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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その378

b0083728_22164641.jpg個人的経験:
ヒコックスについて
書いているうちに、
私が、この指揮者を
知るきっかけになった
懐かしいCDを思い出した。
昔、まだイギリス音楽が、
それほど紹介される前、
秋葉原かどこかで見つけた、
美しい表紙のものである。
歌曲集「海の絵」が
収録されているからであろう、
砂浜で、微妙な距離感で並ぶ男女。


言いたい事が言えないような、
初心なのか、訳ありなのかが、よく分からない。

春先なのであろうか、空もすっきりせず、
妙に寂しげな光景である。
ピンクのワンピースの女性は、
何だか神妙な面持ちである。

ポール・シュテファンセン(Poul Steffensen)の
「海辺」(By the Sea)というもので、
名前からして北欧系、調べてみると、
デンマークの人らしい。
1866年の生まれなので、
1857年生まれのエルガーと、
ほぼ同時代人である。

エルガーは1934年まで生きて、
多くの録音を残したが、シュテファンセンは、
それより五年前、1929年に亡くなっている。

The bridgeman Art Libraryの協力による、
とあるので、特定の美術館で見られるものではなさそうだ。

まずは、この珍しい絵画が紹介されているだけで、
貴重なCDだと言える。
さらに、この絵画の、妙に懐古的で甘ったるいトーンは、
エルガーの音楽にも感じられるものであるが、
エルガーの絶対音楽群は、こうした甘さなしには、
聴けないような硬質感があるのが、また、魅力であろう。

が、ここに収められた声楽作品はどうだろうか。
エルガーに期待する硬骨漢の魅力はあるだろうか。

私の先入観としては、これが裏切られる感じ。
この表紙絵画そのままに、なんだか甘ったるい音楽。
ただし、実は、今日まで、
歌われている内容まで吟味したことはなかった。

そもそも、このCDのために、
1987年にバーネット・ジェイムズという人が、
「エルガーの合唱曲の中にあって、
『ミュージック・メイカーズ』は、
何年にもわたっていささか厳しく叩かれてきた」
という書き出しで書いた解説は、
初めて聞く曲の解説にしては、
多少、シビアにすぎたというべきであろう。

語り口は堅苦しいし、
読んでいて、全然、良い曲には思えない感じ。
特に、最初の方だけ読んで最後まで読まなかった、
私のような横着な聴き手にとっては、
最悪の解説だったかもしれない。

このCDも、EMIのものだが、
たとえば、東芝EMIなどから日本盤が出た記憶はない。
そもそも、これ以前に、日本で、
この曲は紹介された事があったのだろうか。

「故フランク・ハウズのような、
ある種の批評家たちは、
明確に『B級』エルガーとして片づけている。」
などとあって、日本ばかりでなく、
これまで、本家英国でも、誰も擁護したり、
これを良い曲として紹介したりしたことがない、
といったような印象を受けてしまう。

実は、ここまで読んで、私も、
この曲は、この作品をB級品として信じてしまい、
20年、いや25年くらいだろうか、
四半世紀にわたってCDは保管していても、
愛聴した記憶がまるでないのが実態だ。

エルガーという作曲家は、
長生きした事もあって、
マーラーより年配であったのに、
大量の自作録音を残すことが出来た人だが、
この助奏と9節、全10部からなる、
40分近くかかるこの曲の、
10分程度の抜粋を残しているだけである。

解説は、なおも、理由をあげつらい攻撃を続けている。

「主な理由は二つあって、
まず、最近では、アンソロジーものでしか、
読まれることがないが、
おそらく時代の子と言っても良い、
その時代の人気詩人、
アーサー・オショーネシーによる、
この曲のテキストが、
最も良く言われることで、
二番目は、エルガーが、
この作品中で取った方法だが、
もっとも顕著なのは『エニグマ変奏曲』、
(主に『ニムロッド』)だが、
作品中に、様々な自作引用があることである。」

この記載もエルガーをよほど聞いた人でないと、
気が滅入る話である。
すべての引用を、その原曲と照らし合わせて、
語れるようにならないと、
このへんてこな音楽を楽しむ資格が、
ないような感じすらしないだろうか。

そして、実際、この音楽は、
大量のどこかで聴いたメロディの、
二番煎じだらけなのである。
有名な二曲の交響曲、
出世作「エニグマ変奏曲」あたりを、
知っているだけで、もう、かなりうんざりするはずだ。

