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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その385

b0083728_22592547.jpg個人的経験:
今回聴くCDは、作曲家の夫人が、
解説を書いていることが興味深い。
「第3」の演奏は、繊細、流麗であるが、
気になる「第4」に関しては意義がある。
レナード・スラットキンといえば、
アメリカ近代の作品の
すぐれた紹介者であると共に、
名指揮者、名ヴァイオリニストの
両面で多くの名演を残した
フェリックス・スラットキンの
子息ということで、
優秀な血筋の人としても知られる。


そんな彼が英国のフィルハーモニア管弦楽団を指揮し、
1990年代に、RCAビクターに録音した、
ヴォーン=ウィリアムズのシリーズは、
当時、まだ珍しかったこの作曲家の交響曲を、
すべて録音したことでも記憶に残るものであった。

表紙デザインは、
いかにも、英国のジェントルマンの雰囲気で、
スーツ姿で、パイプまで加えた
ヴォーン=ウィリアムズの白黒写真を、
落ち着いた紫色でデコレーションしたものだ。

背景の煉瓦造りの家屋も当時というか、
その土地というか、いずれにせよ、
この作曲家の音楽の背景のようなものを感じさせて、
興味深く、ピンクで仕切られた、
文字のレイアウトなどもしゃれている。

が、肝心の作曲家の表情は、
怒っているのか笑っているのか、
澄ましているのかよく分からない。

この前聴いた、ハンドリーのCDでは、
解説に、多くの人々が感じたことが、
必ずしも、作曲家の意図とは
一致していなかった事が書かれていたが、
今回の解説も、ちょっと気をつけてかかりたい。

というのも、作曲家の夫人であった、
ウルズラ・ヴォーン=ウィリアムズ
(1911年3月15日-2007年10月23日)
が書いているからで、
おうおうにしてこうした身内の書いた文章は、
美化されたり、正確性を書いたり、
書いた本人の都合の良いように、
曲解されている場合が多いからである。

そして、何十年か経つと、
すべて権威的な事実になってしまうだろう。
例え、それがCDの付録のような文章であったにせよ。

ヴォーン=ウィリアムズは1872年の生まれである。
ウルズラは最初の妻が死別して結婚した2番目の妻だが、
(ウルズラも軍人と結婚していて死別した)
実に40歳近く年が離れている。
ここに収められた「第3交響曲」や「第4交響曲」
が書かれた1920年から30年代といえば、
彼女が子供であったり、作曲家と知り合う前であったりで、
何故、彼女の文章で、これらの作品を味わう必要があるのだろう、
と悩ましいではないか。

出だしの、『まさしく、戦時中の音楽さ』と、
ヴォーン=ウィリアムズの言葉が紹介される所から、
私は、「またか」という気持ちになる。

「『エコワブルで私は毎晩のように
救急車で高い丘に登った。
そこは、コローの絵のように素晴らしい
日没の眺望が見えるところだった。
みんなが想像するような、
子羊が跳ね回っていたわけではないのだが。
そんな時に、この音楽の大部分が出来たのだ。』
(1938年のUVWへの手紙から)
このような、あるいは、
夕景の中のラッパの思い出は、
負傷兵を集めて野戦病院に運ぶ、
救護兵として過ごした数か月について、
RVWが語ったすべてである。」

が、このCDは、戦争交響曲とされる、
「第4」だけでなく、「第3」も収録されていて、
この書き出しは、「第3」の解説に続いている。

「田園交響曲」として知られる、
「第3交響曲」の書き出しとしては、
意外にも思えるかもしれない。

なぜなら、この交響曲は1921年に完成されており、
第1次大戦から数年以上経過しているからである。

それにしても、自分に来た手紙、
しかも、作曲されてから17年も経った時点での
どのような文脈で出て来たかも分からない1節を、
出してくるところなどが、
私には、どうも、不信感を抱かせるたりもする。

「彼はもう42歳になっていたが、
戦争が勃発するとすぐ、
王立陸軍医療隊の志願兵として入隊し、
隊の誰よりも年配だった。
英国での訓練の後、
彼はフランスやトルコのガリポリ半島に派遣され、
王立駐屯砲兵隊に入り、
再び、フランスに送られた。
休戦の後、彼は第1英国派遣陸軍の音楽監督となり、
1919年初頭に復員し英国に帰るまでその職にあった。
彼の創作生活のうち、このような長い中断の後、
戦時中に殺されたたくさんの友人を失って、
RVWは、どうやって仕事に復帰して良いか分からず、
自身の創作が、こんなにも長い間抑圧されて、
生き延びられるかも分からずにいた。」

