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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その373

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その373_b0083728_13282683.jpg個人的経験:
クープランといえば、
フランス・バロックの華
と言いたくなるような
イメージの作曲家。
「葦」とか、
「恋の夜うぐいす」とか、
しゃれた題名の
クラブサンの小品で知られ、
ラヴェルなども、
オマージュの作品を書いた。


1668年生まれなので、
ヴィヴァルディより10歳年配、
バッハ、ヘンデルの一世代前で、
シャルパンティエより一世代若い位置づけである。

この人は、バッハ、ヘンデル、
ヴィヴァルディなどと違って、
声楽作品で有名ではなく、
チェンバロの作品や室内楽で有名で、
器楽の作曲家というイメージが強い。

しかし、経歴を見ると、
サン=ジェルヴェ教会や、
ヴェルサイユ宮殿礼拝堂のオルガニストとあって、
決して、そうした世俗的な感じでもない。

したがって、今回、新久美という人の歌で聴いた、
「ルソン・ド・テネブレ」という曲集は、
まったく、視野に入っていなかった。

だが、これは、そのまま通り過ぎるには、
美しすぎる曲集である。
第3集まであるのだが、
これはデュエットの作品なので、
新久美の盤では聴くことが出来なかった。
今回は、第1から第3まで録音した、
クリスティ指揮の盤(ERATO)を聴いてみたい。

1996年10月、パリでの録音で、
テネブレという聖週間の音楽ながら、
フランスの大家であろうとも、
別に時期にこだわりはないようだ。

歌手は二人必要だが、これはすごい。
写真を見ると、アンニュイな妙齢の美女たちで、
ソフィー・ダヌマンと、
現在、人気絶頂のパトリシア・プティボンである。

実は、この聖週間を無視した録音時期が、
この演奏のすべてを表しているような気もしなくもない。

表紙は、シンプルな尼僧の横顔で、
文字が書かれた方は黒くなっているが、
うっすらと、これまた尼僧のうつむき加減の顔が見える。
ただし、これは19世紀ドイツのもので、
「ベネディクト会の見習い尼僧」と題されている。

1714年に現れたこれらの名曲とは、
時代が1世紀単位でずれていて、
場所もかなりずれているが、
何となく、雰囲気はぴったりと合っている。

解説は、Orhan Memedという人が書いている。
この1966年生まれの音楽学者は、
プロデューサーでもあり、
ハープシコード奏者でもあるらしい。

だが、今回の録音は、
大御所のクリスティ自身がハープシコードを受け持っており、
プロデューサーは、Jean-Pierre Loisilという人である。

「序文:
2、3年前に、私は聖金曜日のためのテネブレ晩課を、
L修道院のために書き、
そこで歌われて好評であった。
そこで、ここ2、3か月、私は、
聖水曜日と聖木曜日のお務めのためのものも
書くことになった。
しかし、レント(四旬節)までの時間も取れず、
私は、とりあえず最初の日のものだけを作った。
それぞれの日の最初と2番目のお務めは、
独唱のものであり、3番目のお務めは二重唱用なので、
歌手が二人いれば演奏可能である。
高音域用に声楽パートは書かれているが、
最近では多くの人が移調して歌えるので、
他の音域でも歌うことはできる。
皆様がお望みなら、他の6曲も、
3曲ずつお届けしたい。
もし、オルガンまたはハープシコードに、
ヴィオールやヴァイオリン族の低音を加えられれば、
申し分ありません。」

ということで、3番目のお務め用は、デュエットなので、
新久美の独唱をクローズアップしたCDでは、
これを収めることが出来なかったようだ。

が、今回のCDは、最初のお務め用はダヌマン、
2番目のお務め用はプティボンが独唱を受け持ち、
3番目のものは二人勢揃いで歌うようになっている。

「1714年の『ルソン・ド・テネブレ』へのこの序文で、
クープランは、彼の声楽作品の作曲と演奏に関し、
短いながら、正確な情報を伝えている。
多くのオルガン曲、声楽曲をすでに出版していた、
Chapelle du Royのオルガニストは、
ロンシャン尼僧院のための
これらの自信を持った新作について述べる時、
控えめには書けなかった。
残りの6曲のテネブレは、
何年か後にもまだ、
クラブサンの組曲第2集と格闘しながらも、
彼には、書く気があったにも関わらず、
結局、印刷されることなかった
(さらには、残念ながら、自筆譜も見つかっていない)。」

