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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その376

b0083728_221345.jpg個人的経験:
ここのところ、
近現代フランスの作曲家、
モーリス・デュリュフレの音楽の、
中毒状態に陥っていると言っても、
決して言い過ぎではない。
そのきっかけとなった一枚が、
このCDである。
オルガンを伴奏にしたもので、
チェロが女声に絡む部分もある。
何となく、クープランみたいだ。


それに、何と言っても、表紙デザインが美しくないだろうか。
1998年3月21日から23日に、
そして7月に最後の一曲だけ、
ケンブリッジの教会で録音されたものであるが、
ベルリンのカイザー・ヴィルヘルム教会の
ステンドグラス「ダル・ド・ヴェール」のレプリカらしい。

フランス、シャルトルの
ガブリエル・ロワール(1904-96)
の作の一部らしいが、
カイザー・ヴィルヘルム教会といえば、
広島の原爆ドーム同様、
空爆の象徴のような建物が知られるが、
このステンドグラスは、ロワールの代表作ということで、
1960年のものらしい。
ベルリン復興の象徴のようなものだろうか。

ロワールの生年は、デュリュフレの1902年に近い。
また、1960年と言えば、ここに収められた、
4つのモテットが作曲された年でもある。

この4つのモテットがまさしく、作品10の
「グレゴリオ聖歌の主題による4つのモテット」
と呼ばれるもので、
グレゴリオ聖歌に聞き親しんだ者を、
引き寄せずには
いられないようなタイトルとなっている。

前回も書いたが、デュリュフレの「レクイエム」に関しては、
私は昔から知っていたが、
このCDで聞き直すまでは、そんなに好きな曲ではなかった。
平板で、起伏のない軟弱派といった感じ。

が、このCDで、Track1の冒頭で、
恩寵に満ちたエーテルの中に浮遊するような、
あるいは、しずかにさざ波を寄せる、
地中海の青さのような、
オルガンの響きに耳を澄ませていると、
羊水に浮かぶ胎児のような気持になって、
不思議な平安を感じずにはいられなくなってしまった。

この曲には、私が聴き親しんできた、
管弦楽伴奏のものの他、
オルガン伴奏版もあったのである。

クリストファー・ロビンソンが指揮する、
ケンブリッジ・セント・ジョンズカレッジ聖歌隊 の演奏で、
そのオルガンは、イアン・ファンリントンが弾いている。
イギリスのピアニスト、オルガニストで1977年生まれ。

合唱は、キングズ・カレッジと並んで有名な、
伝統的な英国聖歌隊で、
ソプラノはセント・ジョンズ・カレッジ小学校の生徒、
アルト(カウンターテノール)、テノール、バスは男子学生とある。

ロビンソンは有名な合唱指揮者ジョージ・ゲストの後任で、
1964年からバーミンガム市合唱団の指揮者をしていた、
とあるから、かなりの年配の人であろう。
ナクソスに大量のCD録音がある。
2011年に75歳の誕生日を祝うコンサートをした、
という記事があるので、1936年の生まれか。

ちなみに、この人の後は、
1957年生まれのデヴィッド・ヒルが務めており、
St John’s Collegeのホームページを見ると、
17世紀まで、歴代合唱指揮者が出ていてびっくりした。
ゲストの前には、オルガン奏者として、
英国を代表する作曲家としても有名な、
ハーバート・ハウウェルズの名前があった。

録音もここのチャペルで、とあり、
ゴシック風の素晴らしい写真を眺めると、
これまた、空想のイギリス旅行が出来る。

しかし、結局、カレッジの合唱団なので、
時折、破たんをきたしそうな部分があるのは仕方ない。

解説は、Nicholas Kayeという人が書いている。
「デュリュフレは、20世紀フランス音楽に、
特別な地位を占めている。
少ない作品しか残さなかった完璧主義者で、
深くグレゴリオ聖歌と典礼に傾倒し、
第二ヴァチカン会議での見直しによる、
その事実上の終焉に苦しんだ。
それらは、彼の彼のほとんど全作品の生ける血潮であり、
音楽的、精神的な霊感の源泉であった。」