なるほど、戦争が終わったからと言って、
ほいほい作曲が出来たり、演奏が出来たりするわけではない。
このあたりの事情、私には想像力が欠けていた。

伸びやかで幻想的な「第3交響曲」も、
ささっと書けたわけではなかったのである。
さすが、身内の人が書く内容は違う、
といつしか術中にはまっている。

「幸いな事に戦前に書いた作品に
改訂が必要であることを彼は発見し、
それで創作生活のパターンを取り戻すことが出来た。
彼の古くからの友人、ホフ・アレンが、
王立音楽院の院長の座をスタンフォードから引き継ぎ、
生き生きとした才能ある若い世代や、
出征していていくぶん年配のパトリック・ハドレーや、
イゴール・ガーネイを教えるために、
RVWを作曲科の教師に招いてくれた。」

この記述も教えられる。
やはり、それなりの環境が整わないと、
85歳まで交響曲を書いていたRVWのような大家ですら、
作曲をすることはできなかったのである。

「彼は『田園交響曲』を。除隊後、2年で書いた。
1921年6月に完成され、
初演時の彼のプログラム・ノートは、
『この交響曲のムードは、タイトルが示すように、
二、三のフォイルテッシモ、いくつかのアレグロしかなく、
ほとんど全体的に静かで瞑想的である。
本当に早いパッセージは、
第3楽章のコーダにしかないが、
それもすべてピアニッシモである。
形式の上では、古典的なものに則っており、
4つの楽章からなる。』」

この交響曲は、日本では、非常に愛好されているが、
私も、RVWの交響曲で最初に聞き入ったのは、
この曲であった。
確かに全編が静かでなだらかな作品なので、
第3楽章のリズミックな音楽が、
なくても良いと思ったくらいであった。

最初に、スラットキンの演奏に文句を書いておいて何だが、
この第3楽章は、抑制が聴いた表現で悪くない。

この交響曲、長すぎず、うるさすぎず、
LPでも再生がしやすかったが、
この楽章の金管の咆哮だけは、
ダイナミックレンジぎりぎりの感じがした。

スラットキンの演奏は、
アメリカ出身の指揮者ということから連想される、
飛び跳ね系の表現ではないことが好ましい。

この一般的には、ここぞと張り切って、
オーケストラのヴォルテージを全開にする、
やかましい(やかましくなりがちな)第3楽章も、
重心を低くして、根を張ったような曲作りで、
落ち着いて聴ける。

「田園交響曲」第1楽章から、
ヴァイオリン独奏(ホフ・ビーン)の、
いくぶん、線が細いながら美音が線を紡ぐところからして、
繊細、美麗な曲作りで嬉しい。

ちょっと言い過ぎかもしれないが、
名弦楽四重奏団を率いていた父の影響か、
室内楽的な側面を生かした演奏で、
独奏楽器が浮かんでは消えるのに聞き入ってしまう。

刻々と変わる陰影も良く、
盛り上がりにも嫌みがない。

今回、この解説を読んで聴き直し、
第3楽章のコーダが、
軽く跳ね回る妖精のような音楽であることを、
改めて確認した。

「緩徐楽章の長いトランペットのカデンツァは、
戦場に夕陽が近づいた頃、
ラッパを吹き鳴らした記憶である。」

このような断定的な表現が許されるのも、
作曲家の夫人ならではの特権かもしれない。

第2楽章は、しかし、最初はホルンの独奏で始まる。
この楽章などは、もの悲しさをたたえて、
墨絵のような風情であるが、
何となく、葬送の歩みにも思え、
確かに、戦場の夕暮れと言われても納得するしかない。

私は、ずっと、雲が流れていくような音楽だと思っていたが、
作曲家は、上を見ていたというより、
丘から、下を見下ろしていたのだろうか。

9分の曲のちょうどど真ん中くらいに、
この兵隊さんのトランペットは、
空しく戦場に響き渡る。

マーク・デイヴィッドという人の名前が出ている。
ホルンはナイジェル・ブラックである。

「終楽章のソプラノ独唱は、
『遠い昔の不幸な事、昔々の戦争』の木霊に聞こえる。」

この部分は、「seems」とあるので、
さすがの夫人も、作曲家から、
正確な言質を取れなかったものと思える。
しかし、私は、今の今まで、この終楽章が、
戦争の木霊と考えたことはなかった。

