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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その383

b0083728_141830100.jpg個人的経験:
亡くなる5年前、
1965年のバルビローリが振った
マーラーの第2交響曲「復活」は、
その前年の有名なスタジオ録音、
マーラーの「第9」などより、
遥かに燃焼度の高い演奏であった。
オーケストラは同じベルリン・フィル。
そもそも気迫とか、
曲に迫る鬼気迫る雰囲気や、
めりはりのようなものがまるで違う。
では、同様に、表紙写真がかっこいい、
ライブでのブラームスはどうなのだ。


実は、私が生まれて初めて、
ブラームスの「第2」を聴いたのは、
東芝EMIから出ていた、
廉価盤シリーズにあった、
ウィーン・フィルの演奏のものであった。
もちろん、指揮はバルビローリである。

が、この有名なオーケストラを振った演奏は、
まったく私には合っていなかったようで、
ブラームスの交響曲の中で、私が、この曲を、
最低ランクに評価していた時代は長かった。

その後、私は、ブラームスの「第2」を、
日本のオーケストラの実演で聴いて感銘を受け、
バルビローリって駄目だったのだな、
と痛感させられたのであった。

この発見はショックだった。
なぜなら、バルビローリのエルガーやディーリアスは、
私の記憶に刻印された名レコードだったからで、
また、バルビローリ、ウィーン・フィルのブラームス全集は、
泣ける演奏として、多くの人に語られて来た、
いわゆる「決定盤」の一つだったからである。

その後も、この演奏は高い評価がなされ、
音楽之友社のONTOMO MOOK、
クラシック不滅の名盤800
「20世紀を感動させた21世紀への遺産800タイトル」
にも取り上げられている。

ベルリン・フィルを感動させて録音した、
とされて、これまた、巷では評価の高い
マーラーの「第9」も同様の印象で、
(これも先のMOOKで取り上げられている)
作品の本質にむしゃぶりつくような表現が見当たらず、
えぐるような情感に不足する。

したがって、このバイエルンの演奏を集めた、
オルフェオのライブ・シリーズが20年前に出た時、
ケンペやクーベリックは聞きたいと思ったが、
バルビローリは聞きたいと思わなかった。

それは、何と言っても、
因縁のブラームスの「第2」が、
バーンとメインに据えられていたからである。

しかし、改めてこのCDを手に取ってみると、
1970年4月10日の収録と、
まさしくバルビローリの亡くなる3か月ほど前の演奏で、
しかも、マーラーのCDとは違って、
ステレオ録音とされている。

マーラーのドラマティックなライブを聴いた後、
あるいは、ライブのバルビローリは違うのではないか、
という期待が頭をもたげた。

私は、わくわくしながら、これを入手、
期待の中で、この演奏を聴き始めた。

解説のゴットフリート・クラウスも、
「20世紀の偉大な指揮者の中で、
イギリス人のサー・ジョン・バルビローリは、
与えられるべき評価に対して、
名声を得るのが比較的遅かった」
と書いているから、晩年になっての客演は、
さぞかし、期待の中で執り行われたのであろう、
と推察した。

Track1.
第1楽章:
冒頭の序奏の深々とした低音も、
スタジオ録音では感じられなかったもので、
続く主題ののびのびとした広がりも素晴らしい。
第2主題の楽器の受け渡しの分離なども、
かつて聞いたウィーン・フィルとの録音より美しい。

また、刻印していくようなリズムが特徴的で、
平明になりがちな作品に劇的なスパイスを与えている。
中間部の寂寥感も空気の香りを伝えるようだ。

展開部は遅く、先のリズムががりがり来て面白い。
とにかく、この曲には、豊かな広がりがないと、
まるで意味がないと思うのである。

第1交響曲の緊張からの解放、
「第1」で、ベートーヴェンを意識したブラームスは、
この「第2」では、シューベルトの傑作、
「大ハ長調」の広がりを意識していたとも言われる。

解説には、むしろ、ベートーヴェンが取り上げられているが。

「ヨハネス・ブラームスの『第2交響曲』は、
しばしばベートーヴェンの『田園』と関連付けて語られ、
『第1』のドラマティックな構成と比べ、
その牧歌的な性格と明るさが強調される。」