先ほど、デュリュフレの「4つのモテット」作品10は、
1960年の作曲だと書いたが、
ヴァチカン公会議は、1962年から65年に開催されており、
以来、各国の国語が重視されるようになったとあるから、
デュリュフレの作品は、嵐の前の静けさのようなものになった。

そして、彼は、音楽が書けなくなってしまったのかもしれない。
次の作品番号を持つ、
ミサ曲「クム・ユビロ」作品11が書かれるのは、
ヴァチカン公会議の後、1966年である。

「デュリュフレはヴェイエルネのすぐれた弟子であったが、
彼のやはり師であった、シャルル・トゥルヌミールは、
グレゴリオ聖歌の可能性や、
旋法による感情やムードの広いレンジを彼に示唆した。
デュリュフレにとって、
グレゴリオ聖歌の構成は、明らかに、
観照、静謐の永遠の雰囲気であって、
または絶え間ない情熱の力であった。
デュカスはかれの今ひとりの教師であったが、
音楽のテクスチャーへの洞察、自覚を受け継ぎ、
合唱曲を伴奏するオルガン、
またはオーケストラ版の伴奏などで明らかなように、
デュリュフレの器楽の色調も受け継いでいる。」

デュカスは確かに、イメージとしてはすっきりしていて、
もっと異教的な題材をもとにした音楽を書いたりして、
教会の音楽とは関係なさそうだが、
神秘的なオルガン曲を書いた、
トゥルヌミールなどとミックスすると、
デュリュフレのような音楽になりそうである。

デュリュフレの音楽を平板と書いたのは、
ちょっと間違っていたかもしれない。
平明というより、不思議に明晰なのである。

「レクイエム(1947)は、
フォーレ以来のレクイエムの傑作として傑出しており、
これらはしばしば比較される。
これらの作品の唯一の類似点は典礼的な事を想定し、
19世紀のオペラ風の語法を取っていないことである。
デュリュフレのレクイエムでは、
グレゴリオ聖歌の流れやリズムが、
常に音楽の表面下に底流している。
それは霊感であり、
けっして独自のスタイルや、
創造的なアイデアの代用ではない。
ここまでレクイエム・ミサのテキストを熟考し、
個人的に考えた作曲家はいない。」

完全にオタクだということであろう。
この解説も、デュリュフレが何者か、
というよりも、
いかにグレゴリオ聖歌に没入した作曲家がいたか、
みたいな内容となっている。

以下、改めて各曲を聴いてみよう。
「」内は、解説からの言葉である。

Track1.
入祭唱であるが、
この、あまりにも美しい部分の解説はない。

助奏からして、
「彼らに永遠の安息を、与えてください」
という雰囲気もいっぱいで、
「そして絶え間なく光が、彼らに届きますように」
という歌詞を見て涙が出そうになる。
助奏からの、この絶え間ざる脈動は、
この絶え間ない光の象徴であったのか。

痛切な男声合唱に、
天空から天使のような少年合唱が重なり、
穏やかなオルガンの伴奏がすべてを包み込む。
「あなたのもとへ、全てものが至るでしょう」。

Track2.
続けざまに入る「キリエ」。
「主よあわれみたまえ」という言葉を、
無垢な子供たちの声で発せられ、
ゆっくりとゆっくりと、
それは空に向かって登って行くようである。
その最後の一押しを、男声合唱が補助するので、
本当に、みんなで助け合って、
祈っているような感じがしてくる。

Track3.
不安に満ちたオルガンの苦しげな助奏に続き、
レスピーギの「ローマの松」に出て来たような、
聖歌のリズムが刻まれ、遂に、合唱が登場。

「おお、主よ、イエス・キリストよ、栄光の王よ、
解き放ってください、死せる者の魂を、
下界の苦難、そして深い淵から。」
と歌われる部分。

「『キリエ』の対位法は、勢いと自信をもって、
『おお、主よ、イエス・キリストよ』の突然のリズム変化をもたらし、
自由を求め、それだけいっそう痛々しい。
『リベラ・メ』(リベラ・アニマスの誤りか?)
のようなクライマックスでは、
この曲のテキストにありがちなお決まりの、
思いつき風の劇場風効果などまったくない。」