夫人は、さらにそれを強調しているから、
なるほど、そうした鎮魂の音楽だろうか、
などと思えてくるのだが。

「RVWのたくさんの友人や同僚の音楽家が亡くなった、
フランスの戦場は、さらに、クレシーやアジャンクールがある。
多くの作曲家たちが、経験や想像力、感情によって音楽を書いたが、
それを思うたびに、メンデルスゾーンの言葉、
『音楽は言葉より正確な言語である』が思い出される。
いかなる言葉による注釈を越えて。」

この解説、意外に節度をわきまえて、
最後は、音楽が語るに任せている。
が、第2楽章で、作曲家は下を見下ろしていたのか、
夕陽のあたりの雲の流れを見ていたのか、
どちらかも分からないのが、
音楽の限界でもあろう。

が、さんざん、語った挙句なので、
負け惜しみのようにも言い訳のようにも思え、
出しゃばりか、控えめか分からない。

この女性は、単に作曲家の結婚相手で秘書だっただけでなく、
詩人でもあったというから、一筋縄ではいかないのである。

このスラットキンの演奏では、
ソプラノ独唱は、何と、スラットキンのおひざ元、
セントルイスのパウエル・ホールで、
1991年11月14日に別個に録音されており、
交響曲本体は、同年6月7日、8日、
または、11月29日に、
英国のワットフォード・タウン・ホールで録音されている。
オーケストラが声楽なしで演奏し、
その後、声を重ねたのであろうか。
その方が簡単そうだし。

この終楽章もきわめて好感が持てる曲作りで、
楽器の分離がよい、遠近感のある録音が嬉しい。
ソプラノ独唱も、別録音とは思えないほど、
自然に響いてくる。

録音時、オーケストラには、
この声が聞こえなかったのだとしたら、
ちょっとかわいそうな感じもする。

このCDの冒頭には、
「グリーンスリーヴズの主題による幻想曲」
が入っているが、今回は、この曲はパス。

早く、謎の、「第4」について読みたい。

「交響曲第4番は、RVWの他の8曲の交響曲より、
より思索的な主題の作品である」と書き出され、
単純に、この曲は、第二次大戦の予告である、
などと書いてない所が、まずは安心。

「エイドリアン・ボールトが、
BBC交響楽団を指揮した、
クイーンズ・ホールでの初演は、
1935年4月10日だった。
この後、彼は、作曲家に、
『あなたがこの交響曲に感じたものは、
すべて表現できたと思います。
もし、演奏にインスピレーションがあったとしたら、
作品の中にそれがあったのです』。
この作品を献呈されたアーノルド・バックスを含め、
多くの音楽家がコンサートに居合わせ、
喝采は長引き、興奮が続いた。
しかし、批評家たちは、一般聴衆と同様、
その意見を2つに分けた。」

何だか、音楽家と聴衆を分けた点がいやらしい。
その道に通じた人には分かったようだが、
それ以外は、分かってなかった、
と言われているようでもある。

「あるものは、民謡の世界や、
『ひばりは舞い上がる』の世界からの、
危険な旅立ちだと考え、
他のものは、『Job』(オーケストラ版初演は1930年)や、
ピアノ協奏曲(1933年)の発展と見た。」

確かに私も、前者に入っていた事は事実なので、
こういった書かれ方をされて不愉快なのである。

「この作品は、情熱、興奮、強さを特徴とする作品であり、
フーガのエピローグは、感情の振れ幅の全域を、
荘重な高貴さと共に描いている。」

前半は肯けるが、後半は、いきなり終楽章の話に飛んで、
いささか不自然である。
しかし、「戦争交響曲」とは書いていないのでありがたい。
むしろ、感情世界の産物だと、
夫人も認めていたようだ。

「問題は、音楽が頑固に主張する『意味』であるが、
作曲家は、コンサートの予告に、
それは戦争、または、深い個人的な衝突、
あるいは、批評家が思い描いたであろう何であれ、
書かれていることに苛立ちを見せていた。」

「戦争交響曲」のレッテルはないが、
他の解釈もすべて否定して、
まったく取りつく島のない解説になって来た。

そして、以下の文章になると、
怒りが込み上げてくるばかりである。
個人的な創造活動に、他人が土足で踏み込むな、
ということであろうか。
芸術家のおごり高ぶりが感じられる一節である。

「いかなる者も、多くの心と精神を縫い合わせ、
技術的表現に至る多くの糸、
リハーサルで他の人の耳に入る前に、
彼だけが知っていた音を
議論されたくはない。
この交響曲に対する彼のコメントは、
『私はそれが好きか知らないが、
それは私が意図したことである』だった。」
この最後の言葉は、いつも、この曲をはぐらかすための、
名文句となった。
夫婦して、この印籠が目に入らぬか、
といった感じである。