したがって、下記のような記載は、当然、という感じもする。

「この特色は、この作品をしばしば、
批評家があきれたという視点と合わさって、
『でっちあげ』のものと思わせた。
事実、『ミュージック・メイカー』は、
詩が、芸術家や、世界における芸術家の役割に、
敬意を払う、彼自身の感じ方を正確に表現しているだけでなく、
作曲家自身をぴったり表している。
それは、彼の生涯を貫く、
横糸を拾い上げている。
『われら音楽の作り手は、
夢の中で夢見る者だ。
寂しい白波をさまよい、
人気ない流れに座するもの』
これは、エルガーがまさしく、
その生涯の最後の日々に語った、
その言葉にそっくりなのである。
『私はいまだ、夢見る少年のままなのだ。
いつも、セヴァーン川のほとりの葦の中で、
音を書きとめようと紙の束を持っていた。』」

このセヴァーン川とは、
ウェールズからイングランドにかけて流れる、
イギリス最長の川で、
地図で見るとロンドンの真西くらいにある。

「『夢の中で夢見る人』、エルガーは生涯を通じて、
こんな風に生きた人だった。
それは彼の想像力の源の一つであり、
オショーネシーの詩は、
エルガーの中で深く共鳴する木霊としてそれに応えた。」

ということで、少し、解説にも、
同情の気配が見えて来た。

エルガーは、そもそも夢うつつの中で生きた人だったので、
ヘンテコでもしょうがない、という感じだろうか。

「『ミュージック・メイカーズ』は、
第2交響曲とヴァイオリン協奏曲の間に挟まれた作品で、
これらをエルガーはある種の三部作と見ていて、
これらの中には、彼の言葉でいう、
『ありのままの魂』がある。
これら3つの重要作の、内面的、相互関係的は、
かすかであるが、広範囲に行きわたっている。
これらの三作は、非常に個人的なものであるが、
『ミュージック・メイカーズ』は、
とりわけそうなのである。」

私は、このCDを買う時に、
一応、作品69という、円熟期の作品であることは、
ちゃんと確かめていた。
エルガーのように、当時は、
ほとんど知る人ぞ知るみたいな作曲家の、
習作期の作品などを冒険して買うような余裕は、
CDも高かったし、当時の私にはなかった。

が、第2交響曲とヴァイオリン協奏曲の間、
という認識まではなかった。

「全曲のテクスチャーに関わり、
コントラルト独唱が、
『しかし、その男の心の中で壊れたとしても、
光はそこから離れたりはしない』とクライマックスを築く、
『エニグマ変奏曲』の引用以外にも、
以前のエルガーの作品からの引用はたくさんあって、
『ゲロンティアスの夢』、『海の絵』、
ヴァイオリン協奏曲、第2交響曲のみならず、
『ルール・ブリタニア』、『マルセイエーズ』など、
短い良く知られた引用され、
『私的なエルガー』の要素が強いにしても、
いわば、『血統と国家』の賛美者としての、
『公的なエルガー』と関連つけられている。
このごちゃまぜが恐らく見られてきて、
いまだ、酷評家やあらさがし屋には、
そう見えるだろうが、
いずれにせよ、エルガー自身、
それらに耐えられなかった。
『ミュージック・メイカーズ』は、1912年の夏に完成され、
その10月にバーミンガム音楽祭で初演された。
まさにエルガーの作品集では後期の作品で、
この見方をすると、エルガーの作品同様、厳しく、
たびたび近視眼的な批評にされされてきた、
シュトラウスの最後の交響詩、
『アルプス交響曲』に似ている。
これらの作品は幸い、近年、再検証され、
再評価されている。
(これら2作は、ほとんど同時代のもので、
エルガーは1912年、シュトラウスは1915年のものである。)」

むしろ、引用だらけの「英雄の生涯」とでも、
比較すべきだと思うが、ここでは、
別のシュトラウス作品が取り上げられている。

が、「英雄の生涯」が、非常に、雄大な主題で、
この曲を特徴づけ、人気作にしているのに対し、
「ミュージック・メイカーズ」には、
この曲の主題となるオリジナル・テーマがないのは、
重大な欠点であり、過失であると言って良い。