また、もう一つのこの曲の性格は、
第1楽章でも、田園に雲が流れるように、
時折、深い憂愁の影が差すのも事実。

「しかし、1877年に出版社に語った、
『スコアには暗い歎きが見え、
あまりに憂鬱にも思えるでしょう。』
このセンテンスは、主に、皮肉と見られ、
意識的に誤解を招くコメントと考えられてきた。
しかし、ブラームスのすべての音楽の、
暗い側面を言い当てている。」

バルビローリは、このあたりの表現も、
一面的ではなく、多層的な表現で聞かせる。
寂しげな木管の色彩に、明るい弦楽が交錯し、
コーダの何とも言えぬ、胸につかえたような
ホルンの呼び声の憧れとも諦観とも取れるため息の美しさ。

私は、この部分の情感を無視した演奏を聴きたくはない。
が、このCDでは、期待は十分に満たされる。
ウィーン・フィルとのスタジオ録音がどうだったか忘れてしまった。

Track2.
第2楽章:
この楽章の最初の重苦しい感じだけを取り上げれば、
「あまりにメランコリック」と自虐気味に書いた、
ブラームスの言葉は、まさしくその通りに思える。

青空は見えそうで見えない。
暗い雲は動きそうで動かない。
が、しかし、壮大な地平線の眺望には、
胸に迫る広がりが感じられる。

バルビローリの指揮は、小さな楽句ひとつひとつの、
躊躇いがちな表情を大事にしたもので、
めまぐるしくテンポも陰影も変化して、
耳を澄ますほどに、引き込まれるような音楽である。

長く長く引き伸ばされた歌もあり、
強烈にパンチの効いた慟哭あり、
この指揮者がマーラーの「第9」を得意にしていた事を思い出す。

バイエルン放送交響楽団の、応答性のよい機能性や、
バランスの良い色彩感が、バルビローリの思惑を、
適確に表現しているものと見た。

Track3.
第3楽章:
解説には、
「第3楽章は舞曲風の優しい形式をとっているが、
緩徐楽章の劇的展開が表面に現れたものだ」とある。
このシリーズの解説は、
指揮者の特徴とその聴きどころなどお構いなしのものが多いが、
これもそうである。

第3楽章をバルビローリがどう解釈したかなどはお構いなし。
単に、この楽章のリズミックな点と、
第2楽章との対比を書いただけだ。

が、第2楽章はなだらかではあるが、
充分に劇的だと思う。

この第3楽章は、かなり力技で聞かせる部分で、
舞曲ながら野暮になってはならないが、
バルビローリは、リズミックな部分と、
なだらかな部分の対比をたっぷりと取って、
ノーブルな味わい、というか、
やはり、多面性を生かしている。
ポルタメント風な処理も交え、
感情たっぷりである。

Track4.
第4楽章:
解説には、下記のようにあるが、
これでは、まるで、これまでの陰影豊かな、
抒情と侘しさの入り混じったような、
愛おしい音楽を否定しているような感じがしないか。

「最初の2つの楽章の、
柔らかく消えるような終わり方の鋭い対比が、
フィナーレとなっている。
それはしかし、節度を持って始まり、
突如として威勢のいい快活な、万全の輝きに移行する。
まるで、これまでの素材は、
この効果のためのようでもある。」

この「効果のためのよう」かもしれないが、
それだけではない。
バルビローリは、この威勢の良い楽章も、
単に突進したりはしていない。

さすが、バイエルンのオーケストラ、
金管を鮮やかに、しかも清潔に強奏させ、
推進力のある歓喜はあるが、
沈潜するような部分の表情をおろそかにしていない。
停滞寸前の内省的とも言える対位法進行には、
バルビローリの激しい身振りが垣間見えるようである。

この陽とも陰とも言えぬ複雑な自問自答を、
バルビローリは、実に大切に、割れ物を扱うように、
きめ細かくドライブして行く。

弦楽の刻み、ティンパニのさく裂、金管の興奮など、
実演ならではの生々しさがあって、
古いながらも、それを十分に捉えた録音が嬉しい。
音に広がりとジューシーな豊かさが感じられれば、
多少のデッドさはやむをえまい。

コーダも、節度を持ってコントロールされており、
オーケストラのためのショーピースとなることが防がれているが、
最後の音を引き延ばす長さの長いこと。
サー・ジョンは、この瞬間だけは、すべての音を、
これまでの入念なコントロールから解放してやったかのようである。