ということで、この作品は、
爆発的に売れたわけではない、
と考えるべきなのだろうか。

それとも、それどころではない、
という事態に陥ったのだろうか。
解説を書いた人は、2、3年後にも、
クープランが気にしていた、
と書いているから、そこそこに、
この第1作は受け入れられたということであろう。

「これらの残された
3曲のルソン・ド・テネブレは、
ミシェル・ランベールや、
マルカントワーヌ・シャルパンティエといった、
先人同様、しばしば、
フランス・バロック期の
このジャンルの頂点とされる。
事実、聖木曜日から聖土曜日までの間に歌われる
『エレミアの哀歌』に曲をつける習慣は、
もっと古くからあった。
トレント公会議(1545-63)が、
その順番を決め、
旧約聖書から、どの詩句を歌うべきかを細かく規定し、
tonus lamentationumについても規定している。」

このtonus lamentationumとは何だろうか。
歌い方であろうか。

「最初のお務めは
『このように預言者エレミアの哀歌は始まる』
と歌いだされ、各お務めの最後は、
『エルサレムよ、エルサレムよ、
主のもとへ帰れ』と結ばれる。
オリジナルのヘブライ語では、
それぞれ5行からなる
各詩節の最初の単語の最初の文字は、
ヘブライ文字のアルファベットで書かれていた。
(第3章は各文字に3行が続く。)
これらのヘブライ文字は、
ヘブライ語のテキストが消失するにつれ、
取り残され、新しいラテン語テキストの、
詩節の最初を表す記号となった。
装飾された飾り文字のイメージは、
パレストリーナの時代以来、
高度に装飾されたパッセージで、
この文字を歌うようになった。」

ということで、音楽としてのテネブレの
楽章の最初には、
このヘブライのアルファベットの読み上げが、
精妙な序奏のように置かれる形となっている。

「最初の3つのテネブレのお務めのテキストは、
エルサレムの寺院破壊の直後の様子を生々しく描き、
『哀歌』の第1章の最初の14の詩節から採られた。
お務めは、枝付燭台の15本のろうそくが、
一本ずつ消され、特に暗いものである。
結果としての暗さ、闇は、非常に印象的なものだっただろう。
朝早く行われる朝課の不便さが、
この儀式が前日の午後に回された理由と考えられ、
木曜日のお務めは、この作品のタイトルに明らかだが、
水曜日に行われた。」

このように、暗闇を意味する「テネブレ」は、
だんだん暗くなっていく中で歌われた祈りなのである。

私は、このような曲種であれば、
春まだ早い時期、冷え切った修道院で、
簡素な衣服や食事をしていたであろう、
修道女たちが、寒さに震えながら、
簡素な聖務を行っていた情景が脳裏に浮かぶ。

したがって、天啓が下るような趣きの、
MISAWA盤の大橋敏成と今井奈緒子の序奏こそ、
その雰囲気にぴったりのような気がしている。

伴奏については、このMISAWAレーベルの
新久美の歌唱する盤では、
曲によってオルガンになったり、
ハープシコードになったりしていたが、
このクリスティ盤では、鍵盤楽器については、
ハープシコードに統一されている。

では、前回聴いたMISAWA盤と、このエラート盤、
伴奏の違いが楽しめるだけかと思ったら、
これは大間違いでなのである。

天空から舞い降りるような、
オルガンの音色が素敵なMISAWAの盤と違って、
チェンバロのきらめきと、
ガンバ(Anne-Marie Lasla)の深々とした呼吸の
対比の妙は別の感興を掻き立てる。

ガンバのLaslaは、
クリスティ率いるレザール・フロリサンの、
女性ヴィオール奏者である。
彼女のみならず、このCDには、
歌手の紹介なども一切ないのが残念だ。

