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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その377

b0083728_23544216.jpg個人的経験:
デュリュフレの「レクイエム」、
A.デイヴィスが指揮をしたLPを、
30年くらい前に買って、
それなりに聴いてはいたが、
所詮、フォーレの亜流という認識で、
うかつにも最近まで生きて来た。
が、グレゴリオ聖歌などを聴いて、
再度、この曲に耳を澄ませてみて、
その認識が完全に間違っていることに
ようやく気付いたのであった。


そのきっかけになったのが、
今回、紹介するリチャード・ヒコックス指揮、
ロンドン交響楽団の演奏であった。

このCDはしかし、演奏はともかく、
商品としては、かなり適当に作られた、
廉価盤の典型的なもので、
表紙はキリストの十字架のお守りが写っているだけ、
解説もないというお粗末さ。
ユニバーサル・ミュージックの輸入盤。

収録時間の長さと、
カップリングだけは重要と考えたのか、
フォーレの「レクイエム」の
ジョージ・ゲスト指揮の
セント・ジョーンズ・カレッジの演奏が入っている。

ややこしい事に混乱しそうだが、
セント・ジョーンズ・カレッジの演奏は、
この前、クリストファー・ロビンソン指揮の、
デュリュフレ(98年録音)を聴いたところであるが、
これは、ロビンソンの前任者が、
70年代に録音したフォーレである。

この二大レクイエムが一枚で聴けるという以外、
これといった特徴のないCDであるため、
あまり期待しないで聴いたのだが、
何故か、吸い込まれるような錯覚に陥った。

あるいは、24ビット化してからCD化したという、
AMSIというマスタリングの効果であろうか、
非常に柔らかい感じで、立体感のある音作りになっている。

ただし、デュリュフレの方は、
1983年に出されたDDD表記なので、
再度のデジタル信号処理に、
どれくらい、効果があるのかは分からない。

この録音だけで、すっと、演奏に、
吸い込まれたわけではないだろう。

私は、しばらく前から、
このヒコックスという指揮者が、
実は、名指揮者だったのではないか、
などと思うことがある。

いくつかの作品で、今回同様、
こんないい曲だったっけ、
などと感じる場面に出くわしたのである。

たとえば、ヴォーン=ウィリアムズの、
「ロンドン交響曲」(1913年バージョン)など、
冒頭から非常に心躍る内容で、長らく、
何が良いのかさっぱり分からなかった、
この交響曲を、非常にすっきりと、
しかも魅惑的に響かせてくれた。

かなり、楽天的な感じが印象のある指揮者であるが、
それが演奏にも反映して、適度な推進力が心地よい。

この指揮者は、日本にも来て新日フィルなどを振ったから、
もっと知られても良い存在のような気がするが、
まったくもって、人気がなかったような気がする。

しかも、もう5年も前になるが、2008年、
1948年生まれのこの指揮者は、
実は、60歳という若さで亡くなっているのである。

長く、ロンドン交響合唱団の指揮者をしていた関係で、
(このCDでも、この楽団を使っているが)
ずっと合唱指揮者みたいに見られていて、
CD時代になってからシャンドス・レーベルなどで、
意欲的な活動を始めてからも、
どうも私には、イギリス音楽のスペシャリスト、
というより、合唱音楽のスペシャリストという印象が、
ずっと尾を引いていた。

そして、合唱が入る作品が、これまた、
説得力あるので、ますます、
そのような印象が強まっていった。

ものすごくひどい例が、
ボーイ・ソプラノで一世を風靡した、
アレッド・ジョーンズを起用した
フォーレの「レクイエム」の日本発売CDで、
ジョーンズは3分くらい
(と、二曲目のバーンスタインでもそれくらい)
しか出てこないのに、
前面に押し出したセールスがなされ、
ヒコックスの名前はほとんど無視して売られていた。

東洋の島国では、
このような悲惨な状況に甘んじながら、
地元の英国では、手堅く音楽活動の幅を広げ、
主要な英国近代の作曲家の交響曲の録音を、
かなり一手に任されるような重鎮になっていたようだ。

ヴォーン=ウィリアムズの門外不出の、
1913年版の「ロンドン交響曲」も、
ヒコックスだけが、作曲家夫人から信頼されて、
演奏許可が下りたのだと言う。

さて、このデュリュフレの「レクイエム」に戻ろう。
メゾ・ソプラノには、フェリシティ・パーマー、
バリトンにはシャーリーカークを起用して、
ブリテンのオペラなどで活躍した、
英国の巨匠級が集められていることも、
当地におけるヒコックスの人徳なのかもしれない。