我々の心も、びゅーんと遠くに飛んでいきそうな、
聴いたこともない引き伸ばしに、
あるいは、オーケストラも、この指揮者とのひと時を、
終わらせたくない、といった意識があったのではないか、
などと考えてしまった。

ずっと聴かずにいたが、聴いてよかった名演奏であった。

では、バルビローリについて書かれた、
このCDの解説を読んで見よう。

「フランス人の母親と、
イタリア生まれの英国の音楽家の父親の息子、
1899年ロンドンに生まれた、
ジョバンニ・バティスタ・バルビローリは、
11歳の時、チェロの神童として世に出た。
バルビローリは、様々なオーケストラのチェロ奏者として
プロフェッショナルのキャリアをはじめ、
1925年に室内管弦楽団を創設、
後に、イングランドやスコットランドの
様々なオーケストラを指揮した。
1937年、ニューヨーク・フィルが、
彼をトスカニーニの後継者として選んだ。」

このあたり、多くのファンが知っていることが書かれているだけ。
が、確かに、ニューヨーク・フィルが、
どうして、こんな若造を選んだのか、
実は気になってきているのだが、
この解説には、その辺の事を期待してはならない。

「しかし、バルビローリは、特に、
マンチェスターのハレ管弦楽団の首席指揮者として、
その世界的名声を高めたことで知られる。
バルビローリは1968年までマンチェスターにいたが、
当時のレコードは、いまだ、
コレクターに高く評価されている。
1949年にナイトに叙され、
彼は1970年に亡くなったが、
晩年はたびたびゲストとして、
大陸の有名なオーケストラを指揮した。
ウィーン・フィルとはブラームスとマーラーの
スタジオ・レコーディングを残し、
ベルリンでは、熱狂的に迎えられた。」

マーラーのスタジオ・レコーディングは、
ベルリンの間違いであろう。

極めて客観的な事実が述べられているが、
この演奏が、だからどうなのか、
が購入者の知りたいところではある。

とはいえ、最後の2行は、
あまり知られていないことであろう。

「バイエルン放送交響楽団には2回招かれ、
モーツァルトやブラームスの他、
郷土の音楽家ウォルトンやヴォーン=ウィリアムズの
作品を演奏した。」

ここでは、ブラームスの2番の他、
ヴォーン=ウィリアムズの「第6」が収録されているので、
もう一つの演奏会は、モーツァルトとウォルトンだったのだろう。

ウォルトンと言えば、乾いた音楽を書く感じがあり、
しっとり系のバルビローリが録音したとは、
にわかには信じられない感じもする。

一方、バルビローリには、
モーツァルトについては、いくつかCDがある。

このCDの後半には、ヴォーン=ウィリアムズの、
「第6交響曲」が収録されているが、
この演奏は、私には、少々、違和感が残った。

田園情緒の感じられる「第5」と異なり、
この「第6」は、ベートーヴェンを逆にしたように、
緊張感漂う交響曲である。
一説によると、戦時下にあって書かれた、
戦争交響曲だという。
が、このCDの解説では、それを否定するような内容である。

「1872年英国に生まれた、
ラルフ・ヴォーン=ウィリアムズの4曲の交響曲には、
表題的な副題があり、『海の交響曲』、『ロンドン交響曲』、
『田園交響曲』、『南極交響曲』とされる。
1944年から47年に作曲された、
彼の6つめの交響曲は、
しかし、戦争交響曲でもなく、
終楽章が核戦争後の世界のヴィジョンを、
表しているわけでもない。」

と書かれていて、
「a war symphony」ではない、
と、どういう根拠からか断言されているのである。

「1956年に作曲家は、『簡素なピアニッシモ』が、
シェークスピアの『テンペスト』からの、
プロスペローの有名な言葉、
『我々は夢と同じようなものでできていて、
ちっぽけな人生は、夢の中のことなのだ。』
を使った。
事実、これは、この瞑想的な終曲に対するコメントで、
絶対的静寂に導き、
作品は、劇的で、すべての楽章が虹色で彩られている。」