ともあれ、CDをかけてすぐに入って来る、
ダヌマンのヴィヴラートをこまめにかけた
非常に装飾的な声を聴いて、
MISAWA盤になじんでいた私はのけぞった。

第一印象としては、けばけばしく、
同じ白い簡素な尼僧の服かもしれないが、
余計なフリルやレースの入った服で、
これは、きわめて強烈な自我の音楽だと思えた。

それに比べ、新久美の澄み切った声の調子は、
まさしく日本の豆腐とか、障子とかの、
シンプルな美学に基づくものであるような気がした。

そもそも、MISAWA盤は、1989年の録音。
解説には、音楽監修を行った大橋敏成に対し、
「近年はバロック時代の歌唱法に多大な関心をよせている。
・・・当時の発声法や歌い方を、
その頃の歌唱法の書物はもちろん、
絵に描かれた歌手の表情からも読み取ろうとする」
とあるから、単に、
日本的美学ではないのかもしれないが。

新久美との出会いによって、彼の研究は新段階となり、
「両者は上野学園大学の
古楽研究室を中心として
バロック時代の歌唱法、
特に装飾法の解読と演奏法について
歴史的事実をさぐる研究を進め」た、
ともある。(内野允子著)

それに続いて、新久美は、
このERATO盤で恐らく音楽監修をしている、
クリスティにも認められている、
と書かれているのが、極めて象徴的である。

新久美は、自分のCD(1989年録音)を、
果たして、クリスティに聴かせたのであろうか。
そして、このクリスティのCDは、
その返答のように、1992年の録音である。

どうせ出すのなら、と違う解釈をしたのか、
あるいは、極東の研究などは、
否定するつもりで録音したのだろうか。

もちろん、ヴィヴラートを聴かせた、
極彩色を感じさせるこのCDの歌唱だけで、
それが断定できるものではないが。

神に向かって、修道院の冷たい空気の中から、
ひとり無垢の声を聴かせる新久美に対し、
このクリスティ盤のダヌマンの歌唱は、
エレミアの嘆きそのままに、
ドラマティックなものなのかもしれない。

そんな事を考えながら聞くと、
最初の「エレミアの哀歌ここに始まる」
という部分だけでも、
ダヌマンの方が、哀れな感じがして、
神に助けを求めているような感じはする。

故郷の廃墟を前にした人は、
このような、震えるような声に、
ならざるを得ないかもしれない、
そんな事まで考えてしまった。
これは、極めてリアリスティックな解釈にも思える。

慟哭であり、怒りであり、
やるせなさであり、茫然自失であって、
聴いている方も、力瘤が入る
アジテート風とも言える。

が、聖なる場所、聖なる機会に、
ここまで、感情を露わにして良いのだろうか、
という疑問もあったりする。
難しいものである。

さて、クリスティ盤の解説に戻ろう。
「この高度に洗練され、
一見、強固な構成の中でありながら、
クープランは、この作品に、
個人的な声を織り込むことに成功した。
フランス様式とイタリア様式を統合する
クープランの努力は明らかで、
さまざまな面で、これらは、
彼の他の声楽曲とは異なる。」

この「他の声楽曲」というものが、
どのようなものか分からないが、
下記の文章から察するに、
もっとイタリア的なものだったのかもしれない。

あるいは、イタリア的をベルカント的、
オペラ的と言うのであれば、
ここに聞く、ダヌマンの歌唱法は、
そんなものかな、などとも思える。

「彼は独唱のための最初のテネブレを、
オープニングの『エレミアの哀歌ここに始まる』
を装飾された歌唱で開始する。
最初の文字『アレフ』と、その後のヘブライ文字は、
拡張されたメリスマで彩られ、
tonus lamentationumの歌唱を要約する。
自由にレチタティーボとアリオーソを使って
詩句は非常に柔軟に対処されている。
テキストに描かれた事実のドラマは、
非常に繊細に扱われている。
初期のクープランのモテットに見られた
イタリア風朗読法は、
これらの作品が想定した嘆きの場には
相応しくなかった。」