そうは言っても、めくるめくようなオルガンと、
合唱の渦巻きである。
音楽は起伏に富み、8分40秒と長く、
リズムも変幻する。
ウィリアム・クレメンツのバリトン独唱も真摯である。

Track4.サンクトゥス。
これまた恩寵を感じさせるオルガンの揺蕩いが美しい。
「聖なるかな」と、少年合唱が繰り返し、
「ホザンナ」の喜びで、男声合唱が男らしく、
オルガンはトランペットの音色をさく裂させる。
このあたり、少年合唱は厳しそうだ。

Track5.
「フォーレ以来、『慈悲深いイエスよ』を、
かくも効果的に書けた作曲家はおらず、
デュリュフレはメロディの簡潔さを受け継ぎ、
この作品の最も深い楽曲の一つとした。
卓越した書法の和声と感動的なチェロの助奏が、
この祈りを疑いなく精巧なものにして、
人間の境遇の苦しみの自覚としている。」

ここで登場するのは、オルガンだけでなく、
ジョン・トッドのチェロに伴奏された、
メゾ・ソプラノのキャスリーン・ターピンが、
深く思慮深い美声を聴かせる。

ネットで見ると、ウェールズ出身とあって、
濃い色の髪の美人である。

Track7.アニュス・デイ。
「神の小羊、世の過ちを取り去る方、
彼らに安息を与えて下さい」と歌われる部分。
ここに来て、再び波立つようなオルガン伴奏が現れるが、
明るい色調で、水面にはきらきらと輝きが見えるようだ。
カウンター・テナーの合唱も、澄んだ感じ。

繰り返し歌われる間に、
オルガンに登場するメロディも絶美だ。

Track7.
「『永遠の光が』は純粋で切りつめた表現で、
永遠の命という主題と、これ以降のこの曲への希望に相応しい。」

確かに、一息ついた感じの音楽で、
「永遠の光が、主よ彼らに輝きますように。
あなたの聖人たちとともに」と、
少年合唱を中心に懸命に歌われる。

Track8.リベラ・メ。
重苦しいオルガンで始まり、沈鬱な歌。
「永遠の死から解き放ってください」とは、
かなり無茶な要求である。

いったい、主体は誰なのか。
死者を送った我々のことか?
あるいは、天国以外のところに行くのは嫌だ、
という表現だろうか。

かっこいいバリトン独唱あり、
かなり声部が交錯して、緊張感が高い。
グレゴリオ聖歌よりポリフォニーである。

「『解き放ってください』では、フォーレの余韻かもしれず、
その背景の考えはそれほど違っていない。
フォーレは最後の審判の結果を反映させず天国に行ったが、
デュリュフレは、短いながら、
『怒りの日』に触れており、血気盛んな表現を取った。」

オルガンも怒りの表現で鳴り響く。
デュリュフレ自身の葛藤が見えるようで、
全曲の中で、もっとも、恩寵から遠い。

Track9.
「『楽園にて』とそこでの純粋なグレゴリオ聖歌が、
子供たちの声で歌われることによって、
この作品は閉じられ、合唱は微妙な和声で応答する。
デュリュフレは最終的にこの作品を、
死を越えて生きるためのものにした。」

先ほどの曲が、かなり錯綜していたので、
作曲家も息苦しさから解放されたがったみたいな感じ。
かなり、シンプルに、天上の浮遊感に揺蕩う音楽。

オルガン伴奏もきらきらするばかりで、
「天使たちが楽園へと導きますように」と、
時間が静止したような音楽が消えて行く。

以上で、名作「レクイエム」のオルガン伴奏版は終わり。
後、デュリュフレの主要な合唱曲も収録されているのがありがたい。

「四つのモテット(1960)は、
グレゴリオ聖歌による霊感の強調と、
ポリフォニーの精巧なブレンドである。
ここでもみられるのは、デュリュフレの感性と、
言葉の背後の霊的な主題への個人的な反応である。
モテットは、神の存在で始まり、神の存在で終わる。」

