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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その381

b0083728_1641329.jpg個人的経験:
エルガーのオーケストラ歌曲、
「海の絵」を聴いて、
同様の題名を持つ
ショーソンの傑作を、
同じベイカーの歌唱で
聴きたくなった。
1965年録音のエルガーは、
若い頃(32歳)のスタジオ録音で、
少々、硬い感じがあったが、
この75年のライブはどうか。
エルガーこそ収録されていないが、
うまい具合に、このCD、
こんな風に解説が始まっている。


「BBCのアーカイブからの録音シリーズは、
メジャー・アーティストの例外的な演奏を多く発掘してきたが、
とりわけ重要なのは、ジャネット・ベイカーのもので、
彼女がスタジオ録音よりも、
ライブでとりわけ発信力のある歌手だったということを、
確信させるものである。」

これは、ここにあるとおり、
イギリス放送協会BBCが、
恐らく、放送に使った昔の音源を発掘して、
20ビット・リマスタリングでCD化した、
BBCレジェンド・シリーズの1枚で、
伴奏が、英国人でもなく、かといって、
ショーソンと同じフランス人でもない、
ロシアの巨匠、スヴェトラーノフが、
「愛と海の詩」を振ったことでも話題になったもの。

オーケストラは、ロンドン交響楽団で、
バルビローリが「海の絵」を振った時と、
同じオーケストラである。

なお、このCD、ジャネット・ベイカーの
スナップ・ショット的な写真も、
好感が持てるものである。

紫を基調にして、微妙な色合いが上品だが、
この色調は、「夏の夜」的ではあっても、
「愛と海の詩」的ではないような気がする。

シューベルトの時代のサロンとは異なり、
19世紀後半の後期ロマン派の作曲家たちは、
コンサートを前提として、
伴奏をオーケストラにして歌曲を書いたが、
私は、この「愛と海の歌」あたりが、
一番の傑作ではないかと思っている。

このCD、かなりお買い得感があり、
ベルリオーズの歌曲集、「夏の夜」とか、
シェーンベルクの「グレの歌」から、
「森鳩の歌」なども収録されている。
収録時間が75分もある。

驚いた事に、この「夏の夜」の録音は、
伴奏がジュリーニ指揮のロンドン・フィルなのに、
ショーソンと同じ1975年、
いちおう一か月ずれて4月と5月にだが、
同じロイヤル・フェスティバル・ホールで行われており、
当然、どちらもベイカーが歌っている。

これら大曲を一か月の間をあけただけで、
ロンドンの聴衆にお披露目するとは、
彼女はすごい人気者だったということか。

その時、ロンドンにいて、
どちらかを選べと言われたら、
どっちを聴くだろう、
そんなわくわく感を、
この事実だけから感じてしまうではないか。

2001年にAlan Blythという人が書いた
解説を見てみると、最初にベルリオーズが語られている。

「このディスクでは、主に、
彼女のフランスのレパートリーを収めている。
これらは、彼女のリサイタルや録音での、
ドイツ歌曲、英国歌曲が重要視されるのに対し、
時に忘れられているもので、
彼女は、すぐれたフランス歌曲、
フランス・オペラの解釈者なのである。
事実、それらのうち、うまい具合に、
スコティッシュ・オペラや、
コヴェントガーデンでの「トロイ人」における、
忘れがたい彼女のディドを、
聴くことが出来た幸せな人が証言するように、
彼女のベルリオーズの歌唱は別格であった。
ここに書いたように、
それは、音楽を手中にする完全な献身や、
歎きから喜びの間に、
瞬間的にムードを変えられる天性の技術を示している。
これらの才能を証明するものに、
ベルリオーズが同時代人、
ゴーティエの6つの愛の詩を作曲した、
歌曲集『夏の夜』をおいて他にない。」