主兵のロンドン交響合唱団に、
ウェストミンスター聖堂の少年合唱団を混ぜ、
ややこしいと言うべきかロンドン交響楽団が、
オーケストラ部を受け持っているが、
オルガン奏者の名前はない。

Track8.
入祭文とキリエ
オーケストラの助奏から魅惑的で、
男声合唱は妙に渋めであるが、
女声合唱は天上的に美しい。
これが、人間の祈り(グレゴリオ聖歌)に、
天使たちが答えるような印象を与えるのかもしれない。
オーケストラは、うららかな春の日差しを、
柔らかく降り注ぐ。
少年合唱はよくブレンドされている感じか。

キリエ:
ここでも、男声合唱から、
憐みたまえの祈りが、
こみ上げていくような効果がある。
今回、聞き直してみて思ったのは、
ちょっとオルガンが弱すぎる点だろうか。

何だか遠いところで、
ぼそぼそと言っているだけである。
金管群も、かなり控えめに合唱を補助している。
その代わり、合唱は、絶叫に近いくらいに興奮している。

オーケストラの後奏は、
香しく立ち上る感じが好ましい。

Track9.
「主、イエズス・キリスト」
このあたりは、ヒコックスならではの、
健康的な推進力がさく裂する部分で、
楽器群も声楽も爆発するような音響をぶつけるが、
ふっくらとした響きを大切にしている感じ。

シャーリーカークの独唱は、
オペラを想起してしまうが、
伴奏の緊迫感も含めて、
作品の立体感に一役かっている。

その後のうらぶれた響きも、
身に迫るものがある。

Track10.
「サンクトゥス」
この部分の光が降り注ぐようなオーケストラの表現、
リズム感も、このCDの魅力ではないだろうか。
「ホザンナ」の歓呼の声への期待感の盛り上げや、
そのクライマックスも自然な高鳴りを感じさせる。

Track11.
「慈しみもて主イエスよ」
パーマーの独唱。
これまた、オペラの悲劇的な1シーンにも聞こえるが、
真摯に「平安を与え給え」という、
巫女の声にも聞こえるかもしれない。

Track12.
「アニュス・デイ」
デュリュフレがそう仕込んだのか、
ヒコックスの指揮が、それを強調したのか、
緊迫の楽章に続いて、
清らかな光が、水面に反射するような、
美しく穏やかな音楽が始まると、
心から癒されるような気がする。

ヒコックスのうまさは、
この脈動するリズムに、
生命の息吹が感じられるような、
推進力と陰影を与えている点であろう。

Track13.
「主よ、とこしえの御光をもて彼らを照らしたまえ」
と歌われる部分で、合唱の豊かな響きと、
上品な香りのする、控えめなオーケストラが、
聴き手を包み込む。

Track14.
「主よとこしえの死よりわれらを救いたまえ」
で、フォーレの「レクイエム」では、バリトンが、
悲壮感のある独唱を聴かせた部分であるが、
デュリュフレでは、緊迫感のある合唱に、
一瞬、バリトン独唱が、劇的な楽句をさしはさむ感じ。