「一度だけだった『ミュージック・メイカーズ』の人気は、
その合唱主体のスタイルや特別なセンチメンタリズムからの
発展であったことによって、
すたれる傾向にあるかもしれないが、
今日、それを振り返ることによって、
1910年代にはよく見えなかった視点が見えてくる。
オープニングのフレーズをとってみると、
輪郭やアウトラインは異なるものの、
ブラームスの『第3交響曲』第3楽章と、
まちがいなく関連がある。
これはイギリスの作曲家にはありがちなことで、
エルガーにせよ、誰であれ、
意識してであれ無意識であれ、
ブラームスの影響を受けていた時代があった。
ブラームスは当時の英国の作曲家に、
広く影響を及ぼしていたが、
1905年11月、バーミンガム大学で行った、
いわゆる『ペイトン(Peyton)・レクチャー』
でも明らかなように、
エルガーはブラームスの交響曲に、
特別な関心を持っていたということから、
これはとりわけ意味があることである。
ブラームスの『第3』は、
その時、述べていたように、
残照の交響曲であって、エルガーの『第2』と共に、
『ミュージック・メイカーズ』は、
本質的に、残照の音楽なのである。
オーケストラによる前奏曲は、
このブラームス的なテーマを、
オリジナルの『エニグマ』の主題と結合したものである。
このように、最初からこのことは明確で、
それゆえ、続く引用と追憶なしには成り立たないものであった。
合唱の導入は、それをさらに強調する。
それは、明確な引用はないが、
どこか、『子供の魔法の杖(The Wand of Youth)』の
雰囲気の中にあって、
『ゲロンティウス』からは『夢の中で夢見る者』、
『海の絵』からは、『寂しい波打ち際』、
『エニグマ』からは『人里離れた流れ』といった、
次の三重構造をもたらし、
これらが構成と共に、
エドワード・エルガーの心理的性格を明らかにしている。
事実、『ミュージック・メイカーズ』の全曲を通じて、
『エニグマ』に新しい思惑を加え、
エルガーの人生とキャリアにおける位置づけを加えている。
『私は』と、彼は書いている。
『エニグマ変奏曲の最初のいくつかの小節を使ったが、
それは、それが、オードの最初の節における、
芸術家の孤独を表していると考えたからだ。』
この『孤独』は、このテーマをつけられた言葉、
『人里離れた流れに憩い』によって、
さらに強調される。
それはほとんど、
エルガーのセヴァーン川沿いの
少年期の夢想の回想、
さらに言えば、彼が生涯愛し、
『かつてあった川の中で最も美しい川』と書いた、
その支流、テメ川の回想を想起させる。
テメの流れは、エルガーの生涯や作品を通じて、
蛇行して現れ、決して、人里離れた川ではないが、
この孤独感は、作曲家の魂や心の中のものであった。」

このように、この曲は、残照、郷愁の音楽のように、
解き明かされて行くが、だからと言って、
傑作だというロジックにはならない。

ただし、エルガーの音楽を愛する者なら、
ここに耳を澄ませて、エルガーの郷愁に、
浸るということは、それなりの楽しみになりそうだ。

が、過剰な引用についても、
何らかの答えを出す必要を解説者は感じたようだ。

「この自身の作品の引用は、
エルガーにとって、別に特別なことではなく、
『ミュージック・メイカーズ』は、
その顕著な例なのである。
『ミュージック・メイカーズ』が、
エルガーの個性と、
彼の多くの音楽を特色付けながら、
あまり表だっては出てこなかった
思考と感情の探求の両方を、
意味することは明らかである。
『ミュージック・メイカーズ』は、
和声的にも、教会旋法や全音階など、
彼の音楽にたびたび出て来ていたが、
それほど強調されなかった部分を前に進めている。
このように、『ミュージック・メイカーズ』は、
合唱趣味の時代が古びて時代遅れになったと考えた、
視野の狭い批評家たちが理解を表明したよりも、
ずっと微妙で、意味深さを持ったものなのである。
もちろん、弱点はあるのだろうが、
エドワード・エルガーは、
小さな欠点のない因習的形式より、
完全ではないが、大規模な作品を書いた。
『ミュージック・メイカーズ』は、まさしく、
『魂を晒し出した』三部作の一つなのである。」

と言うことで、「第2交響曲」も「ヴァイオリン協奏曲」も、
大切な作品だと考えている私は、
この作品に、もっとまじめに耳を澄まさなければならなかった。

Track1.「イントロダクション」
解説に、「ブラームス的なテーマを、
オリジナルの『エニグマ』の主題と結合したもの」とあったが、
悲劇的な色調、危機的な緊張感を持った序奏部は、
確かに、ブラームスの変形に見える。

そこに、よりメロディアスな、エルガーらしい、
高貴なメロディによる幅広い主題が組み合わされている。
私は、全部、旧作の寄せ集めのように思っていたが、
そんな事はなかった。