このように、ベイカーのベルリオーズとの
親近性から、解説が始まっている。

ショーソンを聴く前に、
このベルリオーズを聴くことに、
私は、まったく違和感を感じない。

むしろ、エルガーの「海の絵」に近いのは、
こちらであり、各曲は独立していて、
しかも、「入り江」や「島」が出てきて、
海を感じさせる曲集であることでも類似性がある。

しかも、歌われているのは、
「海」ではなく「愛」である。

ゴーティエは、1811年生まれだから、
シューベルトなどより若いばかりか、
ベルリオーズよりも若い。

エルガーが、時代遅れの詩を選んだと揶揄されるのに対し、
または、シューベルトが、音楽の可能性を広げるために、
意識して前衛的な詩を選ぶようになったのに対し、
ベルリオーズは作品7にして、
自分より若い詩人を選んでいる。

とはいえ、1803年生まれのベルリオーズは、
これらの歌曲を、
1834年くらいから作曲を始めたというから、
シューベルトが同時代人ハイネの詩に
作曲を始めたくらいの年と変わらないとも言える。

テオフィル・ゴーティエと言えば、
岩波文庫に「死霊の恋」とか「ポンペイ夜話」などがあり、
幻想的な小説を書く人としても知られている。

さて、このベイカーのBBCのライブ録音には、
このように書かれた部分がある。

「デイム・ジャネット・ベイカーは、
この歌曲集を、8年前に、
やはり深いロマンティックな心情の持ち主であった、
バルビローリの指揮で録音している。
ジュリーニの指揮は、いくぶん気だるく、
彼のゆっくりとしたテンポは、
歌手の難しいブレス・コントロールの限界に近い。
しかし、ベイカーは、指揮者と一体化し、
歌曲集に底流する感情を探ろうとする読みを聴かせる。
バルビローリ指揮の同様に魅力的なアプローチに対し、
この演奏は価値ある補足であり、コントラストをなしている。」

ということで、私が持っている
EMIのICONシリーズが出番となる。

この5枚組二千円程度の超廉価盤、
イコン(アイコン?)シリーズの、
「Janet Baker」の解説を読むと、
John Steaneという人が、
「愛されたメゾ」というタイトルで書いていて、
やはり、このCDボックスにおいても、
この曲が聴きものの一つであることが確認できる。

そもそも、このICONシリーズは、
EMIがブリリアント・レーベルの向こうを張って、
特定のテーマで、出ているCDをいっさい合切、
同じボックスに入れたもの、と感じていたが、
必ずしもそうではないようである。

ベイカーのボックスには、
一枚目にブラームスやワーグナー(指揮はボールト)、
二枚目にベルリオーズやショーソン(バルビローリとプレヴィン)、
三枚目にマーラー(バルビローリ)、
四枚目にバッハやヘンデル(指揮者いろいろ)
五枚目にシューベルトやシューマン(ピアノはムーアやバレンボイム)
が入っていて、
多彩な演目が、特定のテーマで選ばれている感じ。

このボックスの解説には、
「ある人は、ソプラノのような高い声を好む人もいて、
これは少なくとも3人の歌手が歌う、
単独の声部のための作品ではないという人もいるが、
ベルリオーズの『夏の夜』の録音は、
古典的なステータスを持つものとして賞賛されている。
ベイカーとバルビローリの盤では、
最初の曲の鋭いリズムと、
最後の曲『未知の島』の微笑ましい魅惑が、
特に我々をひきつける。
人は、これこそ、実際の現実に誘う、
真のパートナーだと感じる。
間に挟まった歌曲は、
事実、内的な感情のもので、
『君なくて』の不在感の暗い声色、
抑制された情熱を感じさせる『墓地にて』では、
声とオーケストラと指揮者が一体となって、
これを表現している。」
と書かれている。