ということで、過度にイタリア的であってもいかん、
と、このエラートのCDにも書かれているではないか。

このエラート盤でうれしいのは、
各曲が細かくトラックで分類されている点で、
ちゃんと、ヘブライ文字のところで切られている。

「『夜もすがら泣き』の部分は、
ロンド形式を変形した珍しい例である。」
と解説にあるのは、

これは、第2節BETH(ベート)の部分であるから、
Track3を聴けば良い。
BETHの部分は、明るくなる感じであるが、
その後の主部では、ガンバが慟哭し、
本当に、涙が流れ続けるような表現。
もう、心の中が煮えたぎっている感じが出ていて、
新久美の取り澄ました感じではない。

「友は皆、彼女を欺きことごとく敵となった」
という恐ろしい歌詞の部分は、
感情表現はなく、報告で終わっていて、
ダヌマンの小刻みな表情推移も素晴らしい。

エレミアの嘆きの情念を抽出し、
それを素直にぶつけるような解釈は、
他の部分でも率直である。
ガンバなども、唸るように苦悩を伝える。

「真のラメント・スタイルによる
これらの作品を通じ、
表現力豊かなレチタティーボが、
ヘブライ文字の装飾で中断され、
小休止がしばしば現れるという特徴がある。
拡大された器楽の間奏曲は、
『プレリュード』とされ、
『Tendrement, et proprement』(優しく清らかに)
と指示され、2つの目的を持つ。
それは『哀歌』の終わりを示し、
結尾の『エルサレムよ』を導く。」

これは、Track6から7への移行部を聴けば良い。
非常に情けない感じの、
人の声とも見まがうような、
表情豊かなガンバの節回しが聴ける。

Track6では、ガンバの特徴的な音形が繰り返され、
敵がはびこる様子が象徴的である。

「第2のお務め(第2課)は、やはり独唱用で、
『Vav』という言葉をメリスマで始める。
ここでクープランは、最初で唯一の例であるが、
ヴィオラ・ダ・ガンバのための独立したパートを書き、
デュエットのための第3のお務め(第3課)の
デリケートなメロディの交錯を予告する。」
第2課は、プティボンが歌っており、
先の部分はTrack8で聴くことが出来る。
ガンバと声の寄り添う様子は、
繊細で、優美である。

プティボンは、ダヌマンほどヴィヴラートをかけず、
比較的ストレートな声を出していて透明感がある。

Track9の部分は、解説にはこうある。
「『エルサレムは覚えているか』の詩句は、
8小節の通奏低音に支えられ、これは6回現れる。
この厳格な和声進行の中に、
クープランはテキストと、
メロディのフレージングを自由に入れ込み、
グランド・バスの2回の宣言に跨る
『助ける者』のパッセージを豊かに装飾する。」

荘重なシャコンヌみたいな感じ。
「ZEIN」の部分は、この重さに先立って、
箸休めみたいな明るさがある。

突き抜けて行く声が、
聴くものをはるかな昔の回想に誘う感じが、
新久美の表現に似ているが、
水墨画と油絵の違いがある。

色彩に陰影が細かくつけられており、
聴きようによっては、
ものすごく、演劇的な歌である。

Track11で、
エルサレムを落ちぶれた女性になぞらえる部分など、
いかにも、ああ、なんて事、といった、
情景描写がなまなましい。

以下、ダヌマンとプティボンによる二重唱である。
クープランのテネブレ、第3課。
ヴィヴラートの強いダヌマンと、
ストレートなプティボンであるから、
聞き分けやすくできているのだろう。

Track13.
「哀歌の第10節で、伴奏を伴う
メリスマのパッセージ『Yod』と共に、
デュエットのために書かれた
第3の、そして最後のお務めが始まる。」

この段階から、女声の絡まりが、
音色と音量に豊かさを倍加させ、急に華やかになる。

解説にはこのようにある。
「実際、この最後のお務めで、
クープランは、第2、第3、第4の、
すべてのヘブライ文字を、
2つの声のユニゾンではなく、
カノンで提示している。
一般に、この方法は4小節以上に及ぶことはなく、
この後、何らかの模倣は残しつつ、
カノンの模倣は放棄される。」