Track10.
「『慈愛のあるところに神あり』では、
人間の寛大の中にある神の心が、
音楽の暖かさに反映されている。」

無伴奏の合唱曲で、
「レクイエム」や「クム・ユビロ」が、
合唱部に対して、精緻な器楽部を挟んで行ったのとは、
やり方が異なる。
きわめてシンプルなもので、3分かからない。

Track11.
「これら二つ(第一曲と第四曲)の間で、
『あなたはすべての美しさ』という、
聖母に捧げられた、女性的な明るさが対照される。」

この曲は、浮き立つようなリズムで、
いくぶんエキゾチックである。

Track12.
「『ペテロよあなたは』では、
男性的なものが、断固としたカデンツに至る。」

最初は、少年の声で始まるが、
合唱となり、対位法的に進行して、
「教会を作るぞーっ」と、ばーんと終わる。
1分に満たない小品。

Track13.
「『タントゥム・エルゴ』では、秘跡の中にある、
神の存在に相応しい神秘的な雰囲気がある。」

これは、三位一体の秘跡を讃えたもので、
シューベルトが書いた同名の音楽と同じ歌詞である。

極めてグレゴリオ聖歌風に始まるが、
ポリフォニー的な表現も目立つ。
神秘的な雰囲気がこみ上げるもので、
かなりの凝縮感もある。

きわめて清澄なもので、
デュリュフレの作品は、
シューベルト初期の二曲の祝典的な、
D460、D461などとは全く違う世界。

シューベルト中期の二曲の、
崇高で壮大なD739、D750も、
デュリュフレと比べると、
きわめて外向きの音楽に聞こえる。

しかし、このシューベルトの二曲は、
かなり聴きごたえのある音楽で、
もっと知られて良いような気がする。

シューベルト後期のD962は、
これらの作品に比べて、かなり内面に向かう音楽で、
これらの5曲の「タントゥム・エルゴ」を聴き比べるだけで、
シューベルトの音楽の変遷を聞き取ることが出来る。

さて、デュリュフレの作品10に戻ると、
これらの「モテット」は、グレゴリオ聖歌風というが、
導入部が独唱で始まる以外は、
かなりハーモニーが凝っており、
プレインチャントという感じではない。

さて、「レクイエム」と並ぶ、
デュリュフレの合唱作品の大作、
「ミサ曲」が始まる。

この曲が出るまで、新作を待ちわびた人も多いだろう。
レクイエムから、20年近くが経っている。

Track14.
「『ミサ・クム・ユビロ』(1966)の
キリエのオープニングでは、
ちょっと繊細に伴奏されたグレゴリオ聖歌、
といったものを聴き始めるといった印象があるかもしれない。
事実、各楽章のスピリチュアルな主題は、
個人的なムードを持ち、
また、デュリュフレが書いたどれよりも変化に富む。
バリトンの声を使って、幅広い音域のアリアは、
高度な表現力を持ち、
和声的に冒険的なオルガンパートに対応する。」

前回、この曲はオーケストラ版で聴いたが、
このオルガン伴奏バージョンも美しい。
冒頭から、群青の大海に揺蕩うような感じ。
まさしく、このCDの表紙デザインそのままでもある。

が、フィリップスのグレゴリオ聖歌のCDのように、
オルガン伴奏付のグレゴリオ聖歌にも聞こえる。
ただし、その器楽部分は、素晴らしく彫琢されている。

Track15.
「『グローリア』の喜ばしい感情の爆発は、
本当の信頼の疑いない声明である。」

オルガンがじゃーんじゃーんと鳴り響き、
しかも、きらきらとした不思議な装飾音も聞こえる。
ショーソンの「愛と海の歌」のような、
激しくも美しい情念の音楽をも想起してしまう。

Track16.
「『サンクトゥス』の開始部では、
ほろ苦いクオリティがあり、
これはこのミサ曲を通じて現れるもので、
我々に、疑いや絶望との戦いのない誠実さは、
本物でもなく、長続きもしない、と思い出させる。」

この部分、この解説の白眉であろう。
確かに、「聖なるかな、聖なるかな」と歌われるにしては、
妙に懐疑的な曲想で、オルガンの伴奏もひねくれている。

この解説者の言っていることは、
後付け理論に思えるが、
こんなヘンテコなサンクトゥスは聞いたことがない。
「ホザンナ」にしても、
のたうち回るように進行する。

デュリュフレは、本当に、
何を考えてこんな音楽を作ったのだろうか。
懐疑の中の真実?