日本では、バルビローリは、
マーラーやディーリアスの専門家として親しまれたから、
ベルリオーズに期待した人はいなかったのではないか。

私は、これまで、ベイカーの歌ったもので、
バルビローリが指揮したものは、
「海の絵」かマーラーくらいしか
意識したことがなかった。

そもそも、「夏の夜」が、
まともに鑑賞され始めたのは最近のことではないか。
しかし、確か、ハロルド・ショーンバークだかが、
ベルリオーズのメロディはしょぼい、
と言われる意見に反対して、
この歌曲集を聴け、とか書いていたはずで、
これらの曲は、知る人ぞ知る名品なのである。

だが、LP時代には、
デイヴィスのものやアンセルメといった、
その道のスペシャリストと言われた指揮者が、
細々と録音していたイメージである。

ラプラントが男声で歌ったものもあったが、
あれなどはまさに、フランス歌曲集の流れで、
取り上げられた印象が強烈であった。

ベイカーは、コンサートでも、
レコードでも、実は、こうして、
ベルリオーズに傾倒していたようだ。

そもそも、「トロイ人」のディドで鳴らした、
というのが、かなり例外的ではなかろうか。

では、BBCレジェンズの解説を見ながら、
各曲を聴いてみよう。
残念ながら、歌詞はついていないのだが。

「これらの最初と最後は、明るく外交的であるが、
他の四つは凝集していて激しい。
デイム・ジャネットは、『ヴィラネル』の単純な陽気さを、
それに相応しい新鮮で開放的な色調で捉えている。」
Track4.
「新しい季節が来たら、ふたりで森へ行こう」
みたいな内容の詩で、
中間部では、
「この苔の長椅子で君の声を聴かせておくれ」
とあって、
最後は、
「帰ろうよ、苺を持って森から」とあるので、
恋人たちは、一応、全行程を踏破した模様。

これは、67年8月23日、まさに夏に、
バルビローリ指揮ニュー・フィルハーモニア管と
録音したものの方が、春のときめきは良く現れている。
「ベイカーとバルビローリの盤では、
最初の曲の鋭いリズム」が良い、
と書いてあったが、
バルビローリは、ファゴットなど木管の音形を際立たせ、
いかにもマーラーの自然描写みたいに聴かせる。

ジュリーニは、重心が重い指揮ぶりで、
ベイカーは、小粋な感じを出すのに、
時折、スナップを効かせるように苦労している。
これは、2分半ほどの小品だが、
一応、一枚で完成した絵になっている。

が、私は、この曲の情景描写は、
シューベルトの粋には達していないように思う。
言葉に鋭敏に反応しているようにも思えない。

それにしても、いきなり春の歌で、
まったく、「夏の夜」というタイトルに相応しいとは思えない。

「より音色の暗めな『ばらの精』は、
ベルリオーズの主観性を要約した、
歌の中の音楽と言葉の情熱的な壮大さを放射している。」
Track5.
これは、かなり緩やかな音楽であるが、
詩情漲る序奏から、強烈な音楽で、
バルビローリは、なんだか唸り声を上げながら、
情念を注ぎ込んでいる。
ベイカーも、その表現力豊かなオーケストラの色彩の中、
神々しいまでの歌唱を聴かせる。

ジュリーニは停止寸前の音楽である。
8分程度を要し、かなりの大曲。
解説の人が「情熱の壮大さ」と書いたゆえんであろう。

「私は、あなたが舞踏会でつけていた
ばらの精」だと言って、乙女の夢に現れる。
モノローグの音楽。

このばらの精の性別は分からないが、
「私に死をもたらしたあなた」とか恨み言を言いながら、
「この香りこそ私の魂」、
「天国から私はやってくる」と言って、
(このあたりのオーケストラの色彩感は目くるめくものがある)
夢枕で踊るので、女性なのだろうか。

この精は、「あなたの純白の胸で死ぬ」とか言っている。
そして、「あらゆる王を嫉妬させた一輪のばら」という
宣言のような一節で終わる。
バルビローリは一瞬、一瞬に魂を埋め込んでいくような、
血管が膨れ上がったような集中力を見せる。
先に触れたオーケストラの色彩も、
魔法のように素晴らしい。