Track14の「CAPH」でも、
ものすごい華やぎで、
その後、
「パンを求めて呻く」などと、
悲惨さを歌い嘆くのが嘘のようである。

このヘブライの頭文字は、
文字通り飾り文字で、
クープランはここぞと、
女声ならではの香気を解放して、
あたかも、額縁のように、
あるいは、「展覧会の絵」のプロムナードのような、
印象的な効果を上げている。
Track15.
「『目をとどめ、よく見よ』の節では、
詩句の悲しみの深さを表す、
特別な呼びかけの強調がある。」

ラメッドと飾り文字があるが、
ここでの木霊効果みたいなのも面白い。
その後に、上述の部分があるが、
戦禍にあって、残された女たちが、
切迫感を持って物乞いするような劇的表現である。

Track16.
「主はわたしを引き倒し」の部分であるが、
華やかなので悲惨さを感じない。

Track17.
ついに、「わたし」も、
敵に引き立てられていくのだが、
女声が掛け合いをするので、
心浮き立って、喜んで、
連れていかれるような感じになっている。

Track18.
「そして、結尾の
『エルサレムよ、神の元に帰れ』
で、感動的な深さで、この曲集とお勤めを終えている。」

このように解説にはあるが、
個性的な女声の饗宴となっていて、
ただただ美しい歌という感じが強い。
「立ち帰れ、神のもとへ」というのが、
信仰が、決然とした意志となって、
希望を持って歌われているかのようだ。

この「テネブレ」の後に、
「王の命令により作曲されたモテットの4つの詩句」
という曲が収められている。
教条主義的な小品を集めた小唄の組曲風。
というか、モテットから気の利いたところを、
寄せ集めした感じだろうか。

「クープランは、『ルソン』に先立ち、
どんな声でも歌えます、
と、商業的なプレッシャーに屈したが、
1703年に出版したモテットでは、
特に二人の女声歌手の名前が名指しされている。
Ballardによって、
『王を讃えて』出版された、
『四つの詩句』は、
1705年まで毎年出された、
三つの曲集の第一作である。」
と解説にあるから、
最初から、このような、
寄せ集め感のある曲集だったのであろう。

「作曲家の姪である
マルガリート・ルイーズと、
王室音楽家のマリー・カペが、
1703年3月にヴェルサイユにて、
最初の曲集を披露した。」

このように、王室ゆかりの作品ではあるが、
かなり広く親しまれ、
作曲家の死の5年前の1728年にも
コンセール・スピリチュアルで、
演奏された記録があるという。

Track19.二重唱で、伴奏はない。
うらぶれた感じで、女性たちは、
神の言葉を忘れてしまい、へとへとになっている。

Track20.ヴァイオリン二挺が掛け合い、
さすがクープランといった趣きの、
繊細で憂愁の情感を漲らせる。

ダヌマンが切迫感をもって、
その中に入って行く。
あなたのお言葉は最高のもので、
僕は、それを愛します、というもの。

Track21.フルートの合奏は田園的で、
澄んだプティボンの声が入って行って、
極楽楽土のような色彩に満ちている。
「私は小さくて何の名声もないけれど、
あなたの戒めは忘れたことなどないわ」
という感じだろうか。

Track22.再び二重唱。
ここでは、簡単な伴奏がつく。
あなたの光は永遠で、あなたの法は真実です。
ちょっと熱狂的な弾むような楽しい曲。

全曲で、8分ばかりの小品集であるが、
非常に粋で、フランス音楽のエッセンス、
という感じがしなくもない。

得られた事:「クープランの『テネブレ』では、各節冒頭のヘブライ文字アルファベットが、各楽章を飾る明るいプレリュードとなって、深刻な内容に浮遊感を与えている。」
「修道院で独白するように祈るか、ヘブライの民が慟哭するように祈るかで、ヴィヴラートの有り無しは好悪が分かれる。」
by franz310 | 2013-04-07 13:29 | 古典
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