根拠が、作曲されて10年も経ったときの、
作曲家の、このコメントだとしたら、
いささか心もとない。

「戦争交響曲」が夢のように終わっても、
別に矛盾はないからである。
そもそも、この演奏は、重苦しく、
解説の内容と一致していない感じもする。

Track5.アレグロ:
「第1楽章はジャズを暗示して、
両端のセクションの強調と対比される。」

ものすごく、力瘤の入った、
怒りに満ちた序奏から、
恐ろしい感情表現だと思う。

ドイツのオーケストラだからであろうか、
プレヴィンなどの演奏で聴くと、
管弦楽のための協奏曲のような、
愉悦的な雰囲気や、軽快な推進力さえあるものが、
リズムもぎくしゃくとして、
曲想の晦渋さを増幅している。

途中で現れる、田園情緒を感じさせる、
なだらかな主題も、閉塞感を感じさせるのはなぜだ。
ティンパニの連打もおどろおどろしく、
多彩な管弦楽を操りながら、
ものすごくモノクロームの表現である。
リズムが粘るので、ものすごく長い曲に聞こえる。

最後に流れ出す美しい田園情緒を、
冒頭の破壊的な主題が容赦なく押しつぶす様は、
戦争交響曲的としか言いようがない。

Track6.モデラート:
このあたりになって来ると、
不安をかきたてる執拗なリズムが、
なんとなく、ショスタコーヴィチみたいな感じ。
それが、やはり「戦争交響曲」というニックネームを想起させる。

バルビローリの指揮は、本場モノのはずだが、
やたら黒々と渦巻いて、
日本人が妄想するエルガーやディーリアスの世界から遠く、
まるでイギリス的に聞こえない。

しかも、まったく流れない停滞する音楽で、
バルトークの「弦楽器と打楽器とチェレスタの音楽」みたいだ。
くどいようだが、プレヴィンの振るこの曲とは、
まるで別の音楽である。
この曲から、生々しい作曲家の肉声を伝えるのは、
ひょっとすると、バルビローリの方かもしれないが。

シンバルが打ち鳴らされるクレッシェンドも、
やたら興奮していて、ど迫力であろうが、
おそらく9割がた、初めてこの曲を聴いたであろう、
ミュンヘンの聴衆は、さぞかし途方にくれたことであろう。

Track7.スケルツォ、アレグロ・ヴィヴァーチェ。
「飛び跳ねるようなリズムの第3楽章は、
軽音楽の影響があり、サクソフォンのソロがある。」

ようやく、前に進み始めたような、
リズム感に満ちた音楽であるが、
縦横というか、ななめ左右にというか、
様々な楽器が錯綜して、極めて息苦しい。

これがまた、ショスタコーヴィチ的と書けば、
あまりにボキャブラリーが乏しいだろうか。

粋なサクソフォン独奏が出るが、
日本のお祭りのような大騒ぎがかき消して行き、
破れかぶれのようでもある。
バルビローリの指揮は、各楽器を興奮させすぎで、
すべての音に思い入れが籠るが、
確かに、これでは命を縮めそうな感じ。

この曲を良く知った人が、
これを目の前で奏でられるのを聴いたなら、
感極まるかもしれない。

もし、続く終曲が核戦争の後の光景だとしたら、
この楽章では、原子爆弾が落ちていることになる。

Track8.エピローグ、モデラート。
「一つのテーマをひたすら変容させる終曲は、
これに対する完全なアンチテーゼで、
人生の戦いの音楽で描かれたものは、
静かなあきらめで終わる。」

この楽章も、ショスタコーヴィチの「戦争交響曲」、
「第8」のような音楽のようである。

沈鬱な音楽。
廃墟のような空白感、虚脱感。
何と、この楽章が一番長い。
延々と、きゅるきゅると鳴らされる静かな弦楽の上を、
モノローグのような楽器のソロが浮かんでは消える。
が、意外にも、この楽章が一番、すんなりと通り過ぎる。

一切は夢であった、というには、
あまりにも重苦しい音楽である。

この楽章が、消えるように終わった時、
いったい、聴衆はどんな反応をしたのだろうか。
残念ながら、拍手までは収められていない。

得られた事:「バルビローリのブラームスもまた、ライブで聴くべし。」
「妄想。バルビローリは日本公演を前に、被爆国に思いを馳せ、同様の敗戦国であったドイツにて痛ましさを追体験した・・のかもしれない。」
by franz310 | 2013-06-29 14:18 | 現・近代
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