ただし、この「イントロダクション」は、
十分に展開されることはなく、
独立した楽曲になる寸前の規模。
思わせぶりなニムロッド風のテーマで盛り上げて、
三分ほどで次の合唱を導く。

Track2.合唱:
「我々は音楽の作り手だ」
という部分、静かに歌いだされ、
いかにも世を忍ぶような風情。

「われらは音楽の作り手だ、
そして、夢の中で夢見るもの。
寂しい海辺をさまよい、
人里離れた流れに佇む。」

「『ゲロンティウス』からは『夢の中で夢見る者』、
『海の絵』からは、『寂しい波打ち際』、
『エニグマ』からは『人里離れた流れ』」
と解説にあったが、確かに、これらの後奏のように、
各曲の余韻が木霊している。

これまでの部分は、
ひそひそ歌われていて聞き取りにくい。

「世界ののけ者、世界を見捨て、
青白い月の光が照らしだす。」
の部分はいくぶん、はっきり聞こえる。

この後は、悲劇的な音楽であるが、
ヒコックスの指揮は、うまく構成し、
ティンパニの連打を合図に、大きくうねる。

長年、批判にさらされて、
委縮しがちな音楽を、
稀有壮大に最大限、膨らませている。

「だが、永遠に、
世界を動かし、震わせるように見える。」

ニーチェなら、キリスト教を断罪したように、
「ルサンチマンの音楽」と一蹴しそうな内容。

Track3.合唱:
テンポが速まり、対位法的なドンパチが始まる。
序奏の疾風のような音楽も合いの手を入れる。
「素晴らしい不滅の歌たちで、
世界に大都市を築くのだ。
途方もない物語で、
王様の栄光を讃える。
夢を持った男は、好きな時に、
前に進んで王冠を奪うだろう。
新曲の最初の3小節で、
王国を踏みにじることが出来るのだ。」

最後は、王国が粉砕されるような、
崩落の音楽となる。

Track4.合唱:
「地球の過去を葬った時代にあって、」
かなり、うじうじした部分だが、
以下の部分は、
だんだん、行進曲風になる。
「ため息でニネヴェを作り、
陽気にバベルを建てよう。」

対位法的な処理や複雑な展開で、
何を歌っているのか分からないが、
だいたい歌詞の内容にあった曲想だ。

1分40秒くらいから、
美しく、胸を焦がすような曲想が現れる。

「そして、新しい時代の価値では、
古びているとして、
預言でそれを倒そう。
すべての時代のための夢は終わり、
新しい夢が生まれようとしている。」
ハープやヴァイオリン独奏の断片が、
精妙な効果を見せる。

ティンパニが低く連打され、
序奏の音楽が静かに戻って来る。

「(われらは音楽の作り手だ、
そして、夢の中で夢見るもの。)」

Track5.合唱:
再び、朝が来て霧が晴れていくような曲想。
静かに歌われるので、聞き取りにくい。
「われらの霊感の一息は、
それぞれの世代の命となった。」

このあたりは、訥々と繰り返される。

「われらの夢の素晴らしいものが、
超自然的で見ることはできない。
われらの夢が現れるまで、
兵士も王様も小作人も一つになって、
世界でその働きがなされた。」

ここでは、音楽は興奮して高鳴り、
新しい世界の到来を夢見ているようだ。
低音では、オルガンが鳴り響いている。
ティンパニの静かな連打やハープの弾奏と共に、
曲は消えて行く。

Track6.独唱:
ここで、フェリシティ・パーマーが、
声を上げるが、司祭のように、
過去を回想する。

「彼らが良い家を建てた時、
彼らは驚くべきビジョンもなかった。
彼らが国を行く時、
神のお告げはなかった。
しかし、一人の男の魂が痛めば、
光は消えることはない。」

このあたり、かなり「ニムロッド」の
メロディが散りばめられ、
次の崇高な合唱に高まっていく。
エルガー・ファンならたまらない部分。

合唱と一緒に:
「しかし、一人の男の魂が痛めば、
光は消えることはない。
彼が見て、彼が言葉を語ると、
他の人の心にも炎がともる。」

Track7.独唱と合唱:
トロンボーンがひと吹きされて、
風雲急を告げる部分。
ティンパニは強打され、
まるで、革命が起こりそうな勢いである。

「過去の事はようやく満たされて、
今日はまた何かが起こる。
民衆は力を合わせる。
彼らの父親たちが認めなかった信頼の中に。
明日の夢を蔑むことは、過去のことになり、
彼らは、世界の中で、
その喜びと悲しみのために、
昨日には蔑まれた夢を見るだろう。」