Track17.
「ためらいがちで、神秘的な『ベネディクトゥス』は、
暗闇から明滅する光に向かっての旅のようである。」

これまた、オルガン伴奏版のせいであろうか、
妙に晦渋で沈鬱な音楽に聞こえる。
クレメンツのバリトン独唱である。

Track18.
「『アニュス・デイ』は、
グレゴリオ聖歌の主題のムードで始まり、
遂には安息を保証する。」

何だか、黙示録的な超越ムードが漂う。
確かに、これは現代の音楽、
原爆が落ちてから書かれたような、
廃墟の中からの祈りにも聞こえる。

最後になって、少しずつ見えてくる、
ほのかな微睡のような夜明け。
何だか、背筋が寒くなる。
オルガンの後奏も、
天体の運行のような神秘を感じた。

私は、前回、オーケストラ版で、
この曲を聴いて、ものすごく美しいミサ曲だと思ったが、
この演奏で聴くと、何ともやりきれない、
ショスタコーヴィチ風の音楽に聞こえて仕方がなかった。

ここで、思い出したのは、ヴァチカン公会議の事。
デュリュフレは、完全に、
拠り所を失ってしまったかのようである。

それにしても、作品9の「レクイエム」から、
作品11のミサ曲「クム・ユビロ」に至る約20年は、
シューベルトが1000曲もの音楽を書いた時間より長い。

さて、このCD最後の曲は、
しかし、この不気味な緊張感を、
解きほぐしてくれるような小品で助かった。

Track19.
「1977年の『天にまします我らが父よ』(作品14)
の作曲には、痛々しい背景がある。
モーリス・デュリュフレはこれに先立って、
自動車事故で苦しめられ、これによって、
オルガニスト、作曲家としてのキャリアが閉じられた。
ラテン語ミサの放棄は、
『主の祈り』に相応しいフランス語への付曲に向かわせ、
同様にすぐれたオルガン奏者であった、
作曲家の妻は、この曲を書き始めていたことを思い出させ、
これを完成させることを促した。
それにふさわしく、この曲は彼女に捧げられている。」

これは、このような状況下で、
書かれたことを感じさせない、
清純な音楽であるが、わずか1分半の音楽。

ポリフォニー的なところはなく、
民謡のように親しみやすい、
陰影豊かなメロディに、
無伴奏合唱の無垢な味わいが凝縮されている。

「天にましますわれらの父よ」という、
イエスが弟子たちに教えたと聖書にもある、
かなり基本的な祈祷文であり、
わたしの知人が、
最近、お祈りでも口語体になって、
カトリックの魂が奪われた、
と言っていたそのものであった。

文語体では、
「天にまします我らの父よ
願わくは み名の尊まれんことを」
み国の来たらんことを」
が、口語訳で、
「天におられるわたしたちの父よ、
み名が聖とされますように。
み国が来ますように。 」
となっているらしい。

確かに、
「わたしたちを誘惑におちいらせず、
悪からお救いください。」
の方が、
「我らを試みにひきたまわざれ
我らを惡より救い給え」
よりわかりやすいが、

「我らが人に許す如く我らの罪を許し給え 」は、
「わたしたちの罪をおゆるしください。
わたしたちも人をゆるします。」
だと、
なんだか小学校の教科書の
朗読みたいになるのかもしれない。

デュリュフレの歌は、
どちらかと言えばシンプルで、
格調より親しみやすさを優先し、
口語訳風である。

日本のカトリック教会と日本聖公会は、
2000年に共通口語訳を制定したと言うが、
デュリュフレが、
第二次ヴァチカン公会議で体験した事と、
同様のことが日本でも起こったのだろうか。

得られた事:「デュリュフレの『ミサ・クム・ユビロ』には、第二次ヴァチカン公会議で転換したグレゴリオ聖歌のあり方に対する危機感が反映されているようである。」
「そのオルガン版終曲の不気味な虚無感はなんだろう。」
by franz310 | 2013-04-27 22:01 | 現・近代
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