ジュリーニ指揮の方は、
より脱力感のあるののであるが、
のびやかな詩情がある。
「星がきらめく宴会で、あなたは私を連れ歩いた」
という部分の憧れの念。
ただし、放送録音のせいか、
オーケストラの楽器の分離は、それほどでもない。

この曲のみ、「バラ」という季語もあるし、
眠りもテーマで、「夏の夜」というタイトルに相応しい。

『入り江のほとり』は、
茫然とした歎きの感情を表し、
正確にそれがベイカーによって伝えられている。」
Track6.
これは、いかにも海鳴りを感じさせる、
「海の絵」になっている。

が、詩を見ると、まったく入り江の事は出てこず、
先に死んでしまった美しい恋人への思いが嘆かれて
爆発するように繰り返される、
「ああ、愛もなく海へ船出していくとは」
という言葉が入り江を暗示するだけである。

この歌曲は、歌曲というよりも、
発想としてはオペラ的で、
伴奏がぼわーっと盛り上がって、
「ああ、なんとあの人は美しかったか」
などと、類型的な激情が重視、強調されている。

「白い体が棺桶に横たわっている」の所で、
楽想が変わるが、これは、特に言葉に反応したわけではなく、
むしろ、音楽に変化をつけたためと思われる。

ただし、
「私の上には巨大な闇が死衣のように広がる」
の所では、歌手には低い声が要求されており、
バルビローリの指揮では、
さらにわかるが、
「置き去りにされた鳩は泣き」のような部分には、
ものすごく雄弁なオーケストラが付けられている。

『君なくて』にかけて、
ジュリーニの非常に遅いテンポを楽しむように、
ベイカーはすべての陰影と表現の幅をつぎ込み、
憧れという最大限の感情を歌い上げる。」
Track7.
これは、夢から覚めたような前奏があり、
バルビローリの指揮では、
唸り声が入りっぱなしである。

極めて緊張感の必要とされる、
「かえっておいで」の部分の切望感を、
切実に感じさせる。
この歌曲は、もう、喘ぐように、
歌われては静まり、歌われては静まりの繰り返し。
後奏などでも聞かれる木管のメロディは、
痛切な美しさを感じさせる。

三節でわかるのだが、
恋人は何らかの事情で、遠くにいるみたいである。
ベルリオーズは、イタリア留学で、
恋人と離れていた経験があるから、
こうした感情には親しかったはずである。

バルビローリ盤では5分半程度の歌曲が、
ジュリーニ盤では6分20秒もかけられていて、
ジュリーニの唸り声からしても、
これは、心の痛みを、傷口をいたわるように、
それでも歌い上げようとしている。
この曲あたりになると、
ベイカーの優等生的な側面に加え、
深々とした表出力を、
強靭に感じさせる声の魅力が分かるような気がする。

ほとんど失速寸前の中、
表現力の幅を広げ尽そうとしている。

これらの曲は、「夏の夜」というが、
夏でも夜でもなさそうである。

「この二人のアーティストは、
墓地を訪れた時に起こる宿命感を歌った詩につけた、
暗い色の『墓地で』の音楽で要求される、
予感のような感情をすべて生み出している。」
Track8.
この曲は、もっとも、陰惨なイメージのタイトルであるが、
最も鮮やかな一瞬を持つ歌曲である。
ほとんどモノローグ調であるが、
「白い墓のところで歌っている鳩の歌を知っていますか。
病的なほど甘く、抗しがたく、
愛の天使が天国で嘆息しているような」
といった、妄想の前半。