その後の「かの日こそ怒りの日」という、
合唱がまた壮絶で、
最後には、祈りへと収束していくのだが、
ここでの起伏に富んだ音楽づくりも印象的である。

Track15.
「天使はなんじを楽園に」
先ほどの緊張感の後の虚脱というか、
そのまま涅槃の境地に達したような、
天上に吸い込まれる音楽。

ここでは、少年合唱以外は、
すべてが霧の中に霞むような表現が、
夢幻的とも言える。
ほとんど、何が起こったかわからないまま、
安楽死するように消えてしまう。

合唱勝負みたいな感じで、その濃淡だけが勝負という、
水彩画とか墨絵の滲みみたいな感じで、
ヒコックスの得意領域に引きずり込まれてしまう。

ということで、この演奏は、
光が射し、朦朧とした水面の反射のような息遣いに、
不思議に生き生きとした息遣いが感じられるのが魅力と言える。

それ以外の部分での立体的な構成感も、
全体として、この魅力を倍加させる力がある。

それにしても、この録音は、誰が、いかなる目的で、
企画したのかを考えさせられる。

出来れば、まだ新鋭だったヒコックスが、
定期演奏会か何かで、この曲を取り上げ、
その評判がよくて、
名門デッカが録音に踏み切った、
みたいな乗りが嬉しいのだが。

まったく違って、デジタル時代になって、
一発、デッカ・レーベルでも、
最新録音で「デュリュフレ」やるか、
みたいな乗りだと嫌だなあと思う。

1998年の時点でも、
クラシック名盤大全「交響曲篇」(音楽の友社)には、
ヒコックスの名前は目次に三回しか登場しない。

しかも、ハイドン、
モーツァルトのような古典派ではもちろんなく、
ベートーヴェンやブラームスなど
独墺系の本流でも、
ブルックナー、マーラーのような、
やたらCDが多いものでも、
その他、ロシア、フランスでもなく、
エルガー、ヴォーン=ウィリアムズ、
ウォルトンのような、
イギリスの人気作においても、
ヒコックスはお呼びではない。

かろうじてラッブラの交響曲第6番(96年録音)、
ティペットの交響曲全集(92-94年)といった、
一般愛好家は知らないような曲目で、
登場するだけなのだ。

2000年になって、このMOOKの
「オペラ・声楽曲篇」では、
さすがに、認知度が上がったのか、
あるいは、得意の声楽曲のせいか、
ヒコックスの活躍はすごい。
目次には17項目に名を連ねている。
以下、()内は録音年代である。

1.バーンスタイン、チチェスター詩篇(86)
2.ブリテン、ノアの洪水(89)
3.ブリテン、ピーター・グライムズ(95)
4.ブリテン、ルクレティアの凌辱(93)
5.ブリテン、戦争レクイエム(91)
6.バーゴン、合唱作品(87)
7.ディーリアス、フェニモアとゲルダ(97)
8.ディーリアス、海流、他(93)
9.エルガー、ゲロンティアスの夢(88)
10.エルガー、生命の光(93)
11.フィンジ、クリスマス(87)
12.ホルスト、サーヴィトリ(83)
13.ホルスト、合唱幻想曲(94)
14.ハウェルズ、楽園賛歌(98)
15.ヴォーン=ウィリアムズ、海に乗り出す人々(95)
16.ヴォーン=ウィリアムズ、天路歴程(97)
17.ウォルトン、トロイダスとクレッシーダ(95)

ああ、やはり英国圏を越えられなかったヒコックス。
バーンスタイン以外は、みんな英国の作曲家、
さらに言えば、クラシック好きなら、
誰でも名前ぐらいは知ってそうなのは、
ブリテンの作品くらいではなかろうか。

もっと言うと、録音年代から分析するに、
80年代も後半になってからでないと、
この人の花は開かなかったような感じ。

したがって、83年以前の録音の、
このデュリュフレが、待望の録音ではなく、
カタログの埋め合わせ的な状況で生まれた、
と考える方が自然であろう。

ちなみに、先のMOOKに出ているデュリュフレは、
グラーデン指揮の聖ヤコブ室内合唱団(92)
と、1959年頃に録音されたという、
作曲家自身の自作自演盤である。

さらに見ると、フォーレの「レクイエム」は、
クリュイタンス盤(2種)、コルボ盤、
フルネ盤(2種)、フレモー盤、ヘレヴェッヘ盤が、
名盤として並んでいる。

この中に、デッカが当時、本気で出すなら、
デュトワくらいを起用したかったはずだが、
彼もようやく人気が出てきて、
まだ、サン=サーンスなどを録音していたから、
デュリュフレどころではなかったに相違ない。

さて、先のヒコックス指揮の、バーンスタイン作曲
「チチェスター詩篇」のCDこそが、
先に触れた、ボーイ・ソプラノ、
アレッド・ジョーンズの歌った、
フォーレの「レクイエム」と同じものなのである。
1986年の録音で、ここではオーケストラは、
ロイヤル・フィルになっている。

合唱は当然、ロンドン交響合唱団
(ロンドン・シンフォニー合唱団)である。
日本では、クラウン・レコードから出ていた。

バーンスタインの作品は、ヘブライ語の聖書への付曲で、
チチェスター大聖堂の依頼で1965年に書かれたものらしい。

チチェスター大聖堂は、
作曲家のホルストなどが埋葬されている
英国の教会であるが、
ローマのブリテン侵攻の足がかりの地だとされる。

何故、このようなところから、
ユダヤ人のバーンスタインが依頼を受けたのかは
実は解説にも書いていなくて不案内なのだが、
第二楽章にボーイ・ソプラノが活躍する部分があるので、
アレッド・ジョーンズを起用するということで、
ヒコックスに押し付けられた
カップリング曲というような感じがする。

