわけだ。

さすが、硬骨漢トスカニーニは、
大西洋をまたいでも、一本、筋が通っていたようだ。
なお、EMIから出たBBCレコーディングは、
こうした事情を無視して、
いっしょくたにされていることが分かった。

さて、このWHRAの解説は、実は、まだまだある。
「The concerts」と書かれた章には、
トスカニーニが最初にロンドンに来たのは、
1930年のニューヨーク・フィルの
欧州ツアーの時であった事であった。
サンデー・タイムズのアーネスト・ニューマンなどは、
『英国の現代の音楽愛好家にとって、
記憶すべき素晴らしい1週間だった』などと評し、
熱狂的に迎えられたことなどが書かれている。
同じ年に、近代的なオーケストラとして、
BBC交響楽団が創設され、
ボールトの薫陶を受けて、
クーセヴィツキーを招聘するまでになる。

1934年にホロヴィッツを招いたのをきっかけに、
トスカニーニ招聘の動きが本格化し、
1935年6月のロンドン音楽祭に、
4つのコンサートと20回のリハーサル、
各コンサートごとに、
今日の価値で400万円という条件で
マエストロを招くことになった。

これだけの額が出せるのはBBCだけであった。
BBC交響楽団が委縮せずに、
巨匠と協調関係が築けたのも、
実は、背景にこの財力があったからであろうか。

1935年5月29日に、
68歳の指揮者が妻カルラと娘ワンダ、
その夫ホロヴィッツがイタリアから到着し、
クラリッジホテルに入った。
6月3日の演奏会は、
ブラームス「第4」、
ワーグナー「ジークフリート」、
エルガー「エニグマ変奏曲」だった。

ボールトは、オーケストラとトスカニーニの
初対面を記録していて、
トスカニーニは自然に接し、
ボールトが「最高の指揮者」だと紹介するのを遮り、
「ただ、誠実な音楽家なのです」と反論したという。
アルパカのジャケットで指揮台にあがると、
頭を垂れ、しばらく忘我の状態になり、
ブラームスのリハーサルはスムーズに終わった。

ふと、私は思ったのだが、
熱演のブラームスが、何故、
かくも簡単に終わったか、
そのあたりが不思議ではないか。

ひょっとしたら、前年に、
ワルターが、この楽団を使って、
同曲を録音したりしていたからかもしれない。
などと考えてしまった。

続いて、「エニグマ変奏曲」の練習になったが、
多くの楽団員に、大きな印象を残した。
「別世界の人」、「何かを吹き込み音楽を蘇らせる」、
「音楽の最高の祭司のようだった」などなど。

すぐに売り切れた最初の演奏会の後、
「もっとも稀有な最高の音楽体験」といった批評が集まり、
特にブラームスは、「直接的で雄弁、
バランスがとれエネルギーに満ちて美しく、
それでいて、人間的」とされ、ニキシュと比肩された。

2日後の2回目の演奏会では、
エルガーの代わりにワーグナーの「ファウスト序曲」、
「パルシファル」からが演奏され、
批評家は圧倒され、若いブリテンもそうだった。

6月12日と14日の演奏会は、
ドビュッシーの「海」とベートーヴェン「第7」がメインで、
12日にはジェミニアーニとロッシーニ、
14日にはモーツァルトとメンデルスゾーンが演奏された。
ドビュッシーとメンデルスゾーンは、
1930年にも聴かれたものだったが、
ベートーヴェンの「第7」はトリオの速さが注目され、
ニューマン以外は賛同し、一貫して説得力があるとした。

得られた事:「1935年、初めてBBCを振った時の、トスカニーニの演奏会のすべての曲目を収めた、どえらいCDである。」
「トスカニーニとBBC交響楽団のCDには、ニューヨークでは感じられなかった、深呼吸できるような伸びやかさがある。」
「トスカニーニのブラームスは、作曲家直伝とも言える、フリッツ・シュタインバッハの伝統を受け継ぐものであった。ここに聞く『第4』は素晴らしい。あるいは、前年にワルターが振っていたお蔭か。」
by franz310 | 2014-02-02 19:50 | 古典
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