中間部では、大地の下では、魂が目覚めて、
涙を流しているとある。

ここまでは良いが、
後半は、かなりやばい感じである。
「その調べの翼にのって
思い出がゆっくり戻って来る」
というところまでは良い。

実際、ジュリーニ盤では、
弾けるように、木管が美しく歌いだし、
思い出が回想される効果が素晴らしい。

が、
「天使の形の影が白いヴェールを覆って、
光線の中を通り過ぎる」とは何か。
バルビローリ盤では、この部分の、
亡霊のような影が現れる様を、
妙にリアルに可視化している。

ジュリーニ盤では、こうした小細工はない。

また、最後は、幻影は、
「あなたは戻ってくるだろう」と話かける。
それを聴いて、もう、私は、
鳩の歌を聴きに行ったりはしない、
と言うのである。

おそらく、死の国からの使者に、
魂を持って行かれそうになるのを、
すんでの所で自制した、という内容なのであろう。

私は、この光景には、秋の虚ろな心情が重なり、
夏のイメージは受けなかった。

「特にベイカーの解釈によると、
『未知の島』は、主人公が、永遠の愛のある、
未知の場所へのに思いを巡らすかのように、
暗さを晴らしていく。」
Track9.
確かに、この中間の4曲は、暗かった。

「美しい乙女よ、言ってください。
どこに行こうとしているのですか。
そよ風が吹き始めます」という、
歌詞が前後にあって、中間部に妄想満載である。

が、「夏の夜」というには、一曲目同様、
「春風の到来」みたいなのを感じさせる音楽だ。

「ここはバルト海か、ジャワか」
などと、主人公はかなり混乱しているが、
レチタティーボ調で、
オペラの軽妙な一幕を思わせる。

喜ばしげな浮き立つような音楽が、
全編を支配して、
「美しい人」が、
「いつも愛し合える真実の岸辺に連れて行って」
などと言いだすに至る。

その混乱の喜びを正当化する音楽の推進力は、
どちらの盤も同じだが、
ベイカーの声は、さすがにライブの方に、
勢いと自信が感じられる。
ジュリーニの指揮も、海原の高鳴りを強調して、
より劇的かもしれない。

このように聴いて行くと、ベイカーは、
34歳と42歳の時の録音なので、
さすがに成熟と一発勝負的な勢いで、
BBCの記録が貴重なのはよく分かった。

ただし、バルビローリ指揮の伴奏は、
ものすごく緻密な計算を感じさせ、
指揮者の思いが溢れかえっているという意味で、
スタジオ録音とは言え、
一期一会的な緊張感を感じさせるのも事実。

どちらかと言われれば、録音の優位さもあって、
私は、バルビローリ指揮のスタジオ録音を取るであろう。

バルビローリといい、ジュリーニといい、
マーラーの演奏で鳴らした指揮者が、
ベルリオーズを取り上げ、それぞれの見方から、
料理する様が味わえたことも収穫であった。

マーラーとベルリオーズを繋げるのは、
インバルなども強調していたことである。

ジュリーニはブルックナーなども得意とするだけあって、
悠然とした純音楽的な表現で聞かせ、
バルビローリはディーリアスなどが得意であるだけ、
細部の配慮や強調に特色があり、
非常に細密な曲作りをしている。
それゆえに、マーラーなどでは、
時に線の細い、たくましさに欠ける演奏があった。

それにしても、ベルリオーズは、
1860年に、シューベルトの「魔王」を、
オーケストラ伴奏版に編曲している
ことからも類推できるとおり、
言葉の描写においては、
怪奇方面の妄想に敏感で、
シューベルトならもっと反応したであろう、
「星」とか「天国」という言葉には、
まるで無頓着であることもわかった。

今回は、このCDのショーソンまでは、
手が回らなかった。

得られた事:「ベイカーの聴き比べをしようとして、指揮者の個性が比較できたという貴重な体験。」
「ベルリオーズの『夏の夜』は、むしろ春の芽吹きを感じさせる2曲の間に、季節感のない情念と幻想の4曲が挟まれた歌曲集。」
by franz310 | 2013-06-09 16:42 | 現・近代
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