ついでに、この曲も聞いてしまうと、
第1曲からして、
いかにもバーンスタインらしい、
豊穣なオーケストラのじゃんじゃかと、
リズミックな声楽が絡み合った音楽である。

Track8.第1楽章:
旧約聖書の「詩篇」からの寄せ集めで、
「賛歌」のイメージで晴れやかな歌詞が集められている。

詩篇108から、「ウーラ、ハーネヴェール」と、
「竪琴よ、琴よ、さめよ、」と歌いだしの宣言がなされる。
管弦楽は居丈高に、じゃんじゃんリズムを刻み、
大げさな、開始が告げられる。

詩篇100の「感謝の供え物のための歌」という、
まくし立てるような合唱が続き、
シンバルなどを伴って、
「全地よ、主に向かって喜ばしき声をあげよ」
という、お祭り騒ぎが盛り上がって行く。
男声合唱も女声合唱も、いかにも楽しげな、
群衆シーンみたいな弾け方である。

こんな音楽が教会で演奏されたのであろうか。

ティンパニのさく裂し、
合唱が盛り上がるが、
途中、繊細な部分を挟み、
「主は恵み深く、その慈しみは限りなく」
と、ボーイ・ソプラノと、
スティーブン・ロバーツのバリトンの二重唱がある。

Track9.第2楽章:
ここで、大人気だったボーイ・ソプラノ、
アレッド・ジョーンズの歌が入るが、
ハープのちゃらん、という音から入り、
伴奏も、簡素なハープ主体なので、
極めて清純な音楽に聞こえる。

というか、
「ウェストサイドストーリー」の、
「マリア」などに通じそうな、
清冽なナンバーとでも言いたくなる。

詩篇23の「主はわたしの牧者であって、
わたしには乏しいことがない」という、
満ちたりた天上の歌となっている。

この詩篇23は、
我々人間は、単なる羊であって、
神様の働きによって、
緑なす牧場に憩い、死の谷も恐れずに通れる、
と歌われるもの。

キリスト教徒も、勝手に読み換えたのか、
「よき牧者の姿は、牧者たるイエスの愛を示すもの」
などと書いて、この詩を大事にしてきた。

面白いことには、シューベルトにも楽曲がある。
しかも、この場合(D706)は、
作曲家のメンデルスゾーンの祖父で、
高名な哲学者であった、
モーゼス・メンデルスゾーンが、
ドイツ語に訳したものに、
シューベルトは作曲している。

これは、1820年に作曲された、
ピアノ合唱による女声合唱曲(D706)である。
シューベルトの書いた女声合唱曲の中では、
屈指の人気作で、ピアノの清純な響きもあって、
非常に詩的な音楽になっている。

なるほど、このシューベルト作品も、
このように比べて聴けばよくわかるが、
バーンスタイン同様、神様に守られた、
至福の状況を音楽にしている感じだ。

また、面白い事に、シューベルトは、
晩年に、ユダヤ教の教会から、
詩篇の作曲を頼まれている。
こちらは無伴奏の合唱曲で、
バリトン独唱が入る。

古くから、ユダヤ教からも、
キリスト教サイドにも、
歩み寄りを見せていたようだ。

さて、バーンスタインの音楽に戻ると、
この詩篇23の部分だけなら、確かに、
教会で歌われそうな感じだが、
途中、激しい打楽器と合唱の音が打ち付けられ、
詩篇2の、「なにゆえ、もろもろの国びとは騒ぎたち、
もろもろの民はむなしい事をたくらむのか」
という部分が乱入して、
いかにも「ウェストサイドストーリー」の喧騒が現れる。
不気味に緊迫感を高める中間部が挟まっている。

詩篇23の「わたしの生きているかぎりは
必ず恵みといつくしみとが伴うでしょう」
という平穏な音楽に戻る。

Track10.第3楽章:
かなり、緊張感の高い序奏で、
バルトークとかショスタコーヴィチさながらの、
粛清の予感すらする厳しい音楽。
そういえば、バーンスタインはユダヤ人だった。

このような恐怖は他人事ではなかったのであろう。

が、その試練を越えたかのように、
ハープが波打つ中、美しい楽節がはじまる。

詩篇131の「主よ、わが心はおごらず、
わが目は高ぶらず」という、敬虔な歌で、
「わが魂は乳離れしたみどりごのように、
安らかです」という満ち足りた合唱があり、
女声合唱が優しく重なってくると、
本当に清らかな感じになる。