そして、この女性は、いかにも、
一心不乱に、何かを隠ぺいしようとしている風に思える。

「戦争の脅威にヨーロッパが陰った時期に書かれ、
大学生のように歴史書を読み漁った男によって書かれた、
こまごまとした事ではなく、
事実、言葉にするには正確にすぎ、
俗世界の限界や言葉の単純さを超えた、
強い意志の証しなのである。」

戦争ではない、と書いておきながら、
戦争の予感の中、歴史書を読み漁った、
と書いてあるのが滑稽でもある。

それなら、やはり、戦争交響曲ではないか。
そもそも、歴史書を読み漁っていた、
と言われる時代、彼女はまだ、
作曲家と出会っていない。
誰から聞いたのか、その出典の明示がない。
「私に送った手紙による」といった、
必殺技も出てこない。

それにしても、このような問答無用の、
激しい言葉を連ねた終わり方の解説は、
実に異常としか言いようがない。
私は、ますます、この「第4交響曲」が気になって来た。

ウルズラ・ヴォーン=ウィリアムズ(1993)とあるが、
この96歳まで生きたスーパー婆様が、
82歳で書いた文章ということか。

ここまで読んで、最初に私が、このCDの演奏は、
「第3」は良いが、「第4」はどうも、
と書かざるを得なかったのにも、
理由があるような気がしてきた。

ウルズラ女史の解説が載っている以上、
彼女は、この演奏を聴く立場にあったはずだ。
こんな人が、解説は書くけど、
演奏には興味ないわ、などと言うとは到底思えない。

この演奏は、ヴォーン=ウィリアムズ夫人の
息がかかった演奏と考えて差し支えないだろう。

第3交響曲が、比較的、丁寧、繊細な表現なのに対し、
第4交響曲、特に第1楽章は、
いかにも、快速で飛ばして、即物的。
隠ぺいに一役買って、ごまかそうとしているように思えるのは、
この解説の印象そのままである。

第3交響曲は、1と1/3ページ費やされているのに対し、
第4交響曲は、2/3ページほどの記述しかない。
そもそも、4つの楽章のうち、
名指しされたのは終楽章だけ。

また、そう考えると、「第3交響曲」が、懐かしくも美麗なのは、
これまた、夫人のこだわりそのままのようにも思えてくるではないか。

第2楽章は、一転して、思わせぶりなほど、
荘重な表現で、他の演奏で感じる女々しさがまるでない。
ショスタコーヴィチの音楽に通じるような無力感は、
おそらく、夫人の好むところではない。

「強い意志の証し」と書き飛ばしたが、
「it is a personal statement of great strength」
とあるから、
「お前らとは違う、すごく強い男の、
あんたらレベルには分からない
(分からなくて良い)個人的表明」
と書いているようにも思える。

この悩ましい音楽を、スラットキンは、
よくもここまで、思索的な音楽に鍛えなおす事が出来たものだ。

第3楽章は、「君の嫌な面が出ているね」と、
作曲家の友人が語った音楽だが、
ここでも、アメリカの摩天楼の下を行きかう、
目まぐるしいトラフィックのようにさばいている。

第4楽章は、夫人が唯一、言及した楽章で、
「感情の起伏」と「荘重な高貴さ」がキーワードである。
確かに、卑小なおどおどしたメロディが出てきて、
それが、自信たっぷりの
冒頭のファンファーレ風の楽想や、
コラール風の強奏と対比されるが、
その意味ではすごい起伏のある音楽である。

ファンファーレ風は、まさしく荘重に演奏され、
ちょいこまかする部分は、比較的スマートに、
あっさり表現されているので、
「荘重な高貴さ」が際立った表現となっている。

さすが名家の2代目スラットキン、
世渡りがうまい、と書いたら書き過ぎだろうか。
私の持つ、この曲のイメージから飛躍して、
スマートでスポーティなモニュメントを築き上げている。

もちろん、夫人の言うことが正しいのかもしれないが、
あまり素直になれないのは、
私の思い込みが激しすぎるからだろう。

得られた事:「この曲は、あんたらは分からんでも良い、と問答無用の名解説。」
「作曲家の未亡人がからんだCDでは、夫人の思惑に沿った解釈になりそうで、何らかのバイアスを感じる。」
by franz310 | 2013-07-20 23:01 | 現・近代
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