合唱:
「(われらは音楽の作り手だ、
そして、夢の中で夢見るもの。)」
このたびは、この部分は、高らかに歌われる。

オーケストラは絶叫し、
合唱は盛り上がり、
独唱も負けじと歌うので、
何が何だかよく分からないが、
下記のような歌詞が歌われているのであろう。

独唱と合唱:
「だから、今日はまた何かが起こる。」

合唱:
「(我々は、永遠に、
世界を動かし、震わせる者に見える。)」

独唱と合唱:
「民衆は、その喜びと悲しみのため、
昨日は蔑まれた夢をもって、
世界を進む。」

静かに落ち着いて来ると、
序奏の気味の悪いメロディが重なって来る。
闇に沈むような感じ。

Track8.合唱:
闇の中から立ち上がる感じで、
誇り高い、ミュージック・メイカーズの、
自負が歌い上げられる部分。

「しかし、われらは、その夢と歌を持って、
絶え間なく、悲しみもない。
われらのに輝かしい未来を見つめる、
誉れを持つわれらには、
音楽の高鳴る魂がある。
おお、人々よ。
夢の中、歌の中に住むわれらは、
あなたがたと離れていなければならぬ。」

この最後の詩句に明らかなように、
最後は、諦観に満ちた、
別れの雰囲気たっぷりな音楽となって行く。
ここは、もっとも、胸を打つ部分であろう。

Track9.合唱:
ミュージック・メイカーの主題というべき、
恨みつらみの音楽が、
第1交響曲の誇り高い主題に高まって行く。

「夜明けから遠く離れ、
太陽がまだ高くなる前に、
無限につづく朝の外で、
勇敢な君はわれらが叫びを聴く。」

この「朝」というところで、
高貴な主題は、絶唱となっている。

が、すぐに暗転し、
下記のような怒りの部分に降下する。
「君たち人間のあざけりにも関わらず、
再び神の未来は近づいている。
君たちの過去は死すべしと、
すでに警告は出た。」

最後の詩句は、吐き捨てるようなニュアンスで、
エルガーのルサンチマン的音楽の絶頂となる。

Track10.独唱:
ここからは、最後の高まりで、
さえざえと独唱が歌い始める。

「大いなる呼びかけよ。
来たるべきものにわれらは叫ぶ。
めくるめく未知の岸辺より。
あなたの太陽と夏をもたらし給え。
昔ながらの世界を一新せよ。」

下記の部分などは、完全に、
マーラーの「大地の歌」みたいな感じ。

「あなたの新しい歌を教え、
かつて見たこともない夢を見せ給え。」

下記の部分は、静まって行くように、
合唱を引き寄せる。
「輝かしい未来を見る
あなたには誉れがある。
あなたの魂には高貴な音楽が高鳴る。」

合唱:
「おお、人々よ。
夢の中に住み、夢の中に住むわれらは、
すこし離れていなければならぬ。」

下記の部分は、独唱と合唱が、
別の歌詞を一緒に歌うので、
何が何だかよくわからないが、
音楽は、低温ながらふつふつと沸騰している。

合唱:
「われらの夢の中、歌の中、
おお、人々よ、われらは離れていなければならぬ。
夜明けから離れ、
太陽が高くなる前に。」

独唱:
「あなたの新しい歌を教えたまえ。
まだ夢見たこともないものを見せ給え。
あなたの太陽と夏を引き寄せ、
昔ながらの世界を一新せよ。
あなたの新しい歌を教えたまえ。」

独唱:
「まだ夢見たこともないものを見せ給え。」
ここまでは冴え冴えと歌われていた独唱は、
次の部分で、不思議な失速を見せる。

「そう、まどろんだ夢見る人や、
もはや歌わない歌い手は無視して。」

これは、いったい、どういう結論なのだろうか。
「歌わない歌い手」は、声を失ってしまう。
序奏の不気味なメロディが静かに回想される。

合唱:
「もはやない、もはやない。」

7分40秒くらいで、音楽は完全に休止。
そして、最後の1分くらいを、
下記のモットーが静かに繰り返される。
合唱:
「(われらは音楽の作り手だ、
そして、夢の中で夢見るもの。)」

残りの部分に、「海の絵」作品37が入っているが、
もう文字数をオーバーした。

得られた事:「『ミュージック・メイカー』は、交響曲とヴァイオリン協奏曲と共に、エルガーの魂の三部作をなすが、この魂は、ルサンチマンの魂である。」
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by franz310 | 2013-05-11 22:20 | 現・近代
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