これは、「神への帰順」の歌とされ、
キリスト教の人も、このユダヤの言葉に、
イエスの言葉を重ねているようである。

まさしく子守唄のような感じ。
あるいは、マーラーの「大地の歌」の
「告別」のように、
人間世界からの旅立ちの波音にも聞こえる。

マーラーの交響曲同様、
この引き伸ばされた楽章は、
前の2つの楽章を、
足したぐらいの長さになっている。

私は、この曲を初めて聞いたので、
ヒコックスの指揮がどうかはよく分からないが、
このあたりは、デュリュフレのレクイエムに感じた、
天空からの恩寵の光を感じずにはいられない。

最後に、アレッド・ジョーンズと、
スティーブン・ロバーツの二重唱があって、
「見よ、兄弟が和合して共におるのは、
いかに麗しく楽しいことであろう」という、
詩篇133から採られた、
感動的な世界平和の祈りに昇華していく。

詩篇133は、「むつましさ」を歌ったものとされ、
まさしく、キリスト教徒も、これには飛びついており、
「互いに愛し合うことによってキリストの弟子と認められる」
という新約の言葉と重ねている。

そうした意味で、英国国教会で歌われても、
喜ばれるということであろう。

ただ、ファンには怒られるような気がするが、
アレッド・ジョーンズの歌声は、
わたしには、それほど清純な感じには聞こえず、
ふつうのソプラノという感じがした。

バーンスタイン作曲の
「チチェスター詩篇」は、
最終的な「和解」を歌うという意味で、
キリスト教の教会が、
ユダヤの作曲家に委嘱したことに、
答えるのにふさわしい音楽となっている。

さて、このCDと一緒に入ったフォーレのレクイエム、
さらには、デュリュフレのレクイエムと一緒に入った、
G・ゲスト指揮のフォーレにも触れたいところであるが、
紙片が尽きてしまった。

そういえば、今回のテーマは、
日本ではヒットしなかった名指揮者ヒコックスについてだった。
一聴した限りの印象では、
しかし、このフォーレのレクイエム対決、
ゲストの盤の方が雰囲気豊かな演奏という感じがした。

おそらく、録音の効果も大きいだろうが、
オーケストラの名前からくる印象そのままなのだ。
ヒコックス盤は、ロイヤル・フィルで、いかにも堅そう。
ゲスト盤は、アカデミー室内管弦楽団で、いかにも、
マリナー時代のブレンド感最高みたいな空気感がある。

ヒコックス同様、ゲストのCDでも、
ボーイ・ソプラノを起用していて、
ジョナサン・ボンドという人が受け持っている。
これが、しかし、弱々しい声で、
それがまた、無垢な印象を倍加させているのである。

先に、アレッド・ジョーンズは、
「普通のソプラノみたい」、
などと書いたが、その裏返しとして、
この、やはりボーイ・ソプラノは、
ソプラノとは違って子供っぽいな、
という感じが、ボンド君の録音では、
妙にいじらしく感じてポイントが高いのである。

実は、これを書いていて思い出したのだが、
私が最初に買ったヒコックスのCDは、
エルガーの「ミュージック・メイカー」であった。

私は、単にエルガーの音楽を聴きたくてこれを購入したのだが、
結局、このへんてこな題名ゆえに、どう付き合って良いか分からず、
長らく、仕舞い込んだままにしていた。

そして、これを改めて見て、かなり驚いた。
コントラルト独唱が、
今回聴いたデュリュフレの「レクイエム」同様、
フェリシティ・パーマーであって、
さらに、86年5月の録音とわかった。

つまり、この年の4月30日から5月2日の、
ゴールデンウィーク(今は、2013年のGWだが)
に録音されたフォーレとバーンスタインの後、
すぐに、このエルガーの声楽作品を録音した、
ということ。

つまり、この後、ヒコックスは、
英国音楽の守護神のような立場に祭り上げられて行く。

デュリュフレやフォーレの「レクイエム」は、
普通の指揮者としての、
ヒコックス自身の「レクイエム」にもなっているではないか。

得られた事:「バーンスタインは、キリスト教の教会から頼まれて詩篇の作曲を行ったが、シューベルトにも同様の経緯で生まれた『詩篇』がある。詩篇には、2つの宗教を結びつける働きがあると見た。」
「日本では無名に終わった名指揮者ヒコックスがメジャーになる寸前に録音された、デュリュフレとフォーレの『レクイエム』は、この後、彼がイギリス音楽に専念させられる前の貴重な録音。」
by franz310 | 2013-05-05 23:56 | 現・近代
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